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『北海道医報』1049号附録

「平成17年度北海道医師会医政講演会」

より悪い医療制度にしないために―小泉政権の医療改革の批判的検討(転載)

二木 立(日本福祉大学教授

発行日2006年01月01日

『北海道医報』1049号附録「平成17年度北海道医師会医政講演会」(2006年2月1日)で、B5判全20頁の小冊子です。ただし2人の講演録のみで、「公開ディベイト」は収録されていません。

私の講演録は「ニューズレター」17号に添付したものと同じです。

北海道医師会から大量に送っていただいたため、御希望の方に差し上げます(合計200部)。御希望の方は、私の下記勤務先宛、封書でお申し込み下さい。その封書には、宛先(郵便番号、住所氏名)を明記し、切手を貼ったB5判封筒(またはA4判封筒)を同封して下さい。切手は、1部の場合140円分、同2部140円分、同3部200円分、貼ってください。勝手ながら、1人あたり3部を上限とします。
「在庫」がなくなった場合は、改めてメールでお知らせします。

日本福祉大学教職員・院生で希望される方は、メールで申し込んでください。

教員ポスト等にお入れします。


私は、お配りした講演レジュメと3つの拙論を用いて、「より悪い医療制度にしないために―小泉政権の医療改革の批判的検討」と題して、1時間お話しします。実はこのテーマは、吉川洋氏のテーマが「よりよい医療制度を目指して」であることに対応してつけたのですが、吉川氏のお話しは財政論からの公的医療費の抑制論に終始して、「よりよい医療制度」についてはまったく触れられなかったので、少しとまどっています。しかし、予定通りこのテーマでお話しします。

私の話は3つの柱で構成します。まず第1の柱として、私の考える「よりよい医療制度」とそれを実現する道について述べます。次に第2の柱として、厚生労働省「医療制度構造改革試案」の批判的検討を行います。最後に第3の柱として、経済財政諮問会議(民間議員)と規制改革・民間開放推進会議の主張の批判的検討を行います。

1.私の考える「よりよい医療制度」とそれを実現する道[1:序章,2:第Ⅱ章]

(1)私の考える「よりよい医療制度」を目指した改革

まず、私の考える「よりよい医療制度」を目指した改革は、日本の医療制度の2つの柱(国民皆保険制度と民間非営利医療機関主体の医療提供制度)を維持しつつ、医療の質と医療の安全を向上させ、あわせて医療情報の公開を進めることです。その際、「社会保障として必要かつ充分な…最適の医療が効率的に提供される」ことが不可欠です。これは私の主観的願望ではなく、2003年3月の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針」に明記された、小泉政権の公約です。

このような改革を進めるためには、公的医療費の総枠拡大が不可欠です。その根拠は、日本は、総医療費水準(対GDP比)が主要先進国(G7)中最下位な反面、患者負担割合(対総医療費)は主要先進国中もっとも高いという、歪んだ医療保険制度を持つ国になっていることです。実は、G7中総医療費水準が最低なのは、最近まで日本ではなく、医療国営のイギリスでした。しかし、ブレア労働党政権が2000年から医療費増加政策に転換したため、私の調査では、2004年(または2003年)から、日本が最下位になりました[3]。さらに、やや意外なことに、厚生労働省の外郭団体である医療経済研究機構の調査によると、差額ベッド代などの非公式の患者負担を加えた日本の実質患者負担割合は、90年代後半(正確には1998年から)アメリカよりも高くなっています[2:213頁]。

私は公的医療費の総枠拡大の主財源は社会保険料の引き上げであり、補助的に、たばこ税、所得税、消費税の適切な引き上げも行うべきと考えています[1:16頁]。

ここで、重要なことは、「国民が負担可能な範囲」の医療給付費の伸びは固定的ではないことです。この点に関しては、吉川氏も10月4日の経済財政諮問会議で次のように明言しています。「国民がどれぐらい公的な負担を許容するのか。許容するのであれば、もちろん給付の方があがっていってもいいわけだが、それについてどのように国民的コンセンサスが得られるのかがポイント」。

と同時に、私は、国民・患者の医療不信が強いことを考慮すると、すぐに公的医療費を大幅に拡大することは不可能に近いとも考えています。この点では、吉川氏の国民意識の理解と大きな違いはありません。

