総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻63号)』(転載)

二木立

発行日2009年11月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ

○講演:11月14日(土)の「日本の医療を守る市民の会」第18回勉強会で、「民主党政権の医療改革と財源選択-政権交代で何が変わり、何が変わらないか」を講演します。夜6時半~8時半、東京・中野サンプラザ8階研修室。参加費は一般1,500円・学生800円。申し込みはホームページの参加申し込みフォームから、もしくはファックスで(http://iryo-mamorukai.com/ FAX 03-3383-6030)。

○パネルディスカッション:11月15日(日)の「日経ヘルスケア創刊20周年記念セミナー 医療経営サミット2009」のパネルディスカッション「日本の医療改革のゆくえ」でモデレーターをします。パネリストは、西澤寛俊氏(全日本病院協会会長)、竹嶋康宏氏(日本医師会副会長)、吉川洋氏(東京大学大学院教授)。午後3時半~5時半、東京国際フォーラムホールB7。私を含めた4人が15分ずつの報告をした後、私の司会で討論します。参加費無料だが事前登録制(定員400人)。申し込みは「日経ヘルスケア創刊20周年記念セミナー」のホームページから)。


1.論文:混合診療に係る高裁判決と全面解禁論の消失

(「二木教授の医療時評(その71)」『文化連情報』2009年月11月号(380号):14-16頁)

東京高等裁判所は、9月29日、混合診療を原則禁じた国の政策の適法性をめぐって争われていた訴訟の控訴審判決で、原告側の請求を認め「混合診療の禁止に法的な根拠はない」とした東京地裁判決を取り消し、被告の国側の全面勝訴とする判決を言いわたしました。

しかも、東京地裁判決が混合診療禁止そのものの是非については判断を回避していたのと異なり、東京高裁判決は、特定療養費制度(現・保険外併用療養費制度)が「特殊療法等の混合診療の全面禁止と全面解禁のそれぞれの長所、短所を考慮してこれらの調和を図ろうとするもの」と積極的に評価したうえで、「混合診療禁止の原則」が適法であると認め、混合診療禁止が憲法違反(第14・25・29・84条違反)であるとする原告の主張を、「理由がない」・「論じる余地はない」と全面的に退けました。

2年前(2007年11月)の東京地裁判決の直後には全国紙はこの問題を大きく報じ、ごく一時的にせよ、混合診療をめぐる「空騒ぎ」が起こりました。それに対して、今回は、全国紙は、後述する「日本経済新聞」(以下、「日経」)を除いて、翌9月30日朝刊で、東京高裁判決について社会面で小さく報道しただけです(本稿の最後で紹介するように、その後、「読売新聞」は10月2日朝刊に、優れた解説記事を掲載しました)。

手前味噌ですが、私は、東京地裁判決が出された直後から、「一般に、上級審の判決は国の政策を追認する傾向が強いため、混合診療禁止についても、控訴審で、今回の判決が覆される可能性が高い」と予測していました(本「医療時評(その51)」、本誌2008年1月号。拙著『医療改革と財源選択』勁草書房、2009、78頁)。しかも、島崎謙治氏の労作「混合診療禁止の法理と政策論」(『社会保険旬報』2363,2364号、2008)が、東京地裁判決の法理的問題点を詳細に明らかにしていたため、東京高裁判決は「想定内」でした。

他面、東京高裁判決後の原告の発言と「日経」社説から、混合診療全面解禁論が消えていることに注目しました。以下、その理由を簡単に説明します。

原告は全面解禁論を撤回

まず、原告の清郷伸人氏は、判決直後の記者会見で、次のような「見解」を述べました。「私は混合診療の全面解禁を求めているわけではないが、一定の条件の下であれば解禁すべき。世界的に標準的になっている治療法の場合、インフォームドコンセントが行われ、医師と患者の間で同意が得られれば、混合診療を認めるべき」(m3.com:9月29日)。

清郷氏が、かつては混合診療禁止が憲法違反であると主張する、筋金入りの混合診療全面解禁論者であったことを考えると、「混合診療の全面解禁を求めているわけではない」とする「見解」は、180度の方向転換と言えます。しかも、「世界的に標準的になっている治療法」に限定して「混合診療を認めるべき」との「見解」は、氏がかつては、混合診療について、患者が治療法の「有効性・安全性も含んで自主判断し、自己決定すること」、「民間療法の保険医版」と主張していたことと、大きく異なります(『混合診療を解禁せよ 違憲の医療制度』ごま書房、2006、54頁)。

清郷氏は東京高裁判決を不服として、10月1日最高裁に上告したそうです。しかし、旧特定療養費制度と現行の保険外併用療養費制度で、「世界的に標準的になっている治療法」については、すでに混合診療が部分解禁(実質解禁)されていることを考慮すると、清郷氏の上記見解は、上告の理由の自己否定になっており、最高裁でも敗訴することは必至と思います。

