『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター』2005年3号(転載)
二木立
発行日2005年01月07日
( 出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、無断引用は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見等をいただければ幸いです)
今回お送りするのは、少し古いですが、The Economicst誌2004年8月21日号)のChina's growing pains - Special reports on pollution and health care「中国の増大する痛み-大気汚染と医療に関する特別レポート」中のChina's health care「中国の医療」(20-22頁)の抄訳です。
この特別レポートでは、中国のめざましい経済成長の影の部分として、大気汚染と崩壊しつつある国営医療制度の2つがあげられています。このレポートは学術論文ではありませんが、社会主義市場経済下の中国医療の最新の動向と問題点がリアルに活写されています。特に、自由主義(リベラリズム)の立場に立つ「エコノミスト」誌が、このレポートの最後で、「中国は市場メカニズムだけでは良質な医療を提供できないことを発見しつつある」と書いていることには、考えさせられます。
私の勤務先の21世紀COEプログラムでは、中国の医療の研究も行っており、しかも私の大学院演習(医療福祉計画論演習)には中国・韓国からの留学生が多数参加しているため、このレポートを1度、その演習で勉強しました。以下の抄訳は、山本美智代さん(本学大学院社会福祉学研究科博士後期課程)が抄訳したレポートに、私が添削を加えたものです。
なお、このレポートは、本学内外の中国人研究者・院生にも紹介して意見を求めましたが、ほとんどすべての方が、ここに書かれていることは事実・妥当と認めていました。
「中国の医療-患者はどこに?」抄訳(The Economicst Aug 21st,2004,pp20-22)
リード:中国が資本主義へと激変する中、医療制度と環境問題が置き去りにされている。以下では医療制度について考察する。
両親がむくみに気づいたのは、ロンロンの生後間もなくのことだった。両親は村の診療所(village clinic)と田舎の診療所(rural clinic)に連れて行った。両診療所とも、子供が深刻な栄養失調であることを発見できなかった。れんが工場で働く父親の収入の2ヶ月半分に相当する料金を請求したのだけれども。おそらくこの遅れが、ロンロンの命取りになった。両親が都会の病院(city hospital)に連れて行ったとき、そこでは適切な診断がなされたのだが、ロンロンは危険な状態にあった。数日後にはさらに給料の3ヶ月分の請求が来て、ロンロンは死亡した。
【以下、各パラグラフ冒頭の1文とそれ以外の重要な記載を訳出】
- その赤ちゃんはAnhui省の村出身であった。中国では、過去数ヶ月間に劣悪な粉ミルクを飲み、深刻な栄養失調になる赤ちゃんが少なくとも200人発生し、一部は死亡しているが、そのうちの1人であった。
- 4月にスキャンダルが明らかになった後、政府は上述したような子どもは無料で治療が受けられると発表した。
- ロンロンの両親は、他の遺族と同様に、自治体から賠償金を受け取った。12,000元(1,450ドル)は、ロンロンの父親の2年分の収入に相当した。
- しかし悲劇はロンロンの母親に襲いかかった。今では母親自身が、治療が必要な状態である。
- 批判は、いたるところにある偽のまたは劣悪な製品の販売に集中した。しかし大きな問題は、医療制度そのものにある。
- 毛沢東はひどい失敗もあったが、医療を供給する点においてはよかっただろう。彼の時代には国民の9割は、有名な“裸足の医者”が経営する診療所へ受診することができた。しかし過去20年間の中国の絶え間ない資本主義への移行の中で、医療制度は崩壊した。農村部では人口の90%が無保険者である。都市部でも約60%が無保険者である。
- WHOが4年前に191ヶ国の公的医療制度をランク付けしたとき、中国は144位であり、いくつかのアフリカの貧しい国々よりも低かった。インドは国民1人あたりGDPが中国の半分であるが、112位にランクされた。評価基準には、医療へのアクセスの公正性、負担金の公正性が含まれていた。
Better to live on the coast-沿海部に住むことがベター
- 平均寿命、乳児死亡率、死産率で評価すると、中国の数値はかなり良いようにみえる。
- しかし大きな地域差がある。上海近辺のようなより豊かな地域では、健康指標は多くの欧米諸国並みに良い。
- 最初の30年間の共産主義の強力な推進以降、健康指標は過去25年ほとんど変化していない。過去20年間における1年あたりのGDPの平均成長率が9.7%という驚異的な経済成長にもかかわらず。
- 世界銀行によると、中国では過去20年で4億人が深刻な貧困から脱した。しかし何百万人もの人々が、貧困状態に逆戻りした。他の何百万人の人々は、医療を受ける経済的余裕がなく死亡した。3年前の政府の調査では、農村部に住む60%の人々が、費用が理由で病院を受診しないことが明らかになった。
- 状況はさらに悪くなるかもしれない。ここ数年のうちに、高額な医療費を家族や友人から借りて工面するという中国のやり方は、人口に占める高齢者の割合が急増するにつれてより困難になるだろう。国連は2040年には、中国では60歳以上の高齢者1人を労働者2人が支えることになると予測している。2000年は6.4人である。先進国においては高齢化が一般的であるが、戦略・国際研究センターは最近のレポートで、中国は国が豊かになる前に高齢化が進む最初の主要国になると述べている。
Too nervous to spend-消費するには不安が大きい
- 医療制度の崩壊に関する国民の不安は、中国の高い貯蓄率に表れている。中国の国有銀行は危険な状態であるにもかかわらず、近年個人預金が急速に増加している。医療費や教育費の急激な上昇についての心配-私保険の不足や他の低リスクの投資機会の欠如がそれらを相殺しているかもしれない-が消費者需要を抑制しており、それが中国の長期的な経済成長を危うくしている。
