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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻18号)』(転載)

二木立

発行日2006年02月01日

(出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見等をいただければ幸いです)

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/ )


目次


1.拙論:正反対の医療給付範囲縮小論と麦谷医療課長のトンデモ発言

(「二木教授の医療時評(その22)」『文化連情報』2006年2月号(335号):18-20頁)

昨年12月1日に決定された政府・与党医療改革協議会「医療制度改革大綱」には、厚生労働省「医療制度構造改革試案」に盛り込まれていた、老人患者を狙い撃ちにした負担増が含まれました。他面、財務省や経済財政諮問会議が強く求めていた保険給付範囲の大幅な縮小や保険免責制は盛り込まれませんでした。

実は、保険給付範囲縮小論には、軽費医療の保険外し・保険給付制限論と超高額医療の保険給付制限論という相反する2つがあり、しかもそれぞれ医師・医療関係者の中にも支持者がみられます。しかし、医療経済学的にみると両方とも事実誤認に基づいた虚構の主張です。以下、その理由を簡単に述べます。あわせて、麦谷眞里厚生労働省保険局医療課長が最近行った、高額医療費の保険給付外しのトンデモ発言を批判します。

軽費医療の総医療費シェアは2割にすぎない

軽費医療の保険外し・保険給付制限論は以前からありましたが、最近それを精力的に主張しているのは、経済財政諮問会議民間議員の吉川洋東大教授です。吉川氏は、「『皆保険』の持続に向けて、やらなくてはならないこと」(『エコノミスト』昨年12月6日号)で、医療保険制度は「保険なのだから、『小さなリスク』は広く自己負担し(ただし所得分配上の影響には配慮する必要がある)、『大きなリスク』を皆でしっかり支え合うという理念を徹底する必要がある」とし、「『保険免責制』もこうした考えに立つもの」と主張しています。

医療給付の財源が限られている中では、軽費医療を保険給付から外すか制限し、それを高額医療や高度医療の財源にまわすべきとの主張は、吉川氏に限らず、大病院・大学病院の医師に少なくありません。

しかし、このような主張は、軽い病気の患者は数は非常に多いが医療費総額に対するシェアはごく少ない事実を見落としています。例えば、医療経済研究機構『平成8年度政府管掌健康保険の医療費動向等に関する調査研究』(1996)によると、1993年度のレセプト点数下位75%の患者の医療費シェアは22%にすぎず、上位1%未満の患者の26%を下回っています(これの要旨は池上直己『医療問題<第2版>』(日経文庫,2002,130頁)参照)。同種の公式推計はその後行われていませんが、吉岡春紀医師が同じ方法で1998年度について計算したところ、下位80%未満の患者の医療費シェアは25%、上位1%未満の患者が24%とのことです(http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/resept.html)。

そのために、仮に軽費医療の患者の自己負担を一律5割に引き上げたとしても、それにより浮く医療費は総医療費の1割にすぎないのです。しかも、吉川氏も指摘しているように、患者の自己負担を増やす場合には「所得分配上の影響には配慮する必要」がありますから、実際に浮く財源はさらに少なくなります。

超高額医療の総医療費シェアもごく小さい

軽費医療の保険外し・保険給付制限論の対極にあるのが、超高額医療費の患者の医療費が医療保険の財源を圧迫しており、しかもそのような患者の大半は死亡しているため、保険給付の見直しをすべきとの主張です。

例えば、宮城征四郎医師は、(1)「本邦総医療費の12%[これは26%の誤り-二木]を上位1%の高額医療者が消費し、64%を上位10%の高額医療者が消費している」、(2)「しかも、その高額医療者の90%が6カ月以内に死亡している事実を、我々医療人は認識しないといけません」と指摘した上で、今後は「自由診療の拡大も避けて通れない」と主張しています(『Doctor's Magazine』2005年9月号。(1)と(2)は二木が付けた)。

YahooJapan等で検索すると、宮城医師と同じく「高額医療費の9割が末期患者のための支出」とする主張は、特に開業医のホームページにたくさん見られます。しかしこれも事実誤認あるいは論理のすり替えです。私の調べた範囲では、これの初出はなんと16年前の「読売新聞」の報道です(1990年7月26日朝刊「高額医療費急増 末期医療のあり方問う」)。それは健康保険組合連合会の調査(「高額レセプト(上位10位)の診療行為別点数割合」)に基づいて、「レセプト上位10人中9人までが治療1カ月から6カ月以内に死亡している」と報道していました。