その上、清郷氏が継続を求めているLAK療法(活性化自己リンパ球移入療法の一種)は「世界的に標準的になっている治療法」ではなく、逆に、いったんは中医協で高度先進医療として承認されながら、その後有効性が明らかでないとして、承認を取り消されています。この事実は清郷氏の主張の最大の弱点とも言え、東京高裁判決でなんと5回も指摘されています。

清郷氏がこの事実、および混合診療が「一定の条件の下で」すでに部分解禁されている事実を無視して、判決後の記者会見で、「がんや難病患者の命が危険にさらされ、症状が良くなる可能性が遠のいた」、「世界で認められた治療を使えずに亡くなることが良いことなのか」と発言したのは不公正かつ見識を欠くと思います。ちなみに、この発言を報じた全国紙は「日経」だけでした。

「日本経済新聞」も全面解禁論から転換

次に「日経」は、他の全国紙と異なり、9月30日朝刊の1・3・43面(社会面)に、東京高裁判決に批判的な記事を掲載しただけでなく、「混合診療の解禁へ政治主導で法改正を」とする社説も掲げました。この社説は、一見すると従来の同紙の主張の繰り返しのように見えますが、よく読むと2つの新しさがあります。
1つは、「混合診療の解禁」を主張しながら、「全面解禁」は主張せず、「混合診療を原則認めるべき」と表現を和らげていることです。この点は、2年前の東京地裁判決後、同紙が社説で2回、ストレートに「全面解禁」を求めたことからの転換と言えます(2007年11月9日「混合診療で患者の選択広げよ」。同年12月27日「政治の支えなしに前進しない規制改革」)。

今回の社説は、「混合診療を原則認めるべき」根拠の1つとして、「国・地方自治体や各種の健康保険の財政窮迫を考えると、一般化していない高度な先進治療や新薬などについては、自由診療で治療を受ける道を広げるのが望ましい」と主張しています。しかし、この主張は裏返せば、「一般化した高度な先進治療や新薬などについては」「保険診療で診療を受けることが望ましい」と言い換えられ、高度な先進治療や新薬が「保険に導入されるまでの間」(東京高裁判決)混合診療を認める現行の保険外併用療養費と同じことになります。

小泉政権下で混合診療全面解禁論をリードした八代尚宏氏が、かつて明快に指摘したように、混合診療の特定療養費(現・保険外併用療養費)制度との「大きな違いは、将来、保険給付に含まれるまでの時限措置ではなく、永続的なものとすること」にあります( 『規制改革』有斐閣、2003、147頁 )。今回の「社説」は遅まきながらこの違いに気づいて、なし崩し的に全面解禁論を放棄したのかもしれません。

「政治主導」で混合診療解禁??

「日経」社説のもう1つの新しさは、(1)「民主党は政治主導を看板に政権に就いた」、(2)「混合診療の原則禁止は行政主導の典型である」、ゆえに(3)「混合診療の解禁へ政治主導で」「自民党などを交えた超党派で」「法改正を」と、いわば三段論法的に、民主党に混合診療の原則解禁を求めていることです。「日経」は、民主党がマニフェストで混合診療の是非に直接言及していないことに一縷の望みを抱いているようですが、これは典型的な「希望的観測」(あるいはKY)です。

私も、民主党議員や民主党の医療政策のブレーン医師の中に、少数とは言え、混合診療全面(原則)解禁論者がいることは知っています。しかし、民主党政権がそのための法改正をすることは、少なくとも当面は、考えられません。それには以下の3つの根拠があります。

第1の、そして最大の根拠は、今回の総選挙マニフェストと一体の「民主党政策集INDEX2009医療政策<詳細版>」で「新しい医療技術、医薬品の保険適用の迅速化-製造・輸入の承認や保険適用の判断基準を明確にして、審議や結果をオープンにし、その効果や安全性が確立されたものについて、速やかに保険適用します」と公約していることです。これは、現行の保険外併用療養費制度を前提にして、「保険に導入されるまで」の混合診療の期間を短縮することを意味し、混合診療の原則解禁とはまったく逆です。

第2の根拠は、民主党は、2008年9月30日に、「次の内閣」厚生労働大臣名で発表した、医療従事者対象の「民主党からのメッセージ」で、「自由診療につながる混合診療も認めていく気持ちはございません」と公約していることです。

第3の根拠は、小泉政権下の2004年12月に、衆参両院で混合診療解禁反対の請願が、民主党の全議員も含めて、全会一致で採択されていることです。これこそが、「超党派」による「政治主導」の決議と言えます。

<1行空け>

以上から、東京高裁判決と民主党を中心とする連立政権の成立を契機にして、小泉政権の時代から10年近く執拗に繰り返されてきた混合診療全面解禁論は法理論的にも、政治的にも存在意義を完全に失ったと言えます。

現在求められていることは、「読売新聞」10月2日朝刊の優れた解説記事(山崎光祥「混合診療禁止『妥当』判決」)が的確に整理しているように、「先進的な医療技術などについて、混合診療は実質的に拡大している」現実をリアルに認識した上で、「必要な医療を国民が平等に受けられるよう、迅速な保険適用」を進めることです。上述した民主党の政策は、この方向に沿うものであり、大いに期待したいと思っています。.