(2)公的医療費の総枠拡大についての国民的理解を得るには医療者の自己改革が不可欠

私と吉川氏との違いは、私が、公的医療費の総枠拡大についての国民的理解を得るには医療者の自己改革が不可欠だと考え、具体的な改革案を提起していることです。

私の改革案に触れる前に強調したいことは、医療制度の抜本改革は不可能で、可能なのは着実な部分改革だということです。それには2つの理由があります。1つは国際的理由で、1980年代以降、抜本改革を実施した主要先進国はないことです。もう1つは国内的理由で、戦後60年間でわが国で医療制度の抜本改革は1回しか行われていないことです。それは1961年に達成された国民皆保険制度創設で、これも4年計画で着実に実施されました。

私は、医療者の自己改革を、個々の医療機関レベルの自己改革と個々の医療機関の枠を超えた、より大きな改革とに分けて提起しています。個々の医療機関レベルの3つの自己改革は、(1)個々の医療機関の役割の明確化―ただし単一モデルはなく「地域差」は継続、(2)医療・経営両方の効率化と標準化、(3)他の保健・医療・福祉施設とのネットワーク形成または保健・医療・福祉複合体化の3つです。個々の医療機関の枠を超えた、より大きな3つの改革は、(1)医療・経営情報公開の制度化、(2)医療の非営利性・公共性を高めるための医療法人制度改革、(3)専門職団体の自己規律の強化の3つです。これらについて詳しくは、拙著『21世紀初頭の医療と介護』序章と『医療改革と病院』第2章をお読み下さい[1,2]。

なお、私も委員を務めている日本医師会病院委員会(大道久委員長)は、今期「報告書」で「医療界の自己変革と国民的理解」を、日本医師会の歴史上初めて提起する予定です。

このような私の考える「よりよい医療制度」からみると、小泉政権の医療改革―特に経済財政諮問会議(民間議員)と規制改革・民間開放推進会議の主張―がそのまま実施されると、逆に「より悪い医療制度」になってしまうと危惧しています。ここで注意しなければならないことは、政府は医療改革については一枚岩ではなく、特に厚生労働省と経済財政諮問会議(民間議員)や規制改革・民間開放推進会議との間には相当のズレ・対立があることです。そこで、以下、両者を区別して、それぞれの方針・主張を批判的に検討します

2.厚生労働省「医療制度構造改革試案」の批判的検討

まず、厚生労働省が10月19日に発表した「医療制度構造改革試案」(以下「試案」と略す)の批判的検討を行います。これについて詳しくは、お配りした拙論「厚生労働省『医療制度構造改革試案』を読む」をお読み下さい[4]。

ご承知のように、12月1日に政府・与党医療改革協議会は「医療制度改革大綱」をまとめ、今後は「試案」ではなく、「大綱」に基づいて2006年(以降?)の医療制度改革が進められます。ただし、「大綱」は、大枠では「試案」の本体部分(厚生労働省自身の改革案)と同じであり、経済財政諮問会議の求めていた改革案は採用されていません。そのために、「試案」を批判的に検討した拙論は今でも有効と思います。

以下、時間の制約上、講演レジュメに書いた「試案」のポイントは省略し、「試案」の問題点を「医療費適正化」部分を中心に、簡単に6点指摘します。

第1の問題点は、「試案」が内容・形式(構成と文章表現)とも粗雑であることです。内容面では、「構造改革」とは名ばかりで、「医療費の伸びの抑制」以外の改革は、骨格のみしか示されていません。形式面では、厚生労働省のホームページに試案の名称が2つある(「医療制度構造改革試案」と「医療構造改革厚労省試案」)など、用語の不整合が目立ちます。私の友人のある厚生労働省研究所幹部からは「二木さんは、粗雑というより、稚拙と書くと思っていた」とのメールをもらったほどです。

第2の問題点で私が最大の問題点だと思うことは、「試案」から、「国民医療費」と「最適の医療」が消失していることで、私はこれは厚生労働省が経済財政諮問会議へ迎合・屈服したことの現れと判断しています。「試案」では、従来の厚生労働省の公式文書と異なり、「国民医療費」が消え、「医療給付費」(国民医療費から患者負担を除いたもの)一本槍です。しかし、社会的次元の医療費は、総医療費で論じるのが医療政策の国際的常識で、医療経済学的にもそれが正しいのです。なぜなら、医療給付費の抑制は、保険者から患者への「コスト・シフティング」にすぎず、医療効率化等による総医療費の抑制とはまったく次元が異なるからです。

