私の研究の視点と方法・技法(転載)
-リハビリテーション医学研究から医療経済・政策学研究へ
二木立
発行日2005年07月16日
2005年7月16日第1回日本福祉大学夏季大学院公開ゼミナール・全体講義・レジュメ(会場で配布したレジュメに、当日の口演に基づいて一部補足訂正:7.16-18)
(出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・
転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見等をいただければ幸いです))
「パワーポイントなどは使わない。証拠隠滅型電気紙芝居は嫌いだ。大量のプリント
を配布する」(村上宣寛『「心理テスト」はウソでした。』日経BP社,2005年)
「自分と同じ研究をするな。どうせやっても、ぼくを追い越すことはできない」
(野依良治教授。「朝日新聞」2001年10月18日朝刊)
「中山美穂さんにあこがれています。でも自分の目標じゃない。目標を作った途端に マネになっちゃうから」(佐藤藍子・女優。「朝日新聞」1996年11月1日夕刊)
はじめに
私は1972年に大学医学部を卒業後13年間、東京の地域病院で脳卒中早期リハビリテーションの診療と臨床研究に従事した後、1985年に本学に赴任しました。それ以降、20年間、医療経済学と医療政策研究(医療経済・政策学)の視点から、政策的意味合いが明確な実証研究と医療・介護政策の批判と提言の「二本立」の研究・言論活動を行ってきました。しかもこの間継続的に大学院教育を担当し、教育方法と内容の改善を行ってきました。
本講義では、このような研究・教育の「プロセス」をふり返りながら、私の研究の視点と方法・技法について、具体的にお話しします。受講生の皆さんが、この講義を通して、研究の意義と面白さ、および厳しさを理解し、自分なりの研究の視点と方法・技法を身につけるヒントを得ることを期待しています。ただし、時間の制約のため、私の研究技法については詳しくお話しできません。拙論「資料整理の技法と哲学」(『月刊/保険診療』2003年11月号~2004年3月号)を参考にしてください。
1.私の職業歴と研究歴
○私が「自分史」に触れる2つの理由
- 私が研究方法論を身につけた「プロセス」を具体的に語ることにより、若手研究者がそ
れを身につけるためのイメージを持てるようにする。 - どんな社会科学研究も、それを行う個々の研究者の職業歴・研究歴と価値判断に大きく規定される。「価値自由」な社会科学研究はありえない。
- cf.「医療制度のような社会現象の分析は常に研究者の視点に影響される。私は、得られる諸事実がすべてしかも誠実に示されている限り、その解釈が特定の社会的又は倫理的価値判断に基づいている場合にも、これを『偏っている』とみなすべきだとは考えない」(Roemer MI: "National Health System of the World Volume 1," Oxford University Press, 1990,p.ix)。
(1)東京都心の地域病院での臨床医時代(1972~1984年度=13年間)
- 1972年3月東京医科歯科大学医学部卒業の「団塊の世代」、学生運動世代。
- 在学中は、医学書よりも、社会科学書・哲学書を読みふけり、「読書ノート」をつけた。
- 1972年4月、大学病院に残らずに、患者の立場に立った医療改革を志して東京の公益法
人財団代々木病院に就職(研修医)。- 当時は、新卒医師の8割が大学病院に残っていた。
・2年間の内科研修の後、東大病院リハビリテーション部(上田敏先生)に1年間「国内
留学」した。
・1975年7月、代々木病院に戻り、リハビリテーション科(当初は理学診療科)・同病棟
の開設に参加した。
- 当時は、新卒医師の8割が大学病院に残っていた。
- 1975年度から10年間、上田先生の指導を受けながら、脳卒中の早期リハビリテーショ
ンの診療と臨床研究に従事し、「都市型リハビリテーションの旗手」(上田敏『総合リ
ハ』17(2):130,1989)となった。- 臨床研究の出発点は事例研究(質的研究):最初は日本リハビリテーション医学会の地
方会(1975年)で、次いで全国大会(1977年)で研究発表。 - その後、「第一線病院での日常診療の指針となるようなリハビリテーション医学研究(量
的研究)に取り組んだ(『リハビリテーション医学全書第14巻』月報,1980)。
-ただし、量的研究といっても、個々の症例を積み重ねた「顔の見える」研究。 - この間、東大病院リハビリテーション部の医局勉強会(週1回)にほぼ皆出席した。
- 1979年から6年連続、日本リハビリテーション医学会学術集会で研究発表した。
同、国際学会でも3回研究発表した。
