民医連の経営と社会的役割
~事務職員に求められるもの~
「非営利・協同総合研究所 いのちとくらし」理事長
角瀬保雄氏(法政大学名誉教授)
掲載日2004年04月27日
当研究所の理事長角瀬保雄が青森県民医連第3回事務交流集会で行った記念講演です。
PDFファイルでもご覧いただけます。
1.はじめに
ただいまご紹介をいただきました角瀬と申します。専攻は経営学、会計学ということでありますが、主として大企業の民主的規制とか、あるいは経営の民主化の問題を取上げてまいりました。ちょうど10年くらい前から民医連の医療機関についても研究を行うようになっております。
≪2003年 民医連50周年≫
民医連は、今年でちょうど50周年を迎えて、民医連綱領とともに民医連の「医療・福祉宣言」というものを作っております。その中で、「非営利・協同の組織」と自らを規定しております。この言葉は日本独自の言葉で、おそらく皆さん方の中にもあまりなじみがないと思われる方がおられるかと思います。
しかし、歴史をひもといてみますと、古くから今日まで非営利・協同の実践というものは洋の東西と問わず連綿として続いてきていることがわかります。ちょうど1年前に民医連の肝いりで、非営利・協同総合研究所 いのちとくらし というものが発足しました。今日の段階において改めて非営利・協同ということを打ち出すことが、大変重要になってきているのだと思います。
民医連は10年ほど前から研究所を持ちたいという希望を持っておられたようですが、ようやく50周年を前にして、こういう研究所ができたということです。NPO法人ですから、民医連のためだけではなく、より広く社会・公益のために活動を行う組織として研究所が作られたわけであります。
お手元にリーフレットが配られているようですが、それを見てお分かりのようにこの研究所は広く学会の人々を会員として構成しておりますが、その他もっと広範な人々に賛助会員という形で参加を願い、この研究所の成果を多くの人のものにしていきたいと考えております。
今日持ってまいりました機関誌は、3ヶ月毎に発行されておりますが、『いのちとくらし』というように題されております。
今月の号(第5号)には、青森県とも大変縁の深い特別寄稿として、日本の精神医学の権威者である秋元波留夫先生、97歳ですが、まだしゃきしゃきとしておられます、この秋元先生が「津川武一と東大精神医学教室」という大変興味深い記事を書かれたものが収録されていますので、ご関心のある方はごらんになっていただきたいと思います。
2.非営利・協同の理念と経営
≪非営利+協同、非営利組織(NPO)と協同組織(協同組合)≫
それでは、本論に進みたいと思いますが、まず民医連に属する医療機関はどういう組織なのかということであります。非営利・協同の協同という字は、共に同じくするという共同ではなく、一人一人が力を足し合うという意味の協同になっています。両者の意味にはそんなに違いはないのですが、協同組合と同じ協同という言葉が使われております。
そこでこれと非営利とを結びつけた非営利・協同という概念はどういうことを表すのかということになるわけです。一番わかりやすいものとしては、非営利組織と協同組織、この両者を統括した概念である、このように考えていただきたいと思います。非営利組織というのは、アメリカにおいてNPOという言葉で呼ばれ、今日世界に広がってきております。一方、協同組織としては協同組合が代表としてイメージされますが、協同組合というのはヨーロッパ諸国で発達をし、長い歴史を持っております。
それぞれの国の歴史の中ではぐくまれてきた組織を強調するために、ヨーロッパ諸国では協同組合が強調されますが、NPOの国アメリカでは協同組合を非営利組織から除外しております。どちらも一面的で、必ずしも総合的なものにはならないということから、日本では明治以来の協同組合と新しいNPOの両者があります。そこで非営利と協同というものを結合させて非営利・協同という新しい概念が使われるようになってきているわけです。
また日本の民法では、自然人に加えて、法律によって人格を与えられた組織、法人というものが認められています。この法人には二つの種類のものがあります。一つは営利法人、会社に代表されるものです。もう一つは非営利法人で、これは一般に公益法人と呼ばれていますが、財団と社団とがあります。その他に営利法人と非営利法人との中間的な法人として、明治以来の協同組合やあるいは医療法人、社会福祉法人等々、様々なものが存在しております。これらのものを全部包括するためには、非営利組織というだけでは不十分であり、あるいは協同組織というだけでも不十分であるということで、両者を包含できる非営利・協同組織という呼び名が最も適切なものとされているのです。ヨーロッパではソーシャル・エコノミー、社会的経済という概念があり、社会的企業とか社会的協同組合と呼ばれるものがありますが、日本では非営利・協同組織という言葉の方が一般的に使われるようになっています。日本には社会経済というマクロの概念が古くからありますので、それと区別する意味からも非営利・協同組織という言葉を使っているということもあります。
ここで敢えて非営利・協同組織という言葉を使うには、単に異なる2つの概念をくっ付け、2つの組織を包含したほうが便利というだけではなく、もっと積極的な意味が込められています。それは実在する非営利組織や協同組織のなかには暴力団がNPOを名乗ったり、営利主義に走る協同組合もみられないではないということから、非営利の活動には人びとの協同が必要であり、また営利の協同もあるということから、非営利と協同ということが一体のものとして概念化される必要があるわけです。こうした積極的な意味付けを与えていかなければならない、というふうに私は考えております。
【非営利・協同の積極的意義】
組織 | 理念 | 目的 | 手段 | 資本と人の関係 |
---|---|---|---|---|
