総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻167号)』(転載)

二木立

発行日2018年06月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ:

1.論文「ロボット手術の保険適用拡大をどう評価するか?-『採算割れ』点数は新技術の普及を阻害するか?」を『日本医事新報』6月2日号に掲載します。

2.論文「韓国・文在寅政権の医療改革案と医師会の反対-混合診療をめぐる論争を中心に」を『月刊/保険診療』6月号(6月10日号)に掲載します。
両論文は「ニューズレター」168号(2018年7月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。

3.報告「私の大学院での論文指導法~二木ゼミナール編」を、6月24日(日)13時20分~4時20分に日本ソーシャルワーク教育学校連盟(ソ教連)研修室(品川)で開かれる「実践力のあるソーシャルワーカーを育てる『教授法』」【特別企画:大学院FD】で行います。

私以外の報告は次の2つです。「福祉系大学院カリキュラムガイドラインの取り組み状況と今後の展望-より良い大学院教育を目ざす全国各大学院の創意工夫」(報告者:大島巌氏)、「博士論文作成に伴う二重投稿に関する課題についての情報提供」(報告者:杉澤秀博氏)。

ソ教連加盟校以外の教員も参加できます。【特別企画】のみの参加費は5000円です。

特別企画の申込フォーム:https://pro.form-mailer.jp/fms/92dce1f6146283

会員校以外の「実践力のあるソーシャルワーカーを育てる『教授法』」参加費は20,000円。

それの申込フォーム:https://pro.form-mailer.jp/fms/32df4596144270

問い合わせ:ソ教連事務局 E-mail:kenshu@jaswe.jp


1. 論文:故植松治雄元日本医師会長が主導した2004年の混合診療全面解禁阻止の歴史的意義
(「二木教授の医療時評(160)」『文化連情報』2018年6月号(483号):16-23頁)

はじめに

植松治雄日本医師会元会長が本年3月7日に86歳で死去されました。先生は1990年4月から7期・14年間も大阪府医師会長を務められた後、2004年4月に日本医師会長に就任されました(任期2年)。4月15日に大阪で「偲ぶ会」が盛大に催され、私も参列しました。会では、茂松茂人大阪府医師会長と横倉義武日本医師会長が、それぞれ「追悼の辞」、「お別れの言葉」で、植松先生の日本医師会長時代の大きな業績として、小泉政権の絶頂期の2004年に混合診療解禁反対の国民運動を組織し、全面解禁を阻止されたことをあげられました。私も両先生のお話を聞きながら、その歴史的意義を再確認しました。ただし、それから14年の歳月が流れているため、医療関係者でもこのことを知らない方が多くなっています。そこで、今回はこの点を回顧し、私の植松先生への追悼に代えたいと思います。

小泉首相の混合診療解禁指示とその背景

日本の保険診療では原則禁止されている混合診療(保険診療と自由診療の併用)の解禁は、2000年前後から、政府関係の組織でも提唱されるようになりました。私が調べた範囲では、1998年の行政改革推進本部規制緩和委員会見解「規制緩和についての第1次見解」が最初ですが、そこでは「全面解禁」ではなく、既存の「特定療養費制度の見直し」にとどまり、大きな注目は集めませんでした。

2001年4月に発足した小泉純一郎内閣が6月に行った閣議決定「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(通称「骨太方針2001」)には、閣議決定としては初めて「公的保険による診療と保険によらない診療(自由診療)との併用に関する規制の緩和」が盛り込まれ、混合診療解禁論争が生じました。しかし、この方針に対しては、日本医師会等の医療団体が反対しただけでなく、自由民主党の厚生族等や厚生労働省も強く抵抗し、結局、2003年の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針について」では「特定療養費制度の見直し」に落ち着きました。

この流れを一変させたのが、2004年9月10日の経済財政諮問会議での小泉首相の「混合診療については、既に長い期間議論を行ってきている。年内に解禁の方向で結論を出してほしい」との指示です。小泉首相が混合診療に関して踏み込んだ発言をしたのはこれが初めてでした。

小泉首相は同年10月12日の衆参両院での所信表明演説でも、次のように述べました。「官でなければできない業務の範囲を明確化し、官業の民間開放を進めるため、官民対等な立場で競争入札を行い、価格と質の両面で優れた公共サービスを提供する市場化テストの導入に向けた作業を行うとともに、混合診療の解禁など、これまで官が強く関与してきた分野の改革を推進してまいります」。その結果、同年12月まで4か月間、政府内外で混合診療解禁論争が一気に燃えさかりました。

小泉首相のこの指示・所信表明演説の背景には、規制改革・民間開放推進会議が同年8月に発表した「中間とりまとめ-官製市場の民間開放による『民主導の経済社会の実現』-」が混合診療の全面解禁を提起したことがあります。この文書は、「主要官製市場の改革の推進」の第1に「医療分野」を取り上げ、しかもそのトップに混合診療解禁を掲げ、「具体的施策:平成16年度中に措置すべきこと」を以下のように強い口調で提起しました。「保険外診療の内容、料金等に関する適切な情報に基づいて、患者自らが保険診療に加えて当該保険外診療の提供を選択する場合には、『患者本位の医療』を実現する観点から、通常の保険内診療分の保険による費用負担を認める、いわゆる『混合診療』を全面解禁すべきである」(30頁)。同会議やその前身の総合規制改革会議が「全面解禁」を提起したのはこれが初めてです。

当時は小泉政権の絶頂期であり、しかもすべての全国紙は混合診療解禁について好意的に報道しました。特に、「読売新聞」は、小泉首相が「全面解禁」には触れていないにもかかわらず、「小泉首相が、混合診療について、『全面解禁する方向で年内に結論を出してほしい』と指示した」との誤った報道を繰り返しました(1:56頁)。その結果、医療関係者の間に、混合診療が今度は全面解禁されるとの危機感やあきらめが拡がりました。ただし、一部の医師や医療機関は混合診療解禁方針を歓迎しました。

植松会長が反対の国民運動を主導

それに対して、植松日本医師会長(当時)は、小泉首相指示の翌日(9月11日)に山形市で開かれた東北医師会連合会総会の講演で、次のように混合診療阻止の決意を述べました。「混合診療は、将来的に国民皆保険制度への弊害につながり、非常に危惧すべき問題である。国民皆保険制度を守るためには混合診療を許してはならない」。併せて植松会長は、混合診療の問題は年末が山場になるとして、国民運動の必要性を強調しました(2)

その後、植松会長は他の医療団体(35団体)と共に「国民医療推進協議会」を設立して10月21日に総会を開催し、それ以降、混合診療解禁反対の国民運動を主導しました。その結果、混合診療解禁反対の署名はわずか1か月間で全国で600万人分となり、衆参両院の320人が紹介議員となって、衆参両院議長に請願として提出され、12月3日に衆参両院の本会議で全会一致で採択されました。

上述したように、小泉首相が会期冒頭の所信表明演説で混合診療解禁に積極的に取り組む姿勢を示していたにもかかわらず、所信表明ときわめて異なる請願が採択されたことは過去に例がなく、国民運動の成果と言えます(『日本医師連盟ニュース』31号,2004年12月25日。現在も、ウェブ上に公開)。辰濃哲郎氏(ジャーナリスト)も、混合診療解禁反対の請願が全会一致で採択されたことによって、「外堀を埋められてしまった小泉と規制改革会議の悲願は、またもや打ち砕かれた」と評価しています(3:165頁)