しかし、このレセプト上位10人の医療費は最低でも1130万円という超高額であり、宮城氏の(1)中の「高額医療費」患者とはまったく別物です。レセプト上位1%と聞くと直感的には相当の高額医療費を連想しがちですが、上記吉岡医師の推計によると、「おおよそ月40万円のレセプトということになり1カ月の入院の診療費としては決して高いものではない」のです。2003年には月1000万円以上のレセプトは101件ありましたが、その医療費は健保組合の医療給付総額の0.05%にすぎず、超高額医療費が医療保険財政の圧迫要因になっているとはとても言えません。その上、健保連調査によれば、最近3年間(2002~2004年)のレセプト上位10人中の死亡患者数はそれぞれ1、5、3人にとどまっています。

私も超高額医療のあり方の再検討自体は必要だと思います。しかし、それは「あるべき医療」の視点から行うべきであり、超高額医療の患者が医療保険財政を圧迫しているとか、大半が死亡しているとの誤解(あるいは古い事実)は捨てる必要があります。

厚生労働省麦谷課長の高額療養費制度廃止発言

最後に、麦谷眞里厚生労働省保険局医療課長のトンデモ発言に触れます。それは、昨年10月20日の医療経済フォーラム・ジャパン第4回公開シンポジウム(兼MMPG20周年記念第100回定例研修会)の質疑応答時の発言です(『MMPG医療情報レポート』76号)。

麦谷課長は、まず「青天井をやめて保険給付の範囲を決めようといった議論をしようではないか」と問題提起した上で、「たとえば200万円かかった医療費のうち公的医療保険では100万円まで、残りは患者に自分で払ってもらうといったことにする。当然、医療は伸ばすべきだと思うが、公的保険による支払いは限定させていただきたいというのが私の気持ちである」と発言し、さらに、「私的意見としては、抗がん剤は保険で払う必要がないと考えている。なぜかというと3つくらいを除いては、いくら使っても効果がないからだ。抗がん剤使用の現状を見ると、たとえば延命3カ月といわれた人の命が1年に延びるなど、ほとんどの場合それは延命効果で投与されているにすぎない」とまで発言しました。

それに対して、櫻井日本医師会副会長はこの発言を問題視し、「『数ヶ月延命してもしょうがないから、死んでもらったほうがいい』と、そう言ったに等しい」、「[高額医療費は]公的保険でやらないということになると、お金のない人は医療費を払えない。つまりアメリカと同様な考え方でいこうということ」と批判しました。私は、櫻井氏の批判は正論だし、厚生労働省の要職にある方が、たとえ「私的意見」とはいえ、経済財政諮問会議ですら認めている高額療養費制度の廃止を主張するのは大問題だ、と思います。

なお、麦谷課長はマジックについての著作が3冊もある、プロのマジシャンでもあるそうです(『クラシック・マジック入門事典』東京堂出版、他)。そのために、氏はマジックのテクニックを応用して、医療関係者を翻弄しようとしているのかもしれません。この視点から麦谷課長の発言を読み直すと、後半の抗がん剤の保険外しは「私的意見」・「個人的見解」と強調していますが、前半の「[200万円から100万円を引いた]残りは患者に自分で払ってもらう」は「私の気持ち」と表現し、「私的意見」とは微妙にニュアンスが違っています。

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2.拙論:医療・社会保障についての国民意識の「矛盾」

(「二木教授の医療時評(その23)」『文化連情報』2006年2月号(335号):20-21頁)

「毎日新聞」1月6日朝刊に掲載された、格差社会についての世論調査は大変ユニークで、一読に値します(昨年12月実施。電話調査で1563人が回答)。

この調査で特に興味深いことは、社会保障・所得再配分についての国民意識の矛盾、あるいは逆転現象です。具体的には、「格差拡大への対応として、税金や社会保障制度などにより、…所得の再配分を強めるべきだとの意見」への賛成が67%に達していながら、それと明らかに矛盾する「政府の政策として、税金などの負担を少なくして民間に活力を発揮させる一方、福祉など行政サービスを最小限とする『小さい政府』をめざす考え方」の支持も48%あり、「大きい政府」支持の38%を10ポイントも上回っていました(経済学的に正しくは、所得の「再配分」ではなく「再分配」ですが、ここでは「毎日新聞」の表現をそのまま用います)。

回答者の属性別に見ると、意外なことが2つあります。1つは所得の再配分に賛成の割合は支持政党・世帯年収によっても大きくは変わらないことです。さすがに世帯年収が1000万円以上の高所得者では少し下がりますが、それでも60%が賛成しています。もう1つ意外なことは、現在の社会保障の一番の受益者である高齢者で「小さい政府」の支持が多く(60代で53%)、逆に若い層ほど「大きい政府」の支持が増えることです。特に20歳代では、「大きい政府」の支持が46%で、「小さい政府」の支持42%をやや上回っていました。