株式会社 | 営利 | 利潤 | 生産・サービス | 資本の支配 |
非営利・協同組織 | 非営利・協同 | 生産・サービス | 利潤 | 人びとの協同 |
次に以上述べた非営利・協同をわかりやすく概念化した図を示しておきました。営利組織を代表するのが株式会社でありますが、これは利潤の追求を第一とする、利潤が目的となっている組織です。勿論株式会社も、利潤を得るためには生産・流通・サービスという様々な事業を行っておりますが、これはあくまでも金儲けのための手段でしかないということです。金儲けがすべてに優先する。そしてそれらの活動のためには資本というのが、お金がなくてはなりませんが、資本が人を支配する関係に立ちます。そこでは、今、社会に問題を投げかけているリストラという形で資本の利益を高めるために人間が首を切られることも辞さない、こういう組織であります。
それに対して非営利・協同組織というのは、金儲けが目的ではなく、人々の生活に役立つ物資の生産であるとかサービスの供給といったことがその目的になっております。そして、そのために人々が協同、力を合わせて活動を行うということです。
【非営利は利潤を否定しない】
よく誤解されるのは、非営利・協同組織というのは、じゃあ、利益はいらないのではないか、赤字が勲章であるという誤解があります。儲ける必要はないわけだから、とそのように誤解されがちでありますが、ところがそれは正しいものとはいえません。
アメリカではNPOのことを、ノン・プロフィト・オーガニゼーション、非営利組織というように呼んでおりますが、正確にはノット・フオア・プロフィト・オーガニゼーション、利益を目的としない組織というべきです。これは利益をまったく否定しているものではないからです。社会にとって有用な事業活動を行うためには、そしてそれを発展させていくためには一定の剰余、利益というものがなくてはなりません。
そういうことで、利益はあくまでも目的ではなく、手段として、目的を達成するための手段として必要になる、こういうふうな関係になります。ですから、この違いをしっかりと理解しておくということが大事であると思います。
≪ASSOCIATIONの思想と運動≫
【資本主義への批判】
協同あるいは共同ということを一般的な言葉で表現しますと、英語ではアソシエーションということになります。これは非常に広い概念で、様々な場面で使われます。しかし、アソシエーションという概念の本質を問うと、今日の営利追求の資本主義に対する批判としてアソシエーションの思想、運動が生まれてきたと私は考えております。
歴史をたどりますと古くからそういうものが認められますが、近年では19世紀イギリスのロバート=オーエン、それからスランスのサン=シモン、シャルル=フーリエといった空想的社会主義者と呼ばれる人々にとって提唱されて、その後、マルクス・エンゲルスという科学的社会主義者によってこれが受け継がれ、発展させられてきております。
若干文献からの引用を行いますと、世界で最も数多く出版されて読まれているものに「共産党宣言」というのがありますが、この第2章の終わりに次のように書かれております。「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる協同社会、アソシエーション」この協同社会は共同社会というようにも翻訳では表現されていますが、同じことです。したがって、マルクス・エンゲルスの思想、未来社会論はアソシエーションというものを目指すものであったといえます。
こないだの総選挙では「マニュフェスト」という言葉がさかんに飛び交いましたが、「マニュフェスト」のルーツは「共産党宣言」にあるというふうに言えるかと思いますが、選挙の時には誰もそれを言う人はいなかったと思います。よく、協同組合の世界では、ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉が使われます。以前、東京の代々木に日本生協連の会館がありましたが、そこにも書かれておりましたが、これは必ずしも正確な理解、表現とは言えません。つまり、これではある一人が特別な地位を占めていることになります。一人がみんなのことを考えて、みんながその一人の人のためにある、とこういうことになります。
そうなると、これは今問題になっております北朝鮮のあの将軍様に当てはまることになるという、そういう懸念が生まれてきます。ですから、正確には、イーチ・フオア・オール、オール・フオア・イーチという、イーチというのは、各人ですから一人一人ということですね。特別の一人がいるわけではない。みんなが一人一人自立した存在であって、そしてお互いに助け合うと、こういうのがマルクス・エンゲルスの本来の思想であって、協同社会を目指す思想というものは、こういう形で表されなくてはならないというふうに私は思っております。
またマルクス・エンゲルスは、所有の経済学に対する労働の経済学の勝利を表すものとして、協同組合運動と労働組合運動とを挙げております。そして、協同組合の社会的実験の価値はいくら大きく評価しても評価しすぎることはないということを述べております。今日的には非営利・協同の運動と労働組合運動とが共に手をたずさえて社会の発展のために努めなければならない、こういうことを述べているのだと思います。
3.非営利・協同組織の社会的役割
≪非営利・協同のセクター≫
こういうことで、非営利・協同ということの概念の本質が非常に鮮明になったかと思うわけでありますが、今日の社会の現状を踏まえて、これをどのように位置付けたらいいのか、その点について、スウエーデンのペストフという学者がトライアングル、三角形で図解をしております。右側のところに示されておりますが、それをご覧いただきたいと思います。
まず、三角形がありますが、その真中のところに点線で横線が入っております。上の部分が公的部門で、下の部分が私的部門というように分けられます。公的部門を代表するのが「国家」(公的機関)です。