- 臨床研究の出発点は事例研究(質的研究):最初は日本リハビリテーション医学会の地
- 二木・上田『脳卒中の早期リハビリテーション』(医学書院,1987)はその集大成& EBM(根拠に基づく医療)の先駆け。
-脳卒中患者の早期自立度予測、脳卒中患者の障害の構造の研究、脳卒中リハビリテーション病棟の運営、脳卒中医療・リハビリテーションのシステム化と費用効果分析等。- 本書は、旧厚生省が「国民医療総合対策本部中間報告」(1987年6月)で脳卒中患者の
「発症後早期のリハビリテーション」を初めて提起したとき、担当者の「バイブル」に
された。
- 本書は、旧厚生省が「国民医療総合対策本部中間報告」(1987年6月)で脳卒中患者の
- 診療に従事するだけでなく、徐々に病院内で管理者的な立場に移った:リハビリテーション科医長、研修委員長、病棟医療部長、救急医療部長、財団理事(最年少)。
-リハビリテーション病棟の運営だけでなく、病院全体の運営と経営の近代化(特に平均在院日数の短縮:40日台から20日へ)にも参画した。 - 代々木病院就職時から「医療問題研究家」になる「2年間のプラン」(1972年5月7日)。
- 医師国家試験の勉強のために1年間中断していた社会科学の勉強をすぐ再開・継続。
& 「読書ノート」書きを励行した:13年間にB5判ノート31冊(約1500頁)。
& 病院内で「唯物論研究会」を組織した(が、2年で休止)。 - 1年目から、医学史研究会関東地方会(川上武先生が主催)に参加した。
川上先生の指導で、「医療基本法」を執筆した(『医療保障』日本評論社,1973年2月)。
以後、医学史研究会・川上先生の少人数勉強会に参加しながら、医療問題の研究を継続。
元来の数学好きもあり、特に医療の経済的分析に興味を持つようになった。 - 実は、研修医1年目は、医療問題の研究よりも哲学・科学論に興味を持っており、2年
間の研修終了後は東京都立大学哲学科(夜間)に進学しようと考えていた。しかし、そ
の準備も兼ねて参加したある在野の哲学研究会で、哲学の研究は天才以外は、古典の解
釈学にとどまることに気づいた。それに対して、医療問題の研究は、天才でなくても、
努力すれば必ず業績を上げられるため、それに専念する決意を固めた。
- 医師国家試験の勉強のために1年間中断していた社会科学の勉強をすぐ再開・継続。
- 1977年(8月31日)、医療の実態を反映した医療経済学の本格的な研究を志し、「臨床
医脱出5か年計画」を立てた。- 当初は病院勤務医を辞めて経済学系の大学院に入学しようと考え、その準備のため、1978年度に明治大学商学部山口孝教授の大学院演習(会計学)を、1979年度に一橋大学経済学部江見康一教授の大学院演習(財政学)を聴講した。それにより、将来、医療経済学研究者としてやっていけるとの自信を持てた。
- しかし、自分の場合は、勤務医を辞めて大学院に入学するのは「非効率」と考え、勤務医を続けながら研究業績を積み重ねつつ、博士号(論文博士)を取得して、社会科学系大学の教員に転職する「戦術」に転換した。
-現在と異なり、当時は、社会人対象の夜間大学院は存在しなかった。 - そのために東大の研究生となり、上田先生の指導を受けながら、2年間で医学博士号を取得した(1983年):「脳卒中患者の障害の構造の研究」(『総合リハ』11巻6-9号)。
- 博士論文執筆の過程で、統計学を本格的に勉強した。これは、経済学の基礎的勉強でも
あった。
-統計学専門書を系統的に読み、「読書ノート」をつけた。
代々木病院の脳卒中患者のデータを用いて、まずは電卓で簡単な統計処理を行い、次いで、東大病院電算室でSPSSによる高度な解析を行った。
統計学の本格的な講習会・勉強会に参加した。 - 上田先生の指導を受けながら、英文読解力を身につけるための勉強を継続した。
-医学・医療経済学の専門文献だけでなく、英語の推理小説&Newsweek誌の定期購読。
1980年からほぼ毎年、国際学会等で英文での研究発表を行った。
・医療経済学の最初の著作は、川上・二木編著『日本医療の経済学』(大月書店,1978)。
『医療経済学』(医学書院,1985)は、臨床医時代の勉強・研究の「中間報告書」。
- 両著出版の中間の1980年に、二木・上田『世界のリハビリテーション-リハビリテーションと障害者福祉の国際比較』(医歯薬出版)を出版した。
- 1978年に国際リハビリテーション医学会参加とヨーロッパ諸国の代表的なリハビリテーション施設見学のツアー(上田先生が団長)に参加した折りに、各国の統計書等を買い漁り、帰国後にそれの紹介を『総合リハビリテーション』誌に連載した。
- これにより、私はしばらくの間「国際通(派)」との評価を受けるようになった。
- 修業時代の5つのキーワードまたは教訓(ただし、どこまで一般化できるかは?)
