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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻105号)』(転載)

二木立

発行日2013年04月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

論文「安倍首相のTPP交渉参加表明をどう読むか?」(「深層を読む・真相を解く」(22))を『日本医事新報』2013年4月6日号に掲載します。本「ニューズレター」106号(2013年5月1日配信)に転載予定ですが、早めに読みたい方は同誌掲載分をお読み下さい。


1.論文:「麻生発言」で再考-死亡前医療費は高額で医療費増加の要因か?

(『日本医事新報』「深層を読む・真相を解く(21)」2013年3月9日号(4637号):30-31頁)。

「麻生発言」で見落とされていること

麻生太郎副総理は1月21日の政府の社会保障制度改革国民会議で、次のように持論を展開しました。「死にたい時に、死なせてもらわないと困っちゃうんですね。(中略)しかも、その金が政府のお金でやってもらうというのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」。麻生氏は批判を受けてすぐに発言を撤回しましたが、「大切なテーマなのでタブーにすべきでない」、「重要な問題提起」との擁護論も少なくありません。

しかし、私は、麻生発言で問題にすべきは、これの前段階で述べた次の主張だと思います。「やっぱり現実問題として、今経費をどこで節減していくかと言えば、もう答えなんぞ多くの方が知っている。高額医療というものをかけて、その後、残存生命期間が何か月だと、それに掛かる金が月千何百万円だ、1500万円だっていうような現実を厚生労働省が一番良く知っているはずですよ」。しかし、この部分は主要な全国紙はもちろん、専門誌もほとんど報じませんでした。私が調べた範囲でこれを報じた全国紙等は、「産経新聞」、「しんぶん赤旗」と時事通信だけでした。

麻生氏に限らず、死亡前医療費が高額であり、医療費増加の要因であると主張される方は少なくありません。例えば、高名な福祉ジャーナリストの沖藤典子氏は、新著『それでもわが家から逝きたい』(岩波書店,2012,122頁)で、「日本は終末期医療のコストが、医療費全体、社会保障費全体のコストを押しあげ」ていると根拠を示さずに主張しています。

田中早苗弁護士もNHK「視点・論点:終末期医療・お金の使い方」(2011年7月21日。http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/91698.html)で、「統計によって異なりますが、終末期医療費が全老人医療費の20パーセントを占めるとか、国民一人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前2ヶ月に使われるという報告があります」と主張していますが、やはり根拠は示していません。しかもこの発言は、久坂部羊『日本人の死に時』(幻冬舎新書,2007,161頁)の無断引用・剽窃です。これが全くの事実誤認であることは、拙著『医療改革-危機から希望へ』(勁草書房,2007)の第5章第2節6「終末期医療費についてのトンデモ数字」で示しました。「後期高齢者の終末期(死亡前)医療費は高額ではない」ことは、その後『医療改革と財源選択』(勁草書房,2009,第5章第1節)でも改めて指摘しました。

今回は、個人・総医療費の2段階で死亡前医療費データ(死亡前1か月。以下同じ)を示し、それがとりたてて高額でも、医療費増加の要因でもないことを示します。

高額医療費の死亡患者はごく一部

個人レベルの死亡前医療費が分かる資料は2つあります。1つは健保連「平成23年度 高額レセプト上位の概要」で、1000万円以上の高額レセプト179件の月別医療費と主病名が示されています。患者の年齢や転帰は示されていなかったので、担当の「高額医療グループ」に電話で問い合わせました。

それによると、高額レセプト179件のうち、当月死亡はわずか15件(8.4%)にすぎません。次に179件の年齢分布をみると、もっとも多いのは0~9歳の61件、次は10~19歳の30件で、両方を合わせて全体の半数(50.8%)の91件を占めています。以下、20~29歳23件、30~39歳14件、40~49歳19件、50~59歳19件であり、60~74歳はわずか13件(7.3%)にすぎません(2008年度からは、後期高齢者は「高齢者医療制度」に移行)。

麻生氏に限らず、高額医療費患者の大半は死亡患者で、しかも高齢者というイメージを持つ人がいますが、これはまったくの誤解です。

もう1つの調査は、前田由美子・福田峰「後期高齢者の死亡前入院医療費の調査・分析」「日医総研ワーキングペーパー」144号,2007)で、3病院を対象に、2006年度に入院して死亡した70歳以上の高齢者403人の「死亡前30日以内1人1日当たり入院医療費」(以下、死亡前1日当たり医療費)を、死亡までの入院期間別に分析しています。

