総研いのちとくらし
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MDGsとSDGs

「理事長のページ」 研究所ニュース No.64掲載分

中川雄一郎

発行日2018年11月30日


 本「理事長のページ」の表題(タイトル)「MDGsとSDGs」が、おそらく多くの(日本の)人びとにとって、「何を意味する頭文字なのか」見当がつかないかもしれない、と思いつつ私はこの英語の頭文字をタイトルにしてみた。にもかかわらず、これは有り触れたタイトルではないので、ひょっとすると何やら関心を持ってくれる人たちがいるかもしれないと期待して、このタイトルにした訳である。

MDGsと協同組合

MDGsはthe Millennium Development Goals(ミレニアム開発目標)の頭文字であり、SDGsはthe Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の頭文字である(なお、Developmentを「発展」と和訳する人もいる。私も「発展」と和訳したい一人であるが、公文書では「開発」と和訳されているので、とりあえず「開発」と和訳しておく)。

ミレニアム(Millennium)、すなわち、「千年紀」を迎えた西暦2000年9月の国連総会において提案された8項目の「開発目標」(Development Goals)が満場一致で採択され、2015年(項目によっては2020年)までに各国の政府、NGO(非政府組織)、それに協同組合をはじめとするNPO(非営利組織)などがそれらの目標を達成し、発展途上諸国の社会的、経済的、政治的な安定を図っていこうと臨んだ世界的レベルの「一種の改革・改良の運動」である、と私は位置づけている。そしてこの改革・改良運動に大きな役割を果たしていた、NGOでありNPOでもある世界の協同組合組織に対し、2009年の国連総会は「2012年を協同組合年とする」ことを決定したのである。実際のところ、世界の協同組合組織が結集する国際協同組合同盟(International Co-operative Alliance: ICA)は国連経済社会理事会と直接交渉できるNGOなのである。

MDGsの8項目は次のものである:(1)極度の貧困と飢餓の撲滅(2)初等教育の達成(3)ジェンダーの平等の推進と女性の地位の向上(4)乳幼児死亡率の削減(5)妊産婦の健康の改善(6)HIV/エイズ、マラリアおよびその他の疾病の蔓延防止(7)環境の持続可能性の確保(8)開発(発展)のためのグローバル・パートナーシップの推進。

これらは、最後の第8項を別にすれば、主に発展途上諸国(の人たち)を対象にした項目である。MDGsは基本的に2015年までにこれらの「開発(発展)目標」を達成するべく実行されたのであるが、地域によって大きな差が見られた。例えば、(1)極度の貧困と飢餓の撲滅について言えば、次のようである。

収入が1日当たり1.25ドル以下の人びとの割合を半減させるとのMDGsのターゲットは2015年の期限よりも5年早く達成された。2010年の極度の貧困の下で生活する人口割合は、すべての発展途上諸国の地域で「1990年の47パーセント」から「2010年の22パーセント」へと減少している。しかしながら、この数字はおよそ12億人もの人びとが依然として極度の貧困生活を送っていることを示しており、2015年の時点でもなお9億7000万人もの人びとが1日当たり1.25ドル以下の生活を余儀なくされている、と推定される。また各国・地域における進捗状況も一様ではない。極度の貧困生活は、中国では1990年の60パーセントから2010年の12パーセントへと減少したが、サハラ(砂漠)以南のアフリカ地域と南アジア地域では依然として広く見られる。2015年においてもこれらの地域の発展途上諸国の人口の40パーセントは極度の貧困生活を送っている、と推定される。(以下略)

 上記の(8)を別にして、他のMDGsの項目の進捗状況は同様な傾向にあり、全体としては「未だしの感」を拭えない。それでも、漸進(ぜんしん)的であれ、このような努力のプロセスが多くの人びとの耳目に届くならば、MDGsへの関心も広がり、それに応じて成果も積み重なっていくであろう、と期待される。その点で、(国連)経済社会理事会との協議資格を有する世界最大のNGOである国際協同組合同盟(International Co-operative Alliance: ICA)に結集している世界の協同組合組織とそのステイクホルダーが「協同組合の理念とアイデンティティ」に基づいてその能力を発揮し、MDGsの遂行に大きな役割を果たしてきたことは称賛に値する。2009年12月に開催された国連総会が「2012年を国際協同組合年とする」議案を満場一致で決議した背景に「協同組合のMDGsへの貢献」に対する高い評価があったことは、確かな事実なのである。