- 「継続は力」-医学・社会科学の幅広い勉強 & 英文読解力を身につけるための勉強。
しかも、主な本は読了後に「読書ノート」をつける。 - 「少人数勉強会」または「寺子屋教育」の効用。
-東大病院リハビリテーション部医局勉強会(最初は上田先生、江藤文夫先生<現・東
大リハビリテーション部教授>と私の3人だけ!)、
医学史研究会関東地方会例会(参加者はほとんど10人前後)~
川上先生グループの少人数勉強会(主として社会科学書の読書会)、
上田先生との2人だけの勉強会(同上)。 - 「良い指導者」につく必要:独習のみでは、研究方法論は身につかない。
-私は、川上先生と上田先生から、研究者としての心構えと問題意識の持ち方、実践的
でしかも学問的にも意味がある研究テーマの探し方、さまざまな知的生産技術を学ん
だ。上田先生からは、博士論文を含めて、ほとんどすべての原稿の添削指導を受けた。- cf.「教わる相手を選別する能力もないと、プロの世界では生きていけない」
(「日本経済新聞」1996年2月3日夕刊「鐘」。野村克也選手評)。
- cf.「教わる相手を選別する能力もないと、プロの世界では生きていけない」
- 「他流試合」(黒川清氏)の必要性-学会発表、職場外の勉強会への参加→人脈の形成。
- 「この世は業績」-自己の仕事をまとめ、学会で積極的に発表し、すぐに論文化する。
これは在野の研究者でこそ必要:大学所属の医師・研究者と違い、在野の医師・研
究者が社会や学会で一人前の研究者として認められるただ1つの道は、高水準の学
会発表や研究論文を発表し続けること。
- 「継続は力」-医学・社会科学の幅広い勉強 & 英文読解力を身につけるための勉強。
(2)日本福祉大学での20年(1985年度~)
- 民間中規模病院の勤務医から一気に教授になったのは、当時も超異例。
- しかも、37歳での教授就任は本学史上最年少(?)-1つの要因は(東大)博士号
- 現在でも、博士号を取得していると、教員採用時に圧倒的に有利。
- ただし、私の採用科目は、私が得意とは言えない「障害児の病理と保健(リハビリテー
ション医学を含む)」。
しかも、東京人からみると、愛知県に行くのは「都落ち」のイメージ。
そのため、当初は逡巡したが、川上・上田両先生に「チャンスを逃すな」と叱責された。
cf. 大学教員になるためには、「『専門』を問題にするな」、「勤務地にこだわるな」
(鷲田小弥太『大学教授になる方法』青弓社,1991,89-94頁)。
- 大学に赴任して驚いた2つのこと。
- 大学教員は「理性の人」ではなく、「生身の人間」。
- 大学教員の多くは研究業績(outcomes)が驚くほど少ない
-「専任教員研究業績調査票」によると、長年、量的には私が最多だった。
- 大学赴任直後に、毎年1冊著書(単著かそれに準じる本)を出版する決意をした。
-実績は20年間で17冊(分担執筆は除く。ただしほとんどない)。
うち2冊は学会賞等受賞。- 『医療経済学-臨床医の視角から』(医学書院,1985)
- 『脳卒中の早期リハビリテーション』(上田敏氏と共著。医学書院,1987。第2版,1992)
- 『リハビリテーション医療の社会経済学』(勁草書房,1988)
- 『現代日本医療の実証分析-続 医療経済学』(医学書院,1990)-吉村賞受賞
- 『90年代の医療-「医療冬の時代」論を越えて』(勁草書房,1990)
- 『保健医療の経済学』(V.R.フュックス著。江見康一氏,田中滋氏と共訳。勁草書房,1990)
- 『複眼でみる90年代の医療』(勁草書房,1991)
- 『90年代の医療と診療報酬』(勁草書房,1992)
- 『第2版リハビリテーション白書』(日本リハビリテーション医学会白書委員会委員長。
医歯薬出版,1994) - 『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』(勁草書房,1994)
- 『日本の医療費-国際比較の視角から』(医学書院,1995)
- 『保健医療政策の将来』(V.R.フュックス著。江見康一氏,権丈善一氏と共訳。勁草
書房,1995) - 『公的介護保険に異議あり-もう一つの提案』(里見賢治・伊東敬文氏と共著。ミネル
ヴァ書房,1996) - 『保健・医療・福祉複合体』(医学書院,1998)-社会政策学会奨励賞受賞
- 『介護保険と医療保険改革』(勁草書房,2000)
- 『21世紀初頭の医療と介護-幻想の「抜本改革」を超えて』(勁草書房,2001)