実は、これとそっくりな「矛盾」は、医療(医療保険・医療費)についての世論調査でも得られています。具体的には、国民の多くは医療費抑制策を支持する反面、保険給付範囲の縮小や混合診療には強く反対しているのです。直近の調査をあげると、「日本経済新聞」昨年12月19日朝刊の「クイックサーベイ」では、82%が「医療費抑制は可能」と回答していましたが、「医療費の拡大を抑えるのに効果があると考える対策」として「患者の自己負担の引き上げ」をあげたのは14%にすぎませんでした。「朝日新聞」昨年10月26日朝刊の世論調査結果でも、「医療費の増加を抑えるために…最もよい」方法として、「軽い病気を保険からはずす」をあげたのはわずか10%でした。

さらに、一昨年に大きな議論となった混合診療導入については、どの世論調査でも支持は1~2割にとどまっています。例えば、日本医師会総合研究機構「第1回医療に関する国民意識調査」(2002年度実施)では、「お金を払える人は追加料金を払えば、保険で給付される以上の医療やサービスを受けられる仕組み」(混合診療)に賛成した一般国民は17.9%、患者は12.2%にすぎませんでした(医師では37.9%)。しかも、「毎日新聞」調査と同じく、世帯年収1000万円以上の高所得者(一般国民)でも、この割合は26.8%にとどまっていました。なお、田村誠氏は「なぜ多くの一般市民が医療格差導入に反対するのか」を、多くの「実証研究の結果をもとに」多面的に検討し、「医療に関しては、多くのお金を支払った人がよりよい医療が受けられるという医療格差導入に一般市民が反対するのは、相当根深いものがある」と結論づけています(『社会保険旬報』2192号、2003)。

現在の国民意識に「絶望しすぎず、希望を持ちすぎず」

私は、大竹文雄大阪大学教授が「毎日新聞」調査についてコメントしているように、世論調査で「小さい政府」の賛成者が多いのは、「大きい政府という言葉が、非効率でむだ遣いというイメージでとらえられているため」だと思います。また、医療費抑制策への支持が多いのは、国民の医療不信が強いことに加えて、日本の医療費水準が主要先進国(G7)中もっとも低い事実がほとんど知られていない(マスコミがほとんど報道しない)ためでもあると判断しています。

ちなみに、「医療時評(その17)日本の医療費水準は2004年に主要先進国中最下位となった」に対して、イギリス医療に詳しい坂巻弘之氏(医療経済研究機構)から、以下のようなコメントをいただいています。「先日、イギリスの担当者と話をする機会があり、OECD、特にヨーロッパの中でのイギリスの医療費の少なさとアクセスの悪さが問題になり、医療費を増やす政策をとる一因になったとのことでした。日本は周辺諸国と比べられることもないので、医療費の少なさが問題視されないのだろうと思います」。

ともあれ、このような「矛盾」はしているが「根深い」国民意識は、医療者が切望している公的医療費の総枠拡大を困難にしている反面、経済財政諮問会議(民間議員)や規制改革・民間開放推進会議等が目指している、混合診療をはじめとした医療分野への市場原理の全面的導入(新自由主義的医療改革)や極端な医療費抑制政策の実施も阻んでいる、と言えます。それだけに、医療者・医療機関は、現在の国民意識に「絶望しすぎず、希望を持ちすぎず」、自己改革と制度の部分改革を着実に積み重ねていく必要があると思います(この点について詳しくは、拙著『医療改革と病院』勁草書房,2004、第Ⅱ章参照)。

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3.拙講演録:日本の医療制度の特徴と医療制度改革の行方

(『日本福祉大学COE推進委員会News Letter』第6号:64-68頁,2006年1月)

[昨年11月27日に本学名古屋キャンパスで開催した「日本福祉大学COE推進本部主催 日中韓国際比較シンポジウム:高齢化する東アジア-現状と課題」での報告をまとめたものです。この報告は、昨年9月23~25日に中国・北京で開催された「[日中韓]社会保障国際会議-養老保険と医療保障」での報告に一部加筆しました。

なお、上記「NewsLetter」6号には、上記シンポジウムと11月26日に東京で開催した「日本福祉大学COE推進本部主催 高齢者ケアの日韓比較シンポジウム」の全記録を収録しています。そのなかでも、金道勲氏(韓国健康保険公団研究員。本学COE奨励研究員)の「韓国における高齢化と高齢者ケアの課題-韓国と日本の介護保険制度の比較研究」と李奎植氏(延世大学校保健科学大学保健行政学科教授)の「韓国の医療改革の評価」は、それぞれ韓国における介護保険制度創設、医療保険制度改革の最新動向を知るための必読文献と言えます。御希望の方は、日本福祉大学COE推進委員会事務局までお申し込み下さい(電話:052-242-3082,Fax:052-242-3076。担当:秋田、横井、竹内)。]

はじめに

本題に入る前に、簡単に自己紹介を行う。私は、医師(リハビリテーション専門医)出身の医療経済学・医療政策研究者である。1972年に東京医科歯科大学医学部を卒業後、東京の地域病院で13年間脳卒中の早期リハビリテーションの診療と臨床研究に従事した後、1985年に日本福祉大学に赴任し、それ以来20年間、政策的含意が明確な実証研究と医療政策の批判・提言の「二本立」の研究・言論活動を行っている。

