総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻84号)』(転載)

二木立

発行日2011年07月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ


1.論文:集中検討会議「社会保障改革案」を読む

(「二木教授の医療時評(その92)」『文化連情報』2011年7月号(400号):26-31頁)

はじめに

政府の社会保障改革に関する集中検討会議(以下、集中検討会議)は6月2日、「社会保障改革案」(以下、適宜「この改革案」)をとりまとめました。与謝野馨担当大臣は、これをベースにして、6月中に政府の改革案を正式決定する意向のようですが、同日に菅直人首相が辞任の意志を表明して以降、政局が混迷を極めていることを考慮すると、それが実現するか否かは不透明です。そのため、本稿ではこの改革案の実現可能性の検討は行わず、医療改革部分を中心にして、従来の政策との異同に焦点を当てながら検討します。

私が指摘したいことは4つあります。第1は、この改革案は、自公政権時代にまとめられた「社会保障国民会議最終報告」(2008年11月)の事実上の復活・復権であることです。第2は、医療保障の主財源は、従来通り社会保険料と考えられていることです。第3は、それ自体は改善と言える高額療養費制度の見直し、「総合合算制度」とワンセットで導入が予定されている「受診時定額負担」と「社会保障・税に関わる共通番号制度」には大きな問題があることです。第4は、医療・介護費は、今後、この改革案の「医療・介護に係る長期推計」よりさらに増加する可能性が高いことです。

「社会保障国民会議最終報告」の復活・復権

まず、私がこの改革案が「社会保障国民会議最終報告」(以下、適宜「最終報告」)の復活・復権と判断する根拠は以下の3つです。

第1は改革のスタンスが同じことです。「最終報告」は社会保障「『制度の持続可能性』とともに『社会保障の機能強化』に向けての改革に取り組む」ことを目指し、この改革案も「社会保障の機能強化を確実に実施し、同時に社会保障全体の持続可能性の確保を図るため…制度全般にわたる改革を行う」としています。第2は、両方とも、改革を行うことにより、社会保障費総額、医療・介護費とも、改革を行わなかった場合より増加することを明示したことです。この点は、社会保障費・医療費の(伸び率)抑制を最大の目標とした小泉政権時代の改革とまったく逆です。第3は、両方とも、混合診療の原則解禁等の医療分野への市場原理導入(新自由主義的医療改革案)を含んでいない点です。私はこれら3点は、大枠で妥当と考えます。

実は、2009年9月に政権交代が実現した当初、民主党(政権)は「社会保障国民会議最終報告」やその「医療・介護の費用のシミュレーション」を全否定していました。鈴木寛参議院議員(医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟幹事長・当時)は総選挙直後から、それを「一旦なくす」と明言していました(「ロハスメディカル・ニュース」2009年9月2日)。そのため、しばらくは厚生労働省担当者が「最終報告」に触れることはタブー視されていました。しかしその後、厚生労働省・民主党(政権)内でタブーは徐々に弱まり、この改革案の発表により「最終報告」は完全に復活・復権したと言えます。ちなみに、この改革案の本文では2回、「医療・介護に係る長期推計」ではなんと13回も、「最終報告」に言及しています。

逆に、この改革案の医療改革部分には「民主党政策集2009INDEX医療政策<詳細版>」で高々と掲げられた「総医療費対GDP比をOECD加盟国平均まで今後引き上げて」いくという数値目標はもちろん、「医療保険制度の一元的運用」も、全医療保険間の財政調整も消えています。これらは、民主党の医療政策と自民党のそれとの数少ない違いでした(1:23頁)。この点は、この改革案で、年金制度改革に関しては、税財源の最低保障年金を含む「『新しい年金制度の創設』実現に取り組む」と書かれているのと対照的です。

消費税引き上げと「社会保険の枠組みの強化」

次に、医療保障の主財源は従来通り社会保険料と考えられていることについて説明します。一般の新聞報道では、この改革案が社会保障拡充の主財源として消費税をあげていることのみが注目されています。事実、この改革案には、「消費税収を財源とする社会保障安定財源の確保」、「2015年度までに段階的に消費税率(国・地方)を10%まで引き上げ」ることが明記されています。この点は、「社会保障国民会議最終報告」が社会保障の機能強化のために「追加的に必要となる公費財源」については「消費税率換算」を示すにとどめていたのと比べて、大きく踏み込んでいます。と同時に、これは「税金のムダづかい」の見直しと埋蔵金の活用で、社会保障拡充の財源を捻出できるとした、民主党の2009年総選挙マニフェストの破綻を公式に認めたものと言えます。

しかしここで見落としてならないことは、この改革案は「個別分野における具体的改革」の項で、「負担と給付の関係が明確な社会保険(=共助・連帯)の枠組みの強化による[社会保障の-二木]機能強化を基本とする」と明記していることです。このことは、消費税は社会保障費全体の「主たる財源」ではなく、社会保障費用のうち公費負担分の「主たる財源」であり、社会保険、特に医療保険では、今後も社会保険料が主財源になることを意味します。「医療・介護に係る長期推計」中の「医療・介護サービス費用の財源(対GDP比)のごく粗い見込み」でも、2025年の医療費中の保険料の割合は46~47%とされ、2011年の49%から微減するだけです。しかもこの微減は、制度改革によるものではなく、公費負担割合の多い高齢者医療費の割合が高まるためです。

受診時定額負担と共通番号制度の問題点

第3に、高額療養費制度の見直しと「総合合算制度」(5月12日に発表された厚生労働省案では、「制度横断的な利用者負担総合合算制度(仮称)」[注1])とワンセットで導入が予定されている「受診時定額負担」(初診・再診時100円を想定)と「社会保障・税に関わる共通番号制度」(以下、共通番号制度)の問題点を指摘します。
私は、社会保障の機能強化の一環として、高額療養費制度を見直すこと、および総合合算制度を創設することには賛成です。しかし、それとワンセット(抱き合わせ)で、受診時定額負担を導入することには反対ですし、共通番号制度は拙速に導入するのではなく、導入の可否を慎重に検討すべきと考えます。以下に、その理由を述べます。

