写真と医療
「理事長のページ」 研究所ニュース No.27 掲載分
角瀬保雄
発行日2009年08月31日
私の大学時代の先輩・木下照嶽氏は専門分野の研究に従事するかたわら、長年、俳句雑誌『富嶽』を主宰してきている。そして2008 年の11 月には俳句療法学会なるものを立ち上げた。早速、学会の研究叢書第1 巻『俳句療法―生命の学際的研究―』を頂戴した。氏は聖路加国際病院の名誉会長・日野原重明先生が設立したLPO(ライフ・プランニング・センター)の新老人の会で「俳句の会」を主宰してきた関係から、日野原先生には学会の名誉会長をということになったようである。学会は医師、医療関係の専門家、大学・研究機関の研究者と俳句によって病人の治療に従事する専門職業の方で、研究業績を有する方が会員になっているということであるが、私の専門とする学会関係の知人も何人か顔を並べている。
俳句療法なるものについては、日野原・木下両先生の編集になる学会誌を参照していただくのがよいのでここでは詳論はしないが、民医連の『いつでも元気』誌上にも俳句や川柳などが掲載されていることを思い出す。ここで私の頭にひらめいたのは俳句療法があるのであれば、写真療法というものもありえるのではないかということである。私は写真を趣味とし、日本リアリズム写真集団(JRP)に参加、日々研鑽を重ねてきているが、民医連の医療関係者や「友の会」会員のなかには腕の立つ人がたくさんいる。時にコンクールもあったりし、『いつでも元気』誌上の写真には刺激をうけている。当研究所の理事・前沢淑子氏は日本リアリズム写真集団が毎年開く全国公募展・「視点展」の常連の入賞者で、先日、上野の東京都美術館ですばらしい桜の写真を見てきたところである。一方、各地域支部ではこれを目標に写真展が開かれている。
写真は足で歩いて現場にいかないと撮れないものであるが、かつて土門拳は脳溢血の後、車椅子で写真を撮っていた。であるならば、足の不自由な私にも出来ないことはないはずだというのが、私の写真サークルへの参加のきっかけであった。しかも被写体はマイペースで探すことができる。それも足腰が鍛えられるだけでなく、精神的にも良い影響を与えることは確かで、認知症の予防にもなろう。まさに写真療法である。
今年も5 月末にわが多摩川支部の写真展が開かれたが、その打ち上げの際に私の思い付きを開陳したところ、もうすでに写真療法というものがあると教えられた。そこでインターネットで調べてみると、確かにNPO法人として「日本写真療法家協会」(Japan Photo-Therapists Network、酒井貴子代表)や日本フォトセラピ―協会(Japan Photo Therapy Association、北村淳子代表)などの諸団体が登録されていた。不明を恥じるとともに、当研究所「いのちとくらし」の新しい研究分野にもなりうるのではないかとの感をいだいた次第である。そこで酒井貴子氏が代表になっている前者の設立目的をみると、次のようにいわれている。
「この法人は、写真が心身にもたらす良い影響について調査・研究、情報収集し、写真を用いた体験事業や写真が心身にもたらす良い影響を利用した体験事業(写真療法)をこどもからお年よりまで広く一般市民、特に医療、福祉、教育現場において普及させ、写真療法を実施する写真療法家や写真ボランティアを育成、支援していくことにより、新たな写真文化を構築し、人々が肉体的、精神的、社会的に真に豊かな生活を送れることに寄与することを目的とします。」
問題点としては、日本は今日世界でも有数な写真大国となっているが、セラピーとしての写真の利用はあまり実践されておらず、またその効果についてもはっきりと立証されておりません、といわれるところにあるようである。それはそうであろうが、俳句療法と写真療法とは双生児のようなもので、音楽療法や芸術療法というものもある。これらに共通するのは、対象者が自分で癒され、元気になっていくセルフヒールのプロセスであるといわれる。また考え方や手法について様々な誤解や混乱が生じているともいわれているが、それらについては、アメリカでの代替医療の盛行などにも同様な問題がはらまれているのではないかと思う。事情に詳しい人の教示をえられれば幸いと思っている。
私は今年、77 歳になるが、高齢化の進行とともに、友人の中には「寝たきり」になったり、その一歩手前の「歩けなくなったり」というものも増えている。そこでウオーキングやストレッチ体操などが流行る時代となるのであるが、医療生協でも健康体操が盛んである。それはよいが、まだ元気で、ある程度、ハードな運動にも耐えうるものが中心になりがちで、障害を持つ私などは見学者の席へと追いやられがちである。組合員の実態に対応したもっときめ細かな取り組みが必要なのではないかと、かねがね思っている。
ところで世はデジタルカメラの全盛で、価格は安くなる一方である。その性能も日進月歩である。入手したときは高価であった私の35 ミリ一眼レフカメラも、今ではお蔵入りである。よほどの変わり者でなければ、こうした環境の変化を利用しないものはいないであろう。私の周りにもアナログだけという人はもはや稀少動物となっており、アナログとデジタルの両方を使うのが一般的になっている。私はTPOに応じて時に35 ミリも動員するが、老人には軽いコンパクトカメラが手放せない。
要は写真の技術進歩を人々の「いのちとくらし」の豊かさとどう結びつけるかということであろう。過日の写真展に出品した私の作品に対して、参観者から「癒されました」という感想が寄せられた。写真療法の効果とするのは自画自賛であろうか。