- このことは医療制度改革が、中国の開発戦略にとって決定的であることを意味する。
- 昨年のSARSの発生は政府の関心を集めただけでなく、伝染病の管理について断片的な記録しかもっていない国からの潜在的な健康への脅威という点で世界の注目を浴びた。
- 危機に直面し、政府もこのことに気づき、国民に対しSARSの治療費は払う必要がないといって安心させた。
- SARSの発生により、医療制度がいかに脆弱で危険になっているかが証明された。政府関係者は突然、HIVのような放置されてきた健康問題に関心を向け始めた。
- 胡錦涛国家主席と温家宝首相にとって、医療制度を改善することは、共産党に対する悪いイメージを払拭する政治戦略の一部となっている。
- しかし最近では、単に1人あたりGDPを上昇させることから、よい健康状態にあるといったより幅広い豊かさの基準を達成することを強調するようになった。
- しかしそれを達成するのは、GDPの成長を目標にするよりもはるかに困難である。過去20年間、政府の医療制度に対する財政負担は減少している。都市部の病院-その多くは依然として国有であるが-の公費負担はわずか約10%である。残りは、薬の販売や検査などから収入を確保しなければならない。
Even immunization isn’t free-予防接種でさえ無料ではない
- 農村部の病院では、財政状況はさらに悪い。
- 予防接種ですら有料にしなければならない。WHOによると中国は、患者が児童期の予防接種の費用を利用者が負担する西太平洋の中で唯一の国である。
- 国有企業はかつて、病院運営を含め、基本的な医療に対して重大な責務を負っていた。
- 公的医療の慢性的な財源不足は、中国の病院に皮肉(cynicism)と汚職の文化を作り出した。治療を受ける前に全額支払わなければならないだけでなく、よい医療を受けるためには、医師や看護師への謝礼を支払わなければならないと患者はしばしば不満をもらしている。
- SARSの発生に悩まされていたころ、当局は、農村部の人々や貧しい人々が基本的な医療にアクセスできるように努力した。
- 農村部では新協同医療システムが試されおり、2010年までに全国的に展開する予定がある。資金は民間団体、地方自治体と中央政府によって負担される。加えて、深刻な病気の費用をカバーするため、都市部と農村部の最貧層の家庭には、中央政府・地方自治体によって支払われる保険が導入された。
- しかし双方のプロジェクトとも、重大な欠点がある。地方自治体は、特により貧しい地域では、必要な負担金を支払いたくない。個人も、ただちに必要としていないサービスに対し、お金を支払いたくない。
Can market forces provide the answer?-市場メカニズムは問題を解決できるか?
- 中国には他にどのような選択があるか?市場を万能薬とみなし、政府は撤退し価格は競争に任せよと主張する政府関係者もいる。最近多くの都市で、病院を民間出資者に売却したり貸し出したりしている。いくつかのケースで、投資が状況を改善するのに役立ったのだが、医療価格が低くなったという証拠はほとんどない。
- 都市部では、いくつかの病院は私的資金で建てられたり、民間企業がかつては国有企業が経営していた病院の一部の経営を引き継いだ。
- 民営化の是非については、論争が続いている。2年前、中央政府はすべての市が少なくとも1つの国有病院を保持しなければならないと命じることによって、その傾向を食い止めようとした。しかし多くの市では、中央政府の明確な承認なしで改革を推し進めた。
- 新郷は河南省にある市であり、大規模な病院売却を行った。最も議論の余地があるうちのひとつであった。今年の前半に、5つの主要病院の経営権の大部分を国有の製薬会社であるチャイナワールドベストグループに売却した。
- 多くの医療専門家は、この動きをある独占から別の独占への移行ととらえており、上海では製薬会社と病院間のそのような契約を禁止した。
- しかし、中央政府が医療制度改革について、今までよりは首尾一貫した政策をとるように努めている兆候がある。4月上旬に開催された医療問題に関する会議で、保健省は都市部の医療における政府と民間セクターとの役割について概要を述べた秘密文書を配布した。その文書に精通している専門家によると、政府は第一階層病院の経営権は維持するが、第二階層の病院については民間の所有・経営にすることが提案されているという。ある専門家の推計では、都市部の病院の60%が民営化になるという。
- 一見すると、良い考えに聞こえる。中国の問題は、医療施設の不足ではない。
- 現在、病院管理者の収入は、実務経験2-3年のセールスマンと同じくらいである。医師のやる気をなくさせることは間違いない。
- しかし、もし多数の人が依然として治療を受ける経済的余裕がなければ、改革は裕福な人々のためだけのよりよいシステムづくりとなるだろう。結局は、中国が最も必要としているのは、機能する健康保険制度である。これには、現在は存在しない私的な治療に対する保険も含まれ、患者に施設の選択肢を広げ、病院における私的投資を刺激する。
- 換言すれば、特に農村部や出稼ぎ労働者に対して政府はもっと財政負担すべきである。
- 中国の医療制度が失敗した理由のひとつには、中央政府の税収入が過去20年落ち込んだことがある。
- 税金の減免といった強力なインセンティブが、私企業の非営利目的での病院経営を促進
するためには必要である。 - 大都市でみられるような、富裕層や保険加入者を対象とした海外資本が経営する病院は、きわめて例外である。多くの農村を含む貧困地域では、政府は主要な供給者であり続ける必要がある。
- これを達成するためには、優先順位の変更が必要となる。社会的威信を高めるような計画も断念される必要があるかもしれない。
- そしてそれがうまく機能するためには、現在中国に不足している効率的な管理システムが必要となるだろう。
- 病院経営から中央・地方の負担金のあり方にいたるすべてにおいて、抜本的改革が必要である。中国は市場メカニズムだけでは良質な医療を提供できないことに気づきつつある。