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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻173号)』(転載)

二木立

発行日2018年12月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

○論文「安倍内閣の『全世代型社会保障改革』の予防医療への焦点化をどう読むか?」『日本医事新報』2018年12月1日号に、論文『医療経済・政策学の視点から2018年度診療報酬・介護報酬同時改定を読む』『病院』2018年12月号に掲載します。両論文は「ニューズレター」174号(2019年1月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。

○新著『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』(勁草書房)を2019年1月に出版します。「地域包括ケアシリーズ」の第3作で、『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房,2017年3月)出版以降、2018年12月までの1年9か月間に発表した30論文を収録しています。

「ニューズレター」の過去14年間(2005~2018年:1~173号)の①総目次(53頁)と②英語論文抄訳総目次(996論文。118頁)を作成しましたが、ファイルが「重い」ので配信はしません。ご希望の方は、ご希望の目次の種類(①、②)を明記して、私に直接お申し込み下さい。


1. 論文:フュックス教授の『医療経済・政策学』から何を学ぶか?

(「深層を読む・真相を解く」(81)『日本医事新報』2018年11月3日号(4932号):24-25頁。『文化連情報』2018年12月号(489号):20-24頁に転載(「二木教授の医療時評(165)」)。転載時、【注】と【補足】を追加)

フュックス教授(アメリカ・スタンフォード大学)が本年6月、『医療経済・政策学』を出版しました("Health Economics and Policy Selected Writings by Victor Fuchs" World Scientific)。教授は世界でもっとも高名かつ現役最高齢(本年94歳)の医療経済学者で、日本だけでなく世界の医療経済学者の多くが教授の著書や論文で育ったと言っても過言ではありません。そこで本稿では、まず本書の概要を示し、次に本書収録論文で、私自身が今まで医療経済・政策学の勉強をする上で特に勉強になったものを紹介します。

50年余の研究の集大成

本書は、フュックス教授が医療経済学の黎明期であった1960年代から昨年までの50年余に発表した膨大な論文から42論文(実証研究、総説、学会講演録、評論、祝辞等)を収録した「自選論文集」で、全644頁の大著です。なお、教授は『JAMA』の本年9月11日号にも評論「アメリカ医療は非効率か?」を発表しています(320:971-972)。

本書は以下の全8章構成です(カッコ内は収録論文数):①医療経済学(5)、②誰が生きながらえるべきか?(5)、③医療の費用(6)、④国際比較(5)、⑤医療保険(4)、⑥人口と高齢化(5)、⑦医療政策と医療改革(6)、⑧専門職の評価(5。教授が評価する5人の医療経済学者の業績の紹介)。これを見ても、教授の守備範囲の広さが分かります。

各章ごとに教授の序文(Introduction.4~6頁)が付けられています。その多くは収録論文の解説ですが、一部ではそれら執筆以降の教授の考えの変化も書いています(後述する第2章等)。そのため、すべての序文を読むだけでも、教授の目を通した、過去半世紀の医療経済学の歴史と現状と将来展望を理解できます。その上で、興味を持った論文を読むのがよいと思います。評論10論文のうち8論文の初出誌は『JAMA』または『NEJM』で、このことは教授が過去半世紀、経済学と医学医療の架橋をしてきたことの象徴と言えます。

本書の最後は短い「自伝」("My Philosophy of Life"「我が人生哲学」。1992年発表)で、教授の生い立ち、医療経済学を専攻するまでのプロセスと教授の医療経済学についての基本的考え方を率直に語っています。教授は、最後に、良い政策を作るためには経済学的視点が必要だが、それだけでは十分ではなく、価値判断(values)が重要であることを強調しています。

「医療経済学の将来」

私は、フュックス教授の医療経済学についての考え方を理解する一番の近道は、2つの学会講演録を熟読することだと思っています。1つは1999年の国際医療経済学会第2回世界大会での基調講演「医療経済学の将来」(本書第1章第4節。拙訳は『医療経済研究』8:91-105,2000)です。

これは、①医療経済学の2つの柱、②行動科学としての医療経済学、③医療政策と医療サービス研究に資する経済学(経済学の弱みと強み、学際的研究と多くの学問領域にわたる共同研究、価値判断の役割)、④医療経済学への強気市場は今後も継続するか?について概観し、最後に「まとめに代えて」、若い研究者に以下の5つの助言をしています:①あなたのルーツを忘れるな。②医療技術と制度についてたくさん学べ。③ハードに学べ、しかしもっと重要なのはスマートに学ぶこと。④同時期に研究者と政治スタッフとの兼業を試みるな。⑤研究者としての美徳を磨け。私はこの助言は研究者を目ざすすべての人びとへの助言と考え、大学院での「医療・福祉経済論」の講義でいつも詳しく解説しています。

「経済学、価値判断と医療改革」

もう1つの学会講演は、1996年のアメリカ経済学会での会長講演「経済学、価値判断と医療改革」(本書第7章第2節)で、医療経済学の過去・現在・将来を概観しています。「現在」では、教授が医療経済学者と経済理論家、著名臨床医を対象にして行った、医療と医療政策についての事実認識と価値判断についての質問紙調査の結果を分析しています。この調査でもっとも興味深いことは、新古典派理論の根幹に挑戦する「医師誘発需要仮説」への同意が経済理論家で77%に達していたことです。

「将来」では、全国民対象の医療保険制度創設を柱とする医療制度の改革案(教授の「価値判断」)を示しています。ここで教授は、従来のアメリカの医療政策の論争が、政府による規制と競争・市場メカニズムのどちらが優れているかの二分法的議論に明け暮れてきたことを批判し、それに代わる第3の方法として、「医療専門職規範の再活性化」(revitalization of professional norms)」を提起しています(本書522頁。この部分の拙訳は『TPPと医療の産業化』勁草書房,2012,99頁【注】)。

私は、「社会保障制度改革国民会議報告書」(2013年)が「医療・介護分野の改革」で「医療専門職集団の自己規律」(23頁)を強調したのは教授のこの提言に通じると高く評価しました(『安倍政権の医療・社会保障改革』勁草書房,2014,51-52頁)。

「ビスマルクからウッドコックへ」

私が、医療保険の成立理由を究明した諸研究でもっとも示唆に富むと思っているのは「ビスマルクからウッドコックへ-国民医療保険制度普及要因の再検討」(本書第5章第1節。拙共訳『保健医療の経済学』勁草書房,1990,第3章)です。ビスマルクはドイツ統一を達成した保守派政治家、ウッドコックは全米自動車労組会長で、国民医療保険制度が左右の様々な思想潮流の支持を得ていることを示しています。

新古典派医療経済学者が国民医療保険制度の根拠を「逆選択論」に基づいて演繹的に説明するのとは異なり、フュックス教授は国民医療保険制度がアメリカ以外の先進国で広く普及している現実を説明するために、以下のような様々な理由をていねいに検討します:「ただ乗り」の予防、医療供給者(医師・病院)の規制、外部性、「生きるか死ぬか」 の問題、平等主義の拡大、温情主義、「不公平な税」の相殺、家族機能の低下、宗教の役割の低下、「政治的」役割等。その上で、これらの「どんな単一な解釈もそれだけでは説明できない」、「国民皆保険が意味するものは人により異なっている」と結論づけています。このような帰納法的分析は大変説得力があります。

さらに、教授は、「なぜアメリカは国民皆保険制度を持たない最後の先進国になったのか?」について以下の4つの理由をあげています:①アメリカには政府不信の長い伝統。②より同質的なヨーロッパ諸国・日本と異なる、アメリカの民族構成の異質性。③アメリカでは非政府慈善組織がよく発達。④ヨーロッパ諸国に比べて、アメリカでは機会の平等がより大きい。この論文の初出は1976年ですが、これらの理由は現在のアメリカでもそのまま通用します。