次に今度は、左側に斜めの点線が入っております。フオーマルとインフオーマル、公式な部分と非公式な部分が分けられます。国家がフォーマルな機関であることは当然ですが、インフオーマルなものを代表するのが、地域のコミュニティ、所帯、家族とこういう組織になります。
右側のところにも、斜めの点線が入っております。これを見ますと非営利と営利とに区別されております。右下の部分が市場経済の部門になります。私企業が営利追求の活動をする部面、こういうようになります。
真中のところに円が書いております。これが第一部門の政府、第二部門の市場に対して第3部門といわれるもので、ボランタリー、あるいは非営利組織がここに位置付けられるというわけであります。
第三部門の円について注目していただきたいのは、同じ非営利組織が公的機関の国家と重なり合う部分があります。それから、私的部門の中の営利を追求する市場と重なり合う部分があります。そして、インフオーマルな私的部門であるコミュニティ、家族等と重なり合う部分もあります。このように、非営利・協同というものは、公的な機関、あるいは市場経済、コミュニティと全く無縁ではありえないわけです。日本の医療や福祉について振り返ってみても、市場化、営利化ということが進行していますので、そういうようなことが明らかにいえます。公的な行政等とも公共サービスの外部化など非常に深い係わり合いがありますし、市場では一定の競争関係の下に置かれている、ということがあります。
この図解におけるそれぞれの領域の相互関係、大きさは必ずしも正確なものではなく、あくまでもイメージ図でしかありません。大きさは変わりうるものと考えるべきです。さらに内容的に問題があると私が考えるのはその内包が非常に狭いということです。ペストフは、いわゆる福祉に関するものに焦点を当てておりますので、第三部
門をNPO的なものに限定しておりますが、こういったボランタリー、あるいは非営利組織だけではなく、協同組合その他も第三部門の中に含めるべきであるというふうに考えているわけです。ともあれこのペストフの三角形は大変便利な図解であります。
≪世界の医療制度のあり方≫
こうした非営利・協同の組織の中心に位置するのが、医療・福祉ともうひとつ教育が、世界各国で共通したものとしてあげられております。
今、病院の場合をとってみても、アメリカの病院は非営利の病院が数の上では過半数を超えております。だんだん株式会社が参入してきて、市場での競争関係が支配するようになってきておりますが、まだそれでもアメリカではNPO組織の病院、主としてこれは宗教団体等の慈善的な病院が中心ですが、多いというふうにいえます。こうした中で、世界の医療制度のあり方をみてみますと大きく3つに分けられます。
【普遍主義(公助)】
ひとつは、普遍主義と呼ばれておりますが、公助、公の、公的医療制度が中心になっているということで、その代表にイギリスがまずあげられます。戦後、ナショナル・ヘルス・サービスということで医療の無料化が実現しました。
税金を財源としているわけですが、イギリスの場合、イギリス国民はいうまでもなく、外国人に対してもイギリスで病院にかかったりすると一切お金がかからない。公的な医療が保障されております。私も昔イギリスに留学していて子どもが病気になった時、みんな無料でお医者さんにかかることができました。それから、歯医者さんも無料でありました。イギリスの他には北欧諸国がそういう国に数えられておりますが、ただ、北欧諸国は福祉が完備している半面、税金が高いということがあげられます。スウェーデンは消費税が25%で、これは世界で一番高い国といえます。しかし、この国の人々は、医療や教育などにお金が1銭もかからない。全部無料ですから日本のようにせっせと貯金をしてお金をためる必要は全くないということでした。
それから、結局いろいろな税金を含めると所得の50%ぐらい国に納めるわけですけれども、それがちゃんと自分たちのところに還元されるというふうに経験的にも確信を持っておりますし、自分たちの政府を信頼している国といえます。そういう意味では、大変幸せな国民である。日本のように政府が信頼できない国と違うということです。
今日本では三割負担ということが問題になっておりますが、このスウェーデンの場合には、税金の中から国が負担するのが社会保険料の55%。企業の負担が44%。国と企業がほとんど全て負担するということですね。労働者個人が負担するのは1%です。
民医連は、国と資本家の負担による医療ということを綱領に掲げていたかと思うのですが、それが既に今日の資本主義の中でもほぼ実現している国があるということです。
【保健主義(共助)】
それに対して2番目に保険主義の国、共助の国があります。ドイツ、フランスというヨーロッパ大陸と日本がその例にあげられております。
税金で一部まかなうほか、保険料の支払いが必要になります。社会保険によって共に助け合うということですが、税、保険料の外に三割も窓口で自己負担しているような国は世界に日本以外にないと言われています。これでは、もはや社会保険とは言えないということになります。
【自由主義(自助)】
そして、3番目には自由主義の国があります。自助、自ら助けるということですが、アメリカがその典型です。アメリカでは公的医療保険は貧困者や高齢者のところに、ごく一部のところにしか存在しておりません。高齢者に対するものがメデイケア、貧困者にたいするものがメデイケイドと呼ばれておりますが、その他民間のHMO(健康維持組織)という保険があります。日本でも最近さかんに新聞で外資系の保険会社が医療保険の宣伝をしておりますが、そういうものに入らないと、いざという時困ってしまうことになります。