死亡前1日当たり医療費は、当然入院7日以内死亡群で一番高いですが、それでも平均は5.66万円です。しかもこの患者群は入院期間が3.6日ときわめて短いので、入院医療費総額は56.6万円にとどまります。死亡前1日当たり医療費は入院期間が長くなるほど低下し、365日以上入院群では2.01万円(1月当たり60.3万円)にすぎません。平均ではなく「最高値」をみると、一番高い7日以内死亡群でも27.52万円(仮に7日入院したとしても総額192万円)です。365日以上入院群では最高値でさえ3.80万円(1月当たり114万円)にすぎず、とても高額とは言えません。死亡月の入院医療費の内訳をみても、技術料の割合が50%を超えているのは、7日以内死亡群だけで、他の群では入院医療費等が60%以上を占めています。

以上の結果は、入院直後に死亡した患者を除けば、死亡患者に特に濃厚な医療が行われているわけではないことを示しています。

死亡前医療費は総医療費の3%

総医療費レベルで死亡前医療費を推計した調査報告は2つあります。

1つは、医療経済研究機構「終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究報告書」(2000)で、1998年度の死亡前医療費総額は7,859億円と推計しました。これは同年度の一般診療医療費(23.28兆円)のわずか3.4%にすぎません。

もう1つは、上述した日医総研報告で、2005年度の70歳以上の死亡前入院医療費は4557億円であり、同年度の高齢者医療費13.34兆円の3.4%と推計しました。

死亡前医療費の総医療費に対する割合が、総死亡でも70歳以上の高齢死亡でもほとんど同じであることは、総医療費レベルでも、高齢の死亡患者に特別に濃厚な医療が行われているわけではないことを示しています。

上記医療経済研究機構報告書をとりまとめた片岡佳和氏は、その後、報告書が結論として「死亡直前の医療費抑制が医療費全体に与えるインパクトはさほど大きくない」と述べていることを強調して、終末期ケアが「医療費の高騰につながる可能性は否定している」と明言しました(『社会保険旬報』2095号,2001)。私は、当時「これにより、終末期医療費をめぐる論争には決着がついた」と判断しました。ただし、これはあくまで研究について言えることであり、政治的には同じ誤りが何度も蒸し返されると、麻生発言を通じて、改めて感じました。

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2.論文:規制改革会議の「保険外併用療養の拡大」方針を冷静に読む

(「二木学長の医療時評(その111)」『文化連情報』2013年4月号(421号):20-23頁)

政府の規制改革会議は2月15日に第2回会合を開き、安倍内閣が6月にまとめる新成長

戦略の叩き台の検討を始めました。会合では、「これまでに提起されている課題の代表例」として、(1)健康・医療、(2)雇用、(3)エネルギー・産業の新陳代謝の主要4分野の課題59項目が示されました。(1)は13項目あり、その5番目に「保険外併用療養の更なる範囲拡大」があげられました。これを受けて、2月15日または16日の全国紙は「混合診療拡大検討へ」(「朝日」15日夕刊)、「混合診療など主戦場に」(「日経」16日朝刊)等と報じました。他面、どの全国紙も、「保険外併用療養」という正式用語は使いませんでした。

その後、あるテレビ局の担当者から「混合診療の範囲拡大」について取材の相談があったので、私は、今までに書いた論文を送るとともに、次のように回答し、視聴者に無用な誤解や不安を与える報道・論評をしないよう求めました。(1)規制改革会議の文書には「混合診療」という用語は使われておらず、このことには大きな意味がある。(2)混合診療問題は、政治的にも、法的にも終わっている。(3)現行の保険外併用療養費制度と混合診療(原則)解禁とは異質。(4)混合診療解禁論が再燃することは少なくとも7月の参議院議員選挙まではない。

その後、その方からは私のコメントを取り上げる時間がなくなったとの連絡がありましたが、コメントが「辛口」すぎて、報道の趣旨に合わなかったのだと私は推察しています。ともあれ、医療関係者にも、新聞報道を読んで、混合診療が解禁されると心配されている方が少なくないようなので、上記4点について簡単に説明します。

