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トーリー的民主主義―保守党の「社会的企業」政策―

「副理事長のページ」 研究所ニュース No.20掲載分

中川雄一郎

発行日2007年10月31日


近代イギリスの政治プロセスのなかで「トーリー的民主主義」という言葉がしばしば使われたことを私は何かの本で読んだ記憶がある。実は私も近代イギリス協同組合運動の歴史を研究しているなかでこの言葉を目にしたことがある。1852年に成立した世界最初の近代協同組合法、「産業および節約組合法」(the Industrial and Provident Societies Act)を巡る政治プロセスについて資料を整理していた時のことである。

ところで、協同組合研究に携わっている日本の研究者の多くは、おそらく、1844年12月21日(土曜日)の夕刻にロッチデール公正先駆者組合が店舗を開いてからわずか数年の間に消費者協同組合としての「先駆者組合モデル」がイングランド北部に拡大していったと考えているかもしれない。確かに、先駆者組合をモデルとする協同組合は1850年前後のイングランド北部においては消費者協同組合が多数を占めるようになるが、しかし、それまでの「先駆者組合モデル」の多くは消費者協同組合と(労働者)生産協同組合の双方を経営する協同組合であったし、他方またロンドンを中心とする地域ではキリスト教社会主義者などが指導する(労働者)生産協同組合運動が展開されていた。したがって、近代世界の最初の協同組合法である「産業および節約組合法」が成立する背景には、この双方の協同組合を共に前進させ発展させたい、との協同組合人の願望があったのである。成立したこの協同組合法を当時の協同組合人が「協同組合のマグナ・カルタ」と呼んでこの法律に最大の賛辞を送ったことは、そのことをよく物語っている。

この近代協同組合法の成立にもっとも大きく貢献した人物は、イギリスにおけるキリスト教社会主義運動(1848~54 年)を担い、(労働者)生産協同組合運動だけでなく消費者協同組合運動にも大きな影響を与えた3人のキリスト教社会主義者、すなわち、J.M.ラドロー、E.V.ニール、T.ヒューズと、その当時国会議員であった経済学者のJ.S.ミルであった。ラドロー、ニールそれにヒューズの3 人はともに法廷弁護士(バリスター)であったので、協同組合や近代株式会社に関わる法律に非常に詳しく、実際、この協同組合法案はニールを中心に書き上げられたのである。しかしながら、この法案を成立させるのには、もしミルが議会にいなかったならば、若き3人の法廷弁護士を以ってしても難しかったろう、と言われているように、ミルは、議会のなかでこの法律の意義と意味を、したがって、これによってもたらさせるイギリス社会にとっての利益の何たるかを多くの議員に説いたのである。この法案が自由党穏健派のスラニー議員によって下院に提出されたのは、文字通り、ミルの議会内活動の成果であったのである。

しかし、である。ホイッグ党(Whig Party)、つまり自由党の議員―この当時も自由党は「ホイッグ党」と呼ばれていた―の多数はこの法案に反対した。おそらく、自由党支持者の商店主や製粉工場経営者などが消費者協同組合と(労働者)生産協同組合に反対したためであろう。そしてそこで、保守党の前身であるトーリー党(Tory Party)が自由党のスラニー委員会に提出された協同組合法(「産業および節約組合法」)案に賛成したのである。

自由党の前身は新興資本家階級を基盤とするホイッグ党であるが、このホイッグ党内閣は―労働者の普通選挙権獲得運動を裏切って―1832年に「選挙法改正」(「第1次選挙法改正」)を行ない、選挙区を再編して選挙資格も拡大した。だが、この「選挙法改正」は労働者階級にでき得る限り選挙資格を与えまいとする「改正」でもあって、そのためのイデオログーを買って出たのがミルの父親のジェームズ・ミルであったことは、歴史の皮肉と言うべきだろう。彼は労働者階級に選挙権を与えない理由を説明するために「女性に選挙権を与えない」論理(社会の一部の者に選挙権を与えればよいとする「利益包含説」)を展開したのであるが、この不条理な論理を思想的、社会制度的に論駁したのがオウエン主義協同組合運動の指導者ウィリアム・トンプソンであった。