SDGsと協同組合

2015年9月の国連総会は「われわれの世界を変革する:持続可能な開発(発展)のための2030アジェンダ」(Transforming our World: the 2030 Agenda for Sustainable Development)を、すなわち、17項目に及ぶ「持続可能な開発目標」を決議した。「われわれの世界を変革する」と銘打ったこの「2030アジェンダ」は、MDGsよりもずっと「意欲的かつ挑戦的な意思表明」(1)だと私には思える。2030アジェンダの「前文」の一部を書き添えておこう。

このアジェンダは、人間、地球および繁栄のための行動計画である。またこれは、より大きな自由における普遍的な平和の強化を追求するものでもある。われわれは、極端な貧困を含むあらゆる形態と様相の貧困を撲滅することが最大のグローバルな課題であり、持続可能な開発(発展)のための不可欠な必要条件であると認識する。

すべての国およびすべてのステイクホルダーは、協同のパートナーシップに基づいてこの計画を実行する。われわれは、人類を貧困の恐怖および欠乏の専制から解き放ち、地球を癒(いや)し安全にすることを決意している。われわれは、世界を持続的かつ回復力に富む(レジリエント)(resilient)道筋へ移行させるために、緊急に必要な、大胆かつ変革のための手段を取るよう決意している。われわれは、この共同(協同)の旅路に乗り出すのにだれ一人取り残さないことを誓う。

今われわれが発表する17項目の持続可能な開発目標(SDGs)と169のターゲット(targets)は、この新しくかつ普遍的なアジェンダの規模と大望を示している。これらの目標とターゲットは、ミレニアム開発目標(MDGs)に基づいて、またミレニアム開発目標が達成できなかったものを全うすることを目指すものである。これらは、すべの人の人権を実現し、ジェンダーの平等とすべての女性と女児の能力の向上が達成されることを目指すものである。これらの目標とターゲットは統合されたものであり、したがってまた不可分のものであり、持続可能な開発(発展)の三つの側面、すなわち、経済、社会および環境の三つの側面を調和させるものなのである。(以下略)

この前文は、SDGsはMDGsを引き継ぎ、しかもその対象を地球全体に、すなわち、発展途上諸国も先進諸国も含んだ全世界的な範囲にわたって遂行されるべき「改革・改良の運動」であること、したがって、政府や企業、またNGOやNPOなどすべての組織・事業体が、真剣かつ真摯な思考に基づいてこれを遂行されることを謳っている。われわれは、このことを決して忘れてはならないし、ましてや逸脱してはならない。政府や営利企業は往々にしてこれを「自己的政策の思惑」や「利益増進の機会」にとばっかりに取り込もうとする傾向があるが、それはSDGsの有する普遍性からの逸脱であることを心しなければならない。というのは、「2030アジェンダの草案の下地」は「国連社会開発研究所(UNRISD)および国際労働機関(ILO)などが中心となって2013年9月に立ち上げられた社会的連帯経済タスクフォース(特別委員会:TFSSE)でなされた議論に基づいているからである」。またこのタスクフォースは「国連横断的な編成となっており、正規のメンバーとしては20の国連機関が、またオブザーバーとしては3つの国際NGOによって構成されている。オブザーバーとして招請されたのは、は世界最大のNGOでもある国際協同組合同盟(ICA)、社会的連帯経済の世界的規模での推進を目指すRIPESS(社会的連帯経済の振興に関わる世界的レベルの大陸ネットワーク)、およびモンブラン会議(RMB)の三者である」(2)ことにわれわれは留意すべきである。