次に、「最適の医療」は、2003年3月の閣議決定で、次のように、政府公式文書に初めて盛り込まれました。「診療報酬体系については…社会保障として必要かつ充分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供されるよう、必要な見直しを進める」。この表現は、昨年12月の「いわゆる『混合診療問題』について」の両大臣合意でも再確認されました。政府の公式文書で、医療保険の給付水準が「最低水準」ではなく、「最適水準」であることが確認されたことは画期的でした。それに対して、「試案」では、「公的な保険給付の内容・範囲の見直し」=縮小のための様々な対策が提起されている反面、この理念はどこにも書かれていません。

第3の問題点は、2025年=20年後の医療費の正確な予測は不可能・過大なことです。実は厚生労働省の過去の医療費予測はすべて極端な過大推計でした。例えば、今から10年前の1995年に、厚生労働省は2025年の国民医療費は141兆円に達するというトンデモない予測を行っていました(『平成7年版厚生白書』357頁)。「試案」に書かれている2025年の医療給付費が56兆円(国民医療費は69兆円―これは「試案」ではなく、厚生労働省の以前の文書に書かれています)という推計も過大推計なのは確実です。ちなみに、日医総研は、2025年の国民医療費の「中間値」は56兆円と推計しています。国民医療費の長期推計を行う場合には、「将来推計人口」の場合と同じく、複数の仮定・条件を置いて、複数の推計を示すべきです。

第4の問題点は、「試案」に書かれている医療費抑制の中長期的方策(生活習慣病の予防の徹底と平均在院日数の短縮)の医療費抑制効果の「根拠」はなく、逆に医療費が増加する可能性が大きいことです。まず、生活習慣病の予防による健康増進効果は未確認ですし、少なくとも社会的次元での医療費抑制効果を実証した研究はありません。それどころか、禁煙プログラムによる余命の延長で、長期的には累積医療費が増加するとのシミュレーション研究さえあります(Barendregt JJ,et al: The health care costs of somoking. N Eng J Med 337:1052―1057,1997)。なぜなら、禁煙プログラムの実施により、医療費は短期的には減少するが、喫煙を止めた人々の余命の延長とそれによる医療費増加のために、長期的には(15年後以降は)累積医療費は増加に転じるからです。私は、このロジックは他の予防プログラムや「介護予防」にもそのまま当てはまると考えています。

生活習慣病の予防の徹底でもう一つ指摘しなければならないことは、「試案」が提唱している「健やか生活習慣国民運動推進会議」による健康の強制が「管理社会」を生む危険があることです。これは決して私の杞憂ではなく、中村老健局長(当時)は、昨年、がん検診未受診者に「ペナルティ」を与えることを提唱しています(『日本醫事新報』No.4181,2004,73頁)。ただしその後、国会で野党に追究され、「一面的だった」と事実上発言を撤回しました(『日本醫事新報』No.4228,2005,73頁)。

中長期的方策のもう1つの柱である「平均在院日数の短縮」のためには、「急性期の入院患者に対し、必要な医療資源が集中的に投入されるように」する必要がありますが、これにより医療費は増加する可能性が大きいのです。このカッコ内の表現は、厚生労働省が以前の文書で書いていたことです(「医療制度改革について」3月18日)。

第5の問題点は、「試案」に書かれている医療費抑制の短期的方策のうち、公的医療保険の給付範囲の見直し=縮小は、保険から患者へのコスト・シフティングにすぎず、「医療の質の向上・効率化」にはつながらないことです。特に、現役並み所得の高齢者の3割負担化等高齢者を狙い撃ちにした負担増は、高齢者の1人当たり医療費が非高齢者の4倍強なことを無視しており、きわめて不公正です。同じ負担「率」でも高齢者の自己負担「額」は4倍以上になるからです。私は現役並み所得の高齢者の医療保険料を現役並みに引き上げるのは当然だが、自己負担率は引き上げるべきではないと考えます。なお、「試案」に限らず、厚生労働省がいつも示している1人当たり医療費の「老若比率」5倍説は誤り、あるいは介護保険制度創設前の古い数値であり、正しくは4.3倍です[3]。

