総研いのちとくらし
ニュース | 調査・研究情報 | 出版情報 | 会員募集・会員専用ページ | サイトについて

デンマークとイギリスを訪ねて

「理事長のページ」 研究所ニュース No.35掲載分

中川雄一郎

発行日2011年09月20日


私は、この夏に、「社会的経済および社会的企業による雇用の創出:経済-社会的危機管理に関連して」というテーマに関わる課題を調査するために、6名から成る社会的企業研究グループを組み、デンマーク(コペンハーゲン/8月24~27日)とイギリス(サンダーランド・ロンドン/8月28~9月2日)を訪ねた。これまで私は「地域コミュニティの再生と雇用の創出」(Community regeneration and Job creation)というテーマに基づいてイギリスの社会的企業を何度か訪問・調査してきたのであるが、「デンマークにおける社会的企業」の調査は私には初めての試みであった。

イギリスの社会的企業については既に拙著『社会的企業とコミュニティの再生』(大月書店、初版2005年、増補版2007年)と拙論「社会的企業と女性の自立:女性のための社会的企業「アカウント3」の創造と展開」(明治大学『政経論叢』Vol.77,No.3-4,2009.)などでその訪問・調査の成果を書き留めているので、今回の訪問・調査もそれなりの成果が得られるものと思っている。しかしながら、デンマークでの社会的企業の調査は初めての試みであることから、調査の範囲もコペンハーゲン市に限られ、また社会的企業訪問の時間もかなり制限されることになってしまった。それでも、コペンハーゲン市の「雇用・統合政策局」(The Employment and Integration Administration/Office of Policy)のヤコブ・エバーホルスト(Jacob Eberholst)局長による「コペンハーゲン市行政と社会的企業のパートナーシップ政策」の話はデンマークの重要な「社会的包摂」を追求する政策として私たちに大きな示唆を与えてくれた。エバーホルスト局長の話についてはすぐ後で簡潔に触れることにする。

ところで、私たちのグループにとって、今回のデンマークとイギリスにおける社会的企業研究にはもう一つの目的があった。それは、イースト・ロンドン大学(UEL)で社会的企業研究を担当しているグラディウス・クロスンガン博士が今年の3月初めに「イギリス、デンマークそれに日本における社会的企業の比較研究」を私に申し入れてきたので、その研究計画についてそれぞれ協議し、一定の目標を確認することであった。デンマークの責任者はロスキレ大学(Roskilde Universitet)のラース・フルゲール教授(Prof.Lars Hulgård)で、EMES(European Research Network)のデンマーク代表でもある。フルゲール教授からは、デンマークにおける社会的企業の展開はコペンハーゲンなど大都市に限定されており、デンマーク全体を見ると「社会的企業の概念はなお狭い範囲に止まっている」ので、社会的企業の比較研究については協同組合をはじめとする非営利組織やデンマークの社会福祉制度等を含めて論究する必要があり、したがって、多少時間を要する研究計画となる旨の説明がなされた。

それでは、デンマーク全体としてはなおその概念が市民の間に十分な広がりを見せるまでに至っていない社会的企業ではあるが、コペンハーゲンなどの大都市ではどのようなものなのか、すぐ前で紹介したエバーホルスト局長から「行政と社会的企業とのパートナーシップ」について語ってもらうと、次のようになる:コペンハーゲン市は「コペンハーゲンでの生活は気楽で心地良きものでなければならない。それ故、コペンハーゲンはヨーロッパで最も社会包摂的な都市であることを望むのである。そうであれば、人びとが積極的に関与する自治体でなければならず、そのような自治体こそより良き自治体なのである」とのビジョンを掲げている。またコペンハーゲンは「多様性は強さでもあるのだから、誰もが意思決定に参加できる機会を持たなければならない。シチズンシップはすべての人のためにあるのだ」との信念を貫いている。そしてさらにコペンハーゲンは「労働市場(雇用)による社会的包摂を目指す。何故ならば、労働はアイデンティティと協力し分かち合う心とを生み出すからである」との市民的統合の目標を強調している。このようなビジョン、信念それに目標を掲げるコペンハーゲン市の行政と「シチズンシップと社会的包摂」を目的・目標とする社会的企業とが連携しパートナーシップを組むことによって、コペンハーゲンで労働し生活するすべての人びとに安定と安心がもたらされるのである。

