総研いのちとくらし
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コメントノート

「理事長のページ」 研究所ニュース No.46掲載分

中川雄一郎

発行日2014年05月31日


はじめに

最近年、世界の協同組合人(co-operators)と協同組合研究者の多くが一斉に取り組んだイベントに「国際協同組合年」(IYC)がある。IYCは、周知のように、2009年の国連総会で「2012年をIYCとする」ことが決議されたことによるのであるが、その決議の背景には、国連が世紀の転換期に世界の国と人びとに呼びかけた、貧困撲滅のための「ミレニアム開発目標」(MDGs)に世界の協同組合組織が取り組んできた事実があった。国連が承認しているように、「貧困撲滅」といった人類的な問題や課題に――非営利組織(NPO)であり非政府組織(NGO)でもある――世界の協同組合が真剣に取り組んできたのには、国際協同組合同盟(ICA)をはじめとする世界の協同組合組織や協同組合人にそうすることの意味や意義を指摘した――ICA大会に提案・採択された――文書があったからである。A.F.レイドローの『西暦2000年における協同組合』(Co-operatives in the Year 2000)、言うところの「レイドロー報告」である。

レイドロー報告は、1980年10月――この同じ年の1月に旧ソ連はアフガニスタンへの侵略を開始した――にモスクワで開催された第27回ICA大会に提出され、採択されたのであるが、それ以後30年以上にわたって協同組合人や協同組合組織に影響を与えてきた。そのことは、1992年10月に――ICAの歴史上初めてヨーロッパ以外の東京で開催された第30回ICA大会(「ベーク報告」)と、1995年にマンチェスターで開催されたICA100周年記念大会(「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」)を振り返ってみればよく分かる。

これら2つの大会報告の内容は、まさにICAモスクワ大会の提案者であるレイドローがより多くの協同組合人と協同組合組織に明確に理解され、かつ承認してもらいたかった「報告の本旨」をかなりの程度認識したものであった。とりわけ後者のICA大会でリーダーシップを発揮した――レイドローと同じカナダの協同組合研究者である――イアン・マクファーソン(ヴィクトリア大学教授)はレイドロー報告の本旨を十分に理解し認識していた。

そのマクファーソンも主張しているように、レイドロー報告の最も重要な部分は、第V章「未来(将来)の選択」で提示された「4つの優先分野」(「世界の飢えを満たす協同組合」・「生産的労働のための協同組合」・「持続可能な社会のための協同組合」・「協同組合コミュニティの建設」)である。というのは、この「4つの優先分野」は、これまでの協同組合の事業と運動の枠や規範を超え出た協同組合の機能と社会的役割を思慮する「方法論」を明確にしていたからである。これら4つのリストは、まさに「協同組合事業の直接的なニーズ」から協同組合人の思考と志向を引き離して、もっと幅広く社会的、人類的に重要な目的や目標に彼・彼女らをして注視させるよう促すリストに外ならなかったのである。要するに、レイドロー報告の本旨の第1は、現代世界における協同組合の事業と運動のより重要な目的・目標が何であるかを協同組合人に理解させ、認識させるべく導こうとしたことである。本旨の第2は、本旨の第1を協同組合の事業と運動に着実に埋め込んで実質化させていくのに必要な経済-社会的な能力を創り出していくことである。具体的には、政府・公的機関によって構成される「公的セクター」(第1セクター)と多国籍企業や資本主義的大企業の「営利セクター」(第2セクター)との「二大権力」に対抗し得る拮抗力(countervailing power)となる「民衆の力」を支える「第三の力」たる「非営利セクター」(第3セクター)の支点あるいは作用点としての協同組合セクターの育成を遂行することである。レイドローは既に1974年の時点でこのような「協同組合セクター」論を提起し、それに基づいて協同組合セクターをコアとする第3セクターが「世界が抱えている重大な未解決の経済問題」の解決を図るための「4つの方法」を提言していた。「4つの方法」とは、(1)地球の諸資源を分け合う方法、(2)だれが何を所有すべきかという方法、(3)土地の果実(食料)と工業製品を分け合う方法、(4)各人が必要な部分を公正に取得できるシステムを整える方法、である。