- 『医療改革と病院-幻想の「抜本改革」から着実な部分改革へ』(勁草書房,2004)
- 本・論文の執筆についての私の美学と信念。
- 教科書・啓蒙書は絶対に書かない(書く意欲も湧かない。現在は、その能力もない)。
- 原則として単著を書き、本の分担執筆や編集は極力断る。
- 論文を書くときも、常に後日、本(論文集)に収録することを念頭に置いて書く。
逆に、本に収録できない啓蒙的論文やすでに書いたことの焼き直し論文は書かない。 - 社会科学の研究業績は、自然科学と異なり、論文ではなく、本(単著)で評価される。
-論文は、本(単著)を出版するための1ステップ。
- この20年間、医療経済学の視点から、政策的な意味合いが明確な実証研究、および医療・介護政策の批判と提言の「二本立」の研究・言論活動を継続してきた。
- あわせて、2004年4月まで、古巣の代々木病院で週1日診療(リハビリテーション専門外来と往診)を継続し、愛知と東京での、大学教員と非常勤医師との「二本立」生活。
- 私の姓名の2つの特徴:「二本立」に類似&裏表がない-共に、名は体を表す。
- 1992年8月~1993年8月、アメリカUCLA公衆衛生学大学院に留学し、(新古典派)医療経済学の勉強と日米医療の比較研究に従事した。
- 「アメリカ(医療)という『窓』を通してみると、日本にいるときには気づかなかった、日本の医療と医療政策の特質がよく見えてきた。と同時に、わが国医療の良さを保持し つつ、医療の質を引き上げるためには、『世界一』厳しい医療費抑制政策の見直し・転換が不可欠なことを、実感した」(『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』1994,あとがき)。
- ただし、単純な日米医療の比較研究は意味がないことにも気付いた。
- 新古典派医療経済学(市場原理に基づく資源配分を絶対化)は、少なくとも日本の医療問題・政策の分析には、無力なことを発見した。
-私は現在に至るまで、新古典派理論(モデル)を用いた医療経済学研究で、日本の現実の医療問題の認識を深めたり、医療政策の分析に寄与した研究をみたことがない。
- 留学を通して、「左翼ナショナリスト(leftist-nationalist)」の傾向がより強まった。
- 日本医療の改革は日本医療の歴史と現実から出発しなければならない。
- どこの国であれ、特定の国を礼賛する「出羽の守」は、現実の改革には無力。
- 私の実証研究のピークまたはライフワークは『保健・医療・福祉複合体』(1998)。
- 個人研究ではあるが、延べ1644の個人・施設・組織の協力を得た大規模研究。
- 単なる量的研究ではなく、特徴のあるグループ名も示した「顔のみえる」研究。
- 私が初めて概念を確立し実態を明らかにした「複合体」は今や「一般名詞」になった。
- 1999年度以降は大学管理職を継続しているためもあり、本格的な実証研究は休止中。それに対して、「医療・介護政策の批判と提言」の方は現在も継続している。
- 1999~2002年度:大学院社会福祉学研究科長。
2003~2004年度:社会福祉学部長
& 文部科学省21世紀COEプログラム日本福祉大学拠点リーダー。
2005年度~:大学院委員長(~2006年度)&COE拠点リーダー(~2007年度)。 - 私の美学:「忙しい」とは絶対に言わない&職場で依頼された仕事は断らない。
- cf.「学者は忙しいと思った瞬間ダメになる」(阿部謹也。「朝日新聞」1999年12月17
日夕刊)。
- cf.「学者は忙しいと思った瞬間ダメになる」(阿部謹也。「朝日新聞」1999年12月17
- 1999~2002年度:大学院社会福祉学研究科長。
- 私が他の同世代の多くの研究者とは異なること:2004年6月まで19年間、厚生労働省、
日本医師会等、大学外のどんな組織の審議会・委員会の委員になったことがない。- 理由は単純で、依頼がないから。
-ある病院団体幹部(故人)によると、「二木さんを厚生労働省の審議会の委員に推薦したが、担当者が『二木先生が入ると報告書がまとまらない』と言って拒否した」。 - cf. 各省は、政府の審議会の委員を選ぶときに、「省益にかなう発言をする学者」だけでなく、「省益に反する発言をしている学者」でも「言うことや書くことが粗雑な学者を選りすぐるのである。そして、論理的にか、データを用いてか、学者の反『省益』的言説を、完膚無きまでに官僚が反証してみせる。反省益派の代表を自認する学者は、こうして無条件降伏を余儀なくされる」(佐和隆光『経済学への道』岩波書店,2003,112頁)。
