続・西岡先生と真田是先生のこと
「理事長のページ」 研究所ニュース No.12 掲載分
角瀬保雄
発行日2005年10月28日
10月11日、総研の海外視察旅行(スペイン・ポルトガル)から帰宅したところです。病後の療養中ということで、果たして若い人と一緒のハードなスケジュールに耐えられるかどうか、まったく自信がありませんでしたが、生きている間にモンドラゴン協同組合の今をもう一度みておきたいとの思いから、励まして下さる人もおり、自分の体力がどの程度回復したかを確認する意味で参加した次第です。幸いワーキング・グループで仕事をご一緒していただいている宮城県の坂病院の村口 至先生も参加され、同室で毎日血圧、脈拍などをチェックしていただき、お蔭様で健康状態に自信をもつ事ができました。総研ならではの、医師つき旅行の配慮をいただいたことになります。いずれ『いのちとくらし』の別冊号に参加者全員の報告が載る予定ですので期待下さい。
ところで旅行から帰宅したところ、昨年9月16日に逝去された西岡幸泰先生の追悼文集『心に太陽を』(184㌻)が完成し、自宅に届いていました。私は、研究所ニュースno.8(2004.10.31)の理事長のページで、先生を偲ぶ言葉を書きましたが、その部分を今回の追悼文集に転載させていただきました。民医連関係者をはじめ幅広い分野の研究者、実践家が追悼文を寄せられており、先生の人と学問を知るなによりもの資料になるものと思います。執筆者以外で、これを入手したいという方がおられれば、金千円(送料込み)を添えて、追悼会の代表・二瓶 敏(川崎市麻生区上麻生7-15-1)さん迄、申し込まれるようにとのことです。
二瓶さんは経済学者として知られていますが、専修大学では西岡先生の無二の親友・同志であったということで今回の仕事をかってでられたということです。実は私がその昔、法政大学経営学部に研究助手として採用されたときの同期の仲間で、一緒に助手生活を送った関係にありました。また私は西岡先生の奥様の臣子さんとも、旧知の間柄であったということが今回分かりました。私は早稲田大学の学生時代、社会科学研究会でマルクス主義の勉強をしたのですが、そのときの仲間の一人が先生の奥様でした。当時、何人かの女子学生が研究会に参加してき、新鮮な空気を持ち込まれたことが強い印象となっていますが、その中の一人が後年西岡先生の伴侶になられていたということがわかったのです。当時の学生運動では、時に過激な行動が繰り広げられたり、ペンネームが使われたりしていました。こうしたこともあり、後年、私が医療経済に関心を持ち、西岡先生とお付き合いをするようになるまで、そうした間柄にあったことを知りませんでした。たまたま仕事の打ち合わせで先生のお宅に電話をしたさい、奥様が出られ、角瀬さんは早稲田の社研にいたのではないですかと聞かれて、どうして知っているのかと不思議に思ったことがあります。また、先生のお宅が私の亡くなった妹の家に近く、奥様は生前の妹ともお付き合いがあったようです。角瀬という名前がもたらした縁といえるでしょう。
名前といえば、海外視察旅行から帰宅したところ、妻がしんぶん赤旗の日曜版(05年10月9日号)を持ってきて、びっくりすることがあるというのです。それは「たび あっち・こっち」の欄のことで、山梨県の南西部に位置する深い樹木に囲まれた赤沢宿を紹介した記事が載っており、バス停角瀬で下車するとなっていたことです。これは「すみせ」と読むようで、私の名前の「かくらい」の読みとは異なるようですが、私も初めての人からはよく「すみせ」さんと呼ばれることがあります。そこでこの機会に私のルーツを紹介しますと、私の先祖は千葉勤医協・二和病院に近い、現在の船橋市の奥まったところの出です。その集落には角頼という家が何軒もあり、私のところも昔は角頼と称していたそうですが、名主をしていたことから、ある時、殿様から「さんずい」を付けるようにいわれたのが始まりとされています。お蔭で子孫がいちいちその由来を説明しなくてはならないことになっています。これは地元の小学校の副読本にも書かれていることなので確かな事実といえるでしょう。ある時、ルポライターの吉原公一郎さんと一緒になったとき、私の名前の由来に興味をもった氏は、調べてみると面白いですよといっていましたが、そのまま今日に至っています。
難しい名前といえば世の中には沢山おりますが、社会保障論の大家で、総合社会福祉研究所の所長・真田 是(なおし)先生が9月28日、食道がんで逝去されました。以前、民医連新聞紙上でご一緒に「徹底討論 民主経営」(1000、1001、1002、1004号)という連載をしたことや、研究所の会議の際にご一緒したことが思い起こされます。研究所として弔電をお送りしましたが、先生は非営利・協同についても大変な良き理解者であり、残念です。
西沢先生といい、真田先生といい、医療制度改革の重大なこの時期に、非営利・協同の理解者が次々とあの世に旅立たれました。私もその年齢に近づいてきております。残された時間はそう多くないとの思いが強く感じられるこの頃です。頑張らねばと思います。