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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻161号)』(転載)

二木立

発行日2017年12月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


論文「『平成29年版厚生労働白書-社会保障と経済成長』をどう読むか?」を『日本医事新報』12月2日号に掲載します(「深層を読む・真相を解く」(70))。論文は「ニューズレター」162号(2018年1月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。


1. 論文:医薬品等の費用対効果評価の価格調整方法の大筋合意を複眼的に評価する
(「二木教授の医療時評」(154)『文化連情報』2017年12月号(477号):6-11頁)

はじめに

2012年以来5年越しで検討されてきた「費用対効果評価の試行的導入」の核心と言える、高額医薬品等の費用対効果評価導入のための価格調整の方向がようやく固まりました。10月4日の中医協費用対効果評価専門部会は「試行的導入にかかる総合的評価(アプレイザル)の方法について」大筋合意し、10月25日の同部会・薬価専門部会・保険医療材料専門部会合同部会はこの合意を踏まえて、「試行的導入における価格調整のあり方」について大筋合意しました。
本稿ではこれらの合意について複眼的に評価します。私は合意は大枠では合理的かつ現実的だと判断しています。言うまでもなく、私は高額医薬品等の費用対効果評価に基づいて、価格調整をすることにも賛成です。しかし、「支払い意思(額)」概念は学問的に問題が多く、その調査は実施すべきではないし、効果の指標としてはQALYの改善よりも、生存年の延長の方が適しているとも思っています。以下、その理由を述べます。

経済評価についての5年前の私の主張と判断

その前に、2012年5月に費用対効果評価専門部会(以下、専門部会)が発足した翌月に『日本医事新報』に発表した論文「医薬品の経済評価で留意すべき点は何か?」(1)のポイントを紹介します。私は以下のように、「医療経済・政策学の視点から、医薬品の経済評価(費用対効果の検討)を行う上での、3つの留意点を述べ」ました。①経済評価自体に多額の費用がかかる。②経済評価の「国際標準」は存在しない。③バイオ医薬品等の現在の極端な高価格を既定の事実として、経済評価を行わない。

これらのうち、①・②は私の事実認識、③は私の価値判断です。③についてはさらに、以下のように踏み込んで述べました。長いですが、重要な点なので再掲します。

「当該医薬品の費用対効果(純学術的にはQALY1年当たり費用。現実的には、余命1年延長当たり費用。さらに簡便には1年間の薬剤費用)を計算し、それを類似の既存薬と比較することにより、その医薬品の薬価引き下げ圧力とすることも十分に可能です。これは、現在すでに実施されている類似薬効比較方式の精緻化とも言えます。/この場合は、経済評価の対象をバイオ医薬品等、極端に高価格な医薬品に限定し、経済評価自体の『費用対効果』を引き上げることが重要と思います。ただし、このような措置は、患者数が多く、薬価が製薬企業の希望価格より低くても、製薬企業が十分な利益を見込める医薬品に限定すべきであり、患者数がごく限られているオーファンドラッグ(希少疾病用薬)は対象外にすべきと思います」。

この論文では紙数の制約のため書けませんでしたが、私は「余命1年延長当たり費用」(の上限・閾値)としては、血液透析の年間費用約500万円が目安になると判断し、友人の医療経済学研究者へのメールで以下のように書きました。「日本で、疾患別のQALY表(リーグ・テーブル)や、1QALY当たりの閾値を計算するのは、現実の政策としては無意味です。前者について、日本では疾患別に生命・生存の質の価値付け・ランク付けを医療政策の基礎とすることは文化的に困難です。後者については、日本では、透析患者(約30万人)の年間透析費用約480~500万円が、『閾値』のde facto standardになっており、改めて計算する意味がありません。なお、医療ではないが、介護保険の要介護5(約60万人)の支給限度額も年間430万円です」(2012年6月12日)。

私の以上の主張と判断は現在も変わっていません。なお、上述した500万円あるいは430万円という数値は「経験的」なものであり、理論的根拠はありませんが、この点はイギリスのNICEが用いている閾値(2~3万ポンド)についても同じです。そもそもどんな「閾値」にも理論的根拠はありません。

専門部会の合意は大枠では合理的・現実的

新薬等の費用対効果評価の試行的導入における「総合的評価(アプレイザル)」において、「増分費用効果比(ICER)」(既存薬に比べた新薬の1QALY[質調整生存年]延長当たりの追加費用)を用いた価格調整を行うことは、早くから確認されていました。私が調べた範囲では、2015年6月24日の専門部会(第26回)の「参考資料」でそのことが初めて提起されたと思います。ただし、その後の専門部会では、価格調整の考え方・方法については様々な意見が出され、議論はたびたび紛糾しました。

最終的には10月25日の合同部会で、以下の価格調整の考え方が示されました。「・ICERが一定程度低い品目について価格調整を行わない。・ICERに応じて連続的できめ細かい価格調整を行う。・ICERが相当程度高い品目については、今後定める価格調整幅の上限を用いた価格調整を行う」。

この考えに基づいて、以下の3領域が設置されました。①価格調整を行わない領域、②ICERに応じた価格調整に応じて価格を変動させる領域、③一定の引き下げ幅(価格調整の上限)での価格調整を行う領域。その上で、領域①と②の境界となる基準額は、白岩健氏等の日本人を対象にした2010年の支払い意思額調査の結果(2)と英国の評価基準を参考にして500万円とすること、および領域②と③の境界となる基準額は1000万円を採用することとされました。

合同部会は10月4日の費用対効果評価専門部会で確認された「倫理的・社会的考慮要素に該当する品目」として、以下の4領域も再確認しました。「①感染症対策といった公衆衛生的観点での有用性 ②公的医療の立場からの分析には含まれない追加的な費用(ガイドラインにおいて認められたものに限る) ③重篤な疾患でQOLは大きく向上しないが生存期間が延長する治療 ④代替治療が十分に存在しない疾患の治療」。