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2.書評:京極高宣『医療福祉士への道-日本ソーシャルワーカーの歴史的考察』医学書院,2008(『Pharma Medica』2009年9月号(第27巻9号):134 -136頁)

医療ソーシャルワーカーの資格制度をめぐる過去・歴史を知るためには有用だが、それの未来については誤解と幻想を与える。これが本書を一読しての率直な感想です。

京極高宣氏は、1987年に成立した社会福祉士・介護福祉士法の「生みの親」であり、現在でも、その時に積み残しとなった医療ソーシャルワーカーの国家資格(医療福祉士)の実現に「確信」と「信念」を持ち続けています。全10章(序章・終章を含む)で構成される本書を読むと、京極氏の熱い思いがひしひしと伝わってきますが、それだけに、思い先行の「危うさ」も感じました。これは杞憂ではなく、本書を読んで「MSWの“天の時"来る」と感じた方もいるようです。

そこで、以下、本書の医療ソーシャルワーカーの国家資格問題に関わる部分に限定して、私が同感・注目した点と、疑問・抵抗を感じた点を率直に書くことにしました。

同感・注目した6点

私は、以下の6点の記述に同感・注目しました。

第1に、京極氏が、1987年の社会福祉士・介護福祉士法制定できわめて大きな役割を果たされたことを再確認し、感服しました。45頁に書かれている「当時の各省庁の抵抗」の理由には驚きました。

第2に、「MSW国家資格をめぐる悲劇的な歴史的経緯」(22頁)にも概ね同感です。なお、私は、1992年の時点では、医療ソーシャルワーカー(医療福祉士)の国家資格化が必要・可能だと考えており、この点では日本医療社会事業協会と認識が違います(「医療ソーシャルワーカー資格制度化問題の混迷」『90年代の医療と診療報酬』勁草書房,1992,所収)。

第3に、1997年に成立した精神保健福祉士法で、「指示」に代えて「指導」という用語を用いたことに、私も注目しています(これは、同年に国家資格化された言語聴覚士についても同じです)。もし、これより10年前にこの用語・概念が発明されていれば、医療福祉士の国家資格が実現した可能性もあったと残念です。

第4に、精神保健福祉士が、「形式的には名称独占資格でありながら、部分的には実質的な業務独占資格に近いものになりつつある」という指摘にも、納得しました(12頁)。実は、私も、かつて、社会福祉士資格が名称独占にすぎないと批判・過小評価する人々に対して、理学療法士や作業療法士の例を出して、京極氏と同じ批判をしたことがあります。

理学療法士や作業療法士は社会福祉士や精神保健福祉士と同じく、法的には名称独占資格ですが、診療報酬による確固とした裏付けがあるため、現在では事実上の業務独占資格に近づいています。

第5に、日本医療ソーシャルワーク研究会のアンケートで、「社会福祉士をMSWとした際に感じる限界」としてあげられている4点(44頁)のうち以下の3点は、日本医療社会事業協会のソーシャルアクションの成果で、かなりクリアされていると感じ、この点からは医療福祉士の独自の国家資格の必要性は低下していると感じました。(1)「社会福祉士の養成課程において医療の知識が不十分である」、(2)「MSWの業務を診療報酬に位置づけられていない」、(3)「社会福祉士の養成課程において病院実習が含まれていない」。それに対して、(4)「社会福祉士は名称独占であり、精神保健福祉士のような部分的業務独占性が考えられない」は事実誤認かつ無い物ねだりです。

第6に、医療ソーシャルワーカーの国家資格について、京極氏が、「近い将来、医療社会事業協会の方針が改められれば、…国家資格化されるであろう」(14頁)、「当該団体、専門職団体が反対した場合、国家資格の法制化はほとんど不可能」(36,66頁)と明言し、日本医療社会事業協会の方針転換がなければそれは不可能と言外に認められていることに注目しました。これは、きわめてリアルな認識です。

疑問・抵抗を感じた6点

他面、以下の6点には、疑問・抵抗を感じました。

第1は、京極氏が、上述したリアルな認識を持ちながら、『(国家資格を求める医療ソーシャルワーカーの)皆さんが『ぜひつくれ』という方向でまとまって団結されれば、比較的早くできる」(74頁)と断言されていることです。ここでは、少なくとも「MSWの方々の団結」とは、「日本医療社会事業協会の方針が改められ」ることであることを明記すべきと思います。しかし、京極氏も「まえがき」で認めているように、「『社会福祉一本化』が日本医療社会事業協会執行部に定着してしまった」以上、その可能性はないことになります。

