総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻176号)』(転載)

二木立

発行日2019年03月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1.論文「保健医療の経済評価に『労働生産性向上(損失)』を含めるべきか?」を『日本医事新報』3月2日号に掲載します。

2.『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』出版記念インタビュー「地域包括ケアと保健・医療・福祉の連携」を『文化連情報』3月号に掲載します。

両論文は、本「ニューズレター」177号(2019年4月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。


1. 論文:予防医療で「医療費抑制」は誤り 「社会保障の産業化」も夢想

(『週刊エコノミスト』2019年2月5日号:66-67頁、本誌版「社会保障制度審」第31回)

安倍政権は予防医療の推進により医療費抑制を図る考えだが、それは超高齢化時代に不可欠な社会保障の財源確保から目を逸らさせる「ポピュリズム」政策に他ならない。

昨年9月以降、安倍首相・経済産業省主導で「全世代型社会保障」の「予防医療」への焦点化が進んでいる。首相の意向に一番忠実なのは財界出身者からなる経済財政諮問会議の民間議員で、昨年11月20日の同会議で2019年度予算編成に向けて推進すべき事項のトップに、「特定健診・特定保健指導事業(いわゆるメタボ健診とその改善)の医師会モデル」の全国展開、「官民を挙げて取り組む認知症予防の重点プロジェクト」と「社会保障サービスにおける産業化」をあげた。

私も予防医療(介護予防を含む。以下同)を重視し、健康寿命延伸を目指すことは、それが国民への強制・ペナルティを伴わない限り、賛成だ。しかし、それにより、医療・介護費を抑制でき、しかも、「社会保障サービスの産業化」ができるとの主張は、医療経済・政策学的に見て誤りである。以下、その理由を述べる。実は、このことは経産省と厚生労働省の文書からも確認できる。

予防医療で医療費は増加

一般には「予防は治療に勝る」と思われている。しかし、効果的な予防医療は国民の健康増進をもたらす一方、総医療費(治療費+予防医療費)を増加させるのである。

このことを最初に、エビデンス(証拠)に基づいて示したのはアメリカのルイーズ・ラッセル氏だ。同氏は1986年発行の『予防は治療に勝るか?』で、代表的予防手段の効果、リスク、費用を分析し、その結果、疾病の予防は効果と共に多少のリスクも持っていること、および予防手段の費用(単価)は一見少額に見える場合も、総費用は治療費の節減額より大きくなることを明らかにした。この事実は、その後、欧米と日本の膨大な実証研究で裏付けられている。

日本の実証研究の代表は、皮肉なことに、厚生労働省が15年に公表した「特定健診・保健指導の医療費適正化効果等の検証ワーキンググループ・中間とりまとめ」である。ここでは、特定保健指導に積極的に参加した集団の1人当たり外来医療費は非参加の集団に比べて有意に低い(年平均約5000~7000円)と主張した。しかし、私が調べたところ、この事業の介入費用(実施費用)は1人1年当たり約1万8000円で、上記医療費節減額を大幅に上回っていた。

経産省事務局が昨年4月18日の「次世代ヘルスケア産業協議会」で提出した「予防の投資効果(医療費・介護費、労働力、消費)について」でも、予防を行った場合の2034年の60歳以上の医療費の節減額は、生活習慣病、がん、フレイル(加齢に伴う生活機能の低下)・認知症を併せても、最大710億円と推計され、これは同年の医療費約21・5兆円のわずか0・33%にすぎず、一部のメディアは「米粒より小さい話」(『選択』18年11月号)と揶揄した。しかもこれには、介入費用が含まれておらず、これを含めた総医療費は逆に増加する可能性が大きい。

同じ試算では、介護費は3・2兆円も抑制されるとされている。これは34年の介護費約14・5兆円の22・1%に相当する。ただし、この試算は「仮に要介護状態への移行を50%引き下げる効果があるプログラムが開発されたとしたら」という、「浮き世離れ」した仮定に基づいており、しかもやはり介入費用は含まれていない。

「ヘルスケア産業」も期待薄

次に、「社会保障サービスの産業化」について検討する。経産省事務局は、昨年12月12日の「第10回新事業創出WG」に提出した資料で、「ヘルスケア産業の市場規模(推計)」を示した。ヘルスケア産業とは、公的保険外サービスの産業群のことであり、別称は「健康寿命延伸産業」とも言う。この市場規模推計は、同省委託事業(日本総合研究所「平成29年度健康寿命延伸産業創出推進事業調査報告書」)がベースとなっており、その数値を表に示す(表)。

ここで「ヘルスケア産業」は「健康保持・増進に働きかけるもの」(12分野)と「患者/要支援・要介護者の生活を支援するもの」(4分野)を合わせたものであり、その市場規模は16年の24兆9400億円から25年の33兆300億円へと、9年間で8兆9000億円(32・4%)増加する。これは一見、巨額であるが、年平均増加率は3・2%に過ぎない。これは、医療・介護給付費(公的保険サービス)の18~25年度7年間の年平均増加率3・3%とほぼ同じで、とても「成長産業」とは言えない。これの主因は、16分野のうち「近年急激に拡大している市場」(新市場:「計測機器」「ヘルスケア関連アプリ」)はごく限られており、しかも市場規模が小さいからである。

その上、報告書の現状(16年)の「ヘルスケア産業」市場の推計は極端に過大である。その最たるものは、16分野のうち最大の「要支援・要介護者向け商品・サービス」(8・38兆円)の中心をなすと思われる「介護関連住宅」と「福祉用具」には、介護保険給付分(おそらくこれが大半)がすべて含まれていることである。2番目に大きい分野は「保険」(7・22兆円)だが、これには医療保険などの「第三分野保険全般」が含まれている。ちなみにこの二つを除くと、「ヘルスケア産業(患者/要支援・要介護者の生活を支援するもの)はわずか1700億円(1.8%)に激減する。

視点を変えて、これらサービスの購入者をみると、企業が購入する「健康経営を支えるサービス」(5600億円)および大半が介護保険給付と思われる「介護関連住宅」と「福祉用具」を除けば、ほとんど個人(健康な人、患者/要支援・介護者)が私費購入することが想定されている。しかし、今後家計所得の大幅増加が見込めず、しかも、安倍内閣が進めている社会保障給付費抑制政策の下で、今後、公的保険サービスの家計負担(保険料+利用時の自己負担)が相当増えることが確実なことを考えると、家計の公的保険外サービスの負担=需要の大幅増加は望めないどころか、今までよりも抑制される可能性もある。

経産省の二つの狙い

最後に、経産省等が「全世代型社会保障」を予防医療に焦点化する狙いを指摘したい。一つは、予防医療の推進により医療・介護費を削減できると主張することにより、政府や政治家、さらには国民が、本来の「全世代型社会保障改革」で不可欠な今後の超高齢社会を支えるために「必要な財源を確保する」ことから目をそらさせること。もう一つは、予防医療を通した「社会保障の産業化」により、経産省の省益を拡大することである。

本来の「全世代型社会保障改革」の青写真である13年の「社会保障制度改革国民会議報告書」を中心的にとりまとめた慶應義塾大学の権丈善一教授は前者の動きを「ポピュリズム医療政策」と厳しく批判している。私も全く同感である。

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2. BuzzFeed Japan Medicalインタビュー

(2019年1月25~27日公開。聞き手:岩永直子記者)
第1回:  https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/ryuniki-1 、第2回: https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/ryuniki-2、第3回: https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/ryuniki-3

第1回:トンデモ数字に振り回されるな 繰り返される「終末期医療が医療費を圧迫」という議論

高齢者の終末期医療をカットすることを主張して、多くの人の批判を浴びた落合陽一さん、古市憲寿さんの対談。批判の根拠として度々引用された医療経済学者、二木立さんが医療費についての不安を煽る言説を斬るインタビュー第一弾です。

「(高齢者に)『最後の一ヶ月間の延命治療はやめませんか?』と提案すればいい」

「超高齢社会で安楽死や延命治療の議論は避けては通れないはず」

「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もする」

注目の若手論客、落合陽一さん、古市憲寿さんがこのような発言をした「文學界」1月号の対談は、文春オンラインにも転載されて多くの批判を浴び、落合さんは一部内容を撤回するなどしました。

この対談での発言を批判する論拠としてよく引用されたのが、医療経済学者で日本福祉大学相談役・名誉教授、二木立さんの論文です。

「下品で、エビデンスにも基づいていない対談なので、私が論評する価値はないと思っていた」と言う二木さん

二木さんはこの論争についてどう見ていたのでしょう。そして、少子高齢化や高額薬剤による社会保障破綻論や、政府が打ち出している予防医療や健康寿命増進による医療・介護費抑制策についてどう評価しているのでしょうか?

「このままでは日本の医療や介護制度はもたないのではないか」という不安が日本を覆い、社会的弱者に不寛容なことばが広がる中、歴史やデータを踏まえながら日本の医療や介護制度のあり方について語っていただきました。3回にわたってお伝えします。

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繰り返される「終末期医療費が医療財政を圧迫する」という言説

ーーこの対談は前からご存知でしたか?