私は、ICERの閾値を500万円としたことは、上述した血液透析の年間費用とも対応し現実的だと思いますし、それを絶対化せず、4領域の「考慮要素」を明示したことは合理的だと思います。

また、専門部会が5年間の時間をかけて、丁寧な議論を積み重ね、さまざまな紆余曲折があったとは言え、最終的に大筋合意に至ったことは、中医協の伝統である「日本的熟議方式」の有効性を示していると思います。今後、この合意に基づいて高額医薬品等の費用対効果評価が制度化されたなら、昨年社会問題になったオプジーボに対する超高額な薬価設定(薬価が世界で飛び抜けて高いアメリカより高い!?)の再来は予防可能となり、2000年以降続いている国民医療費中の医薬品費の割合の上昇傾向にも歯止めがかかると期待できます。

なお、10月25日の合同部会では、比較対象品目に比べ、効果が同等以上かつ費用が削減されるため、ICERが評価できない項目の価格調整については合意が得られず継続審議になりました。厚生労働省が、そのような医薬品については価格の引き上げを行う方針を提示したのに対して、支払い側の幸野庄司委員(健康保険組合連合会)が「引き上げはあり得ない」と強く反対したからです。しかし、迫井正深保険局医療課長が指摘したように、費用対効果評価の本来の趣旨に基づくと、費用対効果評価の結果価格が「上がるものもあれば下がるものもある」のは当然であり、幸野委員の主張は無理筋と言えます。ただし、既存薬以上に効果があるが価格が低い新薬が発売されることは極めて稀であり、この議論は現実的には余り意味がないと思います。

「支払い意思額調査」には疑問

私は、このように専門部会の今回の合意を大枠では高く評価していますが、専門部会が「支払い意思額調査」の実施を一旦確認したことには強い疑問を持っています。具体的には、本年3月15日の専門部会(第38回)で、厚生労働省の「ICERの「評価軸として『支払い意思額』を基本とする」との提案が了承され、7月12日の専門部会(第43回)で、3000人以上の一般国民を対象とする支払い意思額調査(「完全に健康状態で1年間生存することを獲得するための費用に係る費用の総額について尋ねる」)を今年度中に実施することが確認されたことに対する疑問です。しかし、7月12日の専門部会(第43回)に提案された「『国内の支払い意思額に関する調査』調査票(案)」に対しては疑問・異論が噴出し、8月23日の専門部会(第46回)では一転して、「新たな調査は行わない」とされました。ただし、これは試行期間中(2017年度中)は行わないという意味で、来年度以降、実施される可能性は残っています。

そこで専門部会の昨年までの資料や議事録をチェックしたところ、以下のことが分かりました。2013年12月25日の専門部会(第15回)に「参考資料」として提出された「医療経済評価研究における分析手法に関するガイドライン」(研究代表者:福田敬氏)には、支払い意思額についての記載はありませんでした。
2015年6月24日の専門部会(第26回)にやはり「参考資料」として提出された「費用対効果評価導入の試行的導入について(その1)」の「増分費用効果比(ICER)の解釈について」では、ICERの「基準となる値」の「目安となる値の設定方法」として、以下の3つの方法が並記されていました。「①一般的に広く受け入れられている既存の医療にかかる費用を目安とする ②国民がいくらまでなら支払ってもよいと考えるか(=支払い意思額) ③1人当たりGDP等の経済指標」。上述したように、私は①としては、血液透析の費用が最適と思っています。

その後、上述したように第38回の専門部会で、「ICERの評価軸として、『支払い意思額』を基本とする」との提案がなされ、了承されました。しかし、議事録を読んでも、その理由は説明されていませんでした。

私が非公式に入手した情報および『国際医薬品情報』の報道に基づくと、専門部会の多くの委員は、支払い意思額調査の概念・中身をよく理解しておらず、当初は事務局案に反対しなかったが、7月12日の専門部会に示された「調査票」があまりに現実離れしていることに気づき、「燻り続けていた同調査に対する疑念が爆発した」ようです(3)

「支払い意思額」は発展途上の概念

私はICERの評価軸(閾値)として「支払い意思額」を用いることに反対です。その最大の理由は、支払い意思額は医療の経済評価の「ニューフェース」であり、学問的にはそれなりに興味深いが、まだ発展途上であり、調査結果にはバラツキが非常に大きく、信頼性に欠けるためです。

例えば、医療の経済評価の世界最高峰の教科書である『保健医療の経済評価 第4版』の第6章は、支払い意思(willingness to pay)を離散選択実験等と共に、伝統的手法に対する「代替の尺度」として紹介していますが、「保健医療におけるWTP研究の総説は、どのような質問を、誰に、どのように尋ねるという点について、大きなバラツキがあることを明らかにしている。したがって、WTPをどのように測定すべきか、また、どのようにこうした指標を経済評価に組み込むことができるのか、ということに関しては意見の不一致がある」と極めて否定的に評価しています(4:216頁)

さらに同書の第4章は、支払い意思額調査に基づく「健康の消費価値の推定値が、健康を改善するために必要な資源の額よりも高いことが観察」されることが多いとして、単純にこの推定値を用いて、現行の予算制約の下での公的医療費支出について判断することは「不適切」としています(4:112-113頁)

9月に翻訳が出版されたばかりの『誰の健康が優先されるのか-医療資源の倫理学』は、医療資源の希少性を根拠にして、医療への費用効果分析の全面的導入を主張し、第2章で、EQ-5D、「基準的賭け法」、「時間的得失法」について詳しく説明していますが、支払い意思額についてはまったく触れていません(5)