さらに社会的連帯経済は次のように説明されている。「社会的連帯経済は社会的、経済的に有用かつ明確な目的を有し、また地球環境の保護を優先させる目的を持つ多様な組織・事業体の財とサービスの生産に適用される。これらの組織・事業体は協働、連帯、倫理、民主的自主管理などの原則に基づいて実践され、運営される。社会的連帯経済には協同組合、社会的企業、自助グループ、コミュニティを基盤とする事業体、インフォーマル経済で働く労働者団体、サービス供給型非営利組織、それに連帯金融などが含まれる」(3)

このように多くの機関や組織の協力・協同を基礎にしてSDGsは立ち上げられたのであるから、政府および営利企業の行為・行動は十分にSDGsの理に適(かな)ったものでなければならない。ところが、である。安倍政権のSDGsへの対応は問題である。どこがどう問題なのか、「政府とSDGs:かけ声に終わらぬよう」と題した朝日新聞社説(2018年9月17日付)がわれわれに教えてくれている。

「地球環境を守り、貧困を克服して、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにする。そんな世界をめざす『持続可能な開発目標』(SDGs)が国連で採択されて3年。国内でも関心が高まっている。」ここまでは社説のイントロダクションである。これ以降の社説を読み進めていくと、すぐ前で私が指摘したこと(下線部)を社説も指摘し、「政権の思惑先行」を戒(いまし)めている。適切な指摘であり戒めでもあるので、少々長くなるが引用しておこう。

とくに政府の動きが目立つ。安倍政権は、全閣僚からなる推進本部を設けている。この6月の会合では「国家戦略の主軸にすえる」「SDGsで世界の未来を牽引する」とうたった。かけ声だおれにしてはなるまい。この国際目標の達成には、官民あげた取り組みが欠かせないが、政権の思惑先行の印象がぬぐえないのが懸念材料だ。

少子高齢化のなかで成長への突破口に位置づけつつ、国際貢献の旗印にする。19年のG20首脳会議、20年の東京五輪・パラリンピックに向け、政権はそんな狙いを抱いているようだ。SDGsは、貧困や健康・福祉、教育、気候変動、まちづくりなど17分野の169もの目標からなる。抽象的なテーマも多く、行政のどの施策も何らかの形でかかわると言える。

推進本部がまとめた行動計画には、「生産性革命」や「地方創生」などの言葉が並ぶ。政権が看板とする課題であり、今年度当初予算に盛り込んだ施策が予算付きで記されている。問われているのは、SDGsの理念に沿って政策をどう見直していくかであり、既存の施策をPRすることではない。そのことを肝に銘じてほしい。

政権の姿勢を疑問視するNPO関係者らは、独自の行動計画づくりに取り組んでいる。「誰一人取り残さない」とのSDGsの標語を踏まえ、まず貧困・格差対策を重視する。既存の施策を見直し、すぐ実行すべき事業、政府は手をつけていないが、必要と考えられる事業など4段階に整理する。そうした作業を重ねながら、いずれ「持続可能な社会」基本法をつくる。そんな構想だ。

NPOが動き出したのは、計画をめぐって政府の「言行不一致」が表れたからでもある。政府はSDGsを「広範な関係者が協力して推進する」として、NPOや大学、経済団体、国際機関などと、各省庁の担当者が集まる円卓会議を立ち上げた。ところが昨年末に最初の行動計画を決める際、円卓会議では触れないまま、その後の推進本部会合で打ち出した。行政と企業、NPOをはじめとする市民社会が対等の立場で力を合わせていく。それがSDGsの精神だ。政権の本気度は、民間としっかり手を携えるかどうかを通じても試される。

