総研いのちとくらし
ニュース | 調査・研究情報 | 出版情報 | 会員募集・会員専用ページ | サイトについて

『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻145号)』(転載)

二木立

発行日2016年08月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


1. 論文:國頭医師のオプジーボ亡国論を複眼的に評価する-技術進歩と国民皆保険制度は両立可能

(「二木学長の医療時評」(140)『文化連情報』2016年8月号(461号):18-26頁)

はじめに-オプジーボ狂想曲の突発

國頭英夫医師(ペンネーム:里見清一。日本赤十字社医療センター化学療法科部長)の「オプジーボ亡国論」が大きな議論を巻き起こしています(1-4)。國頭医師は、免疫チェックポイント阻害薬オプジーボ(一般名:ニボルマブ)を受ける肺癌患者の年間医療費は3500万円で、それが適応のある患者5万人全員に投与された場合は年間1兆7500億円に達すると推計し、オプジーボ「登場を契機として、いよいよ日本の財政破綻が確定的となり、"第二のギリシャ"になる」と主張しています(2)

この衝撃的主張を、全国紙3紙が社説で取り上げ(「産経新聞」5月9日、「日本経済新聞」5月16日、「読売新聞」5月23日)、「毎日新聞」と「産経新聞」と『週刊新潮』がこれについての長期連載を掲載しました(それぞれ、「がん大国白書-新薬の光と影」、「薬価危機-迫られる選択」、「医学の勝利が国家を亡ぼす」)。これら以外にも、多数の新聞・雑誌にたくさんの単発記事が掲載されました。その多くは、「たった1剤で国が滅ぶ」(「毎日」4月6日連載(4))、「一剤が国を滅ぼす」(「産経」4月30日連載(1))、「医学の勝利が国家を亡ぼす」(『週刊新潮』の特集名)など、國頭医師の主張を無批判・扇情的に報じています。しかし、「新薬 期待しすぎは禁物」、「抗がん剤投与に年間3500万円…高額な薬価なぜ」など、冷静で落ち着いた報道もあります(5,6)。他面、高名な脳科学者の池谷裕二氏は、オプジーボの「適用範囲が拡大されれば、国の医療総額は年間10兆円に届く可能性がある」と、何の根拠も示さず主張しています(7)。ちなみに、この10兆円は2013年度の国民医療費中の医薬品費総額に匹敵し、トンデモ数字と言えます。

それに対し、柿原浩明京都大学大学院教授等は、國頭医師の上記推計がきわめて誇大であることを詳細に明らかにしています(8)。驚いたことに、國頭医師自身も、最近は、「ニボルマブと1兆5千億円の数字を象徴的な意味で出した」とあっさり認め、「六千数百億円」に下方修正(?)しています(『週刊新潮』2016年7月7日号)。これらにより國頭医師の主張の根幹が崩れたとも言えます。

ただし、國頭医師がオプジーボを「象徴」とする高額医薬品が、今後の医療政策と医療保険財政、さらには医療の在り方に与える影響について重要な問題提起をしたこと自体は正当に評価すべきと思います。そこで、本稿では、まず医療経済・政策学の視点から、次に医療技術評価と医療倫理の視点から、國頭医師の主張の功罪を複眼的に検討します。

医療経済・政策学の視点から見た國頭医師の主張の2つの功績

まず、医療経済・政策学の視点からは、國頭医師の主張には2つの功績があると思います。第1の功績は、安倍政権が昨年閣議決定した「骨太方針2015」中の今後3年間・5年間の社会保障費抑制の数値目標(「目安」)が非現実的であることを明らかにしたことです。

これは、期間中、毎年の社会保障費の伸びを「高齢化による増加分」(約5000 億円)に限定し、医療技術進歩による医療費増加を一切認めないという、史上最大の医療費抑制方針でした(9)。しかも、本年7月の閣議決定「骨太方針2016」は、「『経済財政再生計画』における歳出・歳入両面の取組を進める」という文言で、この数値目標を再確認しました(31頁)。

しかし、國頭医師の主張により、新薬を含むほとんどの医療技術進歩が医療費を増加させるという、医療関係者なら誰でも知っている常識・歴史的事実がジャーナリズム等で「再発見」されました。これが契機となって、社会保障・医療費抑制の数値目標の撤回・見直しが行われることを期待します。

第2の功績は、國頭医師の主張がいわば「ショック療法」となり、政府・財務省・厚生労働省、中医協、日本医師会等で、オプジーボを含めた高額医薬品の費用抑制策の議論と合意形成が急速に進んだことです。すでに本年の診療報酬改定時に、高額医薬品の「市場拡大再算定の特例」による薬価引き下げ(最大50%)と、医療技術の費用対効果評価の試行的導入が決まりました。これら以外にも、高額薬剤の適応追加時の薬価再算定(「期中改定」)、現行の薬価算定方式(原価算定方式と類似薬効評価方式)そのものの見直し、高額医薬品の費用捻出のための長期収載品の薬価引き下げ、高額医薬品の適正使用を促進するための各種「ガイドライン」の設定等が提案されています。