こうして見てくると、レイドロー報告の本旨は、世界的な視野を以て現代協同組合の事業と運動を「特定の事業と運動から社会的に普遍的な事業と運動へ」と広げていくよう協同組合人を動員させることであった、と言ってよいだろう。レイドロー報告のそのような実践的指針は「未来(将来)の選択」として決して間違っていない、と私は考えている。協同組合の事業と運動が「特定なものから普遍的なものへ」と進化していくプロセスは、世界的、地球的な、したがって、人類的な課題や問題に取り組むことと、協同組合の事業と運動が拠って立つ地域コミュニティやより広いコミュニティの課題や問題に取り組むことの相補性を求めるからである。言葉を換えて言えば、「自治、権利、責任、参加」をコアとするシチズンシップが、人間的な価値や尊厳、自然的、環境的な価値、それに経済-社会的な価値を――「協力・協同する人間の本来的関係」に基礎を置く「協同の倫理」を育成していくことにより――相互に補完し合うよう確かなものにしていくのである。こうして、協同組合人は、協同組合の事業と運動を通じて、ますます開放的になり、閉鎖的で排他的な性格のあらゆる制度や権力・勢力と対立し、それらを克服しようと努力するのである。

2つの協同組合研究会

さて、前置きが長くなってしまったが、私は、IYCを挟んで、協同組合の事業と運動の未来を見据えた「協同組合の新たな指針」たるべきものの再想像・再創造を視野に入れた、極めて意欲的な2つの協同組合研究会に関わってきた。1つは全労済協会が主催する「協同組合新理論研究会」とそれを引き継いだ「協同組合 未来への選択研究会」であり、もう1つはJC総研主催の「新協同組合ビジョン研究会」である。

‹全労済協会主催の研究会›

前者は、3月11日午後2時46分に生起したマグニチュード9.0の巨大地震と大津波、そしてそれによる福島第1原発事故が人間と自然と経済と社会を町や村やコミュニティごと吞み込んでしまった「東日本大震災」が起こるおよそ20分前に明治大学研究棟の会議室において研究会の主旨や大まかな研究計画などの打ち合わせを済ませた「研究会」である。じつは、研究会の予定された開始が危ぶまれたのであるが、むしろそのような状況であるが故に、予定通りの3月29日に全労済協会にて第1回研究会が開催され、第2回は約3週間後の4月22日に行なわれている。とはいえ、この研究会が本格的に始動するのは5月30日の第3回研究会からである。そしてこの研究会の成果が翌2012年5月に『協同組合を学ぶ』と題する書物として日本経済評論社より上梓された。それは、まる1年の時間を費やして作りあげられた作品である。

この研究会は、「間、髪を入れず」にメンバーも同じ(第2次の)「協同組合 未来への選択研究会」に引き継がれた。「未来への選択研究会」では、「生協」を前面に出しながらも、協同組合の「普遍的特徴」をベースに協同組合の事業と運動の未来志向型が模索された。言うまでもないことだが、「未来志向」にはしっかりした現状分析が必要である。その意味で、この研究会は「地に足を置いた未来への選択」を追究してきたのである。本年5月末に当研究会の成果が『協同組合 未来への選択』を――同じく、日本経済評論社より――上梓された。全労済協会としては2011年5月から2014年5月までの3年間で『協同組合を学ぶ』と『協同組合 未来への選択』を上梓したことから、協同組合研究セミナーを開催することを考えているようである。

‹JC総研主催の研究会›

私は後者の研究会とは――「前史」、すなわち、JC総合研究所の前身である「協同組合経営研究所」時代の研究会を含めると――かなり長いお付き合いの間柄であるが、ここではそのことに触れずに、2010年9月に設置されたJC総研の研究誌『にじ』の編集責任(座長)を仰せつかってから現在までおよそ4年を数えることになる。また経営研究所からJC総研に名称を変更してからは――私の大学院ゼミをベースに――主に明治大学(駿河台)で公開研究会を開催するようになり、公開研究会での報告者が『にじ』にその内容を論文として提出する、という極めて合理的な方法が採られるようになった。

