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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻35号)』(転載)

二木立

発行日2007年07月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


1.拙講演録:世界の中の日本の医療と今後の医療改革-医療者の自己改革と「希望」を中心に

(2007年6月17日NPO法人みんなの歯科ネットワーク設立記念シンポジウム・基調講演。口演原稿に一部加筆)

はじめに-私の医療経済・政策学研究と言論活動の2つのスタンス

本日は、「世界の中の日本の医療と今後の医療改革」について、「医療者の自己改革と『希望』を中心に」、医療経済・政策学の視点から、概括的にお話しします。本題に入る前に、私の医療経済・政策学研究と言論活動の2つのスタンスについて述べます(1,2)。

1つは、医療改革の志を保ちつつ、リアリズムとヒューマニズムとの複眼的視点から検討すること。もう1つは事実認識と「客観的」将来予測と自己の価値判断に3区分して検討することです。ここで、「客観的」将来予測とは、私の価値判断は棚上げして、現在の政治・経済・社会的条件が継続すると仮定した場合、今後生じる可能性・確率がもっとも高いと私が判断していることです。

私は、このような2つのスタンスから、医療政策の光と影(積極面と否定面)を複眼的に分析するようにしており、いたずらに危機意識をあおることは避けてきました。しかし、昨年からは、小泉政権が5年間実施した厳しい医療費抑制政策が臨界点を超え、このままでは日本の医療は崩壊の危機に瀕すると危機感を持つようになりました。それだけに、論文や講演では「よりよい医療制度」を目指した改革と「希望」の芽を語るようにしています。

以下、大きく3つの柱に分けてお話しします。第1の柱「世界の中の日本の医療」は私の事実認識、第2の柱「よりよい医療制度をめざして」は私の価値判断、そして、第3の柱「敢えて『希望を語る』」は私の事実認識です。

ここでお断りが2つあります。1つは、本日は、時間の制約があるため、医療制度改革についての私の「客観的」将来予測には触れないことです。この点に興味のある方は、文献(3)をお読み下さい。もう1つのお断りは、この基調講演では、歯科医療については触れないことです。私は、自分のよく知っていることのみを話し、知らないことは話さないことにしていますので、悪しからずご了承願います。

1.世界の中の日本の医療-私の事実認識

1)小泉政権の5年間の医療費抑制・患者負担拡大政策の帰結

第1の柱「世界の中の日本の医療」については、「小泉政権の5年間の医療費抑制・患者負担拡大政策の帰結」と「世界の中での日本医療の質の複眼的評価」の順にお話しします。

小泉政権は5年間、歴代の自民党政権と比べてもはるかに厳しい医療費抑制・患者負担拡大政策を強行しました。その中心は、2002年の健康保険法改正による健康保険本人の自己負担率の引き上げと診療報酬の史上初の引き下げ、および2006年の史上最大の診療報酬引き下げと医療制度改革関連法の成立です。

その結果、日本の医療費水準はG7(主要先進7か国)中最下位だが、患者負担割合は「最高」になりました。医療費水準の指標は2つあるのですが、総医療費の対GDP費は2004年から、1人当たり医療費(購買力平価)はそれよりも2年早い2002年から、G7中最下位になりました(4)。やや意外なことに、「国内総医療支出」(国民医療費に公式統計では除外されている患者負担等を加えたもの。医療経済研究機構が推計)中の患者負担割合はすでに1998年からアメリカより高くなっていました。さらに、2006年には、医療費と介護費の合計額が初めて減少すると推計されています(『社会保険旬報』No.2310:5,2007)。

私は、救急医療や産科・小児科医療を中心とした医療危機・荒廃は、1980年代以降四半世紀も継続された世界一厳しい医療費抑制政策と医師数養成抑制政策が臨界点を超えたために生じた、と判断しています。

2)世界の中での日本医療の質の複眼的評価

次に、「世界の中での日本医療の質の複眼的評価」を述べます。一般に医療の質の評価を行う際には、客観的指標(平均寿命等)と主観的指標(医療満足度等)の両面から行う必要があります(6)。そして、この視点から見ると、日本の医療の質の国際的評価は分裂・矛盾しています。

まず、客観的指標による評価の代表例は、WHO(国際保健機関)が2000年に発表した『World Health Report 2000』です。これにより、日本医療のシステム達成度が世界一と評価されたことはよく知られています。

ただし、私はこの結果は複眼的に評価する必要があると判断しています。まず、客観的指標でみた日本医療の質が世界最高水準であることは確かですし、マクロにみた日本医療の効率(客観的指標÷医療費水準)は世界一であると言えます。

他面、ここで見落としてならないことが2つあります。1つはWHOが用いた基礎指標は障害修正済み平均寿命、乳児死亡率等、日本に有利なものが多いこと、もう1つは日本を含めた上位国の得点は接近しており、日本が突出して高いわけではないことです(7)。そのために、私はこの結果のみを持って、日本の医療の質あるいは日本の医療制度は「世界一」と手放しでは誇れないと思っています。

次に、日本医療の主観的評価について述べます。この点については、拙論(8)「医療満足度の国際比較調査の落とし穴」で、日本語または英語で書かれた12論文の文献学的検討を行いましたので、そのサワリを3点紹介します。

1つは、医療満足度には2種類あることです。具体的には、医療制度に対する満足度と受けている医療の満足度で、これらはすべての国で相当違います。2番目は、日本の医療満足度は2種類とも、国際的にみて低位にあることです。3番目は、国際的にみると医療制度満足度と1人当たり医療費は相関するが例外もあること、および医療満足度と生活満足度の間には非常に強い相関があることです。