注目すべきことに、高額薬剤対策を巡っては、厚生労働省、日本医師会、保険者、さらには財務省の間で「呉越同舟」とも言える合意形成が生まれています。しかも日本の製薬業界の政治力が伝統的にきわめて弱いことを考慮すると、今後、これらの提案の多くが導入される可能性は高く、結果的に國頭医師の「予言」は実現しないと思います。剛腕で有名な武田俊彦医薬・衛生局長も、就任直後の6月23日の日本病院学会・開会式の挨拶で、高額薬剤問題が局として取り組む最大のテーマであると明言しました。

なお、中村洋氏(慶應義塾大学教授)は、日本の製薬企業の「3つの限界」の第1に「『高薬価型』新薬の研究開発のみに依存したビジネスモデルの限界」をあげ、製薬企業に対して、「マクロレベルでの予見力」を持ち、「薬剤費上昇抑制策に対する耐性を持つ企業への脱皮」を提言しています(10)。この提言は、今後の製薬産業の発展と過度の国民医療費増加の抑制の両立の方向を示しており、大変見識があると思います。

医薬品・技術進歩は「独立変数」ではない

他面、医療経済・政策学の視点からは、國頭医師の主張には、2つの誤りがあります。

第1の誤りは、医療政策が医療費抑制に果たしている役割を無視し、現在の数値をそのまま外挿して将来予測を行う方法論的な誤りです。この視点から、國頭医師は、短期的にはオプジーボの薬価の引き下げは「不可能に近い」と見なし、現在の高薬価が将来的にも続くとしています。

しかし、医療経済・政策学の膨大な理論研究と実証研究が明らかにしているように、少なくとも、日本と同様に国民の大多数を対象にする公的医療保障制度が存在する国では、医薬品・医療技術は決して「独立変数」ではなく、政府の医療費抑制政策の影響を受ける「従属変数」です【注1】。歴史的にみても、医療費高騰により、国家破産はもちろん、医療保険制度の破綻が生じた国はありません。民間保険主体の米国では、他の先進国に比べて医療費抑制政策の「効き」が悪いのは事実ですが、それでも、2008年のリーマンショック後の世界同時不況後は、総医療費の伸びは鈍化しています。

第2の誤りは、日本の医療政策の歴史に学んでいないことです。本誌読者には、「医学の勝利が国家を滅ぼす」という國頭師の主張を聞いて、吉村仁保険局長(当時)の「医療費亡国論」(1983年)を連想される方も少なくないと思います。ただし、これは総医療費の増加についての主張であり、國頭医師の主張とは別次元です。それに対して、日本で、第2次大戦後に、特定の疾患・治療法により医療費が急増し、保険財政の破綻が危惧されたことは、2回あります【注2】。1つは、1950年代の結核医療費、もう1つは1970~80年代の透析医療費です。しかし、いずれの場合も、医療技術進歩と医療費抑制政策の組合せにより、医療保険財政の破綻は生じませんでした。以下、これについて少し詳しく説明します。

結核医療費の減少

まず、結核医療費について述べます。結核は1950年代まで「国民病」と言われ、結核死亡は1950年まで死因順位の第1位でした。その後、死亡率は低下し始めましたが、高額の抗生物質の導入や外科治療(肺切除術)の(一時的)増加により結核医療費は増加し続け、厚生省(当時)はその対策に追われました。砂原茂一氏によると、当時、厚生省は「ある意味で結核省」であったそうです(11:251頁)

結核医療費の重荷は特に入院医療費で大きく、政府から委嘱され、健康保険及び船員保険の財政対策を包括的に検討した「七人委員会の報告」(1955年)(12)によれば、1954年の「入院診療中結核の占める割合」(点数)は、健康保険の被保険者では65.9%に、被扶養者でも44.9%に達していました(37頁)。しかも、当時は「結核は引き続き若干増える」(87頁)と予測され、医療費増加の抑制のため、「規格診療」の導入(当時保険診療に広く導入されていた「制限診療」を、各種技術料の差額徴収に「前進」させる。現代的に言えば「混合診療全面解禁」)、患者一部負担の増加、入院の事前審査、各種治療指針の設定等の医療費抑制策が網羅的に提案されました(206-220頁)。

