総研いのちとくらし
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「時代を把握する」ということ

「理事長のページ」 研究所ニュース No.50掲載分

中川雄一郎

発行日2015年08月31日


卒業生への「謝恩」と入院・手術

私が勤めている大学の卒業式典は毎年「3月26日」に武道館で執り行なわれることになっている。式典そのものは1時間程で終了するのであるが、卒業生たちはその後大学に戻り、クラス毎に分かれて学位記(卒業証書)や記念品などを受け取ってはじめて卒業式の行事を終えることになる。しかし、卒業式に関わる、彼・彼女たちの本当の楽しみはそれからである。彼らの楽しみは卒業生を送り出す方の私たち教師の楽しみでもある。2年間を共に過ごした「卒業するゼミナール員との最後の懇親会」である。

振り返ってみると、私は、1985年から86年にかけての在外研究期間以外はほとんどこの「最後の懇親会」に参加、というより「最後の懇親会」を「主催」してきた。「主催」というのは、いわゆる「卒業生による恩師への謝恩」ではなく、私の「ゼミナール員卒業生への謝恩」だからである。2014年度のゼミナール員卒業生は第37期であるので、私は36回もの「謝恩会」を「主催」したことになる。30~40歳代の時期は「狭い自宅」で、50歳代は「リフォームした同じ自宅」で、そして60歳代は大学から数分の行きつけの「割烹」で、という具合にである。「割烹」で行なうようになったのは、自宅での「謝恩会」は何といっても妻のつくる料理やもてなしが肝心要なので、妻としても10人以上の卒業生となると相当の重労働になるので、60歳を境に「割烹」でということになったのである。

じつは、私は3月初旬に「前立腺癌摘出手術」のための入院の日取りを言いわたされることになっていたのだが、私としては「3月26日」をどうしても避けてもらいたかった。「2014年度のゼミナール員卒業生への謝恩会」を願っていたからである。幸い、入院の日取りは3月29日から2~3週間、手術は31日、と言いわたされた。入院の期間は、結局、3週間弱であった。「謝恩会」には卒業生18名全員が参加してくれた。私の記憶が正しければ、就職先の都合で参加したくてもできない卒業生が毎年必ずいたので、全員参加は初めてかもしれない。彼らは卒業式にさえ出席できないのだ。何とかならないだろうか。

ところで私は、手術後の2~3週間の入院を「退屈に過ごさないために」と神妙にも[編注: 原文傍点]思い立って4冊の本を持ち込んでおいた。だが、あに図らんや、と言うべきか、68歳をして6時間半を要した手術(腹腔鏡手術)はこれまで経験したことのない「体力の消耗」を覚え、特に手術後の2日間は「予想以上のエネルギーの消耗だなぁ~」と思うに至った。と同時に、先生(医師)たちも「それだけ大変だったんだなぁ~」と妙に感じ入ったりした。ということで、入院前半の昼寝の時間はほぼ毎日2~3時間もの多くに達した。かくして結局、私が繰り返し目を通し、読み込んだ本は――著者の方々には失礼千万であるが――「退屈しのぎ」にと思い立って持ち込んだ4冊のうち、本年度の3年生ゼミ演習の協同組合調査・研究に関わる主要文献の小田切徳美著『農山村は消滅しない』(岩波新書)とこれまで何度か読み返している城塚登著『ヘーゲル』(講談社学術文庫)との2冊になってしまった。

前者は、毎年夏季休暇中に実施している3年生ゼミ員による調査・研究――本年は「JA甘楽富岡」の調査・研究――との関係で、そして後者は、現在私が進めているEconomies of Salvation: Adam Smith and Hegel by Yong-Sun Yangの翻訳作業をより正確に進めるための「手引き」としてのそれである。というのも、私は、この著書のタイトルをそのまま『救済の経済:アダム・スミスとヘーゲル』とするか、それとも内容を重視して『救済の経済学:アダム・スミスとヘーゲル』とするか、あるいはもう少し訳を進めたところで別のタイトルを考えることにするか、今でも迷っているからである。もっとも、困難はヘーゲルだけでなく、アダム・スミスもそうであって、やはりそのために水田洋著の『アダム・スミス』(講談社学術文庫)をいつも持ち歩いている(ヘーゲルについては、加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社学術文庫)も同じように手放せないでいる)。なお、著者は韓国人で、東大大学院とオクスフォード大学大学院で経済学と哲学を修めた研究者である、と優れた協同組合研究者であり、韓国icoopの機智に富んだ理論家でもある金亨美さんが教えてくださった。その時私は「ひょっとすると、この著者にお会いできる機会があるかもしれない」と勝手に思ったりした(版権は日本経済評論社が確保)。