国際的に見ても、支払い意思額調査に基づいて、医療の費用対効果評価の閾値を設定している国がないことは、本年9月13日の専門部会(第43回)に提出された「試行的導入にかかる評価基準の設定方法等について」の3頁にも明記されています。医療の経済評価では「後進国」にとどまる日本が、「先進国」でも全く実施されていない支払い意思額調査に基づきICERの閾値を決めようとするのは無謀です。

以上から、私は、支払い意思額調査は、今年度だけでなく、来年度以降も実施すべきではないと思います。

QALYよりはLY(生存年)を基本とすべき

私が専門部会の合意についてもう一つ疑問に思っていることは、ICER計算における効果指標としてQALY(質調整生存年)の改善を用い、生存年(LY)の延長を無視していることです。「効果指標については、QALYを基本と」することは、2015年8月26日の専門部会(第32回)の「費用対効果評価の試行的導入に係る議論の中間報告」で確認され、それ以降、議論の前提とされています。

私も純学問的に言えば、すべての健康状態を0~1で(一見定量的に)表示するQALYが魅力的であることは理解できます(健康状態の定量的評価への根源的批判は、後述する権丈善一氏の論説(7)参照)。ただし、このことは命の価値付けを行うことでもあり、上述した2012年の私のメールに書いたように、多くの国民・患者から感情的反発を受ける危険があります。

例えば、日本人の血液透析患者を対象にしてEQ-5Dを用いた3つのQALY値調査からは、透析患者のQALY値は0.75という同じ結果が得られています(6-8)。このQALY値を用いると、血液透析のICERは、約670万円(血液透析の年間費用500万円÷0.75)と計算できます。私はこの数値は学問的にはそれなりに合理的だと思います。しかし、この数値を医療保険で用いた場合、透析患者・団体、さらには他の患者・障害者団体から、国は透析患者の命の価値は健康者の75%にすぎないと公的に認めた等の感情的反発を招く危険性が大きいと思います。

しかも、QALYの評価には恣意性やバラツキが避けられません。それに対して、生存年の延長は極めて単純明快でしかも透明な指標です。そのために、私は少なくとも延命を目的とする医薬品等の費用対効果(ICER)を計算する際には、QALYよりも生存年数を用いる方が現実的であり、しかも政治的に安全と考えています。

権丈善一氏は、QALYによる効用値の測定等に対する「違和感」を述べた際に、「QALYが政策に適用されれば、QALY基準で不利な目にあった人たちがQALYに反対する政治活動を行うというような、社会的な摩擦が生じることが予測される」と指摘し、そのような「計算[を]している人たち自身が、自分の計算が社会システムにどのような影響を与えるのか、自分の研究が、社会システムのなかでどのような位置づけにあるのかということも、考えてもらえればと思います」と述べています(9)。厚生労働省の担当者と専門部会委員の研究者には、権丈氏のこの警告をシッカリ受けとめて頂きたいと思います。

文献

[本稿は『日本医事新報』2017年11月4日号掲載の「医薬品等の費用対効果評価方法の合意をどう評価するか?」(「深層を読む・真相を解く」(69))に大幅に加筆したものです。]

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2.研究会報告:日本での最近の医療提供(病院)制度改革と論争
(2017年11月18日 日本福祉大学・延世大学共催「第12回日韓定期シンポジウム」)

はじめに-日本と韓国の医療提供(病院)制度の比較と本報告の枠組み

本題に入る前に、日本と韓国の医療提供(病院)制度の簡単な比較を行います。日韓両国の医療提供(病院)制度は、私的病院中心で、しかもその大半が(事実上)医師開設であるという点で、OECD加盟国中もっとも類似しています。アメリカも私的病院中心ですが、医師が開設した病院はほとんどありません。そのため、私は、日本と韓国とは、医療提供(病院)制度に関しても、等身大の比較が可能であり、それを通してお互いに学び合えると考えています。今回12回目を迎える「日本福祉大学・延世大学日韓定期シンポジウム」は、毎回、その最良の学び会いの機会にもなっています。

ただし、日本の医療提供(病院)制度は、以下の5点で、韓国とは異なっています。
①医療法人病院の開設者は原則として医師に限定されている。
②都道府県の「地域医療計画」により、病院の新設と病床の増加は厳しく制限されている。
③日本では、病院の倒産はきわめて少ない。
④日本では、韓国に比べて、病院のIT化が遅れている。ただし、日本でも最近は病院のIT化が急速に進んでいます。
⑤日本では病院の保健・福祉分野への進出=「複合体」化が非常に進んでいる。「複合体」化は私的中小病院の重要な生き残り戦略となっており、実際にも「複合体」の多くは私的中小病院です。

以下、本題に入ります。日本の最近の医療制度改革は「地域包括ケアシステム」と「地域医療構想」の二本柱です。この2つの改革は、公式には、ベビーブーマー世代全員が後期高齢者となる2025年を目標年としていますが、最近では、政府・厚生労働省は目標年を2040年にずらしつつあります。なお、日本では「ベビーブーマー世代」(「団塊の世代」)は、第二次大戦直後の1947~1949年の3年間に大量に生まれた人々のみを指しています。ちなみに、私は1947年生まれで、「団塊の世代」のトップランナーです。

これらの改革については、厚生労働省・医療団体の間で大枠の合意がありますが、いくつかの点で認識の違いがあり、論争が続いています。以下、地域包括ケアと地域医療構想の順に、そのポイント(事実)と私の判断・予測を述べます。私の報告は、2015年と2017年に出版した2冊の著書-『地域包括ケアと地域医療連携』と『地域包括ケアと福祉改革』-をベースにしつつ、最新の知見も加味して、地域医療構想を中心にして行います。