しかし、その後、抗生物質の進歩・普及・薬価引き下げと患者数の減少により、結核医療費の国民医療費に対する割合は急激に低下しました。表1 (PDFファイルPDF)に示したように、1955年の27.4%が、10年後の1965年には9.9%と1割を切り、さらに10年後の1975年には3.6%にまで低下し、1980年には1.7%となりました。医療費実額でみても、1975年の2355億円をピークにして減少に転じました。患者数も減少を続け、1955年には40.35万人(患者総数の13.7%)だったものが、1980年には6.56万人(同0.8%)にまで低下しました。その結果、結核医療費は政策的に問題とされなくなり、「七人委員会の報告」で提起された包括的な対策のほとんどは見送られました(13)

透析医療費の抑制

慢性腎不全患者に対する透析医療は、1972年の更生医療適用と1973年の高額療養費制度発足による患者負担の引き下げ、および透析医療費の高点数設定により急速に普及し、患者数は1970年の949人から1980年の36,397人へとわずか10年間で38.4倍に激増しました。

それに伴い、1970年代後半から透析医療費は「高額医療費」の代表と見なされるようになり、厚生省は1978年と1981年の診療報酬改定で、透析技術料・ダイアライザー償還価格をそれぞれ20~30%引き下げました。これにより、外来透析患者の1人当たり年間医療費(注射・検査・診察等を含む)は1977年(以前)の約1000万円から、1978年の約800万円、さらに1981年には約600万円へとわずか4年間で4割も引き下げられました(14-16)。なお、1977年と1978年の数値は、高野健人氏等が報告した埼玉県の一透析センターの実績値(月間費用)を12倍化して得ました。1981年の数値は、当時私が勤務していた東京・代々木病院の透析センターの実績値です。

厚労省が1970~80年代に診療報酬点数操作により透析医療を実施する医療機関を巧みに誘導したことについては、若手官僚(当時30歳)の以下のような貴重な証言があります。「ダイアライザーができたときに、時の政策担当者はどういうことをしたかというと、まず、きわめて高い点数をつけたんです。…言ってみれば、わざと儲かるように設定したわけです。…そうすると、バーッと世の中に普及する。普及したところで、当方(厚生省)としては、だいたいこれくらい供給があれば、医療として満足できるというレベルに行ったところで、バサッと点数を切ったわけです。バサッと切って、あとは競争させて受療率のいいところだけを残している。実際はそういうことをやっているんです。いいやり方か悪いやり方かは別として、私は極めてうまいやり方だと思っています」(17)。この発言の主は、本年6月に惜しまれつつ退官した香取照幸雇用均等・児童家庭局長です(18)

1980年代以降も、ほとんど毎回の診療報酬改定で、透析医療費は引き下げられました(19,20)。山川智之氏らは、この減額は「主に透析治療に対する技術料とダイアライザー価格の引き下げ、及び種々の包括化=定額払いによってなされ、国民医療費高騰の中で、他の医療費引き上げの『原資』とされてきた」と説明しています(19)。その結果、外来透析患者の1人当たり年間医療費は2002年以降は480万円(月約40万円)にほぼ固定されています(21)。(1人平均の1月当たり請求点数を12倍化)。

他方、透析患者数は1980年の36,397人から2010年の298,252人へと30年間で8.8倍に増加しています(表2 (PDFファイルPDF))。これは同じ期間に患者総数が7%しか増えていないのと対照的です。しかし、上述した透析医療費の抑制により、透析医療費の国民医療費に対する割合は1980年の4.8%から漸減を続け、2000年には3.3%にまで低下しました。その後は増加に転じていますが、それでも2010年と2013年の3.8%は、40年前の1980年代の水準を大きく下回っています。山川氏らはこれらを踏まえて、「四半世紀の間で一人当たりの透析医療費はほぼ三分の一にまで減額された」と評価しています(19)

2010年以降は透析患者数の年間増加はそれ以前の約1万人から約5千人へと半減しているため、透析医療費の国民医療費に対する割合が今後急増することがないのはほぼ確実です。

以上2つの疾患・療法の医療費の歴史的経験を踏まえれば、オプジーボ等の高額医薬品の費用も政策的に制御可能と予測できます【注3】

医療技術評価と医療倫理の視点から見た國頭医師の主張の功罪

次に視点を変えて、國頭医師の主張の功罪を医療技術評価と医療倫理の視点から検討します。

医療技術評価の視点から評価できる点は、國頭医師が今後のオプジーボ費用の高騰を抑制するために、早期に「この患者は今後継続しても効果が期待できない」と予測する方法を見つけることの重要性を強調していることです。この研究の前提として、オプジーボの肺癌患者に対する「奏功率」(反応率)が15-20%に過ぎないという厳しい現実があります。この点は、透析医療がほぼすべての慢性腎不全患者に効果があるのと対照的です。このようなオプジーボの特性を踏まえた効果的・効率的使用、「適正利用」を探る研究は、新薬の開発を促進しつつ、医療保険財政を維持するためにに不可欠です。