- ただし、各組織の幹部や中堅・若手職員とは、随時、非公式に意見・情報交換している。
- 2004年6月から日本医師会病院委員会委員に就任した(代々木病院勤務医時代を含め、初めての勤務先外の役職)。理由は、依頼があったためと、植松治雄新会長の社会保障拡充と医師会の自浄努力の方針に共感したため。
- 理由は単純で、依頼がないから。
2.私の研究の視点と福祉関係者・若手研究者へ忠告
(1)私の研究の2つの心構え・スタンス
- 医療改革の志を保ちつつ、リアリズムとヒューマニズムとの複眼的視点から研究を行う。
- リアリズムだけでは現状追随主義に陥るが、リアリズムを欠いたヒューマニズムでは観
念的理想論になってしまう。- cf.「現実主義的理想主義」(上田敏『リハビリテーションを考える』青木書店,1983)、
- リアリズムだけでは現状追随主義に陥るが、リアリズムを欠いたヒューマニズムでは観
- 事実認識とその解釈、「客観的」将来予測と自己の価値判断(あるべき論)を峻別するとともに、それぞれの根拠を示して「反証可能性」を保つ。
- 「客観的」将来予測:私の価値判断は棚上げして、現在の諸条件が継続すると仮定した場合、今後生じる可能性・確率がもっとも高いと私が判断していること。
- 前者のルーツは、リハビリテーション医時代の臨床研究:調査結果と考察を峻別する。
- 『21世紀初頭の医療と介護』(2001)からは、事実認識と「客観的」将来予測と自己の価値判断に3区分している。ただし、社会科学では、これらの区別は相対的・概念的。
(2)福祉関係者・若手研究者への警告と独断ー「この世は業績」の視点から
- 警告:福祉関係者・研究者に多い「リアリズムを欠いたヒューマニズム」は研究の敵。
- 特に、研究業績も社会的影響力もない若手研究者は「実証研究」(事実の分析)に徹し
て、自己の価値判断の表明はできるだけ控えるべき。彼らの政策提言や将来予測は無意
味・無力。これは、学問の本質論に関わる。
cf.「学問の本質は『提言』ではなくて『分析』がメインになります。それが学者が他
の人より強いところであって、[政策]提言は社会科学者の主目的ではない」(田
中滋氏。水野肇・川原邦彦『医療経済の座標軸』厚生科学研究所,2003)。
それに加えて、世俗的理由もある。
-特定の価値判断・イデオロギーを前面に出すと、それに反対する(大物)研究者の感
情的反発を招く。大学教員の採用審査時に不利な扱いを受けることすらある。 - 研究業績・社会的影響力のある研究者が、自己の専門の立場・視点から、積極的に政策
批判や政策提言を行うことは大きな意味があるが、その場合もそれと事実認識を峻別す
る必要がある。 - 福祉分野の論文には、事実認識と価値判断が渾然一体化したものが少なくない。
しかし、両者を峻別し、しかも基本的用語・概念の定義を明確にしない限り、価値観が
違う人間・研究者が建設的な対話・論争を行うことは不可能。
- 特に、研究業績も社会的影響力もない若手研究者は「実証研究」(事実の分析)に徹し
- 私の独断:理論研究は「頭の良い」研究者でないと、研究業績はあげにくい。
- 実証研究は「頭の悪い」研究者でも、コツコツと続ければ、ある程度の業績は出せる。
- 歴史研究はその中間。
cf. 科学者は「頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならない」(寺田寅彦「科学者とあた
ま」『寺田寅彦随筆集第4巻』岩波文庫,1948,202-207頁)。 - ただし、理論と歴史の勉強は、実証研究を行う上でも不可欠。
3.私の研究領域と研究方法の特徴
(1)研究領域の限定-医師出身である「比較優位」を生かす
cf. 世界的な医療経済学者であるフュックス教授の医療経済学に最近参入した研究者への[5つの]助言のトップは「あなたのルーツを忘れるな」(拙訳「医療経済学の将来」『医療経済研究』8号,2000,100-102頁)。
- 医療保障制度(改革)の研究よりも、医療提供制度(改革)の研究を重視。
- 狭義の医療政策(厚生労働省の)だけでなく、医療機関内部の構造的変化にも注目。
- 注意:両者は相補的であり、厚生労働省の政策の分析のみでは、日本の医療提供制度・政策の全体像を把握できない。福祉政策に関しても、同じことが言える?