さて、入院も後半になると「患者」なりに多少の余裕も生まれ、昼寝の時間も少なくなった。その代わりにテレビで放映されるニュース、特に日本人が一度は行ってみたいと思っている国々の興味深くかつグローバルな話題性のあるニュースを観る時間が増えていった。そのような話題性のある国際ニュースが(日本時間の)4月11日と12日に放映された。パナマ市で開催された米州首脳会議(サミット)(Summits of the Americas:SOA)に出席した(アメリカ合衆国)オバマ大統領と(キューバ共和国)ラウル・カストロ国家評議会議長との会談に関わるニュースである。

バラク・オバマ大統領とラウル・カストロ国家評議会議長との会談

SOAへのラウル・カストロ国家評議会議長の招待・参加のプロセスについては、周知のことだろうと思われるが、私なりにそのプロセスを簡潔に整理してみると、次のようになる。SOAの第1回会議がアメリカ合衆国の主導する米州機構(the Organization of American States: OAS)によって1994年12月にマイアミで開催された。だが、キューバはこのサミットに参加できなかった。というのは、キューバは既に1962年にOASから除名されていたからである。キューバは初めからSOAのメンバー国からも外されていたのである。

しかしながら、2009年6月にホンジュラスで開催されたOAS総会は1962年の「キューバ除名決議」の無効を決定し、キューバのOASへの復帰を承認した。この時にはラウル・カストロもフィデル・カストロも復帰を拒否したものの、この「復帰承認という布石」がやがて動きだし、作用し、働くことになる。すなわち、2012年に南米コロンビアで開催された第6回SOAは、キューバのサミットへの参加をめぐって中南米諸国とアメリカ合衆国とが対立し、その結果、サミットの最終文書を採択することができなかった。この状況について赤旗特派員は「ワシントンの影響力低下を浮き彫りにした」とのロイター通信を引用し(『しんぶん赤旗』2012年4月17日付)、さらにこう締め括った。「報道によると、米国に同調したのは同盟国のカナダだけ。米国が圧倒的多数の中南米側の声(キューバのサミットへの参加-中川)に反対して『拒否権』を発動し、文書採択を流産させた形となりました」。

このようなプロセスを経て、2014年6月5日にパラグアイの首都アスンシオンで開催されたSOA準備会合で2015年4月に開かれる第7回サミットにキューバを初めて招待することが承認され、キューバを排除する歴史に終止符が打たれることになった。OAS第44回総会の際に行なわれた「サミット実施検討グループ」(GRIC)がSOAへの「キューバ招待」を決定し、この決定を受けて、2015年4月に開催される第7回SOAのホスト国であるパナマのアルバレス外相がラウル・カストロ国家評議会議長に「キューバ招待」を2014年9月18日に伝えたのである。赤旗特派員はこの間の状況を次のように記述している(『しんぶん赤旗』「キューバ初招待 来春の米州サミット」2014年6月7日付)。

キューバ招待を決めたのは、サミット実施検討グループ(GRIC)の会合。現地メディアによると、第7回サミットのホスト国パナマのアルバレス外相がキューバ招待を提案。これに対し、米国代表は、民主主義国であることが参加の基準だとして反対を唱えましたが、エクアドル、ボリビア、アルゼンチンなど中案米カリブ海の諸国が次々に賛成しました。(中略) 

最終的には会合に参加していた34カ国中過半数の国がキューバ招待に賛成。ホスト国パナマの判断に委ねることを決めました。キューバを招待するというパナマの態度は明白なことから、キューバ招待を「コンセンサスで決定」(パラグアイのナシオン紙)と報じられています。

