総研いのちとくらし
ニュース | 調査・研究情報 | 出版情報 | 会員募集・会員専用ページ | サイトについて

『新しいアジアの予感 琉球から世界へ』を読み進めるために

「理事長のページ」 研究所ニュース No.82掲載分

中川雄一郎

発行日2023年05月25日


私は、本「研究所ニュース No.78」(2022.5.31)の「理事長のページ」に、「沖縄の人びとは、50年もの間、沖縄が基地のない平和な島であってほしいと訴え続けてきた」と書いておいた。しかしながら、「沖縄復帰50年」の現状は、「国土面積0.6%の沖縄に基地全体の約7割を集中させており」、したがってまた「そのように過密な基地にあっては、騒音や環境汚染のみならず、米軍関係者による事件・事故が留まる所を知らない」かのような状況を見せているのである。そこで私は「研究所ニュース No.79」(22.8.31)の「理事長のページ」において「再び沖縄『復帰50年』に触れて」と題したスペースを作り、そこに山本章子氏の「『安全保障』下の日常:空も水もほど遠い平穏」を引用することで、沖縄の「三つの不自由」に言及した短文を置き、そしてさらに「研究所ニュース No.80」(22.11.30)の「理事長のページ」に「沖縄『復帰五〇年の記憶』と『沖縄季評』に触れて」と題する「沖縄の現実とその実態」を捉えるよう思考した。こうした手数をかけることによって私は幸運にも「耕論:平和教育のあり方」(朝日新聞 2023.5.11)に出会ったのである。とは言え、私自身は「教育学・教育論」については全くの素人であり、「況(いわん)や『平和教育のあり方』をや」(編注:ゴシックは圏点)であることを断わっておく。
そこで私は、ここでは「平和教育のあり方」について二人の論者〔狩俣(かりまた)日姫(につき)さん・澤野由紀子さん〕の主張・見解を追ってみることにした。要するに、ここでの私の狙(ねら)いは「平和教育を理解する」ことであると言ってよい。というのは、「平和教育」はしばしば「具体的な概念に基づいた『より人間的な民意(市民の意識)』を基礎とする」、と私は思っているからである。その意味でまた、この「民意」は「市民の自立と尊厳」を基盤とすることを示唆している、と私は考えている。

〈1〉狩俣さんの「平和教育のあり方」は、彼女がその経験から学んだように、『聞くだけが学習ではない』ということである。この「聞くだけが学習ではない」との言葉は、彼女が留学経験から得た「成果」の一つであり、また「沖縄は基地がないと経済が成り立たないのでは?」との日本人留学生の「問題意識」に狩俣さんが答えられなかったと自戒したことも一つの「成果」であると言ってよいと思う。この問題提起について、狩俣さんは後にこう答えているからである:「沖縄に帰り、本土の修学旅行生を案内する大学生の活動に参加し、戦争体験者の話を一方的に聞くだけではない、新しい平和学習に出会いました」。

また狩俣さんは、この「新しい平和学習」(「平和教育」)は「平和を創(つく)るには何が必要か」、あるいは逆に「戦争はどのようにして起こるのか」を想像する「議論の場」を用意することを強調している。私もまた、この「新しい平和学習」に基礎を置く若者たちの「想像と議論」が私たち市民に理性的な視点をもたらすだろうと観ている。と言うのは、狩俣さんが述べているように、市民(であること)は「個人同士の連帯」と「社会の構成員同士としての連帯」とを区別していく一連の教育的過程を経験するようになるからである。私たちはこのプロセスを「シティズンシップと民主主義との密接な関係の認識」と称している。実際のところ、シティズンシップは民主主義の前提条件と見なされるのである。なぜなら、民主主義には平等な「参加する権利」という理念が必ず伴うからである。これを要するに、現代の社会状況の脈絡からすれば、「安定した社会的統治(ガバナンス)のためには民主主義がますます重要になってくる」ということである。

〈2〉私は次いで、澤野由紀子さんが主張する「平和教育のあり方の中心軸」は「民主主義と多様性」であること、また現代欧州(ヨーロッパ)における「平和教育」についてシティズンシップ(市民性)意識を基礎にしていることを認識した。ただし、このシティズンシップは、「ある国の国民であると同時に欧州全体の市民でもある」とする横断的なシティズンシップ意識の下で「平和な欧州を創る方法を共に考える教育」を意味している。

周知のように、EU(欧州連合)では「子どもから成人まで、国を超えて交流し学び合うプログラム」がある。例えば「青少年が高齢者に戦争の記憶をインタビューして制作した映像を見せ合い、互いの国の戦跡(せんせき)を訪ねたりする」等々である。このような行為・行動は「多様な視点から、戦争が起きた要因を調べ、『どうしたら戦争が起きずに済んだか』を考えさせます」。要するに「事実を教えるだけでなく、自ら事柄の真意を調べる行動を大事にする」のである。また平和教育では博物館や記念館、それに美術館が果たす役割も大きいと言われており、参考にすべきであろう。

ところで、EUでは基本的に「生活と労働」において民主主義を重視する。なぜなら、「生活と労働における民主主義」は「平和の基礎を支えている」と、市民が認識しているからである。それ故、例えば「スウェーデンやフィンランドでは、独裁や専制を許容しない「民主主義や多様性の教育」を幼児期から重視している。それは「自分の意見を持ち、対立したら話し合いで解決する」ことを教えるためである、とのことである。

私は、「私自身の民主主義思考」について言えば、上記の狩俣さんの思考とも、また澤野さんの思考とも相似していると思った。と言うのは、私は「大多数の人たちが共に生活できるよう差異を認識し、民主主義の諸制度をそのための政策設定にまで辿り着く唯一可能な方法として擁護する」からである。イギリスのキース・フォークス教授はそのことをこう表現している:「民主主義は普遍的な真理を達成しようとするのではない。民主主義は多様な市民同士の間の関係を築いていこうと努力することなのである」。私は、この意味で、「権利と責任」の特質も民主主義に基づいて取り決められなければならないと考えている。

私はまた、その意味で、澤野さんの次の主張に賛意を示すものである。少し長くなるが、最後に澤野さんの主張・提案を記しておく。

私は、戦争を放棄するという日本のスタンスは変えるべきではないと思います。そのためにも、現在、世界で起きている戦争についても具体的に学ぶ必要があります。今の日本の学校では、戦争や平和を学ぶ時間はありません。社会や国語だけでなく、総合的学習で行うESD(持続可能な開発のための教育)や、道徳の、子どもの権利や人権をテーマとした授業の中で平和教育ができるのではと思います。

Home | 研究所の紹介 | サイトマップ | 連絡先 | 関連リンク | ©総研いのちとくらし