当初、私は「文學界」も、論争のきっかけになった朝日新聞の文芸時評(※二人の対談を作家の磯﨑憲一郎氏が批判)も読んでいなかったです。去年の年末から、この論争で、わたしの論文が引用されているよと、複数の人から連絡がきました。

私が連載している媒体からもこの論争について寄稿の依頼がありましたが、あまりにも下品で、エビデンスに基づいていないから論評する価値もないと断りました。朝日新聞で磯崎憲一郎さんが書いている通りですよ。:「この想像力の欠如! 余命一カ月と宣告された命を前にしたとき、更に生き延びてくれるかもしれない一%の可能性に賭けずにはいられないのが人間なのだという想像力と、加えて身体性の欠如に絶望する」。(磯崎憲一郎氏「作家の生き様」朝日新聞・文芸時評より)

今回、致命的なのは、明らかな事実誤認があったことです。この論争がずっと続くなら批判も考えますが、収束するのではないかと言っていたら、ほぼ終了しましたね。

ーー元の対談記事は読まれましたか?

まず、ウェブ上に文春が公開しているのを読み、後から「文學界」とウェブ版を読み比べてみました。

「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もするんですけどね」を「…保険適用外にするとある程度効果が出るかもしれない」にしたり、「…治療をしてもらえない--というのはさすがに問題なので、保険の対象外にすれば解決するんじゃないか」を「…問題なので、コスト負担を上げればある程度解決するんじゃないか」と変えていますね。

少なくとも、文春オンラインは文學界の記事を転載したとしか書いておらず、不適切な表現を訂正しましたとは書いていない。あれは良くない。姑息な言い換えをこっそりしたのが「文學界」編集部なのか、落合さんなのかは知りませんが、どちらの場合も、言論人失格と思います。

ーーおさらいをさせてください。先生は、「終末期医療費は高額で、医療保険財政を圧迫している」という言説は、誤りだと指摘されています。

高額医療費が医療保険や財政を破綻させるという主張は1950年代から繰り返されています。また終末期医療が医療費を圧迫するという言説も、1997年に広井良典氏らがまとめた『「福祉のターミナルケア」に関する事業報告書』から繰り返されており、特に、珍しいものではありません。

高名な経済学者である伊東光晴氏も著書『日本経済を問う』(岩波書店、2006年)で「人間一生の医療費のうち、約半分が死の直前6か月のうちに費やされる」と書き、在宅医兼作家の久坂部羊氏も『日本人の死に時』(幻冬舎新書、2007)で、「終末期医療費が全老人医療費の20%を占めるとか、国民1人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前2か月に使われるという報告があります」と書いています。

いずれも、恣意的なデータの解釈がなされていたり、そのようなデータを示した実証研究はなかったりして、私は「トンデモ数字」だとして批判を繰り返してきました。

死亡前1ヶ月の医療費が医療費に占める割合はわずか3%

ーー実際には終末期医療の費用は医療費全体の中でそれほど高くはないということですね。

「終末期医療費」の定義は様々ですが、「死亡前1年間の医療費」と最大限広くとらえた場合でさえ、日本の老人医療費の11%に過ぎないことが明らかにされています。布川哲夫氏らが1994年に「老人医療年齢階級別分析事業」のデータを分析して算出した数字です。

しかし、「死亡前1年間」を終末期とするのは、医療者や患者、家族の実感とは合わないでしょう。日本では2000年以降は、「死亡前1ヶ月」のデータが使われるようになっています。

医療経済研究機構が2000年に発表した報告書では、全死亡者の死亡前1ヶ月間の医療費は7859億円で国民医療費のわずか3.5%に過ぎないことが明らかにされました。

厚生労働省もきちんとデータを出しているんですよ。

厚労省保険局は2005年7月、2002年度の「終末期における医療費(死亡前1ヶ月間にかかった医療費)」は約9000億円と発表しました。同年度の「医科医療費」に占める割合は3.3%に過ぎません。

ーー「終末期医療費を保険適用外にする」、医療費抑制の文脈で安楽死を議論するインパクトはデータから見ても弱いということですね。

これは提案と言えるでしょうか? 思いつき、放言レベルでしょう? しかも落合さんは撤回していますから、論評に値しないと思いますよ。彼らに比べると安倍首相の発言の方がずっとまともです。

安倍首相は、政権を奪還した後の2013年2月20日の参議院予算委員会で、野党の議員から終末期医療は無駄ではないかという趣旨の質問を受けて、「尊厳死は、極めて重い問題」と触れた上で、「大切なことは、これはいわば医療費との関連で考えないことだろう」とはっきり言っています。

私はこれに大賛成ですよ。

終末期医療について議論するのは大事だが...

ーー先生は、ご著書でも、「延命至上主義的な医療には疑問を持っている」としていますし、終末期の医療について議論すること自体には反対されていません。

今後、終末期や死亡前の医療、あるいは、患者を中心にどんな医療やケアを受けたいか医療者や家族と話し合う「アドバンス・ケア・プランニング(人生会議)」についてどうするかということは議論してなんの問題もないと思います。

しかし、医療費削減を目的とする終末期医療の見直しには賛成できませんし、終末期医療費が巨額だという主張も事実誤認だと度々指摘してきました。
終末期医療の大前提は、本人の意向を最大限に尊重し、強制はしないということです。

終末期医療の費用が多額だからカットせよという議論は繰り返されてきた

今回の論争で、わたしの論文も一部不十分な引用のされかたがありました。死亡前1ヶ月間の医療費は国民医療費の3%ですが、統計上、その中には救急救命を目的とした急性期医療も入っているんです。

だから結果的に心筋梗塞で死んじゃった、脳卒中で死んじゃったという人の治療費もその中には含まれています。だけど、そんな治療を普通、「終末期」とは言わないでしょう?

本来の意味での終末期、つまり、慢性疾患があって亡くなる、あるいはがんの末期でなくなった人に限定すると、国民医療費に占める割合はおそらく2%もないと思います。

ーー「3%」には、それまで健康だったのに、急に倒れて、命を救うために急性期の超濃厚医療をして、結果的に亡くなってしまったという人の医療費も入っているということですね。

脳卒中で死んだから高額な医療費かかってしまったとか心筋梗塞で死んだから医療費がかかって困るとは誰も言わないでしょう? 誰もが必要性を認めるような医療をカットすべきだとは言わないはずです。

それに、日本の高齢者の健康度は世界一なんですよ。

あとで詳しく述べますが、2016年に國頭英夫医師が「オプジーボ亡国論」、つまり、免疫チェックポイント阻害剤オプジーボが保険適用された時、高額だから日本の財政破綻が確定的となると主張して話題になったことがありました。

問題は、國頭医師がその中で「75歳以上の患者には、すべての延命治療を禁止する。対症療法はこれまでと同じように、きちんと行う。これこそが公平で、人道的で、かつ現実的な解決法なのである」という主張をしたことです。

わたしも71歳だからもうすぐ75歳になりますが、介護保険との関係でいえば、75歳の要介護・要支援認定率は約3割です。これは一見すごく多いように見えますね。65~74歳の前期高齢者の要介護率は約5%ですから。

ただ、裏返してみると、後期高齢者でも7割は健康なんですよ。少なくとも日常生活に不自由はないんです。要介護、要支援を受けていないのですから。

そういうお年寄りが、心筋梗塞になりました、脳卒中になりました。そこで病院に運ばれた時に、「あなたは75歳以上ですから、キュア(治療)は必要ありません。ケアをします」ということが許されますか?

本人はもちろん、家族も希望しないし、一般の人びとも、自分がそうなった時のことを考えると許せないでしょう。だから安倍首相の発言はすごく見識がありますよ。落合さん自身もこれは反省していますね。

少し、議論に進歩も感じている

ーーしかし、こうした議論はなぜ繰り返されるのでしょう。

わたしからみると別に終末期医療の問題に限りません。医療・社会保障費の問題は、1回の論争で決着する方が例外で、「医療費、社会保障費亡国論」は1983年に当時の厚生省保険局長が唱えて以来、繰り返されていますよ。

ただわたしは以下の2点から、以前の論争よりも進歩していると感じます。

一つは、落合さんや古市さんの発言を支持する声がほとんどなかったことです。

例えば、以前、わたしが批判した2013年1月21日に麻生副総理が社会保障制度改革国民会議での発言を思い出しましょう。

「死にたい時に、死なせてもらわないと困っちゃうんですね。(中略)しかも、その金が政府のお金でやってもらうというのはますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」

麻生氏は批判を受けてすぐに撤回しましたが、「重要な問題提起」「大切なテーマなのでタブーにすべきではない」という擁護論を唱えた人がたくさんいましたよね。

私は麻生発言はその前段で述べた、次の主張も問題にすべきだと思っていました。

「現実問題として、今経費をどこで節減していくかと言えば、もう答えなんぞ多くの方が知っている。高額医療というものをかけて、その後、残存生命期間が何ヶ月だと、それにかかる金が月千何百万だ、1500万だっていうような現実を厚生労働省が一番よく知っているはずですよ」

ーー最近では昨年10月にも、「『自分で飲み倒して運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいことを言うなと思って聞いていた」と発言していました。

前と同じでしょう。少なくとも安倍首相は公的には違う言い方をしています。麻生氏の放言癖はキリがないですね。

問題なのは、麻生氏に限らず、死亡前の医療費が高額であり、医療費増加の主因だから、カットしろと主張する人が少なくないことです。

元テレビアナウンサーの長谷川豊氏は2016年に、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」と言って、あれも結構支持が多かったですよね。

しかし、今回の二人の対談は正面から支持する人はほとんどなく、なおかつ手前味噌ですけれども、二人への批判の多くがわたしの論文を引用していましたよね。データで論理的に批判がなされました。そういう意味でああ、世の中は少し進歩していると思いましたよ。この論争に関してはね。