私は、3番目の結果に基づいて、日本の医療満足度の低さの原因は、日本の医療費水準が低いこと、および日本人の生活満足度が低いこと(あるいは低く回答すること)で、相当部分が説明できると判断しています。

拙論では、医療満足度と医療費についての濃沼信夫さん、大熊由紀子さん・勝村久司さんの指摘は事実誤認・誤りであることも示しました。具体的には、濃沼さんは医療満足度と健康の自己評価を混同していますし、大熊さんは医療満足度の区分が異なる2つの論文を機械的に合成した上に、デンマークと日本の医療費水準が同じとする初歩的誤りを犯しています。勝村さんは大熊さんの事実誤認に基づいて、日本の医療費を増やさなくても、デンマーク式の医療に変えれば、「患者の満足度はデンマークのように変わる」と主張しています。しかし、デンマークの医療費水準はどの年度をとっても日本より2~3割高くなっています。

これは論文には書かなかったことですが、私は、日本とデンマークは医療指標について両極端の国なので、単純な比較は意味がないと判断しています。具体的には、日本は客観的指標は世界一ですが、主観的指標は先進国中下位グループです。逆に、デンマークは、客観的指標は先進国中最下位グループですが、主観的指標は先進国中最高です。例えば、デンマークの平均寿命(2004~2005年)は男75.64歳、女80.24歳で、日本の男78.53歳、女85.49歳(2005年)より、それぞれ2.89歳、5.25歳も短く、日本の20年前(男は1987年、女は1984年)の水準です。

「医療満足度の国際比較調査の落とし穴」執筆後分かった5点

さらに、拙論「医療満足度の国際比較調査の落とし穴」を本年1月に発表してから、新しく以下の5点が分かりました。

第1に、真野俊樹氏は、内閣府『国民選好度調査』によると、医療への満足度は、患者負担が増加した1980年代以降、年々減少しており、特に「費用の心配をあまりせずに診察が受けられること」の満足度が減少していることを明らかにしました(9)。第2に、デンマークに留学体験もある菅沼隆氏は、「デンマークの医療満足度が極めて高い…最大の理由は、患者負担ゼロのかかりつけ医療制度にある」と主張しました(10)。第3に、林知己夫氏による「日本人の国民性」についての詳細な統計学的検討により、日本人はアメリカ人等に比べ、極端な回答を好まず、中間的回答が多いことが疑問の余地なく明らかにされています(11)。第4に、ヨーロッパ10か国の国民を対象にした膨大な実証研究により、健康の自己評価は国により回答スタイルが違い、特に北欧の国民の自己評価は過大であることが明らかにされました。しかも、このような国による回答スタイルの違いを補正すると、医療費水準と健康の自己評価には強い相関があります(12)。この点とも関連して、第5に、ドイツ・オランダ・イギリス3カ国の国民を対象にした詳細な意識調査により、医療制度への市民・国民の信頼は国際比較調査のストレートな尺度としては使いがたいことも明らかにされています(13)。

2.よりよい医療制度をめざして-私の価値判断

1)よりよい医療制度改革を考える上では3つの幻想を捨てる必要がある。

次に、第2の柱「よりよい医療制度をめざし」た私の価値判断を述べます。まず私が強調したいことは、よりよい医療制度改革を考える上では3つの幻想を捨てる必要があることです。

克服すべき第1の幻想は、「医療制度抜本改革が不可欠」との幻想です。医療制度改革についての国際的・国内的経験に基づけば、医療制度の抜本改革は不可能です(1:71頁)。

第2の幻想は、外国の優れた制度・方法を日本に直輸入すれば良いとの幻想です。各国の制度を、その歴史的・社会的条件を無視して、日本に直輸入しようとする人々を「出羽の守」と言います。私は、医療制度改革では、特にアメリカ「出羽の守」とデンマーク「出羽の守」が有害と考えています。なぜなら、アメリカとデンマークは、良い悪いは抜きにして、それぞれれ日本とは全く正反対の医療制度を有しており、直輸入はもちろん、部分的輸入も不可能だからです。

克服すべき第3の幻想は、「医療効率化で、医療の質の向上と医療費抑制の両立は可能」という幻想です。しかし、医療は人件費が5割を占める労働集約型産業であり、しかも一般の産業では技術進歩が人件費の節減をもたらすのと異なり、医療技術の進歩で人件費が減ることはほとんどないため、少なくともマクロレベルでは、医療の質の向上と医療費抑制との両立は不可能というのが、医療経済学の常識です。

私は、医療経済・政策学の視点から、医療の質を向上させつつ医療費を抑制できると称するたくさんの改革案を検討してきましたが、それらはすべて看板に偽りでした。御参考までに、最近の珍説は、がん難民の解消で、がん医療の質を引き上げつつ、5200億円もの医療費が節減できるとする日本医療政策機構のレポートです(14)。最近のトンデモ数字は、死亡前医療費が人間一生の医療費の約半分を占め、それを減らせば医療費を大幅に抑制できるとする主張です(15)。

6月12日に発表された経済財政諮問会議「基本方針(骨太の方針)2007」(原案)の「社会保障改革」の項でも、医療・介護サービスの「質の維持向上を図りつつ、効率化等による供給コストの低減を図る」ための、「医療・介護サービスの質向上・効率化プログラム」が提起されていますが、医療経済学的には、それに含まれるどの対策の医療費抑制効果もまだ証明されていないか、すでに否定されています。