JC総研はまた、協同組合研究史を含めた9つの研究テーマを決定し、各テーマに基づいて『にじ』編集委員により構成される「新協同組合ビジョン研究会」を立ち上げ、協同組合の「新ビジョン」と「協同組合研究史」を論究する作業を実施してきた。詳細は割愛するが、このおよそ4年に及ぶ新協同組合ビジョン研究会は、本年5月に2種類の研究成果を家の光協会より上梓した。1つは『協同組合は「未来の創造者」になれるか』であり、もう1つは『協同組合研究の成果と課題』である。特に後者は、日本協同組合学会初代会長の(故)伊東勇夫先生が中心となって仕上げられた『協同組合事典』(家の光協会、1980年)以後世に出ていないのであるから、その意味でも重要な研究成果であると言うべきだろう。

新協同組合ビジョン研究報告

2014年5月16日に明治大学の最新の校舎、グローバル・フロント(大学院専用棟)1階のグローバルホールにおいて新協同組合ビジョン研究に関わる講演と生協と農協の実践報告、およびそれらの講演と実践報告に対するパネルディスカションが行われた。講演者は、私の他に田中夏子さんと大高研道さんの3名である(3名とも「いのちとくらし」の会員)。田中さんは協同組合における参加の課題を、大高さんは協同組合における教育活動の課題を論じた。田中さんと大高さんの講演は、研究の跡がよく分かるじつに有意味な内容である。

さて、私の講演であるが、「協同組合は『未来の歴史』を書くことができるか:協同組合運動の新地平をめざして」がその演題であり、演題からして何やら取っ付き難いと思われていたようである。その証拠に、私のレジュメはわずか2ページの、しかも内容にまったく触れない「小タイトル」を羅列しただけのものである。それに対して、田中さんはパワーポイントを駆使し、課題や問題点に説明を加え、論理の流れが分かるようになっており、大高さんも課題や問題とそれへの対応の骨子を聴く人に分かるよう丁寧に認(したた)めてあった。

私のレジュメは次のものである。

はじめに

1.レイドロー報告の本旨は何か

2.協同組合のエートス

3.協同組合と「4つの優先分野」

4.コミュニケーション・コミュニティとしての協同組合

[地域コミュニティ][人間関係のコミュニティ]

5.むすびにかえて

*レイドロー報告を「超える」ための「われわれ」の闘い

そこで私は、このようなレジュメに従って、私が用意しておいた「コメントノート」に沿って大方のところは話を進めることができたので、ここにそのコメントノートを記しておくことにする(しかし、持ち時間の都合で一部分触れることができなかったことを断っておく)。

1.いま、なぜ、「協同組合の新ビジョン」を追究するのか

2012年は国連が決定した「国際協同組合年」であった。おそらく、各国の協同組合人は自国の協同組合の発展の重要なステップとして「国際協同組合年」を位置づけ、それに応じた試みを行なったことであろう。周知のように、日本にあっても、「現代日本の協同組合の経済-社会的機能と役割」を多くの人たちに正しく理解し認識してもらうことを目的に、「協同組合憲章検討委員会」を設置し、「協同組合憲章草案」の作成がなされ、以て政府に協同組合憲章の制定を働きかける、という努力がなされた。この「協同組合憲章草案」作成の全般的な努力のプロセスは、現在、「国際協同組合年記念全国協議会」に引き継がれている。

ところで、私は、後者の全国協議会の努力のプロセスは、前者の憲章検討委員会のそれよりももっと幅広く「協同組合の内と外」を視野に入れる必要があると考えている。というのは、全国協議会の具体的な仕事(Duty)は、「レイドロー報告を乗り越える」、つまり、レイドロー報告をaufhebenする――レイドロー報告の本旨を現代に見合った、より高い段階で活かしていく――ことだと私は考えているからである。

