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老化と難問

「理事長のページ」 研究所ニュース No.28掲載分

 角瀬保雄

発行日2009年11月30日


このところ私は1,2年毎に入院、手術を必要とする病気にみまわれています。今年は9 月から10 月にかけて腰痛に苦しみました。これも老化のなせるところといえるでしょう。病気としてはたいしたものではないとしても、その苦しみは経験した者でないとわからないといわれます。経験して初めて知ったことですが、身の回りには腰痛で治療中の患者がごろごろしています。人類は四足から直立二足歩行へ進化するようになって以来、腰痛を宿命として抱えるようになったのだといいます。私の場合は、そうした一般的な事情の他に、幼年期の股関節炎によって障害を抱え、70年後の今日まで持ち越してきたのが重なっているということです。医者からは骨粗しょう症の可能性もあり、完治は不可能で、これまで障害が出なかったのが不思議といわれました。ドックで骨年齢は普通の人の倍といわれたことがありますが、よく70年間も働いてくれたものだと思います。腰痛の痛みがとれた後には、寝てばかりいた結果、足が弱ってしまいました。医者に通うのに市役所で車椅子を借り、妻に押してもらう経験もしました。一躍、近所の評判になりました。趣味の写真とも縁遠くなっていますが、最近、高齢社会とともに被写体に高齢者が選ばれることが多くなっているようです。家族の介護をうけて頑張っている姿が多くみられます。写真集でも男性よりも、女性を対象としたものが多いように思いますが、それだけ女性のほうが長寿ということなのでしょう。以前新宿でみたドクター稲垣の個展に、活動家の顔写真を集めたものがありましたが、これにはさすがに男性が多かったかと思います。高齢者は皆、いずれは障害者となって、この世に別れを告げることになるといいます。前号で写真療法を紹介しましたが、高齢者が被写体となるよりも、自ら写す立場に立ってどういう問題があるかを考えてみることも必要でしょう。

高齢者や障害者は色々と身体上のハンデイをかかえていますが、写す立場からはそれをどう克服しているかに関心がもたれます。大病を経験している私の知人の一人は、過日のグループ展に素晴らしい一枚を出品していました。雪に埋もれた田舎の民家の写真ですが、どのようにして撮ったのかと聞いたところ、積雪の中その家の直ぐ近くまでタクシーで行って撮ったとのことです。高齢者の最大の難関は足にあり、それだけ投資が必要となることがわかりました。タクシーといえば、かなり以前から介護タクシーというものが話題になっていますが、最近では運転手もヘルパー二級位の資格をもっている人が多くなっているといいます。タクシー運転手が、病院や施設への往復だけでなく、利用者の花を撮りたいという願いに応えるために、その写真撮影の手助けをすることがテレビで紹介されていました。介護も多様になってきていることがわかります。

作曲家の池辺晋一郎氏の紹介によると、09 年の9 月(11~13 日)、松山で「日本音楽療法学会学術大会」が開かれ、3 日間で延べ6200 人が集まったといいます。大変な人数です。理事長の日野原重明先生は「音楽の持つスピリチュアリティ」と題する90 分を超える話しをされたそうです。98 歳ということなので100 歳も目前です(「うたごえ新聞」2009 年10/26・11/2)。私もまだまだ頑張らねばと思った次第ですが、今回腰痛で歩けなくなった経験から、残された人生をどう送るか真剣に考えざるをえなくなりました。病院では、奥さんがいてよかったですねといわれましたが、本当にそう思ったところです。一人身の場合、どうしているのでしょうか。幸い音楽を聴くのは歩けなくても可能ですが、これまでに買い溜めたLP やCD、ダビングしたテープだけでも膨大な数になります。今回ベッドで聞いたのも、ほんの一部でしかありませんでした。

もう一つ、私の当面する大きな問題は、本との格闘です。私のような物書きにとって、本は仕事の不可欠な道具であるとともに、人生の伴侶ともいえるものです。先日、一寸した地震で蔵書に埋もれて亡くなった中年の女性のことが報道されていました。他人事ではないと思った次第です。それ以来、少しずつ蔵書の整理を始めるようになりました。ざっと目を通し、まだ必要かどうかをチェックして廃棄処分するようにしています。

いま日本の出版界は表面的には新刊本が次々と刊行され、一見、繁栄しているかのようにみえます。しかし、その水面下では深刻な危機が深まっているようです。新刊本はお手軽な新書版が多く、その中から良書を選ぶのは簡単ではありません。それと若者は専らブックオフで売買ということのようです。私などには抵抗がありますが、息子や孫の世代になると、まったく無抵抗のようです。要らなくなった本を処分するのも昔は神田や本郷の古本屋ときまっていましたが、いまや私も息子に頼んで、ブックオフで処分するようになりました。ブックオフでは定価の1 割で買取り、5 割で売りさばくということのようです。こうしてブックオフも、知らない間に上場会社、大企業になっているのです。

先輩の研究者が亡くなった後、遺族は蔵書の処分を迫られますが、古新聞のちり紙交換並みならまだいいほうといわれます。大先生の蔵書を整理することになったところ、弟子たちが欲しいと持っていったのはわずか数冊だったということも聞きました。私も何人かの先生の蔵書処分の相談を遺族から受けたことがあります。遺族には形見で、大変価値のあるものに思えても、市場ではそうでないのがなかなか分かりにくいものです。回りまわって紙くずになってしまうのが大部分です。

以前は誰かが亡くなると、蔵書が神田の古本屋の店頭に店晒しになっているのをよく見ました。私の蔵書は専門書を除けば、政治・社会関係が多くを占めていますが、大学の図書館にもない本もかなりあります。しかし、研究用の本は本人が使った後には無価値となり、処分を待つだけのようです。以前は、大学の図書館が一括引き取ることもありましたが、いまや図書館にとっても迷惑なお荷物になっているようです。そういえばどこかの大学の学長が図書館にはいまや紙メディアは必要なく、IT化によってデジタルメディアがあればそれでよいといっているのを聞いたことがあります。これはあれかこれかといった問題ではなく、文化の問題と思われるのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。蔵書の処分は、市場から手に入れたものは、市場に返すというのが一番合理的と思えますが、これも遺族にとっては面倒な仕事といえるでしょう。私の死後には、後輩の若手研究者に欲しい本を持っていってもらうのが一番いいのではないかと考えています。思えば私も半世紀近く本を集めてきたことになりますが、我ながらよくぞ集めたものだと改めて思います。これまでは積ん読のままにしてあるものが多かったのですが、最近では生きている間に読まないではおけないと、時間との勝負に取り組んでいます。これも老後の難問といえるでしょう。

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