「沖縄『復帰五〇年の記憶』」と「沖縄季評」に触れて
「理事長のページ」 研究所ニュース No.80掲載分
中川雄一郎
発行日2022年11月30日
はじめに
私は、本研究所ニュース【理事長のページ】No.78(2022.5.31)で「沖縄『復帰50年』の現状」と題した拙文を、また次のNo.79(2022.8.31)では「再び沖縄『復帰50年』に触れて」と題した拙文を綴(つづ)った。No.78は、私が勝手に名付けた「現代沖縄歴史資料」(朝日新聞朝刊2022年5月14日付のタイトルは「沖縄 基地なお集中 あす日本復帰50年」)と、その「現代沖縄歴史資料」と連関する「沖縄の実体」を訴えかつ批判している「『安全保障』下の日常:空も水もほど遠い平穏」と題する山本章子氏(琉球大学准教授)の「沖縄季評」(朝日新聞朝刊 2022年2月3日付)とを引用し、そして更に作家であり詩人でもある池澤夏樹氏の巻頭言「復帰/返還五十年 減らない基地と沖縄の憂鬱」(AERA '22.5.16)が「だから、沖縄は憂鬱なのだ」と「復帰50年の現状」を締め括ったその意味を私なりに真摯に捉えたものである。池澤氏はこう締め括った:「どう見ても無理筋の辺野古埋め立ては強引に進める。コップ一杯のマヨネーズに箸が立つか否かやってみればいい。官僚の誰にも『止めよう』という勇気がない。次に申し送って逃げる。だから、沖縄は憂鬱なのだ」、と。
私は、池澤氏の最後の言葉「だから、沖縄は憂鬱なのだ」に気を入れるようになり、実は多かれ少なかれ、日本全体の状況も「だから、日本(編注: 原文では圏点)は憂鬱なのだ」に成りつつあるのでは、とも思うようになった。なぜそう思うようになったのか、それは「女性『九条の会』ニュース」に掲載されていた著作家・安里英子氏の「海を呑み、人を喰う政治に終わりを」と題する論説をもっと広げようと思ったからである(ここでは紙幅の都合で最後のパラグラフのみを書き写す)。〔なお、安里英子氏の論説は「女性『九条の会』ニュース」(第45号 2017.8.20)および本「研究所ニュース」(No.79. 2022.8.31)に掲載。〕
私は、基地闘争は全国の地域がそれぞれに現場だと思っている。日本の政治が変わらなければ、基地はなくならない。東アジアの状況は大きく変わろうとしている。日本で変革の波が起こらなければ、日本は世界に取り残されてしまうだろう。人を喰って(犠牲にして)生き延びる政治は終わりにしなければならない。憲法で保障された「平和的生存権」は誰もが享受されなければならない。
そして私自身は、AERA('22.5.16)に戻って、「進む沖縄の軍事要塞化」を主テーマとする「復帰50年の報道」について論及した山田健太氏(専修大学教授)の「本土メディアはどこまで我がこととして問いえているか」と、照屋年之氏(ガレッジセール・ゴリ)の「復帰っ子と呼ばれて」とを読み込み、次のように整理してみた。
I. 山田氏は「本土メディアの『復帰50年の報道』」のあり様についてこう述べている:復帰50年に合わせ、新聞・テレビのみならずSNSも含め多くのメディアで一気に琉球・沖縄関連の情報が増えている。それらの共通する節目報道の視点は、過去を振り返るとともに現在を検証するスタイルである。しかし本土メディアの場合、その対象が米軍や日米関係に向かいがちとなる。と言うのは、「辺野古新基地建設の問題にせよ、住民を苦しめ続ける有機フッ素化合物による水汚染問題も」米軍基地があるからこそ生起する問題であり、またそれを許す「憲法よりも上位にある日米地位協定」が存在するが故の問題なのである。
もう一つは、「自衛隊の南西シフト」によって進んでいく「戦前のような列島全体の軍事要塞化」である、と山田氏は強調する。米軍基地が四半世紀にわたる「米軍施政下の間に進んだ沖縄集中の歪みの結果である」ことからすれば、「自衛隊の軍事要塞化の根っ子」にも同じ問題が存在すると考えるべきである。換言すれば、「国土防衛のために沖縄に犠牲を強いる構図そのものが、沖縄が日本に『復帰』したがための宿命なのかを本土メディアがどこまで我がこととして問いえているだろうか」(編注:ゴシックは中川)、と言うことになるだろう。この「微妙で決定的な違い」こそが「沖縄の問題を『東京からみた政治』ではなく、『そこに住んでいる県民』の視線で見る」ことを忽せにさせないことに繋がっていくのだと私も思う。