まず、受診時定額負担には次の3つの重大な問題があり、とても賛成できません。

(1)日本の患者負担割合(医療費対比)はすでに先進国中最高水準であり、たとえ少額であれ、これ以上の患者負担引き上げは、低所得患者(特に、医療機関を頻回受診する患者)の選択的受診抑制を招く危険が大きいことです。

(2)たとえ低額にせよいったん受診時定額負担を制度化すると、財政難や「高度・長期医療への対応と給付の重点化」を理由にして、今後それが段階的に引き上げられ、結果的に「免責制」と同様、大幅な受診・医療費抑制と国民の医療保険不信を生む危険が大きいことです。医療保険制度が共助・社会連帯の仕組みであることを考えると、「高度・長期医療への対応」は、患者間のコストシフティングではなく、保険料・公費負担の引き上げにより行うべきです。

(3)歴史的に、定額負担は医療保険給付が10割給付であった時に、定率負担の代行として実施されており、定率負担に定額負担を加えるのは「禁じ手」です。例えば、健康保険本人(当時10割給付)の定額負担は1967年に健康保険特例法で導入されましたが、1984年の健康保険法改正による定率1割負担導入時に廃止されました。1983年に施行された老人保健法も、当初は定額負担でしたが、2001年の定率1割負担の導入により廃止されました。国際的にも、定率負担と定額負担の両方を制度化している国はごく限られています。主要国ではフランスの外来医療だけですが、同国では患者負担の大半は共済組合が代理支払いをしており、実質的患者負担はほとんどありません。 

次に、共通番号制度の問題点を述べます。私も社会保障の公平な負担と給付のために所得や保険料を捕捉するシステムが必要なことは理解しています。しかし、現在、政府が検討している共通番号制度には、日本弁護士会が指摘しているように以下の3つの問題点があり、拙速な導入には賛成できません(2)。(1)個人情報が集積・統合されやすくなり、深刻なプライバシー侵害が起こりやすくなります。(2)共通番号制度は、将来、個人単位で社会保障の負担と給付の関係を明確にする「社会保障個人会計」に移行し、その結果負担に比べて給付が多い障害者や慢性疾患患者が差別的扱いを受ける危険があります。これは決して杞憂ではありません。小泉政権が2001年に閣議決定した「骨太の方針」にはそれの「創設」が含まれましたし、日本経団連はさらに踏み込んで、2004年に本人の負担に比して給付の多い人には死亡時に遺産で精算する仕組みの検討を提言しています。(3)共通番号制度は初期費用だけで最大6000億円を超える費用がかかりますが、それによるコスト削減効果はごくわずかで、費用対効果に疑問があります。

これらに加えて、もう1つ疑念があります。今回の改革案は、共通番号制度は「社会保障を充実させ、効率的かつ適切に提供することを目的に導入を目指す」としています。しかし、先述した「民主党政策集INDEX2009」の「税・社会保障共通の番号の導入」では、「過度な社会保障の給付を回避すること」が導入の理由の1つにあげられていました。このことを考慮すると、共通番号制度が社会保障給付の抑制のために用いられる危険があります。

医療・介護費は「長期推計」よりもさらに増加する

最後に、医療・介護費が、今後、この改革案の「医療・介護に係る長期推計」[注2]よりもさらに増加すると私が判断する理由を述べます。

今回の改革案は、医療・介護等の拡充により、2015年には医療・介護費が現状投影シナリオよりも1.4兆円増える反面、以下の3つの「重点化・効率化」により、0.7兆円の削減が可能としています。(1)平均在院日数の減少等(4300億円削減)、(2)外来受診の適正化等(同1200億円)、(3)介護予防・重点化予防、介護施設の重点化(同1800億円)。

しかし、このような削減効果が「絵に描いた餅」に終わるのは確実です。まず、「平均在院日数の減少」のためには改革案も認めているように「医療資源の集中投入」が不可欠で、それにより総医療費が逆に増加します。もちろん、もし平均在院日数の短縮により病床数を大幅に削減できる場合には、その範囲で医療費も多少削減できますが、改革案では病床数は「概ね現状水準」とされているため、それは期待できません。上記(2)と(3)はそれぞれ、2006年の医療制度改革関連法と介護保険法改正によって制度化された生活習慣病対策と新・予防給付による費用抑制を期待していると思いますが、それらの費用抑制効果はまだ実証されていません。

「医療・介護に係る長期推計」を作成した賢明な厚生労働省担当者がこのことをよく理解しているのは確実です。例えば、同省が5月19日の第7回集中検討会議に提出した「医療・介護を取り巻く現状(参考資料)」には、「100床当たりの従事者数と平均在院日数の間には、高い相関関係がみられる」明快な図が含まれています。しかしこのことを明示すると、長期的な医療・介護費用がさらに増加し、民主党政権や財務省、財界からの圧力が強まるため、敢えて触れなかったのだと推察しています。

おわりに

以上、集中検討会議「社会保障改革案」について、医療改革案を中心に検討してきました。本稿で私が一番強調したいことは、この改革案が「社会保障国民会議最終報告」の復活・復権であることです。私は、民主党の2009年総選挙マニフェストの医療政策を検討したときに、「民主党と自民党との医療政策の差は意外に小さかった」と結論づけました(1:5頁)。今回の改革案は、両党の医療政策のわずかな差もほとんどなくなったこと、および民主党の医療改革の財源論が破綻したことを示しています。