「混合診療」は政府文書では死語

2月15日の規制改革会議には、事務局または委員が5つの資料を提出しましたが、そのいずれにも「混合診療」という用語は用いられていません。

上述した「これまでに提起されている課題の代表例」では、「保険外併用療養の更なる範囲拡大」について、以下のように説明されています。「保険診療と保険外診療の併用制度について、先進的な医療技術の恩恵を患者が受けられるようにする観点から、先進的な医療技術全般(薬剤を用いない医療技術、再生医療等)にまでその範囲を拡大すべきではないか」。

新聞報道を読んだだけでは、これが安倍内閣で新しく提起されたかのように思ってしまいますが、それはまったくの誤解です。なぜなら、菅直人内閣が2010年6月に閣議決定した「規制・制度改革に係る対処方針」には、「保険外併用療養の範囲拡大」、「現在の先進医療制度よりも手続きが柔軟かつ迅速な新たな仕組みを検討し、結論を得る」と、今回の文書とほとんど同じ表現が盛り込まれていたからです(1)。菅内閣のこの「対処方針」でも、それと同時に閣議決定された「新成長戦略」でも、「混合診療」という用語はまったく使われませんでした。

実は、民主党の鳩山内閣が発足直後の2010年1月に行政刷新会議の下に設置された「規制・制度改革に関する分科会」の「ライフ・イノベーション・ワーキンググループ」の第1回会議(3月29日)に提出された「検討テーマ」では、トップに「保険外併用療養(いわゆる「混合診療」)の原則解禁」がストレートに掲げられていました。しかし、第4回会議(4月29日)に、事務局が突然、「保険外併用療養の範囲拡大」に名称を改めることを提案し、了承されました。その後、政府文書からは「混合診療」という用語も、それの「原則解禁」という用語も消失し、いわば死語になりました(1)

今回の規制改革会議の文書はこの延長線上にあり、この点では政権再交代による政策変更は(まだ)ないと言えます。

混合診療問題は政治的・法的に終わっている

ではなぜ、「混合診療」という用語が使われていないのか?それは、混合診療問題が政治的にも、法的にも「終わっている」からです。

政治的理由は、2004年の小泉政権時代に繰り広げられた混合診療解禁論争の結果、混合診療の「全面(原則)解禁」が否定され、それの部分解禁である保険外併用療養費制度の創設(旧・特定療養費制度の再構成)で、政治的妥協が成立したからです(2)。同年12月に結ばれた厚生労働大臣と規制改革担当大臣との「いわゆる『混合診療』問題に係る基本的合意」では、「一定のルールの下に、保険診療と保険外診療との併用を認めるとともに、これに係る保険導入手続を制度化する」とされ、しかもこの改革により「[規制改革・民間開放推進会議等からの]保険診療と保険外診療との併用に関する具体的要望については、今後新たに生じるものについても、おおむねすべてに対応することができる」とされました。

田村憲久厚生労働大臣は、2月15日の閣議後記者会見で、規制改革会議の上記文書を批判して、「現在は保険外併用療養費という制度がある。そのなかで、評価療養や先進医療などがあり、そこで十分に対応できている」と述べましたが、これはこの2004年「基本的合意」を踏まえた良識ある発言と言えます。

法的理由は、最高裁判所が2011年10月、混合診療禁止の是非をめぐってきて争われてきた訴訟で、混合診療を原則禁止し、保険外併用療養費制度でそれを部分的に認めている国(厚生労働省)の法解釈と政策を妥当とする判決を下したからです。これにより、厚生労働省による混合診療禁止の法運用には「理由がない」とした2007年11月の東京地裁判決以来続いてきた論争に法的決着が付けられました(3)

保険外併用療養費制度と混合診療原則解禁とは異質

医療関係者のなかには、保険外併用療養費制度の「評価療養(先進医療)」の対象が拡大されれば、混合診療原則(全面)解禁と同じ意味を持つと思われている方が少なくありませんが、それは誤解です。なぜなら、混合診療が原則(全面)解禁された場合には、「公的保険の対象となる医療サービスを明確化し、それを超える医療部分には保険を適用しないという単純なルール」が適用され、しかもそれが「時限的措置ではなく、永続的なもの」とされる(八代尚宏氏(4))のに対して、保険外療養費制度中の「評価療養(先進医療)」は、「将来的な保険導入のための評価を行う」とされているため、もし先進医療の評価・確認手続きが適正に行われた場合には、結果的に保険導入のスピードが速まる可能性があるからです。この場合は、混合診療原則(全面)解禁論者の公的医療費抑制の思惑とは逆に、公的医療費はさらに増加することになります。