「誰が生きながらえるべきか」

これは本書の第2章の章名(Who Shall Live?)ですが、フュックス教授が1974年に出版した医療経済学の古典的名著と同じです(邦訳は、江見康一訳『生と死の経済学』日本経済新聞社,1977)。本章は「健康の社会的決定要因」に関連した5論文を収録しています。教授は、本章の「序論」で「健康の社会的決定要因」についての考えの変化を、率直に述べています(83-84頁)。教授は1970年代には社会的要因が人間の健康で主要な役割を果たすとする考えの強固な支持者であり、この考えはその後広く認められるようになったが、最近はこの考えの細部には懸念を持つようになったそうです。[その結果、本章第3節「健康の社会・経済的相関についての考察」(初出誌はJournal of Health Economics 23:653-661,2004)では、社会的要因では説明できない様々な新しい知見を示し、最後に、研究者に対して、「遺伝子と社会・経済的変数との相互関係にもっと注意を払うよう示唆」しています(124頁)。]この点についての教授の最新の考えは、本章の第1評論(Op-Ed)「健康の社会的決定要因:警告とニュアンス」(初出誌はJAMA 317(1):25-26,2017)に簡潔に示されています。
それだけに本章は社会疫学研究者必読と思います。

【注】フュックス教授の「医療専門職規範の再活性化」論

「医療における医師の中心的重要性を踏まえると、統合的システム(the integrated systems)は医師または他の医療専門職によって主導されるべきだと私は信じている。最低限、医療専門職はそのシステムのガバナンスで、突出した(prominent)役割を持つべきである。今日の医療政策担当者の最大の誤りの1つは、市場競争または政府規制が医療をコントロールする唯一の手段であるとみなすことである。[しかし]専門職規範(professional norms)の再活性化を第三のコントロール手段とする余地、いや必要がある。医師・患者関係は高度に個別的かつ親密(personal and intimate)であり、多くの面で家族間、あるいは教師と生徒間、あるいは聖職者と信徒間の関係と似ている。この関係は、部分的には、経済学者のケネス・ボールディング(1968)が統合的システム(an integrative system)と命名したものであり、相互承認および権利と責任の受け入れに依存し、市場圧力や政府規制とだけでなく伝統的な規範により強固となる」(二木訳。『TPPと医療の産業化』勁草書房,2012,99頁)。

【補足1】フュックス教授の「サービス一般」と「医療サービス」の経済的特性の説明

医療サービスの経済的特徴付けとしては、アロウ氏の「不確実性と医療の厚生経済学」(Arrow AJ: Uncertainty and the welfare economics of medical care. American Economice Review 53:941-973,1963.田端康人訳『国際社会保障研究』27号:51-77,1981)が有名です。氏は、「医療特有の経済問題は、疾病の発生や治療の効果に不確実性があるということに着目すれば説明しうる」という立場から、医療サービスの5つの経済的特性をあげ、現在でも、医療経済学のほとんどの教科書・論文がこれを紹介しています。

しかし、私は、『医療経済学』(医学書院,1985)で、フュックス教授の『サービスの経済学』(原書1968。江見康一訳『サービスの経済学』日本経済新聞社,1974)と論文集"Essays in the Economics of Health and Medical Care"(1972)の巻頭論文"The contribution of health services to the American Economy"に基づいて、「医療サービスの経済的特性」を、「サービス一般の経済的特性」と「医療サービスの特性」の2段階に分けて説明しました(7-13頁)。こうしないと、医療サービスの特性が過度に強調されることになると考えたからです。残念ながら、この2文献は教授の『医療経済・政策学』には収録されていないので、以下簡単に説明します。

教授による、物質的財貨と異なるサービス一般の経済的特性特徴は以下の5点です。①財貨が有形であるのに対して、サービスは無形。②財貨が在庫変動によって需給を調整するのに対して、サービスは貯蔵できないから、時間によって調整する。③サービスの生産には消費者の協力が重要な役割を果たす。④サービスの価格はコスト基準というよりも、消費者がそのサービスに満足してどれだけ自発的に支払おうとするかという需要側の要因によって影響される。⑤物質的財貨の生産では技術進歩は大部分物的資本に体化されるが、サービスの生産では、機械設備の役割は比較的小さく技術進歩は労働力に体化される。
これら5点を前提として、教授は、次に、サービス一般と比べた医療サービスの経済的特性として、以下の3点をあげています。①消費者の無知(consumer ignorance.現代的に言えば「情報の非対象性」)、②競争制限、③一般の商品・サービスでは売買を決めるのは「需要」(消費者の支払い意志と支払い能力)だが、医療サービスでは「ニーズ」が重視される。

『医療経済学』では書きませんでしたが、私は現在は「不確実性」は医療に限定されず、福祉や教育、さらには経済政策を含めた人間社会のほとんどすべての現象に共通しているので、医療サービスの固有の特性としては、不確実性よりも、医師と患者との「情報の非対称性」の方が適切だと思っています。なお、アロー氏も、医療サービスの特性の第3の「生産物の不確実性」の説明で、事実上、情報の非対称性に言及しています。

【補足2】フュックス教授の翻訳書

フュックス教授の医療経済学、医療経済・政策学関連の著作で翻訳されたものには、以下の4冊があります。①江見康一訳『サービスの経済学』日本経済評論社,1974(原著1968)。③江見康一訳『生と死の経済学 誰のための医療か』日本経済新聞社,1977(原著:Who Shall Live? Health, Economics, and Social Choice, 1974)。③江見康一・田中滋・二木立訳『保健医療の経済学』勁草書房,1990(原著:The Health Economy, 1985)。④江見康一・二木立・権丈善一訳『保健医療政策の将来』勁草書房,1995(原著:The Future of Health Policy, 1993)。②の原著は2回増補版が出版されています(第1回1998,第2回2011)。

③と④は、医療経済学の原理論、医療政策論、医療の実証分析の3部構成の論文集で、医療経済・政策学の優れた教科書とも言えます。③には、『医療経済・政策学』に収録された5論文が収録されています(第1・3・4・6・8章)。④には同4論文が収録されています(第2・4・6・7章)。それら以外の論文にも、日本の医療と医療政策を理解するためのヒントがちりばめられており、一読をお勧めします(現在品切れですが、古書は容易に購入できます)。

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2.書評:権丈善一『ちょっと気になる政策思想-社会保障と関わる経済学の系譜(勁草書房,2018年)(『日本医事新報』2018年10月20日号(4930号):66頁

本書は、「医療・介護」、「社会保障」に続く、権丈さんの「ちょっと気になる」シリーズの第3作です。前2作では、個別の政策の分析が中心でしたが、本書は医療・社会保障政策の対立の根底にある経済学の2つの系譜について、分かりやすく、しかし深く説明しており、現在の医療・社会保障政策について一歩も二歩も踏み込んで理解できます。

ここで経済学の2つの系譜とは、経済をみる観点が需要重視であるために社会保障の役割を積極的に評価する傾向の強い「左側」の経済学(ケインズ経済学、制度派経済学等)と、供給重視で社会保障の役割を軽視・否定する「右側」、政策思想的にはリバタリアンの経済学(新古典派等)です。一般に経済学の系譜といえば、サミュエルソン『経済学』中の系譜図が有名ですが、権丈さんはそれを正面から批判しており、痛快です。このような論述は権丈さんしかできないし、しかも権丈さんがこれを楽しみながら書いたことが、読みながら伝わってきました。