私の知る限り、韓国では地域医療構想と地域包括ケアに対応する改革はまだ実施されていません。しかし、少子・高齢化が日本より早い、世界一早いスピードで進行している韓国では、早晩、同様の政策が検討されるようになると思います。

1.「地域包括ケアシステム」のポイントと私の判断・予測

(1)制度のポイント

まず、地域包括ケアシステムのポイントを3点述べます。

第1:地域包括ケアシステムの法的定義は、2013年の社会保障改革プログラム法で、以下のようになされました。「地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、①医療、②介護、③介護予防、④住まい及び⑤自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」。このように地域包括ケアシステムは法的には5つの構成要素から成るとされています。

第2:地域包括ケアシステムは2003年に初めて公式に提起された時は介護中心で、病院は含まれていませんでした。当時は、地域包括ケアシステムに含まれる医療は診療所医療・在宅医療に限定されていました。しかし、地域包括ケアシステムの定義と範囲はその後少しずつ拡大され、現在では医療に病院も含むようになっています。

第3:安倍政権は本年に入って、従来の高齢者中心の社会保障制度を「全世代型」に改革すると表明しています。しかし、地域包括ケアシステムの法律上の対象は、介護保険法の場合と同じく、まだ、原則として65歳以上の高齢者に限定されています。

(2)私の判断・予測

次に、地域包括ケアシステムについての私の判断・予測を5点述べます。

第1:地域包括ケアシステムの実態は、全国一律に実施される「システム」ではなく、それぞれの地域で自主的に推進される「ネットワーク」です。そのために、各地域の実情と歴史的経緯により、地域包括ケアシステムの具体的姿は異なります。厚生労働省も最近はこのことを公式に認めるようになっています。例えば『平成28年版厚生労働白書』は、そのものズバリ「地域包括ケアシステムとは『地域で暮らすための支援の包括化、地域連携、ネットワークづくり』に他ならない」(201頁)と書いています。

地域包括ケアがネットワークであるということで重要なことが2つあります。1つは、その全国一律の中心はないことです。厚生労働省のある高官は、「誰が[地域包括ケアの]中心をになうのか、どのような連携体制を図るのか、これは地域によって違ってくる」と明快に述べています。そして、医療機関、特に「複合体」が中心になり地域包括ケアを推進している地域も少なくありません。もう1つ重要なことは、地域包括ケアを推進する上では、医療・福祉の垣根を越えて様々な職種が連携する「多職種連携」が不可欠であることです。

第2:地域包括ケアシステムは、建前としては全国のすべての地域を対象としていますが、主たる対象地域は今後高齢人口が急増する都市部、特に東京都を中心とする首都圏です。ただし、これは決して「地方切り捨て」ではありません。都市部は現在でも人口当たりの病院数や高齢者の入所施設数が不足していますが、今後の高齢人口の急増に対応して病院・施設を大幅に増やすことは困難であるため、在宅中心の地域包括ケアで対応する必要があるのです。それに対して、地方の多くは、今後の人口高齢化は緩やかであり、(一部では高齢人口が減少します)、しかも人口当たりの病院数や高齢者の入所施設数は都市部に比べて多いのです。

第3:上述したように、地域包括ケアシステムは法的には、65歳以上の高齢者を対象にしていますが、厚生労働省の社会・援護局(福祉部局)や厚生労働省関係の検討会(「地域包括ケア研究会」(田中滋座長)等)は、対象を「全世代・全対象型」に拡大することを提唱しています。つまり、地域包括ケアシステムの対象・範囲については、厚生労働省内にも微妙な意見の違いがあります。私は地域包括ケアシステムの対象拡大は妥当であると判断しています。現実にも、一部の先進的な地域では、対象を高齢者に限定しない独自の取り組みが行われています。例えば、日本福祉大学が存在する愛知県知多半島では有力なNPO法人が「0歳から100歳までの地域包括ケアシステム」を実践しています。

第4:地域包括ケアシステムに参加する病院は多様です。この点についての法的規定はありませんが、一般には200床未満の地域密着型の中小病院が中心と見なされています。ただし、一部の地域では大病院・大学病院も地域包括ケアシステムに積極的に参加しており、そのトップランナーは愛知県にある藤田保健衛生大学です。

第5:厚生労働省は地域包括ケアシステムの拡大で、患者の病院から「在宅医療等」への移行を目指していますが、狭い意味での「自宅」(my home)での死亡割合が増えるとか、それにより費用が抑制できるとは見込んでいません。例えば、厚生労働省の技官(医師等の専門資格を持った官僚)トップの鈴木康裕(やすひろ)医務技監は、保険局長時代に、次のように述べています。「大事なのは、在宅が安いと思われがちですが、サービスを"移動"して提供しなければいけないので、明らかに機会費用が生じます。特に医師は人件費が高く、移動が高額になります。その意味では、本当に孤立した自宅が効率的なのか、それともサービス付き高齢者住宅のように集まって居住し、下の階や近隣に診療所や訪問看護ステーションがある方がよいのか、在宅のサービス提供のあり方を考えなくてはいけません」。私はこの認識は非常にリアルだと思います。

ここで注意すべきことは、厚生労働省が用いている「在宅医療等」には、①狭い意味での自宅(my home)だけでなく、②公式の高齢者施設(介護保険法に規定された特別養護老人ホーム、老人保健施設、介護療養病床の3施設)、さらには③非公式の高齢者施設(法的には「住宅」とされているが、実態的には施設と言える有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅等)も含んでいることです。それに対して、日本語の日常用語では、「在宅」と「自宅」とは同じ意味で用いられているので、厚生労働省のこの独特な用語法は、さまざまな混乱を招いています。そのために、厚生労働省は、本年4月に当時の大臣の指示で、「在宅医療等」を「介護施設・在宅医療等」という用語に変更しました。ただし、厚生労働省はこの変更をきちんと広報しておらず、一般にはほとんど知られていません。