混合診療解禁論は参院選までは再燃しないが…

医療関係者の中には、安倍首相が小泉政権時代の重要閣僚として「構造改革」路線を推進したことを理由にして、混合診療原則解禁に舵を切ると心配されている方も少なくありません。しかし、安倍首相は、本年7月の参議院議員選挙で勝利することを至上命令として「安全運転」に努めているので、その可能性は短期的にはありません。

論より証拠。2月15日に規制改革会議文書が公表される前の1月31日の衆議院本会議の各党代表質問で、渡辺喜美みんなの党代表が、安倍首相に混合診療解禁を迫ったのに対して、安倍首相は、「最先端の医療機器や医薬品を用いる先進的な医療技術については、安全性や有効性を個別に確認した上で、保険診療との併用を認めることにしています」と答弁し、現行の保険外併用療養費制度の枠内で対処することを明言しました。

さらに、参議院議員選挙対策の枠を超えて、小泉前首相と安倍現首相との間には、政策的・思想的に大きな違いがあることも見逃せません。この点は意外に知られていないので、昨年12月の衆議院議員選挙直後のインタビューで私は以下のように注意を喚起しました(5)

「安倍氏は小泉政権時代の重要な閣僚で尚且つ小泉氏の事実上の後継指名によって首相になりましたから、小泉氏と安倍氏とを一体的に考えている人が多いようですね。けれど安倍氏と小泉氏の信条・発想はかなり違います。小泉氏は都会的な個人主義の人で、新自由主義の権化みたいな人でした。それに対して安倍氏は、政治的にはウルトラ右派ともいえる人ですけれども、古い自民党的な側面が強く、共同体、家族を重視しています。一見すると2人とも『自助』を強調している点で同じに見えますが、違います。小泉政権時代の『自助』、これは2001年の経済財政諮問会議の骨太の方針に書いてありましたが、イコール『個人』です。家族機能が低下していることを認めたうえで個人の自立を求めています。それに対して安倍氏や今の自民党の『自助』は、『本人+家族』です。私はそれは幻想だと思いますが、家族や地域共同体を強化したいという意識が凄く強い。そうしますと、小泉・竹中氏の時代のようなむき出しの新自由主義的改革では家族や地域共同体は崩壊しますから、乱暴な改革はできません」。

ただし、本年7月の参議院議員選挙で自民党が圧勝し、しかも安倍政権内で新自由主義派の影響力が強くなった場合、あるいは自民党と混合診療解禁を主張する日本維新の会との連立政権が成立した場合、さらには日本がTPPに参加しアメリカ政府から日本の医療市場開放圧力が強まった場合には、混合診療原則(全面)解禁論が再燃する危険があると思います。

文献

ご挨拶-4月から日本福祉大学学長に就任します

私は本年3月で日本福祉大学教授を定年退職しましたが、4月から同大学学長に就任しました。言うまでもなく学長の仕事はたいへんな激職・重職です。しかも、急速に進む少子化と、首都圏・関西圏の巨大ブランド大学への受験生・学生の「二極集中」のため、本学のような地方の中規模大学は大きな困難に直面しており、学長の責務は従来に増して重くなっています。私は65歳で決して若くはありませんが、健康状態は概ね良好で、知力・気力も充実しており、4年間、日本福祉大学の生き残りと発展のために努力したいと思っています。と同時に、学長業務と研究のバランスに留意しつつ、医療・介護政策の研究と発信も続ける所存です。本誌の連載も「二木学長の医療時評」として、継続します(ただし、掲載頻度は多少減るかもしれません)。御指導・ご鞭撻いただくよう、よろしくお願いします。なお、言うまでもないことですが、本連載は私個人の見解を示すものであり、日本福祉大学の公式見解ではありません。

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3.インタビュー:TPPは私たちの医療をどう変える?