本章の章立ては一見変わっており、一般の経済書とは異なり「理論編」(第2・3章)の前に「応用編1」(第1章 社会保障政策の政治経済学-アダム・スミスから、いわゆる"こども保険"まで)が置かています。第1章は2017年人事院主催国家公務員課長級以上を対象とした行政フォーラムの講演録で、これを熟読すれば、次の「理論編」の「社会保障と関わる経済学の系譜」についての学術論文の理解が格段に深まります。私自身は、安倍内閣・内閣府では「右側」の経済学の影響が強いにもかかわらず、人事院が「左側」の経済学の旗手である権丈さんに講義を依頼していることは、国家機構が一枚岩ではないことの現れであると「救い」を感じました。

「応用編Ⅰ」に続いて、「応用編Ⅱ」(第4~8章)を読めば、現在の医療・社会保障政策の論点をより深く理解できます。私のお薦めは第6章「研究と政策の間にある長い距離-QALY概念の経済学説史における位置」です。これを読むと、この数年、一部で大流行した効用値(QALY値)を基礎にした医薬品・医療技術の費用対効果評価の議論が、効用をめぐる経済学の長い論争史を無視した底が浅く危ういものであったことがよく分かります。

全章(全論文)には、たくさんの「知識補給」(注釈)が付いており、これをていねいに読めば理解がさらに深まるし、経済学的「雑学」も身に付きます。この部分を読みながら、私は高名な評論家の立花隆さんが「『実戦』に役立つ[読書法]十四カ条」で、「注釈を読みとばすな。注釈には、しばしば本文以上の情報が含まれている」と書いていたことを思い出しました(『僕はこんな本を読んできた』文藝春秋,1995,74頁)。

最後に、本誌の読者が経済学者の書いた本や論文を読む際のアドバイスを2つします。1つは、その著者が経済学のどちらの系譜に属するのかをチェックすることです。「左側」と「右側」では、政策提言はもちろん、「問いの設定」もまったく異なるからです。もう1つは、執筆者が事実認識と価値判断(政策提言)を峻別しているかです。両者を区別せず、「経済学的には○○である」と断定的に書いている執筆者は要注意です。

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3.学会報告:医療経済学の基礎知識と最近のトピックス-効果的・効率的で公平なリハビリテーションのために

(2018年11月2日 第2回日本リハビリテーション医学会秋季学術集会シンポジウム&ディベイト1「これからの回復期リハ医学・医療:質と量の観点から」講演時配付資料。誤記を訂正し、口頭での補足を[ ]で示す)

日本では、今後、超高齢社会化により医療・リハビリテーション(以下、リハ)のニーズが急増する反面、厳しい財政事情のためニーズの増大に対応して、それの財源を大幅に拡充することは困難である。そのために、リハ専門職には、効果的・効率的なリハを公平に提供することが求められるようになっており、そのためには、医療経済学の基礎知識が不可欠である。[抄録には「基礎知識」のみを書いたが、それでは学会報告としては芸がないので、本日の報告では「最新のトピックス」も加える(○で示す)。]

1.経済学には2つの潮流がある。1つは市場原理に基づく資源配分を絶対化する「新古典派」、もう1つは市場の役割を認めつつもそれが各国の制度・歴史に制約されることを強調する「制度派」である。経済学全体では新古典派が主流だが、医療経済学では制度派が有力である。日本で最も高名な制度派経済学者は故宇沢弘文先生であり、先生は医療を「社会的共通資本」と位置づけた。この立場からは、医療は、市場原理(支払い能力)ではなく「ニーズ」に基づいて、国民・患者に公平に提供すべきとされる。

○この点についての最新・最良の本は権丈善一『ちょっと気になる政策思想-社会保障と関わる経済学の系譜』(勁草書房,2018年8月)『日本医事新報』10月20日号(66頁)で私が書評。

○この書評の結語:「最後に、本誌の読者が経済学者の書いた本や論文を読む際のアドバイスを2つします。1つは、その著者が経済学のどちらの系譜に属するのかをチェックすることです。「左側」と「右側」では、政策提言はもちろん、「問いの設定」もまったく異なるからです。もう1つは、執筆者が事実認識と価値判断(政策提言)を峻別しているかです。両者を区別せず、「経済学的には○○である」と断定的に書いている執筆者は要注意です」。[私自身は事実認識と価値判断を峻別し、後者について述べる時は、「私は○○と考えている(考える)」と明記するようにしている。]

2.効率は医療費抑制とは同じではない。効率とは原理的には「資源(コスト)」をもっとも有効に用いて最大の効果を引き出すこと、費用対効果比を改善することであり、医療費抑制とは原理的に異なる。最近の「費用対効果評価」では、費用を増やす新技術・サービスでも、既存の医療技術・サービスに比べて「増分費用効果比」が優れているまたは過大な費用増加をもたらさない場合(暫定の「基準値」は年間500万円。透析費用とほぼ同額)には、公的医療保険での給付が許容されるようになっている。リハの経済評価を行う場合にも同じ視点が必要である。

○政府公式文書で、経済学的に正しい「効率・生産性(向上)」の包括的説明を[初めて]した文書は、厚生労働省プロジェクトチーム「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現-新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」(2015年9月。ウェブ上に公開)。[それの改革の第2の柱「サービスを効果的・効率的に提供するための生産性」では、まず「生産性とは、生産資源の投入量と生産活動により生み出される産出量の比率として定義され、投入量に対して産出量の割合が大きいほど効率性が高いことを意味する」と述べ、次に「生産性向上に向けた具体的な取組」として、「①先進的な技術等を用いた効率化」、「②業務の流れの見直し等を通じた効率化」、「③サービスの質(効果)の向上」の3つをあげている。医療政策で「効率」(「良質で効率的な医療」)が提起されたのは、1987年の厚生省「国民医療総合対策本部中間報告」が最初だが、その時には「効率」の定義は示されず、しかもそれはほとんど医療費抑制政策と同じ意味で使われた。それ以降も、厚生労働省の医療政策の公式文書で「効率」の定義が示されたことはない。]

○「ビジョンの」包括的分析は、『地域包括ケアと福祉改革』勁草書房,2017,56-67頁。

3.医療の効率を考える上での留意点は3つあると私は考えている。①医療効率を考える前提として、国民・患者が最適な医療を受ける権利を公平に保障する。②資源(コスト)の範囲を広く社会的次元で把握し、公的医療費以外の私的な医療費負担、金銭表示されない資源・費用(家族介護やボランティア等)も含む。③効果を総合的、多面的、科学的に評価する。[これら3つのうち、①は私の価値判断だが、②と③は医療経済学研究者の共通の理解である。]

○私がこの3原則を提起したのは1989年第10回九州地区理学療法士・作業療法士合同学会特別講演「リハビリテーション医療の効果と効率を考える」(『90年代の医療』勁草書房,1990,90-122頁)。この視点は故宇沢弘文先生の「社会的共通資本」に通じる。

○上記②の視点に基づき、公的医療・介護費(「マネーコスト」)に家族介護等の「インフォーマルケア費用」を加えた、在宅・地域ケアの「リアルコスト」は、施設ケアよりも高い。この点についての最新文献は2017年のOECD報告書:加盟15か国のデータに基づいて、重度の障害高齢者の在宅フォーマルケアの1週当たり費用は12,000米ドルであり、施設ケアの費用9,000ドルを大幅に上回っていると報告("Tackling Wasteful Spending on Health" 2017,pp.208-209)。