また「試案」の「参考」部分に、経済財政諮問会議が求めていることとして書かれている、保険免責制の導入=保険給付率の事実上の引き下げは、2002年健康保険法等改正法の附則第2条第1項に明らかに違反します:「医療保険各法に規定する被保険者及び被扶養者の医療に係る給付の割合については、将来にわたり100分の70を維持するものとする」。幸い政府・与党医療改革協議会「医療制度改革大綱」では、保険免責制の導入は見送られましたが、免責額が1000円の場合、一般の外来患者の実に73%が4割以上の自己負担になります。このような大幅な患者負担増は、国民の医療保険への信頼を失わせる結果、国民健康保険保険料未納者の増加を加速し、それの空洞化をもたらします。また、患者負担増による受診抑制は、試案が掲げている「生活習慣病の予防の徹底」の妨げになります。

第6の問題点は、高齢者を狙い撃ちにしたもう1つの対策=後期高齢者の「在宅での看取り」の促進による医療費抑制です。この点については、久間章生自民党総務会長があるテレビ番組で、その狙いを次のように露骨に発言しています。「やっても治らないようなところ[終末期医療]にはもう金をかけない。病院で死んでいるけれども、在宅で死んでもらう[ようにする]こともありうる」。しかし、後期高齢者の「在宅での看取り」の促進にる医療費抑制効果はほとんど期待できません。例えば、療養病床入院患者の死亡前1カ月間の医療費は40~50万円で、手厚い「在宅での看取り」(介護費+医療費)と同じか、むしろ安いのです。

実はこの問題は、2000年前後の「福祉のターミナルケア」論争と実証研究で決着済みなのです[1:188頁]。例えば、厚生労働省の外郭団体である医療経済研究機構が2000年に発表した報告書「終末期におけるケアに係る制度及び政策に関する研究報告書」は、「死亡直前の医療費抑制が医療費全体に与えるインパクトは大きくない」と明言していました。

以上、「試案」の問題点を指摘しましたが、「試案」で評価できることは、医療費総額の伸び率管理制度の導入と新自由主義的医療改革を盛り込まなかったことです。ただし、前者については微妙・あいまいな表現が含まれ、火種は残っています。後者については、やや意外なことに、経済財政諮問会議、規制改革・民間開放推進会議も、最近は、少なくとも公式文書上では、それを求めていないのです。

3.経済財政諮問会議と規制改革・民間開放推進会議の主張の批判的検討

最後に第3の柱として、経済財政諮問会議(民間議員)と規制改革・民間開放推進会議の主張を、3つの角度から批判的に検討します。まず、2001年6月の経済財政諮問会議「骨太の方針」(閣議決定)に含まれていた3つの新自由主義的医療改革は部分的に認められたものの、実効性はほとんどないことを指摘します。次に、昨年繰り広げられた混合診療全面解禁論争の本質と全面解禁論者の幻想を述べます。最後に、経済財政諮問会議の新たな主張である公的医療費総額の伸び率管理制度の導入が非現実的なことを明らかにします。

(1) 2001年「骨太の方針」中の新自由主義的医療改革とその帰結[2:第Ⅰ章]

2001年6月に閣議決定された経済財政諮問会議「骨太の方針」の医療改革の部分には、3つの新自由主義的改革(医療分野への市場原理の導入)が含まれており、それらはいずれもその後、部分的に認められましたが、実効性はほとんどありません。

まず保険者と医療機関の個別契約は、2003年5月に解禁されましたが、個別契約は現在に至るまでまったくありません。そこで健康保険組合連合会に問い合わせたところ、「通知によるハードルが高く、現段階では困難。個別健保において契約を行っている事例はない」(医療部医療2課)との回答でした。

次に株式会社の医療機関経営の解禁については、2004年5月の特区法改正で「医療特区」・自由診療・「高度な医療」に限定して解禁されましたが、申請は診療所が1件のみ(神奈川県)です。しかも、これは現在でも自由診療扱いの美容整形であり、病院の進出の動きはまったくありません。そもそも、法改正の前から、総合規制改革会議鈴木良雄議長代理は、「特区の中ですら[株式会社の参入は]出てくるわけがないのであり、一般に株式会社形態が普及することは夢にすぎない」(第8回総合規制改革会議(2003年12月日))と、本音を述べていました。