ここで同じ12月に起きた、当時の植松会長の影響力の大きさを示唆するエピソードを紹介します。それは、総合規制改革会議(規制改革・民間開放推進会議の前身組織)が前年の2003年7月15日に公表した「規制改革推進のためのアクションプラン・12の重点検討事項に関する答申」関係資料に含まれていた、解禁により保険診療費が減ることを明示した図「『混合診療の解禁』の意義」(図(別ファイル) (PDFファイルPDF))が12月10日前後にウェブ上から突如削除されたことです。実は、植松会長は、この削除直前に発行された『週刊社会保障』12月6日号(2311号)のインタビューでこの図をいわば「動かぬ証拠」と示し、以下のように批判していました。「[この図では]現制度に比べて『混合診療』解禁後には、保険診療部分が小さくなっています。表向きは、『「混合診療」の解禁で患者の選択が拡大する』と主張していますが、公的医療保険を縮小し、私保険を拡大する狙いがあることは明かです」(4)。私は当時、規制改革・民間開放推進会議事務局はこの批判に反論不能なため、この図を削除したのだと推定しました(1:47-48頁)。ただし、この図はその後いつのまにか「復活」し、現在でも閲覧できます。

混合診療の部分解禁拡大で政治決着

混合診療問題は、最終的に、2004年12月15日、尾辻秀久厚生労働大臣と村上誠一郎規制改革担当大臣との間で「いわゆる『混合診療』問題に係る基本的合意」が結ばれ、それを小泉首相も了承する形で、政治決着しました。この合意では、「保険診療と保険外診療との併用の在り方」について、「『特定療養費制度』を廃止し、『保険導入検討医療(仮称)』(保険導入のための評価を行うもの)と『患者選択同意医療(仮称)』(保険導入を前提としないもの)とともに新たな枠組として再構成する」とされました。と同時に、この「改革は一定のルールの下に、保険診療と保険外診療との併用を認めるとともに、これに係る保険導入手続きを制度化するものであり、『必要かつ適切な医療は基本的に保険診療により確保する』という国民皆保険制度の理念を基本に据えたものである」とされました。この「政治決着の評価と医療機関への影響」については、別に詳しく述べました(1:45-57頁)

翌2005年の医療保険制度改革では、この「基本的合意」に基づいて既存の特定療養費制度に代えて、保険外併用療養制度が設置され、上記「保険導入検討医療」は「評価療養」に、「患者選択同意医療」は「選定療養」とされました。ただし、保険外併用療養制度の骨格は特定療養費制度と大きく変わりません。その結果、規制改革・民間開放推進会議が目ざした混合診療の「全面解禁」はもちろん、大幅拡大も見送られました。

当時の私の予測と植松会長の果たした役割

実は、私は「骨太方針2001」で、混合診療解禁を含む医療分野への市場原理導入(新自由主義的改革)が提起された直後から、「いずれの改革も全面的に実施されることはないと予測」し、その根拠として次の2つをあげました。「医療経済学的にみて、これらの改革はいずれも、医療費の増加を招くため、『医療費総額の伸びの抑制』という大目標に反する。(中略)もう一つは政治的理由で、これらの改革には厚生労働省も日本医師会も強く反対しているからである」(5:64-69頁)。医療経済学的理由は、2004年に、「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」と命名し、以下のように定式化しました。「企業の医療機関経営の解禁を含めた医療の市場化・営利化は、企業にとっては新しい市場の拡大を意味する反面、医療費増加(総医療費と公的医療費の両方)をもたらすため、(公的)医療費抑制という『国是』と矛盾する」(6:21頁) 【注】

小泉首相が2004年9月に混合診療「解禁の方向」の指示を出した時も、首相が「全面解禁」とは指示していないことに注目し、以下のように予測しました。「私は、今後も混合診療の全面解禁はありえず、最終的には、昨年[2003年]の一連の閣議決定通り、『特定療養費制度の見直し』=拡大で、両者の(再)妥協が成立すると予測している。拡大の程度・範囲は、今後の日本医師会を中心とした医療団体の運動が国民の支持をどのくらい得られるかにかかっている」(7)

これらの予測は大枠では妥当だったと思いますが、私も特定療養費制度が廃止されるとまでは予測できませんでした。それだけに、もし植松会長が主導した混合診療解禁反対の国民運動がなければ、混合診療の大幅拡大で政治決着が図られた可能性が大きいと思います。さらに、それを突破口にして、その後の診療報酬改定の度ごとに、財政難を口実にして、診療報酬の引き下げとワンセットで混合診療の拡大が繰り返されて国民皆保険制度の空洞化(給付範囲の縮小と患者負担の拡大)が徐々に進行し、それにより、社会の分断が促進された可能性もあります。

実は、植松会長の前任の坪井栄孝会長は、2000年以降、実態的には混合診療と言える「民間保険などを活用した自立投資」(現在保険給付されている腎臓移植や角膜移植さえ保険給付から外す)を提唱しており(5:34-36頁,8,9)、坪井会長の後任会長がこの方針を受け継いでいたら、混合診療解禁反対の国民運動は行われなかったと思います。なお、辰濃哲郎によると、植松先生は大阪府医師会の一期目だった1991年に、坪井会長の前前任の羽田春兎会長・執行部が「病室の差額ベッド料や病院給食費などの衣食住にかかわる特別なサービスについて、患者から保険外費用を負担してもらうアメニティ論を展開して」いたことに対して、「これが混合診療解禁への突破口になっていく恐れがあるとして、批判の急先鋒に立っていた」そうです(3:100頁)

その後も2004年「基本的合意」は維持されている

2004年の「基本的合意」により終息した混合診療解禁論争は、小泉政権以降も3回または4回ぶり返しましたが、いずれも短期間に終息し、現在に至るまで、混合診療を「一定のルールの下に」部分的・限定的に認める「基本的合意」は維持されています。

具体的な動きは以下の通りです。最初は、2007年11月に混合診療を禁止する厚生労働省の法運用には「理由がない」とする東京地裁判決です(10:76-82頁)。しかし2009年9月の東京高裁判決では厚生労働省の法運用を認める逆転判決が出され、さらに2011年10月の最高裁判決でそれが確定したことにより、混合診療についての法律論争は終結しました(11:66-70頁,12:55-64頁)。なお、東京高裁判決以降は、混合診療解禁論者・組織は、「全面」解禁論に代えて、「原則」解禁論を主張するようになりました。

次に、2009年に成立した民主党政権の周辺では、混合診療解禁論の変種と言える「ビジネスクラス論」(航空業界の「ビジネスクラス」に相当する混合診療を導入すべき)が主張されましたが、最終的には、2010年6月の閣議決定「規制・制度改革に係る対処方針」では、限定的な「保険外併用療養の範囲拡大」にとどまり、「混合診療」という用語も用いられませんでした(11:71-89頁)

第3に、2014年3月に規制改革会議は混合診療全面解禁に通じる「選択療養制度」の創設を提案しましたが、最終的には、同年6月に安倍首相の指示により、保険外併用療養制度とは別に「患者申出療養」を創設することで政治決着がなされました(13)。ただし、現在に至るまで、「患者申出療養」の適用はごく限定的にとどまっています(2017年6月末現在、技術数は4種類、実施医療機関数は24施設)。