(「朝日新聞」(東京版)2013年3月14日夕刊。東京都医師会の意見広告「人と医療の未来のために Vol.1」)

[政府が交渉参加に向けた検討を進めているTPP(環太平洋経済連携協定)を仮に日本が締結した場合、私たちの医療には多くの影響が出ると考えられます。TPPは医療の何を変え、どんな社会を生み出していくのか。専門家や識者とともに考えてみましょう。]

何をもって皆保険制度の「崩壊」「維持」とするか

TPPは私たちの医療をどう変えるのか。それを考えるうえでまずお伝えしたいのが、健康保険証を持っていれば、いつでも、どこでも、誰でも、適切な医療を受けることができる『国民皆保険制度』(下記参照)についてです。

この制度は世界に誇れる日本の財産だと思います。今、「TPPに参加すると崩壊する」「いや、TPPに参加しても維持される」と様々な意見があります。そもそも国民皆保険制度とは何なのか。何をもって「崩壊」もしくは「維持」と考えればよいのか、きちんと検証する必要があります。

昨年、民主・自民・公明の3党合意で「社会保障制度改革推進法」が成立しました。そこでは「国民皆保険を守る」という表現がなくなっており、「原則として全ての国民が(公的な保険制度に)加入する仕組みを維持する」と書かれています。逆にいえば、国民が全員加入さえしていれば、「皆保険は維持」ということになります。ですから「TPPに参加しても国民皆保険は崩壊しない」というのは、その範囲では正しいわけです。

しかし皆さんがイメージする国民皆保険は、単に国民が原則的に入るだけではなく、「いつでも、どこでも、誰でも適切な医療を受けられる」制度のことだと思います。例えば日本では、天皇陛下への世界最高峰のバイパス手術を成功させた、順天堂大学の天野先生のような超一流の先生からも、保険証があり、手術適応があえば誰でも施術を受けられます。

実は2003年3月に小泉内閣で閣議決定された医療制度改革には、国民皆保険制度を堅持するだけでなく、「良質で最適な医療を受けることを保障する」と書かれていました。この点で見ると、今度の社会保障制度改革推進法は、随分後退したと思います。言葉に惑わされず、しっかり中身を見る必要があります。

米国では所得水準により医療が変わることが公平

TPPは各国のGDP(国内総生産)の比率からすると、実質的にはアメリカと日本のFTA(自由貿易協定)に近いため、アメリカの主張が大きく影響します。TPPに参加することによって、経済的に豊かな人、中流の人、貧しい人とで受けられる医療が変わるということは、十分起こり得ることです。

アメリカと、日本を含めた先進国とでは医療の理念が違います。日本では基本的な医療に関しては、貧富の別なく受けられることが公平だと考えられています。一方、アメリカでは、所得水準によって受けられる医療が変わることが公平なのです。買う人の所得水準に応じて選ぶ車が変わるように、医療にも市場メカニズムを導入することが正しい、という考えです。一般の産業と同じ論理を医療にも当てはめ、日本にも導入しようとすることは、彼らからすれば自然なことなのです。

「高かろう・よかろう」は、一般の商取引ではおかしなことではありません。でも日本では、医療においてはそれはやめましょう、ということが社会のコンセンサスになっています。TPPの医療における問題は、基本的な医療は貧しい人も、豊かな人も平等に受けられるべきだという日本の理念と、自由な経済活動、市場原理を重視するアメリカ的な理念との対立です。どちらが正しいか間違っているかを、決められるものでもありません。

TPPに参加したら皆保険は空洞化の危険

もし日本がTPPに参加したら、アメリカは日本に3段階の要求をしてくるでしょう。第1段階は、医薬品・医療機器の公定価格の原則撤廃です。日本がこれを認めると、アメリカの巨大企業が得意とする画期的新薬や先駆的な医療機器の値段は確実に上がります。アメリカ商務省は、アメリカ以外の先進国が医薬品の公定価格を撤廃したら、処方薬の市場規模は3割増大すると試算しています。その結果、国民医療費は不必要に増えてしまいます。その次にアメリカが求めるのは、「医療特区」に限定した混合診療(下記参照)の全面解禁と株式会社による病院経営の解禁だと思います。第3段階として、アメリカは全国一律でこれらを解禁することまで求めてくるでしょう。