個人的なことで恐縮ですが、私は東京・代々木病院にリハビリテーション医として勤務していた1970年代後半~1980年代前半に、「効果的・効率的なリハビリテーションを行う」ために、「脳卒中患者の最終自立度(歩行能力)を早期に予測する」研究に従事しました(22)。当時、リハビリテーション資源は絶対的に不足していたために、このような研究が不可欠と考えたからです。この経験があるので、國頭医師の計画している研究には多いに期待しています。

この点と関連して、國頭医師は「現時点では投与前の治療効果が予測できません。当面も、そうした予測が可能になる見込みはない」と断言し、「厳しい使用制限」の下での処方は不可能と主張しています(2)。それに対して、浜六郎医師等は、詳細な文献レビューに基づいて、すでに商品化されているPD-L1抗体検査を行えば、オプジーボで延命効果が期待できる患者を相当正確に予測できるので、オプジーボは「PD-L1の発現を検査して高発現例に限定」して使用すべきと提言しています(23)。これが妥当であれば、すでに現時点でも、オプジーボの適正使用は相当可能であり、その費用高騰も相当予防できることになります。

次に、医療倫理学の視点から見た國頭医師の主張の問題点は、オプジーボの枠を超えて、高額医療全般の「長期的対策」として、次のように主張していることです。「75歳以上の患者には、すべての延命治療を禁止する。対症療法はこれまでと同じように、きちんと行う。これこそが公平で、人道的で、かつ現実的な解決法なのである」(1:118頁)。これは、究極的な老人差別であり、國頭医師のさまざまな主張のうち、最大の問題点だと思います。

しかも、この主張は、今後の医療・介護においては、「人生の最終段階の医療や介護の在り方も含め、『治し・支える医療』が求められている」という、社会保障制度改革国民会議報告書(2013年)に示された国民合意を否定するものであり、とても「現実的な解決法」とは言えません(24)

私は國頭医師のこの「解決方法」を読んで、1970年代のイギリスでは、歴代政権による厳しい医療費抑制政策の下での透析施設不足のために、高齢者の透析医療が厳しく制限されていたことを思い出しました。1978年の調査によれば、全ヨーロッパでは患者選択において年齢制限を設けている透析センターは30.4%でしたが、イギリスでは82.4%に達していました(14:140頁、25)

しかし、その後、ブレア労働党政権による医療費拡大政策への転換と透析医療技術の進歩、透析単価の低下と透析センターの増加により、このような高齢者差別は相当解消されました。このことは、一時点での資源制約を前提にして、新医療技術・高額医療の機械的な適用制限を行うことの危うさを示しています。

さらに私が國頭医師の主張を読んで「恐ろしい」と思ったことは、アメリカのエマニュエル氏の「人間は75歳を過ぎると生産性がガクッと落ち、あとは余生みたいなものだ」との主張を肯定的に引用していることです(4:55頁)。この論理では、75歳未満でも、障害などにより「生産性がガクッと落ち」ている人々への延命医療も、医療費の制約を理由にして、禁止されかません。

おわりに-技術進歩と国民皆保険制度は両立できる

以上、國頭医師の主張を、医療経済・政策学の視点と、医療技術評価と医療倫理の視点から検討してきました。それにより、氏の主張には評価できる面もあるが、オプジーボを「象徴」として用いる高額医薬品による国家財政破綻論に根拠はないし、国際的・国内的経験に基づけば、今後、新医薬品・医療技術価格の適正な値付けと適正利用を推進すれば、技術進歩と国民皆保険制度は両立できるとことが明らかにできたと思います。現在求められているのは、國頭医師のように物事を「静的」・悲観的にとらえて、扇情的な「ショック療法」に訴えるのではなく、物事を「動的」・発展的に把握して、実現可能な対策を冷静に考えることだと思います。

【注1】医療技術が医療費増加の「独立変数」ではないことを示した古典的2論文

私は、『日本の医療費』(1995)の第2章「医療技術進歩と医療費抑制政策」のⅢ「技術進歩は1980年代に医療費水準を上昇させたか?」で、日本の1970~1992年の医療費データの分析に基づいて、日本では1980年代以降、医療技術(進歩)が医療費水準を引き上げていない」ことを示し、「おわりに」では、「医療技術進歩は医療費増加の『独立変数』ではない」ことを指摘した古典的2論文を以下のように紹介しました(26)