これらとは別に、2011年以降行われた「TPP論争」では、日本がTPPに加盟すると、アメリカの要求により混合診療が全面解禁されるとの主張もなされました。私は日本のTPP参加には反対との意思表明をした上で、たとえ参加しても、混合診療が全面解禁される可能性はほとんどないこと、そもそもアメリカ政府もかつての方針を変えて、それを求めていないことを示しました(12:23-55頁,14:67-91頁)。この論争は、トランプ大統領がアメリカのTPP参加方針を撤回したことにより、自然消滅しました。

このように混合診療の全面解禁はもちろん、部分解禁もごく限定的にとどまっている直接の政治的理由としては、植松会長が主導した2004年の国民運動により、同年12月に混合診療解禁反対の国会請願が衆参両院で全会一致で採択されたことが大きいと思います。実は厚生労働省もこの国会決議をシッカリ「活用」しています。厚生労働省は、2008年に規制改革会議(規制改革・民間開放推進会議の後継組織)が「第3次答申」で混合診療の原則解禁を求めたことへの回答(「規制改革会議『第3次答申』に対する厚生労働省の考え方」2008年12月)で、「混合診療の原則禁止措置の撤廃を国民や患者の多くは求めていない」と一蹴したのですが、その根拠として、この国会決議=「国会の意思」とわが国最大の難病団体が混合診療に反対する意見書を国会に提出していることをあげました(10:87-88頁)

おわりに

以上、2004年を中心に、これまでの混合診療解禁論争とその帰結を回顧しました。植松会長は一期で退任しましたが、その後の歴代会長も、現在の横倉会長に至るまで、国民皆保険制度を守り、混合診療全面解禁に反対する姿勢を堅持しています。植松会長が呼びかけて設立された「国民医療推進協議会」(現在の参加団体は50団体)は現在も「国民医療を守るための国民運動」を継続しています。

私は、今後の医療制度改革でも、公的医療費の財源不足を理由にして、混合診療の「原則解禁」や部分解禁の大幅拡大が蒸し返される可能性は大きいと思います。しかし、日本医師会がそれへの反対姿勢を堅持すれば、平等な医療を支持する国民が常に7割を占める国民意識(15)、および上述した「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」とあいまって、今後も、混合診療の大幅拡大は阻止され、「必要かつ適切な医療は基本的に保険診療により確保する」国民皆保険制度が継続されると思います。

【注】混合診療原則解禁で公的医療費も増加する可能性 (12:61-63頁[補論]再掲)

医療経済・政策学研究者の間では、混合診療原則解禁により、少なくとも長期的には、私的医療費だけでなく、公的医療費も増加する可能性が大きいとの理解が一般的です。

手前味噌ですが、このことを最初に指摘したのは私です。私は、1991年に出版した『複眼でみる90年代の医療』で、「アメリカでは、全国民を対象にした公的医療保障制度が存在しないにもかかわらず、公費負担医療費が巨額な理由」として2つの「作業仮説」を提示し、2番目の作業仮説で次のように述べました(16)

「アメリカでは、中・高所得層対象の民間医療保険が提供する高水準の医療サービスに引きずられる形で、公的医療保障(メディケイドとメディケア)で給付される医療サービスの水準も引き上げられ、その結果公的医療費が急上昇するからである。/(中略)当然のことながら民間医療保険と公的医療保障との間には相当の給付水準格差が存在する。しかしそれでも、民間医療保険に引きずられる形で、公的医療保障の給付水準も引き上げられるのである。/アメリカでは、わが国に比べて、所得階層により受診する医療機関が相当分化している。そうではあっても、多くの医療機関には、民間医療保険加入者と公的医療保障加入者の両方が受診している。その場合、医師・医療機関は、機械的に、前者にのみ高レベルの医療サービスを提供し、後者には低レベルの医療サービスしか提供しないというわけにいかないことは想像に難くない」。

このロジックは、混合診療と保険診療との関係にもそのまま当てはまります。そこで、『21世紀の医療と介護』(2001年)では、このロジックを用いて、小泉政権が2001年6月に閣議決定した経済財政諮問会議「骨太の方針」に含まれていた「混合診療の自由化はない」理由を説明しました(11:68-69頁)。さらに、『医療経済・政策学の視点と研究方法』(2006年)[訂正:文献(12)で『医療改革と病院』(2004)と書いたのは誤記]では、「混合診療を全面解禁するためには、私的医療保険を普及させることが不可欠だが、私的医療保険が医療利用を誘発し、公的医療費・総医療費が増加することも国際的常識である」と指摘し、その根拠としてOECD "Private Health Insurance in OECD Countries "(2004,p.196)を引用しました(17)

他方、日本医師会医療政策会議も1998年度報告中の「いわゆる『混合診療』の帰結」の項で、次のように主張しました(18)。「混合診療は確かに短期的には公的保険の財政状況を緩和する可能性もあるが、長期的には、国民は質の高い医療を求める以上、より高い水準に合わせて医療費全体の水準を押し上げる可能性が高い。例えば、アメリカでは保険給付の良い保険者の患者を獲得するためにも病室のほとんどが個室となっており、設備もデラックスである。また日本でも高度先進医療の技術を保険に収載する声が高まり、その結果、順次収載されてきた経緯にも留意する必要がある。/したがって、混合診療を認めることは医療保険制度の根幹を揺るがすばかりではなく、医療費の抑制という観点からも決して好ましい選択ではない」。[植松氏はこの年度の医療政策会議の副会長でした]

日本医師会医療政策会議の中心メンバーの1人である田中滋氏も、「『患者一部負担増大策と混合診療論』批判」(2000年)で、混合診療導入は、医療の階層化に加えて、「資源配分効率の低下をもたらす危険性も高い」と以下のように警告しました(19)。「医療サービスに対しては、…消費者は(第三者払いを含めて)安さよりも技術進歩と高い質を望む」、「混合診療導入に対し、消費者は私保険購入によって安心感を高めようとするだろう。その際、私保険を上乗せで購入する所得層の人々への訴求ポイントは、『安さ』ではなく『質』となる」、「医療機関がそうしたニーズに応えると、質の向上と共に医療に要する費用と自由な部分の価格が上がっていく。米国の医療が典型例」、「規制緩和の論旨を一貫させるためには、質の向上に加え、①個々の医療行為の費用上昇、②総医療費の増加、③階層医療、④非効率化(少なくとも管理費用の増大)を受け入れる必要がある」。

文献

[本稿は『日本医事新報』2018年5月5日号掲載の「故植松治雄元日医会長の業績-混合診療全面解禁阻止の歴史的意義」(「深層を読む・真相を解く」(75)に大幅加筆したものです。]

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2. 講演録:「今後の超高齢・少子社会と医療・社会保障の財源選択-「地域包括ケアと福祉改革」序章をベースにして
(「神奈川県保険医新聞」2018年4月5日号・4月15日号)

【神奈川県保険医協会政策部が2月23日、日本福祉大学相談役・前学長の二木立氏を講師に招き、「今後の超高齢・少子社会と医療・社会保障の財源選択-「地域包括ケアと福祉改革」序章をベースにして-」をテーマに開催した医療問題研究会の講演要旨を今号から2号に渡り掲載します。(文責・編集部)】

厳しい世の中で明るい面を見る-悲観論は一面的

神奈川協会での講演は28年ぶりです。私はリハビリテーション専門医出身の医療経済・政策学の研究者です。今日は『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房,2017年)の「序章」「今後の超高齢・少子社会を複眼的に考える-医療・社会保障改革を冷静に見通すための前提」に大幅に増補してお話します。