2)私の医療制度改革の複眼的スタンス

次に、私の医療制度改革の複眼的スタンスについて簡単に述べます。これについて詳しくは、文献(1,2)に示した私の2つの著作、『医療改革と病院』『医療経済・政策学の視点と研究方法』をお読み下さい。

私は、日本で可能・必要な医療改革は、日本医療の現実と歴史を踏まえた「部分改革」の積み重ねであると考えています。具体的には、日本の医療制度の2つの柱(国民皆保険制度と非営利医療機関主体の医療提供制度)を維持した改革です。

さらに私は、医療の質を引き上げるためには、公的医療費の総枠拡大が不可欠であると判断しています。私は、1994年以来、日本の医療費抑制政策を「世界一」(厳しい)と評価し、その見直し=公的医療費の総枠拡大を提唱しています(16)。なお、最近の医療費増加要因の国際比較研究でも、日本の医療費抑制が突出していることが再確認されています(17)。

ここで、私が強調したいことは、最近強調されている、医療安全のための「説明と同意」を人員増なしで強化すると、医療者の負担が増加し、医療の質が逆に低下する危険があることです(今中雄一・他:第1回医療の質・安全学会,2006)。

私は、公的医療費増加の主財源は社会保険料の引き上げであり、それにたばこ税、所得税と企業課税、消費税の引き上げを組み合わせることが、妥当だと判断しています(2:69頁)。医療関係者の中には、公的医療費増加の主財源として消費税を考えている方が少なくありません。しかし私は、現在の政治的力関係や財政事情を考慮すると、消費税引き上げの大半は年金の国庫負担引き上げや財政赤字縮減、あるいは少子化対策の財源として用いられ、医療費にまわる余地はほとんどないため、いわば消去法として医療費増加の主財源は社会保険料しかないと判断しています。ただし、これはあくまで「政治判断」であり、消費税より社会保険料の方が優れていると考えているわけではありません。私は、社会保険料と消費税には一長一短があり、どちらが原理的に望ましいとの「価値判断」はできないと考えています。

と同時に私は、リアリストとして、医療者が医療機関の窮状を訴えるだけでは、公的医療費の総枠拡大は不可能だとも思っています。拙論(18)「医療・社会保障についての国民意識の『矛盾』」でも書きましたように、国民の大多数は良質な医療を平等に受けることを求め、格差医療・混合診療には強く反対している反面、医療者・医療機関に対して強い不信を持っており、医療の質の引き上げに不可欠な公的医療費の総枠拡大には否定的だからです。

そのために、私は、公的医療費の総枠拡大についての国民の理解を得るためには、医療者の自己改革と制度の部分改革が不可欠だと考えています。このような私の主張に対して、良心的な医師から、「国民・患者の強い医療不信をそのまま認めすぎている」と批判を受けることもあります。しかし、私は、社会的には(相対的に)まだ強い立場にある医師・医師会・医療団体は、主観的には「譲りすぎ」と思うほど譲って自己改革を進めないと、国民やジャーナリズムの信頼は得られないと思っています(19)。

このような視点から、私は、個々の医療機関レベルの自己改革としては、(1)個々の医療機関の役割の明確化、(2)医療・経営両方の効率化と標準化、(3)他の保健・医療・福祉施設とのネットワーク形成または保健・医療・福祉複合体化の3つを、個々の医療機関の枠を超えたより大きな制度改革としては、(1)医療・経営情報公開の制度化、(2)医療の非営利性・公共性を強化する医療法人制度改革、(3)医療専門職団体の自己規律の強化の3つを提唱しています(1:74頁)。

3.敢えて「希望を語る」-私の事実認識

最後に、第3の柱「敢えて『希望を語る』」について、お話しします(20)。

「はじめに」で述べましたように、私は、「このままでは日本の医療は崩壊の危機に瀕するとの危機感を持」っています。と同時に、昨年来、医療界とマスコミ、さらには安倍政権の政策の中にすら、小泉政権の絶頂期とは明らかに異なる動き・流れが生まれてきており、そこに一筋の希望があるとも考えています。そこで、フランスのレジスタンスの詩人、ルイ・アラゴンにならって、敢えて「希望を語ること」にします(ルイ・アラゴン「教えるとは 希望を語ること。学ぶとは 誠実を胸にきざむこと」。大島博光訳『フランスの起床ラッパ』三一書房,1955,140頁)。

希望は、3つに大別できます。第1は最近の医療制度改革の肯定面と医療者の自己改革の動き、第2は昨年来のマスコミの医療問題の報道姿勢の変化、第3は安倍政権が本年に入って実施した、小泉政権の医療・介護・福祉抑制策の部分的見直しです。

1)この間の制度改革と医療者の自己改革の肯定面

まず、第1の希望について、私の提唱している「個々の医療機関の枠を超えた[3つの]大きな制度改革」に沿って述べます。

第1の医療・経営情報公開の制度化は、2005年以降相当進みました。主な改革は以下の4つです。(1)2005年4月に施行された個人情報保護法により、カルテ開示が事実上法制化されました。(2)昨年4月の診療報酬改定で、保険医療機関に対して医療費の内容の分かる領収書の発行が義務づけられました。ご承知のように、これは患者代表の中医協委員である勝村久司さんが主導されました。(3)本年4月に施行された第5次医療法改正により、医療機関の医療機能の情報公表制度が創設されました。(4)同法により新設された社会医療法人には事業報告書等の第三者への開示が義務づけられただけでなく、都道府県は一般の医療法人から提出された事業報告書等も第三者から請求があった場合には「閲覧に供しなければならない」ことになりました(第52条の2)。

