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格差・貧困に思う

「理事長のページ」 研究所ニュース No.25 掲載分

 角瀬保雄

発行日2009年02月28日


2008年のノーベル賞はいろいろな観点から注目を集めました。4人の日本人研究者が受賞しましたが、2人は国内の現職の研究者でしたが、2人はアメリカ国籍をもつ研究者と在アメリカの研究者でした。物理学賞の2 人の共同受賞者の1 人、益川俊英氏は日本科学者会議の会員で、科学者9条の会の呼びかけ人でした。いわばわれわれの仲間ともいえる人でした。そういえば戦後日本の素粒子論の発展は湯川秀樹、朝永振一郎を初め、武谷三男など専門分野の革新と平和運動の担い手によるものでした。われわれ門外漢も若き日々、「物理学と弁証法」などその入り口をのぞき見たことがあったことを思い出しました。

もう1つ注目されたのは経済学賞の受賞でした。これまでは新古典派の研究者ばかりが受賞し、経済学は「投機の学問」になってしまったかの感がありました。その風向きが少し変わり始めたように感じられたのはアマルティア・センの受賞からでした。経済学の道徳哲学への回帰に始まり、今回はニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストとして健筆を振るっていたポール・クルーグマンの受賞です。氏のコラムはかねてから私の愛読していたもので、それだけにわが意をえたりの感がありました。

早速、出版界では恒例にしたがって受賞者の著作の紹介が始まり、書店の棚をにぎわしていますが、クルーグマンの著作の第1 弾は『格差はつくられた』( The Conscience of a liberal)が早川書房から三上義一訳ででました。6月25日に初版が発行され、10月25日にはもう三版が発行されるという、物書きにとってはまことに羨ましい限りです。もう手にとられた人もいるかと思いますが、米大統領選挙でのバラク・オバマの勝利がアメリカ社会の格差や医療・福祉の問題と大きく関係していることを勉強しました。

さて雑誌『世界』の09年1月号の冒頭、入江昭氏のインタビュー「オバマ大統領誕生の歴史的意味」を大変興味深く読むことが出来ました。歴史と国際関係の視点からアメリカが変革、チェンジに直面していることを鮮やかに解明しており、早くも「死に体」になっている日本の麻生内閣との違いが鮮やかに描きだされています。

クルーグマンの著書をできるだけ医療問題に引き付けて読んでみますと、冒頭から「すべての根源は、アメリカの人種差別問題にある」「それこそが国民に対して医療保険制度を提供していない理由である。」と断じています。多人種国家アメリカにおける国民健康保険制度創設の試みは、ルーズベルトの後を受け継いだトルーマンの1946年の提案から始まります。しかし当時のそれは、アメリカ医師会(AMA)の反対によって潰されたといわれます。南部州の政治家たちにとっては、貧しい白人に医療を提供するよりも、黒人を白人の病院に入れさせたくないことのほうが重要であったという大変ショッキングな話しがでてきます。その後の、最近の試みとしてはヒラリー・クリントンの失敗がよく知られていますが、今回の大統領選挙でもオバマは国民健康保険制度の確立を政策にかかげていました。問題は現在の民間医療保険の存続と、格差を前提とするものかどうかです。オバマが医療制度をどのように具体化するかが注目されるところです。戦前の大恐慌後のニューディール政策が今日の医療問題の出発点であったということ、今日の日米両国における医療と経済との関係が注目されます。

本書の中でクルーグマンは、自らを「リベラル派」と称していますが、「リベラル派」と「進歩派」との違いについて興味深い規定をしています。「リベラル派とは、不正や格差を抑制する制度を信じる人々のことである。進歩派とは、それらの制度を擁護し拡大しようとする政治組織に、(表だってかどうかはともかく)参加する人々のことである。アメリカは国民皆医療保険を持たなければならないと思えば、自覚していようがいまいがあなたはリベラル派なのである。国民皆保険の設立のための運動に参加すれば、あなたは進歩派なのである。」としています。

「多かれ少なかれリベラルな信条を持っている多くのアメリカ人は、いまや民主主義の原則の擁護と格差の縮小という目標を共有する、同じムーブメントの一員であると自らを『認識』している。」「クリントン政権時代、このような進歩派のムーブメントは存在しなかった。」「ヒラリー・クリントンの医療保険改革案が失敗した理由は多くあるが、一番の欠点は大きなムーブメントの目標に応えようとするものではなかったことである。」「進歩派だということは党派主義にならざるを得ない。しかし、その最終目的は一党支配ではない。目的は真に活気に満ちた、互いに競い合う民主主義の復活である。」と述べています。

日本の医療制度の民主化においても、クルーグマンと同じムーブメント、「リベラル派」「進歩派」のムーブメントを巻き起こしていくことが必要な時にあるといえます。下手をすると時代に逆行し、アメリカに遅れをとることにもなりかねません。いろいろとジグザグを経ていますが、世界は確実に前に進んでいるといえます。ここで注目されたのは、クルーグマンは格差を問題としながらも、貧困にはほとんどふれていないことです。彼によれば、アメリカの目指すものは中産階級の社会で、ブッシュ共和党の政治によって、かつては存在していたアメリカの中産階級が崩壊したことが問題だということのようです。したがって格差問題は登場しても、貧困問題は主題ではないというように思われます。

ここに日本とアメリカとの違いがあるのかもしれません。確かにある程度そういうことはいえるかもしれませんが、日本は戦後アメリカ社会をモデルとして駆けてき、いまや小泉改革以来、新自由主義の影響が色濃く染まった社会になっています。新自由主義においては、貧困はなくさなくてはならないが、格差はあってもよい、むしろ必要でさえあるというのがその基調になっています。

ところでこの日本では今、非正規労働者の首切り、「派遣ギリ」が大規模に繰広げられています。本体である製造業のスリム化の次に来るのは医療・福祉のリストラですが、医療・福祉の費用を切れないとなると、3年後には社会保障の財源に消費税をあてるという問題が登場します。この点については、昨年末に自民党と公明党の合意によって「玉虫色」の決着がつき、11年(度)には消費税を含む税制抜本改革を実施するという「中期プログラム」が閣議決定されました。3年後の消費税増税には何重もの条件がつけられていますが、麻生首相にとってはようやく第一歩が踏み出されたということになります。しかし、今年中に予定される解散総選挙における大きな政治的争点になることは避けられないでしょう。

ところで昨年末以来の非正規雇用労働者の首切り解雇、「派遣ギリ」は早速、世論の反撃にあい、一歩後退せざるをえない立場に置かれました。久しぶりに労働組合がその存在感を示したといえます。首都圏青年ユニオンを初めJMIU(金属情報機器産業労組)などの旗が首都にひるがえりました。もう1 つは反貧困ネットワークなどの社会運動と労働運動との連携が見られたことです。そのなかでは民医連の姿も注目されました。貧富の差によって教育、医療分野の格差が作られているのがアメリカ型の社会ですが、格差の底辺から新自由主義への反撃が始まったといえます。今年は多いに楽しみといえます。それにつけても、戦後日本でその存在感を示していた全日自労の失業者運動やその後継組織である事業団、労働者協同組合運動の「仕事づくり」はどうなっているのでしょうか。いまこそ出番と思うのは私だけではないと思うのですが。

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