<アメリカでは、技術進歩を医療費増加の「独立因子」とみなし、医療費増加を不可避と考える傾向が根強い。それに対して、カナダを代表する医療経済学者であるEvansは、今から10年も前の1985年の論文「必要性の幻想」で、このような見方を批判し、「技術進歩が医療費に与える影響は、医療システムが技術進歩にどう反応し、それをどう利用するかに依存している」、「技術進歩自体は、外部から医療システムに影響を与える『外生変数』ではない」と主張していた(27)。ちなみに、彼は、技術進歩だけではなく、人口高齢化についても同じことが言えるとしている。さらに、Getzenも、「医療費水準は、客観的な趨勢-人口や、死亡率、技術、あるいは他のコントロール不能な要因-の産物ではなく、主として政治的かつ専門職による選択の結果だ」と、強調している(28)。>

【注2】1990年前半のインターフェロン費用高騰には2年で歯止め

1990年代前半には、C型肝炎の「夢の新薬」と期待されていたインターフェロン使用の普及による医療費高騰が危惧されましたが、それにはわずか2年で歯止めがかかりました。

この言説は、1992年にインターフェロンがC型肝炎に対して保険適用された直後に始まりました。国会でその口火切ったのは民主党の今井澄参議院議員で、1993年4月20日の厚生委員会で、以下のように発言しました。インターフェロンが「C型肝炎、慢性肝炎に適用になってから大変使われるようになっている」、「それで一挙に市場が五倍にも拡大した。昨年[1992年]半年で約四百億円の薬が売れたというふうな関係筋の話しもあります」、「これは大体一千億を超える商品ではないだろうかな、一千億どころか一兆円に迫る商品ではないかと言われております」、「これは日本の医療費、国民医療費にとって非常に大変なことだと思います」。

1996年には、森口尚史氏等は「最適治療戦略に基づいて100万人のC型慢性肝炎患者にインターフェロン療法を施行した場合の総医療費は9.4兆円~11.3兆円となる」と推計しました(29)。彼らはインターフェロン療法をまったく「行わず、従来行われていた治療を行った場合」(14.2兆円)と比べると、2.9~4.8兆円の医療費削減効果があるとも主張しました。

事実、インターフェロンの市場規模(薬価ベース)は1992年には前年度の5倍の1500億円になり、1993年には2000億円に達しました。しかし、1994年には一転して1400億円に激減し、その後も毎年減少し続けました:1995年900億円→1996年870億円→1997年750億円→1998年650億円→1999年590億円(『日経バイオ年鑑』各年版)。

この理由としては、以下の要因が考えられます。①1993、1994、1996年の薬価の大幅切り下げ(1996年には市場が急拡大した場合の「再算定」導入)。②1993年の保険局通知により、インターフェロン再投与が事実上禁止された。③C型肝炎ウィルスの型によりインターフェロンの効果に違いがあることが明らかになった。④インターフェロンの副作用が当初の予想よりも多かった。⑤C型肝炎の新規発生はほとんどないため、インターフェロンの急速な普及により、それの適応がある患者数が減ってきた。

なお、2007年にB型肝炎訴訟で原告が勝利した直後には、インターフェロンの使用拡大により医療費は5兆円増加するとの推計も出されました。しかし、2008年に肝炎へのインターフェロン療法の公費助成が始まって以降もそれは生じていません。2005~2010年には500億円を維持していたインターフェロンの売上高(薬価の85~90%)は、2011年度から減少に転じ、2014年には285億円となりました(『製薬企業の実態と中期展望』各年版)。

【注3】トマスと川上による医療技術の古典的3区分説と医療費

医療技術の区分・発展段階と医療費との関係を論じた古典的研究に、アメリカのルイス・トマスの3区分説(無技術→中間的技術(half-way technology)→高度技術)と川上武氏の3区分説(現象論的技術→実体論的技術→本質論的技術)の2つがあります(30-32)。これら2説は、1970年代前半にまったく別個に提唱されましたが、両者の3区分はほぼ対応しています。 以下、拙著『医療経済学』に拠って説明します(14:95-98頁)。

「高度技術」(トマス)・「本質論的技術」(川上)とは、疾病のメカニズムの完全な理解から生み出された決定的技術であり、ひとたび確立されると医療費は抑制されます。その典型が、本文で述べた結核に対する抗生物質であり、これの導入により結核医療費は劇的に減少しました。

それに対して「中間的技術」(トマス)・「実体論的技術」(川上)は、一見華々しく、国民やジャーナリズムはこれを「高度技術」と誤解することが多いが、この技術は疾病の基礎にあるメカニズムの完全な理解に基づくものではなく、疾病の最終結果を対象にしている延命技術であり、一定の効果はあるが、それにより医療費は大幅に増加します。その典型が、本文で述べた透析療法であり、それ以外に臓器移植、人工臓器、大半の癌治療が含まれます。

