総研いのちとくらし
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経済学と倫理(1)

「理事長のページ」 研究所ニュース No.41掲載分

中川雄一郎

発行日2013年02月28日


ここ数年、私は大学(学部・大学院)での講義や協同組合などの講演でできる限りフェアトレードについて触れることにしている。そうするようにした一つの大きな理由は「経済と倫理」について私なりに考えを深めてみようと思ったからである。

一般に私たちは、その日常生活のなかで時として次のような経験に出くわすことがあるだろう。かつて読もうと思っていたが、やがて忘れてしまったり、あるいは忘れかけたりした学術書や小説などの本―今では古本となっている本、あるいは他の著者や訳者によって深められたり読み易くなったりしている本、さらには相当数の「刷り」を重ねていたりしている本―に偶然に出会い、そしてそれらを手にしてからは「忘れてしまった時間を取り戻す」かのようにそれらの本を読む、これである。このような生活経験は「歳と伴に増えていく」ようであるが、私の場合それはなにも本に限ったことではないのである。じつは、「フェアトレード」がそのような経験の一つなのである。とはいえ、それは、私自身がフェアトレードに直接関わったのではなく、私の協同組合研究との関係でのことにすぎないが、それでも私にとっては「経済と倫理」について考えを深める良き機会を与えてくれたのである。

以前私は、1970年代から2000年初期にかけてのイギリス消費者協同組合(生協)運動について調べたことがあった。周知の通り、イギリスでは1973~4年のオイルショック以降90年代初期頃まで経済状況はいわゆる新自由主義政策を展開する「サッチャーリズム」によって総じて金融以外の経済は不安定で、とりわけ失業率は10~12%であり、若者(15~24歳)のそれは20%前後を推移していて経済的、社会的な格差の広がりが大きな社会的問題になっていた。このような経済状況は、労働者階級を主たる組合員や顧客とする生協に大きな影響を及ぼし、CWS(協同卸売り組合)を中心に生協陣営はその対策に追われ、「生協は崖っ縁」と言われもし、生協合併をその最後の対応策として進めていった。ところが、その生協が「崖っ縁」からやがて再生するのである。その生協再生の契機を与えたのがフェアトレードであった。

フェアトレードに私が関心を持つようになったのは1990年代中頃であった。私は、1985年から86年にかけてブラッドフォード大学平和研究学部(Department of Peace Studies)で「キリスト教社会主義と協同組合」のテーマを追究したこともあって、それ以後毎年のようにロンドンやマンチェスターそれにリーズとブラッドフォードを訪れては上記のテーマを追い続け、そのための文献・史料・資料を漁っていた。そんな時にマンチェスターにあるCWSの歴史的な建物「ホリヨークハウス」の協同組合図書館を訪ねて、イギリス協同組合連合会(Co-operative Union, 現在はCo-operatives UK)の初代会長でありキリスト教社会主義者のエドワード V. ニール(1892年没)に関する資料を漁っていたのであるが、ふとフェアトレードのパンフレットが目に止まり、それには確か紅茶、コーヒーそれにバナナのフェアトレードに生協が奮闘している旨のことが書かれていたようであった。そしてその時に私は「そう言えば、私のイギリス土産はコースターと紅茶(主にティーバッグ紅茶)の代わり映えしないものであるが、紅茶はフェアトレードの認証マーク付きである」とのことに気づいた。私はこれらの土産を(現在は存在しないが、当時はリーズ駅近くの大きなビルの一角を占めていた)リーズ生協の店舗とマンチェスター、ヨークそれにロンドンなどにある有名なスーパーマーケット「マークス&スペンサー」で買い求めた。今でも私のイギリス土産はコースターとフェアトレード紅茶と決め込んでおり、日本のそれらと比べると安価で良質であると私は思っている。

