日本学術会議の独立と自主は学術発展の礎である
―理念なき法人化は終わりの始まり=譲れぬ自主・独立性―
「理事長のページ」 研究所ニュース No.89掲載分
中川雄一郎
発行日2025年02月28日
先ずは、私が示した2つの表題を説明することから始めよう。上記の表題は、2022年度出版『ロバアト・オウエン協会年報47』の巻頭言として私が付けた主タイトルであって、菅 義偉首相(当時)によって引き起こされた「日本学術会議会員6名の任命拒否」問題や、またそれ以前に安倍前首相が引き起こした「桜を見る会」問題など政治的かつ社会的な問題にも言及している。別けても菅首相による「学術会議会員6名の任命拒否」は、私たち市民の「生活と労働における民主主義を蝕(むしば)む結節点」である、と私は今でもそう捉えている。
私は、この「理由なき任命拒否問題」が起こった時から、次期首相(岸田文雄)は「推薦された学術会議会員6名」を「任命すべきである」と主張してきた。何故なら、菅前首相による「6名の任命拒否」問題は全く以て「民主主義に反している」からである。
私たち市民にとって民主主義は「市民一人ひとりが多様な市民同士の間の関係をより良いものに築いていこうと努力する」ことを意味するのであり、したがってまたその意味で「安定した社会的統治(とうち)をより確かなものにしていく民主主義がますます重要になる」と理解してきたし、今でもそう理解している。このように社会的意識は本来、菅元首相や岸田前首相、それに石破 茂現首相にとっても、そして私たちすべての市民にとっても平易にしてかつ簡潔に理解でき得る社会的意識なのである。イギリスの政治学者キース・フォークス教授は、その「民主主義」について極めて説得力のある視座を示してくれている;すなわち、
社会において組み立てられた「真理の本質」は、必ずや「市民の権利」を求める。このことが論理的に市民に含意されていることは、大多数の人たちが共に生活できるよう差異を認識し、かつ民主主義の諸制度をそのための政策決定にまで辿り着く唯一可能な方法として擁護するのだということである。何故なら、民主主義は多様な市民同士の間の関係を築いていこうと人びとが努力することに他ならないからである。
フォークス教授のこの明白な民主主義論に基づけば、菅 義偉首相(当時)の政治的対応は民主主義の観点からまったく外れているのである。何故ならば、彼はより安定した日本の社会を組み立てるために市民同士の間のより良い関係を築いていこうと努力するのではなく、逆にそのような関係を破壊し、崩壊させてしまう方向に導こうとしていたからである。それは「民主主義」ではなく「反民主主義」なのである。その意味で私たちは、この問題について目を逸らしてはならないのである。
私が示した上記の表題は、周知のように、菅元首相によって「理由なき任命拒否」として、別言すれば「任命拒否の理由を明示することができなかった」にも拘らず、民主主義に反してまで"無言劇的"に実行された「学術会議会員6名の任命拒否問題」は、政府・自民党にとって余ほど重要な「鉄砲玉」であったのだろう。だが、その鉄砲玉も「学術的理念に触れることすらできない法人化を意図している」とのことであるし、「学術会議が一番願っている自主性・独立性についても聞き入れない」ようである。その代わり「大臣任命の『幹事』『評価委員会』を新設し、法人化後の新しい会員はこれまでとは違う特別なやり方で選出する」とのことなので、「学術会議をがんじがらめにして国のコントロール下に置きたい」との意図を感じさせようとするのであれば、それは「外部者と大臣が学術会議に関与する仕組みを作る」ために他ならない。
「そもそもなぜ法人化をしなければならないのか。『国の機関のままの改革では限界がある』とのことですが、論理として非常に弱く、結果ありきという気がします。特に変えるべき強い理由もない組織をあえて大きく変えるというのであれば、学術会議をより良くするという理念に基づき行われなければなりません。ところが学術会議側が示した懸念について真摯に耳を傾けた形成はない。議論も尽くしたともいえない」のだ。「このような『理念なき法人化』が本当に行われたなら、日本の学術の『終わりの始まり』になる。心配です」。
「日本学術会議法の前文に『科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献』とあります。学術会議会員は、わずかな出張旅費と最低限の日当が支給されるだけです。それでも、この前文の理念に沿って、人類社会の福祉に貢献したいという使命感から活動しています。お金や地位の為ではない、大事な営みです」。
「質問」:人類社会の福祉より目先の国益。そんな風潮が強まっています。