本日の報告は、二本柱とする。まず、アメリカともヨーロッパ諸国とも異なる日本の医療制度の歴史的特徴を述べる。次に、21世紀初頭の医療改革の行方を概観する。最後に、医療制度改革についての私の基本認識と価値判断を簡単に述べる。

1.アメリカともヨーロッパ諸国とも異なる日本の医療制度の歴史的特徴

(1)医療制度を検討する場合の2つの留意点

日本の医療制度の歴史的特徴を述べる前に、私が医療制度を検討する場合に留意すべきと考えている点を2つ指摘したい。

第1は、一般に医療制度は医療保障制度と医療提供制度が2つの柱とされており、医療制度の国際比較もこの2つの柱を中心に行われることが多いが、私はそれに加えて、総医療費の水準(対GDP比)、医療のマクロの効果・効率の検討も不可欠と考えている。本報告もこの4つに分けて行う。

第2は、少なくとも医療・社会保障分野では、「欧米」という用語は不適切なことである。日本は歴史的に先進国に「追いつき、追い越せ」を国家目標にしてきたために、現在でも「欧米」を一括して論じる方が少なくない。しかし、アメリカは全国民(大半の国民)を対象にした公的医療保障制度のない唯一の先進国であり、ヨーロッパ諸国とはまったく異なる。もちろん、日本・韓国とも異なり、少なくとも医療・社会保障分野では「例外的国家」である。

(2)日本の医療保障制度の特徴

まず日本の医療保障制度の特徴を述べる。伝統的には、国際的にみた医療保障制度は、社会保険制度、公費負担制度、民間保険主体の3類型に分けられてきた。しかし、実態的には、社会保険制度と公費負担制度との違いは少ない。実は、福祉国家(レジーム)の3類型論を提唱しているエスピン・アンデルセンも、医療保障に関しては、公費負担制度(社会民主主義レジーム)と社会保険制度(保守主義レジーム)は類似していることを認めている。

日本の医療保障制度は、社会保険制度を、公費負担制度と共同負担制度で補完した「混合型」と言える。ここで「共同負担制度」とは、老人保健制度を指す。日本では、高齢者の大半は制度上は国民健康保険(地域保険)に加入しているが、高齢者の医療費は老人保健制度を通して、健康保険を含めた全医療保険が共同負担している。そのため、老人保健制度は、保険料を原資とするものの、実態的には社会保険とは言えない。

日本の医療保険は制度上は、職域・地域により細かく分立している「モザイク型」である。しかし、実態的には、全国一律の診療報酬制度により、保険の種類によらず同一の医療を給付している。他面、この方式は、医療機関の官僚統制の手段ともなっている。

(3)日本の医療提供制度の特徴

医療提供制度(組織)が診療所と病院の2つに大別されることは国際的に共通している(ただし、病院の定義は国により異なる。例えば、日本の病院の定義は20床以上の病床を有する医療施設であるが、韓国の病院は30床以上の病床を有する)。

診療所の大半が民間(開業医)なのは、日本に限らず、大半の先進国(OECD加盟国)で共通している。例えば、医療国営のイギリスや、医療公営のデンマークでも、診療所の大半は開業医である。この点の例外はスウェーデンであり、同国では診療所の大半が公立であり、開業医が開設している診療所はストックホルム等の大都市部に限られている。

病院についても多くの先進国は国・公立・公的病院が主体であるが、日本では病院の大半も民間で国公立病院は少ない。この点では、一見アメリカと類似している。ただし、同じ民間病院主体と言っても、アメリカとは根本的違いがある。なぜなら、日本の民間病院の大半は(事実上の)医師所有(個人・「医療法人」立が病院総数の7割)である反面、アメリカと異なり株式会社の病院経営は原則として認められていないからである。この点は、日本と韓国とで共通している。

日本の病院機能面での特徴・弱点

次に、日本の病院機能面での特徴・弱点としては、以下の5点があげられる。

第1は、病院職員数(病床100床当たり職員数)が欧米の病院に比べると極端に少ないことである。

第2は、急性期病院と慢性期病院の機能分化が遅れ、「社会的入院」が多いことである。日本の「一般病床」は欧米諸国と異なり「急性期病床」ではなく、「亜急性期病床」も含んでいるため、平均在院日数は20日強であり、OECD加盟国の平均値に比べるとはるかに長い。

第3は民間病院主体のためもあり、病院間、病院と診療所間、病院と福祉施設間の連携が弱いことである。

第4は医療の標準化と電子化が非常に遅れていることである。逆に、この面での最先進国は韓国である。

第5は、医師所有病院(医療法人・個人)は非営利性が不徹底なことである。経済学的には、これは「営利のみを目的とするのではない(not-only-for-profit)」組織であり、純粋の「営利法人」と純粋の「非営利法人」の中間的法人・組織と言える。