さて、私は、1990年代末から2000年中葉にかけて「(合併が一段落したこともあって)イギリスの生協は立ち直り、前進しつつある」との声を聞くようになり、その立ち直りと前進の大きな要因の一つ(あるいは二つ)が「フェアトレード」と、そのフェアトレードと密接に関係する―あるいはフェアトレードに影響を受けた―「倫理政策」とである、と聞き知らされるようになった。そこで私は、2007年の秋に―あの時のことを思い出しながら―ホリヨークハウスにある協同組合図書館のMrs. Gillian Lonergan(Librarian)にイギリス生協運動とフェアトレードの関係を教えてくれる資料を送っていただくようお願いした。彼女が送ってくれたのは単なる「資料」ではなく「本」であった。それがCo-operation, Social Responsibility and Fair Trade in Europe (Edited by Linda Shaw), Co-operative College, 2006.である。そこで私は2008年度の3年生ゼミナールのテーマを「フェアトレード」とした。ゼミナール生たちはよく学習し、また積極的に経験した(その成果は、ゼミナール生による論稿「フェアトレード:オルタナティヴ・トレードの経済-社会的役割」(明治大学政経学部『政経セミナー』第37号、2008年度に記されている)。彼らはフェアトレードの学習のために映画「フェアトレードの真実」を学内で上映し、またフェアトレードのクッキーを販売する活動も展開した(この活動は現在、学内の「ボランティア・サークル」に受け継がれている)。フェアトレードを学習していくなかで、元フランス大統領ジャック・シラクが「フェアトレードを広げていけば、消費活動と倫理的価値や人間の尊厳の保護とが両立するだろう」と述べたことを知って、同じ保守的政治家でも(日本の)政治家と大分違う、と一人のゼミナール生が呟いていたことが思い出される。

ところで、イギリス生協運動であるが、組合員教育を通して組合員に生協がフェアトレードに取り組む経済的、社会的な意義と意味の双方を理解させると同時に、フェアトレード商品の販売を促進するイベントに多くの組合員を引き込み、組合員にそのための活動に時間を割いてもらうよう働きかけた。その結果、「生協に加入して組合員になることが、フェアトレードに参加することになる」との意識を市民の間に醸成することになったのである(一般にヨーロッパでは―日本と違って―生協に加入しなくても、すなわち、組合員でなくても、生協の店舗を利用することができる)。イギリス生協運動のフェアトレード運動へのこのような取り組みは「協同組合の価値をビジネスの実践に組み入れる一つの主要な手段」となっていき、生協の全般的な発展をもたらしたのである。

こうして、生協運動とフェアトレード運動とは相互に影響を及ぼし合い、後者が生協の再生・再活性化に寄与し、また前者がフェアトレード運動に対する市民の認知度の向上に寄与しているのである。とりわけフェアトレード運動は発展し続けており、2006年にはイギリスでは「人口の50%以上がフェアトレードを認知している」という大きな運動を展開するまでになっている。マンチェスターをはじめイギリスのいくつかの都市や町は「フェアトレード・タウン」としてフェアトレード組織から認証されているほどである。日本でほぼ同じ時期の2007年に「チョコレポ実行委員会マーケットリサーチ」が「日本でのフェアトレードの認知度」を調査したところ、わずかその認知度は2.9%にすぎなかったとのことである。因みに、イタリアは34.5%(2003年)、スウェーデンは47%(2004年)であった(調査機関が異なるので日本と他の国々とでは対応可能な数値ではないけれど、相対的な傾向を読み取ることは可能であろう。その証左として、日本でフェアトレードを小規模でも事業化している生協は本当に数少ないのである)。