社説がそれとなく(編注: ゴシックは圏点)論じているように、安倍政権のSDGsに対する立ち位置は、まったく以て「アベノミクス(三本の矢)」の失敗に起因している、と私は考えている。実に6年にもわたってなされてきた異次元の金融緩和策で貨幣量は2倍以上になり、国債を発行し続けても国債金利は上がらず、また政策金利をマイナスにしてみたが、成長率は1%に届くかどうかのところで止まっている。しかも財政規模を100兆円にまで膨らませてしまい、国の借金、すなわち、国民の借金は1000兆円を上回ってしまった。この状況は、物価を「2%アップ」させて「デフレを克服しよう」との、このマネタリズムのどう仕様もない経済財政政策によって、すなわち、例のマネーサプライという名の通貨供給量の増大によって生み出されたのである。しかも、インフレは起こらずじまいである。この「アベノミクス」――人によっては「アホノミクス」と称しているが――の経済‐財政‐金融政策は、要するに、通貨供給量を増やしていけば、消費者はまもなく物価が上昇するだろうと考えて、物価が上昇する前に品物を購入しようと動機づけられ、その結果、需要が増大し、したがって経済が拡大し、かくして景気が回復し、物価も上昇する、と論じたミルトン・フリードマンのマネタリズム論に基づいてなされたものなのである。

しかしながら、この「安倍のミクス(Abenomix)」――これからはそう呼称する――は、「物価を上げたければ貨幣供給量を増やせ、逆もまた真なり」のフリードマンの理論では上手くいかないので、フリードマンが最も嫌うケインズ派の「政府が需要を作り出す」――公共事業が典型であるが、海外から数多くの観光客を呼び寄せて、お金を落としてもらう「観光立国日本」政策を叫んでいたのも同じ手法である――方式を取り入れた。私から観れば、安倍のミクスは、一方でフリードマンの、他方でケインズ派の、相対立する理論を取り入れている「安倍の混合(ミクス)」、すなわち、「アベノミクス」=「Abenomix」=「安倍(アベ)の(ノ)ミクス」なのである。これでは上手くいくはずがないだろう。

私は朝日新聞のオピニオン&フォーラムの欄に目を通すことを楽しみにしている。その内容は多岐にわたるが、なかでも経済、社会、思想、理念、アイデンティティそして歴史などに関わる掲載については「賛成・反対」あるものの繰り返し目を通すことにしている。本「理事長のページ」の内容の結論として、私は、2018年3月2日付朝刊の佐伯啓思氏(京都大学名誉教授)の「異論のススメ 日銀の超金融緩和:成長の『その次』の価値観」に大いに賛意を示した。そこでその一部をここに書き写して、私の「まとめ」としたい。

戦後の先進国の経済成長率は、明らかに傾向的な低下を示してきた。とりわけ日本の場合、1960年代の10%ほどの高度成長から、2000年代以降のほとんどゼロに近い水準まで傾向的に低下している。しかも今日の人口減少を考慮すれば、多少の変動はあっても、この成長率が大きく跳ね上がるとは思えない。

しかし、そのことは決して悲観することではない、と私は思う。年率10%も成長した60年代とは、明らかに社会の構造も消費者の欲求も違う。新しい家電製品や新車が市場へ出回ると同時に、人々がそれに飛びついた時代とは違っている。今日、モノは溢れている。われわれは物質的に豊かになり、経済は成熟した。

ただ、それが社会の成熟であり、われわれの生活が真の意味で快適になったのか、というとそうではない。今日、われわれは、市場や金銭の尺度で測れないものを求めている。GDPでは測定できないものを求めている。それは、生活の質の向上、長期に安定した仕事の場、文化的な生活、教育、医療、介護、それに人びとの間の信頼できる関係であり、それを可能とする社交の場である。多様な地域の維持も含まれるだろう。家族や友人と過ごす時間や場所も求められる。もう少し大きな次元でいえば、長期的な防災を含む国土計画である。

これらは、基本的に、公共的なものであり、社会的なものである。ロボットやAIもドローンも、本来は教育や医療や介護や、地域の活性化などといった公共的な場所で大きな効果を期待されるものであろう。

アベノミクスの第一の矢は、オカネを刷れば、将来のインフレ期待が生まれ、消費が増え、それが企業の投資を刺激し、経済成長につながる、という想定に立っていた。しかし、これほどモノが豊かになった社会では、金融緩和によって消費を喚起するのは難しい。人々が求めているのは、公共的で社会的な次元での豊かさである。それは容易にGDPの成長に反映されるものではない。ということは、ひとつの価値としての経済成長主義はもはや限界だということである。「その次」の価値観が求められているのである。

(なかがわ ゆういちろう、理事長・明治大学名誉教授)

 

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