もう1つ、韓国からの参加者のために、②の公式の高齢者施設の法的位置づけについて補足します。先に述べたように、介護保険法上の高齢者施設は3つありますが、それぞれは他の法律でも規定されています。特別養護老人ホームは老人福祉法でも規定された「社会福祉施設」でもあります。老人保健施設は、医療法で規定された「医療提供施設」でもありますが、病院ではありません。介護療養病床は医療法で「病床」(大半は病院病床)と規定されています。実は1990年代後半に介護保険制度の創設が検討されていた時には、これら3施設の統合も検討されましたが、主として政治的理由から見送られました。また、介護療養病床と看護・介護体制が手薄い「医療療養病床」は、介護保険法上は2018年3月に廃止されることが決まっています。その多くは「介護医療院」に移行すると予測されています。

2.「地域医療構想」のポイントと私の判断・予測

次に地域医療構想のポイント(事実)と私の判断・予測を述べます。

(1)ポイント

まず、ポイントを4点述べます。

第1:地域医療構想の目的は「病院完結型の医療から地域完結型の医療への転換」と「競争から協調への転換」です。これは2013年にとりまとめられた「社会保障制度改革国民会議報告書」で初めて提起されました。「はじめに」で述べたように、日本は韓国と同じく私的病院中心なので、病院間で激しい競争が行われています。そのため、この2つの転換が行われれば、画期的と言えます。

第2:地域医療構想では、全国の47都道府県が、行政・医師会・病院団体等の合意により、第二次医療圏(「地域医療構想区域」)単位で、4種類の病床機能(高度急性期、急性期、回復期、慢性期)の必要病床数を推計し、それの実現を目指すことになっています。つまり、厚生労働省が一方的に実施するわけではありません。各都道府県の地域医療構想は本年3月にすべて作成されましたが、その中には医師会・病院団体主導で作成されたものも少なくありません。

第3:厚生労働省は、全国では、2025年の「必要病床数」は115~119万床となり、2013年の病床数135万床に比べ、16~20万床減少すると見込んでいます。先述したように全都道府県の「地域医療構想」は2017年3月までに作成されましたが、「必要病床数」減少には大きな幅があり、今後高齢者が急増する首都圏では逆に増加すると見込まれています。例えば、東京都では2025年には、今の病床数のままでは8000床不足する、つまり8000床の病床数の増加が必要とされています。

第4:地域医療構想推進の1つの手段として、本年4月に「地域医療連携推進法人」制度が発足しました。実は、この制度の検討は、安倍首相の2014年1月のダボス会議での、「日本にも、[アメリカの]メイヨー・クリニックのような、ホールディング・カンパニー型の大規模医療法人ができてしかるべき」との発言がきっかけになって始められました。

正確に言えば、「ホールディングカンパニー型法人」の出発点は、2013年8月にとりまとめられた「社会保障制度改革国民会議報告書」が、「地域における医療・介護サービスのネットワーク化を図る」一つの手段として非営利「ホールディングカンパニー」を提起したことです。この場合は、当然、大規模なものは想定されていませんでした。しかし、それとは別に、官邸直轄の産業競争力会議は、2013年12月に、「アメリカにおけるIHN(integrated healthcare network)のような規模を持ち、医療イノベーションや国際展開を担う施設や研究機関」を含む「大規模ホールディングカンパニー」(メガ事業体)の創設を提案しました。安倍首相の発言は、この提案に沿ったものです。

しかし、厚生労働省や日本医師会はそのような「メガ医療事業体」の制度化に強く抵抗し、最終的には、地域包括ケアシステムと地域医療構想を進めることを目的とし、事業範囲を原則として「地域医療構想区域」に限定した地域医療連携推進法人が制度化されました。

(2)私の判断・予測

次に、地域医療構想についての私の判断・予測を6点述べます。

第1:私は、地域医療構想は地域包括ケアシステムと一体的に検討する必要があると考えています。その理由は以下の3つです。①地域医療構想と地域包括ケアシステムは、社会保障改革プログラム法等の法律で、同格・一体と位置付けられています。②地域医療構想での「必要病床数」の減少は、今後、地域包括ケアシステムを構築し、現在の入院患者のうち約30万人を「在宅医療等」-先述したように、現在は「介護施設・在宅医療等」-に移行させることが大前提になっています。③大学病院や巨大病院等を除く大半の病院は、地域のニーズに応えるためにも、経営を維持・発展させるためにも、地域医療構想だけでなく、地域包括ケアにも積極的に関与する必要があります。

第2:私は、地域医療構想を推進しても必要病床数の大幅削減は困難であり、2025年の病床数は現状程度になると予測しています。ただし、この予測は「現状追認」ではありません。実は、2025年の病床数が現状程度ということは、実質17万床の削減を意味するのです。なぜか?日本では、今後、高齢人口が急増し、それに伴い、入院ニーズも急増します。厚生労働省も、「機能分化をしないまま高齢化を織り込んだ」場合、つまり「現状投影シナリオ」では、2025年の必要病床数は152万床となり、現在の135万床より17万床多くなると公式に推計しています。つまり、2025年にも現状程度の病床数ということは、実質17万床の削減になるのです。