エバーホルスト局長このような話から私はデンマークおよびコペンハーゲンの経済的、社会的それに政治的な背景を次のように想定してみた。第1は、デンマークの全人口約550万人のうち168万人を抱える首都コペンハーゲンに移民(移民は約50万人で全人口の14%であり、また移民の子孫を含めると全人口の22%にも及ぶ)の多数が生活している、という事実である。移民は年々増加しており、その多くはパキスタン、トルコ、イラク、ポーランド、レバノン、旧ユーゴスラヴィアそれにソマリアなどからの移民である。移民の雇用は他のヨーロッパ諸国と同じようにさまざまな問題を抱えている。とりわけ文化的、宗教的な問題は「社会的包摂」(social inclusion)の観点からも大きな力を傾注しなければならないだろう。第2は、雇用問題と関係するが、デンマークの近年の経済動向である。デンマークも例のサブプライムローン問題の影響を受け、2007年GDP成長率1.6%から08年GDPは-1.1%、09年GDPは-5.2%と大きく後退し、2010年には2.1%に回復したものの、現在なお不安定な状態にある。失業率もそれと軌を一にして07年3.8%、08年3.3%、09年6%、2010年7.4%と高くなっている(2011年は7.2%を見込んでいる)。第3は、現右派政権が掲げた「高福祉政策の財源確保」が危うくなってきたことである。現政権は「公共部門の民営化」による新自由主義政策を進め、また高額所得者に有利な所得減税を実施し、その結果、デンマーク社会に格差拡大を生み出してきた。他方で、北海油田の石油収入の減少による歳入減、年金受給者の増加、医療支出の増加などによる歳出増など財政収支の悪化が見込まれているのである。2010年の財政赤字は510億クローネ(1クローネ約17円)でGDP比2.9%、11年は720億クローネの赤字(GDP比4.0%)が見込まれている。そして第4は、移民政策の引き締めである。現政権は自由党・保守党の連立政権であり、これに右翼のデンマーク国民党などが閣外協力しているのであるが、国民党は厳しい移民制限を主張しており、移民政策の引き締めが今世紀に入って現在まで継続されている。だが、この引き締めはEU規定に抵触する可能性があることから、見直しが求められている。

私も含め、日本ではデンマークの政治・経済・社会を「社会福祉制度」の視点から考察する傾向が強く、またデンマーク国民の「満足度」が世界トップであることから、潜在的ではあるが重大な経済的、政治的、社会的な問題を抱えていることを見落としてしまうことが往々にしてある。この9月中葉に総選挙(一院制、179議席、任期4年)結果が判明するとのことなので、右派政権から社会民主党中心の左派政権に代わるのか、また右派政権と左派政権の政治・政策の違いはあるのかないのか、関心をもって注目したい(9月15日に開票された総選挙結果について、社会民主党を中心とする左派が勝利し、同党のヘレ・トーニング・シュミット氏がデンマーク初の女性首相に就任する、との報道がなされた)。

私たちのグループはイギリスではサンダーランド市とその周辺地域を中心に展開しているSES(Sustainable Enterprise Strategies)傘下の事業体であるコミュニティ交通のコンパス(Compass)や高齢者・障害者にケアサービスを提供する社会的企業SHCA(Sunderland Home Care Associates)を訪問・調査し、またロンドンのタワー・ハムレッツ自治区で展開している「女性の経済的、社会的な自立」を支援する社会的企業アカウント3の支援を得て現在では国際的なアコモデーション・サービスを提供する事業を幅広く経営しているUKguestsなどを訪問・調査したのであるが、紙幅の都合で、これらの事業体については別の機会に報告させていただくことにする。そしてUELのクロスンガン博士の提案となる「イギリスと日本における社会的企業の比較研究」の協議と研究計画についても、申し訳ないが、別の機会に譲らせていただくことにする。クロスンガン博士は、この10月末に、もう一人の研究者シオン女史と一緒に私たちを訪ねることになっている。

Home | 研究所の紹介 | サイトマップ | 連絡先 | 関連リンク | ©総研いのちとくらし