だがまた、山田氏が指摘しているように、「大きく報道が増え、沖縄への関心が全国的に高まるのに比例して沖縄(県民)を蔑視する情報が増え、それは『沖縄神話』をはじめとするネット言説にとどまらず、政治の世界にも、そして既存の大手メディアにも広く流布される状況が生まれている」とのことである。そこで山田氏はこう結んだ:「こうしたせめぎ合いとともに、県内でも復帰後世代が過半数を占めるなかで、沖縄問題を日本の問題として捉え、解決していくことができるかが、地元はもちろん、それ以上に本土メディアは問われている」のである、と。
山田氏のこの指摘は、日本社会にとって極めて重要な指摘であると言わなければならない。なぜなら、「沖縄復帰50年の現状」は、本土メディアは言うまでもなく、日本社会が沖縄を決して孤立させない議論を進化させることの意義を明らかにしているからである。言い換えれば、彼は「沖縄の問題は日本社会の問題であり、したがって、私たち一人ひとりの問題でもある」ことを私たち市民が認識することを求めているのである。
II. そのような視点からすると、「復帰っ子と呼ばれて」を同AERAに認めた、1972年生まれの映画監督でもある照屋年之氏の「言葉を聴く」のも私たちには大いに有効であった。ここでは照屋氏の発言の一部を引用させていただく。
子どもの頃から「復帰っ子」と呼ばれて育ちました。この年齢になると、特別な意味を感じ、少しでも沖縄の役に立てれば、と考えるようになりました。(中略)
両親は沖縄戦体験者です。母親は激戦地の糸満市出身で6~7歳のとき、祖母に手を引かれ、戦場を逃げ惑ったそうです。食べ物も飲み水もなく、ふらふらの状態で遺体を遺体とも思わなくなった、と言っていました。
父親がポロッと、「いずれ沖縄戦を撮ってもらいたい」と僕に言ったことがあります。もしやるなら、腹を据えていろいろな角度からの見方を投影しないといけない。本土の捨て石にされた沖縄の悲しみもあれば、その沖縄に出征しなければならなかった兵士の悲哀もあるはずです。全員が怯えながら同じ場所で狂ったような殺し合いを始めるわけですから。戦争さえ始めなければ誰も加害者にも被害者にもならなかったのに、と思います。
4月28日に初めての小説『海ヤカラ』(ポプラ社)を出しました。米軍統治下の沖縄で10歳の少年が主人公です。復帰前の沖縄は、米軍関係者の車が沖縄の女性をひき殺しても裁判で無罪になる時代です。理不尽な状況を経て、復帰があったことを伝えたいと思いました。
復帰50年をどう思うか? 沖縄の人たちの中にはお祝い気分にはなれず、「復帰50周年」と言わない方もいます。全国の米軍基地の70%が沖縄に集中し、米軍関係者による事故や事件もいまだに起きています。沖縄県だけでなく、本土の皆さんも一緒に沖縄の日本復帰とは何か、を考えてもらえるとうれしいです。
照屋氏のこの話は「確りした筋」を通していると私に思える。その意味で、沖縄における「戦争史・戦後社会史」を表現してくれることを期待したい。とりわけ「本土の捨て石にされた沖縄の悲しみ」は、実は、現在もなくなっていないだろうと私は思っている。
ところで私は、つい最近、「ひろゆき」と名乗る人物を知らされた。彼は沖縄に出かけ、名護市辺野古の米軍新基地建設に反対している住民による「3011日目の『抗議の座り込み』」の見学に行ってみたが、見学時に座り込みの人たちの姿を見なかったことから、10月3日に「0日にした方がよくない」とツイートし、30万人が「いいね」と賛同したとのことである。彼はまた「もともと普天間の基地があった。周りに住宅を作っちゃった」との「典型的な虚報(フェイク)」を発信し、「理性なき過ち」を冒していると言われている。これはロックの「第三節『推論』」で論じられている「第一の過ち」、「第二の過ち」、そして「第三の過ち」に関わる論点でもあるように思えるので、私としては別の機会に「ジョン・ロック研究」の視点も取り入れて、日本の政治的、経済的、そして社会的な安定に向けての沖縄の基地反対運動を学ぶことが可能であるか、暫し思考してみようと思っている。