○最近は、厚生労働省幹部もこのことを公式に認める。鈴木康裕保険局長(現・医務技監)「大事なのは、在宅が安いと思われがちですが、サービスを"移動"して提供しなければいけないので、明らかに機会費用が生じます。特に医師は人件費が高く、移動が高額になります。その意味では、本当に孤立した自宅が効率的なのか、それともサ高住のように集まって居住し、下の階や近隣に診療所や訪問看護ステーションがある方がよいのか、在宅のサービス提供のあり方を考えなくてはいけません」(『病院』2016年12月号:930頁)。[この点に関連して、厚生労働省の地域包括ケア政策について見落とすべきではないことを2つ指摘する。①厚生労働省が目ざしているのは「自宅(マイホーム)中心」のケアではなく、「在宅中心のケア」であり、「在宅」には自宅だけでなく、有料老人ホームやサ高住、さらには特別養護老人ホーム等、病院以外の施設が含まれる。②厚生労働省は地域包括ケアの推進により医療・介護費が抑制できるとは言っていない。私は、この2つは合理的であると考えている。]

4.医療効率・医療の経済評価を行う主な手法は3つある。提唱された順は、費用便益分析、費用効果分析、費用効用分析である。学問的には、近年は、「効用」をQALY(質調整生存年)で測定する費用効用分析が主流になっているが、QALYには人間の命を価値付けするとの強い批判がある。この難問を避けるためには、リハの経済評価では、「効果」を実物表示する(機能障害やADLの改善等)費用効果分析の方が望ましいと私は考える。

○経済評価を行う場合、「介入群」の費用に「介入費用」を加えることが不可欠。これを含めないと、見かけ上の費用抑制・効率化が生じる。その典型が、生活習慣病予防のための健診・保健指導事業の経済評価での介入費用の無視。[例えば、厚生労働省「特定健診・保健指導の医療費適正化効果等の検証のためのワーキンググループ」の「中間とりまとめ」(2014年11月)は、特定保健指導の積極的支援の参加群の1人当たり外来医療費は非参加群に比べ、年間5000~7000円低いと発表したが、参加群の介入費用は1人当たり約18,000円であり、外来医療費「節減」額を大幅に上回っている(『地域包括ケアと地域医療連携』勁草書房,2015,206頁))。]

○厚生労働省「費用対効果評価専門部会」では、昨年いったん一般国民を対象にした「支払い意思額調査」が行われることが確認されたが、本年6月に実施しないことが決まった。

○今後は医薬品・医療技術(リハを含む)の費用(製造原価等)が高いことを理由にした診療報酬の高い値付けは望めない。例:本年4月の診療報酬改定では、ロボット支援手術の保険適用は拡大されたが、それの内視鏡下手術に比べた有意性は示されなかったため、「加算」は見送られた。[この点はリハビリテーションにおいても同じであり、石川誠医師が、本シンポジウム&ディベイトの「抄録」で、回復期リハ病棟の「診療報酬においては、実績指数等により質が厳しく問われる用になっている」と指摘している通りである。]

5.リハビリテーションの経済評価では短期的視点と長期的視点を区別する必要がある。例えば、脳卒中のリハを発症後早期から開始するとともに、「病院・施設間連携(ネットワーク)」を徹底した場合、「短期的」には総費用は相当削減できる。ただし、脳卒中患者の多くは、たとえ本格的にリハを行っても、なんらかの障害が残ることが普通なので、「長期的」には脳卒中の再発や他疾患の併発により、累積医療費が増加する可能性が高い。言うまでもなく、だからリハは不要とはならない。リハは費用抑制ではなく、あくまで患者・障害者のQOLの改善を目的とすべきである。

○このことは健康増進・予防活動等にも当てはまる。例:禁煙により禁煙者の医療費は短期的には減少するが、余命の延長で生涯・累積医療費は増加する。しかし禁煙は、短期的にも長期的にも、本人の健康だけでなく、家族・社会のQOLを改善する。[安倍晋三内閣の「全世代型社会保障改革」では「健康寿命延伸プラン」が柱となっており、それにより医療・介護費が抑制されると見込んでいるが、この前提はきわめて危うい。]

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4.韓国語訳『日本のコミュニティケア:地域包括ケアと地域共生社会』(二木立著、丁炯先編訳、金道勲・金秀洪訳。Book-Mark(韓国)、2018年11月出版,237頁。15,000ウオン)

著者序文

本書には、私が日本で2015年に出版した『地域包括ケアと地域医療構想』と2017年に出版した『地域包括ケアと福祉改革』、およびそれ以降に発表した最新論文から、韓国が今後進めようとしている「コミュニティケア」や医療・福祉改革の参考になると思われる論文を収録しました。 全体は6章構成です。

序章「地域包括ケアと地域医療構想」は、本年3月に韓国保健医療研究院年次総会で行った講演で、日本の保健医療制度改革の二本柱となっている「地域包括ケアシステム」と「地域医療構想」の「事実と論点」を包括的に示します。

私が本章、および本書全体で一番強調したことは、「地域包括ケアシステム」の実態は、国(厚生労働省)が青写真を示して医療機関や自治体がそれに従う「システム」ではなく、それぞれの地域で関係者が自主的に推進する「ネットワーク」であること、および厚生労働省もこのことを『2016年版厚生労働白書』で公式に認めていることです。それに対して、「地域医療構想」については厚生労働省が「ガイドライン」を示しますが、各都道府県レベルでの実際のあり方は、都道府県と医療機関等の間での「自主的協議」によって進められることになっています。本章では、地域包括ケアにより医療・福祉費は節減されない、及び厚生労働省もそのように主張していないとの意外な事実も示します。

第1章「少子化・超高齢社会をみる新しい視点」では、今後の医療・社会保障改革を冷静に見通すための前提として、日本が直面している超高齢・少子社会についての次の3つの私の事実認識と「客観対」将来予測を述べ、日本で広く見られる「高齢社会危機論」が一面的であることを示します。① 今後人口高齢化が進んでも、社会の扶養負担は増加しない。②日本の労働生産性伸び率は低くないし、今後も、1人当たりGDPが毎年1%成長すれば超高齢・少子社会は維持できる。③日本の医療費(対GDP比)は2015年にOECD加盟国中第3位になったが[最新の2017年には6位]、加盟国の高齢化率の違いを補正すると、日本は「高医療費国」とは言えない。これらについては、厚生労働省も『2017年版厚生労働白書』で認めました。

第2章「地域包括ケアシステムの成立」では、日本における地域包括ケアの実践と政策の歴史的発展を示します。私が本章で強調したいことは2つあります。1つは、地域包括ケアの実践は民間レベルでは古くは1970年代から始まったが、その「源流」には、「保健・医療系」と「(地域)福祉系」の2つがあり、それらは別々に発展してきたために、両者の「統合」はごく一部の地域を除いてまだ実現していないこと。もう1つは、厚生労働省が地域包括ケアシステムを公式に提起したのは2003年だが、本格的な政策展開が始まったのは2009年以降であり、しかも当初は、介護中心で、医療は診療所に限定されていたことです。ただし、厚生労働省は2013年以降、地域包括ケアに地域密着型の病院(概ね200床未満)も含めるようになっています。

第3章「地域包括ケアの展開」では、地域包括ケアの理念・政策の発展に寄与してきた「地域包括ケア研究会報告書」(各年版)、および地域包括ケアの福祉分野への拡大を提唱した厚生労働省プロジェクトチームの「新福祉ビジョン」(2015年9月)を検討します。残念ながら、地域包括ケアシステムの法的対象は現在でも高齢者に限定されていますが、一部の先進的自治体や民間組織は「全年令対象」の地域包括ケア・地域包括支援体制の実践を始めています。

第4章「医療改革の展開」では、地域医療構想をめぐる論点を示します。ここでは、地域医療構想と地域包括ケアが同格・一体であること、及び、厚生労働省が目ざしている「必要病床数」の削減が困難であると私が判断している理由を述べます。

第5章「福祉改革の展開」では「地域包括ケアシステム」の「上位概念」とされている「地域共生社会」、およびこの概念を初めて示した閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」(2016年6月)とこの概念の具体化を目指した「地域力強化検討会とりまとめ」(2017年9月)を複眼的に検討します。