第3:私はこのような17万床の実質削減は十分に可能だと判断しています。それには以下の4つの理由があります。①全国的にも、全都道府県でも、2025年までに高齢人口は増えますが、すでに人口減少が始まっている一部の地域では2025年までに高齢人口も減少し、それに伴い高齢者の入院ニーズも減少するため、必要病床数も減少します。②本年の介護保険法改正により、来年度から「介護療養病床」と看護・介護体制が手薄な「医療療養病床」(法的には両者とも病院。合計約13万床)の多くが「介護医療院」(先述したように、法律上は病院ではなく、「医療提供施設」)に移行します。介護医療院で提供されるサービスの中身は、現在の介護療養病床とほぼ同じですが、この移行(実態的には病院の定義の変更)により、最大10万床の病床が減ると見込まれています。③2014年の医療介護総合確保推進法で、公立病院を中心とした「休眠病床」(病床許可は受けているが長期間稼働していない病床)の返上が義務づけられました。休眠病床は現在約9万床もあると推計されています。④日本では1990年代以降入院率の減少と在院日数の減少が続いており、この趨勢は今後も、減少スピードが多少低下する可能性はあるが、継続すると予想されます。そのために、私は、厚生労働省は病床を無理に削減する施策を実施すべきではないと判断しています。

第4:私は、地域医療構想の実施をめぐって、今後、都道府県の地域医療構想調整会議を舞台とした行政と医療団体等の攻防が激化すると予測しています。ただし、日本の都道府県は医療政策についてのノウハウをほとんど持っていないので、医師会・病院団体の意向を無視して、一方的に病床を減らすことはできません。

第5:私は、地域医療構想を推進しても医療費削減は困難であると判断しています。私は決して「守旧派」・現状追認派ではなく、病床の緩やかな機能分化と「在宅ケア」の推進は必要だし、「高度急性期病床」の集約化・削減も必要だと判断しています。特に、大学病院の全病床を一律「高度急性期病床」と見なすのは非現実的です。しかし、地域医療構想を推進することによる医療費・介護費の抑制は困難であるとも考えています。その最大の理由は、日本の高齢者の健康水準は世界でもトップクラスであるため、今後の高齢者の急増に伴い、急性期医療ニーズも増えるからです。一部の医療・福祉関係者は、今後の高齢者医療、特に75歳以上の後期高齢者を対象にした医療では、「キュアからケアへの転換」が必要だと主張しています。しかし、もともと健康だった高齢者が脳卒中や心筋梗塞等の急性疾患を発症して病院に入院した場合、まず必要なのは「キュア」・急性期治療であり、それを行わずに最初から「ケア」のみを提供することは高齢者や家族の希望に反するだけでなく、社会的にもとうてい許されません。先述した2013年の「社会保障制度改革国民会議報告書」も「治す医療」から「治し・支える医療」(not 「支える(だけの)医療」)への転換を提唱しています。

第6:私は、地域医療連携推進法人は一部の地域を除いてほとんど普及しないと予測しています。地域医療連携推進法人は、一部では、今後の地域医療再編の「切り札」・「主役」と喧伝されましたが、本年4月に発足したのは4法人のみであり、今後も大きくは増えないと言われています。

地域医療連携推進法人で特に強調したいことは、厚生労働省がそれの普及に対して極めて慎重であることです。従来は、医療法や介護保険法等の改正で、新しい施設が創設された場合、厚生労働省は、少なくとも当初は、それの普及を奨励し、診療報酬・介護報酬でも優遇してきました。例えば、老人保健施設、療養病床、地域支援病院等です。それに対して、地域医療連携推進法人については、厚生労働省は、一貫して、「地域医療連携推進法人は地域医療構想推進の選択肢の1つ」と説明しています。最近東京で開かれた日本医療経学会のシンポジムでも、厚生労働省の担当者は、「行政が地域医療連携推進法人を強力に進めることはない」、「行政は中立的」、「[診療報酬で誘導するなどの]あめ玉は一切ない」と明言しました。私は、厚生労働省のこの説明は妥当だと判断しています。

私は、日本でも、地域医療構想の実施過程で、病床区分の明確化・棲み分けが10年単位で徐々に進み、それに対応して病院の再編が進むと予測しています。ただし、その主役は地域医療連携推進法人ではなく、大規模病院グループ・複合体主導の病院M&Aであるとも判断しています。

ここで誤解のないように。これは私の「客観的」将来予測であり、私の価値判断ではありません。私自身は、厚生労働省や医師会が強調しているように、今後の病院の機能分化と連携は、各都道府県の「地域医療構想調整会議」で自主的に議論・調整されるべきと考えています。この点とも関連し、私は、先述した2013年の「社会保障制度改革国民会議報告書」が、「医療問題の日本的特徴」として、欧州に比べた日本の病院制度の特徴(私的病院主体の「規制緩和された市場依存型」)を指摘し、今後の改革は「市場の力」でもなく、「政府の力」でもない「データによる制御機構をもって医療ニーズと提供体制のマッチングを図るシステムの確立」を提唱すると共に、「医療専門職集団の自己規律」を強調していることを強く支持します。これは、アメリカの高名な医療経済学者フュックス教授が提唱している、医療制度改革の「第三の道」です。

私の報告は以上です。

文献

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算141回)(2017年分その10:5論文)

論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○ヨーロッパとアメリカのジェネリック医薬品市場を比較する:価格、量、そして消費
Wouters OJ, et al: Comparing generic drug markets in Europe and the United States: Prices, Volumes, and spending. The Milbank Quarterly 95(3):554-601,2017.[国際比較]

医薬品価格の上昇は医療費予算を圧迫し、政策担当者はジェネリック医薬品(以下、ジェネリック)によりどのように費用節減ができるかを検討している。本研究ではまず、2013年のデータを用いてヨーロッパ13か国のジェネリックの価格と市場占有率を比較し、各国間のバラツキの程度を評価した。この結果を踏まえて、ヨーロッパとアメリカにおけるジェネリックの価格と利用についての最新の研究の文献レビューを行った。その際、2000年以降発表された、査読付き論文、灰色文献及び書籍を収集し、以下の3点について検討した:①ヨーロッパ諸国とアメリカの現行のジェネリック施策の概観。②ジェネリックの利用を増やし、ジェネリック市場での価格競争を促進する方策の同定。③米国の歴史的経験のケーススタディによるジェネリック施策の改革実施の障壁の探究。

