医療・福祉の運動と憲法
「理事長のページ」 研究所ニュース No.17 掲載分
角瀬保雄
発行日2007年01月31日
私は論文を書いたり、講演をしたりする場合、レスポンスを期待しています。折角骨を折って書いたり話したりしても、反響がさっぱりというのでは、なんのために骨を折ったのかわからないからです。最近、機関誌紙掲載の記事に関して、読者の皆さんからいろいろご意見を頂くようになり、感謝しております。一番新しいところでは、研究所ニュースno.16 のなかの医療保険に関する記述について、保険実務家の読者のお一人から、共感とともに、専門の立場からの具体的なご教示を頂き、大変参考になりました。有難う御座いました。こうした往復運動によって非営利・協同のフォーラムが形成されることが望まれます。そろそろ機関誌紙に「読者のページ」が必要になるかと思われます。
ところで、いま9条の会を中心にして、全国各地で憲法問題の学習が盛んに取り組まれています。多数の憲法本も世に出ていますが、非営利・協同との関係に言及したものは見当たらないようです。私もかねてから非営利・協同と憲法との関連について考えてきましたが、いまだ確たる結論には達していません。しかし、未熟ではあっても、そろそろ問題を提起することが必要かと思っています。まず、9 条だけに絞って、憲法を守るという視点にとどまるかぎりなかなか議論は前に進まないのではないかと思います。私の友人の五十嵐仁氏(法政大学教授)は「活憲」というタイトルの本を書きました。憲法を生活のなかで活かすことが9 条を守ることにつながるというのがその趣旨で、私も共感しています。
そして医療・福祉の運動によって「健康をまもる」ことが「憲法をまもる」ことに通じるのだと思います。「健康をまもる」とは、今はやりの健康運動産業や保健食品産業に依存することではなく、なによりも25条でうたわれた国民の生活保障権、医療保障権という人権を活かすことだと思います。最近読んだ講談社現代新書『憲法「押し付け」論の幻』(小西豊治)は大変勉強になった本ですが、主権在民という日本国憲法の精神は決してGHQ の押し付けによるものではなく、明治以来の自由民権運動の中で育まれてきた世界の民主主義の思想を継承したものということです。当時、民間で五日市憲法草案など50を数える憲法草案が作られたといいます。そしてその頂点に位置するのが植木枝盛の「国民主権」の精神といわれます。
第二次大戦後には、高野岩三郎、鈴木安蔵など民間の有識者によって立ち上げられた憲法研究会の仕事が、当時GHQにいたアメリカの法曹関係者の手を経て憲法に大きな影響を与えたことが明らかにされています。25 条についていうならば、当初のGHQ草案にはなかったものといわれます。戦前、クロポトキンの研究で東大を追われ、暗殺された山本宣治の葬儀委員長を務め、また戦後は日本社会党の創設に参画、国会議員となって片山内閣の文部大臣をも務めた社会政策学者・森戸辰男が、戦前のドイツのワイマール憲法から学んだところを国会で要求した結果、創設されたものといわれます。つまり、日本国憲法には世界の経済民主主義の到達点が盛り込まれているのです。
ワイマール憲法といえば参加型民主主義の典型ともいうべきもので、非営利・協同とつながります。こうした意味で日本国憲法の主権在民、人権保障規定は、ブルジョワ民主主義から社会民主主義、マルクス主義までの世界の進歩的思想、民主主義の到達点を集約したものといえます。民主主義を最も徹底させるものとしてマルクス主義を考えるとき、研究所の会員・小松善雄氏(立教大学教授)の最近の研究成果「『資本論』の社会主義像」が注目されます。氏はそこでマルクスの社会主義像を「協同社会主義」としてロバート・オーエンの意義を高く評価しています。そのほか当研究所の関係者でいえば、舛田和比古氏(北海道勤医協理事長)の『ドキュメント憲法を医療・福祉の現場から考える』(本の泉社)が実践編として注目されます。ころで昨年末の11月27日、久しぶりに公開研究会が開催されました。キューバの若い女性医師が日本を訪れた機会に、相互に交流する機会が実現したという次第です。当日の報告、討論の詳細は訪日の労をとられた元朝日新聞編集委員の岩垂弘氏の手により、『いのちとくらし』誌上で紹介されることになっています。私にとってキューバはまだ見ぬ憧れの国で、カリブの風に誘われていずれは彼の地を訪問したいものと思っていました。この機会にその夢に一歩近づくことができた思いがします。それにしてもキューバの住民当り医師数は162人に1人と日本より上回っており、アメリカの経済封鎖にもめげず発展途上国への医療援助に力を入れているということには驚きました。国民の総数1千万人強は北欧諸国並みの規模で、資本主義の福祉国家並みといえそうです。それにしても医科大学卒業後わずか数年にしかなっていない20台半ばの女性医師がはるばる海をわたって日本を訪れ国際交流に活躍するとは、社会主義の国家戦略とはいえ、日本も多いに学ぶべきところがあるといえます。キューバの医療は国営医療ですから非営利・協同の医療を目指す日本とは事情が大きく異なりますが、人権保障の立場からは共通するところがありそうです。これからの研究課題といえるでしょう。こでかつての社会主義大国ロシアに目を転じてみると、昨年末のNHKスペシャルでのプーチン流資本主義の特集が注目されました。新自由主義の市場原理と強権政治の結合した怪奇な資本主義のように思われます。かつての物不足経済から金権支配の経済へと様変わりしていますが、保健医療の実情はどうでしょうか。経済の回復と医療費支出の増大にもかかわらず、状況は厳しく、「医療危機」から「健康危機」が問題になっています。OECDの調査によると、2004年時点でのロシアの平均寿命はソビエト時代のピークより5年低い65.3歳といわれます。環境の悪化、劣悪な生活条件と生活様式、HIV-AIDSの拡散を反映したものといわれます。統計では医薬品への個人支出の増大が注目されます。一方、日本では官民一体となった医療費抑制のための健康増進運動が盛んですが、人口減少時代は目前となっています。
日本の将来はどうなるのでしょうか。