第2に、私の論文「医療制度改革と増大する医療ソーシャルワーカーの役割」(『医療改革-危機から希望へ』勁草書房,2007,所収)をなんどか引用していただいたことは大変光栄なのですが、私が医療福祉士の国家資格化の「傍観者的に困難性を指摘する」(73頁)だけのように書かれることには、抵抗を感じました。なぜなら、私は、その論文で、「医療ソーシャルワーカー単独の国家資格化の可能性は、少なくとも『近未来』には、完全に消失した」ことを根拠に基づいて指摘した上で、それに代えて、「有能なMSW養成のための社会福祉教育の新しい課題」(社会福祉士資格取得が前提)を3点提起しているからです。また、ここでは、「医療ソーシャルワーカーの国家資格化が不可能な理由」をさらに詳細に論証するとともに、MSWの「独自の追加的教育」について「学術会議の提言を支持」した私のもう1つの論文(「医療ソーシャルワーカーの国家資格化が不可能な理由」『文化連情報』2007年11月号。『医療改革と財源選択』勁草書房,2009,所収)も合わせて紹介していただきたかったと思いました。

第3に、このこととも関連しますが、京極氏も委員として参加された学術会議の提言「近未来の社会福祉教育のあり方について」の「ソーシャルワーク専門職資格の将来の方向」では、社会福祉専門職の「二階建て構想」が前提とされ、しかも「領域別や機能別[2階部分-二木]のソーシャルワーカーは社会福祉士とは異なり、既に国家資格として成立している精神保健福祉士を除いては、国家資格として設定するものではない」(10~11頁)と明記されているにもかかわらず、京極氏が、それと真っ向から対立する、医療福祉士の国家資格化-しかも、社会福祉士を基礎資格とはしない(6頁)もの-を提唱されていることには疑問を感じました。これでは、せっかくの「提言」の権威と影響力が削がれてしまいます。最低限、本書でもこの「提言」を紹介され、京極氏の考えとの違いについて説明されるべきだったと思います。なお、上記「提言」の発表は2008年7月で、本書の出版(2008年5月)後ですが、遅くとも2007年末の段階で、「提言」の最終案は出来ており、京極氏を含む全委員が賛同していました。

第4に、医療ソーシャルワーカーの国家資格とは離れても、本書全体で、医療ソーシャルワーカーの役割を、「難病や末期がんなどに対応する医療ソーシャルワーカー」(5頁)、「難病、エイズ、末期がんなどの患者の心理的、社会的援助等を行う医療ソーシャルワーカー」(18頁)、「難病・エイズ・末期がん患者等の在宅医療中心の医療ソーシャルワーカー」(25頁)、「MSWの本質的な意義は、在宅医療推進の調整役になるということ」(69頁)と繰り返し書いているのは、あまりにも狭く、現実の医療ソーシャルワーカー業務と乖離しています。また、医療ソーシャルワーカーの業務が、医師や看護師の患者・家族への説明の代役であると誤解されかねない説明にも疑問を感じました(41頁)。

第5に、第5・6章の「在宅医療」は「在宅ケア」と表現した方が、内容に即していると思いました。「在宅医療の必要性」(50頁)で書かれているように、「在宅福祉と在宅医療は車の両輪」ですが、両方を包括する意味でも「在宅医療」という用語を用いるのは無理があり、誤解を招くと思います。手前味噌ですが、私は1992年から、「『在宅医療』ではなく『在宅ケア』」という用語を用いています(「90年代の在宅ケアを考える」『90年代の医療と診療報酬』勁草書房,1992,所収)。

第6に、資格化問題とは少し離れますが、「介護予防と健康増進が進展すれば、その分医療費や介護費は明らかに抑制される」(58頁)とは言えず、逆に医療経済学の膨大な実証研究でそれはほぼ否定されています。最近は、厚生労働省すらそのような主張はしなくなっています。

以上、『医療福祉士への道』を読んだ率直な感想を、医療ソーシャルワーカーの国家資格問題に関わる部分に限定して、書きました。私は、現在求められており、しかも実現可能性があるのは、医療ソーシャルワーカーの国家資格ではなく、学術会議「提言」に明記された、社会福祉系大学の連合組織や専門職団体(日本医療社会事業協会)による、社会福祉士資格を前提とした認定資格の確立だと思っています。

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3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その16):6冊

書名の邦訳中の[ ]は私の補足。

医療経済・政策学領域の最新教科書・百科事典6冊をまとめて紹介します。

○『[フォランド]健康と医療の経済学 第6版』
(Folland S, Goodman AC, Stano M: The Economics of Health and Health Care Sixth Edition. Pearson, 2010, 601 pages)[中級教科書]