第2の医療法人制度改革については、同じく第5次医療法改正により医療法人の非営利性と公益性が強化されました。具体的には、公益性をより強めた社会医療法人が創設されるとともに、今後新設される医療法人はすべて「持ち分なし」の基金拠出型法人とされました。医療法人の持ち分問題がほんの数年前まではタブーに近かったことを考えると、これは大きな前進と言えます。

第3の医療専門職団体の自己規律の強化も、この数年相当進みました。それらは、医師会によるものだけでなく、各病院団体・医学会によるもの等、多岐にわたりますが、ここでは医師会によるものに限ります。

まず日本医師会は、前執行部(植松治雄会長)以来、医師(会)の自浄作用を強調するようになっています。一例をあげると、2005年11月に発表された「自浄作用活性化推進に向けて ハンドブック」です。

最近の動きで特筆すべきことは、日本医師会が本年2月に発表した「医療提供体制の国際比較」で、それまでの方針を変更して、「医師の絶対数は不十分」と公式に認めたことです。これを発表した中川俊男常任理事は、「日医は偏在が医師不足の主たる原因と言ってきたが、それに加え、絶対数も十分ではないことがわかった」と述べ、今後は絶対数の不足も訴えていく方針を示しました(『日本醫事新報』4321号10頁)。

日本医師会が2005年度以降無過失補償プロジェクト委員会で検討してきた産科医療無過失補償制度が2007年度にも制度化される見通しが出てきたことも評価できます。実は、当初案ではこの制度の「趣旨」は金銭補償が中心だったのですが、医療被害者や弁護士等からの厳しい批判を受けて、現在では、金銭補償だけでなく、事故原因の分析・再発防止も大きな柱として位置づけられるようになっています。これと密接に関係する動きとしては、医師会・医療界の要請に応えて厚生労働省が3月に素案を発表し、4月から検討会を立ち上げた、医療版事故調査委員会(第三者機関)の設立の動きがあります。

さらに、都道府県・地域医師会レベルでも、市民・患者に目を向けた自己改革の動きが生まれています。この点で先駆的なのは愛知県医師会で、2002年以降、医療安全対策委員会と苦情相談センターを発足させています。さらに、2006年には、茨城県医師会が、全国初の医療の裁判外紛争解決と言える「医療問題中立処理委員会」を発足させました。

2)昨年来のマスコミの医療問題の報道姿勢の変化

第2の希望は、世論の形成に大きな影響を与えるマスコミの医療問題の報道姿勢が、昨年来(「日本経済新聞」を除いて)変化し始めたことです。この点は、小泉政権絶頂期の数年前とは様変わりしています。以下、全国紙4紙(「朝日」・「毎日」・「読売」・「日本経済新聞(以下、日経)」)の論調の変化を示します。

社説レベルの変化

まず「社説」の変化を述べます。小泉政権全盛期には、4紙とも社説で小泉政権の医療費抑制策を支持するだけでなく、それの徹底を主張していました。例えば、「朝日」2001年11月18日「恐れず、切り込め 医療制度改革」です。さらに、2002年に医療特区での株式会社の病院経営が解禁されたときには、経済紙である「日経」はもちろん、「朝日」・「毎日」・「読売」もそれを支持し、しかもその理由は総合規制改革会議の主張と瓜二つでした(1:134頁)。

それに対して、「朝日」と「毎日」は、昨年から、社説で、医療費抑制策に慎重姿勢を表明し始めました。具体的には、「朝日」2006年6月19日「医療改革 とても安心できない」、同8月3日「社会保障 これ以上削れるか」「毎日」2006年6月15日「高齢者医療 行き場のない人に温かい目を」です。

特に8月3日の「朝日」社説は、「国民の生活に直結する社会保障について今後の青写真を示さず、やみくもに削れというのでは、不安をあおるだけだ」と小泉改革を批判した上で、「医療では、医師不足が深刻になってきた。医療費を抑える政策が続いた結果、病院の医師の勤務が厳しくなり、開業医に流れることが、一因となっている」と、医療費抑制政策が医師不足をもたらしたことを社説としては初めて指摘し、注目に値します。

それに対して、「日経」は、相変わらず、医療効率化=医療費抑制一本槍の社説を掲げ続けています。2006年2月11日「医療効率化もっと踏み込め」等です。「読売」は、昨年以降、医療費抑制策に正面から触れた社説を掲載していません。

一般の医療記事の変化

次に、一般の医療記事の変化を検討します。結論的に言えば、論調の変化は社説よりもはるかに鮮明です。

この点でも、「朝日」と「毎日」の論調の変化が際だっています。両紙は、今年に入って、医療危機・医療クライシスという用語を常用し始めました。さらに、「毎日」は1月23日から社会部が「医療クライシス」の連載を始め、「朝日」も4月2日から田辺功編集委員が「医療危機」の長期連載を始めました。

さらに、3月末~4月初旬には、「読売」、「朝日」、「毎日」が相次いで、医師不足・医療荒廃についての独自調査を発表しました。「読売」は3月29日に、全国の救急病院が過去5年間で約1割減少したとする調査結果を発表しました。「朝日」は4月2日に、全国80大学の産婦人科医局に実施した調査で、大学病院でも医師不足が深刻になっている実態を明らかにしました。「毎日」は4月3日に、全国の500床以上の病院と「全国ガンセンター協議会」加盟の病院を対象にして、患者の手術待ち期間を調査した結果、回答した病院の3割以上が「5年前と比べ待機期間が延びた」と答えたと報じました。3紙が相次いで独自調査を行ったことは、各紙が医師不足・医療危機の深刻さにようやく気づき、それの取材に本腰を入れるようになった現れと言えます。