主な結果は以下の通りである。ジェネリックの価格と市場占拠率にはヨーロッパ諸国間で大きなバラツキがあった。例えば、一般に用いられている価格指数に基づくと、スイスのメーカー請求価格は、平均して、ドイツの2.5倍、イギリスの6倍である。ジェネリックの数量シェアは、一番小さいスイスの17%から一番高いイギリスの83%まで大きな幅がある。アメリカでは歴史的にはジェネリックの価格は低く、その数量シェアも高かったが(2013年84%)、最近は一部の特許切れ医薬品の価格が急騰している。ヨーロッパとアメリカで実施可能な施策としては、ジェネリックの認可プロセスの迅速化、ジェネリック処方やブランド薬からジェネリックへの代替の義務化等がある。アメリカにおける「(ジェネリックへの)代替調剤法」(substitution laws)の歴史は、ジェネリック施策導入に影響する経済的、政治的、文化的問題を考える上で参考になる。

政府はジェネリック市場についての供給サイドと需要サイドの両面からの一貫した施策を実施すべきである。最優先すべきことは、より多くの医師、薬剤師および患者にジェネリックはブランド薬と生物学的に同等であることを確信させることである。ヨーロッパでもアメリカでも特定の利益団体が改革を妨害している。

二木コメント-48頁の長大論文で、医薬品価格政策研究者必読と思います。

○個別化医療とオーファンドラッグに対する国際的給付・価格付け戦略の文献レビュー
Degtiar I : A review of international coverage and pricing strategies for personalized medicine and orphan drugs. Health Policy 121(12):1240-1248,2018.[文献レビュー]

個別化医療(本論文では薬物治療に限定)とオーファンドラッグは以下の多くの点で共通している-両者とも、対象患者数は限られ、支払い者に請求された時点では効能と安全性について不確実性があり、しばしば価格が非常に高い。個別化医療の重要性が増していることを踏まえ、本文献レビューでは個別化医療とオーファンドラッグの国際的給付・価格付け戦略を要約する。併せて、それが治療薬開発のインセンティブ、支払い者の予算、及び治療へのアクセスと利用に与える影響も要約する。

PubMed等の文献データベースを用いて、2017年2月に一次データを含んでいる文献を探索した。最終的に69文献を同定し、それらには世界42か国の戦略が要約されていた。治療薬の評価基準も、患者の一部負担も、国により異なっていた。支払い者は主に臨床効果を評価し、費用を考慮する支払い者はごく一部だった。このような違いはオーファンドラッグへのアクセスの不平等を生んでおり、この傾向は人口の少ない国と所得水準の低い国で顕著だった。償還の不確実性が確定診断のための検査を抑制していた。支払い者に対する調査によると、彼らの主な不満は効果を比較するためのエビデンスがないことであった。それに対して、医薬品企業は支払い者が課すエビデンスの透明性を高めることを求めていた。堅固なエビデンスがない場合にも、オーファンドラッグは、個別化医療に比べて、はるかに給付決定を受けやすかった。

二木コメント-著者によると、個別化医療とオーファンドラッグの共通点に注目し、両者に対する保険者の戦略を比較した世界初の文献レビューだそうです。ただし、個別の国の制度・政策の詳細は紹介されていません。

○[アメリカにおける]参照価格と医薬品の選択・消費との関連
Robinson JC, et al: Association of reference pricing with drug selection and spending. NEJM 377(7):658-665,2017.[量的研究]

アメリカでは効能の類似した医薬品の価格帯が広く、公私の保険者は患者をより価格の低い選択肢に誘導する取組みを活発化している。参照価格では、保険者または雇用主は医薬品または治療処置の価格に償還額の上限を設定し、患者は差額を支払う。差の差・多変量回帰法を用い、アメリカにおける 1,302 の医薬品と 78 の薬剤クラスの処方と価格設定について、民間雇用主連合が参照価格制度を導入する前後の変化を分析した。調査対象群の動向を、参照価格の影響を受けない被用者の動向と比較した。2010~14 年に償還された処方 1,122,741 件を分析した。

参照価格導入は、対照群と比較して、以下の3つのことと関連していた:処方された薬剤に対して同じ薬剤クラス内で価格のもっとも低い参照薬剤が調剤された割合が高いこと(確率における差 7.0 パーセントポイント,95%信頼区間 [CI] 4.0~9.9)。処方 1 件につき支払われた価格の平均が低いこと(-13.9%,95% CI -23.8~-2.7)。患者の自己負担割合がより高いこと(5.2%,95% CI 0.2~10.4)。導入後最初の 18 ヵ月間で、雇用主の支出は対照群と比較し、 134 万ドル低く、被用者の自己負担額は 12 万ドル高かっ

以上から、アメリカでの参照価格導入は雇用主提供医療保険が適用される患者集団における医薬品選択および支出の有意な変化に関連していると結論付けられる。近年の医薬品価格の急騰により政策担当者は医薬品費用への関心を強めている。参照価格は今後の改革の選択肢になる可能性があり、新薬に高額の価格をつけたい企業は、それに見合った効果を示すことが求められるであろう。

二木コメント-参照価格による医薬品(ブランド薬)費用抑制の一部には、保険者から患者への「コストシフティング」も含まれることが分かります。

○[アメリカにおける]医療保険加入と健康-最近のエビデンスが我々に教えていること
Sommers BD, et al: Health insurance coverage and health - What the recent evidence tells us. NEJM 377(6):586-593,2017.[文献レビュー]