アメリカの医療経済学書のなかで、『[フェルドシュタイン]医療経済学』(Feldstein PJ: Health Care Economics Sixth Edition, 2005本「ニューズレター」20号(2006年4月)で紹介)と並んでもっとも版を重ねている、定評ある教科書の3年ぶりの新版です(全6部全25章)。新古典派の枠内ではもっともバランスの取れている教科書で、初版(1993年)から、アメリカの主要な医療経済学教科書としては初めて、「経済効率と費用便益分析」を独立の章にしていました(第6版では第1部第4章)。第6版は、主に医療政策にかかわる部分が更新されています。第23章「医療制度改革」は新しい章で、「アメリカにおける医療制度改革の最も深刻な障害は哲学の根本的対立である」ことを強調しています。

○『[サンテール]医療経済学-理論、洞察、および産業分析 第5版』
(Santerre RE, Neun SP: Health Economics - Theory, Insights, and Industry Studies. South-Western, 2010, 605 pages)[中級教科書]

副題に示されているように、初版(1996年)以来一貫して、産業論的分析を重視しているのが特色のアメリカの医療経済学教科書の、6年ぶりの新版です(全4部全16章)。目玉と言える、第3部「産業分析」は、民間医療保険産業、医師サービス産業、病院サービス産業、製薬産業、長期ケア産業の5章で構成されています。アメリカの医療経済学教科書としては珍しく、初版から「費用便益分析」(費用効果分析を含む)を独立した章で扱っていることが、もう1つの特徴です。

○『[フェルプス]医療経済学 第4版』
(Phelps CE: Health Economics Fourth Edition. Pearson, 2010, 640 pages)[中級教科書]

数あるアメリカの医療経済学教科書の中でも、もっとも純粋な形で新古典派経済理論に依拠していたものの、7年ぶりの新版です(全16章)。第4版では、第3版までは黙殺していた、費用効果分析や行動経済学(心理経済学)に、序文で「新しい方法」として少し言及していることに、時代の変化を感じますが、それらの独立した章はありません。各章ごとに、より進んだ勉強のために、"Handbook of Health Economics"(医療経済学の国際的上級教科書)の対応する章が明示されています。

○『[ツヴァイフェル]医療経済学 第2版』
(Zweifel P, Breyer F, Kifmann M: Health Economics Second Edition. Springer, 2009, 529 pages)[中級教科書]

ドイツで版を重ねている定番医療経済学教科書(初版は1992年。現在第5版)の英語版第2版です(初版は1997年。全14章)。アメリカの医療経済学教科書より枠組みが広く、第2章「生命と健康の経済的価値」では、QALYや費用便益分析、費用効果分析がかなり詳しく解説されています。他面、単純化したモデル図を多用しているアメリカの中級教科書と異なり、新古典派ミクロ経済学理論の医療への体系的応用を重視しているため、厳密な数式表現が非常に多く、かなり難解・原理論的です。

○『医療経済・政策学の原理』
(Olsen JA: Principles in Health Economics and Policy. Oxford University Press, 2009, 224 pages)[初級教科書]

経済学の基礎知識のない学生や医療専門職のために分かりやすく簡潔に書かれた、医療経済学とそれの医療政策への応用についての入門書です(全5部全15章)。世界中の医療政策担当者が直面している以下の4つの設問を想定して、章立てがなされています:(1)社会は健康に影響を与える諸要因にどのように介入すべきか?(2)医療費の財源をどのように賄うべきか?(3)医療従事者にどのように支払うべきか?(4)さまざまな医療プログラムに優先順位をつけるときに、どのように評価すべきか?この設問で分かるように、普遍的医療保障制度が存在することが大前提になっています。著者はオスロ大学教授(ノルウェイ)です。

○『医療サービス研究百科事典』
(Mullner RM (ed): Encyclopedia of Health Services Research. Sage Reference Publication, 2009, 1409 pages)[百科事典]

A4判・全2巻の大百科事典です。編者(シカゴ・イリノイ大学公衆衛生大学院)の序文によると、本書の出版理由は次の3つだそうです:(1)医療サービス研究の研究領域が最近20年間に大幅に拡大した、(2)医療組織・財政・供給がますます複雑になった、(3)医療サービス研究は極めて学際的であるため今まで1冊ですべての領域をカバーできる本がなかった。アルファベット順に並べられた、約400の大項目(著名な研究者名も含む。例:フュックス)ごとに、数頁の簡潔な解説、関連項目、参考文献とウェブサイドが示されています。第2巻の終わりには、注釈付き文献目録と関連ウェブ一覧表が付いています。保健医療福祉系大学の図書館の必置書と思います。ただし、執筆者の大半はアメリカの研究者で、大項目の大半もアメリカに関連したものです。

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算49回.2009年分その6:10論文)

○[アメリカの]病院倒産に関連した要因:政治的・経済的分析枠組み
(Landry AY, et al: Factors associated with hospital bankruptcies: A political and economic framework. Journal of Healthcare Management 54(4):252-272)[量的研究]