私が2番目に強調したいことは、「医療・介護に係る長期推計」により、今後、医療改革の有無にかかわらず、医療費が長期的にGDPの伸び率を上回って上昇し続けることが再確認されたことです。これにより、「医療は永遠の安定成長産業」であることも再確認されたと言えます。

[注1]「社会保障改革案」と厚生労働省案(5月12日)との異同

厚生労働省は5月12日の第6回集中検討会議に「社会保障制度改革の方向性と具体策」を提出しました。これは、本稿で検討する「社会保障改革案」のための「叩き台」とされました。

これの総論部分には、以下のような注目すべき指摘が含まれていました。(1)従来の厚生労働省文書と異なり、教育施策や住宅政策、さらには「社会の構造変化等の状況に合わせた社会保障分野以外の見直し」等、他省庁の政策に「越境」していた。(2)「社会保障支出の対GDP比」と「国民負担率」をワンセットにして、「先進諸国と比較して低水準」と率直に認めていた。(3)「『無謬性』を前提とした運営」を率直に反省し、「間違いが生じることも想定したチェック機能、フェイルセーフ機能を考えること(『無謬性』を前提としないこと)を提起していた。(4)従来の同省の方針から転換し、「税と社会保険料を一体徴収する機関として歳入庁の創設などの環境整備」を提唱した。しかし、これらの大胆な記述は「社会保障改革案」ではすべて削除されました。

他面、厚生労働省案の各論は抽象的で、具体的な改革はまったく示されていませんでした。ただしこれは厚生労働省の責任ではなく、民主党幹部が「厚労省案には具体策は盛り込まないでほしい」と待ったをかけたためのようです(「朝日新聞」5月13日朝刊)。

私は厚生労働省案に対する談話で、次のように述べました。「『医療と介護』施策は『給付の重点化・効率化』(=給付の削減)が前面に出ており、小泉政権時代への先祖帰りだと思う。『高度医療や高額かつ長期にわたる医療』に『対応』するのは当然だが、それへの『重点化』のみを強調し、何を削減するかについてはまったく触れていない。これでは、吉川洋氏(東大院経済学研究科教授)らが小泉政権時代に執拗に求め、当時厚労省が拒否して見送られた、『免責制の導入』や『保険給付範囲の縮小=混合診療の拡大』を狙っているとの疑心を生みかねない」(3)。しかしこれは杞憂に終わり、「社会保障改革案」には免責制の導入も混合診療の拡大も盛り込まれませんでした。これは厚生労働省の見識と実力の現れと評価できます。

[注2]「医療・介護に係る長期推計」は力作

「社会保障改革案」の参考資料(1-2)「医療・介護に係る長期推計」(PDFPDF)は、厚生労働省が作成したと思われますが、社会保障国民会議「医療・介護費用のシミュレーション」を大幅にパワーアップした力作で、今後の医療改革を考える上で、重要な基礎資料になると思います。

社会保障国民会議のシミュレーションでは、医療改革シナリオはB1~B3の3つがあげられ、しかもB2シナリオが本命とされていました。しかし、今回の「長期推計」では、B3シナリオ(急性期医療への資源投入を徹底したもの)をベースにして、それをパターン1とパターン2に二分しています。両者は基準年が異なり(2007年と2011年)、しかも今回は新たに精神医療の改革も見込んでいるため、数値の単純な比較はできませんが、それでも「現状投影シナリオ」よりも、改革シナリオの方が医療・介護費が増加すること、および医療費に関しては今後も保険料が「主な財源」であり続けることが再確認されています。

今回の「長期推計」の「改革の考え方」は、社会保障国民改革会議「シミュレーション」に比べて、以下の3点で踏み込んでいます。(1)「高度急性期」以外の一般医療は「地域に密着した病床での対応」とし、「地域一般病床を創設」することを明記した。(2)長期療養に関しては「医療区分1は介護、2・3は医療」と明記した。(3)精神病床の削減も明記した。(1)の「地域一般病床」は、病院団体(四病協)が2002年以来、制度化を要望してきた「地域一般病棟」を意味すると思います。このことは、厚生労働省が従来の急性期医療の大病院中心主義からようやく脱し、急性期医療においても民間中小病院が重要な役割を果たすことに気づいたことを示しています。それに対して、(2)・(3)は方針転換ではなく、厚生労働省の従来の方針の再確認・明示と言えます。

なお、小泉政権時代の2006年に成立した医療制度改革関連法では、2025年に平均在院日数の短縮と生活習慣病対策により、改革を行わなかった場合に比べて国民医療費が9兆円も削減できると想定されていました(4:76頁)。このような浮世離れした想定は、社会保障国民会議の「シミュレーション」でも、今回の「長期推計」でも、(コッソリ)取り下げられています(5:115頁)。

文献

[本稿の圧縮版(2つの注を省略したもの)を、6月16日、「日経メディカル オンライン」の「私の視点」欄に先行掲載しました。]

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2.論文:医療・社会保障・社会に対する国民意識の変化をどう読むか?

(「深層を読む・真相を解く(3)」『日本医事新報』2011年6月4日号(4545号):31-32頁

連載第2回「東日本大震災で医療・社会保障政策はどう変わるか?」(本誌4月16日号)で、私は東日本大震災・福島第一原発事故が今後の医療・社会保障政策に与える影響は、日本経済の復興の程度だけでなく、大震災後に突然高揚・復活した国民の社会連帯意識が長時間続くか否かでも変わると書きました。この複眼的視点に対しては「安心した」、「先が見えてきた」等のメールをいただきました。ただ、その後、社会連帯意識が「大震災後に突然高揚・復活した」との表現は不正確であり、国民の社会連帯意識や医療への信頼は大震災前から着実に向上してきたことを知りました。今回はこの点を読み解きます。

