「失敗の新自由主義」:オバマ政権は真剣に失業と向きあっているか
「理事長のページ」 研究所ニュース No.36掲載分
中川雄一郎
発行日2011年12月10日
このところ、世界の経済動向と社会動向がメディアのかなりの部分を占めるようになってきた。経済動向について言えば、2011年8月2日に(S&Pによる)アメリカ国債の(AAAからAA+への)格下げあり、現在ではEUユーロ圏のポルトガル、アイルランド、ギリシア、イタリア(A+へ)、スペイン(AA-へ)それにベルギー(AAへ)の国債がそれぞれ格下げされている。また、これらの国々へのIMFの介入・支援、ユーロ圏メンバー国による(借金返済のための)「共同債の提案」とそれに対するドイツの強い反対などEU諸国とアメリカの経済が大きく揺れ動いている現象が毎日のようにメディアを賑わせている。深刻な債務問題を抱えている―「PIIGS」と呼ばれている―これら5カ国では―形式は異なるが―政権が交代し、財政緊縮策に対する国民の怒りが収まらず、政治的な混乱が続いている。ではなぜ、(選挙による交代であろうが、実務家やテクノクラートへの「丸投げ」の交代であろうが)政権を交代しなければならないほど大きな経済的、政治的混乱が生じてしまったのであろうか。それは、「市場の自由化」と言えば聞こえは良いが、実際のところは、ブッシュ政権がそうしたように、「市場の規制撤廃」という新自由主義政策の結果なのだ、と私は考えている。
例えば、各国のこのような経済的、政治的、社会的な状況を説明するのにしばしば用いられる失業率(2010年12月現在)を見てみると、次のようである(失業率こそ「新自由主義政策の失敗」の有力な証なのである)。アメリカとPIIGSの失業率は高く、アメリカ約9.6%(2011年9月現在は9.1%)、ポルトガル10.9%、アイルランド13.8%、イタリア8.6%、ギリシア12.9%、そしてスペイン20.2%。これらの国々の2011年11月現在の失業率も上記の数値とさほど変わりなく、いわゆる「高止まり」で推移しているのである。実は、高失業率の国はそれだけではないのである。ユーロ圏の指導国ドイツとフランスはどうかと言えば、前者が6.0%(2011年8月現在)、後者が9.1%(2011年6月現在)である。またベルギーは7.89%(2011年9月現在)である。なおユーロ圏16カ国全体の失業率は9.97%である。またユーロ圏に属していないイギリスにしても約8%(2011年9月)の高さである。一般に、実質のというか本当の失業率は統計に現れる数値よりもずっと高いのであり、また労働統計上の若者の失業率も同様であって、それぞれの国の失業率のおよそ2倍と言われている。したがって、スペインの若者の失業率は40%を上回る、尋常ではない数値になるのである(なお2011年11月現在のスペインの失業率は22.6%なので、若者の失業率は40%半ばに及んでいると見てよいだろう)。因みに、日本はどうか。2010年の日本の失業率は5.1%であったが、2011年11月現在の失業率は(4.1%から0.4%悪化して)4.5%であるので、若者の失業率は9%前後と見てよいだろう。
各国の失業率は各国の経済的、社会的状況を如実に反映している。PIIGSの5カ国だけでなく、フランスやベルギー、イギリスやアメリカにも見られる高い失業率は、各国の経済が落ち込み、社会が不安定になってきていることを証明しているし、またベルギーのように経常黒字国であっても、その経済は落ち込んでいる傾向を示しており、さらにこれらの国々に比べて相対的に低い失業率のドイツや日本でさえもその経済状況も思わしくないのである。特にデフレ状態から回復できないでいる日本の経済については、われわれのよく知るところである。
「失業が人びとにもたらす諸問題」についてアマルティア・センはILO(国際労働機関)の機関誌で次のように述べたことがある。参考になるのでここに簡潔に記しておこう。各国政府は言うまでもなく、われわれもまた心すべきことなのである。
- (1)産出力の損失と財政負担:失業は国民的な産出力(アウトプット)を減少させるだけでなく、所得移転に振り向ける産出力の割合もまた増加させる。