まずは、今後の超高齢・少子社会についての3つの私の事実認識と「客観的」将来予測です。一番目は今後も社会の扶養負担は増加しない。二番目は日本の労働生産性伸び率は欧米と比べて低くない。三番目、日本は高医療費国になったといえない。さらに、おわりに、医療・社会保障の財源についての私の価値判断を話します。

なぜこの様な話をするのか。いま、医療・福祉関係者を含め広く国民に蔓延している悲観論、医療・福祉を充実した方がいいとは思うが財源がないと、みな腰が引けています。そういう悲観論は「一面的」であることを示すためです。「一面的」とは全て間違っているということではありません。「敢えて希望を語る」のが私の美学です。

どういうことか。私は2007年に出版した『医療改革』(勁草書房)で副題に「危機から希望へ」とつけました。2006年まで小泉政権の5年間の非常に厳しい医療・社会保障費の抑制策で、「医療危機」、「医療荒廃」が社会問題となり、医療関係者は絶望的な気持ちになっていました。それに対して私は、厳しい面があると同時に小泉政権の時代にはなかった希望の芽が生まれたことを強調しました。その後、予測通り、福田・麻生政権で社会保障の機能強化に変わり、2009年に民主党政権となり久しぶりに診療報酬のプラス改定となりました。

いま似たような状況があります。安倍政権の非常に厳しい医療・社会保障費抑制策で絶望的になる人がいます。もちろん厳しいが、それ以外の面もあることを強調します。暗い面と明るい面と両方、複眼です。私は明るいペシィミストです。

医療・社会保障改革年の目標は2040年に

3つの論点の前に、医療・社会保障改革の目標年が変わったことに触れます。社会保障・税の一体改革の公式の目標年は2025年ですが、いま政府・厚生労働省の文書は全部、目標年が2035年か2040年になっています。これを一番率直に言っているのが中村秀一さん。元内閣官房社会保障改革担当室長で社会保障・税一体改革の事務方の責任者です。『日経メディカル』2018年1月号のインタビュー「2040年を制度改革の射程に」で次のように述べています。官僚は政策を立てる場合、「長くても10年が限度です。あまり長期の計画にすると、政策的な現実性がなくなってしまう」ので「『社会保障と税の一体改革』において2025年と言いました」「ただ、実際には65歳以上の高齢者数は2040年くらいまで増え続けます。そこまで行くと医療・介護サービスの量的な確保という問題は終わって、その後は減少に向かいます。ですから、2025年の次の段階としては、高齢者数がピークを迎える2040年を念頭に置いて議論すべきではないかと言っている」。

具体的な政策は2025年を射程にしているが、それで終わりではなくて2040年までは射程に入れて考えないといけない。保険医協会さんが政策を作る場合でも同じだと思います。優秀な官僚はやめた途端に本音を語ります。現役の時に本音を語ると危ない、特に安倍内閣になってから内閣人事局で一元管理をしていますから。中村さんは今、発言をもっとも注目すべき方です。

社会の扶養負担は増加しない-厚労白書で"お墨付き"

第一の論点。今後も社会の扶養負担は増加しない。これを平成29年版厚生労働白書が認めたのです(図(略))。一般に社会の扶養負担というと、お年寄りを働く世代20~64歳(生産年齢人口)で支えるといわれます。かつて4人に一人だったのが2人に1人になり、将来は1人が1人を支える、とすごい危機意識を煽られます。しかし社会が支えるのは、お年寄りだけではありません。お子さんから大学生まで支えないといけません。ですから正確な指標は、(非就業者数÷就業者数)。分子は働いていない人、20歳までのお子さんから青年プラス65歳以上、これを働く世代が支えます。その比率は1970年から2050年まで1対1で変わらないのです。権丈善一・慶應大学教授を含めまともな経済学者は前から言っていました。日本で最初に指摘されたのは経済学の重鎮、伊東光晴先生。私も尊敬していますが、なんと1982年に指摘しています。その後も里見賢治氏や川口弘氏・川上則道氏も言っています。これが平成29年版厚労白書の「高齢者現役世代比と非就業者比の推移と予測」で、お年寄りを働く世代で養うのは7.4から1.9人となるが、非就業者に対する就業者の比率は80年代から2030年まで1人で変わらないことを示しました。これで、論争の決着がつきました。

ただここで注意しないといけないのは、これは社会保障の話ではなく、社会全体としての扶養の話です。1人あたりの国民の生活費のことで、医療関係者はなんとなく社会保障、医療というイメージでしょうが違います。私たちが生きていく上では社会保障給付費は当然入りますし、それ以外の公的給付費も入ります。具体的には教育費です。それから私費負担の生活費、これが圧倒的に多い。これ全部を支えないといけません。実はこれについての公式統計、年齢階級別のトータルな生活費のデータはありません。狭い意味での私費負担の生活費、例えば家計調査は家計単位で年齢階級別には出にくく、教育費も同様です。

よく、年寄りが社会保障費を滅茶苦茶使うのに比べれば、お子さんとか働く世代は使わないから、負担が重くなると言われます。違います。大学の学費は高い。日本福祉大学は福祉系の大学で比較的安いといっても年間100万円です。これが4年間です。それに対して、看護学部は年180万円です。理科系はそれぐらいです。若い世代は安くない。あと生活費でみるとお年寄りはあまり食べないので食費は少ない。社会保障費、医療・介護だけに限定するとお年寄りが多いように見えますが、トータルな生活費だと年齢別の差はあまりないのです。

ただし社会が創り出す冨のうち、どれだけを社会保障費あるいは公教育費にあてて、どれだけを私的生活で使うかは社会が選択することです。あくまでもトータルな生活費の扶養負担はそんなに増えないということなので、誤解のないように願います。

女性と高齢者の就業率向上が鍵-日本社会の大きな変化に注目

ではどうしたらいいのか。簡単です。女性と高齢者、さらに障害者でも働ける人はしっかり働いて、就業率の向上と労働生産性の向上が必要だということです。これさえしっかりやればなんとかなります。

私は卒業式の学長式辞で、卒業生に対して、急速な少子高齢化で将来、定年が最低限65歳、70代、75歳ぐらいになるかもしれないから、しっかり働くのですよ、と勧めていました。

前の世界医師会会長のマーモットさんの本、『健康格差』(日本評論社,2017)は耳目を集めましたが、私が注目したのは、高齢社会を支えるには「正規の引退年齢をすぎても働き続けるか、社会が引退年齢を変える必要がある」という記述です(214頁)。書評での引用は見当たりませんが、これは大事です。

その点では日本のお医者さん、特に開業医の就業形態は21世紀の「働き方改革」を先取りしています。定年などはなく、元気な範囲で65歳とか75歳とか、なかには90歳まで働いています。いままでだったら開業医の平均年齢が高齢化しているとマイナスに言われていましたが、これからのエンドレスに働く時代を開業医は先取りしています。私も少なくとも85歳まで研究・言論活動をします。

そして大事な変化が起きています。日本の女性と高齢者の就業率の上昇は始まっていて日本経済新聞(2/23)に「M字カーブ 女性30代離職減る」と載りました。かつての、20代では働き、30代で結婚して子育てで退職し、40代でまた働き出すM字型が、いまなくなっています。私も驚きましたが、いま日本の女性の就業率は7割で、アメリカやフランスより高い。それから、高齢者の就業率は今でも世界一高い。だから生産年齢人口は2010年ぐらいから下がっていますが、働く人の数はどんどん増えています。