イギリスでのフェアトレード運動の発展は、フェアトレードが「営利企業に利益をもたらす」ことを学習したテスコ(Tesco)、セインズベリィズ(Sainsbury's)、マークス&スペンサー(Marks & Spencer)それにモリソンズ(Morrison's)など大手企業のスーパーマーケットのフェアトレードへの進出の機会をつくり出した。私は、このこと自体は大いに歓迎するところである―というのは、私は常々、「生協の経済-社会的な一つの重要な役割は、スーパーマーケットなど大手小売流通資本に生協の『運動を真似させる』ことである」と強調しているからである―が、しかし、大手企業のフェアトレードへの大規模な参入は、「大手企業が利益追求のためにフェアトレード・ラベルを利用する危険性が出てきた」という「フェアトレード運動内部の論争」を引き起こす要因をもまた生み出しているのである(このことについては、次の機会に譲りたい)。

再び"ところで"、であるが、イギリスの生協運動は、フェアトレード運動を展開するなかで「一つの転機」を創り出した。生協の店舗にはフェアトレード・コーナーが設けられ、そこに置かれたフェアトレード製品を「ユニーク・セリング・ポイント」(Unique Selling Point)と位置づけて、生協の「重要な市場コンセプト」とし、生協が「フェアトレードのコンセプト」を遵守することを通して生協の事業(経営)スタンスを「倫理スタンス」と明確に位置づけたのである。大手小売流通資本との競争によって「低価格」を強いられてきた生協陣営は、かくして、大手小売流通資本(大手スーパーマーケットなど)との差別化を図ることができ、他の生協商品も文字通りの「公正な価格」(fair prices)で組合員や他の人たちに供給することができるようになったのである。

再び"さて"、であるが、「経済学と倫理」の「まえがき」をと思って書いていたら、だいぶ長くなってしまった。したがって、この続きは次号の「理事長のページ」に回してもらいますが、多少の予告篇を記しておきます。

本ゼミナールの「2012年度外書講読」のテキストはReckoning with Market: Moral Reflection in Economics(by James Halteman and Edd Noell, Oxford University Press, 2012)であった。日本語に訳すと、『市場を考える:経済学の倫理的考察』とでもなるだろう。この本はオクスフォード大学の各カレッジの経済学専攻3年生のための一種の教科書である。この本の最初の部分でホルトマン教授はロシアでのMBA(経営学修士)のカリキュラム設置プロジェクトに参加してロシア人教授陣と関わったエピソードを記している。その箇所を引用することで次号の予告篇としておくので、皆さんには想像逞しくしていただければと思います。

われわれの(プロジェクトの)仕事が捗っていくにつれて、私は悲観的になり始めた。何故なら、彼らは、市場理論には人びとがお互いに信頼し合うようになることが求められることなどまったく考えていないのだ、とのことを私は悟ったからである。私はビジネス倫理グループのロシア人教授に、「人びとがお互いに信頼し合わない」という点について、こう問いかけてみた。すなわち、ロシア市民は、ロシア的文化としては、セルフサービスのガソリンスタンドでは誰も見ていなくてもガソリン代をきちんと支払っていくのか、あるいはガソリン代を支払わないで立ち去っても捕まる心配がないがまったくないのに、眠っている店員を起こしてガソリン代を支払っていくのか、と。彼は、しばらく考えて、「ノー」、つまり「支払わない」と答えた。彼は、私の筋書き(シナリオ)を、倫理的な問題を論及しているのではなく、経済的な好機について論及しているのだ、とそうみなしたのである。

この本は、アダム・スミスやマルクスにも論及しており、「経済学と倫理」という点で中々興味を覚えるのであるが、本ゼミナールの3年生には難しかったようである。そこで私は、2013年度の外書講読はオクスフォード大学経済学専攻学生(3年生)―イギリスでは一般に、経済学など社会科学専攻や文学専攻の学生は3年生で卒業である、と聞いている―向けの別の教科書を使用する予定である。この本も中々インタレスティングである。原書名はEconomies of Salvation: Adam Smith and Hegel(日本語訳を私は『救済の経済学:スミスとヘーゲル』にしようと考えている)。

これら2つの教科書は「経済学にはあるいは経済には倫理がその基礎にある」ことを強調しているのである。

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