古市さんは財務省の友達と社会保障費について細かく検討したと話していますが、「経済産業省の友達」の間違いか、彼の意図的言い換えではないかと推察しています。

財務省の少なくともエリートにはこんな粗雑な発言をする人間はいません。このことは、先日、全国紙の財務省担当記者からも確認しました。

それに対して、経産省サイドの医療改革のスポークスマンになっている江崎禎英さんは、古市さんと同様に、「人生最後の1か月で生涯医療費の50%を使う」等のトンデモ発言を繰り返しています。

古市氏は「長期的には『高齢者じゃなくて、現役世代に対する予防医療にお金を使おう』という流れになっていくはず」と続けていますが、このロジックは、ヘルスケア産業の振興を狙って予防医療の推進を唱える経産省のみが使っています。

これに対して、財務省は昨年10月9日の財政制度等審議会財政制度分科会で、「予防医療等による医療費や介護費の節減効果は定量的には明らかではなく、一部にはむしろ増大させるとの指摘もある」と述べています。

誰のどういう意図が反映されている発言なのか、注意しなくてはいけません。

第2回:国民皆保険の維持は日本社会の一体感を守る最後の砦 貧富の差で医療に差をつけるべきではない

二木立先生のインタビュー第二弾では、そもそも財政維持のために、社会保障費をカットすることは妥当なのか、基本的なことを伺いました。

注目の若手論客、落合陽一さん、古市憲寿さんが「(高齢者に)『最後の一ヶ月間の延命治療はやめませんか?』と提案すればいい」などと発言して批判を浴びた「文學界」1月号の対談。文春オンラインにも転載されて論争を巻き起こしました。

批判の根拠として多くの人にその論文が引用された日本福祉大学の相談役・名誉教授の二木立さんは、医療や介護政策を医療経済学の視点から考え抜いてきた研究者です。

少子高齢化が進み、「このままでは医療や介護はもたない」と多くの人が抱えている不安は、根拠があるものなのでしょうか?

対談が引き起こした論争をきっかけに、質問を投げかけてみました。

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「社会保障費の負担は心配するほど増大しない」

ーー落合、古市対談は、日本の財政悪化のツケを払わされる若い世代としての危機感から、「既得権益」を切り崩す形として高齢者医療費のカットを提案しているように見えます。そもそも、財政健全化のために、社会保障費をカットするという提案は、医療経済の視点から妥当なのでしょうか?

これが提案と言えるのでしょうか?

社会保障費水準というのは、対GDP(国内総生産)比で見るのが医療経済学の常識ですが、これが今後、急増しないことは、政府の公式推計でも確認されています。私も論文で論評しましたが、これは重い数字ですよ。

2018年5月21日に内閣官房、内閣府、財務省、厚生労働省が経済財政諮問会議に提出した「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」でどのように推計されているかご存じですか?

2040年度の社会保障給付費の対GDP比は「現状投影」でも23.8~24.1%、現在行われている諸改革がすべて計画通りに実現すると仮定しても23.8~24.0%となり、2018年度の21.5%と比べて、2.3~2.6ポイント高くなるだけと試算されています。

最近も厚労省の鈴木俊彦事務次官が、「社会保険旬報」1月1日号の座談会で、「日本の社会保障給付費の対GDP比が2040年で24パーセントという数字は、日本よりも高齢化率の低いフランスやスウェーデンが現在負担している数字よりも低いものであり、国民が負担できない水準ではない」とはっきり言っているんです。
同じ雑誌の1月11日号に収められた「第7回地方から考える社会保障フォーラム」では、厚労省の社会保障担当審議官の伊原和人さんが、次官よりもっとストレートに発言しています。

2040年に社会保障給付費(対GDP比)は1.1倍強になるというのは同じですが、もっとわかりやすい例として、健康保険の保険料の見通しでいうと、協会けんぽの負担が今は10%なのが2040年に、11.5~11.8%になるんだよ、と言っているわけです。

ポイントでいうと、2ポイント増えるということです。この問題で大事なのは、社会保障費を誰が負担するかは別として、日本社会として負担できないレベルの増加かということです。

その上で、次の段階で、じゃあどういう風に財源を確保するかという2段階で考えなくちゃいけないわけです。

ーーその増加分はどのように確保すべきだとお考えですか?

国民皆保険を維持するとしたら、保険料が半分ですね。租税は4割ぐらいです。よく租税イコール消費税と言われますが、これだけ消費税を上げるのに反対が多いことを考えると、私はもっと多様化すべきだと思います。

手前味噌ですけれども、これは日本医師会の医療政策会議でも合意を得ています。昨年4月、日本医師会の医療政策会議で報告書が出ています。

社会保険料が中心で、消費税はもちろん大事だけれども、税は多様化する必要があると、私の意見が全部入っています。

詳しくは、「国民皆保険制度の意義と財源選択をどう考えるか?」という論文で詳しく書きました。

国民皆保険の維持は日本社会が一体感を維持する最後の砦

この論文で強調したのは、「国民皆保険の維持」は、今や医療制度の枠を超え、日本社会の「安定性・統合性」を維持するための最後の砦となっているということです。

日本は、こんなに格差社会になってしまいました。そんな今の世の中で、自民党から共産党まで唯一の合意があるのは国民皆保険の維持だけですよ。

だから国民皆保険を解体したり、あるいは混合診療を全面解禁したりして、貧富の差で受けられる医療が変わったら、日本社会は底抜けしてしまいますよ。

ーーそういう意味でも、「最後の一ヶ月の医療費は保険外で」というのは不見識だとお考えなのですね。

ほかの人も既に指摘していますが、そもそも技術的に最後の1ヶ月なんて、誰にもわからないんですよ。

落合氏は、これに続けて「延命治療をして欲しい人は自分でお金を払えばいいし、子供世代が延命を望むようなら子供世代が払えばいい」と発言しています。

私はこれを読んで、21世紀初頭の混合診療全面解禁論争の時に、当時、規制改革・民間開放推進会議議長で全面解禁論の急先鋒の宮内義彦氏が「金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」と言い放ったことを思い出しました。

この発言は、第二次大戦前に、農村部の小作農や都市部の貧困層でよく見られていた、重病人が出れば家どころか娘を売らなければ医療を受けられないという悲劇を予防するために公的保険制度が導入された歴史を無視した暴言です。

当時、私が大学院の講義でこの発言を紹介したところ、韓国の留学生は異口同音に、「韓国だったらボコボコにされるか土下座なのに」と怒りを述べました。しかし、日本のマスコミはこの発言をほとんど報じませんでしたし、今回の落合発言への反応も鈍かったのも不思議でなりません。

高額薬剤費の影響は? 歴史から学べ

ーー免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」など高額医薬品が増えることが医療費を圧迫するという議論もあります。今後、さらに高額な薬剤が承認される時にどこまで保険で認めるかという議論が起こると思いますが、これまでの医療保険の仕組みは維持できるのでしょうか。

オプジーボの時も同じことが言われたんですよ。いわゆる「オプジーボ亡国論」です。

日本赤十字社医療センター化学療法科部長の國頭英夫医師が、オプジーボを受ける肺がん患者の医療費が年間3500万円で、適応のある患者5万人全員に投与された場合、年間1兆7500億円に達すると推計して、これをきっかけに「日本の財政破綻が確定的となり、"第二のギリシャ"になる」と主張したんです。

全国紙3紙が社説で取り上げ、毎日と産経と週刊新潮がこれをテーマに長期連載をやったほどの議論になったんです。

タイトルもすごいですよ。毎日新聞は「たった一剤で国が滅ぶ」、産経は「一剤が国を滅ぼす」です。

私は研究者ですから、常に国際的視点と歴史的視点で検証するわけです。「国が滅ぶ」とまで言ったのは國頭氏が初めてでしたが、過去には、「医療保険財政がもたない」と、2.5回議論が起こった歴史があるわけです。

「結核医療費」と「透析医療費」と、あと0.5回はインターフェロンです。結核医療費は、抗生物質の進歩や普及、薬価引き下げで国民医療費に対する割合は急激に低下しました。

透析医療費も、1973年に高額療養費制度ができたことで患者負担が引き下げられ、透析医療費が保険で高い点数に設定されたため、1970年から10年間で患者数は38倍も激増したんです。

しかし、当時の厚生省が診療報酬改定で透析技術料や透析を行う装置「ダイアライザー」の価格設定を大幅に引き下げたことで、患者はその後も増えたものの国民医療費に対する割合は低下しました。

この二つの疾患の歴史を踏まえれば、オプジーボなどの高額医薬品の費用も、医療政策としてはコントロールが可能なのだと予測できます。

オプジーボは実際に国を滅ぼしたか?

ーーオプジーボも大幅に薬価が引き下げられましたね。

「オプジーボ」亡国論が、現実にはどうなったか見てみましょう。

「概算医療費」という統計があります。国民医療費は確定するのが遅いので、厚生労働省は、「概算医療費」という暫定の医療費の動向を2017年度まで出しています。

概算医療費は、大雑把に言うと、国民医療費から生活保護の医療費をのぞいたイメージです。国民医療費の98%ぐらいをカバーしている統計ですから、ほとんど国民医療費と伸び率は同じです。

この対前年伸び率を見ると、2014年度が1.8%、だいたい2%ぐらいだったのが、2015年度にはポーンと3.8%に上がったんです。

内訳を見ると、調剤の伸び率がなんと9.4%も上がったんです。これは新しいC型肝炎治療薬「ハーボニー」の影響です。さらにオプジーボが出てきたので、これからさらに上がるという議論になったんです。

ところが、厚労省は2017年2月にオプジーボを半額にしたのを含めて薬価を一気に下げましたね。それで、2016年度の伸び率は、-0.4%になったんですよ。調剤に関しては、-4.8%ですよ。完全にチャラになったわけです。

そして、2017年度は、それぞれ、2.3%、2.9%です。完全にアンダーコントロールになりました。オプジーボはわずか4年で、薬価が4分の3も下げられました。適応もすごく厳しいです。病名だけ見れば、見かけ上の適応は拡大した。しかし、施設基準などが厳しいです。だからそれほど増えていません。

2018年度には薬価の抜本改革で、高い薬価の薬は四半期ごとに、売上高をチェックして、伸び率が高い場合は再算定することになりました。今までは2年ごとの見直しだったのです。

その餌食と言っては悪いですが、オプジーボは完全にコントロール下におかれました。

1回5000万円と言われるCAR-T療法の影響は?