(2)医療政策研究の一環として、日本医療についての「神話」・「通説」を実証研究に基づ き批判-その2つの手法
- 官庁発表(特に本省各局の)を鵜呑みにせず、官庁統計(統計情報部が発表する一次資料)を独自に分析して、日本の医療費についての「神話」・「通説」の誤りを示す。
- 例:人口高齢化は医療費増加の主因か?→重要な要因だが、主因ではない。
老人の「社会的入院」医療費の推計→厚生省推計は過大。
技術進歩は1980年代に医療費水準を上昇させたか?
→「医療技術」(投薬・注射、画像診断・検査、処置・手術等)の割合は逆に低下。
(以上、『日本の医療費』1995) - 「統計情報部の発表するデータは100%信用できます。しかし、本省が発表するデータ
は、すべて特定の政策意図に基づいて加工されていますから、信用しないでください」(旧厚生省関係者)。 - ごく最近の例では、介護保険法「改正」の目玉とされた新予防給付(介護予防サービス)の長期間の健康増進効果と介護費用抑制効果はまだ証明されていないことを、厚生労働省自身が効果の根拠として公表した学術文献集の検討に基づいて示した(本年の第47回日本老年医学会学術集会シンポジウム。『文化連情報』7・8月号の「二木教授の医療時評」に収録)。
- 例:人口高齢化は医療費増加の主因か?→重要な要因だが、主因ではない。
- 官庁統計の空白(盲点)を埋める独自の全国調査を実施-私の「3大実証研究」(自称)。
- 病院チェーンの全国調査(1990)(『現代日本医療の実証分析』所収)
→日本の病院は小規模・単独との通説を否定:医療法人の病院病床の2割がチェーン。 - 老人病院等の保険外負担の全国調査(1992)(『90年代の医療と診療報酬』所収)
→現実の保険外負担(お世話料)は厚生省調査の3倍。 - 保健・医療・福祉複合体の全国調査(1996~1998)
→(私的)医療機関の保健・福祉分野への進出の全体像を初めて明らかにした。
例:特別養護老人ホームの3割は私的医療機関母体。
- 病院チェーンの全国調査(1990)(『現代日本医療の実証分析』所収)
- これらは日本の医療(政策)についての「認識枠組み」を変えた、歴史に残る実証研究。
- 『現代日本医療の実証分析』は吉村賞を、『複合体』は社会政策学会奨励賞を受賞した。
- 老人病院の保険外負担の全国調査は「朝日新聞」社説で引用された(1992年6月30日)
& 国会論戦で複数の政党の議員が引用して、旧厚生省を追及した。 - 結果的には、厚生労働省の政策形成・政策転換にも寄与した。
- 例:厚生労働省は、当初、介護保険制度で、独立した医療・福祉施設間のネットワーク形成を予定していたが、『複合体』出版後、複合体の育成に方針転換した(『21世紀初頭の医療と介護』2001,145-147頁)。
- 独自の全国調査が成功した3つの理由。
- 問題設定が適切だった。
-突き止めると、研究で一番大切なのは問の設定。しかもそれを生むのは、経験と学識に裏打ちされた直感・ヒラメキ。- cf.「正しい質問には正しい答えが含まれている。迷うのは、問の立て方が間違ってい
るからだ」(映画「AIKI」2003年公開。合気柔術の師範・平石の主人公への助言)。 - 「答えが与えられる前に問が発せられなければならない。問はいやしくもわれわれの
関心の表現であり、それらは根底において価値判断である」(ミュルダール『経済
学説と政治的要素』.権丈善一『再分配政策の政治経済学』慶応義塾大学出版会,
2001,141頁より重引)。
- cf.「正しい質問には正しい答えが含まれている。迷うのは、問の立て方が間違ってい
- 基本的用語・概念(病院チェーン、老人病院の保険外負担、保健・医療・福祉複合体)
の定義を明確にした上で、調査を行った。
警告:基本的用語・概念がアイマイ・多義的な実証研究は「ゴミ」。- cf.「社会調査」はゴミがいっぱい(谷岡一郎『「社会調査」のウソ』文春新書,2000)。