最後の第6章「地域包括ケアと地域共生社会の成功的定着のために」では、そのための鍵を握る、医療と福祉の連携、ソーシャルワーカーと医療関係者の役割についての私の見解を示します。

本書は、丁炯先延世大学校保健科学大学保健行政学科教授によって編集・翻訳される私の2冊目の本です。前著『日本の介護保険と保健・医療・福祉複合体』(青年医師,2006)の訳者序文で、丁炯先教授はこう書かれました。「医療保険の導入過程でもそうであったが、長期療養制度を取り入れるための論議過程においても、数百、数千億ウオンの研究費を費やしても求めることのできない重要な情報を日本は提供してくれる。このような社会的実験はいくらお金をかけてもできない。法律体系や社会文化的環境が相対的に私たちによく似ている日本で成り立つ過程だから、よくできている政策、できなかった政策、良い結果、悪い結果が仕分けなしに一つ一つが皆参考になる。そして日本人たちの徹底的な記録文化、細心な性格などは豊かな情報を提供してくれる」。

本書が、前著と同じように、韓国が自国の歴史と文化に根ざした「コミュニティケア」を実現するための参考になることを期待しています。最後に、丁炯先教授と翻訳チームの皆様が、超ご多忙であるにもかかわらず、私の研究を韓国の読者が利用できるよう翻訳の努力を取って下さったことに対して、心からお礼申し上げます。

2018年11月

二木 立(日本福祉大学相談役・名誉教授)

編訳者序文-なぜ「コミュニティケア」なのか

「コミュニティケア」に関する議論が熱い。保健福祉部長官がその必要性を強調し、現政権の実力者である国民健康保険公団の理事長がその実行を強調しているので、そのような熱気は無理でもない。だが、主要人物が強調したからこのような熱気が発したというよりはそのような熱気が出そうな状況をこの実力者たちが見抜いて政策化したとするほうが事実に近いだろう。

「コミュニティケア」は「地域」というフィールドを中心に多様なケアやサービスが提供され利用される状況を前提とする。 提供され利用される「サービス」も重要であるが、その前にそのようなサービスが交換できる「地域」に力点があるのだ。地域を中心として個人の暮らしが展開され、地域を中心に必要なサービスが連携されるのである。その為、統合サービス、ワンストップサービス、連携サービスが必要となる。しかし、核心はそのようなサービスが「地域」を中心に作られるということだ。連携されたサービスが「地域を中心に暮らしていく個人」に与えられ、個人は「地域でそのようなサービスに接近しやすくすべき」である。

それなら「コミュニティケア」における「地域(コミュニティ)」が何を意味するかを考える必要がある。地域の範囲はどこまでなのか。ご自分が暮らす家に限られるとは言えないだろう。ならばご自分の暮らす町までなのか。既に国民の多数がマンションに住んでいるからマンション単位がご自分の地域なのか。行政の単位でみるとどこまでが範囲なのか。邑、面、洞までか。市、郡、区までか。それとも市、道までか?

ある概念が思い描けない時は、論理学の「反対」概念を用いると役に立つ。「地域」の反対概念は何なのか。「都市」の反対としての「地域」なのか。違うと思う。超高齢社会に向かうと、農村地域の人口が減り、都市部の高齢層が増えることになる。このような状況で「コミュニティケア」の対象から都市が抜けるとしたら、「コミュニティケア」は意味を半分以上失う。著者の二木教授も超高齢社会日本では日々増える「都市部の孤独死」は「地域包括ケア」が最も関心を持って解決していくべき対象として強調されている。

「地域」の反対概念が「病院」なのか。日本では「地域包括ケア」の概念を強調しながら「病院完結型から地域完結型へ」というスローガンが良く登場した。病院が地域の反対概念として強調されたのである。二木教授によると反対概念としての「病院」は行政分類上の「病院」全体よりは主に「急性期病院」を指す。急性期病院が「病院」の多数を占めるため「病院完結型から地域完結型へ」、「病院から地域へ」というスローガンはその強調点が分かりやすく伝わる。だが、地域の維持期と生活期の患者を対象とする「中間期病院」が「コミュニティケア」から除かれては混乱であろう。

「介護施設」は「地域」の反対概念に該当するか。韓国において老人長期療養保険制度が導入された2008年度の以前はあまりにも介護サービスの提供のインフラがなかった為、「施設」の拡大が容認されたが、老人長期療養保険制度の全体的な基調はいつも「施設から在宅へ」だった。日本の場合をみても、「地域包括ケア」及び「地域共生社会」の議論、それから、最近はやっている表現である、「在宅生活の限界点を高める」という強調点がこれをよく表している。高齢者がもう家にいることが難しい「ある時点」では結局施設入所や病院入院をされるのが普通だが、その「限界点」を高めて家庭での期間を最大限に伸ばして施設や病院での生活を可能な限り短くするという意味である。このような点から見れば「介護施設」が「在宅」の反対概念になれると思われる。しかし、在宅の状況が十分でない状況で「中間施設」である「介護施設」が「コミュニティケア」から単に除外されても混乱するであろう。

上記の「地域」の反対概念を考えてみると、狭い意味の「コミュニティケア」は「<病院や施設>から退院・退所して家庭にいながら地域を中心に生活をし、地域を単位に連携されたサービスを受けること」を意味するだろう。ところで、問題はこのような狭議の概念が文字通りに実現可能な場合は現実にはあまりないということである。家庭にいるための条件が許されている高齢者は多くない。手伝う人が足りず、家のつくりや周辺の環境が適切でない。だから「コミュニティケア」が夢見る「生涯の最期を自宅ですごしてから家族に見守られる中穏やかに死にたい」というのは多くの人にとって映画に出そうなシーンに過ぎないだろう。

国民全体を対象にする政策次元の「コミュニティケア」がこのような狭い概念に閉じ込めらては困るだろう。それではコミュニティケアでいう「地域」はどこまで拡張されるべきなのか。普段過ごすところの「自宅」や「家庭」であるべきか。中間期病院と介護施設も患者が急性期病院を退院し地域での生活を続けるための「コミュニティケア」の一員としての役割をしているし、すべきではないか。家庭と同じであるような雰囲気で個人のターミナルケアを行うところであれば、その名称が「病院」であれ、「施設」であれ、それは「コミュニティケア」における「地域」であると見るべきではないか。一律的な答えを求める必要なない。多様性を念頭に置いて状況に合う最適を探さすべきである。

西欧における「コミュニティケア」

「コミュニティケア」の考え方は、日本で地域包括ケアが議論されるもっと前にイギリス、オーストラリア、北ヨーロッパ、アメリカ等西欧国家で経験的に発達してきた。「コミュニティケア」という名ではないけれど、「統合ケア(integrated care)」の概念で、「暮らしている場所で年を取っていく(Aging in Place:AIP)」の概念で強調されてきた。「Aging in Place」における「Place」は暮らしを営為する「地域」を表す。そしてその地域を中心にサービスが適切に提供されるには、多様なサービスが連結され統合された様子、つまり「統合ケア」が必要となることである。

イギリスを見ると「コミュニティケア」は「コミュニティでのケア(Care in the Community)」を指す。これは「脱施設化(deinstitutionalization)」もしくは「在宅ケア(home care)」を強調する政策である。実際、「コミュニティケア」がイギリスで政策として現れ始めたのは1950年代である。精神及び身体障碍者が対象であった。この人たちを施設で収容するのではなく家庭で世話するべきだという考え方であった。志向する政策はそうであったが、現実的に病院および施設への収容は引き続き増えていき、1960年代と70年代にも施設ケア(institutional care)は批判の対象であった。しかし、このような批判が受け入れられて政府政策において具体化されたのはMargaret Thatcher政府が1983年「コミュニティケアの実現(Making a Reality of Community Care)」という報告書を発刊し、在宅ケアの利点を強調してからである。その後「コミュニティケア」の関連する緑書及び白書(Green and White papers)が続けられたが、2010年代の後半である今も「コミュニティケア」は「目標」としての重要性が引き続き強調されているだけで、「実現」された現実ではない。2015年にはノーマン・ラム(Norman Lamb)福祉長官が障碍者の長期収容問題を解決すると公言したりもしたが、いつものように根本的な問題解決はされてないままである。それだけ「コミュニティケア」はイギリスでも遠い課題である。