ーー現在、承認申請中の新しいタイプのがん治療薬「CAR-T療法」は1回5000万円とも言われています。今度こそ、医療財政はもたなくなるのではないかと懸念されています。

もちろん、これからもたくさんいろんな高額薬剤が出てくるでしょう。今度は違うといつも言われるんです。

だいたい私の経験では、「This Time is Different(今度こそ違う)」と言うのは、不勉強だけれども、傲慢な人の常套句ですよ。

例えば、今、承認、保険収載が見込まれているCAR-T療法の「キムリア」だったら、アメリカだと、治療に反応があった場合だけ支払いを求める成功報酬が導入されていますよね。だからいろんなやり方があると思います。

調べてみましたが、キムリアが適応になる日本の患者数は、急性リンパ性白血病(ALL)で5000人、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)で2万1000人。ずっと限定されます。オプジーボのように適用拡大はあまり考えられないし、厳しく適用制限するはずです。しかも、基本は1回だけの治療です。

そして、当然技術進歩が進めば薬価も下がります。人件費は下がらないですが、物件費はいくらでも下がる。

これまでの経験に基づけば、今後、新医薬品・医療技術価格の適正な値付けと適正利用を推進すれば、技術進歩と国民皆保険制度は両立できるということが国際的、歴史的結論でしょう。

国際的に見ても、技術進歩による医療費増加で、医療保険が破綻した国はないんですよ。歴史や国際的な視点を踏まえて、議論すべきです。

第3回:健康は義務ではない 「予防医療」を医療費抑制の道具にするな

医療経済学者、二木立さんインタビュー第3弾では、今、産官学民で盛んに言われ始めた予防医療と健康寿命の延伸に隠れた落とし穴を探ります。

落合陽一氏、古市憲寿氏の対談をきっかけに論争となった医療費抑制の議論。

政府は「予防医療」と「健康寿命の延伸」による医療費抑制策を打ち出し始めているが、それは正しいのでしょうか?

医療経済学者、二木立さんインタビュー第3弾をお届けします。

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「予防医療」へのインセンティブ強化策を打ち出した安倍首相

ーー「予防医療」や「健康寿命の延伸」が一般レベルでも叫ばれることが増えました。国も予防医療に力を入れる方針を示していますが、これについてどうお考えですか?

安倍首相は、2018年9月以降、「全世代型社会保障改革」について、予防医療や健康寿命増進に焦点を当てる姿勢を明らかにしています。

たとえば、この年9月20日のテレビインタビューでは、財政のために国民の負担を増やしていくという考え方を批判し、「医療保険においても、しっかりと予防にインセンティブを置いていく、健康にインセンティブを置いていくことによって、結局、医療費が削減されていくという方向もあります」と述べています。

首相の指示を受けて、厚生労働省はその翌月の10月22日に「2040年を展望した社会保障・働き方改革本部」を設置し、「健康寿命延伸タスクフォース」など4つのプロジェクトチームを設けました。

この日の午後に行われた「未来投資会議」では、「全世代型社会保障へ向けた改革」での「疾病・介護予防の進め方」について議論され、「インセンティブ措置の強化」を進めることを表明しました。

私は、生活の質を上げるために予防医療を重視し、健康寿命延伸を目指すことは賛成です。しかし、そのために国民への強制やペナルティを伴うことがあってはならないと思います。

インセンティブが強化されれば、それが事実上の強制やペナルティになり、結果的に「生活習慣病」などの患者の差別や排除につながりかねません。

さらに、予防医療で医療や介護費を抑制できるという主張には強い疑問を持っています。

予防や長生きをしたら医療費は増える可能性がある

ーー先生は40年前に、「成人病・慢性疾患については、経済学的にみて『予防は治療に勝る』とは必ずしもいえない」と述べ、予防や早期発見、早期治療でかえって医療費が増える可能性があると指摘していらっしゃいますね。一方で、1985年に脳卒中の早期リハビリで、医療費が削減される可能性があるという研究も残していらっしゃいます。

私は医学的効果と医療費削減は常に区別しています。1985年の論文は、当時勤務していた代々木病院での脳卒中早期リハビリテーションの実績に基づいて、経済効果を試算したものです。

この研究は、脳卒中患者が急性期治療と並行してリハビリテーションを受けて平均1.5~2ヶ月入院後に退院する場合を、120日間一般病院に入院し続ける場合と比べると、19~48%の費用削減効果が可能なことを理論的に明らかにしたものです。

しかし、その論文でも、リハビリテーションを受け持ってくれる施設との連携が現実には難しい等、5つの制約条件をあげて、本研究で「明らかにした施設間連携による経済的効果も全国的に実現することは、現状では困難である」と結論づけました。

さらに、2006年に脳卒中のリハビリを適切に行った場合の医療費抑制効果は短期的にのみ言えることであり、長期的には累積医療費は増加する、とはっきり訂正しているんです。

その患者が初回の発作ならいいんですよ。そして、1年ぐらいなら経済効果もあるかもしれません。しかし、その人は残念ながらかなりの確率で再発します。良くなると長生きをするけれど、それで医療費も増えるんです。

だから、極端な言い方をすれば、医療費抑制だけ考えるなら治療しないのが一番いいんですよ。しかし、こんなことは誰も主張しないでしょう。リハビリをやったら命が長引くだけでなくて、再発や3回目もあるし、他の病気にもなります。だから、長期的にみると医療費は増えるのではないかと思うようになったんです。

予防で医療費や介護費が減るという研究もあるが?

予防医療の医療費抑制効果については財務省も疑問視しています。

昨年10月9日の財政制度等審議会財政制度分科会の資料「社会保障について」では、「予防医療等による医療費や介護費の節減効果は定量的に明らかではなく、一部にはむしろ増大させるとの指摘もある」としています。

財務省が根拠とした研究は、医療経済を専門とする康永秀生・東大医学部教授らの文献です。康永氏は、元論文で以下のように述べています。

「これまでの医療経済学の多くの研究によって、予防医療による医療費削減効果には限界があることが明らかにされています」

「それどころか大半の予防医療は、長期的にはむしろ医療費や介護費を増大させる可能性があります。そのことは医療経済学の専門家の間では共通の認識です」

ーーそれでも国が予防医療によって医療費削減につながるとする根拠は何でしょうか?

公にされている資料を見ると、経済産業省の主導でこの方針が進められています。昨年4月に開かれた第7回「次世代ヘルスケア産業協議会」の資料では、「予防・健康管理への重点化」によって、高齢者の医療費が半分以下に減少するという図が示されています。

経産省が予防医療の推進で生涯医療費や介護費が減少するという試算の根拠として挙げている研究者の報告を見てみると、「介入にかかったコスト」が計算されていませんし、モデル事業の成功事例が全国に広げられた場合の効果の縮小傾向が考慮されていません。

ーーしかし、病気や介護状態が予防できて、健康寿命が延びれば、働き続けられる期間も長くなるでしょうし、家族が介護に取られることも減るでしょう。医療費以外の経済的なプラス効果もあるのではないでしょうか?

「次世代ヘルスケア産業協議会」の同じ資料で、「高齢者の健康状態が向上すれば間接的なインパクトとして、労働力と消費の拡大が見込まれる(最大840万人、年1.8兆円)」と試算しています。

しかし、これは65歳から74歳の高齢者が現役並みに働け、75歳以上の高齢者が前期高齢者並みに働けると仮定した場合の試算ですよ。前期高齢者は今の2倍、後期高齢者は今の4倍働くという前提です。

それで生活機能全般が衰える「フレイル」予防と認知症を予防することで、介護費用の抑制効果は3.2兆円としています。

ーー先生だったら現役世代よりも働けそうですけれども。

個人のレベルでできる人がいても、国民全体ができっこないですよ。こういう数字を平気で出すのはインチキです。

健康は義務ではない 不健康な人の生存権を侵すな

ーー医療費や介護費用の抑制に結びつかなかったとしても、病気を予防したり、要介護状態になるのを先送りできることは本人にとって幸せなことですよね。予防医療や介護予防を国が推進すること自体は問題ないのでは?