「国民全体の利益」を重視するが55%

まず、内閣府が本年4月4日に発表した「社会意識に関する世論調査」(2011年1月調査)によると、「今後、日本人は、個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきと思うか、それとも国民全体の利益よりも個人個人の利益を大切にすべきだと思うか」との質問に対して、55.0%が「国民全体の利益を大切にすべき」と答え、「個人個人の利益を大切にすべき」の27.4%の約2倍に達していました。「国民全体の利益を大切にすべき」の割合は、2005年には37.1%にとどまっていたのですが、その後ほぼ毎年増加し、2005~2011年のわずか6年間で、17.9%ポイントも増加しました。逆に、「個人個人の利益を大切にすべき」の割合は同じ期間に、5.1%ポイント低下しました。

「朝日新聞」本年3月22日朝刊に発表された「世論調査」(2011年2~3月調査)でも、「医療にかかるお金や老後の生活を支えるお金」を「社会全体で支えるべきだと思うほう」が66%に達し、「個人でなんとかするべきだと思うほう」の24%の2.8倍でした。

健康保険信頼度、医療満足度はともに81%

「朝日新聞」は、健康保険制度、介護保険制度、公的年金制度を「どの程度信頼していますか」についても調査しているのですが、驚くべきことに、医療保険制度への信頼度(大いに信頼している+ある程度信頼している)は81%に達し、年金制度と介護保険制度への信頼度(それぞれ45%、59%)を大きく上回りました()。「朝日新聞」2008年7月24日朝刊に掲載された世論調査では、健康保険制度の信頼度は68%であり、3年間で13%ポイント上昇したことになります。

「朝日新聞」の世論調査は、「健康保険を使って受けられる医療の内容に、どの程度満足していますか」についても質問しているのですが、これに対する満足度も81%という高さです(大いに満足している9%+ある程度満足してる72%。3年前は76%)。私が知る限り、これは今までに行われた医療満足度の世論調査で最高の数値です。

「朝日新聞」の調査は全国民(大半が健康人)を対象にしていますが、実際に医療機関を受診している患者でも満足度の高さと満足度の上昇を確認できます。厚生労働省「受療行動調査」(3年ごとに実施。対象は一般病院を利用した患者)によると、外来患者の「病院に対する全体的な満足度」は2002年49.7%、2005年53.8%、2008年58.0%と6年間で8.3%ポイント上昇しました。入院患者では2008年の全体的な満足度は65.9%とさらに高く、しかも6年間で10.4%ポイント上昇しました。ただし、項目別に満足度をみると、外来患者では「診断・治療に要した費用」に対する満足度(負担が小さい)は2008年でわずか14.4%にすぎず、しかも2002年の21.1%から6.7%ポイント低下していることも見落とせません(入院患者は費用について調査していません) 

ここで注意すべきは、医療・社会保障制度についての国民意識は、調査によって相当異なることです。例えば、内閣府が本年4月13日に発表した「社会保障及び『共通番号』制度に関するアンケート調査結果」(2011年3月実施)によると、「現在の社会保障制度[全体-二木]に対する国民全体の満足度(満足・まあ満足)はわずか14.5%にすぎず、逆に不満は72.6%に達していました。

しかし、WEB一対比較調査法により、社会保障制度の5分野(年金制度、医療制度、介護制度、雇用支援、少子化対策)の「相対的な満足度」を調査したところ、医療制度の相対的な満足度が飛び抜けて高くなっていました。しかも、それは3年前より明らかに上昇していました(社会保障国民会議に報告された「社会保障制度に関する国民意識調査」2008年11月)。

保険料等負担増への理解も47%

最後に、医療費負担・財源に対する国民意識について検討します。従来、大半の世論調査は、社会保障の分野を特定せず、負担・財源のあり方について質問していました。それに対して、「朝日新聞」の本年3月の世論調査では、社会保障制度全般と区別して、健康保険制度の負担の在り方を質問しています。それによると、「保険料などの負担を重くして、受けられる医療の内容を維持・向上する」が47%を占め、「受けられる医療の内容を減らして、保険料などの負担を抑える」の32%を15%ポイントも上回っていました。

実は同じ調査では、「社会保障[全般-二木]の財源」のまかない方についても質問しているのですが、その場合は、消費税引き上げが44%、所得税や法人税の引き上げが23%であるのに対して、保険料引き上げはわずか3%にすぎませんでした(「税や保険料は上げずに社会保障のサービスを減らす」が16%)。このような調査結果の「乖離」は、社会保障の負担・財源の世論調査では、社会保障の分野別に質問すべきことを示しています。なお、内閣府の上記調査は、上述したように社会保障の各分野に対する相対的満足度を調査している反面、「給付と負担のバランス」については「今後の社会保障」全般について調査し、しかも財源のあり方についての踏み込んだ調査はしていません。

健康保険・介護保険・公的年金の信頼度(%)
  健康保険制度 介護保険制度 公的年金制度
大いに信頼している 14 3 10
ある程度信頼している 67 42 49
(信頼している・小計) 81 45 59
あまり信頼していない 17 44 34
全く信頼していない 2 8 6
(信頼していない・小計) 19 52 40
出所:「朝日新聞」2011年3月22日朝刊「世論調査
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3.講演録:「あるべき医療」と「ある医療」の相克

-東日本大震災と福島第一原発事故後の医療政策を考える
(2011年6月25日 日本学術会議公開シンポジウム:社会サービスのユニバーサル・デザイン)

はじめに

私は、医療経済・政策学の視点から「あるべき医療」(「最適」でユニバーサルな医療)と現実に「ある医療」の相克について、東日本大震災と福島第一原発事故後の医療政策にも触れながら、お話しします。