ただし、ここで見落としてならないことは、日本の私的病院の非営利性が不徹底なことには、影と光の両面があることである。影の面はいうまでもなく、一部の民間病院(医師所有病院)が営利的行動に走っていることである。と同時に、光の面として、民間病院は自律的な経営を行うことができるため、公立病院に比べて大きな活力を持っていることが上げられる。そのために、日本では、総医療費の水準が低いにもかかわらず、国公立病院主体のイギリスや北欧諸国で社会問題となっている、患者の長期間の入院・手術待ちはほとんど存在しない。ちなみに、後述するようにイギリスでブレア政権が医療費拡大政策に転換した理由の1つは長期間の入院待ちが100万人を超え、大きな社会的問題になったからである。

なお、日本と韓国の病院制度は、先進国(OECD加盟国)中もっとも類似している。この点については、「高齢者の日韓比較シンポジウム」の報告で詳述したので省略する。

(4)日本の医療費の特徴

日本の総医療費水準(GDP対比)について強調したいことは1つある。1つは、それが2004年度(あるいは2003年度)から、主要先進国(G7)中最下位になっていることである。歴史的には、総医療費水準はG7の中ではアメリカが突出し、イギリスと日本が長らく最低水準だが、医療国営のイギリスが日本をわずかに下回っていた。しかし、イギリスのブレア労働党政権が2000年度以降医療費増加政策に転じたため、日本は2004年度から最下位となったのである。

日本の医療費についてもう1つ強調したいことは、政府の公式統計(「国民医療費」)に含まれない、隠れた患者負担(差額ベッド代など)が多いことである。厚生労働省の外郭団体である医療経済研究機構の独自調査によると、それらを含めた「実質患者負担」の総医療費に対する割合は2割を相当上回り、意外なことに1998年にはアメリカよりも高くなっている。

つまり、日本はG7の中では、総医療費水準は最低な反面、実質患者負担率は最高という大変歪んだ医療費構造になっている(OECD加盟国全体に範囲を広げると、韓国が総医療費水準が最も低く、患者負担割合は最も高い)。

(5)日本医療のマクロの(社会的次元でみた)効果・効率は世界一高い

日本の医療制度の特徴の最後に強調したいことは、上述したように総医療費水準はG7中最下位にもかかわらず、平均寿命の長さと乳児死亡率の低さは世界一なことである。つまり、日本医療のマクロの(社会的次元でみた)効率・効果は、世界一高いと言える。

ただし、このことはミクロの効率(個々の病院・診療所の医療・経営効率)が高いことは必ずしも意味せず、この点については論争が続いている。

2.21世紀初頭の医療制度改革の行方

(1)改革の3つのシナリオ-1990年代末から政府・体制の改革シナリオが2つに分裂

次に、日本における21世紀初頭の医療制度改革の行方について述べる。私がまず強調したいことは、日本の政府・体制の医療制度改革のシナリオは1990年代中葉までは1つにまとまっていたが、1990年代末から2つに分裂したことである。それに加えて、公的医療費の総枠拡大をめざす、日本医師会・医療団体等の伝統的シナリオを加えると、医療改革のシナリオは現在3つ存在する。

ここで第1のシナリオとは、医療分野へも市場原理の全面的導入を目指す新自由主義的改革である。このシナリオは当面は、株式会社の病院経営の解禁、公私混合診療の全面解禁(保険診療と保険外診療を自由に組み合わせること)を主張しているが、究極的には国民皆保険制度を解体して、アメリカ流の民間医療保険(マネジドケア)主体に変えることをめざしている。この主導者は、内閣府内の規制改革・民間開放推進会議である。

第2のシナリオは、国民皆保険制度の大枠は維持しつつ、公的医療保険の給付内容と範囲(家に例えれば「1階部分」)を縮小し、それを超える全額患者負担の「2階部分」を育成・拡大して、医療保障制度を部分的公私2階建て化に転換することをめざす改革で、厚生労働省が主導している。

第3のシナリオは、公的医療費・社会保障費用の総枠拡大をめざす改革で、上述したように日本医師会・医療団体等が主張している。

(2)1990年代末から第1のシナリオが台頭してきた3つの理由

ではなぜ、1990年代末に政府・体制の改革シナリオが分裂し、第1の新自由主義的シナリオが登場したのであろうか?私は、以下の3つの理由があると判断している。

第1は、大企業と経済官庁が、経済不況からの脱出口の一つとして医療・福祉分野を21世紀の成長産業の一つと見なし、それへの参入を渇望していることである。

第2は、経済・企業活動の国際化とアメリカ経済の一人勝ちにより、アメリカ流の市場原理が経済分野で世界標準と見なされるようになり、この流れが医療・福祉分野にも波及していることである。これら2つの理由・背景は多くの先進国に共通している。