- 私独自の人的ネットワークを駆使した。
-老人病院等の保険外負担は、児島美都子本学名誉教授の教え子の情報が決定的。
複合体研究を通して、さらに人的ネットワークが広まり、深まった。
- 問題設定が適切だった。
(3)医療政策の現状分析だけでなく、「客観的」将来予測にも挑戦し続けている―私の研究のもう1つの特徴
(詳しくは、「医療政策の将来予測の視点と方法」『月刊/保険診療』2004年9月号)
- 私の将来予測の2つの原点。
- 武谷理論「われわれはさらに理論について、理論が現実に対して有効である事を要求する。すなわち予測が、新たに現れる現実に一致する事、かくしてまた理論の示す所に拠ってわれわれが行動してその行動がわれわれの目的に到達する事を要求するのである」(武谷三男『武谷三男著作集1』勁草書房,1968,3頁)。
- リハビリテーション医時代の必要:限られたリハビリテーション資源(施設・スタッフ)を効果的・効率的に用いるためには、脳卒中患者の最終自立度の早期予測が不可欠。
& 正確な予測の基礎は、「脳卒中患者の障害の構造の研究」(学位論文)。
- 日本の医療と医療政策の正確な将来予測が必要な理由。
- 「個々の医療機関が経営の将来見通しを立てる上でも、医療団体が効果的な社会保障闘
争や国民医療改善の運動を進めるための戦略・戦術を確立するためにも、不可欠」(『複眼でみる90年代の医療』1991,1頁)。 - より一般的には、なにごとをする場合にも、将来の見通しを立てることは不可欠。
現在と近未来(および現在と過去)はつながっている。
- 「個々の医療機関が経営の将来見通しを立てる上でも、医療団体が効果的な社会保障闘
- 私の将来予測の的中率は自称8~9割。
- 予測成功例:1998年、2000年「医療ビッグバン」は不発に終わると予測した。
2001年、「骨太の方針」中の新自由主義的改革の全面実施はないと予測した。
2005年、小泉首相の指示の直後に、混合診療の全面解禁はありえないと予測した。 - 私の将来予測は短期間の「定性的」予測。長期間の「定量的」予測は不可能・趣味的。
例:「21世紀初頭の医療」は予測するが、「21世紀の医療」については述べない。
- 予測成功例:1998年、2000年「医療ビッグバン」は不発に終わると予測した。
- 私の予測・評価の誤りの訂正(『医療改革と病院』中にも7カ所)とその原因。
- 複数の選択肢の存在の無視。
- 法の規定とは異なる現実・実態の見落とし。
- 単なる不勉強・勘違い。
- 予測の方向性は間違っていないが、現実の改革・変化のスピードは予測よりも遅い。
特に、時期を限定した予測は外れやすい。 - 論争的事項で相手の極端な主張を批判する時は、「筆が走って」逆の極端に陥りやすい。
-特に、相手の主張に感情的に反発すると、この誤りを犯しやすい。
cf.「敵を憎むな、判断が狂う」(映画「ゴッドファーザー・パート3」1991)
- 私の予測の手法:3種類の研究や調査に基づいて予測。
-『複眼でみる90年代の医療』(1991,4頁)で確立した手法。- 第1:日本医療の構造的変化の徹底的な実証分析。
- 第2:新しい動きが注目される医療機関のフィールド調査。
-私は、北海道から沖縄まで、全国の100ヵ所以上の複合体を訪問調査した。 - 第3:政府・厚生労働省の公式文書や政策担当者の講演記録を分析する文献学的研究。
-ただし、厚労省関係者等と公式・非公式に接して、「本音」を聞いたり・「裏をとる」。
割り勘の飲み会、メールでの意見・情報の交換等:鍵は信頼関係と秘密の厳守。
- 一言で言えば、「理論からではなく、事実から出発する」(エンゲルス)。
- cf.「理論に基づいたもの(予測)は意外に外れて、実感、現実を見てそのフィーリングに基づいて書いたものがむしろ当たっていた」、「特定のイデオロギーのみで教条的に予測したことはあまり当たっていない」(川上武編著『戦後日本医療史への証言』勁草書房,1998,9頁)。