本題に入る前に、私の医療経済・政策学研究についての3つの心構え・スタンスについて述べます(1:103-106頁)。第1は、医療改革の志を保ちつつ、リアリズムとヒューマニズムとの複眼的視点から研究することです。リアリズムだけでは現状追随主義に陥ってしまいますが、リアリズムを欠いたヒューマニズムだけでは観念的理想論になってしまうからです。そのために、今後の医療のあり方を論じる場合にも、私の考える「あるべき医療」を述べるだけではなく、現実に「ある医療」についても具体的に分析し、それを「あるべき医療」に近づけるために何をなすべきかを考えるようにしています。私はその際、「財源政策から逃げないこと」が特に重要であると思っています(2:17頁)。なお、「ある医療」と「あるべき医療」を対比する用法は、故砂原茂一先生の名著から拝借しました(3)。

第2の心構えは、私の事実認識、「客観的」将来予測と価値判断の3つを峻別するとともに、それぞれの根拠を示して、「反証可能性」を保つことです。ここで、「客観的」将来予測とは、私の価値判断は棚上げして、現在の政治・経済・社会的条件が継続すると仮定した場合、今後生じる可能性・確率がもっとも高いと私が判断していることです。第3の心構えはフェアプレー精神です。特に私が以前行った事実認識や将来予測が誤りであったことが判明した場合には、それを潔く認めるとともに、大きな誤りの時にはその理由も示すようにしています。

以下、次の3つの柱でお話しします。まず、日本と世界の医療制度改革についての私の事実認識を述べます。次に、私の考える「あるべき医療」とそれを実現するのに不可欠な公的医療費拡大の財源選択について説明します。第3に、東日本大震災・福島原発事故後の「ある医療」のシナリオについての、私の「客観的」将来予測を行います。

1.日本と世界の医療制度改革についての私の事実認識

まず、日本と世界の医療制度改革についての私の事実認識を4点述べます。

第1は医療制度の国際比較研究の常識で、唯一の理想的な医療(保障・提供)制度は存在しないことです。医療保障制度は医療保険方式と公費負担方式の2つに大別されますが、それぞれに一長一短がありどちらが絶対的に優れているとは言えません。医療提供制度は公的病院主体と民間非営利病院主体の2つに大別されますが、やはり一長一短があります。ただし、アメリカにおける膨大な実証研究により、民間営利病院(株式会社制病院チェーン)は非営利病院に比べ、医療費が高く、質も低いことが確認されています(4:120-122,135-137頁)。以上では、便宜上、医療保障・提供制度をそれぞれ2つの方式に区分しましたが、現実には「先進国(高所得国)」の医療制度はすべて「ハイブリッド(混合)型」です。

第2は、医療制度改革の国内的・国際的経験則で、先進国では医療制度の「抜本改革」は不可能であり、可能なのは「部分改革」だけであることです(4:71-74頁)。国内的経験について言うと、曲がりなりにも「抜本改革」と言えるのは1961年の国民皆保険制度実現だけで、他はすべて「部分改革」です。厚生労働省も2001年以降は「抜本改革」という用語を用いていません。国際的経験でも、1980年代以降、主要先進国で抜本改革を一気に実現した国はなく、政権交代でも医療制度・政策の根幹は変わりません。

最近の例をあげると、アメリカでオバマ政権が昨年実現した医療保険制度改革には公的医療保険の創設は含まれず、改革の柱は既存の民間医療保険への加入促進です。昨年成立したイギリスのキャメロン保守党・自民党連立政権は政府支出の大幅削減を打ち出しましたが、NHS予算は「聖域」とされています。お隣の韓国で2008年に成立したイ・ミョンバク政権は「小さな政府」を標榜しましたが、医療への市場原理導入は政権発足直後に挫折しました(2:14-15頁)。

第3に、以上の国内的・国際的経験を踏まえると、日本で可能かつ必要なのは、日本の医療制度の根幹(国民皆保険制度と民間非営利機関主体の医療提供制度)を維持しつつ、部分改革を積み重ねて、「あるべき医療」に近づくことだと私は認識しています。社会保障・福祉研究者の中には、社会保険方式から公費負担方式への転換を主張する方が少なくありませんが、国会に議席を有する全政党が「国民皆保険の維持(堅持)」を主張していることを考えると、それは政治的に不可能です。医療保険制度の「一元化」・「一本化」は将来的な選択肢としてはありえますが、当面の実現可能性はありません。民主党は2009年総選挙マニフェストで医療保険制度の「一元的運用」を掲げていましたが、それは政権交代直後から棚上げされ、政府の社会保障改革に関する集中検討会議が6月2日に発表した「社会保障改革案」からも削除されました。

第4に強調したいことは、「あるべき医療」と「ある医療」との相克です。1980年代以降の医療費抑制・患者負担引き上げ政策で事実上の無保険者が増加しており、この流れは小泉政権時代に加速しました(2:150-153頁)。それに対して、先述した「社会保障改革案」では「低所得者対策」が重視されていますが、逆に、東日本大震災・福島原発事故で「あるべき医療」と「ある医療」の相克が一挙に(再)拡大する可能性・危険もあります。この点については、第3の柱で述べます。

2.私の考える「あるべき医療」(「最適」でユニバーサルな医療)と公的医療費の拡大

次に、私の考える「あるべき医療」(「最適」でユニバーサルな医療)とそれに不可欠な公的医療費拡大の財源選択について述べます。

その前に、私の考える「ユニバーサルな医療」について述べます。私は、それは「いつでも、どこでも、誰でも」、支払い能力によらず「最適」な医療を受けられることだと考えています。ただ、「ユニバーサル」という用語でフリーアクセスのみをイメージする方もいるようなので、今回は「最適でユニバーサルな医療」と表現することにしました。ちなみに、この「いつでも、どこでも、誰でも」という標語は、1970年前後に革新政党や医療運動団体が、国民皆保険のあるべき姿・理念として、草の根的かつ運動論的に使い始めましたが、現在では超党派で使われるようになっています。