アメリカでは労働者はこうした民間保険に企業を通じて、企業内福祉としての保険にはいることになります。大企業であれば、かなりいい保険に入れるかもしれない。しかし、中小企業の場合には入ることが難しくなります。入ったとしても給付が非常に低い種類のものでしかない、ということが問題になっています。昨02年日本でも上映された映画に、アメリカの「ジョンQ」という映画がありました。皆さんごらんになった人もいるかと思うのですが、これは映画の主人公の名前です。子どもが病気になって手術しなければならない。病院に担ぎこんだのだけれども、病院から言われたのは「あなたの入っている保険ではこの手術はできません。」と、断られてしまった。そういうことで、ついにこの主人公は切れてしまって、その病院を占拠してしまうという、そういったのが今のアメリカ医療の現状を示しております。
それから、最近では、世界最大のスーパー、ウオルマートというのがありますが、そこでストライキが行われました。スーパーでは臨時、パートの職員が多いわけですが、そういう人々の労働時間では企業の民間保険に入れないということになっています。そこで、パートの人たちがストライキに立ち上がった、こういうことも起こっております。04年には大統領選挙が行われます。ブッシュがまた再選を狙っているわけですが、そこで彼は再選を果たすために高齢者の医療制度、メデイケアというものを一定改革して人気取りをしようとしています。どういうことかというと、アメリカは薬が大変高い国です。薬の負担が大きい。そこで薬が安く手に入るような高齢者医療の改革をすすめようとしている、とこういうことです。
≪日本の非営利医療の歴史≫
【資本主義以前の非営利医療】
このように世界的に見てきますと、医療には非営利の公的な医療、それからアメリカのように営利追求の株式会社による医療というもの、そしてその中間的な医療制度と、いろいろなタイプのものがあるということがわかるわけでありますが、日本については非営利と営利の医療の対抗関係というのが昔から認めることができます。アメリカの世界的に有名なNPOの研究者、ドラッカーはNPOの一番古いもの日本の奈良時代のお寺であるといっています。病気に倒れた人に慈悲的な医療を与えたということですが、それからずっと下がって江戸時代にも、貧しい人びとに対する幕府の公的な医療施設がありました。「赤ひげ診療譚」として小説・芝居になったりしております。
また、幕末に千葉県の九十九里浜のほうに大原幽学という人がおり、先祖株組合というものを組織していました。彼は侍だったのですが、農民を組織してここで下からの協同組合、その萌芽といえるものを組織したわけです。よく医療のことを医は仁術なりとか、医は算術なりといいますが、彼は「医師生涯心得の事」のなかで、「仁術を専らとすべきこと」
「売薬売りには成るまじきこと」
「薬礼の多少にかかわらざること」
といっています。人々の命を守るために行う医療と、金儲けのために行う医療との対抗関係があることをはっきり認識していたのです。
【明治時代からの個人開業医による自由診療制度と非営利・協同の医療】
明治以降の近代の日本の医療制度ですが、明治政府は公的な医療は金がかかるということで採用しませんでした。それに代わって個人の開業医による自由診療制度というのがスタートしたわけでありますが、これはお金のある人でないとかかれないというのが実態でありました。そこで協同組織による医療活動というのが、既に明治33年、1900年に、今から100年以上前から始まっておりました。
当時は産業組合という名前で呼ばれておりましたが、今の農協の前身です。信用、販売、購買、医療事業などを営んでいたわけですが、この中に医療利用組合というのがありました。これが病院や診療所を経営して、昭和12年に病院は全国で87、診療所が175、医師が500名ということです。しかし、まだ農村地域では無医村が数多くありました。病気になってもお金がないとお医者さんにかかれない。こういうことでありました。越中・富山の薬売りというのがありました。配置売薬売りですが、だいたい日本の農村ではみなあれに頼っていました。それから若干の統計資料をみますと、新潟県では新潟市の中で650人を調査したところ、医者にかかれるのは23%しかいなかった。その他の人は、売薬であったり、加持祈祷に頼ったり、ということでした。それから、日本では農村が中心になるのですが、昔からの共同体、地域共同体というのがありました。そして、そこへお医者さんが出向いてきて、診察をしてくれるということがあったわけですが、ところがお金が払えない。なかなかお礼ができない。そこで年に2回、盆暮れの2回に、その間にかかった医療に対するお礼として、お米とかそういう作物でもってお礼をしたという事例が認められております。
こうした農村地域における医療の発展をしたものが、今日の協同組合医療で、農協の県連合会にあたる厚生連の病院が各地に存在しております。佐久総合病院というのが全国的に有名ですが、こういうものがあります。それから、個別の農協とかでも診療所を持っているという事例が、少ないですけれども認めることができます。
一方、都市部ではどうかといいますと、実費診療所運動というのがありました。実際にかかった費用以外貰わないというのが実費診療所運動です。1929年には153ヶ所に達しています。それから、山本宣冶の名とともに有名な無産者診療所運動があります。労働者の、貧困者の地域に医師や医学生がボランテイアとして入って医療活動を行う。そういう運動です。
こういう中で1927年に国民健康保険法というものが施行されました。これは、工場や鉱山の労働者対策として実施されたものです。それから1938年には、国民健康保険法というものが公布されるわけですが、これは国家総動員法とペアになっています。つまり、戦時に突入していくなかで徴兵制が強化されます。農村から兵隊を集めるわけですが、その兵隊が病気にかかっていたり、結核であったりしては役に立たないということで、戦争のための農村対策として健康保険を導入するということがありました。
【戦後日本の医療と民医連運動】