私がもっとも強調したいのは、予防医療の強調がポピュリズム、人気取りの政策になっていて、本当に向き合うべき問題から目をそらしていないかということです。

予防医療に取り組めば、医療・介護費が下がると言っているわけですが、そうすると負担増について考えなくてもよくなります。本来だったら、社会保障・税一体改革が2025年にほぼ終わるわけですから、次の時代に向けて負担増を検討しないといけない。

しかし、予防を一生懸命やれば、費用を増やさなくても済むという考えに、現政権は飛びついたわけです。このような政策を、権丈善一慶應義塾大学教授は『中央公論」1月号の論文で、「ポピュリズム医療政策」と呼んでおり、私も同感です(http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/1901chuokoron.pdf)。

社会保障の産業化で、経産省は省益拡大と公的保険サービスの企業サービスを推進しようとしています。介護予防による介護費用削減の根拠として挙げられている千葉大の近藤克則先生の研究は高く評価しています。

愛知県武豊町で、地域住民がボランティアで高齢者のサロン活動を運営した事業は、リスクのある人だけでなく、集団全体を対象としたポピュレーションアプローチです。そこにいるだけで、意識せずにいつの間にか健康になっているというやり方です。

しかし、これは全国最先進の「モデル事業」とも言え、その結果をそのまま全国に当てはめることはできません。

経産省が目指しているのは、インセンティブによる個人アプローチで、このままでは自己責任論が強まってしまう恐れがあります。

健康は義務ではないんです。権利です。健康は義務だという考え方はナチズムと通じるものがあります。

突き詰めると、「健康寿命」という概念は、認知症や重度の障害者、病気を持っている「健康ではない個人」の生存権を侵害する危険があります。

ーー病気や介護状態を予防することを強調し過ぎると、病気や要介護状態であることが非常に悪いことのように見られ、負のレッテルが強化されてしまうということですね。

「生活習慣病」にならないように、認知症にならないように国によって個人へのインセンティブが強化されたら、「生活習慣病」になった人、認知症になった人が差別、排除される危険があることも考えなくてはいけません。

私がこのことを危惧するのは、経産省、厚労省の文書から、「生活習慣病」は個人の不健康な生活に責任や問題があるからだという暗黙の了解が透けて見えるからです。しかし、「生活習慣病」は、遺伝的な要因や社会的な決定要因など、個人の責任に帰すことのできない複数の要因が複雑に絡み合って起きるものです。
このことは、「生活習慣病」という用語を提唱した1996年の公衆衛生審議会「意見具申」も指摘し、以下のように注意喚起しています。

「但し、疾病の発症には、『生活習慣要因』のみならず『遺伝要因』、『外部環境要因』など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、『病気になったのは個人の責任』といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある」

私は2017年から、病気が自己責任と誤認させる「生活習慣病」という用語の見直しを検討すべきであると主張し、とりあえずは「生活習慣関連病」への変更が現実的と判断しています。このインタビューでも「生活習慣病」と、常にカッコを付けて表現したのはそのためです。

健康を自己責任論に追いやる政策は、常に警戒しなければなりません。

(終わり)

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3.講演録:地域医療構想と地域包括ケア

(2019年2月1日 SANOFI未来を探る 知的共創カンファレンスFUSION第一部「医療と経済の未来予測」

私は、権丈さんのお話を受けて、「地域医療構想と地域包括ケア」についてお話しします。

私が一番強調したいことは、今後の保健・医療・福祉改革の主戦場は「地域」で、「地域」医療構想と「地域」包括ケアが改革の二本柱であることです。地域医療構想と地域包括ケアは法律上も行政上も同格・一体です。そのために、医療者・医療機関も両者に一体的に取り組む必要があります。ただし、「地域」の範囲は大きく異なります。具体的には、地域医療構想の「地域」は、全国に約300ある「二次医療圏」、「地域医療構想区域」で、平均人口は約40万人で複数の市町村を含みます。それに対して、地域包括ケアの「地域」はこれよりはるかに狭く、全国に約1万ある中学校区とほぼ同じで、平均人口は約1万人で、一つの市町に複数存在するのが普通です。

以下、まず「地域医療構想」について、次に「地域包括ケア」について説明します。

地域医療構想

地域医療構想の法的根拠は2014年に成立した医療介護総合確保推進法と改正医療法で、それは皆さんにもおなじみの地域医療計画の一部とされています。地域医療構想では、第2次医療圏ごとの2025年の「必要病床数」と「在宅医療等(介護施設と在宅医療)」の両方を決定し確保することとされています。

ここで、よくある誤解を2つ指摘します。1つは、地域医療構想は2025年の必要病床数のみを決定するとの誤解です。しかし、地域医療構想は必要病床数だけでなく、高齢者等を地域で支える「在宅医療等」の両方を決定します。もう1つは、必要病床数は最終的には厚生労働省や都道府県が決定するとの誤解です。しかし、地域医療構想は全国の47都道府県が、客観的データに基づき行政・医師会・病院団体等の合意により作成し、実現を目指すことになっており、厚生労働省や都道府県が一方的に作成・実施するわけではありません。

ここで、2013年の社会保障制度改革国民会議報告書が初めて提起した「病院完結型の医療」から「地域完結型の医療」への転換の正確な意味を指摘します。それは、「地域完結型の医療」は病院の役割の否定ではなく、「地域」には病院・施設と在宅医療・在宅福祉の両方を含むことです。なぜなら、同じく社会保障制度改革国民会議報告書が初めて提起した「治す医療」から「治し・支える医療」への転換のためには病院やさまざまな施設、在宅医療と在宅福祉のすべてが必要だからです。

次に、地域医療構想についての私の将来予測と意見を5つ述べます。

第1。一般には地域医療構想による全国の2025年の必要病床数は115~119万床とされ、現在の135万床(一般病床と療養病床の合計)より約20万床減ることが「既定の事実」と思われていますが、私はそれは困難だと考えています。私も「高度急性期病床」の集約化・削減は必要だと考えています。特に、大学病院の全病床を一律「高度急性期病床」と見なすのは非現実的です。しかし、総病床の20万床削減は困難だと判断しています。

第2。私がこう考える最大の理由は、日本の高齢者の健康水準は世界でもトップクラスであるため、今後の高齢人口増加で、「回復期」だけでなく、「一般急性期」の医療ニーズも増加するからです。一部の医療・福祉関係者は、今後の高齢者医療、特に75歳以上の後期高齢者を対象にした医療では、「キュアからケアへの転換」が必要だと主張しています。しかし、もともと健康だった高齢者が脳卒中や心筋梗塞等の急性疾患を発症して病院に入院した場合、まず必要なのは「キュア」・急性期治療であり、それを行わずに最初から「ケア」のみを提供することは高齢者や家族の希望に反するだけでなく、社会的にも許されません。そしてこのような急性疾患の「キュア」を回復期病床で行うのは困難です。

第3。これは一般の報道では見落とされていることですが、現在の病床数(135万床)を2025年にも維持することは、実質17万床の病床削減を意味することです。なぜなら、日本では、今後、高齢人口が急増し、それに伴い、入院ニーズも急増するからです。厚生労働省自身も、「機能分化をしないまま高齢化を織り込んだ」場合には、2025年の必要病床数は152万床となり、現在の135万床より17万床多くなると公式に推計しています。つまり、2025年にも現状程度の病床数ということは、実質17万床の削減になるのです。そして私はこれは可能だと判断しています。この理由は時間がないので省略します。

地域医療構想についての私の将来予測と意見の第4は、地域医療連携推進法人は一部の地域-その大半は人口減少が急速に進んでいる過疎地域-を除いてほとんど普及しないことです。地域医療連携推進法人は、一部では、今後の地域医療再編の「切り札」・「主役」と喧伝されましたが、制度発足後1年8か月経った2019年12月でも7法人にとどまっています。ここで特に強調したいことは、厚生労働省が地域医療連携推進法人の普及に対して極めて慎重であることです。論より証拠。2018年度の診療報酬改定では、地域医療連携推進法人を優遇する点数はまったく設定されませんでした。この点は、同時期に制度化された介護医療院の介護報酬が優遇されたのと対照的です。

第5。私は今後、病床区分の明確化・棲み分け、病院の再編は10年単位では徐々に進み、その主役は大規模病院グループ・「複合体」によるM&Aであると予測しています。

ここで、保健・医療・福祉複合体(複合体)について簡単に説明します。これは私が1996年に提唱した用語で、母体法人(個人病院・診療所も含む)が単独または関連・系列法人と共に、医療施設と何らかの保健・福祉施設を開設しているものを意味し、2000年の介護保険制度創設前後から急増しています。

私が強調したいことは、厚生労働省は2018年の診療報酬・介護報酬同時改定で複合体化を奨励する政策に舵を切ったことです。複合体にはプラス面とマイナス面の両面がありますが、先進的複合体は非大都市部で積極的に「地域づくり」に参加しています。そして厚生労働省は、2018年の同時改定に際して、今後、次に述べる地域包括ケアを推進するためには「複合体」を育成する必要があると決断したと思います。

地域包括ケア

次に、地域包括ケアについて説明します。まず、地域包括ケアシステムの法的定義を述べます。地域包括ケアシステムは、地域医療構想と同じく、2014年の医療介護総合確保推進法で、以下のように定義されました。「地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、①医療、②介護、③介護予防、④住まい及び⑤自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」。しかしこれは理念規定にとどまっており、大変分かりにくいと思います。

私は、地域包括ケアシステムが分かりにくい理由は3つあると考えています。

第1の理由は、地域包括ケアシステムの理念・範囲の説明が変化あるいは「進化」し続けているからです。地域包括ケアシステムは2003年に初めて提起されたのですが、その当時は介護保険制度改革の一環と位置づけられ、それに含まれる医療は診療所・訪問診療のみに限定されました。現在では信じられないことですが、地域包括ケアシステムには「看取り」の医療も含まれませんでした。しかし、その後、医療の範囲は徐々に拡大し、現在は病院も含むようになりました。地域包括ケアシステムに参加する病院は、一般には200床未満の中小病院が中心と想定されていますが、法的・行政的規定はなく、私の地元の愛知県では、藤田医科大学が地域包括ケアシステムに積極的に参加しています。