第3に混合診療の解禁については、昨年12月の両大臣合意「いわゆる『混合診療』問題について」で、全面解禁は否定され、「特定療養費の再構成」=拡大で決着しました。実は、これ以前に、私は八代尚宏規制改革・民間開放推進会議総括主査と座談会で同席したことがあるのですが、その場で私が「現時点では、混合診療についての価値判断について議論するのは無意味だと思います。むしろ、今の政府決定をベースにして議論せざるを得ない」と指摘したのに対して、八代さんは「私も基本的には二木さんと同じ意見です」と答えていました(池上直己・二木立・八代尚宏・川渕孝一「座談会:4つの論点を語り極める」『月刊/保険診療』2004年1月号)。ただし、八代氏はこの座談会後主張を変え、再び混合診療全面解禁を主張するようになりました。

なお、「骨太の方針」に盛り込まれていた、社会保障の所得再分配機能を否定する「社会保障の個人会計システム」は、「学者の作文」で、まともに検討されないまま、自然消滅しました。

「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」

ここで視点を変えて、新自由主義的改革の全面実施が否定された経済的理由を述べます。それは、新自由主義的医療改革を行うと、企業の市場は拡大する反面、医療費(総医療費と公的医療費の両方)が急増し、医療費抑制という「国是」に反するからです。私はこれを「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」と呼んでいます[2:21頁]。

具体的には、まず保険者機能の強化により医療保険の事務管理費が増加するのは国際的常識です。例えば、事務管理費の総医療費に対する割合は、日本は3%弱ですが、保険者機能の強いドイツ・アメリカでは6%台です[2:18頁]。次に、営利病院は非営利病院に比べて総医療費を増加させ、しかも医療の質が低いことは、アメリカでの厳密な実証研究により学問的常識となっています[1:65頁2:122,135頁」。第3に、混合診療を拡大するためには、私的医療保険を普及させることが不可欠ですが、私的医療保険が医療利用を誘発し、公的医療費・総医療費が増加することも国際的常識です(OECD: Private Health Insurance in OECD Countries, OECD, 2004,p.196)。

(2) 混合診療全面解禁論争の本質と全面解禁論者の幻想

次に、昨年、経済財政諮問会議と規制改革・民間開放推進会議が強行に主張したものの、厚生労働省と日本医師会等の医療団体が激しく反対して挫折した、混合診療全面解禁論について述べます。この点について詳しくは、お配りした拙論「混合診療問題の政治決着の評価と医療機関への影響」をお読み下さい[5]。ここでは、混合診療全面解禁論争の本質と解禁論者の幻想について、簡単に述べます。

混合診療全面解禁論争の本質

まず、混合診療全面解禁論争の本質は、公的医療保険の給付水準についての、「最適水準」説と「最低水準」説との理念の対立です。

「最適水準」説とは、公的医療保険給付が「必要な最適量の医療を保障する」とするもので、社会保障研究者の通説であり、厚生労働省・医師会も主張し、先述したように2003年3月の閣議決定にも盛り込まれました。

それに対して「最低水準」説とは、保険診療で「生命にかかわる基礎的な医療は平等に保障されたうえで、特定の人々だけが自費負担を加えることで良い医療サービスを受けられる」ようにするものです(八代尚宏規制改革・民間開放推進会議総括主査)。さらに、八代氏は、混合診療では、「公的保険の対象となる医療サービスの範囲を明確化し、それを超える医療部分には保険を適用しないという単純なルール」が適用され、それと「現行[特定療養費]制度との大きな違いは、将来、保険給付に含まれるまでの時限措置ではなく、永続的なものとすること」とも明言しています。

これは決して八代氏の個人的見解ではなく、規制改革・民間開放推進会議のホームページ上の「規制改革推進のためのアクションプラン」の参考資料「『混合診療』の解禁の意義」(2003年7月)にも、混合診療解禁後保険診療(費用)が削減されることを明示した図が載っていました。

極め付きの最低水準説は、宮内義彦規制改革・民間開放推進会議議長の次の主張です。「[混合診療は]国民がもっとさまざまな医療を受けたければ、『健康保険はここまでですよ』、後は『自分でお支払いください』という形です。金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」

混合診療の解禁を行っても、医療費(自由診療部分)の大幅増加は望めない

次に指摘したいことは、混合診療の解禁(全面解禁・部分解禁とも)を行っても、自由診療分の医療費の大幅拡大は望めないことです。吉川氏をはじめとした経済財政諮問会議(民間議員)は、混合診療の解禁によって「新しい医療需要の創出」を目指しているようですし、一部の病院経営者はそれにより病院の収益が大幅に増加すると期待していますが、ともに幻想です。以下、私がそう断定する8つの理由(傍証)を述べます。