GRICは、31日からアスンシオンで開かれた米州機構(OAS)第44回総会の機会に行われました。総会は5日、貧困や飢餓を一掃し、不平等をなくす課題や開発の恩恵から取り残さる人々を残さない取り組みの重要性を強調した宣言を採択し閉会しました。

こうして米州サミットは、アメリカ合衆国の「キューバの孤立化を狙った敵視政策」を克服し、「異なる政治経済制度の尊重に基づく対等平等な関係を米国に認めさせる新しい時代が始まりつつあることをうかがわせました」(『しんぶん赤旗』2015年4月14日付)。しかし、周知のように、アメリカ政府は1962年から現在までキューバ革命を崩壊させるための「経済封鎖」を実施し続けてきたのであるが、この「経済封鎖」は内政不干渉を定めた国連憲章に違反していることから、国連総会は昨年まで23年連続で封鎖解除を求める決議を採択してきたにもかかわらず、アメリカ政府はそれを無視して経済封鎖を続けてきた。したがって、この第7回SOA(4月10・11日開催)で南米のサミット・メンバー諸国は、オバマ政権がキューバとの国交正常化に踏み出し、キューバがSOAに参加したことを歓迎すると同時に、オバマ大統領の言う「対等な関係」の実現のためには「経済封鎖」の解除が不可欠であることを彼に強く訴えたのである。アルゼンチンのフェルナンデス大統領はこう述べている。「間違えないでほしい。キューバが(SOAに)出席できたのは60年以上も尊厳を求めてたたかってきたからである」(同上)と。彼女のこの言葉には「アメリカ政府によるキューバ経済封鎖の解除まで中南米諸国は闘う」との決意表明が込められているのだと私には思える。

他方、オバマ大統領はこのサミットに先立ってジャマイカを訪問し、次のように語り、「事実上、中南米諸国の主張の正しさを認めた」のである。「IMFや国際機関は各国政府との間で必ずしも生産的ではない方法をとってきた」、「必要なのは、どう経済を成長させ、国民を締め付けるだけにしないかということだ」(同上)。しんぶん赤旗はまた次のことをわれわれに伝えている(同上)。

オバマ氏は09年の米州首脳会議(SOA)で打ち出した「相互尊重に基づく平等なパートナーとして協力する新しい時代」を再度強調しました。また「米国の歴史には暗い章もあった」と反省を語り、キューバとの国交正常化を進めて中南米全体との関係で「転換点」をもたらす意欲を示しました。

かくして、オバマ大統領とラウル・カストロ国家評議会議長との会談が用意されることになったのである。私は、病院でSOA関係のテレビニュースを観聴(みき)きしながら、こうしたいくつかのプロセスを踏まえれば、おそらく大多数のジャーナリストは「両首脳の歴史的な会談が用意されるだろう」とのニュースを当然のように発信するだろうと思っていた。ところが、である。実(まこと)に「事実は小説より奇なり」で、なかにはそう素直に発信しなかったジャーナリストもいたのである。例えばNHKの記者がそうである。私は、記者の発した「言葉」を聞いて大変驚いた。記者は(現地時間の)4月10日と11日の両日ともパナマ市から「オバマ大統領とラウル・カストロ国家評議会議長の首脳会談」について概ね[編注: 原文傍点]こう述べたのである。「(両国の)国交断絶後初めての会談がもたれるようである。だが、会談といっても、正式会談になるか、立ち話に終わるかは不明である」、と。この「言い分」は記者の想像力の貧弱さというか、国際情勢分析に関わる世界史的な発想の貧弱さを世に晒すだけである、とさえ私には思えた。既にオバマ大統領とラウル・カストロ国家評議会議長は共に、「(レーガン政権が勝手に決めつけた)『テロ支援国家』の指定解除」、「人権問題」、「経済封鎖の解除」などいくつかの課題や問題を抱えながらも両国の「国交正常化」に向けて努力することを世界に向けて発信していたのであるから、両者の会談が「立ち話に終わる」ことの可能性はほとんどない、と考えるのが普通であろう。事実、会談は1時間程にも及んだのである。この会談をオバマ大統領は「(両国の)新たなページ」の始まりだと高く評価したし、またカストロ議長も、この会談において「話し合いで合意できることもあるだろうし、できないこともあるだろう」と述べ、これから両国・両者による課題や問題の解決に向けて相互に努力し合うことの重要性を強調したのである。