こうして戦前までの日本の歴史の中に非営利の医療活動というものが認められるわけでありますが、戦後はどうであったかというと、戦後直後から全国各地で民主診療所というものが作られるようになりました。これは、戦前からのいろいろな非営利医療の伝統を受け継ぐとともに、当時国立病院でレッドパージというのが繰り広げられましたが、これで首になったお医者さんや看護婦さんが、地域で働くもののための診療所を立ち上げるということ、また中国などで軍医をしていた人たちが日本に帰ってきてそういう流れに合流するという、こういうことで民主診療所が次第に発展していきます。生協運動の中からは医療生協が生まれ発展してきます。
60年代以降になりますと、経済の高度成長が展開します。日本も形だけは先進国並みの社会保障制度を作らなくてはならないということで、国民皆保険制度、皆年金制度がスタートするわけです。こうしたう中で日本の医療制度は世界的にも大変注目されるようになりました。日本が世界一の長寿国になる。これは日本の医療制度が非常にすぐれている結果であるとされているわけでありますが、しかし、90年代になりますとバブル経済が崩壊する。財政赤字ということで、社会保障の後退が始まります。医療費の増大が問題とされ、老人医療費の無料化が廃止され、あるいは介護保険制度が導入されることになります。市場化、営利化が進められていきます。
02年には診療報酬が改定され、03年はサラリーマンの本人負担が三割ということ、そして04年にはまた再度診療報酬が改定される。こういう大変な事態が今生まれつつあります。経団連は政府に対して、規制を緩和し、株式会社が医療の分野にどんどん参入することを認めよという要求をつきつけているわけですが、そういう中で民医連をはじめ日本医師会等もそれに反対をしてきました。
医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会などが反対運動を展開しているわけですが、内部には矛盾を抱えております。日本医師会は政府に対する最強のプレッシャーグループといわれているわけですが、この日本医師会の会長は、私個人としては、小泉内閣を支持している。小泉さんの経済政策を支持している、こういうことをはっきりと表明しております。そして、今度、会長を降りられて違う人がなるということですが、そういう矛盾を抱えた組織でもあります。有名な例として、かつて日本医師会の会長をしていた武見太郎という人がいましたが、「けんか太郎」ともいわれ、政府に対し要求が入れられるまで一斉休診、保険医総辞退という実力行使に訴えたりしたことが70年代にありました。
しかし、この武見太郎という人は、吉田茂というあの有名な戦後日本の保守政治家や財界人の主治医だったのです。政治家や金持ちを得意先に持っていた。それで、ちょっと診察して30万円とか、そういう自由診療でお金を儲ける、そういうことをやりながら診療報酬を引き上げの運動をするという矛盾を抱えています。国民の運動がどうなるかによって医師会の役割もまた左右されるということになっています。
4.今後の発展方向
≪戦略目標としての医療・福祉≫
【国連による世界の医療協同組合の調査】
では日本の非営利・協同の医療が今後世界の中でどういう展開を遂げるのか、歩みをすることになるのかという点に進んでいきたいと思います。
今日世界のいろいろな国々に共通して財政危機の問題があり、医療・福祉の改悪が進められているという中で、国連が世界の医療協同組合の調査を行いました。その結果、医療に関する協同組織、医療生協が32カ国に存在しているということが明らかになっております。
協同組合と一口に言っても3つのタイプがあります。一つは供給者所有協同組合です。供給者というのは医療サービスを供給する人、医師とかそういう医療の専門家が作った協同組合で、ブラジルにウニメドという名称の大変大規模な協同組合があります。これは国の医師の大半を組織し、飛行機をもって患者の搬送をしたりもしている、そういう組合です。
それから、利用者所有協同組合。患者の所有する協同組合です。その代表が日本の医療生協ですが、韓国でも最近7つの医療生協が作られたということです。また、韓国では日本の民医連のような、労働者のための病院というものがグリーン・ホスピタルという名で呼ばれる大変大規模な病院が作られたりしております。おそらく今後あちこちにそうしたものが広がっていくのではないかと思います。
それから、3番目にはスペインのバルセロナにありますエスプリウ財団という、複合型協同組合があります。これは医師と利用者の両者が力を合わせている協同組合のもので、アメリカのヒルトン・ホテルという、日本にもある世界的なホテルを買収して病院に立ち上げています。問題としては日本の医療生協とか民医連とはかなり違って、ある程度お金のある人でないと組合員になれないという、資産階級を組織した病院です。個室を設けているというタイプのものです。それに対して日本の特徴は、東北大学の日野秀逸先生が述べているものですが、「日本の医療生協は労働者協同組合であり、医療プラス・アルファーの社会サービスを事業目的としている社会サービス協同組合であり、意思決定は組合員によって行われる、社会サービスの提供者とサービスの利用者が、いずれも組合員である複合的協同組合です。‥‥‥提供する職員の側も、利用する住民の側も同じ権利をもつ複合的協同組合である」
このようにその特徴が要約されています。スペインの複合型の協同組合と同じようなものだというように述べております。スペインの複合型協同組合としてはモンドラゴン協同組合が世界的に有名ですが、それとも日本の医療生協はちょっと違う点があります。どういうところかといいますと、モンドラゴン協同組合はバスク地方に生まれたものなのですが、協同組合複合体といわれるように、当初、生産活動をもってスタートし、今日では信用事業、保険事業、教育事業、流通事業などあらゆる分野に進出している。スタートした時は労働者協同組合、つまり、仕事起こしのための協同組合としてスタートし、労働の優位性というものを掲げてきているものです。労働者が出資者となって組合を作る。しかし、スーパーなんかの場合には利用者も組合員になります。そして出資をする。労働者と利用者の両者が出資をしているわけでありますが、この大きな特徴は、人数が、頭数で言うと当然利用者組合員の方が圧倒的に多くなっているのですけれども、出資額では、労働者組合員の方が一人当たりでは圧倒的に大きな出資をしているということ。10年ほど前になりますが、私が行った当時、一人200万円くらい出資していました。現在ではもっと多くなっていると思うのですが、そういう特徴をもったものです。