- (2)自由の喪失と社会的排除:失業状態に置かれた人は、社会保険によって援助されている場合でも、意思決定の自由の大半を行使できないでいるので、失業は人びとを社会的排除に追いやる主要因となる。この場合の「排除」は、経済的機会からの排除だけでなく、コミュニティ生活への参加といった社会活動にも当てはまる。この点こそ「職なき人たちにとって大きな問題」なのである。
- (3)技能喪失(スキル・ロス)と長期にわたるダメージ:人は、「活動することによって学ぶ」のであって、仕事・業務から外されて「活動しないことによって学ばない」のである。人は、失業によって、技倆を発揮する場を失うことで技能を低下させるだけでなく、自信と自制心をも喪失する結果、認識能力の喪失をきたしてしまう。
- (4)心理的損傷:失業は、職なき人の生活を台無しにし、精神的苦悶を引き起こす。精神的苦悶は、たんに低所得という問題だけでなく、自尊心の喪失の問題、すなわち、自分は依存状態にある人間、(家族や社会にとって)不必要な人間、それに何も生み出さない人間であるなどと考えてしまう悲観的な感情による落胆を含んだその他の価値喪失の問題をもまたもたらしてしまう。加えて、長期失業の影響は勤労意欲(モラール)にダメージを与える。特に若者の失業は、青年労働者やこれから労働者になろうとしている卒業予定者から長期にわたって自尊心を奪ってしまうことから、高い代価を支払わされることになる。さらにこのダメージは若い女性にとって特に深刻なものになる。
- (5)不健康状態と死亡率:失業はいわゆる臨床的な病気や高い死亡率にもつながる。このことは、ある程度まで所得や物質的手段の喪失の結果であるが、それだけではなく、長期失業による落胆や自尊心の欠如や動機づけの衰退とも関連している。
- (6)動機づけの喪失と将来の労働:失業による落胆は動機づけの衰退につながり、長期失業者を諦めに追いやり、受動的にする。高失業率の結果として起こる動機づけの喪失は、将来の雇用探しにきわめて有害になる。というのは、仕事・労働に復帰することへの恐怖感を生み出すほどに、失業者の能力と勤労意欲が数年にわたる「強制された怠惰」によって大きく損なわれてしまうからである。この「動機づけの喪失」のインパクトは若い女性にとって特に重大である。
- (7)人間関係と家族生活の喪失:失業は、さまざまな人間関係を破壊してしまうことがあるし、また家庭内の調和と結束を弱体化してしまうことがある。そのような結果は、経済的手段の欠落に加え、ある程度まで自信の弱まりに関係しているが、同時に組織的な労働生活の喪失そのものが深刻な価値喪失となってしまうのである。このような状態にはアイデンティティの危機が伴うことがある。
- (8)人種・民族的不平等とジェンダー不平等:失業は性別役割分担と並んで人種・民族的な緊張関係を強める重大な影響を及ぼす可能性があり得る。雇用が大きく減少すると、最も影響を受けるグループはマイノリティ、特に移民コミュニティの人たちである。しばしば移民は仕事を「持ち去る・奪う相手」、すなわち、「雇用の競争相手」とみなされることがあるので、失業は不寛容と人種・民族差別の政治活動を助長させる。また性別役割分担や性差別といったジェンダーの分裂も広い範囲にわたる失業によって常態化されてしまう。失業が社会全体に見られる時期に女性が労働力として(労働市場に)参入しようとすると、阻止される現象がしばしば見られるのはそのためである。
- (9)社会的価値と責任の喪失:長期的で広い範囲にわたる失業は重要な社会的価値(意識)を脆弱にさせる傾向を伴うことも立証されている。長い間失業状態に置かれている人とたちは、社会的な取り決めの公平さに対して冷笑的な態度を取るし、他者に依存することも自ら容認する態度を取る(そうすることが自らの責任と自立・自律に何ら役立たないと思っても、そうなのである)。また失業した若者が犯罪に奔ることがあるが、それは、彼らから物的なものが奪われていることだけでなく、彼らに及ぼす心理的な影響によるものである。すなわち、失業者として社会的に排除されている意識と失業の原因をマイノリティによって「仕事が奪われている」からだとみなしてマイノリティを排除する意識、正直に生きる機会を失業者に与えない世の中に対する不満の感情がそれである。