(1)「最適」でユニバーサルな医療の実現

ここで「最適」な医療について説明します。実は、公的医療保障給付の「あるべき水準」については3つの主張(「最適水準」説、「最低水準」説、「最高水準」説)があります(5:46-48頁)。

最適水準説は、公的医療保険給付が「必要な最適量の医療を保障する」とするもので、国内外の社会保障研究者の通説です。もちろん私もこれを支持します。意外なことに、小泉政権時代の2003年の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針」でも、これは(言葉の上では)次のように確認されています。「社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供される」。この表現は、その後の政権でも踏襲されています。

それに対して、最低水準説は、医療保障の縮小、究極的には国民皆保険制度の解体を目指している新自由主義派が主張しており、「混合診療全面解禁」論とワンセットです。

最高水準説は一部の社会保障研究者や運動団体が主張していますが、現実的影響力はほとんどありません。最適水準説と最高水準説との違いは、最適水準説が保険外併用療養費制度(アメニティと先進医療に限定した混合診療の部分解禁)を容認するのに対して、最高水準説は無差別平等の医療を主張することにあります。しかし、国際的に見ても、北欧福祉国家を含めて、公的に「最高水準」の医療を給付している国はどこにもありません。

最適でユニバーサルな医療を実現するためには、まず、1980年代以降拡大した医療格差、特に医療受診の格差を縮小することが求められます。私はそのためには、以下の改革が必要だと考えています(2:155-160頁)。第1は、国民健康保険制度の改革で、国庫補助率の引き上げ(当面、1984年の健康保険法等「抜本改革」前の水準への復元)、保険料の「応能負担」化と低所得者の保険料の大幅減免、および資格証明書交付の廃止が必要です。第2は患者の自己負担割合の引き下げ、第3は高額療養費制度の改善であり、現物給付の対象を現行の入院医療だけでなく外来医療にも拡大することと、現在3つの治療法と疾患に限定されている「特定疾病」の対象の拡大が必要と考えます。

(2)公的医療費増加の財源選択と私の判断(6:32-39頁)

以上述べた「あるべき医療」を実現するためには、それに必要な公的医療費拡大の財源を確保する必要があります。私は、現在の医療に一部ムダがあることは事実であり、医療の効率化(費用対効果の向上)が必要だと考えていますが、日本の医療費水準が主要先進国中最下位であることを考慮すると、公的医療費増加が不可欠であるとも判断しています。

その場合、「はじめに」で述べたように「財源政策から逃げない」ことが求められます。レジュメ冒頭で紹介したように、慶應義塾大学の権丈善一さんは次のよう述べています。「方向性・理念を語ることが社会保障論だと信じていた、空想的社会保障論者がこれまで等閑視していたこと。それは社会保障問題は財源調達問題であるという側面だ」(『週刊東洋経済』2011年5月28日号:9頁)。医療保障についてもまったく同じことが言えると思います。

ただし、公的医療費増加の財源についてはまだ国民合意が得られておらず、次の3つの主張が拮抗しています。第1は消費税の引き上げであり、すべての全国紙と医療政策の専門家以外の研究者が主張しています。私も消費税は社会保障の有力な財源の一つと考えていますが、消費税を引き上げても、現行の制度・政策の下では、それは年金の国庫負担率引き上げや少子化対策等に優先的に使われ、医療費にはほとんど充当されません。次に、2009年総選挙までは、民主党や善意の医療関係者は歳出の無駄削減と「埋蔵金」の活用により社会保障拡充の財源が捻出できると主張していました。しかし、民主党政権の2年間の現実でそれは不可能なことが判明しました。第3は、社会保険料の引き上げを主財源とする主張です。これは「国民皆保険制度の維持(堅持)」とも合致し、医療政策の専門家のほぼ全員がこれを支持しています。

私も基本的にはこの立場です。私は、財源選択は、財源調達力と(相対的な)政治的実現可能性の両面から判断すべきであると考えています。この点を踏まえると、主財源は社会保険料の引き上げとし、補助的にたばこ税、所得税・企業課税、消費税の引き上げを行うのが、(相対的には)もっとも実現可能性が高いと思います。

ただし、社会保険料の引き上げは組合管掌健康保険、「協会けんぽ」等の被用者保険に限定し、それが困難な国民健康保険と後期高齢者医療制度では逆に国庫負担を増額すべきです。また、組合管掌健康保険については、極力、使用者の保険料負担割合を引き上げるべきと考えます。さらに、保険料の上限は、被用者保険だけでなく、国民健康保険でも引き上げが必要です。さらに、全保険者間に何らかの形の財政調整を導入すべきと考えます。実は、これは民主党の2009年総選挙マニフェストにも含まれていたのですが、政権交代後はすぐに棚上げされました。

3.東日本大震災・福島原発事故後の「ある医療」のシナリオ-「客観的」将来予測

三番目に、東日本大震災・福島原発事故後の「ある医療」のシナリオについて、私の「客観的」将来予測を行います(7)。

予測を行う際には、短期的予測と中長期的予測を区別する必要があります。短期的には、東日本大震災と福島原発事故に加え、菅政権の早期退陣がほぼ決まったため医療改革の大半が棚上げされるのは確実です。中期的予測は、日本経済が復活するか否か、および国民の社会連帯意識が長期間続くか否か、という2つの視点を組み合わせて行う必要があります。

もし、国民の社会連帯意識が長期間続き、しかも日本経済が順調に復活した場合には、医療・社会保障拡充のいわば「バラ色シナリオ」の可能性があります。他面、国民の社会連帯意識が短期間で消失し、しかも日本経済が衰退し、国家財政が破綻した場合には、経済成長・再建の切り札の一つとして、医療・社会保障への本格的市場原理導入=新自由主義的改革が「ゾンビ」のように復活する危険があります。最悪の「地獄のシナリオ」は、今後、民主党と自民党の大連立政権が成立し、それが災害の復興が一段落した段階で、「日本(経済)復活」を大義名分にして、TPP(環太平洋戦略的連携協定)参加と医療・社会保障分野への本格的市場原理導入(混合診療と株式会社による医療機関経営の全面解禁等)および厳しい医療費抑制政策をワンセットで強行することです。