地域包括ケアシステムが分かりにくい第2かつ最大の理由は、その実態は「ネットワーク」なのに「システム」と命名されたことです。地域包括ケアシステムの命名者は広島県の公立みつぎ総合病院山口昇院長です。先生は、1970年代以降、御調町で公立の病院・特養・老健、さらには各種在宅ケア施設を順次統合・「システム」化し、2000年に介護保険制度が始まる前から、全国最高水準の医療・介護サービスを提供していました。ただし、これは非常にお金のかかる「システム」でした。

そのためもあり、当時、厚生省は、山口先生から「地域包括ケアシステム」という用語を借用しつつ、実際には、その中身としては、同じく広島県の尾道市医師会等が展開していた診療所中心の医療・福祉・介護の連携事業(ネットワーク)を想定していました。

しかし、医療・福祉領域では、「システム」(制度・体制)という用語は国が法律・通知等により、全国一律の基準を作成し、都道府県・市町村、医療機関等がそれに従うという誤解・幻想・甘えを生んだし、そのような誤解が現在でも残っています。

ただし、厚生労働省の幹部はごく早い時期から、地域包括ケアはこのような意味での「システム」ではないことを強調していました。この点については、2013年に原勝則老健局長が述べた次の説明が一番明確です。「地域包括ケアはこうすればよいというものがあるわけではなく、地域のことを最もよく知る市区町村が地域の自主性や主体性、特性に基づき、作り上げていくことが必要である。医療・介護・生活支援といったそれぞれの要素が必要なことは、どの地域でも変わらないことだと思うが、誰が中心を担うのか、どのような連携体制を図るのか、これは地域によって違ってくる」。

先に述べたように「地域包括ケアシステム」は法律用語でもありますが、「システム」という表現が無用な誤解を生むので、私はもっぱら「地域包括ケア」と呼んでいます。

地域包括ケアが分かりにくい第3の理由は地域包括ケアには、保健医療系と(地域)福祉系の2つの源流があるにもかかわらず、ごく一部の地域以外では、両者の交流はほとんどなかったことです。研究者の世界も縦割りで、医療系の研究者は保健医療系の地域包括ケアを、福祉系の研究者は福祉系の地域包括ケアを、分析・紹介する傾向があり、それが地域包括ケアについての具体的イメージの分裂を助長したと思います。しかし、今後は医療・福祉の垣根を越えた「医療・介護・福祉のネットワーク」づくりが必要になり、その鍵は「多職種連携」だと言えます。昨年の診療報酬・介護報酬同時改定でも、多職種連携を奨励・促進するためのさまざまな点数や施設基準が導入されました。

ここで医療関係者にも馴染みのある「チーム医療」と「多職種連携」との違いについて簡単述べます。言うまでもなく、チーム医療は医療機関の枠内での協業であり、医師の指示の下に行われ、そのリーダーは、法的にも慣例的にも医師です。それに対して、多職種連携は「地域」が舞台となり、医療以外の領域では医師の指示ではなく、多職種の合意に基づく協業が行われます。多職種連携のリーダーも医師とは限りません。

私は今後多職種連携を進める上では、医療職は福祉の勉強を、福祉職は医療の勉強をすることが求められると考えています。

地域(包括)ケアによる医療・福祉費削減についての論争と厚労省高官の発言

地域包括ケアの説明の最後に、地域(包括)ケアによる医療・福祉費削減についての論争を簡単に紹介します。1970~80年代前半には、日本だけでなく欧米でも、地域ケアでケアの質向上と費用削減の両方が達成できると信じられていました。しかし、1980年代後半以降は、家族介護の費用を加えると、地域ケアは施設ケアに比べて安価ではないこと、特に重度の障害高齢者では在宅ケアの方が高いことが確認されています。例えば、2017年に発表されたOECD報告書『医療の無駄と闘う』"Tackling Wasteful Spending on Health" )は、OECD加盟15か国のデータに基づいて、重度の障害高齢者の在宅フォーマルケアの1週当たり費用は1万2,000ドルであり、施設ケアの費用9,000ドルを大幅に上回っていると報告しています。

ここで強調したいことは、厚生労働省高官(技官)もこのことを認めていることです。最初に認めたのは伊藤雅治老健局医療課長で、今から30年も前の1989年に「在宅ケアは施設ケアに比べて…費用がかかる」と述べました。ちなみに、伊藤課長は1992年の診療報酬改定時に(老人)訪問看護ステーションを制度化した大変見識のある方です。

最近では、2016年に鈴木康裕保険局長・現医務技監も次のように述べました。「大事なのは、在宅が安いと思われがちですが、サービスを"移動"して提供しなければいけないので、明らかに機会費用が生じます。特に医師は人件費が高く、移動が高額になります。その意味では、本当に孤立した自宅が効率的なのか、それともサ高住のように集まって居住し、下の階や近隣に診療所や訪問看護ステーションがある方がよいのか、在宅のサービス提供のあり方を考えなくてはいけません」。

この点とも関係してもう一つ強調したいことは、厚生労働省は「自宅ケア」や「自宅での看取り」の大幅増加は不可能と認識し、「在宅ケア」の普及とそれによる「居宅生活の限界点を高める」ことを目ざしていることです。「在宅」と「自宅」は日常用語では同じ意味ですが、厚生労働省は両者を峻別しており、在宅には自宅(マイホーム)だけでなく、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅等の居住系施設を含んでいます。さらに、診療報酬上の「在宅」には特別養護老人ホーム、介護医療院等も含まれます。

以上をまとめると、私は、地域包括ケアや在宅ケアは医療・介護費の抑制ではなく、利用者のQOL向上のために行う必要があると考えています。

地域医療連携と地域包括ケアの枠を超えて強調したいこと

最後に私が地域医療連携と地域包括ケアの枠を超えて強調したいことを述べます。それは、国民皆保険制度は現在では、医療(保障)制度の枠を超えて、日本社会の統合を維持するための最後の砦になっていることです。大変心強いことに、国民の医療と医療制度の満足度は2010年代に着実に上昇しており、しかも国民の7割は常に平等な医療に賛成しています。逆に、今後、過度の医療費抑制政策が続けられた場合、国民皆保険制度の機能低下・機能不全が生じ、日本社会の分断が一気に進む危険があります。

以上駆け足で述べてきた私の事実認識、将来予測、改革提言について詳しくは、本年1月に出版したばかりの新著『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』(勁草書房)を是非お読み下さい。以上です。


4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算
156回)(2018年分その12:11論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカにおける「オバマケア」成立後の]2008~2015年の病院システム構造の趨勢を評価する
Walker DM, et al: Assessing trends in hospital system structures from 2008 to 2015. Medical Care 56(10):831-839,2018[量的研究]

「医療費負担適正化法」(正式名称は「患者保護並びに医療費負担適正化法」。以下、ACA)は、医療全体(care continuum)を通しての協働を促進するために、大きな組織的改革を導入した。しかし、ACA後、病院システム(病院チェーンや病院中核の統合医療組織)の構造のどこが変わったかは知られていない。病院システムの構造は医療サービスの費用、質、アクセスに重大な影響がある。本研究の目的は病院システムの趨勢を評価することである。アメリカ病院協会年報から病院システムのデータを抽出して、2008~2015年の病院システムのパネルデータを作成し、病院システムの数、規模、所有形態、地理空間配置、および外来サービスの統合の趨勢を評価した。地理空間配置は、全国展開(病院を4州以上で開設)、ハブ・アンド・スポーク展開(旗艦病院とそれ以外の病院を持つ)、地方(regional)の3つに分けた。

その結果、2008~2015年に、急性期病院・外科系病院のうち病院システムに参加してい割合は53.9%から62.8%に増加していた(p<0.001)。病院システム数は微増だった(369から373へ)。ただし、調査期間に新たに出現した病院システムは138もあった。病院システム中の営利病院の割合は14.2%から10.1%に減っていた。集中化が中等度だった病院システムのうち、集中化が強まったシステムは集中化が弱まったシステムより多かった(19.8%対4.7%、p<0.001)。地理空間配置をみると、病院システムのうち全国展開の割合は19.8%から14.7%へ、ハブ・アンド・スポーク展開の割合は16.3%から14.7%に減少する一方、地方の割合は63.9%から70.5%に増加していた。病院システムが外来サービスを統合する趨勢も認められた。

以上の知見は、病院システムが全国展開型から地方的存在に移行していることを示唆している。それに加えて、病院システム全体で統合が進んでいる趨勢は、病院システムが医療の継続性に沿ってサービスを展開していることを示唆する。

二木コメント-アメリカ病院協会年報を用いた、病院システムの最新全国調査です。ただし、元論文の要旨の数値は分かりにくいので、主に表2の数値を用いました。この調査結果で特に注目すべきことは、全国展開型の病院システムと営利病院の割合が減少傾向にあることだと思います。

○[アメリカにおける]メディケイド[の対象]拡大と病院閉鎖との関係を理解する
Lindrooth RC, et al: Understanding the relationship between Medicaid expansions and hospital closures. Health Affairs 37(1):111-120,2018[量的研究]

医療費負担適正化法(以下、ACA)に基づいてメディケイドの対象拡大をするか否かについての州政府の決定は、病院の財政的健全性にも影響する。本論文では、メディケイドの対象の子どものいない成人への拡大が、保険償還されない(無保険者)医療費を減らし病院の財政状態を改善するとの仮説を立てた。この仮説を、2008-2016年の急性期病院の病院閉鎖と財政状態のデータを用い、差の差分法で検証した。