日本では病院や診療所などの医療の本体は「非営利の原則」が守られており、お金もうけを目的にした病院、診療所の開設は禁止されています。でもアメリカからすれば、それは市場メカニズムに反しているわけです。病院が株式会社になると、株主に配当を払わなくてはならず、非営利の病院より高い利益率を確保する必要があります。保険診療の範囲を超え、画期的な新薬や先駆的な医療機器を使い、高い技術の医療を提供するかわりに高い治療費をとる病院も現れるでしょう。受けられる医療がお金によって変わってくる。それはもはや、皆さんがイメージする国民皆保険とは異なるものでしょう。

日本がTPPに参加した場合、アメリカは医療にも市場原理を導入するという大原則を要求してくることは確実です。それを受け入れれば、「いつでも、どこでも、誰でも適切な医療を受けられる」という意味での国民皆保険は「崩壊」、というより徐々に「空洞化」していく危険があります。

TPPは狭い意味での貿易、日本の輸出が増えるとか減るとか、あるいは農業だけにかかわる問題ではありません。その対象は21項目にわたっていて、医療との関係でいえば、サービス貿易や知的財産の問題など広範囲に影響があります。

アメリカが今の時点で、日本の国民皆保険を解体するよう要求をしているわけではありません。しかし、TPPの参加により、アメリカの要求が部分的にでも認められれば、「千丈の堤も蟻の一穴」(頑丈な堤防も小さな穴から崩れることがある)という言葉の通り、今までの日本の理念は相当崩れ、殺伐とした医療になっていくと思います。

私たちが本当に守らなければならないのは、「いつでも、どこでも、誰でも適切な医療を受けられる」という意味での国民皆保険であることを忘れてはなりません。

(聞き手 川村二郎)

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4.新著『福祉教育はいかにあるべきか?-演習方法と論文指導』(勁草書房,2013年4月1日発行,\2500+税)の「はしがき」と章立て

はしがき

本書は、私の日本福祉大学での28年間の教育の経験と工夫を、社会福祉学部の専門演習(ゼミ)指導と大学院での研究論文指導を中心に紹介し、社会福祉教育の改善に資することを目的としています。

本文は3章構成です。第1章「専門演習指導はいかにあるべきか」の第1節では、私の学部教育での経験と工夫を専門演習を中心として総括的に紹介します。本章の中心である第2節では、私のゼミの3つの目標を述べた上で、ゼミ生が6つの能力(規律、情報収集能力、作文能力、スピーチ能力、パソコン操作能力、社会福祉士国家試験に現役合格できる学力)を習得するための指導の実際、「愛の教育手帳」(ゼミ冊子)を用いたゼミ指導の標準化、および社会福祉士国家試験合格率9割への軌跡・ノウハウを紹介します。第3節ではゼミ指導の2つのモットー(ゼミ生を怒らない、学生を絶対に馬鹿にしない)と4つの心がけを紹介します。第4節では大学院での教育と経験の工夫を、第5節では日本福祉大学での研究と校務の経験を述べます。補論では、大教室での講義アンケートの工夫とノウハウ、それの解析から得られた知見、および私の講義の2つの「目玉」を紹介します。

第2章「研究論文指導はいかにあるべきか」では、大学院教育のうち、研究論文指導に焦点を当てて、私の経験と工夫を紹介します。第1節では、私の研究論文指導の原点である病院勤務医時代の経験を、第2節では指導の大前提となる私自身の研究論文執筆面での自助努力を紹介します。本章の中核である第3節では、大学院での研究論文指導の実際とそれを通して感じたことを可能な限り具体的かつ率直に述べます。例えば、私が修士課程の論文指導で重視している、(1)「形式第一、内容第二」、(2)積み重ね・プロセス重視、(3)院生どうしの「ピアレビュー」の義務化、(4)最新文献の紹介について、詳しく紹介します。第4節では、新しい挑戦として、(若手)教員・研究者の博士論文作成・博士学位取得支援の経験を紹介し、最後に私から見た「良い教師と良い弟子の条件」について率直に問題提起します。本章には、日本福祉大学大学院で用いている各種の資料も添付します。