透析医療の導入により、慢性腎不全患者の長期間の延命・社会復帰が可能になりました。しかし、結核に対する抗生物質と異なり、透析による患者数の減少や医療費の大幅削減は望めず、ミクロレベルでは、透析患者の年間1人当たり医療費は現在でも約480万円と高額です。ただし、マクロレベル(国民医療費)では、医療技術進歩と政府の厳しい医療費抑制政策の組合せにより、透析医療費の高騰は完全に予防できている、「アンダー・コントロール」と言えます。

[本稿は、『日本医事新報』2016年7月2日号(4810号)に掲載した「國頭医師の『オプジーボ亡国論』をどう評価するか?」に大幅に加筆したものです。貴重な情報と文献をご教示頂いた山川智之氏(特定医療法人仁真会白鷺病院理事長)と岡本悦司氏(福知山公立大学教授)に感謝します。]

文献

▲目次へもどる

2.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算125回.2016年分その5:5論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカでの]経口抗がん剤の上市後の価格上昇は競争圧力の欠如を示唆している
Bennette CS, et al: Steady increase in prices for oral anticancer drugs after market launch suggests a lack of competitive pressure. Health Affairs 35(5):805-812,2016.[政策研究]

がん治療費は先例のない程上昇しており、患者、保険者および社会に重大な経済的圧力を加えている。先行研究は抗がん剤の上市時の価格上昇を明らかにしてきたが、これらの薬の上市後の価格変化にはあまり注意が払われていない。本研究では民間保険加入者の医薬品請求データを用いて、食品医薬品局(FDA)が2000~2012年に認可した24種類の経口抗がん剤の上市後の価格の変化を調査した。2007~2013年に、患者1人当たりのインフレ調整済み経口抗がん剤費用は毎年5%ずつ増加した。市場の変化により、FDAによる適応追加ごとに価格はさらに10%増加する一方、FDAによる競合医薬品の認可により価格は2%低下していた。以上の結果は、最近は抗がん剤市場では競争圧力はほとんど存在しないことを示唆している。抗がん剤費用の抑制を願っている政策担当者は、上市時の価格だけでなく、上市後の価格にも影響する政策の導入を検討すべきである。

二木コメント-アメリカにおける経口抗がん剤の価格の上市後の変化を追跡し、適応拡大による費用増加が、競合医薬品認可による価格・費用削減を大幅に上回っていることを明らかにしています。

○抗がん剤は9か国で正の価値を生み出しているが、アメリカは1ドル当たりの健康価値増加面で遅れをとっている
Salas-Vega S, et al: Cancer drugs provide positive value in nine countries, but the United States lags in health gains per dollar spent. Health Affairs 35(5):813-823,2016.[国際比較]

抗がん剤による医療費増加が顕著になるにつれて、その使用によりどれくらいの価値が得られるかが問われるようになっている。ある調査会社が提供している9か国(オーストラリア、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、スウェーデン、イギリス、アメリカ)の全抗がん剤の実際の売り消費量・購入額のデータセットを用いて、抗がん剤から得られる価値を推計した。人口・疫学的要因を調整した後でも、アメリカの患者1人当たり抗がん剤消費額は他国に比べて多かったが、使用量はむしろ少なかった。全9か国-特にフランスと日本-で、2004年に比べて2014年には新生物関連の潜在的余命が延長していた。このことは、この10年間に抗がん剤費用は増加したが、それの治療的便益も増加したことを示唆している。抗がん剤費用から得られる正味の経済的価値も正であった(余命1年の延長は10万ドルの経済的価値があると仮定して計算:表4の注b)。基本ケース分析(base-case analysis)では、アメリカ社会全体では正味の経済価値増加は2014年には326億ドルに達していた。ただし、アメリカは、抗がん剤1ドル当たりの健康価値増加面で他国に遅れをとっており、このことはアメリカでは抗がん剤市場での価値を改善する可能性があることを示唆している。

二木コメント-日本のデータも含んだ貴重な調査研究ですが、抗がん剤に非常に「優しい」経済分析と思います。アメリカで1ドル当たりの健康価値増加が少ない理由は単純で、他国より患者1人当たりの抗がん剤費用(価格)が飛び抜けて高いためです。

○[アメリカ・カリフォルニア州における在宅・]地域での[メディケイドの]長期ケアサービス開始後の医療費:地域対ナーシングホーム
Newcomer RJ, et al: Health care expenditures after initiating long-term services and supports in the community versus in a nursing facility. Medical Care 54(3):221-228,2016.[量的研究]