第1に、わが国の現実の患者負担割合(総医療費に対する割合)は、主要先進国(G7)中もっとも高いからです。第2に、国民の7割が平等な給付に賛成し、混合診療に賛成の国民は2割弱にすぎないからです。第3に、介護保険法は公私混合介護を制度化したが、現実にはそれがほとんど進んでいないからです。第4に、1990年代に差額ベッドの規制緩和が進んだにもかかわらず、室料差額収入の医業収入に対する割合は漸減し続けているからです。第5に、首都圏の老人病院(療養病床)の2004年の保険外負担は1992年と同水準であり、このことは所得水準が高い首都圏でさえ、患者負担(法定負担+法定外負担の合計)が限界に達していることを示しているからです。第6に、セコム損害保険が2001年に売り出した自由診療保険メディコムの不振が続いているからです。第7に、混合診療解禁派の鈴木玲子氏の「混合診療[全面]解禁による市場拡大効果」の試算によると、「日本の医療支出[患者負担]の所得弾力性がアメリカ並みに上昇すると仮定した場合」、患者負担は85%も増加する反面、国民医療費総額の増加は12.6%にとどまる」と推計されているからです。第8に、混合診療の年金版と言える確定拠出年金(日本版401K年金)がわが国ではほとんど普及していないからです。

ただし、これには例外があります。それは、首都圏(ほとんど東京都区部)にある高所得層を対象とするごく一部の民間ブランド病院で、このような病院では混合診療の解禁により相当の収益増が期待できます。しかし、北海道・札幌市にはそのような病院はほとんど(まったく?)存在しないと思います。ちなみに私の地元の名古屋市の1人当たり所得水準は東京都並みに高いのですが、名古屋人は結婚式にしかお金を使わない伝統があるため、高所得層を対象にした病院はほとんどありません。

(3)経済財政諮問会議の公的医療費総額の伸び率管理制度の導入の非現実性

3番目に、経済財政諮問会議(民間議員)が今年に入って新たに主張し始めた公的医療費総額の伸び率管理制度の導入が非現実的なことを明らかにします。

経済財政諮問会議の3つの方針転換

この問題について、まず指摘しなければならないことは、経済財政諮問会議(民間議員)が、今年に入って3つの方針転換を行っていることです。具体的には、2001年に閣議決定された経済財政諮問会議「骨太の方針」では(1)「医療費総額の伸びの抑制」が決められ、さらに経済財政諮問会議(民間議員)は(2)名目GDPの伸びを指標として、(3)単年度ごとに医療費抑制策を実施することを求めていました。

それに対して、本年前半に、経済財政諮問会議(民間議員)は、(1)国民医療費ではなく「公的医療費の伸びを抑制」するために(2月15日)、(2)「高齢化修正GDP」を用いて(4月27日)、(3)「荒っぽいキャップ制」ではなく、「数年に一度…チェックする必要がある」(6月1日)と、なし崩し的に軌道修正しました(カッコ内は経済財政諮問会議の会議日)。しかし、民間議員はこれらの軌道修正の理由について、十分に説明責任を果たしていません。

このような方針転換の「スポークスマン」が吉川洋氏で、その代表的な発言は以下の通りです。「医療費には国民健康保険などの公的医療保険の給付費と、患者が病院などの窓口で払う自己負担を含んだ国民医療費があり、区別して考えないといけない。問題は、公的給付費をどうするか。/私たちが指標を作って伸びを抑えなければならないと言っているのは、この公的給付費の部分だ。これからは公的給付費と国民医療費が乖離しうることをきちんと認め、公的給付費の範囲を見定めていくべきだと考えている」(「朝日新聞」2005年6月24日朝刊)。

公的医療費の厳しい抑制は国民皆保険制度の空洞化をもたらす

しかし、このような公的医療費(医療給付費)の伸び率の厳しい抑制は、中長期的には混合診療の際限のない拡大、ひいては国民皆保険制度の空洞化につながります。これは決して大げさではなく、厚生労働省も、経済財政諮問会議の要求通りに、「医療給付費の伸び率を名目GDPの伸びに抑制し…給付費の縮小分を自己負担増のみで賄うとした場合」には、「自己負担率を45%程度とする必要があ」るとの試算を発表しています(「医療制度改革について」2005年3月18日)。吉川洋氏も、診療報酬を「名目成長の伸び率とリンクするマクロ経済スライド方式の導入」が、「いわゆる混合診療の問題とも絡む論点である」と明言しています(2005年2月15日経済財政諮問会議)。