ところで、ジャーナリストの伊高浩明氏が『世界』(2015年3月号)で次のような冒頭の文章をもって両者の会談の可能性を示唆する考察を記している(「米・キューバ国交正常化合意:米州冷戦終結、同床異夢の<善隣>関係始まる」)。「資本主義の総本山・米国と残存社会主義国キューバは2014年12月17日、国交正常化で合意し、半世紀を超える米州の冷戦に終止符が打たれた。バラク・オバマ大統領とラウール・カストロ国家評議会議長(83)がそれぞれの首都でテレビ演説を通じ合意を同時に発表、錆びつき沈黙していた歴史の重い歯車が動き始めた。ウルグアイのホセ・ムヒーカ大統領は『米州の<ベルリンの壁>が崩壊した』と評した。米財界ではキューバ市場進出を目指す動きが早くも起きている」。

伊高氏はまた、国交正常化に関わるオバマ大統領とカストロ議長それぞれの「戦略」について興味深い論点および両者の利害の「対立と一致」点を示している。主要な課題・問題は「対立点」であるが、一方は市場原理と民主主義の導入を、他方は対キューバ経済封鎖の完全解除と社会主義市場経済建設を主張している。その他に1982年にあのレーガン政権が勝手に決めた「テロ支援国家」の問題があるが、伊高氏が述べているように、「経済封鎖」をアメリカ側が勝手に「経済制裁」と呼んでいるのと同様、「ヒロン浜侵攻、破壊活動、要人暗殺工作などに遭い続けたキューバにしてみれば、制裁されるべきは米国であり、『テロ支援国家』も米国なのだ」。

私がオバマ大統領とカストロ議長の会談について「正式会談になるか、立ち話に終わるかは不明」と伝えたNHK記者の想像力や発想を問題にしたのは、「(両国・両者の)交渉は同年(2013年)3月に即位したローマ法王フランシスコの仲介で6月、カナダの首都オタワで極秘裏に始まった。その年12月ネルソン・マンデラ元南ア大統領の国葬の場でオバマはラウールと握手を交わしたが、水面下での交渉進展を窺わせた」との伊高氏の文章を読んでいたからである。「ローマ法王の仲介」を仰いでまでの「国交正常化の合意」であれば、誰しも「立ち話」ではなく「正式会談」になると思うのが自然である。立ち話を「会談」と表現するのはどだい無理があるし、一般にそれを「会談」とは言わないだろう。

「時代を把握する」ということ

このようなNHKの「国際ニュース」をテレビで観聴(みき)きしていた4月11日から12日にかけて、私は前に記した城塚登著『ヘーゲル』を初めから読み直していた。特に第I章は、私にとってじつに多くの困難を伴う「ヘーゲル哲学」の基本――というよりもイロハ――を知る[編注: 原文傍点]のに繰り返し眼を通すべき箇所である。その第I章-二「時代の哲学的把握」は、あのNHK記者が日本のわれわれに向けて発した(オバマ大統領とカストロ議長の)「立ち話」の「真意」を私なりに「詮索する」のに1つのヒントを与えてくれている。少しく述べてみよう(以下の論稿は、上記の城塚登著『ヘーゲル』に基づいている)。

ヘーゲルは「精神」についてこう説明する。「精神」は――即自的に存在する――「現にある世界」であるとともに、それを「われわれ」という境位(明確に区別される範囲・位置-中川)において意識する――対自的に存在する――ものであり、しかも「われわれ[編注: 原文傍点]であるわれ[編注: 原文傍点]」という境位において普遍的なものと個別的なものを媒介するものである。精神がそのようなものであることを自覚するものこそが学問である。