オーストラリアの場合、連邦政府が補助する「コミュニティケア」には65才以上のための「家庭及び地域サービス(Home And Community Care:HACC)」、75才以上のための「地域老人サービスパッケージ(Community Aged Care Packages:CACP)」、長期高齢者在宅サービスパッケージ(Extended Aged Care at Home Packages:EACH)」、長期認知症高齢者在宅サービスパッケージ(Extended Aged Care at Home Packages Dementia:EACH D)」の4つがある。このようなサービスには高齢者福祉評価チーム(Aged Care Assessment Team:ACAT)の評価が必要である。病院や地域社会の医師、看護師、ソーシャルワーカーもしくは保健専門家から構成され、サービスの申請者のサービス必要度などの状況を把握、評価して、知らせてくれる。

日本における「コミュニティケア」

欧米諸国は状況が違いすぎるので単に参考にすることは出来ても、我が国の現実の改善に直接参考にするには限界がある。反面、法的、政治的、文化的条件は比較的に韓国に似ていながらも二十年も先に人口高齢化の道を歩んでいる日本は社会政策分野においてこの上ない大切な経験を韓国に提供してきた。本書を編集し翻訳したのもこのような趣旨からである。

日本でも最近になって「地域医療構想」、「地域包括ケア」、「地域共生社会」等が強く強調されている。著者の二木教授も説明しているように、「地域」が意味する地理的範囲と志向する強調点にはそれぞれ差があるけれど、生活を営む「地域」があらゆる保健・医療・福祉サービスの中心にあるべきだという点は同じである。

日本は韓国よりもっと地域の根が強い。どの地域も伝統を守る固有の祭りが年中続く。地域を中心とした福祉活動は昔から根差している。中央集中的発展を図ってきた韓国において日本の経験が果たしてどの側面でどのぐらい参考になるかの判断には分野別に綿密な検討と想像力が必要である。まず、日本で進められている「コミュニティケア」の実状を把握する必要がある。「地域包括ケア」がどこで始まりどのように展開されてきたのか、政府と民間の役割はどう分担されているか、そして関連保健医療機関と福祉施設はどのような状況になっているのか等々。

本書の著者の二木立教授はこのような情報を提供するのに最適の学者である。まず、二木教授の学問に対する熱情と勤勉さは他の追随を許さない。二木教授の膨大な著述活動は私たちに日本の経験を詳しく伝えてくる。事案を客観的に見ようとする姿勢を持ちこたつつ、「代案のある批判」をし続ける。[韓国の]読者はこの本を簡単に読み上げられないかもしれない。現状を単純に記述し伝えるということよりは事案の深層を掘り返しているからである。そして[日本語の]著書の対象は日本の保健・医療・福祉の専門家や従事者であり、日本の制度に詳しくない外国人ではなかったため、日本の制度に対する基本的な知識がなければ理解しにくい部分もあるだろう。この点を補充する為、この編訳書は二木立教授の複数の著書と論文の中から「日本のコミュニティケア」というテーマを理解するために必要なものを選んで再配列した。各章の内容は著者の二木教授が「著者序文」にて親切にまとめているのでここでは説明しない。時間をかけ編集、翻訳をした立場から何卒この本が韓国の「コミュニティケア」の構想と実現に参考になることを期待する。

2018年11月
原州 梅芝里の研究室にて
鄭炯先(延世大学教授)
(日本語訳:金秀洪)


5. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算153回)(2018年分その9:9論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

<経済的インセンティブとウェルネスプログラムの効果(5論文)>

○イギリスにおける[プライマリケア医に対する経済的インセンティブ[成果に応じた支払い(P4P)]停止後の医療の質[の変化]
Minchin MM, et al: Quality of care in the United Kingdom after removal of financial incentives. NEJM 379(10):948-957,2018[量的研究]

成果に応じた支払い(P4P)の医療の質改善効果はまだ不明確であり、既存のP4P事業に対するインセンティブを停止した後の影響についての情報はほとんどない。電子医療記録(EMR)のデータを用いて分割時系列分析を行い、「イギリス質とアウトカム・フレームワーク(QOF)」における12の医療の質の指標の2010~2017年の変化を調査した。これら指標に対する経済的インセンティブは2014年に停止されたが、それ以外の6つの指標に対するインセンティブは続けられた。

イングランドのプライマリケア診療所2819の登録患者2000万人以上の完全な時系列データが得られた。経済的インセンティブ停止1年目ですぐ、12のすべて指標の医療の質の記録が減少した。減少は健康相談(health advice)関連の指標で特に大きく、高血圧患者に対する生活指導の記録は62.3%(95%信頼区間:65.6~59.0%)も減少した。それに比べると自動的にEMRに記録される診療行為では減少幅は小さく、冠動脈疾患のコレステロール値コントロールのための臨床検査は10.7%減、甲状腺機能低下症患者の甲状腺機能検査は12.1%減だった。インセンティブが続けられた6指標の記録はほとんど変化しなかった。以上から、経済的インセンティブを停止すると、直ちに質指標管理の減少が起こると結論できる。この減少の一部は、EMR記録の変化を反映しているかもしれないが、臨床検査の指標も減少していることは、インセンティブの停止は医療提供の仕方そのものを変えたことを示唆している。

二木コメント-患者2000万人もの「ビッグデータ」を用いた研究です。これにより、ライマリケア医に対する経済的インセンティブによる医療の質指標の改善は一時的にすぎないことが疑問の余地なく明らかにされたと言えます。なお、2018年10月15日の経済産業省「産業構造審議会2050経済社会構造部会(第2回)」の「資料3:健康寿命の延伸に向けた予防・健康インセンティブの強化について」の「医師に対する予防・健康インセンティブ」(18頁)には、「英国では、かかりつけ医(GP)に対して生活習慣病の予防についてアウトカム評価を行い、評価に応じて報酬を支払うことで、医師に対する予防・健康インセンティブを強化」と書かれていますが、これはこの決定的論文が発表される前の古いデータに基づいた甘い評価と言えます。

【注】橋本英樹東京大学大学院教授から、本論文等について、「外的rewardによるincentiveは、それが停止された後は行動変容効果が失われるが、inner reward (sense of efficacy, self esteemなど)は継続的効果につながりやすい、というのはすでに1980年代のhealth psychologyで実験的研究で明らかにされていた」、「医療経済学ではいまごろ1980年代のhealth psychologyの後追いをやっているに過ぎない」とのコメントを頂きました。同教授からは、この分野の代表的な「メタアナリシス」として、次の文献もご教示頂きました。Deci ED, et al: A meta-analytic review of experiments examining the effects of extrinsic rewards on intrinsic motivation. Psychological Bulletin 125(6):627-668,1999[外的報酬が内的動機に与える影響を調査した実験のメタアナリシス的文献レビュー]。本論文は128研究のメタアナリシスを行っており、結論の最後で、以下のように述べています。「[本メタアナリシスで得られた]エビデンスは、主として外的報酬の利用に焦点化する戦略は、内的動機を促進するよりも抑制するという重大なリスクをもたらすことを明確に示している」。