医療生協の場合、職員も利用者組合になっているわけですけれども、人数的には圧倒的に少ないのが日本の場合です。出資額もその割合は少ないのではないかと思われますが、こういう違いがあるということです。この問題をどう考えたらいいのか、大きな課題がここには残されているというように思います。
≪日本の民医連経営の特徴と課題≫
【全職員参加経営】
日本の民医連の経営の特徴は、こういう世界のいろいろな協同組合の中で他の国にない、独自の特徴を持ったものといっていいかと思います。この組織は、職員参加ということが強調されております。医師、看護師から始まり、その他事務職員にいたるまで様々な職種があるわけですが、これら職員の全員が経営に参加することを目標にしている、そういう組織であるとなっています。これは、日本では大変珍しい組織です。他に例をみない組織であろうと思っています。こういった組織もだんだん規模が大きくなってきますと理事者・管理者というふうに階層が作られてまいります。
こういう階層組織についてどう考えたらいいのかということについて、マルクスが『資本論』の中で書いております。工場制度は既に19世紀に始まっているわけですが、工場では規模の拡大にともなって生産活動に携わる労働者と管理活動に携わるものとの階層制が形成されてきます。日本では下から上に上がっていって管理者になるわけですが、そういう階層制、役割分担というものが形成されてきます。これについてマルクスはオーケストラの指揮者と同じようなものだというように言っています。
いろいろなパート、役割を持つ者から構成されてオーケストラには全体を統率する指揮者がいなければ音楽がめちゃめちゃになってしまう、ということです。そういう管理者の果たす積極的役割を、生産活動に直接寄与するものであるとして、それは生産的労働だと位置づけております。管理とはもともとは生産活動から生まれ、発展したもので、生産の現場において働いている労働者が生み出したいろいろな機能等を集約したのが管理労働である、このように述べております。
医療機関におけるのと同じような事例としては、私がおりました大学を挙げることができるかと思います。大学も今度、国立大学は独立行政法人になりますが、学校法人の私立大学は非営利組織といえます。そして私立の方が数で圧倒的に多いのですが、大規模なところでは千人を越す教職員が働いているのが珍しくありません。そこでは教育・研究に直接携わる者と、それから間接的な事務のスタッフと両者から構成されております。事務職員の場合には、間接的にいわば教育現場を下支えするという役割を担うわけですが、教育の一環であるというふうに私などはこれまで考えてきております。事務職員の労働がなければ、大きな大学等は混乱し、機能麻痺してしまうことは言うまでもないところです。この間には役割の分担はあって、身分上の差別などというものは存在しないということになります。病院と同じく管理、参加の重要性があります。
【「共同の営み」と「民主的集団医療」】
民医連の組織、管理、医療の特徴として「共同の営み」ということがあげられます。医療活動というのは、患者と医療専門家との「共同の営み」であるということがいわれています。最近では患者主権ということが強調され、インフォームドコンセント、十分な説明責任ということが重視されておりますが、民医連の「共同の営み」というものは、まさに今日的な課題を先取りした先駆的なものだと言っていいかと思います。しかし、これはあくまでも目標であって、現実にそれがどこまで達成されているか、実現されているかということは自己点検をしていかなければならないところだろうと思っています。
また医療の現場においてはチーム医療ということが重視されてきていますが、民医連では「民主的集団医療」ということがいわれます。しかし、川崎の協同病院のような実際は医師任せという形になっていて、医療専門家の間での「民主的な集団医療」や患者との「共同の営み」ということが大きく損なわれているという、そういう事例も少なくはないということです。民医連の医療経営にはこういうような様々な特徴があり、それが発揮され、そして社会的にも注目される必要があるというように思います。
今日、小泉内閣の下で「構造改革」、規制緩和が進められており、経営の中だけでいろいろと努力してもそこには一定の限界にぶち当たらざるを得ないという現実があります。したがって、社会的な制度を改革する「たたかい」が必要となり、それと日々の経営における「対応」というものが必要になってまいります。ここで注意すべきことは、民医連は株式会社の参入に反対と言っているわけですが、現実に民医連も会社を持っているではないか、株式会社を持っているではないかといわれることがあります。
実際に介護組織とかあるいは薬局とか、会社組織の経営を持っているところがあります。しかし、ああいうのは便宜的にたまたま民医連全体としての経営を順調に進めるために会社組織を利用するといいますか、活用する必要があるということで株式会社組織を一部取り入れているわけで、営利を追求するためではないことは言うまでもないところです。