本間正明氏(経済財政諮問会議民間議員)は、さらに踏み込んで、「国民の側からすると、公的保険が不十分なら民間保険に入るという選択ができる」と主張しています(「毎日新聞」2005年11月14日朝刊)。これは、そのような「選択」ができない低所得の国民は「不十分な」医療しか受けられないことを当然視するものであり、保険証1枚あれば「いつでも、どこでも、誰でも」適切な医療を受けられるとする国民皆保険制度の理念を否定するものです。

[補注:私は講演後の吉川氏とのディベイト時に、吉川氏のように、「国民医療費がGDPの伸びを上回って伸びるのは自然」としつつ、公的医療費を厳しく抑制した場合には、私的医療費(患者負担)が急増することになる、具体的には2025年には国民医療費中の患者負担割合が4~5割に達することになるが、それが可能だと思っているのか?と何度も質問したのですが、吉川氏は答えてくれませんでした。]

経済学的には、医療費の水準・伸び率を一義的に決めるのは誤り・不可能

ここで強調したいことは、(医療)経済学的には、医療費の水準・伸び率を一義的に決めるのは誤り・不可能なことです。実はこの点をもっとも明快に述べているのは、吉川洋氏の恩師の宇沢弘文氏です。

「国民医療費がGNPの何%が『適正な』あるいは『望ましい』水準であるかという問題は、経済学的な基準に基づいて導き出されるものではない…。(中略)むしろ医学的ないし医療的な観点からみて望ましい医療サービスが公正に人々に供給され、同時に人的ならびに物理的資源の蓄積と新しい医学、医療技術の発展とが可能なかぎり速やかなテンポで行われるような状況を経済的な観点から可能なものにするというのが、ここで経済学的分析というときの基本的視点である。すなわち、医学的な観点から最適であると考えるような医療制度を運営し、それが円滑に機能しうるために必要な経済的費用が最適な国民医療費の概念でなければならない」(宇沢弘文編『医療の経済学的分析』日本評論社,1987,はしがき)。

[補注:吉川氏は講演後のディベイト時に、自分も国民医療費の増加は認めているので、宇沢氏のこの主張と矛盾しないと弁明しました。しかし、国民医療費の増加を認めつつ、公的医療費の厳しい抑制を主張する吉川氏と公的医療費の増加を主張する宇沢氏とは対極にあります。しかも、「医療」の問題と「保険」の問題を切り離し、「財政」の視点から公的医療費の抑制を主張する吉川氏と逆に、宇沢氏は「医学的な観点から最適であると考えるような医療制度を運営し、それが円滑に機能しうるために必要な経済的費用が最適な国民医療費の概念でなければならない」と主張しています。]

これは、「規範的考察」ですが、マクロ医療経済学の膨大な実証研究により、総医療費の水準(対GDP比)と1人当たりGDPとの関係は固定的ではなく、前者の伸び率が後者の伸び率を上回る傾向にあること(1人当たりGDPが増えると、医療費水準は上昇すること)は、疑問の余地無く証明されています。

最近(11月22日)、経済財政諮問会議(民間議員)は、公的医療費の抑制目標をさらに厳しくして、「『集中改革期間』[今後5年間]においては、医療給付費の対GDP比・対国民所得比を現在よりも引き下げることを目指すべき」と主張していますが、これは全く現実性がなく、ファンタジーかつクレージーです。なお、厚生労働省の将来医療費の推計は過大推計の疑いが強いのですが、実は、それによっても、今後総医療費が急騰して医療保険財政が破綻するとの経済財政諮問会議の主張は否定されています(「医療制度改革について」2005年3月18日)。具体的には、同省の総医療費(OECDベース)の将来推計(対GDP比)によると、「2015年度の総医療費の対GDP比は10.5%で、現在のドイツ(10.8%)と同水準」、「2025年度には総医療費の対GDP比は12.5%となるが、現在のアメリカ(13.9%)よりも低い」のです。

私のお話は以上です。ご静聴ありがとうございました。

引用文献(自著・自論文のみ。それ以外は本文で示した。3-5は講演時配布)

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