第3の理由は日本独自の理由で、1996年の厚生省を襲った2大スキャンダル(大物技官が逮捕された薬害エイズ裁判での証拠隠しと事務次官等が逮捕された「福祉汚職」)により、同省の政策立案・実施能力が大幅に弱体化したことである。この影響は現在まで続いている。

(3)2001~2004年の医療制度改革論争とその帰結

政府の公式文書に第1のシナリオが初めて登場したのは小泉政権が2001年4月に成立する直前の1999年であった。そして、小泉政権が成立してからの4年間、医療制度改革をめぐって、政府・体制内で第1・第2のシナリオ間の激しい論争が繰り広げられた。第3のシナリオを求めている日本医師会等の医療団体は、1990年代までは厚生労働省(第2のシナリオ)と対立していたが、第1のシナリオ(新自由主義的医療改革)に反対する視点から厚生労働省を側面支援した。

小泉首相自身は第1のシナリオを支持することもあったが、最終的には、第1のシナリオの全面実施は否定され、政府・体制内で第2のシナリオ寄りの妥協が成立した。具体的には、株式会社の病院経営は法的には、「医療特区」・自由診療・「高度な医療」に限り限定的に認められたが、参入条件が非常に厳しいため、現時点では診療所(高度な美容整形)が1件参入しただけであり、病院の参入の動きはない。混合診療の全面解禁も否定され、それを例外的に認めている現行制度(特定療養費制度)を再編・拡充することになった。この妥協を受けて、厚生労働省は、医療提供制度への規制を強めつつ、医療保障制度の部分的公私2階建て化を目指している。

小泉首相の肩入れにもかかわらず第1のシナリオの全面実施が否定されたことには経済的理由がある。それは、新自由主義的「抜本改革」を行うと、企業の市場は拡大する反面、医療費(総医療費と公的医療費の両方)が急増し、医療費抑制という「国是」に反するからである。私はこれを「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」と呼んでいる。

(4)2005年9月総選挙での小泉政権圧勝後の医療制度改革

最後に2005年9月の総選挙後の動きについて簡単に述べる。総選挙により、衆議院議席の3分の2を超える巨大与党(自民党・公明党)が誕生し、しかも、この状況が今後4年間継続するのは確実である。しかも、小泉政権は、歴代の自民党政府と異なり、「小さな政府」の実現を初めて標榜している。しかし、上述した「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」のために、第1のシナリオが全面実施される可能性はほとんどない。

厚生労働省は10月19日に「医療制度構造改革試案」を発表し、それには従来よりもはるかに厳しい医療費抑制政策(高齢者を狙い撃ちにした負担増と診療報酬引き下げ)が含まれている。しかし医療分野に市場原理を導入する新自由主義的改革は含まれておらず、医療保険制度・医療提供制度も「部分改革」にとどまっている

12月1日には政府・与党の「医療制度改革大綱」が決定されたが、これも大枠では厚生労働省「医療制度構造改革試案」と同じであり、新自由主義的改革は含まれていない。

おわりに-医療制度改革についての私の基本認識と価値判断

以上の報告・分析は、私の価値判断を含まない事実認識である。最後に、私自身の医療制度改革についての基本認識と価値判断を述べたい。

私は、医療制度の抜本改革は不可能であり、日本の医療制度の基本(国民皆保険制度と民間非営利医療機関主体の医療提供制度)の根幹は変える必要がないし、変えられないと認識している。さらに私は、国民皆保険制度を維持しつつ、医療の質と安全を向上させるためには、公的医療費の総枠拡大が不可欠と考え、第3のシナリオを強く支持している。

しかし、国民の医療不信が非常に強い現状を考えると、それをすぐに実現することは困難であり、公的医療費の総枠拡大についての国民の理解を得るためには、医療者の自己改革と制度の部分改革が必要だとも判断し、具体的な改革案を提唱している。

参考文献

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4.2005年発表の興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(その7)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○Health Affairs誌別冊特集「将来の高齢者の健康と費用」(Health and Costs of the Future Elderly. A Supplement to Health Affairs Web-Exclusive Collection Vol.24, Supp.2,2005)

本別冊には、アメリカのRAND研究所(医療分野の最有力シンクタンク)が行った、ミクロ・シミュレーションによる高齢者の健康状態と費用の多面的な将来推計(2030年まで)の研究論文やそれに対するコメントが15本掲載されています(全104頁)。特に、今後の医療技術進歩と医療費との関連が詳しく検討されているのが特色です。