もう1つ注目すべきことは、社説で医療費抑制政策に慎重姿勢を示すようになった「朝日」と「毎日」だけでなく、「読売」も、今年に入って、日本の医療費水準が「先進国でも最低水準」である事実を報道するようになったことです(1月18日)。この点については「毎日」が突出しています。例えば、同紙は1月23日1面の「『高額医療費』は幻想」の見出しの記事で、「地方だけでなく、大都市にも『医療崩壊』が広がり始めた背景には、日本の低医療費政策がある」ことを、詳細なデータを示して論じました。

それに対して、「日経」だけは、この基本的事実を一度も報じないだけでなく、逆に、経済財政諮問会議民間議員と一体となって、日本医療が「高コスト構造」であるとの主張を繰り返しています。これでは、「日経」のみを読んでいる国民は、日本の医療費水準が欧米諸国に比べて高いと誤解しかねません。

最後に、最近、私が驚いたのは、「朝日」の論説委員(梶本章氏)が、部分的にであれ、日本医師会の方針・活動を率直に評価する論評を発表したことです(4月4日夕刊「窓・論説委員室から えっ医師会が変わる?」)。実は、「朝日」を含めてすべての全国紙は、長らく、社内で「反日本医師会」のスタンスをとっています。これは私の友人の経済学者(医師会とは何の関係もない方)から聞いた話しですが、ある全国紙の若手記者がその友人に取材して、小泉政権の医療政策に批判的な記事を書いたところ、デスクから「この内容は医師会寄りすぎる。我々の立場は反医師会だ」と一喝され、ボツにされたそうです。梶本氏の論評は、そのようなステレオタイプとは明らかに異なり、注目に値します。

3)安倍政権が小泉政権時代の過度な医療・介護・福祉抑制策を部分的に見直し

第3の希望は、安倍政権が本年に入って、昨年4月に小泉政権が強行した一連の医療・介護・福祉費抑制策の一部を見直したことです。主な見直しは以下の4つです。(1)昨年4月の診療報酬改定で導入されたリハビリテーションの算定日数制限の見直し、(2)昨年4月に創設された介護予防事業の対象になる「特定高齢者」の選定基準の大幅緩和、(3)昨年4月の介護報酬改定で導入された軽度者への福祉用具貸与禁止の見直し、(4)昨年4月に実施された障害者自立支援法での障害者負担の大幅増加を緩和するための「特別対策」の実施。

この点を含めた、「安倍政権の半年間の医療政策の複眼的評価」については、文献(21)をお読み下さい。

おわりに-「絶望しすぎず、希望を持ちすぎず」

もちろん、以上述べてきた変化は、現時点ではまだごく部分的なものであり、厳しい医療費・医師数抑制政策の基調に変化が生じたわけではありません。また、本講演で肯定的に評価した制度・政策にも、さまざまな問題点が潜んでいるのも事実です。しかし、それでも、これらの変化により、今後の医療改革にわずかであれ希望が見えてきたことを見落とすべきではありません。

それだけに、医療者は、「絶望しすぎず、希望を持ちすぎず」、医療費・医師数抑制政策の弊害とそれの転換を国民・マスコミに粘り強く訴え続けると共に、自己改革と制度の部分改革を積み重ねていく必要があると思います。迂遠なようにみえても、これが医療崩壊・医療荒廃を防ぐ唯一の道だと私は考えています。なお、この「絶望しすぎず、希望を持ちすぎず」という言葉は、ノーベル賞作家の大江健三郎さんが恩師渡辺一夫さんから教えられた、ルネサンスのユマニストの生活態度だそうです(1:256頁)。

私のお話しは以上です。御清聴ありがとうございます。

文献

(NLは「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」の略。いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)

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2.拙書評:野村拓『時代を織る-医療・福祉のストーリーメイク』 かもがわ出版,2007(『看護実践の科学』26(8):102,2007.7.1)

本書は、医療問題・医療政策の泰斗である野村拓先生が1990年~2005年の16年間に発表されたエッセー集です。日本語で「エッセー」というと「随筆」を連想しますが、エッセーの原語には「論理的な文章・評論」という意味もあり、本書には両方が含まれています。気軽に読める部分が多い反面、やや歯ごたえのあるものも少なくなく、それだけに医療・看護・福祉についての幅広い教養と鋭い分析視点が身につきます。

本書は、以下の全5章からなります。第1章「思い出の骨肉化」、第2章「記憶力のストレッチ」、第3章「ストーリーメイクのための処方箋」、第4章「医療・福祉の教養番組」、第5章「医療的視点で現代をとらえる」。前の章ほど随筆的色彩が強く、後の章ほど評論的になり、徐々に歯ごたえが強くなるような構成上の工夫がされています。なお、第3章は本誌に2004~2005年の1年間連載されたものをまとめたものです。

本書で野村先生が力説されていることは、医療・福祉関係者には、「今、起こりつつあることを、より大きな全体の中に位置づけて話せる能力」(「ストーリーメイク術」)を身につけることが求められていること、そのためには日常的に、ものごとを歴史的かつグローバルな視点でみる「心掛けの積み重ね」が必要なことです。本書には、そのためのヒントが満載されています。例えば、先生が長年続けられている、出勤前に少しでも原稿を書く「朝型スタイル」です。私も、かつて病院勤務医だった頃は、仕事が始まる前の1時間、病院隣の喫茶店で、仕事とは直接関係のない社会科学書を少しずつ読み続けたことを思い出しました。