では、ヘーゲルは「彼自身が生きた時代」をどのように把握したのだろうか。ヘーゲルは、「精神の歴史」の観点から、彼の生きた時代を、「実体性の喪失」の時代であるとともに、「実体性の喪失」が人びとに自覚されているが故に「実体性の回復」が希求されている時代であり、「新しい時期への過渡的時代」、「誕生の時代」である、としている。

「実体的な段階」は個別性と普遍性、主観と客観、それに絶対性と相対性といった対立が現われず、それらが直接的、無媒介的に統一されている素朴な段階である。要するに、人びとは信仰に基づく「絶対的実在」(神および神による和らぎ[対立や違和感や抵抗がないこと])が外的にも内的にも存在しているという確信を持ち、満足と安心を得て生活しているのである。ヘーゲルはそのような生活を「実体的な生活」と呼び、それを古代ギリシアのポリス(都市国家)に見ている(言い換えれば、古代ギリシアにあっては、市民の利益とポリスの利益は一致していたのである)。ヘーゲルは、そのような古代ギリシア以降の古代ローマ、中世からルネサンス(の時代)、啓蒙(の時代)を経てフランス革命に到る時代には「精神」は「個別性と普遍性」・「主観と客観」の決定的な対立・分裂に到り、やがて「自己から疎遠になった精神」、すなわち、「精神の自己疎外」が極端に進行する、と考察している。

先に述べたように、精神は「われわれであるわれ」という境位において現れる。しかし、そこでは「社会の共同性が生活の隅々まで浸透しており、個別性は普遍性のなかに包み込まれ、主観と客観は未分化のままに止まっている」のである。したがって、人びとの「実体的な生活」が個別的自己の覚醒、反省の進行によって分裂へと導かれていかなければならない。こうして、個別性と普遍性や主観と客観が対立し、「無限なもの」から「有限なもの」へ、「実在」から「現象」へと重点が移り、人びとの関心は此岸(しがん)的世界(現実の世界)での生活や体験に向けられる。これが「実体性の喪失」の時代である。要するに、「われわれ」が多数の「われ」へと分裂し、「われわれ」という共通の母体を失った「われ」は相互に疎遠になり対立し、それぞれ自らの自立性を主張するようになる。「ヘーゲルの時代」はまさに、あの「実体性の喪失」を人びとをして自覚させるようにし、それ故にまた人びとは「実体性の回復」を望み、希求した、そういう時代であった。ヘーゲルは、そのような人びとの希求に哲学が真に応えるために、「長期にわたる反省によって築かれてきた経験、概念、必然性、自己意識、悟性などを正確に位置づけ、それらに媒介されつつ『実体性』を回復する学問の道」を択んだのである。

ヘーゲルは「このような学問の登場こそ、時代の特徴を形づくるのであり、時代が真に要求しているものである」と主張し、また「われわれの時代は誕生の時代である」とも主張したが、それは、彼がフランス革命の「自由・平等・友愛」という理念に強い共感を抱いたからに外ならない。彼のこの共感は、ロベスピエールの恐怖政治、テロリズムへの失望にもかかわらず、彼が「ヨーロッパの激動のなかに『新しい時代』の到来を感じ取っていた」ことを意味した。彼はまさに、革命後のフランスとプロイセンが対立し、ナポレオン軍によるイエナ占領(1806年10月13日)を目撃しつつ『精神の現象学』の原稿を書き上げていたのであって、それ故にまた、「精神の新たな形態の出現」・「新しい学問と新しい世界の誕生」を生み出したこの「時代の激動」の真因が何であるかを考えざるをなかったのである。ヘーゲルは『精神の現象学』の序文で書いている。