業界誌等の検索により、2000~2006年の6年間に、米連邦破産法(第11章)の適用申請をした42急性期病院を抽出した。これらのうち28病院(67%)が最終的に閉鎖されていた。倒産した42病院のうち都市部にある36病院と同じ郡にある倒産しなかった競合病院366の特性を比較した(農村部にある6病院は同じ郡に競合病院がなかった)。その結果、倒産した病院は病床規模が小さく(平均148床。競合病院は226床)、病院システムへの加入率が低く(14%対74%)、営利病院の割合が高かった(56%対31%)。

Parkが提起した自治体破産の分析枠組みを用いて、倒産と関連する非財務要因を検討したところ、マネジメントの失敗、病院間競争の激化と診療報酬の変化が認められた。

二木コメント-アメリカでは病院閉鎖の実証研究は少なくありませんが、病院倒産の実証研究は公式の全国データがないためもあり、ほとんど行われていません。それだけに貴重な研究と言えますが、分析結果は月並みです。

○[アメリカで]増加しつつあるナーシングホーム閉鎖に関連した要因
(Castle NG, et al: Factors associated with increacing nursing home closures. Health Services Research 44(3):1088-1109,2009)[量的研究]

1999~2005年の全米50州のナーシングホームの閉鎖を調査するとともに、個々の施設の閉鎖の有無を被説明変数、内部的要因(質)、組織的要因(チェーン加盟か否か)、および外部的要因(競争)を説明変数とする離散時間(discrete-time)ロジスティック回帰分析を行い、両者の関連を検討した。この6年間に合計1789施設が閉鎖し、年間平均閉鎖率は1.9%だった。ただし、年間閉鎖率は上昇傾向にあった。ケアの質指標が低い施設、病院附属の施設、チェーン加盟の施設、小規模施設、および競争の激しい地域に存在する施設の閉鎖確率が高かった。メディケイド受給者の割合が高い施設も閉鎖確率が高く、特にメディケア支払額が低い州の施設の閉鎖確率が高かった。

二木コメント-著者によると、アメリカのナーシングホーム閉鎖についての6番目(もちろん最新の)実証研究で、1.9%という年平均閉鎖率は、直近の先行研究の0.7%(1992~1998年)より、より相当高いそうです。

○?[アメリカの]メディケアの在宅ケア支払い[への上限導入]がインフォーマルケアに与える影響
(Golberstein E, et al: Effect of Medicare home health care payment on informal care. Inquiry 46(1):58-71,2009)[量的研究]

1997年にメディケアの在宅ケア給付に導入された支払額の上限設定(payment caps)が、身体障害を有する在宅高齢者のインフォーマルケア利用に与える影響を、1993~2000年に実施された公的調査(標本数6701人)を用いて、two-part modelにより検討した。その結果、上限設定により今まで利用していたサービスを制限された高齢者は、メディケア給付の在宅ケアの減少をインフォーマルケアの増加で代替していたが、このような変化は低所得高齢者(標本の32.1%)のみで見られた。この結果は、支払額の上限設定が一部の低所得家族の負担を増した反面、多くの相対的高所得家族は公的ケアを削られても影響を受けないか、私費支払いのケアの増加で賄っていることを示唆している。

二木コメント-支払額の上限設定が、低所得高齢者と家族の負担を選択的に増していることを「キレイに」証明していると思います。

○困難な時期:財政抑制が[アメリカ]ミシガン州の[メディケイド]在宅ケアサービス利用と利用者のアウトカムに与える影響
(D'Souza JC, et al: Hard times: The effects of financial strain on home care services use and participant outcomes in Michigan. The Gerontologist 49(2):154-165,2009)[量的研究]

ミシガン州は財政難のために、2002~2005年に連続的にメディケイドの在宅ケア給付を抑制した。これのサービス利用者に与えた影響を、ミシガン大学老年学研究所が蓄積している独自のデータベースを用い、Cochran-Armitage試験やロジスティック回帰分析、離散時間生存分析等により検討した。財政抑制によるフォーマルな在宅ケアの削減は、特に中等度の身体障害や認知障害を有する利用者で大きく、削減率は最大30%に達していた。財政抑制がもっとも厳しい時期には、利用者の入院増(オッズ比=1.1)、救急外来受診増(同1.13)、ナーシングホームへの長期入所増(同1.2)が生じていた。この結果に基づいて、著者は、在宅ケアの財政抑制は、他のもっと高額なサービスの利用増を招き、予定した費用節減を相殺する可能性があると警告している(ただし、この点のデータは示されていない)。

二木コメント-在宅ケアの財政抑制が、在宅ケア利用を抑制する反面、必ずしも医療・福祉総費用を削減しない可能性を示した貴重な実証研究と思います。

○[アメリカの高齢者の]死への接近[死亡前2年間]と長期ケア市場への参加[の関連]
(Weaver F, et al: Proximity to death and participation in the long-term care market. Health Economics 18(8):867-883,2009)[量的研究]