ただし、本書は若者のためだけに書かれた本ではなく、「老人の記憶の総量は、生涯通算で書いた量に比例する」との仮説や「年とともに充実する生き方の処方箋」を探りあてるヒントも書かれています。これらを読むと年をとるのも悪くないと思えます。ただし、その前提は「書くことを面倒がらないように」、若いうちから努力を続けることです。

実は私は、最近、勤務先の大学院(通信課程)1年生の「研究計画書」を添削していて、太平洋戦争前夜に作られた隣組の歌が、「まさしく現代の福祉の街づくりに必要」と賛美しているものに出会い、その無邪気さに驚きました。隣組が住民の戦時体制への動員と相互監視のために作られ、戦争に少しでも疑問を口にすれば、隣組を通して、すぐに警察に密告(「通牒」)されたことは、NHKの昨年の朝の連続テレビ小説「純情きらり」でも描かれていました。現在の若者は、こんな初歩的な歴史的事実さえ知らないのか! と改めて驚いていただけに、歴史を学ぶことの大切さを繰り返し、分かりやすく教える本書は新鮮でした。本書が多くの医療・看護・福祉関係者に読まれることを期待しています。

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3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その8):6冊

書名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○『医療の公私ミックス』(Maynard A ed.: The Public-Private Mix for Health Care. Radcliffe Publishing, 2005, 318 pages)[研究書(国際比較研究)]
医療の公私ミックスは、1980年代以降、イギリスを中心に国際的に広がっています。

本書は2001、2002年にイギリスで開かれた国際カンファランス「医療における持続可能な財政と質」がベースになっており、医療の公私ミックスについて、イギリス、アメリカ、カナダ、フランス、スカンジナビア諸国、ドイツ、ニュージーランド、オーストラリアの概況が報告されるとともに、編者のMaynard教授(イギリス・ヨーク大学)が国際的動向と今後の課題をまとめています(全14章)。医療経済学・医療サービス(私流に言えば「医療経済・政策学」)の著名な研究者が執筆しています。私にとって一番興味深かったのは、イギリス医療経済学の重鎮Williams教授(2005年6月死去)の「公的医療制度における公私ミックスの最適化においてイデオロギーが果たす大きな(pervasive)役割」です(第2章,7-19頁。次の4の冒頭に抄訳)。

○『信頼だけでは足りない-人権を医療に組み込む』(Rothman DJ, Rothman SM: Trust Is Not Enough - Bringing Human Rights to Medicine. New York Review Books, 2006, 213 pages)[研究書(事例研究)]

「人権と医療を結びつける」以下の4つのテーマについて、国際的視野から多面的な事例研究を行っています(全4部9章):(1)人体の統合性についての非妥協的コミットメント、(2)インフォームド・コンセントと強制からの自由へのコミットメント、(3)社会資源の分配における公平と公正(equity and fairness)と公正な(just)医療提供システム実現へのコミットメント、(4)もっとも古い医療倫理原則である「傷つけるな(Do not harm)」と人権との関連。

2人の著者(夫婦?)はアメリカ人の歴史研究者であり、これらの問題の歴史的背景を詳しく検討しています。2人はプロフェッショナリズムと人権の両方の支持者・擁護者だそうで、アメリカで主流の医療資源の配分問題の効用主義的解決法には懐疑的です。約200頁と比較的薄く、しかも事例分析が中心で英文も平易なため、読みやすいと思います。

○『NHS[イギリス国民保健サービス]の裏切り-医療解体』(Mandelstam M: Betraying the NHS - Health Abandoned. Jessica Kingsley Publishers, 2007, 317 pages)[概説書(一般読者向け)]

イギリスの医療・障害者分野の運動家による、ブレア政権による医療制度「解体」の告発書です(全22章)。「NHSの死の苦悶」(第1章)、「真の医療を根こそぎにする」(第15章)等、叙述は超過激ですが、日本ではほとんど紹介されないブレア政権の医療改革の影の側面を知る「解毒剤」としての役割はあるかもしれません。

○『NHS株式会社-NHSの民営化』(Pollock AM: NHS plc - The Privatisation of Our Health Care. Verso, 2004, 271 pages) [概説書]

包括的で無料の医療を提供するというNHSの理念を「破壊」し「民営化」した(と著者が判断している)ブレア政権の「医療の混合経済」政策を、包括的かつ歴史的に分析しています(全8章)。この政策の本質は、美しい言葉-現代化、選択、多様性、地方分権(local ownership)-と複雑な民営化メカニズム(PFI等)によって隠されてきたと著者は判断し、それらの脱神話化を試みています。著者は医療政策研究者であり、叙述は前書ほど過激ではありませんが、なぜかブレア政権が2000年以降NHSに多額の公的資金を投入している事実には触れていません。少し古い本ですが、著者とは正反対の「自由主義」の立場のThe Economistも書評で取り上げており(September 11th, 2004, p.80.もちろん批判的に)、かなり話題を呼んだ本のようなので、遅ればせながら紹介します。

○『[イギリスの]将来の保健医療組織・制度』(Dawson S, et al, ed.: Future Health Organizations and Systems. Palgrave, 2005, 310 pages)[研究論文集]