レイドロー報告については、A.F.レイドロー自身をよく知る(故)イアン・マクファーソン教授の指摘が参考になる。彼は「レイドロー報告の特徴」をこう指摘している。

2.これらの「特徴」から現代の‹われわれ›は何を学びとるべきか

これについて、私は、いわゆる「ヘーゲル哲学における3つの基本テーゼ」、すなわち、「精神は‹われわれ›であり、‹歴史›であり、そして‹歴史のなかで自己を知る›」に基づいて説明してみよう(以下、これについては、城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫、1997年を引用、参照している)。しかし、ここでは、簡潔に、「われわれ」とは特定の集団(例えば、協同組合)を通じた生活によって創られる「共同性」=「協同性」を意味し、しかもこの「共同性」=「協同性」は多くの自立した「われ」が存在する「われわれ」によって成り立つ「共同性」=「協同性」であり、「『われわれ』である『われ』と、『われ』である『われわれ』」とによって為(な)される「『共同』(=『協同』)と『個の自立』との統一」であることを意味する。

そこで次であるが、「『共同』(=『協同』)と『個の自立』とが統一されている」ことを確信するのは、「他者を介してである」ことが理解され、かくして、「自己意識」は「その充足を他者の自己意識においてはじめて達成される」ということになる。換言すれば、「自己意識」、すなわち――「他者を意識する意識」ではなく――「自己を意識する意識」、「自分は自分一人で生きているのではなく、他者との関係のなかで生きていることを意識する意識」が生み出される。こうしてヘーゲルは「自己意識は承認されたものとしてのみ存在する」と強調する。かくして、自己意識は「精神の概念が実現される場」となり、したがって、自立した個々人は「社会で生きる自覚」を明確に意識するのである。ヘーゲルの言う「承認」、すなわち、「承認の必要性」こそ「すべての人間の尊厳を承認する闘い」でもあるのだ。

ヘーゲルはさらに、「承認の構造」を明らかにして、こう論じる。「自己意識は自己自身を他者のなかに見いだす」ことによって、‹われわれ›は「自分‹われ›が他者と人間関係を結ぶなかでこそ、自分われ›に対する期待、自分われ›の果たすべき役割、自分われ›のなし得ることについて意識する」のであり、したがって、‹われわれ›は「人びとがお互いに承認し合っている」ことを「承認する」のである、と。

こうして自己意識は「‹われわれ›である‹われ›」を基盤とすることによって形成されるのであるが、そのために自立した個人一人ひとりが他の諸個人を自由な「自己意識」として相互に承認し合うことで「協同」(=共同)を実現するよう求めるのである。実際のところ、そうすることは‹われわれ›にとって「極めて困難な営為である」が、にもかかわらず、「人類は長期にわたる歴史を通じて、そのための諸契機を準備してきたのである」。「そうした歴史的営為のなかにこそ精神が存在するのである」。要するに、精神は「人間の歴史的営為のなかに、たとえ自覚されなくとも、自らを現わしている」のである(第2のテーゼ「精神は歴史である」)。

「意識、自己意識、理性を経て精神に達する」とされる第3のテーゼの「歴史のなかで自己を知る」の「歴史」は、世界史的には「古代ギリシア、古代ローマ、中世、啓蒙時代、フランス革命――そして‹われわれ›が生活している現代を加えて(中川)――」である。この歴史のなかで人間は「精神の存在」を自覚する、ということである。要するに、自己意識は「人間は共同性=協同性なしに、すなわち、社会から離れて生きることはできない」ことを教えているのであって、したがって、人間は、自らの生きる対象の総体が世界であることを認識するのであるから、世界史のなかで自らを理性的存在として自覚しようと努力し、自分を知ろうとするのである。まさに人間はそうすることで、意識せずとも、自らを普遍的な存在にしていくのである。これこそが、個々人が自分自身を社会の構成員として自覚していくプロセスなのである。このプロセスこそ、自立した個人一人ひとりが「個人的行為の社会的文脈」を確認するプロセスであり、また「自立した個人」と「社会の普遍性」との「共存」である、と「われわれ」はみなすのである。