アメリカのメディケアとメディケイドプログラムの高費用患者のなかには、長期ケアサービス(long-term services and supports)を受ける患者が多い。そこでメディケイドの在宅・地域ケアの利用者とナーシングホーム入居者の医療費を比較した。カリフォルニア在住でメディケイドとメディケアの両方を受給している高齢者で、2006年または2007年にメディケイドの長期ケアサービス(在宅・地域ケアまたはナーシングホームケア)を利用し始めた者で、人口学的条件、健康状態、ADLをプロペンシティ・スコアでマッチングした34,660人を対象として、後方視的コホート分析により、サービス受給開始後1年間の1月当たり調整済みメディケア・メディケイドの総医療費(急性期、急性期後、長期等)を調査した。ナーシングホーム入居群の1月当たり調整済み総医療費は在宅・地域ケア群より、平均して2919ドル高かった。両群の費用の差の主因は長期ケアサービス費用の差であり、ナーシングホーム入居群では在宅・地域ケア受給群より2855ドル(メディケア1501ドル+メディケイド1344ドル)高かった。

二木コメント-在宅・地域ケアの方が施設ケアよりも安価であるという、従来の知見とは逆の結果です。ただし、本研究は厳密なランダム化試験に基づくものではなく、しかも在宅・地域ケア群では相当額に昇る「インフォーマルケア」の費用を無視しています。KonetzkaによるEditorialも本論文の結果にはきわめて懐疑的です(Are home- and community-based services cost effective? 219-220頁)。なお、そこで引用されている同様の調査では、在宅・地域ケア群はナーシングホーム入居群に比べて、病院への入院確率が高いという結果が得られています(Wysocki A, et al: The association between long-term care setting and potentially preventable hospitalizations among older dual eligibles. Health Services Research 49:778-797,2014)。

○小児科医の供給が小児の健康アウトカムに与える影響:日本での縦断データによるエビデンス
Sakai R, et al: The impact of pediatrician supply on child health outcomes: Longitudinal evidence from Japan. Health Services Research 51(2):530-549,2016.[量的研究]

本研究の目的は、2000~2010年の日本における小児科医の供給が5歳未満の小児死亡率に与える影響を調査することである。日本の366の「二次医療圏」を分析単位として、
時間・空間固定効果ポアソン回帰分析モデルにより、5歳未満小児死亡率と小児科供給との関係を評価した。時間の変化をコントロールするために、以下の2つの要因をモデルに導入した:①5歳未満の小児を除いた総人口当たりの小児科医以外の医師数、②各年・二次医療圏別の1人当たり所得。さまざまな感受性分析を行い、結果の頑健性を評価した。

小児科医密度(5歳未満小児1000人当たり小児科医数)は5歳未満死亡率(小児1000人当たり)と負の関連があった。小児科医密度が1増加すると、他のすべての変数を調整しても、小児死亡率は7%(95%信頼区間:2-12%)減少した。感受性分析でもこの結果は頑健であった。この結果は、日本のように小児死亡率が5 未満と低い国でも、人的医療資源の増加が小児の健康に正の影響を与えることを示唆している。

二木コメント-アメリカ・ーバード大学のカワチ・イチロー教授グループの研究で、実にきれいな(きれいすぎる?)結果が得られています。

○オランダでの2015年長期ケア[制度]改革の政策と政治
Maarse JAM, et al: The policy and politics of the 2015 long-term care reform in the Netherlands. Health Policy 120(3):241-245,2016.[政策研究]

2015年現在、オランダでは長期ケア制度の大改革が進められている。改革の重要な目的は、費用増加に歯止めをかけ、長期ケアの財政的持続可能性を保つことである。他の目的は長期ケアの質を改善するために、よりクライエントにピッタリ合ったものにすることである。この改革は相互に関連した、以下の4つの柱から構成されている:①規範的な再設計(reorientation)、②施設ケアから非施設ケアへのシフト、③非施設ケアの分権化、④費用抑制。本論文はこれらの柱、およびそれらの基礎にある諸前提について概括的に述べる。さらに、政治的な意思決定プロセス、改革実施と評価の政治的側面に注意を喚起する。改革の効果についての評価については大きく意見が分かれ、肯定的評価と批判的評価が交錯している。改革はいくつかの側面ではラディカルであるが、長期ケア制度が主として公的財源で賄われるという点は変わらない。法定の医療施設が主として施設ケアをカバーする点でも変わりはない。公的財源で賄われる非施設ケアでの市町村の役割は非常に強化される。最後に、本改革で得られた政策的教訓について述べる。
二木コメント-改革の中身とロジック・建前、プロセスが日本の介護保険制度改革とソックリと感じました。なお、Health Policy2016年7月号には、2015年長期ケア制度改革には「科学的根拠」がなく、それが目ざしている「社会参加の促進」、「参加型社会の創造」は個人への責任転嫁であり、公的費用の削減は個人負担の増加をもたらすだけだとの厳しい批判、および論文執筆者のそれへの反論が掲載されています(Broekaert IFA, et al: The long-term reform in the Netherlands: what is the scientific rational for the WMO? Health Policy 120(7):862-864,2016. Maarse H, et al: Response to the letter. Health Policy 120(7):865-866,2016)。この論争の構図も、日本とそっくりです。