Suzanらが序文に書いている、各研究から得られた結論は以下の通りです。「今後予想される高齢者の健康状態の改善は医療費の削減ではなく、医療費の増加をもたらすであろう。しかしこのことは、将来、医療費が支払不能になるということではなく、ましてや医療費増加の主因である技術進歩が価値がないということではない」(W5-R1)。私はこの結論は妥当だと思います。

本特集を読むと、厚生労働省「医療制度構造改革試案」の「生活習慣病の予防の徹底」により大幅な医療費削減が可能とする試算がいかに根拠に基づいていないかが、改めてよく分かります。日本でも、「根拠に基づく」医療政策を実施するためには、将来医療費のミクロ・シミュレーションを複数の条件・シナリオに基づいて行うことが不可欠と思います。以下、日本で特に参考になる3論文の要旨を紹介します(頁数の最初のW5-Rは略)。

○「将来の高齢者の健康状態の推移と医療技術進歩の影響」(Goldman DP, et al: Consequences of health trends and medical innovation for the future elderly. 5-17)[量的研究(シミュレーション)]

最近の医科学分野での技術革新は診療スタイルを革命的に変えるように見える。同じ時期に、非高齢者層の疾病と障害が増加しつつある。本研究では、これら2つの流れの合流が今後30年間の高齢者の健康状態と医療費に与える影響を検討する。より健康な人々はより長く生きるために(不健康な人々は短命であるために)、メディケア総医療費は65歳時の被保険者の疾病や障害の状態にはほとんど影響を受けない。他面、今後高齢者の健康状態の改善にもっとも有力と思われる約10の医療技術は医療費を相当引き上げると予測される。「魔法の弾丸」が現れて、健康状態の改善と医療費の劇的削減の両方をもたらすことはありそうにない。

○「高齢者の慢性疾患の生涯負担」(Joyce GF, et al: The lifetime burden of chronic disease among the elderly. 18-29)[量的研究(シミュレーション)]

慢性疾患の(生涯)治療費は高額なため、それの罹病率を低下させると、メディケアの財政状態は改善すると期待されている。本研究では、ミクロ・シミュレーションモデルを用いて、7つの慢性疾患が高齢者の医療費分布と医療費のバラツキの推移に与える影響を推計する。それらの疾患は、高血圧、糖尿病、がん、慢性閉塞性肺疾患、急性心筋梗塞、うっ血性心不全、脳卒中である。あわせて、これらの疾患が余命および65歳時から死亡までの医療費(生涯医療費)に与える影響を検討する。重大な慢性疾患を持っている65歳の高齢者の年間医療費は、慢性疾患を有しない同年の高齢者より1000~2000ドル高い。しかし、慢性疾患を有する高齢者は余命が短いため、生涯医療費はやや高いにすぎない。

○「健康、医療技術、および医療費」(Lubitz J: Health, technology, and medical care spending. 81-85)[評論]

ランド将来高齢者モデルは医療技術、医療費、および健康の関係についての重要な諸原則を示している。新しい医療技術が医療費を増加させるのは、新医療技術の費用とそれにより延命した期間の医療費を合わせたものが、健康状態の改善による毎年の医療費減を上回るからである。1年当たり費用が安い多くの医療技術も、その技術によってたくさんの患者が治療されるために、累計費用は高くなる。ただし、健康リスクが少ない将来の65歳高齢者では医療費増加を緩やかにできるもしれない点についての結論はまだ出ていない。

○「高齢者差別が花盛り:歴年齢は医療での意志決定時に中心的要素であるべきか?」(Loewy EH: Age discrimination at its best: Should chronological age be a prime factor in medical decision making? Health Care Analysis 13(2):101-117,2005)[評論]

統計は診療のガイドラインとしては有用だが、医師の目の前にいる個々の患者については何も語らない。歴年齢は単に特定の年齢グループの大部分の患者にとって妥当なことを示すにすぎず、決してすべての患者にとって正しいことを示すわけではない。年齢だけで医療を配給する(ration)ことは治療を拒否された個々の患者にとって不公正なだけでなく、連帯を乱すことにより地域社会も傷つける。連帯は、地域社会の成員どおしが相互に助け合うためにベストを尽くしているという感覚を通して形作られる。年齢だけで医療を配給することは、法の下での平等な治療を否定することになるし、それが高齢者を対象にする場合には、一種の高齢者差別となる。問題は患者の疾患であって、年齢ではない。例えば、8歳の遷延性植物状態患者は90歳のそれよりもずっと悲惨ではあるが、重要なことは両者とも植物状態だということである。結論として、医療資源の配分時に年齢を独立変数として用いることは、倫理的に非常に問題があると言える。

○「[アメリカの]医療改革:なぜ、何を、いつ? 」(Fuchs VR, et al: Health care Reform: Why? what? when? Health Affairs 24(6):1399-1414,2005).[評論]