このような「3つの基本テーゼ」を簡潔に見てきたのであるが、最後に次のことを付け加えなければならない。それは、「自己意識は行動しなければならない」、このことを理解することである。なぜなら、現実の、実際の行動が「精神」を生み出すからである。ゲーテが言うように、「はじめに行為ありき」なのであって、「はじめに言葉ありき」ではないのである。「‹われ›に対する期待、‹われ›の果たすべき役割、‹われ›のなし得すること」といった意識は、‹われわれ›がお互いに「‹われわれ›である‹われ›」を「自由な自己意識」として「承認し合っている」ことを「承認する」からである。

3.協同組合の「未来の選択」は「普遍的」でなければならない

協同組合の事業と運動の具体的な内容とヘーゲル哲学の抽象的な内容は、じつは、「協同組合のイデオロギー」、「協同組合のアイデンティティ」、あるいは「協同の倫理」と「参加の倫理」――「シチズンシップ」と言ってもよい――を協同組合の事業と運動に明確に位置づけるためのアプローチである。そしてこのアプローチに導かれて、協同組合人はレイドロー報告の「未来を見据える」鳥瞰図を描けるように行為し、活動し、思考しなければならない。そうすることによって、現代の協同組合人はレイドロー報告を乗り越えることができるのである。なぜなら、レイドロー報告が真に願っていたこと、協同組合人による「個人的行為の社会的文脈」が「協同組合の事業と運動の普遍性」の何であるのかを明らかにすること、このことを現代の協同組合人は「自己意識」として世界に向けて発信し、行為し、行動に移すことになるからである。協同組合人は「世界をどう見るか」、「協同組合の未来をどう俯瞰するのか」、すなわち、「協同組合に対する期待」・「協同組合の果たすべき役割」・「協同組合のなし得ることは何か」を世界に向かって明らかにしなければならないのである。

4.コミュニケーション・コミュニティとしての協同組合は「未来の歴史」を書くことができるか

レイドロー報告の最も重要な部分は、第Ⅴ章「未来(将来)の選択」である。すなわち、協同組合の事業と運動が世界の人びとのために「果たすべき役割」、「実際になし得ること」、それに「彼らの期待に応えること」を実現していく実践的指針を創り出すことである。これは、「4つの未解決の経済問題」の解決のためのアプローチを踏まえた「4つの優先分野」での取り組みを事業と運動のなかで実質化させていくことを意味する。具体的には、(1)良質な食料の確保、(2)より良い雇用の促進、(3)持続可能な社会のために来たるべき諸問題に取り組む、そして(4)より良い地域コミュニティの建設、である。

そこで、私としては、これら4つの優先分野での取り組み、すなわち、「普遍的で社会的な目的」の達成をめざす協同組合の事業と運動のアプローチは、私が提起した「3つのアプローチ」の関門を越え出ることができるのだろうか、と問うことになる。私が提起した3つのアプローチとは、(1)「制度のアプローチ」、(2)「成果(結果)のアプローチ」、(3)「過程のアプローチ」である。これら3つのアプローチはそれぞれ協同組合の事業と運動の「機能」・「目的(・目標)の到達点」・「協同の倫理と参加の倫理に基づく社会的潜在能力」を検証するのであるから、協同組合の事業と運動がこれらのアプローチに耐えられるのであれば、協同組合は――したがって、協同組合人は――「未来の歴史」を書くことができるし、それ故にまた、「未来の創造者」としてその名を付すことができるであろう。

このような「普遍的で社会的な目的」を有する協同組合は、「コミュニケーション・コミュニティとしての協同組合」であることを自ら立証し、「自立した個人と社会的普遍性との共存」を体現している、と言われるであろう。なぜなら、コミュニケーション・コミュニティとしての協同組合は「国民的に特有な形態の市民社会から国境を越えた言説に至るまで、社会のすべてのレベルで存在することが可能」であり、また「それが原則として合意によってのみ解決可能な真理への積極的参画を特徴とするからである」(山之内靖・伊藤茂訳『コミュニティ:グローバル化と社会理論の変容』NTT出版、2006年)。

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