日本老年学会等が2017年1月に高齢者に関する定義を変更し75歳以上を高齢者、65~74歳は准高齢者とすることを提言しました。2月16日に閣議決定された「高齢社会対策大綱」ではエイジレスに働ける社会の実現に向けた環境整備をうたっています。

ただ、留意すべき点が2つあります。ひとつは人口が減るのは間違いないので、GDP総額を今後大幅に増やすアベノミクスの600兆円は、夢のまた夢です。これからの成長の日本の指標は1人あたりGDPです。それが1%伸びればいまの豊かさは十分維持できます。他面、女性が働くことは、地域包括ケアがあてにしている互助力を低下させます。女性が働けば働くほど、インフォーマルケアを担う人は減ります。社会のGDPを増やすための女性の労働進出と地域包括ケアのインフォーマルケア、女性が互助で担う分との綱引きが起こると思います。

日本の労働生産伸び率は欧米と遜色ない

次に二番目の論点。日本の労働生産性伸び率は欧米と比べて低くないということです。「労働生産性」については日経新聞で、日本は産業全体でも医療・福祉でも生産性が低いと言われます。しかし、労働生産性という概念はすごく曖昧で、一番厳密な労働生産性は、本来は「物的生産性」、つまりひとりの労働者がどれぐらいのモノやサービスを作り出すかということです。それに対してマクロ経済学では、「付加価値生産性」が使われます。「付加価値生産性」とは、労働者1人当たりの「利潤+賃金」です。日本の医療・介護の付加価値生産性がアメリカより低いとよく日経新聞が書くのですが、それは当然です。アメリカは公定医療価格がなくて病院や診療所が日本的な基準だとぼろ儲け、株式会社の病院は10%超の利益率があたり前です。一方で医師や看護師の賃金、技術料がべらぼうに高い。それに対して、日本は診療報酬が厳しく抑制されているから利益率は低い。しかも医療や、ましては介護の人たちは賃金が安いから、医療機関等の付加価値は少ない。だから日本の医療や介護の付加価値生産性を高めるとしたら、診療報酬、介護報酬を上げれば、いっぺんに高くなります。しかし、日経新聞はそういうことは絶対にいわないのです。

もうひとつ面白いことがあります。経済産業省の研究所が出した、日本とアメリカの全産業の付加価値生産性の比較では、産業によってどっちが高いかはバラバラです。ただ、なんと医療の生産性は日本がアメリカより57%高い!という数字が出ています。興味のある方は、森川正之さんの『サービス立国論』にサマリーや英文レポートが出ています。読みましたが随分、厳密です。労働生産性の国際比較は国によって定義が違うからあてになりません。あてになるのは各国の生産性の伸び率、これはその国で定義が一定なので、これで比較するといい。そうすると、これもすばらしいことに、日本の1995年以降の1人当たりの労働生産性(もちろん付加価値生産性)はアメリカとヨーロッパと同じです。日本が遅れてはいません。

労働生産性の向上に連動しない日本の賃金上昇率

数年前に大流行したフランスの経済学者ピケティの『21世紀の資本』には「1人当たりGDP成長率は1980年以降、あらゆる富裕国でほぼ完全に同じ」と書かれています。

最近の日本の『エコノミスト』の2月20日号のデータで、2010年から16年の直近のデータをみると日本の1人当たり労働生産性の伸び率は先進国でトップクラスです。ただ日本とアメリカ、ヨーロッパとの違いがあります。それは、米欧は労働生産性の伸び率に応じて賃金もパラレルに上がっているが、日本は労働生産性が上がっていても1人当たりの賃金が上がっていない。極めて変わった国です。その結果、企業の内部留保が急増して2016年度は406兆円(財務省『2016年度法人企業統計』)。たった1年で28兆円も増えています。

「400兆円を超えるといわれる企業の内部留保を給与に還元することも重要になる。賃金上昇をもたらすことが公費や保険料の増額につながり、社会保障の充実、雇用創出・雇用拡大・経済成長や地方創生などの好循環を築く」。これはみなさん大賛成でしょう。これを誰が言ったかご存知ですか。横倉・日本医師会会長です。『Medical QOL』という雑誌の2018年2月号に載った去年10月に開かれた講演会での発言です。

横倉会長はマスコミ的には安倍首相と仲がいいから、保険医協会の方は凄く悪いイメージを持っているかもしれませんが、違います。横倉会長は格差の問題にもものすごく敏感です。わたしは慶應大教授の権丈氏と同じく日本医師会会長が直轄の医療政策会議の委員をずっとやっていますが、そこで聞いていても本当に見識があると思います。

日本は高医療費国になったと言えない

それから三番目の論点ですが、日本は高医療費国になったとは言えないということです。これまでは厚労省も政府も日本の医療費のGDP比はOECD諸国の中では低い方であるというのが枕詞になっていました。ところが、一昨年から新しいOECDの統計で日本の医療費の水準(対GDP比)は加盟国中第3位。1位は当然アメリカ、2位がスイス、3番目が日本、4番目がドイツで、日本経済新聞などが日本は「高医療費国」になったと言っています。これでたじろいだ人もいますが、理解が足りないと思いました。

理由は二つです。ひとつは、日本がこの20年間、人口高齢化が一気に進んでダントツの人口高齢化国になったことです。私も1990年代までは医療費の国際比較は対GDP比でやっており、日本が低いのでもう少し上げるべきだといっていました。当時、人口高齢化の程度は日本でもヨーロッパでも違いはなかったので、これで問題ありませんでした。しかし、いまは日本がダントツに高いので、各国の人口高齢化率の違いを補正しないといけません。

死亡率はそのように比較します。日本の「粗死亡率」は人口高齢化でどんどん上がっていますが、人口構成の影響を除いた「標準化死亡率」という指標をとると、どんどん下がっています。そのために日本は世界で平均寿命のもっとも長い国のひとつなのです。当然、医療費でも同じことをやるわけです。それをやると決して日本の医療費は高くありません。

日医総研のレポートで、縦軸に保健医療支出、横軸に65歳人口比率をとると、日本は絶対額だと高く見えますが、人口高齢化を補正するとやや低いと出ています。これと同じことを今年の厚労白書が認めました。縦軸を社会支出(医療に介護、年金なども含んだもの)、横軸に高齢化率をとり傾向線をとると、医療以上に日本は外れ値となります(図(略))。厚労白書は読むに値します。紹介したこの二つの図はもっと保険医協会で使ったらよいと思います。

それともうひとつ医療費が高い理由ですが2011年にOECDは「医療費」の定義を変え、簡単にいうと介護保険の費用も含んでしまいました。実は日本の65歳以上1人当たり公的長期ケア費用はG7ではトップで北欧諸国の次に高いのです。 イギリス、ドイツ、アメリカなんて目じゃありません。介護保険が始まる前、1990年代までは日本はぐんと低かったのですが、介護保険でどんどん上がったのです。

介護保険に批判的な人も多いのですが、客観的・世界的にみると日本の介護給付費は、なかなかいい線いっているのです。北欧諸国は例外です。スエーデンがすばらしいといっても、神奈川県と同じぐらいの人口です。そんなところと比較しても意味がないと思います。