アメリカの医療制度に対する不満が広がっているが、それをどのように改革すべきかについての社会的合意はない。主な財源調達方式-雇用主提供の保険、資産調査による保険(メディケイド)およびメディケア-はいずれも、修復不能なほど歪んでいる。政策作成者は2つの根本的問題に直面している。1つは、改革は漸進的であるべきか、包括的であるべきかであり、もう1つは改革の優先順位は財源調達方式か医療提供組織の改善かである。筆者は、6つの漸進的改革提案(無保険者を減らすが全国民の保険加入はめざさない)と3つの包括的改革提案(全国民の保険加入を目的とする)を検討する。長期的に見れば、大規模な戦争、恐慌、大規模な社会不安に対する対応として包括的な改革が行われるかもしれない。

二木コメント-最後の1文は、フュックス教授の『保健医療政策の将来』(1993年。邦訳は1995年、勁草書房)所収の「国民医療保険再訪」の最後にも書かれていました。しかし、この12年間で、教授の絶望は一段と深まったように思えます。

なお、本論文はHealth Affairs誌24巻6号の特集「[アメリカの]医療改革の再検討」の巻頭論文です。この特集には、市場競争派から国民皆保険派まで様々な論者が執筆しており、アメリカにおける最近の医療改革論争を鳥瞰できます。それによると、アメリカの市場志向の医療改革の新しいコンセプトは、「管理された消費者主義(managed consumerism)」(Robinson JC:1478)と「マネジドケアと医療貯蓄口座の統合」(Hall MA, et al:1490)のようです。ただし、前者を「消費者志向の医療[競争]は重要な社会的価値、特に患者と臨床医との関係を信頼に基づいて確立するという目標を、脅かす」と正面から批判する論文も掲載されています(Berenson RA:1536)もみられます。

○「カリフォルニア州の[民間]医療保険[による医療費中]の事務管理費:保険者、診療所、病院[データを用いて]の推計」(Kahn JG, et al: The cost of health insuranece administration in California: Estimates for insurers, physicians, and hospitals. Health Affairs 24(6):1629-1639,2005)

アメリカでは事務管理費が総医療費の25%を占めると言われているが、そのうち保険請求・処理関連業務(billing and insurance-related function. 以下BIR)に使われているかは不明である。そこでカリフォルニア州の民間医療保険、診療所、病院の様々なデータを用いて、民間保険加入者の急性期医療費中のBIR費の割合を推計した。その結果、民間保険では収益の9.9%をBIR以外の事務管理業務に、8%をBIRに充てていた。診療所ではそれぞれ27%、14%、病院ではそれぞれ21%、7-11%であった。この結果を総合すると、カリフォルニア州では民間保険の急性期医療費のうちBIR費が20-22%、BIR以外の事務管理費が約13%、診療費は約66%と推計された。

○「アメリカのホスピタリスト[病棟専属医]の入院医療の費用と質に対する影響:文献の合成」(Coffman J, et al: The impact of hospitalists on the cost and quality of inpatient care in the United States: A research synthesis. Medical Care Research and Review 62(4):379-406,2005)[文献レビュー]

アメリカの病院には伝統的には常勤医がほとんどおらず、入院患者の診療は患者を入院させた各開業医が行ってきた。そのために、ホスピタリスト(病棟専属医)の配置はアメリカでは入院患者マネジメントの画期的なイノベーションと見なされている。しかし、ホスピタリストが入院医療の費用、質、患者満足度に与える影響については一致した見解は得られていない。そこで、著者はこの点を評価した21文献のレビューを行った。

その結果、大半の文献では、ホスピタリストが診療した入院患者の総費用または総請求額は対照群よりも低く、この費用節減は主として在院日数の短縮によって生じていた。大半の文献では、医療の質または患者満足度に統計的有意差はなかった。ただし、ランダム化試験を行った文献は5文献にすぎないため、これらの結果から断定的結論を導き出すのは困難である。しかもランダム化試験はすべて教育病院で行われていたため、そこで得られた結果を非教育病院にも一般化できるか否かは疑問である。この結果を踏まえて著者は、今後の研究課題は、ホスピタリストが患者の在院日数を短縮するメカニズムを明らかにすること、およびどんな種類のホスピタリスト養成プログラムがもっとも効果的であり、どんな種類の患者がホスピタリストの診療にもっとも向いているかを明らかにすることだ、と主張している。

二木コメント-アメリカのホスピタリストは病棟専属の臨床医で、日本やヨーロッパ諸国の病院の役職のない勤務医に近く、病院のマネジメント(経営・運営)にはタッチしません。それに対して、川渕孝一氏は、『進化する病院マネジメント』(医学書院,2004)等で、ホスピタリストを「広義に解釈して、『経営の質』のみならず『医療の質』にも貢献できる人材」である「日本型ホスピタリスト」(医師とは限らない-二木)の養成を提唱しています。しかし、これは誤解を招きやすい用語と思います。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その14)-反省と謝罪とウソ

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