第3章「大規模研究のマネジメント」では、「拠点リーダー」を努めた日本福祉大学21世紀COEプログラム(2003~2007年度)の経験を紹介します。

付録には、私が毎年ゼミ生および社会福祉学部の全教員に配布していた「二木ゼミ・愛の教育手帳」の最終版と、大学院入学式で毎年配布している「大学院『入学』生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書」リストの最新版、および修士論文要旨と学部専門演習レポートの添削例を付けます。

本書で紹介した私の教育の経験と工夫の多くが、社会福祉領域だけでなく、他領域での教育の改善にも資することを願っています。

章立て

はしがき


5.日本福祉大学講師懇談会・全体懇談会での開会挨拶(2013年2月26日)

4月から加藤現学長の後を継いで、4年間学長を務めることになった二木です。よろしくお願いします。私がお話ししたいことは2点あります。1点は私の自己紹介、もう1点は皆様へのお願いです。

私は加藤学長と同じ1947年生まれの65歳、「団塊の世代」のトップランナーです。本来は本年3月で加藤学長と同じく定年退職するハズで、決して若くはありません。そのためか、昨年10月の学長選挙で当選後、会う人、会う人から、「身体(からだ)に気をつけてください」と言われ続けています。そのため、私の学長としての最大の責務は、4年間健康を維持して学長の職務を遂行し、大学や教職員の皆さんに御迷惑をおかけしないことだと、肝に銘じています。

ただし、私は、酒豪の加藤現学長と違い、酒は飲まず、煙草は生涯一度も吸ったことがなく、夜9時就寝・朝5時起床・朝7時半には大学に着く「早寝早起き」で、3食はきちんと食べ、早足で歩くという生活を続けており、文部科学省または厚生労働省から表彰されるような「健康優良爺」(さん)です。学長就任後もこのスタイルを貫き、業務を遂行したいと思っています。

第2は、皆様へのお願いです。加藤学長が全体説明会の開会挨拶で述べたように、本学が直面している最大の課題は、2015年の東海キャンパス開設と美浜・半田キャンパスの整備を同時並行的に成功させることです。しかし、私は、大学教育では、ハコモノ(ハード)の整備以上に、教育の中身(ソフト)の充実が重要だと考えています。学長選挙でも、「教育重視」を、理念面でも、経営面でもさらに重視することを掲げました。

そしてこれは、常勤の教員だけでなく、非常勤講師の皆様の支えがなければとても実現できません。他の私学と同じように、本学でも、教育総コマの約4割は非常勤講師の皆様にお世話になっているからです。私は、大学の教育活動の点検を行う「全学評価委員会」の責任者を努めているため、常勤・非常勤を問わず、すべての教員のすべての科目(講義・演習)に対する学生の授業評価の結果の一覧表を見る立場にあるのですが、多くの非常勤講師の皆様の授業に対する学生の評価が、常勤教員以上に高いことにいつも感服しています。来年度以降は、この懇談会以外にも、皆様の率直な御助言や御提言をいただく機会を設け、それを本学の教育改善に生かしたいと思っています。

【司会者が、手を挙げて、3分経ったとの合図。←事前に合図するよう依頼】

ちょうど3分になりました。私は「定刻主義者」-imperialist(帝国主義者)ではなく「時間を厳守する」という意味での-ですので、私のご挨拶はこれで終わらせていただきます。

[私は即興的な発言・挨拶が苦手で、事前に発言のメモを用意しなければうまく話せないため、懇親会場に向かう地下鉄車中で、愛用のB6判カードに発言メモを書き込み、帰宅後それをすぐに「原稿化」しました。この挨拶後、多くの参加者から「健康優良爺」(さん)と「定刻主義者」という表現が良かった、インパクトが強かったとお褒めいただきました。学長就任後も、公式の挨拶はできるだけ原稿化し、適宜大学のホームページや本「ニューズレター」に掲載します。お気づきの点をお知らせいただければ幸いです。]


6. 大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書(2013年度版、Ver 15)より

この「私的推薦図書」リストは1999年度以来、毎年、日本福祉大学の入学式後の大学院合同オリエンテーションの「おみやげ」として配布しています。2013年度版に、新たに追加した12冊(うち新版への更新2冊)は以下の通りです(掲載順)。書名のゴチックは私のお薦め本、…以下は私のコメントです。

なお、「私的推薦図書」全文は、『福祉教育はいかにあるべきか?』に収録しました。


7. 私の好きな名言・警句の紹介(その100)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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