その結果、ACAのメディケイド拡大は病院の財政状態改善と病院閉鎖確率の相当の低下と関連しており、この傾向は特に、農村部及びメディケイド拡大前は成人無保険者数が多かった郡で顕著だった。100病院当たり病院閉鎖率は、メディケイド拡大のなかった州では2008-12年の0.39から2015-16年の0.81へと0.43増えたが、メディケイドを拡大した州ではそれぞれ0.51から0.18へと0.33も減少していた(p<0.01)。今後の連邦議会でのメディケイド改革の議論では、メディケイド・カバー率の水準と病院の財政的生存能力との強い関係も考慮すべきである。

二木コメント-医療保障の拡大が、低所得者・無保険者の医療へのアクセスを改善するだけでなく、病院の財政状態も改善するとの、貴重な、しかしアメリカのみでしか行えない研究です。

病院に対する[手術・処置の]最小症例数基準の国際比較
Morche J, et al: International comparison of minimum volume standards for hospitals. Health Policy 122(11):1165-1176,2018[国際比較研究]

最小症例数基準は様々な国で、質または安全性の保証のために導入されている。本報告では、それの国際比較について、以下の諸点に焦点を当てて報告する:規制アプローチ、選択された手術・処置(procedures)のセット、閾値、および遵守されなかった場合に予告されている扱い。2016年3月に、複数の電子データベースを用いた包括的文献検索とウェブ上に公開されている政府および関連組織の情報収集を行った。その後、国際的エキスパートに我々が入手した情報の評価を依頼すると共に、追加的なデータを得た。

その結果、最小症例数基準は様々な国で、主として高度に専門的な手術を対象にして導入されていた。今回情報を得られたドイツ、カナダ(オンタリオ州)、オランダ、スイス、オーストリアの5か国では、同一のエビデンスに基づいても、最小症例数基準の定義と実施方法は異なっていた。最小症例数基準に対する規制方法も、それを遵守しなかった場合の扱いも国ごとに異なっていた。このような違いは各国の規制方法の違いから生じていると思われる。さらに、各国の医療制度の主要な特性も影響している可能性がある。そのために、すべての国に適用できる均一の勧告をまとめることは適切ではない。

二木コメント-5か国の基準がていねいに紹介されており、最後の結論も妥当と思います。ただし、本文の表4(8種類の手術の5か国の年間最低症例数閾値)をみる限り、5か国の基準は類似しています。例:膵臓手術では、ドイツとオーストリアは10例、他の3か国は30例。

<ヨーロッパ諸国の諸比較(4論文)>

○EU加盟国の医療業務補助者:概観
Kroezen M, et al: Health care assistants in EU member states: An overview. Health Policy 122(10):1109-1117,2018[国際比較研究]

ヨーロッパ諸国は、労働力不足(特に看護職不足)と医療需要増大の両方に直面し、現代医療制度の中での医療業務補助者の重要性が増すと予測されている。しかし、彼らの技能、能力と教育についてはほとんど調査されていない。「医療業務補助者の核となる能力(core competency)の定義支援」研究は、医療業務補助者についての知識をヨーロッパ全体で増すことを目的としている。本研究はEU加盟27か国の医療業務補助者の位置を概観し、国ごとの違いを示す。

ヨーロッパ諸国の医療業務補助者の大半の学習成果は、知識と技能面、それも専門レベルではなく基礎レベルで定義され、能力面は軽視されていることが明らかにされる。EU加盟国間で多くの違いがあるが、共通の核となる知識と技能関連の学習成果のセットについては、ほとんどのEU加盟国の医療補助者が持っていることも明らかになっている。国ごとの違いは、大枠では医療従事者が働いている規制的・教育的枠組みで説明でき、この枠組みは彼らの現在及び将来の医療制度内の位置に影響を与える。

二木コメント-EU加盟国の医療業務補助者についての初めての比較研究だそうです。ただし、教育内容と医療制度内での位置についての比較で、人数や給与等については調査されていません。また、「知識学習成果」の項目から、医療業務補助者の大半は看護業務補助者と思われますが、詳しい説明はありません。

○ヨーロッパにおける所得不平等と健康のリンクの方程式にプライマリケアの強さ面を加える
Detollenaere J, et al: The link between income inequality and health in Europe, adding strength demensions of primary care to the equation. Social Science & Medicine 201:103-110,2018[量的研究]

所得不平等は国民の健康(population health)と明確な関連がある。多くのエビデンスが強いプライマリケア制度がこの否定的関連を和らげる可能性を示唆している。本研究の目的はプライマリケア制度の強さが、ヨーロッパにおける所得不平等と健康の逆相関にどのように影響するかを評価することである。健康は次の4つの横断面アウトカムを用いて操作的に定義した:健康の自己評価、平均寿命、精神衛生、乳児死亡率。プライマリケア制度の強さは、以下の2レベル・7側面から成るPrimary Health Care Activity Monitor Europeの枠組みを用いて測定した:構造レベルはガバナンス、経済状態、人材開発、プロセスレベルはアクセス、医療の継続、協働、包括。不平等はジニ係数で測定した。分析単位はヨーロッパ24か国で、回答者合計45,007人である。相互作用項を持つ重回帰分析を行った。
その結果、プライマリケアの強さ、特に構造と継続が所得と不平等との逆相関を和らげられることが確認された。ヨーロッパの政策決定者はプライマリケア制度を強め、健康の不平等を弱めることに注力すべきである。

二木コメント-プライマリケア制度の強さが所得と健康との逆相関を弱める効果があるとの視点・仮説、およびそれを多変量解析で検証することは私には新鮮でした。

○ヨーロッパにおける社会的支出の健康不平等に対する影響
Alvarez-Galvez J, et al: The impact of social expenditures on health inequalities in Europe. Social Science & Medicine 200:9-18,2018[量的研究]

福祉国家は市民の健康と社会的安寧の保護と促進において基本的役割を果たすと想定されている。しかし、福祉国家の効果についての経験的エビデンスにはなお矛盾がある。結果の不一致のために、福祉国家と健康の関係を説明しうるメカニズムの定義についての合意は存在しない。最近の論争に新たな光をあたるために、ヨーロッパ社会調査(ESS)とEurostatの個人レベルと国レベルのデータを用いて、福祉国家が健康の不平等に与える直接効果と関節効果について探索する。マルチレベル・ロジット・モデルを用いて、社会的支出(社会的保護費用。年金は含まない。対GDP比)が健康の不平等を減少させるとの仮説を検証した。

結果は以下の通りである。第1に、健康不平等は社会支出の多い国では低い。第2に、社会経済的地位(SES)と健康との関連は社会支的出により和らげられてる。社会的支出が多かった国ではSESの健康に与える影響は減少しているが、社会的支出の低い国ではこの影響は大きかった。社会的支出に年金を加えて計算しても、結果は変わらなかった。以上の結果は、社会的支出がヨーロッパの健康状態を平等化するプラスの影響を持っていることを示唆している。

二木コメント-要旨を読んだ範囲では実にきれいな結果ですが、「予定調和」的な気もします。

○[2008年経済危機後の]経済の低成長が[ヨーロッパ諸国の]医療部門改革に与えた影響:国際比較の視点
Saltman RB: The impact of slow economic growth on health sector reform: A cross-national perspective. Health Economics, Policy and Law 13(3-4):382-405,2018[国際比較研究・政策研究]

本論文は2008年経済危機後にヨーロッパ諸国で実施された医療部門改革を評価する。まず、低成長の圧力が医療サービスの公的財源に与える影響を、租税負担方式の北欧諸国の医療制度を中心に、概観する。ヨーロッパの経済成長率は最近多少上向いているが、それは公的医療部門の歳入拡大に必要なレベルを下回っている。継続する公的財源不足は医療制度の政策決定者が直面する最大の課題となっており、彼らの政策選択の幅を制約している。

次に本論文は、ヨーロッパの数カ国の政府が強まる財政難に対して導入した改革とその目標(targeted reforms)のタイプを検討する。特に租税負担方式の医療制度では、焦点は医療供給側の次の2種類の改革に当てられている:公的病院の管理部門の統合・集中化及び二次・一次医療サービス、社会サービスの刷新により、公的高齢者ケア制度のサービス量、費用と不適切なアウトカムを減らすことである。高齢者ケアの刷新は社会保険方式の国でも実施され、ドイツとオランダの医療制度では財政面で重要な改革が行われた。両タイプの改革については簡単な事例研究も示す。これらの国の評価に基づいて、他国の医療部門の文脈にも導入可能な新しいメカニズムを示す。結論として、本論文は2008年以降のヨーロッパの改革が既存の公的財源の効果的拡大を助けたが、公的財源不足という中核的問題は、特に租税負担方式の医療制度では、解決したとは言えそうにないと述べる。

二木コメント-医療制度・政策の国際比較研究の第一人者であるサルトマン教授による、2008年経済危機後のヨーロッパ諸国の医療改革についての最新の包括的研究です。5部構成・23頁の長大論文で、租税負担方式と社会保険方式の国別に、簡潔にそれぞれの「革新的改革戦略」が紹介されています。本論文を読むと、経済危機・低成長時代の公的医療保障制度の財源確保という点では、社会保険方式より租税負担方式の国の方がより深刻であることが分かります。

<高齢者ケア・長期ケア関連(4論文)

○ドイツにおける長期ケア改革[介護保険導入]が労働供給に与える影響
Geyer J, et al: Labor supply effects of long-term care reform in Germany. Health Economics 27(9):1328-1339,2018[量的研究]

