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The Co-operative Journal(1)

「理事長のページ」 研究所ニュース No.87掲載分

中川雄一郎

発行日2024年08月31日


画像

I

今では目にすることも少なくなってしまったが、レディ・ノエル・バイロン特有の手紙はいつ読んでも興味を誘われる。記事や論説に引き合いに出されるそれらの手紙は、本ジャーナルの読者にとっても同様であろう。すなわち、それらの手紙が書かれた時期、書かれたその目的、そしてそれらが課題として検討され、取り組まれた社会生活(the society)は、いかなる状況にあったのかが思考されるのである。

私は先般、(ウェストヨーク州南西部の毛織物工業の町)ハッダーズフィールドで私の親友――彼自身は歴史的価値を有する地方特有の貴重性について研究している著述家――のW.R.クローフト氏(Mr. W.R. Croft)から数多くの手紙や記録を受け取った。それらの手紙や記録は、ハッダーズフィールドにおける協同組合の歴史を明らかにしてくれるだろうから、人びとにその好奇心を注(そそ)いでくれるだろうし、また現存する協同組合の組合員には「我が未知なるものの何であるか」を気付かせてくれるかもしれないだろう。加えてまた、それが『協同組合ニュース』(Co-operative News)の多くの読者をして「新奇な物事」のように思わせてくれるかもしれないのである。いずれにしても、実は、このような「文書(ドキュメント)」の中にあのレディ・ノエル・バイロンの「数多くの未発表の手紙」が収められているのである。レディ・バイロンは、彼女自身が人びとのために実行した「親切な行為」(kindness)について容易には語ろうとしなかったことから、この場では私たちの知る彼女の「手紙」や「生涯」については除外することにしようと私は考えている。そこでまず、議事録に認(したた)められている彼女の有用な行為・行動を通して読者にレディ・バイロンその人を紹介するために、私が〈ホリヨークに〉初期ハッダーズフィールド協会(the earlier Huddersfield Society)の面白いストーリィから話を進めてくれるよう依頼することにしました!

ところで、「協同取り引き組合」(the“Co-operative Trading Association”)との名称を付した「初期ハッダーズフィールズ協会」(the first“Huddersfield Society”)の規定(ルール)は、その協同組合が設立される6年後の1835年に、ハリファックスのグロウヴ・ストリート(Grove street)で活動していたJ.ニコルソンによって書かれ、公表されたものである。そのルールを考察すると、現代の協同組合店舗のルールよりも、当時の「協同店舗のルール」の方が「人間的でかつ活気に富んでおり、したがって生き生きとしていた」ことが分かる。またそのタイトルページには「モットー」(座右銘・格言)が掲(かか)げられていたのであるが、第1次ハッダーズフィールド協会のそのモットーは旧約聖書のイザヤ書から引用された言葉であった:「各人は、〔彼の隣人を助け〕、そして〔彼の兄弟に真の勇気を持て〕と伝えよ」、であった。

この協会は、1829年4月20日に形成されたとなっているが、事業の開始は実際には「1830年4月から」となっており、7名の会員によって構成された製造委員会が任命され、また次回総会後までは「組合員を250名に制限する」よう決定し、さらに「組合帳簿」は「組合員による閲覧のために1カ月に1度、委員会室にて開示される」と定められていた。

次いで委員会は、1829年11月にチャールズ・ウッド氏から£50(ポンド)借り受け、翌年3月に13名から成る全ての委員が「初期ハッダーズフィールド協会」で連帯して、あるいは個々別々に「ジェームズ・ホワイトスタッフに£60を支払い、さらに注文を契約して約束手形にサインした」とのことである。

また委員会は、1830年4月に組合への加入を認められた組合員の「性格」を気遣(きづか)って、「組合員となることを申し込んでいる人は、同一の通知書に従って第1週の水曜日夜間の委員会に出席すること」が提議されている。これは「委員会委員が多くの組合員志願者に出会う機会を与えられ、その組合員志願者が聡明(そうめい)な組合員に育っていくのに役立つ情報を与えられる機会を『委員会』に与える」ことを意味したとのことである。実際のところ、この時代の協同組織(協同組合)にあっては、委員会委員は「その半数の組合員に会ったことがなかった」とホリヨークも述べており、次のように締(し)め括(くく)っている:「委員会と組合員との間の人間的な意志疎通(communication)は、「同胞愛や人的提携(ていけい)」を強めるはずなのに」、と。要するに、この時代にあっては人びとの「同胞愛や人的提携」を強めていくのは必ずしも容易なことではなかったのである。
それでも、本協同組織には「同胞愛と人的提携」の意識はあったようである。ホリヨークはこう記している:本日は、本協会(協同組合)の初めの数年間の委員会委員の名前には些(いささ)か馴染(なじ)みのある名前が見られる。すなわち、John Earnshaw(アーンショウ), Charles Cockroft(コックロフト), William Schofield(スコーフィールド), Benjamin Gledhill(グリードヒル), James Waring(ウェアリング), Thomas Hurst(ハースト), Samuel Glending(グレンディング)の人たちの名前である。この協会の開始時期には、もっと後の時期まで多くの協会が取得できるジャーナリズムの価値ある意識が存在しているのである。そしてホリヨークは続けて次のように述べている:「この協同組織の開始時期には、他の多くの協同組織が後の時期まで手にすることのなかった『ジャーナリズムの価値』の持つ知的センス(sense)があったのである」、と。そして更に、1830年4月17日に次のことが決議されるのである:「ハッダーズフィールド協会は『ウィークリィ・フリー・プレス』と『協同組合ジャーナル』£10株を購入することに同意した」。