しかし、このような事実をマスコミは報道しません。だから一般に医療費のGDP比が高いというと狭い意味での医療費が高いと連想します。ただ、今の医療費は医療費プラス介護費であわせるとすごく高い。人口補正しないと高いという話なのです。

社会統合の最後の砦、国民皆保険-憲法25条と「13条」が基礎

これから、今後の医療・社会保障費の財源についての私の価値判断を述べます。

医療・社会保障費の厳しい抑制が続けられた場合には、社会的格差がさらに拡大し、国民統合が弱まる危険があります。その予防のためにも、「社会保障の機能強化」が必要である―と本に書きました。いまの第2期安倍政権がはじまって、2013、14、15年度と3年連続で社会保障給付費水準すなわち対GDP比が下がっています。これは小泉政権の時代にもなかったことです。安倍政権の医療・社会保障費の抑制は小泉政権より厳しいのです。

私が一番強調したいのは、「国民皆保険制度は現在では、医療(保障)制度の枠を超えて、日本社会の「安定性・統合性」を維持するための最後の砦になっている。逆に言えば過度な医療費抑制政策により、国民皆保険制度の機能低下・機能不全が生じると、日本社会の分断が一気に進む」であり、これが一番言いたいことです。

医療関係者が国民皆保険を守れというと、自分たちの生活を守るんでしょうと言われますが違うのです。今、社会の分断がどんどん進み格差社会と言われている中で、社会を底支えしているのが、国民皆保険制度なのです。

だから、社会の崩壊を防ぐためにこそ国民皆保険制度は大事だということを是非保険医協会も強調されたほうがよいと思います。実は私はこのことは最近ではなく、1994年から言っています。

1994年に『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』(勁草書房)を出版したときに、「公的医療費の拡大による日本医療の質の引き上げと医療へのアクセスの確保が、わが国の安定性・統合性を維持・発展させる上でも不可欠」である、と書きました。このことは大変うれしいことに、この4月に公表される予定の日本医師会の医療政策会議の報告書の序章にも書きこまれました。日本医師会のトップの共通の認識となっています。

ただ注意してください。国民皆保険とはなんぞや。国民が、正確に言うと生活保護を受けている人以外が全部医療保険に加入しているだけではないのです。それに加えて給付がある程度高い水準にあることが前提になるのです。具体的にいうと、「社会保障として必要かつ十分な」「最適の医療が効率的に提供される」、こういう国民皆保険制度と民間非営利医療機関主体の医療提供体制の維持、これが私の言う国民皆保険の根本の柱です。この表現は実は、みなさんが今でも恨んでいる小泉政権の時代の2003年3月の閣議決定「医療制度改革基本方針」です。

一部では、現在の制度の諸悪の根源は1983年の吉村保険局長の「医療費亡国論」だと言われていますが、吉村保険局長ですら1984年のいわゆる健康保険抜本改革時の国会答弁で、「健康保険では必要で適切な医療を給付します」と明言しているのです。さらに小泉政権ですら、これを言葉としては認めざるを得ない。これはすばらしいことです。日本の医療保障は医療従事者の犠牲的な労働もあるけれど、給付水準は決して悪いものではない。自己負担は多いですけれど。

では医療保障の憲法的基礎は何でしょうか。多分、多くの方は憲法25条だ、「健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」だと言うでしょうが、それは古いのです。憲法25条は法体系上は生活保護の憲法的基礎です。最低水準です。さっき触れた「必要かつ十分な最適水準」は憲法25条だけでは説明できません。いまは社会保障の憲法的な基礎は25条(生存権)プラス13条(幸福追求権)、この両方が憲法的基礎となっているというのが多数派の理解です。これは社会福祉士の国家試験のテキストにも書いてあります。保険医協会でよく呼ばれる日野秀逸先生や伊藤周平先生などの左派の社会保障研究者も、最近は皆そのように言っています。

その上で今後の日本の医療・社会保障改革が5年、10年単位でどう動いていくかをみるための必読文献は「社会保障制度改革国民会議報告書」(2013年8月)です。私はこれが提起した「負担能力に応じた負担」(応能負担の強化)には大賛成です。ただこの原則は税負担(累進制の強化等)と社会保険料(標準報酬月額等の上限引き上げ)にのみ適用されるべきであり、患者・利用者負担は無料または低額の定額・低率の定率負担が望ましいと思っています。これは保険のイロハのイです。負担は応能負担、しかし給付は貧しい人も、豊かな人もみんな平等だよ、という大変いいロジックだと思います。

主財源は保険料、補助的に租税

問題は財源です。日本の社会保障制度の歴史を考えると、社会保障の中心はこれからも社会保険であり、 主な財源は保険料、補助的財源が消費税を含む租税です。これしかないと思います。

現実を考えてください。いま国会に議席を有する全ての政党が「国民皆保険制度の維持(堅持)」を主張しています。

国民皆保険制度を維持するとなると当然、社会保険制度なので主財源は社会保険料となります。この点に関してはプロの世界、医療の実態や医療政策を知っている人の間では、保険医協会もそうだと思いますが、医師会、医療団体だけでなく、医療経済・政策学の研究者、厚生労働省担当者、それから財務省も、基本的にはこのことで合意があります。

ただし、医療制度に詳しくない財政学者や社会学者の中では、社会保険方式に対する原理的な批判が今でも物凄く強いのです。理由は二つあります。ひとつは「社会保険料負担の逆進性」は消費税より強いということと、もうひとつの批判は保険料を払えない人を排除する、排除原理があることです。

私も恥ずかしながら『21世紀初頭の医療と介護』(勁草書房,2001)では、「負担の逆進性は、医療保険料や介護保険料のほうが、消費税よりはるかに強い。なぜなら上限があるからです。消費税は上限がありません。」と理解し、社会保険料の引き上げに消極的でした。けれどもその後、いろんな研究者や厚生労働省関係者などと話をして、現実的には社会保険料を中心とせざるを得ないという結論に達しました。2006年にそのことを明言し、2008年に「主財源は社会保険料と判断するまでの[私の]試行錯誤」(http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/20080701-niki-no047.html)に正直に書いています。

負担の逆進性とか排除原理に関し税金の方がいいというのは違います。公費だったら排除原理がなくなりますか?違います。生活保護を考えてください。生活保護の捕捉率は2割です。生活困窮者のうち生活保護を受けられる方はせいぜい2割、3割です。いま福祉事務所の水際作戦があります。公費になったら排除されないというのは嘘です。

それから逆進性が強い点ですが、現金給付のレベルで言えばその通りです。保険料や消費税は、社会保障の現金給付であれば逆進性があります。しかし注意して欲しいのはいまの消費税は社会保障に使うとなっています。社会保障には現物給付があります。医療がそうですし、介護もそうです。だから財政学者や社会学者がいう逆進性はお金の話なのです。しかし現物給付も含めた再分配というと消費税が逆進的とは必ずしもいえない。

私は、財源は理念で選択してはいけないと思っています。実現可能性を見ないといけません。医療費増加の財源選択は財源調達力と(相対的な)政治的実現可能性の両方から判断すべきだと思っています。