我々が医療への株式会社への参入に反対だと言っているのは、実は、日本の株式会社というのは本当に世界に例をみないものなのです。つまり、株式を上場しているという巨大企業から町の商店まで株式会社の看板を掲げております。こういう例は世界にはありません。だから、ここでいう株式会社、営利追求の株式会社というのは、証券取引所に株を上場し、その株がどんどん値上がりすることを追求するような、そういう株式会社のことを言うわけです。そうでない中小企業や民医連が設けているような株式会社は、これはそういう法人格を取らないと銀行がお金を貸してくれないとかいろいろな事情があってやむなく株式会社の形態をとっているのだということ、これをしっかり区別していただきたいというふうに思います。
【施設建設のための資金調達と「共同組織」】
それから経営の場合、人と金という両方が必要なわけですが、人が一番の中心になるものですが、同時にお金のことも全く無視して行うことはできません。最近では病院もどんどん新しくなり、そしてきれいな病院になっています。そうでないと利用者、患者のためのアメニティ、快適さが保障されないということがあります。そこで民医連でも医療施設、設備のリニューアル、近代化が行われ、多くの資金を調達しなければならない、こういうことになっております。
医療生協とそれから医療法人の場合では資金を作り上げる、調達するやり方が大きく違っている点があります。医療法人の場合は、財団とか社団とかの違いもあるわけでありますが、資金調達の手段が限られている。生協法人の場合には組合員、多くの組合員が出資をするということで、一定の資金を集めることが可能な道が開かれております。
今、こちらのほうでは医療生協は、どのくらい、一人あたりの出資額になるかわかりませんが、購買生協ですと平均2万円くらいですか。医療生協でも一口の出資金でいうと4、5千円くらいかと思いますが、平均して10口、4万円くらいかと思います。余裕のある人はもっとたくさん出しているということで、大衆的に資金を集めることが可能です。ところが、そうでない医療法人などの場合には、一定の工夫をしなければならない。そこで、東京勤医会の場合には、他のところでも同じですが、共同組織の「友の会」の力を借りるということが行われております。地域協同基金ということです。長期の安定した出資金と同じような資金を5年の期限で、無利息で求めるというようなことが行われております。これは会社でいいますと、自己資本に準じる形で利用するものと言えるかと思います。その他、特定協力借入金、こちらの方は、利息が1年に1.5%ですが、今のところ銀行に預けてもこの10分の1にもならない、こういうことですから、割と多くの人が積極的に資金の出資を行う、こういうことになっていると思います。東京の勤医会の場合、病院の建て直し、リニューアルに際し、友の会の支援等を仰いで来ており、私の友人が銀行に退職金の預けてもしょうがないということで、基金への援助を申し出たところ、もう必要な金額は集まりました、ありがとうございました、ということで、お断りされてしまったという話です。そういうような形で自分の命を預けるところで有効に使ってもらいたいと思っている人はたくさんいるのではないかと思います。
その他に、内部で積みたてる内部蓄積資金というのがありますが、これは、労働者が労働のなかから生み出した利益が元になって蓄積されてきたということになります。この点に関連して、かつてユーゴスラビアという国がありまして、そこで自主管理社会主義の実験が行われました。ソ連のような官僚主義の社会主義ではなくて、働く者が主人公になった自主管理の実験が行われたことがありました。
ところがそれは失敗してしまった。それにはいろいろ原因があるのですが、大きな原因のひとつに労働者が全員集会で管理者を選ぶ、社長を選ぶのですが、自分たちの利益になる、利益を求めるのは当然なのですが、目先の利益になる人を選んだ。目先の利益というのは、剰余が生まれたらそれを全部労働者に分配してしまうと、そうしてくれる経営者を選んだのです。そうする当座はいいかもしれないけれども、資本主義との競争の中では負けることははっきりしています。やっていけなくなります。だから、目先の利益だけ追求するような労働者の自主管理はだめだ、労働者が長期に資本主義との競争の中で生き残り、勝ち抜いていけるようなそういう見通しを持った自主管理を行っていかなくてはならない、というのが大きな教訓として残っているわけです。
民医連も、今大変厳しい状況の下におかれていて、前年比利益が減少しているというようなところもこれから増えるのではないかといわれております。東京の有名な健和会という法人があります。地域の高齢者介護に先進的な役割を果たしてきた東京の下町を拠点とした組織でありますが、ここでは、最近ハッピーマンデー対策ということを始めた。ハッピーマンデーというのは、振り替え休日がよくありますが、月曜日の振り替え休日を休みにしないで、その日も診療活動をやるということです。さらに日曜日の診療についても、今検討しているということなのです。各職場で協議しているということです。こういうふうになってきますと、労働がより厳しくなる、ということは言うまでもありませんが、しかし、自分たちの経営を守っていくためにはそうすることがやむを得ないということでありますし、それから、先日、石川民医連にもいきましたが、あそこの城北病院などでも、一時金や毎月の給料を切り下げざるを得ない、こういう話でありました。ある労働者は、そういうことが続いていくと、展望がもてないというようにも言っておりました。ですから将来展望をどう作っていくかということが、今民医連に問われていることだろうと思います。「たたかいと対応」によって、また経営の実践によってその展望をつくりあげていく、これは誰かが与えてくれるものではなく、自分たち自身でつくりあげていくものでなければならないというふうに私は思います。
【新自由主義、グローバリゼイションとのたたかい】
今、アメリカを中心としたグローバル化ということが盛んに言われておりますが、その流れに乗った新自由主義の小泉「構造改革」との闘いが今民医連に問われているところだろうというふうに思います。