高齢者の余命の延長が1人当たりの長期ケア需要をどの程度増加させるかは、長期ケアの利用が終末期にどの程度集中しているかに依存している。そこで、「死への接近」(死亡前2年間と定義)の限界効果が、長期ケア(ナーシングホームまたはフォーマルな在宅ケアと定義)の利用確率に与える影響を推計し、それらの利用がインフォーマルケアが得られること(配偶者がいるか成人した子どもと同居していると定義)によってどの程度変わるかを検討した。用いたデータはアメリカの70歳以上の在宅高齢者を対象として、1993-2003年に実施された「(ミシガン大学)健康・退職調査」(23,534人対象のコホート調査)で、同時決定プロビットモデルを用いて検討した。その結果、死亡前2年間に、ナーシングホームとフォーマルな在宅ケアの利用確率はそれぞれ、50.0%、12.4%増加していた。インフォーマルな支援が得られる場合は、この確率は相当低かった。特に、配偶者がいる場合は、ナーシングホームへの入所確率は高まらなかった。

二木コメント-大規模データベースを用いた一見精緻な研究ですが、「研究のための研究」の典型と思います。死亡前に長期ケア需要が増えることは事実ですが、死亡までの期間が事前には分からないことを考えると、この結果を具体的政策に結びつけることはできません。ちなみに、著者が、結論として、「配偶者のいる高齢者の割合を増やすなどして、インフォーマルケアの資源を増やせば、長期ケアの需要を減らせるかもしれない」と書いているのには、高齢者の結婚の奨励!?と、思わず笑ってしまいました。

○擬似イノベーション:医療の質改善の諸方法の開発と普及
(Walshe K: Pseudoinnovation: the development and spread of healthcare quality improvement methodology. International Journal for Quality in Health Care 21(3):153-159,2009)[評論・計量書誌学的分析]

過去20年間、医療の質改善(QI)についてのたくさんの概念、アイデア、方法が次々に現れては消えていった。これらのQI方法論の提唱者はそれぞれの違いを強調するが、実際的には非常に似ている。本論文では、Medlineを用いて、1988~2007年に発表されたQI論文の計量書誌学的分析(bibliometric analysis)により、10の頻用されるQI用語の消長を調査するとともに、新しいQI方法論の開発・普及のプロセスとそれらが医療組織のQIプログラムに与えた影響を検討した。本質的には類似しているQIのアイデアや方法が異なった名称で繰り返し提起されることは、「擬似イノベーション」のプロセスであり、それはQI方法論開発者のインセンティブと医療組織におけるQIに対する需要・期待の両方によって推進される。しかし、このようなプロセスは重大な損失(disbenefit)をもたらす。なぜなら、QIプログラムは、効果を発揮するまでに、持続的で長期的な投資と支援を必要とするが、QIプログラムの度重なる変更はそれを阻害するからである。

二木コメント-イギリス人(マンチェスター・ビジネススクール所属)らしい超辛口の評論です。QI方法論の大半が「擬似イノベーション」という批判は的を射ているし、計量書誌学的分析によりQI用語の消長を計量的・視覚的に示しているのは説得力があります。ちなみに、2007年のQI用語の流行ベスト3は、(1)リーン(lean.「贅肉のとれた」の意。32.0%)、(3)シックス・シグマ(18.9%)、(3)患者の安全(16.7%)です。

○患者満足度の再考:[オランダの病院での]マルチレベル分析
( Hekkert KD, et al: Patient satisfaction revisited: A multilevel approach. Social Science & Medicine 69(1):68-75,2009)[量的研究]

医療満足度調査を医療の質のベンチマークとして利用することが増えている。しかし、オランダでは調査結果が、「ケースミックス」(患者レベルだけでなく病院レベルの違いも含む)の違いを考慮せずに、そのまま報告されている。本研究の目的は、患者満足度の違いを病院、診療科、患者の特性でどの程度説明できるか、および医療満足度をベンチマークとして用いる場合には、どのケースミックス変数を用いるべきかを検討することである。2005年にオランダの8つの大学病院と14の一般病院に入院するか、外来受診した患者を対象にしてアンケート調査を行い、その結果を横断面分析した(回答者総数は66,611人。回答率は44.5~55.7%)。医療の6側面の満足度と全体的満足度を調査した。マルチレベル分析を用い、級内相関係数(ICCs)を計算することにより、病院と診療科レベルの満足度指数の変動の程度を推計した。病院レベルのケースミックス変数として、病床規模、病院種類、人口密度、回答率の4つを用いた。患者レベルのケースミックス変数として、性、年齢、教育レベル、健康状態、母国語)を用いた。その結果、病院と診療科レベルの級内相関係数は、どの満足度指標でも0~4%にすぎず、病院・診療科レベルの違いは、患者満足度指数のごくわずかな変動しか説明できないことが分かった。それに対して、すべての患者特性は患者満足度に有意の影響を与えていた。特に年齢、健康状態、教育レベルが大きな影響を与えており、これらはケースミックス修正を行う際に考慮すべきと判断した。なお、患者と病院の特性を表す全変数は、7種類の患者満足度の変動の3~5%を説明できた。