それでも、本協同組織には「同胞愛と人的提携」の意識はあったようである。ホリヨークはこう記している:本日は、本協会(協同組合)の初めの数年間の委員会委員の名前には些(いささ)か馴染(なじ)みのある名前が見られる。すなわち、John Earnshaw(アーンショウ), Charles Cockroft(コックロフト), William Schofield(スコーフィールド), Benjamin Gledhill(グリードヒル), James Waring(ウェアリング), Thomas Hurst(ハースト), Samuel Glending(グレンディング)の人たちの名前である。この協会の開始時期には、もっと後の時期まで多くの協会が取得できるジャーナリズムの価値ある意識が存在しているのである。そしてホリヨークは続けて次のように述べている:「この協同組織の開始時期には、他の多くの協同組織が後の時期まで手にすることのなかった『ジャーナリズムの価値』の持つ知的センス(sense)があったのである」、と。そして更に、1830年4月17日に次のことが決議されるのである:「ハッダーズフィールド協会は『ウィークリィ・フリー・プレス』と『協同組合ジャーナル』£10株を購入することに同意した」。

II

ここまで和訳した文章は、実は、本年10月25、26、27日に沖縄国際大学で開催されます第44回日本協同組合学会大会3日目の個別論題報告のためについ最近になって翻訳を開始したのであるが、実は、ホリヨークがThe CO-OPERATIVE NEWSを著したこの『レディ・ノエル・バイロン(バイロン夫人)の未発表の手紙』(January 2,1892 February 6, 1892)は、私が――1985~6年の間、家族を伴って―—イギリスのブラッドフォード大学平和研究学部(Department of Peace Studies,Bradford University)でイギリス協同組合史研究を継続するために、しばしば利用させてもらったあの有名な『ホリヨーク・ハウス』の協同組合図書館が私のために用意してくださったいくつかの貴重な資料のひとつである。図書館が私に丁寧に教えてくれたことを「背負いながら」何とか学会報告に間に合わせるよう頑張っていきますが、そのためにもこの研究発表を支える私の和訳はこれからが本望となるプロセスだと思っている。

ところで私は、3年前に本『研究所ニュース』(No.75 2021. 8.31)にイギリス産業革命後期における生産者協同組合をめぐる労働制度について――1891年に『イギリスにおける協同組合運動』を著(あら)わした――ベアトリス・ウエッブと対立し、論争したキリスト教社会主義者のJ.M.ラドローがTracts on Christian Socialismで主張した一部を記した。それをここに書き添えておくので、再度目を通していただければ幸いです。

今やわれわれの任務は、キリスト教社会主義の目的がいかなる機構によって成し遂げられるのかを明らかにすることである。すなわち、労働者はどのようにして競争制度の下での個人的労働の束縛から自らを解放することができるのか、あるいは少なくとも現在どの程度まで労働者は誠実な同胞関係(fellowship)によってその弊害を軽減できるのか、ということなのである。この機構を他の人たちに提示する際にわれわれは、社会を車輪やスピリングの単なる集合と見なし、生きた人間の協力関係(partnership)と見なさず、また社会に活気を与える形式のみを考慮して、その精神を考量しない社会機構の盲目的崇拝に異議を唱えなければならないのである。

ラドローのこの主張は現代でも依然として「生きている」、と私には思える。ラドローのこの言葉は、私にはアマルティア・セン教授の「協同のアプローチ」を思い起こさせてくれるようにも思える。紙幅の都合でここではその本の一部を書き添わせていただこう。

協同のアプローチは「人間的な経済と社会にとっての中心的戦略」であり、人びとの自治と自発的参加に基づいて、人びとの市民権(労働の権利、生存権、教育を受ける権利等々)と政治的自由を実現していくための社会構成的な機能と役割を意味する。そして協同組合もまた民衆のために市場メカニズムを長期的かつ有効に機能させようとするのであれば、民衆にとっての社会的平等と社会的公正を創り出していく「グローバルな倫理」の基礎を拡げていくよう努力しなければならない。何故なら、グローバルな倫理はグローバルな経済的、社会的な関係の規範をより強固にし、より豊かなものにしていくからである。その意味で、協同組合にとって「参加の役割」は、これまで協同組合が実践してきた伝統的な役割を超え出たものでなければならない。それ故、協同のアプローチは、これまで協同組合が担ってきた経済的、社会的な機能よりも遥(はる)かに広いパースペクティヴ(展望)の基で捉えられなければならいのである。

((2)に続く)

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