医療と小説
「理事長のページ」 研究所ニュース No.20 掲載分
角瀬保雄
発行日2007年10月31日
会員の皆さん、異常高温の今年の夏をいかがお過ごしでしたでしょうか。私にとっても今年の夏は、暑さのなかで仕事をかかえるという大変な夏でした。この7、8月は研究所が初めて単行本『日本の医療はどこへいく―医療改革と非営利・協同』の出版に乗り出し、その仕上げの時期にあたったからです。書斎にこもっての原稿の調整、校正に追われる夏となりました。お蔭様で予定どおりの期日に打ち上げとなり、出版を完成させることができました。関係者一同の協力のたまものと、感謝しております。体裁も写真入の立派なものができました。あとは売れ行きという市場での評価と書評者による質的な評価を待つばかりです。普及への皆さん方のお力添えをお願いいたします。
こうして仕事が一段落し、息抜きの時を迎えることになりました。そこで久しぶりに小説を読むことにしました。医療小説というジャンルがあるのかよくわかりませんが、考えてみると医療と関係した小説は結構沢山あることがわかります。思いつくだけでも、いまや社会派小説の古典ともいえる山崎豊子の『白い巨塔』がまず挙げられねばならないでしょう。医療過誤裁判がテーマですが、これは原作よりも映画やテレビで親しんだという人の方が多いかも知れません。医師でもある久坂部羊の『破裂』は、自ら平成版「白い巨塔」とうたっているように同じ系統のものといえます。次に山本周五郎の『赤ひげ診療譚』があげられます。これは前進座の芝居で有名になりましたが、大阪での民医連総会の機会にみたことを思い出します。有吉佐和子の『華岡青洲の妻』もよく知られた作品です。医師でもある加賀乙彦の自伝的な大河小説『雲の都』はどこまで続くのでしょうか。ここには戦前の無産者診療所の活動が出てきます。確か石塚さんが研究所ニュースの何号かに書評を書いていたはずです。そのほか吉村 昭の『冬の鷹』も読み応えがありました。こうしたなかで落とせないのが南木佳士のヒューマンな一連の作品です。
私は昔、大学からイギリスに留学していたとき、シャーロック・ホームズに凝って、旧跡散歩をしたり、ローカルな古本屋を漁ってホームズの研究書を集めたりしたことがあります。ホームズといえばDr.ワトソンとなり、ここでも医療との関係がでてきます。しかし、海外にまで手を伸ばすと切がありません。一体、お前は何が言いたいのだといわれそうですが、要は医療と小説といっても、様々な内容のものがあるということです。今回はこの辺で止めておき、本題に戻ることにします。
今回読んだ本ですが、それはHAYAKAWA Mystery World の一冊として早川書房から2005 年に出版された、川辺 敦の『私はナース』という推理小説です。ゴースト・ストーリー『怪奇・夢の城ホテル』でデビューした著者の第2作ということですが、民医連とも無関係ではなさそうなところに引き付けられました。巻末の参考文献に『病棟での看護』全日本民医連機関誌出版部というクレジットがあったからです。『研究所ニュース』の読者の皆さんはそんな推理小説は知らないというかも知れませんが、しかし、民医連には多くの職員がおり、中には推理小説通がいるかもしれないので気を許せません。
小説の舞台は、三俣台病院というベッド数290 の中規模総合病院で、東京のベッドタウンの田園のなかにあるという書き出しです。ここでナースが殺される殺人事件が起こり、その顛末を描いた推理小説となっています。想像をたくましくし、それは、以前、学習会で訪れたことのある千葉勤医協の船橋二和病院あたりではないかと勝手に見当をつけているのですが、実際はどうなのでしょうか。規模的には同規模といえます。ご存知の方がおられたらご教示下さい。もしそうであるならば、かなり感度がいいと自我自賛できるのですが。しかし、内容の上では民医連病院の話はまったく出てきません。背景となった医療現場の叙述に生かされているだけなのでしょうか。そうだとすると、一寸がっかりしないでもありませんが、民医連フアンにとっては、民医連の資料が参考にされ、ミステリーが書かれたということだけでも満足です。
医療アドバイザーのDr.松橋暢生とともにヒロミチャン、チャピーさん&話を聞かせてくれた看護師さんたちにSPECIALTHANKS が捧げられております。さらにはボクが出会った難病の患者さん、ターミナルの患者さんに、この作品を捧げるとなっています。そのほか参考文献もいろいろとあがっておりますが、省略します。著者は大変な勉強家で、私などより医療の世界に通じており、その意味でも大変参考になりました。
最初の章で殺人事件がおこり、最後の章で事件が解決するのはお定まりの構成ですが、その間の大半は、病棟内外でのナースの日常生活、その生活と労働の実態の話しで、ナースの試練と奮闘ぶりがよく描かれています。しかし、そうであればあるほど、一体殺人事件はどこにいってしまったのかと思わざるをえないところがありました。やっと最後になって殺人事件の謎解きとなります。しかし、「医学的知識を駆使したトリックを期待してはいけない。メインとなるのは、過酷な職場で、時には働き甲斐を見失いながらも真摯に仕事に向き合うナースたちと、死に直面した患者たちとの交流で、シリアスなテーマを扱いながら、語り口は軽快であり、笑いと感動のアンサンブルはまさに絶妙」(千街昌之)というのが、専門家の的確な評といえるでしょう。それでも医療技術の話が次から次へと出てきて、フォローするのは楽ではありませんでした。
ともあれ、専門家の評がいま一つの謎解きは脇においても、ナースたちの知られざる実態を描いており、ナースの生活、認知症の患者の実情を知るだけでも、十分読ませる内容がありました。ガンバレ!ナースたちという帯の言葉が物語っているように、現代医療の問題に鋭く切り込んだメディカル物として評価できます。謎解きには言及しないというのがミステリーレビューのルールなので、肝心の謎解きにはふれることができませんが、ご了解下さい。直接、お読みいただくしかありません。文芸作品の評価は本当に難しいというのが私の感想でした。