二木コメント-「患者満足度再訪」というタイトル通りの、全く新しい切り口からの精緻な分析です。ただし、病院特性よりも患者特性の方が、満足度のバラツキを説明できると言っても、それの「説明力」はほんの数パーセントにすぎず、実用的意味があるか疑問です。

?侵襲的的手技利用のガイダンスは各国でどのように作成されているか:国際調査
(Plumb J, et al: How guidance on the use of interventional procedures is produced in different countries: An international survey. International Journal of Technology Assessment in Health Care 25(2):124-133,2009)[国際比較研究]

侵襲的手技(外科手術、低侵襲手術を含む)の技術評価制度は医薬品のそれに比べ立ち遅れている。この10年間にそのような制度はいくつかの国で導入されたが、それの在り方についての論争は続いており、各国にどのような制度があり、どのように機能しているかについての整理された情報は全く存在しない。そこで、各国の医療技術評価組織の担当者を対象にして国際調査を行ない、25か国の28組織から情報を得た(回答率83%。日本を含む)。侵襲的手技の全国評価制度についての情報は15か国から得られた。これら組織の形態と財源、手技の選択方式、用いられる根拠のタイプと出所、根拠の評価に携わる人員等には、調査国間で大きな変動がみられた。

二木コメント-表面的な情報しか得られていませんが、同一の質問項目を用いた、初の国際調査としての意義は大きいと思います。

?保健医療介入の経済評価における公平への考慮の明示的統合
(Cookson R, Drummond M, et al: Explicit incorporation of equity considerations into economic evaluation of public health interventions. Health Economics, Policy and Law 4(2):231-245,2009)[理論研究と論争]

健康面での公平は世界各国の保健医療政策の主要な目的の一つとされているが、保健医療の経済評価では健康増進の最大化に焦点を当て続けている。医療経済学者は、QALY(質調整生存年)という擬似平等主義的価値判断を用いており、QALY1年の延長は、それがどのような方法で得られるか、誰に生じるかによらず同一とされている。しかし、これは疑わしい。なぜなら、現実の政策判断でも、国民も、小児や重病者等の健康改善を重視する傾向があるからである。本論文では、公平への考慮を保健医療の経済評価に明示的に統合する、以下の4つの方法の概略を示す:(1)公平についての背景情報の検討、(2)健康の不平等の影響の評価、(3)公平の機会費用の分析、(4)様々な健康結果に公平の重み付けをする。(1)~(3)は、適当なデータが得られる場合、医療技術評価の標準的な方法を応用することで実施可能だが、(4)はまだ実験的レベルにとどまる。

二木コメント-伝統的な保健医療の経済評価(臨床経済学)の枠組みの変更・拡張についての野心的問題提起ですが、難解です。本論文は「ディベイト」欄に掲載され、続けて、2人(Richardson J, Shiell A)の厳しい批判と、著者の反批判が掲載されています。

○医療経済学者は公平とアクセスについて再考する時ではないのか?
(Mooney G: Is it not time for health economists to rethink equity and access? Health Economics, Policy and Law 4(2):209-221,2009)[理論研究]

本論文では、公平に関わる医療経学上の2つの重要な問題を検討する。第1はなぜ医療経済学者は公平とアクセスの問題を適切に解決してこなかったのか、第2は医療の外部での公平の分析がほとんど行われていないことである。誰の公平を優先すべきかについても検討する。第1の問題に関して、経済学では、公平を分析する際、定量化が過度に強調され、しかも「(医療)利用」が「アクセス」に代わって用いられることが多く、アクセスの定義が回避されてきた。第2の問題に関して、公平とアクセスの意味は、部分的に、文化的に決定される。公平をなにか普遍的な概念として処理しようとする医療経済学者の長年の努力は的外れである。健康と医療の公平はもっと広い枠組みで検討しなければならない。さらに、医療経済学者は、医療と社会における権力と所有権についてほとんど検討していないが、不平等、階級と権力、およびこれらが健康に与える影響にもっと関わる必要がある。

二木コメント-これも、医療の経済評価における公平概念の重要性を強調した論文ですが、上記論文よりも、さらに原理的・哲学的です。


5.私の好きな名言・警句の紹介(その59)-最近知った名言・警句

訂正:本「ニューズレター」61,62号の「名言・警句の紹介」欄の通し番号が誤っていました:正しくはそれぞれ(その57),(その58)です(目次では正しく記載)。

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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