いまから10年前、「霞ヶ関埋蔵金」という話がありました。民主党も埋蔵金を使えば18兆円財源が出てきて国民負担を増やさなくても医療・社会保障費が充実すると言っていました。私は、民主党政権が成立する前に書いた論文で、こんなものに固執していると、「今そこにある危機」=医療危機がさらに進んでしまうと指摘しました。2009年に民主党への政権交代が起きて何が起こったか。埋蔵金を見直しして1兆円も浮きませんでした。だから撤回です。民主党政権は埋蔵金で財源が出来ないという社会実験でした。いまでも言っている人は、歴史を勉強していないと思います。

まとめると、社会保険方式の維持は全員一致しています。これしかありえません。そうなると大雑把にいうと保険料が5割です。税金が今は3割強、しかし、制度が変わらなくとも税金はいずれ4割になります。なぜなら、高齢人口が増えるからです。

原理ではなく事実から出発する

日本の国民の「租税抵抗」は強い。増税の難しさを考えると、現実的には、社会保険料を主とする財源確保しか道はないのです。消去法です。この10年みてみると公費は増えていませんが、社会保険料は確実に増えています。税は増やすためには法律を変えないといけないが、保険料は法律を変えなくても上げられます。だから社会保険料で5割はカッチリ確保します。そのために保険料を上げます。その際、低所得者に配慮するのは当然です。

ただ大事なのは、主財源は社会険料ということは、社会保険料のみを財源とすることではありません。だから私は、消費税は「社会保障の機能強化」のための重要財源だと考えてはいますが、租税財源を消費税のみに頼るのは危険であり、租税財源の多様化(所得税の累進制の強化、固定資産税や相続税の強化、法人税率の引き下げの停止や過度の内部留保への何らかの形での課税強化等)が必要だとも思っています。この点に関しては日本医師会の医療政策会議の報告書をとりまとめた権丈氏も、全ての税目を増税するプラスアルファ増税、財源は全員野球と主張されています。これも共通の認識になっていると思います。よく誤解する人がいますが、財源を消費税で全部カバーできるなどとは誰も思ってはいないんです。社会保険料で半分、公費3割か4割の主財源が消費税、だけれどもそれ以外も何でもかんでも持ってくる、ということをしないと無理となるのです。

この間、日医の医療政策会議の報告書をまとめるため財政学者の論文を色々と読みましたが原理主義的で、税か社会保険料の二者択一。こんな議論は無意味です。なぜか。今の日本の医療制度、社会保障制度は歴史的に言って租税と社会保険料のミックス方式なのです。くわえて高齢者医療では財政調整が1983年から行われています。財政調整とは、社会保険料として集めたお金をそれぞれの保険毎に高齢者の割合で調整して配ることです。それは社会保険料ですか?税金ですか?中間です。だから既に純粋の税、純粋の社会保険料、グレーゾーンの三位一体で日本の社会保障の財政は支えられています。そんな時代に社会保険料はおかしいとか、税でといったって何の意味もありません。税だと排除論理や逆進性がなくなるということもありません。これは運用の問題です。結論からいうと財源の問題は原理から考えてはいけない。事実から見るしかない。私のモットーは複眼でみる、です。『複眼でみる90年代の医療』(1991年,勁草書房)の序で「原理からではなく事実から出発する」と書きました。これはエンゲルスの言葉です。折角ですので紹介しました。

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算147回)(2018年分その3:7論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○画期的治療[先端医療医薬品]の資金調達:体系的文献レビューと勧告
Hanna E, et al: Funding breakthrough therapies: A systematic review and recommendation. Health Policy 122(3):217-229,2018.[文献レビュー]
先端医療医薬品(advanced therapy medicinal products.以下、ATMPs)は高価格となりがちな画期的治療法である。医療費支払い者は画期的治療への患者アクセスの保証と医療制度の経済的持続可能性の維持とのバランスを見出すための手引きを必要としている。本研究の目的は、文献で提案されている高額医薬品の資金調達のための様々な方法を同定し、定義し、比較し、それにより適切なATMP資金調達を分析し、ATMPの最適な資金調達モデルを示唆することである。

画期的な高額治療法の新しい資金調達モデルを示唆している48論文を同定した。モデルは以下の3つに分類された:①資金調達の同意(financial agreement)、②健康アウトカムに基づく合意、③ヘルスコイン。資金調達の合意に含まれる方法は以下の通りである:価格割引、リベート、価格と数量の上限設定、価格・数量合意、ローン、費用への一定額を上乗せした価格、知的ベースの支払い(intellectual-based payment)、基金からの支払い。健康アウトカムに基づく合意は、医薬品のパフォーマンスに基づいた製造者と支払者間の合意と定義され、パフォーマンスに基づく支払いと、エビデンスがある場合のみの給付に分けられる。ヘルスコインは新たに提案されている交換可能な通貨であり、金銭的価値をアウトカムの増加に割り当てている。
すでにたくさんの数のATMPが開発されているので、医療費支払い者がこれらの方法についてよく考えるべき時期が来ている。個々のATMP別の基金が、医療制度の持続可能性を脅かすことなく、患者のイノベーションへのアクセスを保証する合理的な解決法かもしれない。

二木コメント-革新的な高額医薬品の資金調達についての諸提案を鳥瞰できる便利な文献で、医薬品の費用対効果評価担当の行政官や研究者必読と思います。

○[アメリカにおける病院の]医療システムへの加盟[等]が病院資源利用の密度と医療の質に与える影響
Henke RM,et al: Impact of health system affiliation on hospital resource use intensity and quality of care. Health Services Research 53(1):63-86,2018.[量的研究]

本研究の目的は、病院の医療システムへの加盟、医療システム本部への意思決定の集中化及びマネジドケア保険の所有が入院患者の費用と質に与える影響を評価することである。44州の3957地域病院の退院患者データとアメリカ病院協会の2010~2012年調査のデータを用いた。病院内クラスター化退院データの階層的モデリングを用いて、後ろ向き時系列回帰分析を行った(データ収集の詳細は省略)。

医療システムに加盟している病院(2278病院、57.6%)は独立病院(1679病院)に比べて、1退院当たり費用と医療の質(心筋梗塞、心不全、脳卒中の死亡率等で評価)の両方が高かった。特に集中化している医療システム(457病院)では1退院当たりの費用は最も高く、在院日数は最も長かった(ただし、差はわずか)。マネジドケア保険を保有している独立病院はそれ以外の独立病院に比べて、1退院当たりの費用と医療の質の両方が高かった。以上の結果から、医療システムとマネジドケア保険を有する病院の増加は、医療の質を高め可能性があるが、入院費用を削減することはありそうもないと結論付けられる。

二木コメント-病院の医療システムへの統合が医療費増加をもたらすことを「再確認」した最新の大規模研究です。日本では、2014年に松山幸弘氏等により、アメリカの「メガ医療事業体」・IHNが医療の質を高めつつ、費用を節減しているとの主張がなされましたが、本論文によりその主張は棄却されます。もっとも、病院統合が費用の増加をもたらすことは、すでに2006年と2016年の体系的文献レビューにより確認されていました(『地域包括ケアと地域医療連携』勁草書房,2015,78-81頁)。

○アメリカの医療市場における病院と医療保険の市場集中と入院医療の取引価格
Dauda S: Hospital and health insurance markets concentration and inpatient hospital transaction prices in the U.S. health care market. Health Services Research 53(2):1203-1226,2018.[量的研究]

本研究の目的は、病院と医療保険の市場集中が入院医療サービスの取引価格に与える影響を検討することである。病院と医療保険の市場集中は、アメリカ病院協会とHealthLeaders-InterstudyのデータをTruven Health MarketScan Databaseから得られる2005-2008年の病院入院患者の費用データとリンクさせて測定した。誘導型価格方程式を用い、その際操作変数法により費用・需要のシフト要因と市場集中の内生性を調整した。