民主党は、2009年の総選挙時には、医療分野への市場原理導入を否定し、医療費と医師数の大幅増加を掲げていました。しかし、特に菅政権が成立して以降、医療分野への市場原理導入論が部分的に復活しました。この理由については、文献(8)で検討したので、お読みください。また、TPP参加が日本医療に与える影響については、文献(9)で検討したのでお読みください。ここで強調したいことが2つあります。第1は、TPP参加により、医療の市場化・営利化が「経済特区」等で進むが、「国民皆保険の崩壊」はないこと、第2は、日本のTPP参加は「既定事実」ではなく、東日本大震災後は参加の可能性が低下していることです。ただし、「日本経済新聞」や新自由主義派研究者等は経済復興を口実にして、執拗にTPP参加を主張しているので、油断はできません。

以上「バラ色シナリオ」と「地獄のシナリオ」について説明してきましたが、私自身は、両者の「中間シナリオ」実施の可能性が高いと判断しています。このことは、社会保障改革に関する集中検討会議が6月2日に発表した「社会保障改革案」でも確認できます(10)。この改革案は、社会保障の機能強化と持続可能性の両方を目指しており、福田・麻生政権時代の社会保障国民会議報告の復活・復権と言えます。この改革案について、社会保障の主財源は消費税と明示したとの報道が少なくありませんが、それは間違いです。消費税はあくまで公費分の主財源であり、医療の主財源は保険料であることが明示されています。この改革案には、高額療養費の見直しと「総合合算制度」(「制度横断的な利用者負担総合合算制度(仮称)」)という改善提案も含まれています。しかし、それらとワンセット(抱き合わせ)で提案されている「受診時定額負担」と「社会保障・税に関わる共通番号制度」には大きな問題があります。

おわりに

以上、「あるべき医療」(最適でユニバーサルな医療)と現実に「ある医療」を対比させながら報告してきました。最後に、2つのことを強調して、私の報告を終わります。第1は、公的医療費の拡大によるあるべき医療の実現には、日本社会の安定性・統合性の維持・向上というもう1つの効果があることです。

第2は、あるべき医療を実現するための絶対条件は、公的医療費増加のための長期的な財源についての国民合意を形成することです。国民の社会連帯意識や医療への信頼が大震災以前から着実に向上していることはこれの追い風と言えます(11)。他面、主財源である社会保険料引き上げに対しては、財界だけでなく大企業の労働組合(連合)も強く反対しており、壁が厚いのも事実です。しかし、それを突破しない限り、公的医療費抑制政策を根本的に転換することはできません。

文献

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算67回.2011年分その4:5論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○なぜ統合医療[提供システム]はアメリカで広く普及せず、イギリスではまったく存在しないのか?
(Bevan G, et al: Why hasn't integrated health care developed widely in the United States and not at all in England? Journal of Health Politics, Policy and Law 36(1):141-164,2011)[比較研究]

一部の論者は、統合医療提供システム(IHCDSs)モデルに基づいてアメリカとイギリスの医療財政・提供制度を改革すべきと主張している。少数のIHCDSが良質な医療を経済的に提供しているエビデンスが存在するにもかかわらず、そのような組織はアメリカではごく少なく、しかも一部の医療市場に存在するだけだし、そもそもイギリスのNHSには存在しない。なぜそうなのかを説明する要因は以下の通りである:(1)両国で医師が専門分化する仕組み、(2)イギリス医療における一般医(GP)と専門医の分断、(3)確立し成功しているIHCDSには6つの特性があるが、それらは新しいIHCDS参入の重大な障壁になっている。例外的に成功しているIHCDSの典型は、医療保険と医師・病院を階層的に統合し、しかも人頭払い方式であるカイザー財団等である。これらの要因に加えて、1990年代には「マネジドケアに対する逆流」も生じたため、IHCDSは行き詰まり、最近のアメリカ医療でもっとも有望な組織形態は、既存の垂直統合組織とネットワーク組織を柔軟に結合した混合型・「ハイブリッド」型になっている。イギリスでは、政府が1990年代に「内部市場」政策を採用し、現在も、医療提供者間の競争を促進する医療購入者・提供者の分離政策が実施されている。これが、イギリスのNHSを良好なパフォーマンスのIHCDSに再編することを困難にしている。

二木コメント-イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)とアメリカのコロンビア大学の研究者による高水準な米英比較研究です。日本でも、松山幸弘氏は「米国で急成長している統合ヘルスケアネットワーク(IHN)」を日本に移植する「日本版ニューディール計画」を提唱しています(『医療改革と経済成長』日本医療企画,2011)。しかし、それはアメリカのごく少数の例外的な優良「統合医療提供システム」・IHNが一般的・普遍的医療組織であるとの事実誤認に基づいた幻想です。なお、私は1998~2000年に「保健・医療・福祉複合体とIDS(統合医療供給システム。松山氏のIHNはこの一部)の日米比較研究」を行い、松山氏とはまったく異なる結論(日米医療の異質性の再確認)を得ています(『21世紀初頭の医療と介護』勁草書房,2001)。

○[アメリカでの]手術[支援]ロボットの普及と根治的前立腺摘出術実施率との関連
(Makarov DV, et al: The association between diffusion of the surgical robot and radical prostatectomy rates. Medical Care 49(4):333-339,2011)[量的研究]