- 第1・第2の方法により、日本医療内部の構造的変化をマクロ的かつミクロ的に把握。
- 医療提供制度の予測では、特に「すでに起こった未来」(ドラッカー)に注目する必要。
- 複合体の全国調査は介護保険制度が公式に提唱される前(1994年)に企画したが、結果的に、「介護保険の先を読む研究」になった。
- 第3の手法:公開資料を用いるだけでも、予測に必要なほとんどの情報は得られる。
- ただし、そのためには、学術雑誌やメジャーな雑誌だけでなく、日刊紙、マイナーな雑誌、広報・PR紙誌等にも目を通す必要がある。
- 私は日刊紙6紙を含めて、約140紙誌を定期的にチェックしている(英語雑誌は22)。
- (制度派)医療経済学の視点から医療政策を分析すると、正確な評価と将来予測が可能。
- 例:厚生省の政策選択基準は医療費抑制&例外は「外圧」(『複眼でみる90年代の医 療』,1991)。
→医療費増加をもたらす新自由主義的改革の全面実施はないが、「外圧」による部 分的実施はありうる(『21世紀初頭の医療と介護』2001)。
- 例:厚生省の政策選択基準は医療費抑制&例外は「外圧」(『複眼でみる90年代の医 療』,1991)。
- 参考:私の21世紀初頭の医療・社会保障改革の分析枠組み-3つのシナリオ説
(詳しくは、『21世紀初頭の医療と介護』2001と『医療改革と病院』2004、参照) - 3つのシナリオ説。
- 第1のシナリオ:医療・福祉分野にも市場原理を全面的に導入し、究極的には国民皆保険・皆年金制度の解体を目指す新自由主義的改革。
- 第2のシナリオ:国民皆保険の給付範囲と給付水準を制限・抑制して、それを超える全額自費の2階部分を奨励・育成する社会保障制度の公私2階建て化政策。
- 第3のシナリオ:公的医療費・社会保障費用の総枠拡大。
- 3つのシナリオ説のポイント:1990年代末から、政府・体制の改革シナリオが第1のシナリオと第2のシナリオの2つに分裂。
4.私の資料整理の技法と哲学(同名の論文参照)
-資料整理の苦手な社会人や若い研究者への3つのアドバイス
- 第1に、自分の身の丈にあった、無理なく実行できる技法を励行すること。
-野口悠紀雄氏の「整理法の一般理論」、「情報管理についての科学の確立」は幻想。 - 第2に、狭義の資料・情報の整理と言える情報の保存はあくまで手段であり、大事なの は情報を記憶し、どんどん利用・発信すること。もっとも手軽にできる情報の記憶と利 用・発信は、自分が面白いと思う情報を得たら、すぐに友人・同僚等に教えること。
- 第3に、私が一番効率的(時間がかからない割に効果が大きい)と推奨したい情報管理は、研究関連の手紙(メール)をこまめに書くとともに、それを必ずコピーして、対応 する相手の手紙とセットでファイルし、適宜読み返すこと。
5.大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書と先行研究・調査の幅広い収集・検討のコツ(略)の紹介
おわりに-本学(社会人)大学院入学のすすめ
- 社会人の大学院入学の3大動機。
-動機はなんでも構わない。入学後、シッカリ勉強すれば良い。- 自己の仕事・経験を研究(修士論文)にまとめたい。
- 研究方法論あるいは学問的な問題解決能力を身につけたい。
- 修士号を取得して、教職等に就きたい(転職したい)。
- さらに、大学卒直後生では、この3つに「モラトリアム」が加わる。
- 社会人大学院の入学試験に合格する近道は、「研究計画書」をしっかり書くこと。
そのための超必読書は、妹尾堅一郎『研究計画書の考え方』(ダイヤモンド社,1999)。 - 注意:東海地方在住者は、絶対に通学制大学院(福祉マネジメント専攻)に入学を。
-IT化が進む21世紀こそ、教員・他の院生との日常的接触は「お金では買えないもの」、priceless。