「解答」: その点では、やはり日本は間違った方向に進んでしまっているのではないかと思っています。科学の分野でも、国益に役立ちそうなプロジェクトには大きなお金がついているのに対し、基礎的な研究は予算的にかなり厳しい状況が続いている。科学の分野でも、国益に役立ちそうなプロジェクトには大きなお金がついているのに対し、基礎的な研究は予算的にかなり厳しい状況が続いている。科学技術指標における『注目度の高い論文数』の国別順位では、日本は昨年13位とG7で最下位。この衰退ぶりを見ても、何か失敗したことが明確にわかるはずです。学術会議でも意見や警告を発してきましたが、残念ながら聞いてもらえている雰囲気は、ないですね」。「国を動かす人たちに、科学というものがよく理解されていないかもしれません。それぞれの研究が、どんなところでどういうふうに役に立つか、最初から見通しがつくわけではない。だからある程度寛容に科学者の知的好奇心が自由に羽ばたくようサポートする態度が必要なのですが、そういう面が弱すぎる感じがします」。
最後に学術会議について何を言い続けますか:「ナショナルアカデミーとして学者の総意を社会や国、国際社会に発信できる組織であること。そのために学術会議が掲げ続けている(1) 学術的に国を代表する機関としての地位(2)そのための公的資格の付与 (3)国家財政支出による安定した財政基盤(4)活動面での政府からの独立(5)会員選考における自主性・独自性――の5要件をすべて満たすこと。ここは絶対に譲(ゆず)れません。
「われわれ科学者は原則を言い続けることが必要です。6人を任命拒否して学術会議の独立性を脅かし、その理由も開示しないまま、『独立性を高めるための法人化だ』などと言う政府を前に原則を捨てたら、科学者の名折れです」。
(注)朝日新聞(理念なき法人格は終わりのはじまり・ 譲れぬ自主独立理念性・任命拒否も説明を・「原則」言い続ける・希望は捨てずに)〈2025年2月11日(火)〉を読み、その一部を書き取り・書き添えました。また、本文における上記2つの主題のうちの前者は「ロバアト・オウエン協会年報〈47〉【巻頭言】2022年の表題を、また後者は本「オピニオン・インタビュー」の表題を書き添えしたものです。
学術会議の法人化法案に反対する
平和と人権を希求するオール明治の会
いま日本学術会議が潰されかけている。政府が今国会(第217通常国会)に日本学術会議を「特殊法人」化する法律を提出しようとしているからである。それは、政府から独立して専門的・科学的な助言をする国の公的機関である学術会議を政府から切り離すことで、政府による介入と統制が可能となるように改変することを意味している。
振り返ってみれば、今回の学術会議潰しは、2020年に菅 義偉首相(当時)が学術会議推薦の6名の会員候補者の任命を拒否したことから始まった。拒否の理由を示さないまま、2022年12月には、あろうことか、学術会議の独立性そのものを脅かす法改正を目論んだ。だが、これは学術会議側が総会で法改正を「一旦思い留まる」よう強い勧告を出し、政府の思惑通りにはならなかった。
そこで2023年8月、今度は「学術会議のあり方に関する有識者懇談会」を設置し、23年12月にその「中間報告」を、24年12月に「最終報告」が発表された。それは、学術会議を国の機関から外して法人化し、「助言委員会」「評価委員会」「監事」を設置して、外部者と大臣が関与できる仕組みを作るというものであった。いま準備されている法案は、政府による会員候補6人の任命拒否という「違法行為」を放置し、逆に学術会議のあり方に論点をすり替えて、政府の介入と支配を合法化するものと言える。盗っ人猛々しいと言わなければならないだろう。
日本学術会議は、学問と研究が権力に利用されてきた戦前の深い反省の上に立って、「我が国の平和復興、人類社会の福祉に貢献し、政界の学会と提携して学術の進歩に寄与する」ために独立して科学的助言を行う国の機関である(学術会議法)。1949年に結成されて以来、この性格はずっと維持されてきた。
私たち「平和と人権を希求するオール明治の会」は、政府のこうした動きに警戒心をもって活動してきた。2017年1月に明治大学が主要全国紙に「軍事研究を目的とする研究・連携活動の禁止」の全面広告を掲載した直後には全面賛同し、その普及に努めた。また菅首相による「6人の任命拒否」に対して抗議声明を発し(2020年10月12日)、さらに同年11月25日には「緊急トーク がんばれ! 学術会議」と題して現職の明大教員4人による緊急集会を開いた。
今般の学術会議の法人化は、学術会議の合意を得ないまま進められ、まさに学問と研究の自由を否定するものに他ならない。「平和と人権を希求するオール明治の会」は、明治大学の建学精神「権利自由・独立自治」の使命を深く自覚し、学術会議の変質を目論む法人化法案の国会上程に強く反対する。
2025年2月4日