全国データを用いて、後方視的コホート分析により、全米71の病院医療圏(hospital referral regions)および病院レベルでの手術支援ロボット(以下、手術ロボット)導入と根治的前立腺摘出術(以下、手術)数・率の変化との関係を検討した。調査年は手術ロボット導入前の2001年と導入後の2005年である。手術総数は2001年の14,801から20005年の14,420に漸減していた。2005年には、71医療圏中36(67%)に手術ロボットを導入した病院があり、67病院(総数の12%)がロボットを導入していた。2005年の調整済み手術率は、手術ロボット導入医療圏と手術ロボット導入病院で有意に高かった。後者の1病院当たり年間手術数は平均29.1増加していた。
二木コメント-手術ロボット導入が根治的前立腺手術を「誘発」したことがキレイに実証されています。

○[壺から]逃げた魔神の記録:ロボット[支援]手術
(Barry M: Documenting the genie's escape: robotic surgery. Medical Care 49(4):340-342,2011)[評論]

アメリカでは根拠に基づいた医療が根付いているとの期待があるが、前立腺摘出術の趨勢はそれへの反証となっている。過去10年間、前立腺がんの発生率は安定しているが、前立腺摘出術は2005年を底として上昇に転じ、2005~2008年に60%も増加している。特にロボット支援の腹腔鏡下前立腺摘出術数は同じ期間に4倍も増加している、それが根治的前立腺摘出術の85%を占めているとの推計もある。しかし、それのアウトカム研究はほとんど行われていない。2010年に発表された体系的文献レビューではデータの質がきわめて低いことが示されている(25試験中ランダム化試験は2つのみ等。Kang DC, et al: "Low quality of evidence for robot-assisted laparoscopic prostatectomy: results of a systematic review of the published literature. Eur Urol 57(6):930-937,2000)。現時点では、ロボット支援手術が既存手術に比べて、長期の生命予後がよい、あるいは副作用(失禁や勃起不全等)が少ないとの証拠もない。ロボット支援手術の費用が高額なことには議論の余地がない。しかし、一度逃げた魔神(ロボット支援手術)を再び壺に戻すのは困難である。

二木コメント-本論文は、上記Makarov論文へのコメント(Editorial)ですが、ロボット支援手術についての簡潔かつ最新の評論にもなっています。

○死への接近が疾病別の入院医療費に与える影響の探索:薫製ニシン[人の注意を逸らすもの]への前菜
(Wong A, et al: Exploring the influence of proximity to death on disease-specific hospital expenditures: A carpaccio of red herrings. Health Economics 20(4):379-400,2011)[量的研究]

死亡までの期間(死への接近)が年齢よりもずっと重要な医療費予測要因であることは、繰り返し示されてきた。これは年齢の「薫製ニシン」(人の注意を逸らすもの)仮説と呼ばれている(Zweifelらが1999年に命名)。本論文では、この仮説が疾病別の入院医療費(以下、医療費)についても言えるか否かを検討する。オランダの1995~2004年の入院患者1125万人の縦断データ標本を用いて、94疾病別の2分割モデル(two-part model)を推計した。このモデルに基づいて、モンテカルロ・シミュレーションを行い、死亡までの期間(年単位)と年齢の医療費予測確率(predictive value)を評価した。その結果、死亡までの期間は、ほとんどの疾患で医療費の明確な予測要因であり、特にほとんどの癌で予測効果が大きかった。さらに一部の非致死的疾患でも、死亡までの期間は医療費の重要な予測要因であった。死亡までの期間を標準化すると、年齢も医療費の重要な予測要因であったが、その影響は死亡までの期間よりは弱かった。死亡までの期間、年齢と疾患別医療費との関連には大きなバラツキがあることを考慮すると、年齢は「薫製ニシン」というより「薫製ニシンの前菜」であると言うべきだろう。

二木コメント-死亡までの期間に注目した医療費予測研究は、年齢・人口高齢化による医療費増加の過大評価を戒める上では有用だと思います。ただし、年齢と異なり、死亡までの期間は事後的にしか分からないため、現実の医療費予測研究にはほとんど使えないと思います。なお、Zweifelグループ(「薫製ニシン」学派)によるもっとも新しい実証研究は本「ニューズレター」40号(2007年12月)に紹介しました(「人口高齢化と医療費-『薫製ニシン[人の注意をそらすもの]』学派?」 Werblow A, et al: Population ageing and health care expenditure: A school of "red herrings"? Health Economics 16(10):1109-1126,2007)。

○[オランダの公的]長期ケア費用の決定要因:年齢、死亡までの期間、それとも障害?
(de Meijer C, et al: Determinants of long-term care spending: Age, time to death or disability? Journal of Health Economics 30(2):425-438,2011)[量的研究]

人口高齢化の下では、何が長期ケア費用を増加させるかについて、より正確に理解することが求められている。一般には、長期ケア費用の予測には年齢よりも、死亡までの期間の方が有効とされている。本研究では、年齢と死亡までの期間の役割を、障害と同居者の有無を調整した上で再検討した。オランダの55歳以上の全住民(403万人)の公的長期ケア費用(施設ケアと在宅ケアの両方)データを用い、二分割モデル(two-part model)により、公的長期ケア費用と年齢、死亡、死亡までの期間、死因、および同居者の有無、障害(ADL障害と移動障害等により区分)との関係を検討した。その結果、長期ケア費用は、独居者および糖尿病、精神疾患、脳卒中、呼吸器疾患または消化器疾患の死亡者で高く、がん死亡者では低かった。死亡までの期間は、障害を調整すると、在宅ケアの決定要因ではなかった。このことは、死亡までの期間は障害と近似していることを示唆している。ただし、死亡までの期間を障害で置き換える前に、障害評価の標準化が求められる。

二木コメント-膨大な計算をしている割には、"So what?" (ET alors?)です。ただし、「死亡までの期間」を相対化する上では、意味がある論文かもしれません。多くの類似研究と異なり、対象は医療費ではなく、福祉費です。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その79)-最近知った名言・警句

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