オバマケア導入後も、アメリカでは医療保険加入が健康と死亡に与える影響についての論争が続いている。本論文では、この点を検証するために行われた実験または模擬実験に基づく実証研究で、過去10年間に発表されたもの文献レビューを5つの論点別に行う。ただし非高齢者を対象とした研究に限定する。
「経済的保護と保険の役割」については、保険により加入者の経済的安定が増し、高額自己負担のリスクが減るとの強いエビデンスがある。「医療へのアクセスと利用」が改善することにも強いエビデンスがある。ただし、医療保険加入によるプライマリケア受診の増加が救急外来受診や入院に与える影響については逆方向のエビデンスがある。「慢性疾患医療とアウトカム」についてのエビデンスも一定していない。例えば、最近行われた有名な「オレゴン州研究」(メディケアの給付者をクジでランダムに選ぶ「自然実験」)によると、検査値の改善はないが、抑うつは相当改善した。「健康の自己評価」が相当改善することには強いエビデンスがある。

「死亡率」に関しては相対立する結果が得られている。「オレゴン州実験」の開始後1年後の結果では死亡率の低下は認められなかったが、他のもっと長期間追跡した実験で死亡率の低下を認めたものもある(例:5年間超の追跡で6%低下)。「保険加入の違い」について、メディケイドよりも民間保険の方が目標を効率的に達成できるとの主張もあるが、エビデンスはない。以上から、医療保険加入は健康を改善しないとの主張はエビデンスに反すると言える。

二木コメント-アメリカにおける医療保険の効果研究の最新の文献レビューです。トランプ大統領はオバマケアの廃止を執拗に目指しており、それを支持する共和党系議員や研究者は、医療保険加入の健康改善効果を否定しています。本論文はそのような主張への反論ともなっています。本論文によると、本論文の前の包括的文献レビュー論文は以下の論文です:McWilliams JM: Health consequences of uninsurance among adults in the United States: recent evidence and implications. The Milbank Quarterly 87(2):443-494,2009(対象は、2002~2008年に公表された論文。本「ニューズレター」では未紹介)。私は、この論文よりも、本「ニューズレター」61号(2009年9月)で抄訳した下記論文の方が有用と思いますが、なぜか本論文では引用されていません:「医療保険[の有無]が成人の[医療]利用と[健康]アウトカムに与える因果効果:アメリカの研究の体系的文献レビュー」(Freeman JD, et al: The causal effect of health insurance on utilization and outcomes in adults: A systematic review of US studies. Medical Care 46(10):1023-1032,2008)。

○イングランドでの2010年以降の医療・社会ケア統合のガバナンス:大きな期待はまたもや実現しない?
Exworthy M, et al: The governance of integrated health and social care in England since 2010: great expectations not met once again? Health Policy 121(11):1124-1130,2017.[政策研究]

医療・社会ケアの統合は長年政策立案者と実践家の目標となっている。しかし、この目標はいまでも捕らえどころがなく、その理由としては諸定義が矛盾していることやエビデンスが弱いことがあげられる。本論文では、TAPIC(透明性、アカウンタビリティ、参加、尊厳とケイパビリティの5つをガバナンスの要素とする)という分析枠組みを用いて、イングランドでの2010年以降の統合ケアのガバナンスを検討し、これらの5つのガバナンス特性がイングランドの統合ケアにどの程度応用可能かに焦点を当てる。統合ケアについてのイングランドの政策イニシアティブ(「よりよりケア基金」、「個人医療予算」、「持続可能性と変換計画」)の大半は長期間続いているが、統合ケアへの障壁もしばしば持続している。本論文は、統合ケアのアウトカム改善面での効果はいまだに明確ではないが、それでも統合ケアは人気のある政策目標であり続けていると結論づける。TAPICの枠組みのいくつかの要素は統合ケアに余り適合しないが、この視点を通して、統合ケアの論拠をより良く理解し、説明することが出来る。

二木コメント-イギリスの医療・社会ケアの統合は捕らえどころがなく、効果のエビデンスも不十分であるにもかかわらず、政策としては人気があるという状況は、日本の「地域包括ケア」と共通していると思います。同種論文としては、本「ニューズレター」134号(2015年9月)で紹介した「イングランドにおける医療・社会ケア統合-進歩と展望」(Humphries R: Integrated health and social care in England - Progress and prospects. Health Policy 119(7):856-859,2015.)も参考になります。

○[アメリカの]垂直統合についての一医師の見解
Berenson RA: A physician's perspective on vertical integration. Health Affairs 36(9):1585-1590,2017.[評論]

垂直統合は過去20年間以上も、医療提供制度の中心的特徴であり続けている。理論的には統合医療システムは費用をコントロールし質を改善するとされるが、最近の研究はそれが質の改善を伴わない価格と費用の上昇をもたらしていることを示している。それに対して医師が新しく設立された医師・病院のパートナーシップをどう見ているかについての研究は少ない。本論文で、私は文献と他の観察結果に基づいて、垂直統合が医師の専門職としての生活と個人生活に与える以下の5側面についてレビューする:①患者の医師受診のアクセス、②医師への給与支払い、③自律対垂直統合のサポート、④医師のプロフェッショナリズムと文化、⑤ライフスタイル。最後に、以下のように結論づける。医師の垂直統合システムとの提携や被用者化は動かし難い流れだが、政策当局はそれを、意識的にも無意識的にも、促進すべきではない。そうではなく、政策当局は垂直統合が生み出している高価格・過剰サービス利用を推奨するような現行支払い方式の欠点の手直しに取り組むべきである。

二木コメント-垂直統合のマイナス面を臨床医の立場から論じた珍しい評論(エッセー)です。なお、本論文でも引用されている、病院の垂直統合により保険から医療機関に支払われる価格・医療費が増加するとの文献レビュー(Williams CH, et al:2006)は、『地域包括ケアと地域医療連携』(勁草書房,2015,81頁)で紹介しています。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その156)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<その他>

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