診療報酬の改定によって、黒字が減る、場合によっては赤字になるということになりますと、どういう形で切り抜けるかというと、経営としては労働時間の延長、人件費の切り下げしかないわけです。医療の材料とか薬品を切り下げるわけにはいかない。一番支出の中で大きいのは人件費です。大学も同じものです。かつては医療機関と同じように5割から6割、場合によっては7割ぐらい人件費が占めておりました。最近では設備投資のお金をかけざるを得ない。大学も生き残りの時代で教室や研究室を立派にしないと受験者が集まってくれない、そういう大変な事態は、病院と同じです。そうすると設備にお金が回って人件費の方を切り下げざるを得ない、ということになります。
敢えてこういう自分が負担をかぶっても経営を守るかどうか、守るに値する病院であるかどうか、これを決めるのはそこに働いている一人一人の問題であると思います。
雇われて、命令されて働いている会社の場合、これは労働時間が増えたり、賃金が切り下げられたりすればストライキを起こしたりするのはやむを得ない、当然のことということになります。そうでない、自分が主人公となって自分の意思決定によって仕事が行われている、そういった例としてあげられるものに職人の世界があります。よく有名な名人と言われる職人がいろいろな分野におります。そういう人たちの仕事というのは、何時間働いたら終わりとかということではなく、自分が一生懸命やって納得した仕事ができたら終わりだということになります。そういう仕事、納得した作品ができるまで全力を注いでやるというのが名人芸、匠といわれる人たちの仕事のやり方だと思います。だから、今、民医連の医療機関に問い掛けられているのは、そういう仕事ができるかどうかです。そういうことになっているのではないかと思います。
【安心、安全、信頼、納得の医療】
これからの展望を切り開くためには、今の最大の課題、医療機関の最大の課題は、安心、安全、信頼、納得、といわれております。社会的に評価されるそういう仕事ができるかどうか、そのための経営であり、その効率化であります。民医連医療機関も最近では外部評価というのを積極的に受けるようになってきています。日本病院機能評価機構などを利用して社会的に第三者の目からみて立派な仕事が、信頼できる仕事が出来ているかどうかを問うようになってきています。これについて、大変教訓的な例をひとつ紹介したいと思います。
【立川相互病院の例】
それは、私が住んでおります東京の三多摩地域にあります立川相互病院の事例で、かつてここでは大変な医療事故を引き起こしました。右足と左足を取り違えた手術をしてしまったという、信じられないようなことです。その後、安心、安全というものの改善に真剣に取り組んだ成果といえるかと思うのですが、日本経済新聞が安全重視の病院ランキングというものを調査して発表しておりますが、その第16位に立川相互病院というのが挙がっております。民医連関係ではトップになっているのではないかと思いますが、テレビ等で大変有名になっている病院、東京の聖路加国際病院というのがありますが、あの聖路加病院は第25位。個室を売り物にした、大変高いお金を取るけれども、医療は信頼がある、というのがうたい文句の聖路加病院が25位、立川相互病院が16位とこういうことになっております。それから、参考までに東京大學病院、これが第100位のどん尻です。100位ランキングの一番下。一日36万円の特別の病室があるそうですが、それは別として、そういう状況になっています。
民医連の関係のところも、決して前途が暗いわけではない。取り組みいかんによっては、大きく展望が開かれていくというふうに言えるかと思います。
【「友の会」の組織から地域の運動体へ】
それから、1995年にICA、国際協同組合同盟が21世紀の協同組合原則を新しく制定しております。その第7条、最後のところに「コミュニティへの関与」、地域社会への関与ということがうたわれています。地域社会との結びつきがどれだけ作り上げることができるか、これによってまた将来の展望が開かれるというのです。民医連は共同組織を持っているわけですが、友の会という形でこれまで院所、病院や診療所を単位にした、そういういってみれば病院や診療所のための支援、連帯組織を長い間持ってきておりました。最近はそういうものから脱皮して、地域を舞台にした地域の運動体へ自らを変えていかなければならないということで、そういう方針が数年前に出されているということですが、こうしてみるとまだ全面的に展開するところまでいってないようですが、各地でそういうものが求められてくるようになってきているとみられます。
こうした運動も今年600人増やしたが、500人減ってしまった。こういう一進一退の繰り返しを克服し、強固な「共同組織」につくりあげていくことが必要であるかと思います。
【事務職員の課題、問われるものから】
あと、経営事務職員が取り組まなければならない課題、科学的な管理を行う。電子カルテとかいろいろな管理手段、方法の検討、導入が行われてきているかと思いますが、事務労働の点でも専門性を強化してその能力を強めていくことが今問われているのではないかと、そうしたものを踏まえて初めて経営を民主的な経営にすることができる、全職員参加経営というものが実質化できるとそういうふうに思います。
民間の企業でも現に労働組合がそうした方向に歩み出している例がないわけではありません。JMIUという労働組合が、「合意・協力型労使関係」
というものを提唱して、自分たちも意思決定に加わる参加型のそういう経営に転換していこうと歩みをはじめております。
そういうような例からみても、民医連が今まで取り組んできている運動というのは、本当に先進的なものであると、この経験は日本の企業社会の中に広められていかなければならないものだというようにも私は思っております。
それでは、時間もきましたので、私の話をここで終らせていただきたいと思います。
(本稿は03年12月7日の講演記録に加筆修正を加えたものです)