○カナダ・ブリティッシュコロンビア州における[プライマリケア医に対する]インセンティブ支払いの慢性疾患管理と医療利用に対する影響:分割時系列分析
Lavergne MR, et al: Effect of incentive payments on chronic disease management and health services in British Columbia, Canada: Interrupted time series analysis. Health Policy 122(2):157-164,2018[量的研究]

プライマリケア医に対する、糖尿病・高血圧および慢性閉塞性肺疾患(COPD)患者の医療のインセンティブ支払いの効果を、カナダ・ブリティッシュコロンビア州で調査した。同州には患者負担のない単一医療保障制度があり、プライマリケア医の大半は出来高払いの支払いを受けている。2003~2009年に、上記3疾患について、ガイドラインに沿った診療をした場合の追加的インセンティブ支払いが順次導入された。これは任意であり、支払いは1年ごとで、糖尿病で75カナダドル、高血圧で50カナダドル、COPDで125カナダドルである。業務医療データをリンクして、個々の患者の毎月のプライマリケア医受診、地域ケア、臨床検査、医薬品費、入院、及び総医療費を調べた。調査期間はそれぞれのインセンティブ支払い導入前後の2年間とし、分割回帰により、インセンティブ支払い導入前後で、この改革の対象となる全患者のアウトカム指標のレベルや趨勢が変化したかを調査した。3疾患合計の患者数は77.9万人であった。

インセンティブ支払い導入後も、プライマリケア医受診や医療の継続性にはまったく変化がなかった。ACR(アルブミン・クレアチニン比)試験や降圧剤処方は高血圧患者で統計的に有意に増加した。しかし、他の検査や薬剤処方の増加は少しであり(modest)、有意ではなかった。高血圧患者の脳卒中と心不全の入院率は介入前に比べて減少したが、COPDの入院は増加した。入院総数と救急部門経由の入院は変化しなかった。医療費は高血圧患者で増加した。プライマリケア医を対象にした大規模インセンティブ改革は高血圧患者では多少の(some)効果があったが、糖尿病患者とCOPD患者では、同様の患者マネジメント、入院減少、医療費の変化は認められなかった。結論として、政策担当者は医療提供モデルを変えるためには、インセンティブ支払い以外の手法を考慮すべきである。

二木コメント-80万人の患者データを用いた貴重な大規模調査で、最後の結論も妥当と思います。プライマリケア医へのインセンティブ支払いは、全体としては医学的効果が限定的で、しかもインセンティブ支払い(介入費用)を加えた総費用は相当増加すると言えます。

○経済的インセンティブは新しい[健康な]習慣を身につけようとしている人びとを助けるか?[アメリカの]ジム新規加入者を対象にした実験[ランダム化比較対照試験]に基づくエビデンス
Carrera M, et al: Can financial incentives help people trying to establish new habits? Experimental evidence with new gym members? Journal of Health Economics 58:202-214,2018[量的研究]

金銭的インセンティブは、良い健康行動の習慣を身につけようとしている人びとの助けになりうるのか?我々はこの質問に対して、フィットネスクラブ(ジム)新規加入者にささやかな(modest)インセンティブを与えるランダム化比較対照試験に基づいたエビデンスを示す。このジムはアメリカ中西部の大都市に存在する会員数300人のジムで、近くの地方大学と提携しており、会員の49%はその大学の教職員または学生である。実験は2015年9月~2016年4月に行い、ジムの新規加入者690人を、対照群と3種類のインセンティブ付与介入群に分けた。対照群は無条件に30ドルを得ることとした。3種類のインセンティブ付与群は、加入後6週間に最低限9回ジムでトレーニングした場合、現金を得た。最初の2群は、この目標を達成したら、それぞれ30ドル、60ドルを得ると約束された。最後の介入群には、目標を達成したら、30ドル相当の贈り物をもらえるとの動機付けがなされた。これら3つのインセンティブはいずれも、加入後最初の6か月のトレーニング回数にごくわずかしか影響せず、インセンティブ付与終了後はまったく影響しなかった(つまり、インセンティブ付与による習慣化はなかった)。本研究は、新規加入者が今後のトレーニングについて相当自信過剰である(実際のトレーニング回数は当初の申告より少ない)ことも明らかにした。

二木コメント-対象をフィットネスクラブに新規加入した健康意識が高い層に限定しても、金銭的インセンティブによりトレーニング回数を持続的に増やすことはできない(つまり健康習慣を身につけられない)との結果は貴重です。本論文は先行研究の検討もていねいに行っており、「個人の予防・健康づくりに関する行動変容」を検討している行政担当者や研究者必読と思います。

○[アメリカにおける]予防政策:ウェルネス・プランの下での医療利用
Danagoulian S: Policy of prevention: Medical utilization under a wellness plan. Health Economics 27(11):1843-1858,2018[量的研究]

ウェルネス・プログラムはオバマケアの下での疾病予防の試みの中心的要素となっており、今後も雇用主提供医療保険のメニューに含まれ続けると思われる。本論文はそのようなプログラムが医療保険に組み込まれた後4~7年間の医療利用に与える影響を評価する。ある「自家保険」を運営する大企業から提供されたデータを用いて、当該企業が従業員に提供する医療保険の選択メニューとして提供するウェルネス・プラン(Aetna Wellness.プライマリケアの健康管理やジム利用の料金割引等)に加入している個人の医療費と医療利用を分析する。本分析では、傾向スコア分析でマッチした、ウェルネスプランの会員と非会員の医療費と医療受診を比較する。

その結果、ウェルネス・プログラムにより予防医療と外来医療の利用は増加したが(年1.57回増)、それに対応した救急外来や入院の減少は全くなく、1人当たり年間総医療費は507ドル増加した。医療費増加はウェルネスプログラムに参加した後6~7年間も継続した。その一方、会員の健康は改善したとの多少の(some)エビデンスが得られ、糖尿病との診断はウェルネス会員で0.8ポイント減少した。以上の結果は、このウェルネス・プログラムでは、被用者の健康が改善し、医療の賢明な利用(医療費の削減)が生じるとの雇用主の期待は実現しそうもないことを示唆している。

二木コメント-一企業のデータですが、ウェルネス・プログラムが健康と医療費に与える影響を4~7年も追跡しているのは貴重です。本研究に基づけば、最近日本でも強調されている「健康経営」の従業員の健康増進効果は大きくはなく、総医療費は増加する可能性が高いと言えます。ウェルネス・プログラムの費用(介入費用)を加えた総費用はさらに増えると思います。

○[アメリカの公立大学新入生の]ジムへの参加を増やすための低コスト・アプローチ
Beatty TKM, et al: Low-cost approaches to increasing gym attendance.Journal of Health Economics 61:63-76,2018[量的研究]

身体運動を増やすためにデザインされた低コストの実験的介入の効果を調査した。実験は2014年に中西部の公立大学のレクリエーションセンターで新入生1789人を対象にして行った。

対象はランダムに、くじ引きを用いた経済的インセンティブ付与群(593人)、社会的規範に基づく治療(social norming treatment)群(561人)、対照群(635人)の3群に分けた。

インセンティブ群はさらに、強いインセンティブ群(運動に参加した場合1%の確率で20~120ドルの賞金を得る)と弱いインセンティブ群(同10~60ドルを得る)にランダムに分けた。社会的規範に基づく介入群では参加者の身体活動を増やすために、参加者に自己と同僚の身体運動のデータを、電子メールで毎週始めに送った。その結果、強いインセンティブのくじ引き治療は少額の(modest)費用で身体活動を有意に増やすが、社会的規範に基づく治療では効果は検知できなかった。

二木コメント-一見緻密な「ランダム化試験」です。しかし、新入学生を対象にした事実上の強制的実験という点で倫理的に問題があり、しかもくじ引きを用いた経済的インセンティブは「机上の空論(遊び)」に思えます。