その結果、病院集中度の上昇は価格の上昇を、保険集中度の上昇を価格の低下をもたらすことが示唆された。同規模の5病院のうち2病院が合併すると仮定した場合、価格は約9%上昇すると推計された。同様の医療保険の合併では、価格が約15.3%低下すると推計された(両推計ともp<0.001)。このことは、2003~2008年の病院合併により価格が2.6%上昇し、医療保険の合併により価格が10.8%低下したことを意味している。より長期間のパネルデータを用い、病院の固定効果も組み込んでも、病院合併により価格が上昇することが確認された。以上の結果は、入院医療サービス価格の上昇を抑制するための反トラスト法の執行強化を支持している。

二木コメント-本研究でも、医療にも市場原理が完徹しているアメリカでは、病院合併は入院医療サービス価格を上昇させることを再確認しています。

○がん専門医はどのくらい稼いでいるか?腫瘍科と放射線科の医師料金と支払いの高所得国間比較
Boyle S, et al: How much do cancer specialists earn? A comparison of physician fees and remuneration in oncology and radiology in high-income countries. Health Policy 122(2):94-101,2018.[国際比較研究]

アメリカの高医療費の主因は医師に支払われる料金が他国と比べ非常に高いことだと信じられている。放射線科と腫瘍科の医師所得を、支払われる公的料金、提供されるサービスの容量(人口当たり両科医師数)と数量の側面から、5か国(アメリカ、カナダ、オーストラリア、フランス、イギリス)間で比較した。
腫瘍科医師の診察料には各国間で3倍の差があり、放射線科では4倍以上であった。超音波検査とCTスキャンの料金にも同様に3~4倍の差があった。両科ともアメリカの医師の所得(earning)は他国より高く、イギリスの医師の3倍であった。カナダの両科医師の所得はヨーロッパの医師よりも相当高かった。

二木コメント-上記要旨は簡潔かつ常識的ですが、5か国のがんに関する医療保障制度の違いを踏まえた緻密な分析です。

○[アメリカの]一大学病院システムにおける医師の医療費請求・保険関連業務に関わる事務管理費用
Tseng P, et al: Administrative costs associated with physician billing and insurance-related activities at an academic health care system. JAMA 319(7):691-697,2018.[事例研究・量的研究]

アメリカの医療制度の事務管理費用は総医療費の重要な要素であり、その相当部分は医療費請求・保険関連業務(以下、請求業務)に関わるものである。本研究の目的は、公認の電子記録システムを有する大規模大学病院医療システム(病床総数1500、医師数1600人余)における医師の請求業務に関わる事務管理費用を推定することである。本研究では「時間主導型活動基準原価計算」(time-driven activity-based costing)を用いる。27人の医療システム管理者と34人の医師に2016・2017年にインタビュー調査を行い、請求業務のプロセスマップを作成した。個々の請求業務を集計して総費用を推計した。請求事務が生じる場は次の5つに分類した:プライマリケア診療、救急外来、一般内科病棟、日帰り手術、入院手術。

それぞれの場における1件当たりの請求業務の時間と費用は以下の通りである(カッコ内はそのうち、医師に関わるもの):プライマリケアでは13分、20.49ドル(3分、6.36ドル)、救急外来では32分、61.54ドル(3分、10.97ドル)、一般内科病棟では73分、124.26ドル(5分、13.29ドル)、日帰り手術では75分、170.40ドル(15分、51.20ドル)、入院手術では100分、215.10ドル(15分、51.20ドル)。医師収入(revenue)のうち、請求業務に関わる費用は、プライマリケアでは14.5%、救急外来では25.2%、一般内科病棟では8.0%、日帰り手術では13.4%、入院手術では3.1%と推計された。

二木コメント-診療の場別の医療費請求業務の時間と費用を総数と医師分に分けて緻密に推計しています。このような一医療システムの「業務報告」が、超一流雑誌であるJAMAに掲載されることは、医療費請求業務がアメリカ医療の大きな重荷になっていることを示しています。ただし、私にはこれは公私医療保険の様々な医療費支払い方式が乱立しているアメリカ医療の「無駄の制度化」(都留重人氏)の現れに思えます。

○[アメリカでの初回入院とは]別の病院への再入院が在院日数と死亡率に与える影響
Burke RE, et al: Influence of nonindex hospital readmission on length of stay and mortality. Medical Care 56(1):85-90,2018.[量的研究]

病院と医療制度は患者の退院後のアウトカムに対する説明責任をますます負うようになっているが、初回入院とは別の病院への再入院の頻度と、それと初回入院と同じ病院への再入院(index hospitalization)との予後の違いについてはよく分かっていない。そこで、退院後30日以内の初回入院とは別の病院への再入院の頻度を、2013年に全米21州の非連邦立急性期病院から生存退院した全成人患者の退院後30日間の追跡調査データを用いて検討した。重み付け標本数は2204病院からの22,884,505退院であった。

全退院患者の退院後30日以内の再入院率は11.9%であり、そのうち22.5%が初回入院とは別の病院への再入院であった。別の病院への再入院は、初回入院と同じ病院への再入院と比べ、死亡率のオッズ比が高く(1.21。95%信頼区間:1.17-1.25)、在院日数も長かった(ハザード比0.87。95%信頼区間:0.86-0.88)。この傾向は、メディケア患者、在宅ケアを受けるかナーシングホーム入所した患者等でも変わらなかった。

二木コメント-この病院でまず驚かされるのは、アメリカの急性期病院の退院後30日以内の再入院率の高さ(11.9%)です。

○医療・社会プログラムの資金調達方法としてのソーシャルインパクトボンド:懸念事項
Katz AS: Social impact bonds as a funding method for health and social programs: Potential areas of concern. American Journal of Public Health 108(2):210-215[評論]

ソーシャルインパクトボンド(社会的インパクト投資の一つ。以下、SIBs)は社会サービスや健康増進プログラムの資金調達の新しい方法であり、それでは様々なタイプの投資家が資本の先行投資を行う。もし当該プログラムが事前に決定されたアウトカム基準を満たせば、政府は投資家に成果報酬を加算した費用の払い戻しを行う。SIBsはイギリスで2010年に最初に導入された後、アメリカやヨーロッパのいくつかの国、それ以外の国でも導入されている。
我々は市場ベースの保健医療・社会サービス改革やSIBsの資金調達メカニズムの進化を検証した文献からいくつかの懸念を同定し探究する。それらの懸念には、政府が負担する費用の増加、プログラム範囲の限定、政策決定の断片化、公的サービス提供の削減、社会的問題の根本原因の誤った特徴付け、および系統的に生み出された脆弱性の固定化がある。SIBsの公衆衛生への潜在的影響を評価する際には、長期的、集合的かつ文脈を明確にした視点から、それの効果を検討する必要がある。その際、SIBsを支持するためにしばしば用いられる「常識的」議論の基礎になっている諸過程そのものを見直す必要がある。

二木コメント-日本でも保健福祉分野のソーシャルインパクトボンド事業が2017年度から、経済産業省と厚生労働省により推進されていますが、その利点のみが強調される傾向があります。本論文はそれの「解毒剤」として有用と思います。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その162)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<その他>

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