さて、その自由党であるが、1850年代前半にはその勢力はトーリー党を凌いでおり、近代協同組合法の成立に反対したのであるから、ニールたち3人では到底太刀打ちできず、法案は成立するに至らなかったであろう。そこで、J.S.ミルが―父親の「罪」を拭うかのように―トーリー党議員を中心にスラニー委員会内で多数派を形成するのに成功したのである。こうして、世界最初の近代協同組合法は「トーリー党の賛成」によって日の目を見ることになったのである。これを「トーリー的民主主義」と後の協同組合人は呼んだのである。ニールはこのこともあって後に「トーリー党議員」となる。 それでは、現代では「トーリー的民主主義」はどうなっているのであろうか。私は少なくとも、ミセス・サッチャーの保守政権以後、保守党が時として「トーリー的民主主義」の顔をもたげたことがある、との噂を聞いていない。「トーリー的民主主義」は今ではイギリスの政治プロセスのなかに埋もれた存在となってしまったのだろうか。そのようなことを考えて「社会的企業」を論究していくうちに、「社会的企業は確かに労働党政権の政策的な産物であるが、しかし、市民のある部分はそれを専ら労働党の専売特許に留めおくようなことを望まないだろうから、一体、保守党は社会的企業についてどう考え、どのような政策を提示しているのだろうか」、と思い立って私は保守党の「社会的企業政策」を調べてみることにした。

周知のように、「社会的企業」は、労働党の党首であったトニー・ブレアが1997年の総選挙を目標に唱えてきた政策マニフェストの看板である「第三の道」(The Third Way) の一部である。そして現在では、イギリス市民の多くは、社会的企業がイギリスの経済-社会に、とりわけ、「雇用の創出」と「地域コミュニティの再生」に大きく貢献している 事実を評価している。この現実を目の前にして、保守党は自らの政策に社会的企業をどう位置づけているのだろうか、大いに興味と関心が沸くところであろう。

次期の総選挙に勝利して労働党から政権を奪還したいと願っている保守党が、市民が現に高く評価している社会的企業の経済-社会的な機能や役割を軽視したり、他人事のように考えたり決してしないであろうことは、私でも解ることである。案の定、2006年1月に保守党の新しい党首に就任したデイビッド・キャメロンは、就任直後に社会的企業の理念に保守党的な肉付けを行ない、「社会的企業ゾーンズ」(Social Enterprise Zones:SEZs)と称する政策のタスクフォースを立ち上げたのである。キャメロンによれば、SEZsは、(1)社会的企業への私的投資に対する「課税減免」の促進、(2)サード・セクターを支(3)援する新しい 「コミュニティ銀行」の育成、を基本政策とするものである。

キャメロンは、(1)については、(2004年10月に労働党政府によって制定され、05年7月から施行されている)「コミュニティ利益会社」(the Community Interest Companies)は、現行では―「課税減免」措置が基本的に営利企業へのそれと違わないために―チャリティ法に準拠して登録されている非営利組織の「チャリティ組織」が「課税減免」によって現に得ている利益を得られないので、チャリティ組織と同じような課税減免措置を設けて利益を得られるようにして、その利益を社会的企業の長期的なビジネス戦略のために積み立てることのできる「共同出資金」=「コミュニティ利益準備金」(the Community Interest Reserve)の制度について検討すべきである、と主張する。「第3セクター担当影の大臣」のグレッグ・クラークも、「課税減免」の提案は投資家を呼び集める「資金的刺激」を社会的起業家にもたらすであろうし、それは労働党政府の社会的企業政策との最大の相異である、と述べている。

(2)についてキャメロンは、SEZs の計画は融資あるいは資金調達に対する障壁をなくすことが不可欠なのであるから、そのために現在はまだ数少ない非営利の銀行である「コミュニティ銀行」を育成していくこと、またそのコミュニティ銀行を育成するために、銀行の事業経営を任すことのできる人材の育成と、既存の社会的企業や他のコミュニティ主導の機関や制度とのパートナーシップの強化とが図られなければならない、と強調している。

しかし、保守党にとってコミュニティ銀行は果たして社会的企業を発展させるコア・ キーになるのであろうか。コミュニティ銀行をどのような人が経営し管理するのがよいのか、未だ不明瞭である、とクラークは言葉少なげに言い、それに対して「社会的企業連合」(the Social Enterprise Coalition)代表のジョナサン・ブランドはコミュニティ銀行について次のように述べた。「投資を押し上げ、計画の意思決定を容易にし、地方自治体との契約のアクセスを改善する、との(保守党の)新しい政策的なアイディアはすべて社会的企業にとって建設的なものである。コミュニティ銀行のアイディアも、もしそれがリスク・キャピタル(社会的企業に投下される資本)へのアクセスを押し上げてくれるのであれば、大いに歓迎されるであろう。だが、われわれとしてはなお、(保守党の)社会的企業ゾーンズに関しては、それがどのように機能するかについてもっと詳しく観察した いところである。それでも、地域コミュニティに利益をもたらしてくれる、チャリティ組織でない社会的企業への課税減免措置の提案や地方自治体による社会的企業への一層の理解や地方自体との協働の機会の促進といった提案は、一般論としては、優れた提案である。」ジョナサンに「してやられた」と言うべきだろう。