III. 最後に私は、「沖縄季評」欄に掲載された山本章子氏(琉球大学准教授)の「安全保障や基地問題、学ぶとき―権力目線の報道こそ怖さ」(2022.11.3)について簡潔に述べることにする。と言うのは、山本氏が知らせてくれる沖縄季評は私にとって「重要な沖縄情報」の一つだからである。それにしても、今回の沖縄季評の情報には大変驚いている。何よりも私は次の文章に驚かされた:「沖縄県知事選中、大阪の市議が『沖縄を中国の属国にしたいデニー候補。ウィグル・モンゴル・チベットのように日本民族も強制収容所に入れられ民族浄化(虐殺)されます』とツイートした。似た投稿が他にも大量にSNS上で出回った」、とのことである。「開いた口が塞がらない」とはこのことである。「市民生活に不可欠な諸権利」を支える選挙に「あり得ないデマ」を拡散させることは、「市民の権利の尊さ」を知る者にはこのような「偏見」は決してあってはならないことなのである。
ところで、この「偏見」についてであるが――かつて丸山眞男氏が「(思想と現実の双方において)17世紀に身を置きながら18世紀を支配した天才」と称した――哲学者ジョン・ロックが次のように述べている1)。
誰でも、他人や他の党派を誤りに導く偏見については進んで不平を言い、あたかも自分は偏見から自由であり、自分には何の偏見もないかのようにふるまうものです。偏見はあらゆる方向から攻撃されていますから、偏見が欠点であり知識の障害であるという点では、人びとの意見は一致しています。それでは、どのような治療法があるのでしょうか。誰もが、他人の偏見と関わることなく自分自身の偏見を検討する、という以外に方法はありません。他人から非難されて、自分は確かに偏見をもっていると納得するような人はいません。本人は同じやり方で非難を返して動じないでしょう。無知と誤謬の大きな原因である偏見を世界から放逐する唯一の方法は、すべての人が公平無私の立場から自分自身を検討することです。
沖縄李評に戻ると、「デマを信じる沖縄の若者も少なくない」とのことであり、その要因の一つが「何も知らない状態で沖縄の基地問題に関心を持つと、彼らはまずネットで情報を調べるからだ」とのことが指摘され、さらに「沖縄の小中高は沖縄戦の平和学習に力を入れてきたが、戦後の沖縄の歴史は授業でほとんど扱わないため、基地問題の知識のない生徒が大半だ」とのことである。これらのことについて私たちが思考すべき論点をジョン・ロックが教えてくれるかもしれないと思いつつ探(さが)していたら、次のような言葉に出会った2)。
偽なる立場や疑わしい立場を疑問の余地なき公準(証明抜きで真であるとする命題)と見なし、それに依拠するようであれば、人は暗闇の中に留まったままです。教育、党派、畏敬の念、流行、利害などによって吹き込まれた偏見は、通常そのような働きをします。これこそ、誰もが自分の兄弟の目にある塵を見ながら、自分自身の目にある梁には決して気づかない(『新約聖書』マタイ福音書、七章、三節)と言うことです。自分自身の原理を公正に検討し、その原理が審問に耐えられるものかどうかを見極める仕事を引き受ける人など、一体どれだけいるのかと言いたくなるかもしれません。しかし、真理と知識の探求にあって知性を正しく導こうとする人たちにとっては、これは最初に取りかかるべき、また細心の注意をもって果たすべき務めの一つなのです。
私は、この指摘はロックの「自由の基盤としての改革」の第一歩ではないかと思うようになってきた。と言うのは、ロックは、「貧民」の「労働への貢献」を認識することによって、貧民=労働者もまた「自らの取り組むべき責任を遂行するのだ」とのことを理解していったと考えるようになったからである。その意味で、この指摘を現在の私たちが「市民の平等概念」として捉えることは十分あり得ることだと思っている。
1)ジョン・ロック〈下川 潔 訳〉『知性の正しい導き方』ちくま学芸文庫、57頁。
2)同上、58頁。