- (10)組織的非柔軟性と技術的保守主義:失業が広い範囲にわっている状況においては、仕事が失われると思われるどんな経済的な再編にも反対する傾向が強くなる。選択肢が失業しかなく、しかも失業が長期にわたる可能性がある場合には、仕事を失うことの不利益は極めて大きいことから、組織的非柔軟性を通じた技術的保守主義が生まれ、経済的効率が低下する。
このように見てみると、「失業が人びとにもたす諸問題」が、個々の若者、女性、高齢者などに対してだけでなく、各国の社会全体に対しても、場合によっては世界全体に対してもまた大きな影響を及ぼす―あるいは及ぼしている―ことが分かるであろう。それ故、何よりも各国政府は安全で健全な社会生活を確かなものにするために自国の「失業問題」に積極的に対応するべきであり、と同時にILOなどの国連諸機関を通じた対応を連携して実行する必要がある。
最後に、アメリカの現在の失業率に関して言及しておこう。現在大きな話題になっている「ウォール街を占拠せよ」から始まった「オキュパイ運動」は、若者だけでなくさまざまな年齢層の人たちの参加を得ることによって、アメリカの経済的、社会的な格差(「富裕な1%と苦しい生活を余儀なくされている99%」)がいかに拡大しているかを知らせてくれている。この運動はまたヨーロッパ諸国の若者や他の年齢層の人たちにも影響を与え、いくつかの国では若者による政権批判の運動にまで高まっている。スペインでの選挙による政権交代もその一つである、と私は思っている。
思い起こせば、2006年まで16年半もの間FRB(アメリカ連邦制度理事会)の議長に就き、ITバブルと住宅バブルを繰り返してきたグリンスパンも知っていたことであるが、住宅バブルを継続するために採用した、低所得者向け住宅ローン(サブプライム・ローン)債権の証券化を許した結果が雄弁に物語っているように、ブッシュ前政権はアメリカの経済危機の原因をつくりだして、その「付け」を世界中にばら撒いた揚句に、世の中の多くの人たちを失業に追いやったり、あるいは低賃金の不安定な非正規労働に従事させたりしているのであって、犠牲になった多数の彼・彼女たちは今なお苦汁をなめているのである。この事実一つを取ってみても、「新自由主義の失敗」は現在も大きな辛い遺物を若者たちを中心に多くの人たちに背負わせ続けているのである。私が新自由主義を「失敗の新自由主義」と呼ぶのは、まさにこの意味においてである。
では、共和党のブッシュ政権に取aって代わった民主党のオバマ政権はどうであろうか。オバマ大統領は「失敗の新自由主義」を彼の政府の政策から捨て去ったのだろうか。否である。なるほどオバマ政権は、ブッシュ政権が仕掛けたイラクとアフガンへの財政(税金)の垂れ流しを止めようとしているし(イラクからのアメリカ軍の段階的撤退)、「小さな政府」を標榜する共和党と違って、低所得者向けの「公的医療保険制度」も―共和党と妥協しながら―推し進めた。しかしながら、オバマができたのはここまでであって、彼は、結局、ブッシュ政権と同じように、アメリカに有利な「市場の利用」を考え、他国に動揺を与えることを選んだのである。例えば、韓国にはFTA(自由貿易協定)を強制的に結ばせ、日本にはTPP(環太平洋戦略的連携協定)への参加に圧力をかけ、ドル安円高を基調とする貿易の経常利益を増やして、つまり韓国や日本に自国の工業製品、医療サービス、保険商品、農産物などを輸出し、韓国や日本の製品、サービスや農産物を輸入させないことで、アメリカに200万の雇用を創り出すという算段をオバマは図っているのである。それ故、彼の政策は、「公正と利益追求の適切なバランス」=「秩序ある経済-社会の活動ルール」に基づくのではなく、すなわち、アメリカ市民自身の手で雇用を創出するのではなく、他国から「雇用をむしり取る」方法を駆使しようとしているのである。これは新手の「敗北の新自由主義」である、と私は考えている。かつてアマルティア・センがブッシュ政権に対して言ったことであるが、アメリカの経済危機の原因は「グローバル化そのものではなく、アメリカの経済管理の誤り」であり、また「市場の利用だけを考え、国家や個人の倫理観の果たす役割を否定するなら、新自由主義は人を失望させる非生産的な考えだということになる」、とのセンの主張は、そのままオバマ政権への言葉となるであろう。
※2011年12月初めには発表されたアメリカの失業率は8.6%(12万の雇用増)である。