コミュニティ銀行それ自体の説明は次の機会に譲るとして、取り敢えずの締め括りとして、保守党が社会的企業に何を望んでいるのか、換言すれば、保守党の「社会的企業政策」のキー・コンセプトは何であるかについて簡単に言及しておこう。

保守党の社会的企業政策の責任者デイビッド・リディントンによれば、社会的企業の能力は、[1]アウトリーチ(福祉サービスなどの市民事業の裾野を広げる)、[2]人びとの自立を育む能力の向上、それに[3]事業上の規律・スキルの向上、に大きく貢献し得ることである。

[1]は、特権的な意識の政府諸機関での仕事や在来型の雇用形態に抵抗を感じる人たち、長期失業者、社会から引き離されている若者、社会復帰を希望している刑余者、アルコール中毒や薬物中毒を克服して社会復帰を望んでいる人たち等々に対して社会的企業は雇用創出の機会としての市民事業を幅広く提供することが可能である、とのことを意味する。

[2]は、社会的企業は地域コミュニティに根差した事業体であるから、おそらく、エキスパートの自治体職員よりもはるかに近隣地域のニーズが何であるかよく知っているだろうし、したがってまた、地域コミュニティが近隣地域やそれよりももっと広い範囲のコミュニティの未来に責任を負うことのできる能力を形成し高める役割と機能を社会的企業は果たし得るのだ、ということである。社会的企業は「読み・書き・計算の能力」や「時間管理能力」といった個々人の基本的なスキルを高めるだけでなく、同時にまた「自尊心」や「自信」といったような無形の資質をも育てる役割を負っているのである。 実は、「地域コミュニティの再生」は地域の人たちのこのような基本的な能力や資質に負うところが大きいのである。

[3]の「事業上の規律・スキルの向上」は、文字通り「社会的企業は事業体である」のだから、きわめて重要かつ不可欠な要素である、とのことを強調している。社会的企業が成功裡に展開されているかどうかの尺度は「金融的な利益配当」ではなく「社会的な利益配当」であるにしても、それでもなお社会的企業は―他の雇用主と同じように―常にその事業の最終結果である収益額に注意を向けなければならないのである。換言すれば、地域コミュニティのニーズを満たす事業を通じて社会的目的を遂行しようとする社会的企業は、もしその事業が失敗したとなれば、解散を余儀なくされてその社会的目的を遂行することができなくなるのであるから、事業上の規律・スキルを絶えず向上させていかなければならないのである。

保守党の「社会的企業政策」の大まかな骨格はこのようなものである。しかしながら、「保守党のSEZs は、ロンドンのドックランズ(ドック地帯)を世界の金融センターとして再考案するのに貢献した、1980年代の保守党政府が立ち上げた『企業ゾーンズ』の成功を見習うべきだ」、と保守党の社会的企業政策のためのタスクフォース・チームが述べているように、保守党は、社会的企業が蔟生(そうせい)している真の原因とその経済-社会的な現在の影響力の遠因がそのまさに80年代のサッチャーリズムにあったことを正しく理解できないでいるようである。それでも保守党が「社会的企業政策」を展開し、その経済-社会的な影響力を自らの陣営に引き寄せようとしている行動は、社会的企業にとって歓迎すべきことであろう。与党の労働党と野党第1党の保守党が社会的企業を巡ってディベイトすることは、社会的企業に関わっているすべての人たちにも大きな興奮を呼び越すだけでなく、イギリスの多くの市民が社会的企業の存在を知り、その経済-社会的な機能と役割を理解し、認識する機会をもまた創りだすからである。

イギリス政府の公式発表によれば、社会的企業の数は1万5,000を超えている。また社会的企業研究者のなかには社会的企業数は約5万5,000であるとする研究者もいる。この数の隔たりは、統一された「社会的企業の定義」がないことによるのであるが、いずれにしても、私は、労働党と保守党の社会的企業政策担当者それに社会的企業の実践指導者が「社会的企業のビジョン」を巡ってディベイトし、日本の私たちが司会を担当する…というような夢を抱いている。もしこの夢が実現するのであれば、私はこの目で、市民の利益を優先させたあの「トーリー的民主主義」を目撃できるかもしれない、と思っているのである。

(因みに、2007年10月18日現在、CICs法に準拠して登録されている社会的企業数は1,292である。)

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