▲目次へもどる

3.私の好きな名言・警句の紹介(その139)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<組織のマネジメントとリーダー シップのあり方>

<その他>


参考:日本福祉大学名誉教授・秦安雄先生を偲ぶ会・挨拶

2016年7月31日

日本福祉大学学長 二木 立

こんにちは、日本福祉大学学長の二木です。「偲ぶ会」開会にあたり、呼びかけ人の一人として、5分間ご挨拶させていただきます。まず、秦先生の日本福祉大学教員としてのご略歴とご業績についてお話しし、次に私の先生に対する個人的思い出を述べます。

秦先生は、名古屋大学教育学部を1953年に卒業され、同大学大学院教育学研究科教育心理学専攻修士課程に進学されました。そしてそこを修了された1955年に日本福祉大学の前身である中部社会事業短期大学に助手として採用されました。その2年後の1957年に短大が日本福祉大学に改組されたときに講師に採用され、その後、助教授、教授、特別任用教授を経て、2001年3月に日本福祉大学を退職されました。この間、学生課長、社会福祉学部第2部部長、社会福祉学部長兼大学院研究科長等の役職を努められました。短大時代を含め46年間、約半世紀もの長きにわたるご勤務であり、本年5月にお亡くなりになった高島進先生と並んで、「日本福祉大学の生き証人」とも言える先生でした。

秦先生の生涯を貫く研究テーマ・課題は、皆様よくご存じのように、知的障害であっても発達の道筋は基本的に共通であるという発達論に立った「知的障害者の能力と人格発達に関する研究」でした。しかも先生は60歳を超えてから、2つの領域に研究課題を拡張されました。1つは「障害者施設入所者の高齢化に伴う施設ケアのあり方に関する研究」、もう1つは「障害者・高齢者協同組合の可能性に関する研究」です。このように先生は最晩年に至るまで、社会福祉・障害者福祉の課題の変化と多様化に正面から取り組まれ、旺盛に研究や社会活動を続けられました。

次に、私の秦先生に対する個人的思い出を2つ述べます。私は、日本福祉大学に1985年に赴任するまで13年間、東京の代々木病院にリハビリテーション専門医として勤務していました。恩師は皆様もよくご存じの東大病院リハビリテーション部教授・上田敏先生です。その上田先生に依頼されて、東京コロニーの身体障害者授産施設の嘱託工場医になり、月1回、そこで働く障害者の健康管理を行いました。その経験を通して、障害者の職業的リハビリテーションや雇用の重要性に気づき、日本福祉大学に赴任する前から、『障害者の発達と労働』(ミネルヴァ書房,1982)等、先生の著作に学ばせて頂きました。そのために、日本福祉大学に赴任後、先生と親しくお話しすることができました。
もう1つの個人的思い出は、1999年度に名古屋キャンパスに社会人大学院(社会福祉学研究科福祉マネジメント専攻。現・医療・福祉マネジメント研究科)が開設されたとき、それの中核的科目である「福祉マネジメント実践研究」(ゼミナール)のAコースを、秦先生、牧野忠康さん、近藤克則さんと一緒に担当したことです。最高齢の先生は、4人の担当教員のまとめ役でした。先生と一緒にこの科目を担当したのは3年間だけなのですが、先生はいつもどっしりと構えて、笑みを絶やさず、院生、ましてや他の教員を怒ったことは一度もありませんでした。短気な私は少しでもそれをマネしようと思ったのですが、なかなかできませんでした。ただ、私は2013年に日本福祉大学学長になった直後に、「絶対に切れない」ことを学長スタッフに公約し、この4年間、ほぼそれを守れており、先生の境地に少しは近づけたかなと自己評価しています。以上で私のご挨拶を終わらせて頂きます。

[秦安雄日本福祉大学名誉教授は2016年4月26日、85歳で死去されました。7月31日に、日本福祉大学学長・二木 立、全国障害者問題研究会委員長・荒川智、きょうされん理事長・西村直、社会福祉法人ゆたか福祉会理事長・鈴木清覚の4人が呼びかけ人となり、名鉄ニューグランドホテルで「秦安雄先生を偲ぶ会」が開催されました。]

Home | 研究所の紹介 | サイトマップ | 連絡先 | 関連リンク | ©総研いのちとくらし