多くのインフォーマルケア提供者は労働年齢にあり、ケアの提供と仕事との二重の負担に直面している。労働供給へのマイナスの影響により、インフォーマルケアのフォーマルケアに対する費用の相対的優位は大きく減少する。長期ケア政策を設計する際には、それの健康アウトカムだけでなく、インフォーマルケア提供者の労働供給行動も理解する必要がある。差の差分法の回帰分析により、1995年のドイツ長期ケア保険(介護保険。現物サービスと現金の両方を給付)導入に対する労働供給の反応を評価した。調査期間は1991~2007年の17年間で、ケアが必要な構成員のいる家族の労働年齢(35~65歳)の個人を「治療群」、そのような構成員のいない家族の個人を「対照群」とした。

介護保険はケア提供者の労働供給とケア提供とのトレードオフ関係を変える。改革の目的はインフォーマルケアの提供を強めることだった。その結果、介護保険は男では労働供給に対して強いマイナスの効果があったが、女ではなかった。この結果は介護保険給付は相対的に高齢な男に対しては労働市場から退出するインセンティブを与えたと解釈できる。このトレードオフは、政策決定者が今後の改革を考える上で重要であり、このことは特に長期ケアシステムを主にインフォーマルケアに依存している国で言える。

二木コメント-介護保険導入前後17年間のデータを用いた研究で、日本での同種研究が期待されます。日本では、「互助」に依存した長期ケアが推進されていますが、その際、それの労働供給に対する影響を考慮する必要があると思います。

○ヨーロッパ諸国における長期ケア需要と受給資格
Carrino L, et al: Demand of long-term care and benefit eligibility across European countries. Health Economics 27(8):1175-1188,2018[量的研究]

本論文では、個々の高齢者が、フォーマルな高齢者ケア提供の変更に対して、どのように自己のインフォーマルな長期ケア利用を調整しているかを検討する。このことはフォーマルな高齢者ケアの効果的政策を設計する上で非常に重要だが、実証的エビデンスは乏しい。というのは、フォーマルケアの内生性を説明するための信頼できる個人の特定方法がないからである。我々は新しい手法として、各国・地域で導入されている長期ケアプログラムに対する個々人の適格性を把握するための指数を提案する。対象はヨーロッパ5か国・地域(オーストリア、ドイツ、フランス、ベルギー・フランドル地域、ベルギー・ワロン地域)の50歳以上の成人、合計7781人である(SHARE調査の2004,2006年データ)。インフォーマルケア需要のモデル化のために2部構成モデル(two-part model)を採用した。

我々の推計は、フォーマルケアの高水準の提供はインフォーマルケア利用の増加をもたらすことを示唆している。我々のモデルでは1%のフォーマルケア増加により2.1%のインフォーマルケアの増加がもたらされた。この結果は様々な条件変更に対しても頑健である。ケア利用の最近の理論的経済モデルの文脈で言えば、この結果はヨーロッパの高齢者の間では相当の満たされない需要が存在すること、インフォーマルケアとフォーマルケアは代替関係にはないことを示している。

二木コメント-緻密なしかし極めて難解な計量経済学的分析で、長期ケアの経済分析の研究者必読と思います。フォーマルケアの増加はインフォーマルケアの増加を招くし、その逆の関係もある(つまり両者は代替関係にはない)という分析結果は重要と思います。

○ボランタリー団体と[ボランティア団体と自治体による]高齢者の健康促進活動の共同生産:デンマークでの経験と政策上の教訓
Voluntary associations and co-production of health promoting activities for older adults: Experiences and policy lessons from Denmark. Health Policy 122(11):1255-1259,2018[政策評価研究]

ヨーロッパでは、人口高齢化により、健康な高齢化(healthy aging)のための革新的解決策の開発の必要が増している。人気のある政策の一つは、地方自治体とボランタリー団体の共同で、高齢者の健康と安寧を促進する活動を行うことである。このような共同生産について、地方自治体の視点からは研究されてきたが、ボランタリー団体がそれをどう認識しているかについての知識はごく限られている。本研究は、デンマークのボランタリー団体の調査データを用いて、このギャップを埋めることを目指している。デンマークの全98自治体から、ボランタリー団体を支援して高齢者の健康増進活動を促進する政策を作成している3自治体を選び、そこで健康な高齢化ための活動を行っているボランタリー団体(263)の電子調査を用いた。13項目と4カテゴリー(会員とボランティア、経営、メディアと市民、方針と地方自治体)についての潜在的問題点について調査した。

その結果、自治体・ボランタリー団体の共同の可能性についてはかなりポジティブな結果が得られた(多くの設問に対して「問題なし」の回答が多かった)。しかし、相当数のボランタリー団体が、特に会員募集や経営について、問題点や障壁をあげていた。本調査では3つの自治体はすべてボランタリー団体を支援し、共同生産を促進する戦略を作成していたが、戦略の実施面では欠陥があるように思われる。市町村はこの点について注意を払わなければならない。

二木コメント-高齢者福祉と地方自治の最先進国デンマークの最先進自治体でも、自治体を対象にした調査では見落とされがちな様々な課題があることが分かります。

○[日本での]市町村とコンビニ・チェーン間の支援協定[「高齢者見守り協定」]がコンビニ・スタッフの高齢者支援活動に与える影響
Nakamura Y(中村友亮), et al: Impact of support agreement between municipalities and convenience store chain companies on staff's support activities for older adults. Health Policy 122(12):1377-1383,2018[量的研究]

高齢化が進む社会では、民間部門が高齢者ケアで役割を果たすことが期待される。市町村と民間部門間で協定を結ぶことは、民間部門の高齢者支援への参加を促進する主要なメカニズムの一つである。本研究の目的は、「高齢者見守り協定」(以下、協定)がコンビニ・スタッフの高齢者支援を促進するかを評価することである。本研究は後方視的観察研究で、全国展開しているあるコンビニチェーンの2013~2016年のデータ等を用いた。市町村レベルのマッチングにより168の市町村のペアを作った。それには2014~2015年に市町村と協定を結んだコンビニ2242店と協定を結んでいないコンビニ2141店が含まれる。コンビニ店レベルのロジスティック回帰分析により、協定がコンビニスタッフの活動に与えた影響を評価した。

分析の結果、一部のコンビニスタッフの活動は協定により有意に増加していた。それらは、地域包括支援センターとの連絡・共同活動(調整オッズ比(AOR)=3.40;95%信頼区間(CI):2.22~5.26)、高齢者ケアのためのロール・プレイ・プログラムへの参加(AOR=2.05;95%CI:1.01~4.26)と認知症支援講義の受講であった(AOR=18.21;95%CI:8.27~45.34)。高齢者の緊急保護は協定で増加していなかった。以上の結果は、協定はコンビニスタッフの一部の高齢者支援活動を増やしていることを示唆している。

二木コメント- 東京大学大学院医学研究科健康科学・看護学専攻の研究グループによる、視点がユニークで、方法・記述も手堅い研究です。ただし、高齢者支援の「プロセス」評価で、「アウトカム」は不明です。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その171)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

 <その他>

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:「医療・福祉研究塾(二木ゼミ)」2019年度のご案内

○趣旨:私は2018年4月以降、日本福祉大学定年退職後の「社会貢献活動」(プロボノ)として、医療・福祉領域の(実証)研究能力を身につけるか、磨くことを希望する方を対象にして、毎月研究会を開催しており、毎回20人前後が参加しています。
2019年4月から新年度が始まるので、新たに参加希望者を募ります。

○2019年度は下記の日程(すべて土曜)で、午後1時半~4時半、日本福祉大学名古屋キャンパス501教室で開催します。
4月13日、5月18日、6月22日、7月20日、8月24日、9月14日、
10月19日、11月16日、12月21日、2020年1月25日、2月22日、3月28日。

○方法:毎回3時間、「ゼミ形式」で行います。
*冒頭、「1分間スピーチ」(最大15分)と私からの情報提供(最大20分)。
*第1部(1時間):私の著作をテキストとし、ゼミ生が報告し討論(報告30分+私のコメント・討論30分)。2019年度のテキストは『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』と『地域包括ケアと福祉改革』。2018年度のテキストは『医療経済・政策学の探究』。
*休憩10分。
*第2部(1時間15分):参加者2人が自己の研究計画・学会発表等について報告し討論 (主報告30分+討論25分、副報告10分+討論10分)。テーマは各自が選択。
*レポートは第1部と第2部主報告はA4判4枚(以内)。第2部副報告は同2枚。
レポートは塾の2日前までに私にメールで提出。私が添削し、当日そのコピーを配布。

○世話役:日本福祉大学藤井博之教授と林祐介君(同朋大学常勤講師)。

○参加者の義務:毎回、テキストを事前に読み、質問や意見等を考えておく。
毎回、1分間スピーチ以外に、最低1回発言する。
毎月、「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」に目を通す。

○参加者の努力義務:単にお勉強するだけでなく、自分で研究論文を書くよう努力する。
年間、二分の一以上出席するよう努力する。
年1回は自己の研究計画等について発表するよう努力する。

○参加費(資料代):1回500円。

○参加を希望される方は、二木(niki@n-fukushi.ac.jp)まで直接メールでお申し込み下さい。
その際、所属と簡単な自己紹介を書いてください。希望者は原則として全員受け入れます。
*申し込み締め切り:3月20日(水)。参加希望者には折り返し「二木ゼミ通信」を配信。
*3月23日(土)に開催する2018年度最後のゼミと懇親会への参加も歓迎します。

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