<その他(4論文)>

○医療の質のバラツキを減らすための介入は医師と病院のどちらをターゲットにすべきか?
Gutacker N, et al: Should interventions to reduce variation in care quality target doctors of hospitals? Health Policy 122(6):660-666,2018[量的研究]

医療の質のバラツキを減らすための介入は、ますます個々の医師と彼らが働く組織(病院)の両方をターゲットにしつつある。このようなパフォーマンス・マネジメントの範囲と結果についての懸念は残っている。具体的には、バラツキを観察する際、個人と組織(病院)の相対的寄与やパフォーマンスの測定が信頼できるかである。本研究はこのような事項をイングランドのNHSの文脈で検討し、4つの内科的疾患(心筋梗塞、大腿骨骨折、肺炎、脳梗塞)と2つの外科的処置(冠動脈再建術、大腿骨頭置換術))の治療を2010年4月~2013年2月に受けた全患者の業務データを分析する。パフォーマンス指標は入院30日以内死亡、退院28日以内救急再入院、在院日数の3つと定義した。3段階階層一般化線形混合モデルを用いて、ケースミックス調整済みの指標のバラツキにおける個々の医師(コンサルタント。専門医)と病院の寄与を推計した。

大腿骨頭置換術の在院日数を除いて、ケースミックス調整済みのパフォーマンス指標のバラツキに対する医師と病院組織の寄与は11%以下であり、残りは偶然か観察されない患者側の要因を反映している。医師間のバラツキは病院間のバラツキの1.2倍以上であった。ただし、医師ごとの担当患者数はごく少なく、個々の医師の信頼性のあるパフォーマンスを推計することはできないため、パフォーマンスの悪い医師の同定はできなかった。そのため、政策決定者と規制当局は、パフォーマンス改善事業で個々の医師をターゲットにすることには慎重であるべきである。個々の医師と病院のパフォーマンス比較を作成し公表することは、

情報価値がないだけでなく、誤解を招く危険もある。

二木コメント-医療の実態を踏まえた良質な研究で、勧告も見識があると思います。

○[アメリカの]包括的プライマリケア事業:費用、質、患者及び医師への効果
Peikes D, et al: The comprehensive primary care initiative: Effects on spending,
quality, patients, and physicians. Health Affairs 37(6):890-899,2018[量的研究]

メディケア・メディケイド・サービスセンター(CMS)は「包括的プライマリケア事業」(CPC)を開発し、2012年10月に開始した。様々な支払い者が支援している本事業に参加している全米502のプライマリケア診療組織がプライマリケア提供と質を改善し、費用を抑制するか検証した。出来高払いのメディケア加入者を対象として、CPC参加群の2013~2016年の諸データを、マッチングした対照群と比較した。CPC参加群では、ハイリスク患者のケアマネジメント、アクセスの改善、ケア移行のコーディネーションの改善等、プライマリケアの提供で改善がみられた。CPC参加群の救急外来受診率の増加は対照群に比べて2%低かった。しかし、CPC参加群のメディケア費用はケアマネジメント費用を補填できるほどには低下しなかった(ケアマネジメント費用を含まないと、CPC参加群のメディケア費用は対照群よりがやや安かったが、それを含むと逆にやや高くなった:本文表3)。医師やメディケア加入者の満足度、及びメディケア請求書ベースの質尺度に基づく診療パフォーマンスは改善しなかった。

二木コメント-介入費用(本論文ではケアマネジメント費用)を明示し、それを含むと、包括的プライマリケア事業の費用抑制効果がなくなることを明示した研究は貴重と思います。

○[アメリカでの]かかりつけ医がいるメディケア加入者といない加入者の医療経験
Martsolf GR, et al: Care experiences among Medicare Beneficiaries with and without a personal physician. Medical Care 56(4):329-336,2018[量的調査]

かかりつけ医がいることは医療の継続性にとって重要な要素である。しかしどのような高齢者でかかりつけ医がいないか、彼らの医療経験はかかりつけ医のいる高齢者と違うか否かについては、ほとんど知られていない。本研究の目的は、かかりつけ医のいないことに関連した医療経験とその特徴を記述することである。そのために、かかりつけ医のいない割合をさまざまなサブグループで比較した。二重に頑健な傾向スコア重み付け回帰分析を行い、かかりつけ医のいる加入者といない加入者の医療経験を比較した。対象は2012年「メディケア消費者の医療提供者・システムの評価」(CAHPS)調査(全国代表標本調査)に回答した、272,463人の65歳以上のメディケア加入者である。尺度は、加入者の諸特性、かかりつけ医の有無、および以下の4種類の医療経験である:総合評価、必要な医療を受けている、医療を迅速に受けている、必要な医薬品を得ている(いずれも0~100指数に変換)。

その結果、回答者の4.8%がかかりつけ医がいないと回答した。男、マイノリティ、若年および教育年限の短い加入者で、かかりつけ医のいない割合が有意に高かった。かかりつけ医のいない加入者の4種類の医療経験は、いる加入者に比べ、すべて有意に低く、しかも過去半年間に一度も医療機関を受診していない者の割合が3倍も高かった。以上の結果から、メディケアにより医療アクセスが保証されているにもかかわらず、少数のしかし無視できない高齢者にはかかりつけ医がおらず、彼らの医療経験は低いことが明らかになった。

二木コメント-全国代表標本調査により、かかりつけ医のいないことを説明する要因、およびかかりつけ医がいないことで医療経験が低くなることを明らかにした貴重な調査と思います。

○あなたは[あなたが今受診した]良いGPを私に勧められますか?[ヨーロッパ31か国での社会的要因での患者満足の違いの記述
Detollenaere J, et al: Can you recomment me a good GP? Describing social differences in patient satisfaction within 31 countries.International Journal for Quality in Health Care 30(1):9-15,2018[量的研究・国際比較研究]

本研究は、現実に受診している一般医(以下GP)に対する患者満足が、患者のジェンダー、教育歴、家計所得およびエスニシティの4つの社会的要因により差があるかを探索することである。マルチレベル・ロジスティックモデルを用いて、上記4つの社会経済的指標が患者満足に与える影響を推計した。モデルでは、患者中心の医療とプライマリケア制度の強さの指標を調整した。調査場所はヨーロッパ31か国のプライマリケア診療所であり、各国ごとに、原則として200人のGPと2200人の患者を選んだ。最終的に7183人のGP、61931人の患者が調査に参加した。訓練を受けた調査者が、GPの待合室に座っている患者に調査への参加を依頼し、それに応じた患者が診察後、調査票に記入した(平均参加率は74.1%)。主なアウトカムはGPへの患者満足であり、それは患者が実際に受診したGPを家族や親戚に勧めるか否かで測定した。調査は2011年10月~2013年12月に行った。

その結果、過去の研究と同じく、ヨーロッパにおけるプライマリケアへの高レベルの満足が再確認された。31か国平均は93.2%(本文の数値。要旨では92.1%)、一番低いスウェーデンでも87.0%であった。患者満足のバラツキの多くは患者レベルの要因で説明でき、最大75%が患者の特性によるものだった。女性、低所得層、および移民第一世代ではGP満足は低かった。最後に、患者中心の医療の全指標は患者満足と正の関連があり、このことは患者中心の医療であればあるほど、患者満足が高まることを示している。以上から、ヨーロッパでの患者満足度は高いが、それでも患者満足は患者の社会経済的状態の影響を受けると結論づけられる。

二木コメント-ヨーロッパ31か国を対象にした大規模国際比較調査です。調査がGP診療所で行われ、患者が実際に診療を受けたGPを家族・親族に勧めるとの回答を患者満足と定義したことは、非常にユニークと思います。


6.私の好きな名言・警句の紹介(その168)-最近知った名言・警句

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<その他>

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