われわれの時代が誕生の時代であり、新しい時期への過渡の時代であることを見てとるのは難しいことではない。精神は定在(生活)からいっても、表象(思想)からいっても、従来の自分の世界と絶交し、この世界を過去のうちに葬り去ろうと考えており、自分を形成し直すという仕事に取りかかっている。もちろん、精神は決して静止していることはなく、絶えず前進する運動を行なっている。しかし、ちょうど胎児が、長い間胎内で静かに養われた後、呱々(ここ)の声とともに、それまでただ量的にのみ増加してきた進行の漸進性を中断し――質的飛躍――そして今や子どもが誕生するのと同じように、自らを形成する精神も徐々に静かに新しい形態に向かって成熟していき、自分の「世界」という建物の小さな部分を一つずつ次々に解体していくが、その際はまだ、この「世界」の動揺はただ個々の徴候によって暗示されているにすぎない。現存するもののうちに蔓延(はびこ)っている軽薄さと倦怠、未知なものに対する漠然とした予感、これらが何か新しい別のものが近づきつつあることの前兆である。このような漸進的な崩壊は、全体の相貌を変えることがなかったが、やがて日の出によって切断され、一閃(いっせん)(瞬間的に光を放つ-中川)、一挙に新しい世界という建造物が立ち現れる。

ヘーゲルはまさに、「哲学はこのような『精神』の出現を歓迎し、それを承認しなければならない」と強調し、「彼の生きている時代を質的飛躍とも言うべき根本的変化が世界において始まっている時代、『精神』の新たな形態が出現しつつある時代」として把握したのである。こうしてヘーゲルは、彼の時代の「哲学的課題」を明らかにし、その課題に応えるために、彼の哲学の「根本命題」を提示したのである。すなわち、「真なるものを、単に実体として把握し表現するだけでなく、まったく同じように主体として把握し表現すること」、これである。

「真なるものを主体として把握し表現する」とのヘーゲルの「根本命題」は、要するに、「真なるものは主体である」ということなのである。ヘーゲルは、「われわれ」は絶えず「われ」への分裂とそれらの再統一という運動において成り立っている、と論じることで「真なるもの」は区別や運動を生み出す「主体」であることを示唆し、したがってまた、「主体的であること」は「自分が自分を動かすこと、自覚的に運動すること」だと指摘したのである。

私が病院のテレビで観聴(みき)きした、「オバマ大統領とラウル・カストロ議長との会談」についてのNHK記者のパナマ市から流れてきたあの言葉は、ヘーゲル流に「われ」(=「自立・自律した個人」)の出会う世界を「現象の世界」、(その個人の再統一としての)「われわれ」の出会う世界を「本質(=真理)の世界」とみなすとすれば、「現象」と「本質」は相互に転換し合い、内的連関を有することになるのであるから、世界史的な想像力と発想とをもっと働かせるべきだと批判されても仕方がないだろう。何よりも、アメリカ合衆国とキューバ共和国との「国交正常化」のプロセスを取り巻く世界の時代背景は、「対等平等な人びとの間での相互の承認のための秩序」が創り出される――ヘーゲルの言う――あの「承認の必要性」、すなわち、他のどんなアイデンティティよりも両国の人びとの基本的な政治的欲求の充足を確かなものにしつつあるのだから。かくして、この会談は和(なご)やかなうちに終了したのである。

最後に私は、普天間を、辺野古を、沖縄を、そして日本の各地をあたかもアメリカの「植民地」であるかのように平然と使って恥じない意識のオバマ大統領に対して、アメリカ独立革命の思想的功労者トマス・ペインが1776年2月14日に書き上げた『コモン・センス』の「はしがき」の一節を怒りを添えてここに書き記す(小松春雄訳『コモン・センス』岩波文庫)。

トマス・ペインはフランス革命の初期段階に革命の支持者としてフランスから名誉シチズンシップを授与された人物である。トマス・ペインの「名誉シチズンシップ」は、オバマ大統領に与えられたあの「ノーベル平和賞」を自ら裏切っているとしか思えない「核や軍事についての主張と行動」と違って、尊厳のある、真に人類愛に富んだ「世界史的理性による主張と行動」に基づくものであった。

アメリカの主張はほとんど全人類の主張である。これまでに多くの事件が生じたが、これから先も生じることだろう。それは一地方の事件ではなく、世界的な事件である。すべての人類愛に燃える者がこの事件に関心を抱き、温かい目でその成り行きを見つめている。火や剣で郷土を荒れ果てさせ、全人類の自然権に宣戦を布告し、その擁護者を地上から抹殺しようとしたことは、自然から感じる力を与えられたすべての者の関心の的である。そして筆者もまたその一員であって、党派的な非難などは無視する者である。

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