ケンブリッジ大学ビジネススクール「政策の将来」プロジェクトが2002年に開催したカンファランスの報告集です。「制度と複雑性」、「政策と戦略」、「人々と知識」の三部構成で、13論文が収録されています。全体に「おとなしい」本で、前二書の鍵言葉になっていたprivatisationは索引にありません。

○『アメリカと日本の医療の諸問題』(Wise DA, Yashiro N(八代尚宏), ed.: Health Care Issues in the United States and Japan. The University of Chicago Press, 2006, 258 pages)[研究論文集]

2003年に日光で開催された、JCER(日本経済研究センター)とNBER(全米経済研究所)の共同カンファランスで報告された10論文が収録されています(日本の研究6、アメリカの研究4。すべて量的研究)。診療パターンが医療の質に与える影響の実証研究が4つ含まれていますが、日米の医療の質を直接比較しているのは1論文だけです(第7章「急性心筋梗塞患者の治療とアウトカム」の日米比較)。私にとって特に興味深かった知見は、日本ではPTCA(経皮経管冠状動脈形成術)については件数効果(実数件数が増えるほど術後死亡率が低下)は医師単位でのみみられ、病院単位では見られないこと(第5章。川渕氏ら)、および医療の標準化が日本よりはるかに進んでいると言われているアメリカでも、心筋梗塞の治療には大きなバラツキがあること(第7章。野口氏ら)です。

なお、表紙裏の宣伝文に、「人口高齢化と疾病構造の変化が、日本に米国の制度に似通ったモデルの検討を強いている」という、本書の実証研究からは導き出せず、しかも非論理的かつ非現実的な一文が含まれているのは理解に苦しみます。

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算24回.2007年分その3:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○公的医療制度における公私ミックスの最適化においてイデオロギーが果たす大きな役割(Williams A: The pervasive role of ideology in the opitimisation of the public-private mix in public healthcare systems. In: Maynard A ed.: The Public-Private Mix for Health Care. Radcliffe Publishing, 2005, pp.7-19)[理論研究]<3で紹介した2005年出版の単行本所収>

イデオロギーは我々が達成しようとするものに影響するだけでなく、我々が現実を判断する仕方にも影響する。前者の影響は明らかだが、後者はそうではない。後者の場合、イデオロギーは、問いの設定、問題の定式化、用いる分析手法、探し求める根拠に影響を与える。特定の方法で問題に取り組むことを決めるとき、自分たちはイデオロギー的に中立だと信じている人々さえ、知らず知らずのうちにあるイデオロギー的スタンスの枠内で仕事をすることになる。医療における公私ミックスの最適化という問題では、特にこの危険が大きい。

内部市場が公的部門の目的を達成するための価値中立的方法と思うのは幻想にすぎない。なぜなら、効率の伝統的測定方法は価値自由ではないからである。我々は自己のイデオロギー的立場をオープンかつ誠実に明示する必要があり、現在の医療政策を基礎づけているイデオロギー的立場を明確にするようにしなければならない。

以上の視点から、本論文では、「イデオロギーと分析手法」、「対立する2つのイデオロギー(絶対自由主義対平等主義)」、「イデオロギーと目的」、「イデオロギーと複数の目的のトレードオフ」、「イデオロギーとWHO『世界の健康2000』」、「イデオロギーと価値互換性(value-compatibility)」、「イデオロギーと論争」について論じている。

二木コメント-拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房,2006)では、医療経済・政策学研究(広く社会科学)では自己の価値判断の明示が必要なことを繰り返し強調しました。それだけに、本論文は「我が意を得たり」です。本論文は、医療経済・政策学研究とイデオロギー(価値判断)との関係を考えるための必読文献と思います。私にとって特に興味深かったのは、一般には価値中立的と思われているWHO「世界の健康2000」さえ、さまざまなレベルでイデオロギーの影響を受けていることを示していることです。

○病院のIT投資の評価:ガバナンス[営利・非営利の違い]により違いは生じるか?(Parente ST, et al: Valuing hospital investment in information technology: Does governance make a difference? Health Care Financing Review 28(2):31-43,2006-2007)[量的研究]

全米の急性期病院の1990~1998年の診療に関わるIT投資とそれが病院の生産性に与える影響を検討した。その際、営利病院と非営利病院とでITシステム導入の結果がどのように違うかに焦点をあてた。その結果、営利病院の生産性に与えるITの限界効果は在院日数の短縮であるのに対して、非営利病院でのITの限界効果はサービス提供量の増大であることが分かった。この結果は、非営利病院と営利病院の目的の違いと合致しているし、ITが持続可能でしかも確実な投資としての正の限界価値を有することを示している。

○医師[開業医]の診療収入と診療におけるIT利用[との関係の検討](Furukawa MF, et al: Physician practice revenues and use of information technology in patient care. Medical Care 45(2):168-176,2007)[量的研究]

「2000-2001年地域追跡研究・医師調査(Community Tracking Study Physician Survey)」に回答した全米の6849人の診療所開業医から得られた横断データを用いて、開業医の診療収入の総収入に対する割合と診療におけるIT利用との関係を検討した。診療におけるIT利用は、診療ガイドライン、治療計画、患者の記録、電子処方、他の医師とのデータ交換におけるIT利用とした。

その結果、診療収入の総収入に対する割合と診療におけるIT利用との間には、以下のような関連があることが分かった。メディケイド(医療扶助)の収入割合が平均より高い医師は、IT利用率が20%高かった。人頭払いの収入割合が平均より高い医師も、IT利用率が高かった。それに対して、人頭払い以外のマネジドケアの収入割合とIT利用との間に関連はなかった。

二木コメント-これら2つの論文は、ITが病院・診療所経営に与える影響を定量的に検討した先駆け的論文と思います。ただし、それだけにまだ「初歩的」研究と言えます。

○アメリカの医療経済学者の所得(Cawley J, et al: The earnings of U.S. health economist. Journal of Health Economics 26(2):358-372,2007)[量的研究]

国際医療経済学会会員またはAcademy Health医療経済学部会会員を対象にして、2005年に年間所得(稼得)についてのインターネット調査を行った。調査対象は1439人、回答者は460人(回答率32%)であったが、(医療)経済学者ではないと回答した者や学位未取得者等を除いた250人を分析対象とした。本論文では、職階(rank)、所属組織、学位の種類、給与支払い方式別等の所得データ(分布、平均値、中央値、標準偏差)に加えて、大学勤務者の給与以外の所得、経済学博士号取得者の初任給等が詳細に示されている。例えば、総数の年間平均所得は11万9499ドルであるが、大学所属(162人)は11万4573ドルで、大学以外の組織所属(88人)の12万8566ドルより11%低い(営利企業所属は17万962ドル)。学位別の年間平均給与は、経済学博士号12万3796ドル、その他の博士号10万8225ドルと大きな差がある。

二木コメント-経済学だけでなく医療経済学も制度化されているアメリカならではの調査研究と思います。なお、Academy Healthは、アメリカの「医療サービス研究と医療政策分析」の中核的学会(会員4000人)で、公式機関誌として、Health AffairsとHealth Services Researchの2誌を発行しています(http://www.academyhealth.org/)。Academy Healthの会員全体を対象にした「医療政策・医療サービス研究者」の「全米給与調査」も2002年に行われています(Resneck JJ, et al: How health policy and health services researchers are compensated: Analysis of a nationwide salary survey. Medical Care Research and Review 61(3):392-408,2004)

○「保健医療統合提供システム(IDS)の組織デザイン:理論と実際」(Lega F: Organizational design for health integrated delivery systems: Theory and practice. Health Policy 81(2-3):258-279,2007)[理論研究]

IDSが保健医療部門における支配的組織として世界的に急成長している。ここでIDSとは伝統的な病院中心組織に代わるものであり、地域住民全体を対象にして、病院、リハビリテーション施設、ナーシングホーム、地域・在宅ケア等の包括的保健医療サービスを統合的に提供する組織を意味する。その実態は多様であり、イタリアの地域保健当局(Local Health Arthority)、イギリスの保健当局や地域トラスト(いずれも公的組織)から、アメリカの様々な民間保健医療システムまでを含む。

本研究では、文献学的研究とヨーロッパ諸国でのアクションリサーチやフィールド調査に基づいて、従来の研究の盲点であったIDSの組織デザインに焦点を当て、地域レベルでの保健医療サービスのガバナンスと提供に示唆を与える。IDSの組織デザインとしては、P型(生産ラインを基準とする)とG型(地域を基準とする)、およびマトリックス型(複数の主体が存在する)の3型を提起する。

二木コメント-イタリアの研究者による22頁の大論文です。アメリカ以外のIDS研究は珍しいと思い読みかけたのですが、何とも思弁的です。地域住民全体を対象にするヨーロッパ諸国の保健当局(公的医療制度の一部)と、特定の地域住民のみを対象にするアメリカの民間IDSの本質的違いを無視して、それらに共通する「組織デザイン」を論じるのは、方法論的に誤りだと思います。この論文で私が一番興味を持った(驚いた)のは、国際的一流雑誌にもこんなトンデモ論文が掲載されることです。

○一般神経内科病棟での急性期脳卒中医療費:脳卒中病棟との比較(Epifanov Y, et al: Costs of acute stroke care on regular neurological wards: A comparison with stroke unit setting. Healh Policy 81(2-3):339-349,2007)[量的研究]

脳卒中病棟には在院日数短縮効果があるが、医療費は高いとされている。このことを検証するため、ドイツの大学病院の一般神経内科病棟に連続的に入院した253人の急性期脳卒中患者の入院医療費とアウトカムを調査し、以前に報告した同じ病院の脳卒中病棟での実績と比較した。アウトカムはBarthel IndexとRankinスケール変法で評価し、医療費は原価積み上げ方式で計算した(2002年価格)。その上で、脳梗塞、TIA、脳出血、総数の平均値等を算出した。患者総数の平均在院日数は11.6日、平均入院医療費は3270ユーロ、1日当たり医療費は320ユーロであった。一般神経内科病棟退院後の平均急性期後入院医療費は10530ドルであった(ただし、これは積み上げ方式ではなく概算)。

この結果を脳卒中病棟のデータと比較すると、患者の重症度とアウトカムは同じで、平均在院日数は脳卒中病棟の方が平均1.5日短かった。他面、脳卒中病棟の方が、1入院当たり医療費は7.0%、1日当たり医療費は15.6%高かった。急性期後入院医療費は脳卒中病棟退院患者の方が6.2%低かった。以上の結果より、脳卒中患者の急性期医療費は脳卒中病棟の方が一般神経内科病棟より高いが、急性期後入院医療費は脳卒中病棟の方が低く、総医療費も脳卒中病棟の方が少ないと言える。

二木コメント-本研究はランダム化比較試験ではなく、しかも急性期医療費が厳密に計算されているのに対して、急性期後医療費は概数です。そのために、結論の最後(総医療費は脳卒中病棟の方が安い)は「仮説」にとどまると思います。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その31)-最近知った名言・警句等

訂正(29~34号)

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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