『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻33号)』(転載)
二木立
発行日2007年05月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。
目次
- 1.拙論:医療制度改革と増大する医療ソーシャルワーカーの役割-社会福祉教育の近未来にも触れながら(「二木教授の医療時評(その40)」『文化連情報』2007年5月号(350号):42-46頁)
- 2.拙論:安倍政権の半年間の医療政策の複眼的評価(「二木教授の医療時評(その41)」『文化連情報』2007年5月号(350号):46-48頁)
- 3.拙インタビュー:日本の医療の「2本柱」は維持される(『日経メディカル』2007年4月号(第473号):78頁)
- 4.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その7):7冊
- 5.私の好きな名言・警句の紹介(その29)-最近知った名言・警句等
お知らせ
『日本醫事新報』5月26日号に拙論「医療改革-敢えて『希望を語る』」を掲載予定です。この論文は、本「ニューズレター」に収録した「安倍政権の半年間の医療政策の複眼的評価」と同じく、4月7日の日本医学会総会シンポジウム「基調講演」の一部に加筆したものです。本「ニューズレター」34号(6月1日配信予定)に掲載予定ですが、興味のある方は先に同誌をお読み下さい。
お断りとお詫び
「ニューズレター」32号で予告した、医療の質関連の文献の抄訳・紹介は、「ニューズレター」34号に延期します。
1.拙論:医療制度改革と増大する医療ソーシャルワーカーの役割
-社会福祉教育の近未来にも触れながら
(「二木教授の医療時評(その40)」『文化連情報』2007年5月号(350号):42-46頁)
今回は、今後の医療制度改革と医療ソーシャルワーカーの役割の増大の視点から、社会福祉教育の近未来について私見を述べます。私は、社会福祉教育を含めて、専門職の教育のあり方は、理念先行ではなく、社会のニーズがどこにあるのか?を出発点にして考えるべきと思っています。
本題に入る前に、本題に関連する範囲で、簡単に自己紹介を行います。私は、リハビリテーション専門医出身の医療経済・政策学研究者です。1972年に医学部を卒業してから、すぐに東京都心の地域病院(代々木病院)に就職し、そこで内科の初期研修を行った後、東大病院リハビリテーション部での中期研修を経て、1975年から10年間、代々木病院で脳卒中の早期リハビリテーションの診療と臨床研究に従事しました(1)。代々木病院のリハビリテーション・チームには、最初から医療ソーシャルワーカー(MSW)が参加していました。1977年に東京23区内で最初にリハビリテーション専門病棟を開設したときに、「医療ソーシャルワーカーの(患者家族)入院当日全員面接制」を、おそらく日本で最初に始めました。
その後、1985年に日本福祉大学に赴任してからは、医療経済・政策学を専門とし、その視点から、日本の医療と医療政策の実証分析と将来予測・改革提言を行っています。ここで、医療経済・政策学とは、「政策的意味合いが明確な医療経済学的研究と、経済分析に裏打ちされた医療政策研究との統合・融合をめざし」た新しい学問を意味します(2,3)。
日本福祉大学社会福祉学部で今までに担当した講義科目は、「現代医療論」、「リハビリテーション医学」、「障害児の病理と保健」の3つです。現在はこれらの科目は担当していませんが、3・4年生対象の専門演習(ゼミ)「リハビリテーション医学の視点から医療・老人・障害者(児)福祉を考える」は、アメリカ留学の前後を除いて20年間継続して担当しています。私は、ゼミの目標の1つに、「ゼミ生全員が社会福祉士または精神保健福祉士国家試験に現役合格する」ことをあげており、過去5年間の平均合格率は93%です。しかもゼミ卒業生の約三分の一、多い年は半数が医療ソーシャルワーカーになっています。その結果、現在では、私のゼミのOB・OGは愛知県医療ソーシャルワーカー協会の一大勢力になっています。大学院では、社会福祉学研究科で「医療経済学」、「社会福祉研究方法論」等を担当するとともに、2005年度以降、大学院全体を統括する大学院委員長を務めています。
2006年医療制度改革の位置づけ
では、本題に入ります。私が本稿で最も強調したいことを結論的に述べると、以下の通りです。2006年の医療制度改革(診療報酬改定と医療制度改革関連法の成立)により、今後5~10年間の制度改革の「大枠」は明確になった。それにより、医療ソーシャルワーカーに期待される役割が今まで以上に大きくなり、それに対応して社会福祉教育の更なる充実が必要になっている。
2006年の医療制度改革は、1980年代前半の「第一次保険・医療改革」(これは、旧厚生省自身による公式呼称です)以来、四半世紀ぶりの包括的改革です。具体的には、4月に法改正を先取りした診療報酬の大規模な改定が行われ、6月に成立した医療制度改革関連法は、健康保険法改正、老人保健法改正(高齢者の医療の確保に関する法律への名称変更)、医療法改正等を含んでいます。
この改革を「抜本改革」と称する方も少なくありません。しかし、私は、今回の改革の範囲は広いが、個々の改革は、内容的には伝統的な医療費抑制・患者負担拡大の延長線上の「部分改革」であり、「抜本改革」と呼ぶのは不正確と判断しています。私がもっとも注目しているのは、今回の改革には、医療分野に市場原理を導入する新自由主義的改革がほとんど含まれていないことです。2006年の医療制度改革全体の評価と「客観的」将来予測、および私の価値判断については、拙論(4-6)を参照願います。
MSWの業務に特に大きな影響を与える4点
次に、医療制度改革のうち、私が医療ソーシャルワーカーの業務に特に大きな影響を与えると判断していることを4点述べます。これらは、いずれも私の事実認識または「客観的」将来予測であり、私の価値判断ではありません。私は、医療政策を分析する場合には、事実認識と「客観的」将来予測、および私の価値判断の3つを峻別するようにしています(2)。
第1は、患者(特に高齢患者)負担の大幅拡大と「特定療養費制度の再構成」により、医療保障制度の公私2階建て化が加速され、低所得層の受診機会が今まで以上に抑制されるとともに、最近大きな社会問題となっている医療機関の「未収金問題」がさらに深刻化する危険があることです。
今回の制度改革により、高齢者を中心として患者負担が大幅に拡大することはよく知られていますが、私は、それに加えて、資格証明書交付の対象が高齢者にまで拡大されたことに注目しています。資格証明書を交付された世帯は、医療機関を受診した時に、医療費を全額支払わなければならず、しかも滞納した保険料を納付しない限り、保険負担分が償還されることもないため、事実上の「無保険者」と言えます。私は、今後、高齢者を中心としてこのような「無保険者」が相当数生まれ、すでに国民健康保険で部分的に始まっている国民皆保険制度の空洞化が加速される危険が大きいと危惧しています。最近発表された厚生労働省調査によると、2006年には、国民健康保険の保険料滞納世帯は480.5万世帯で国民健康保険加入者世帯の2割弱に達しており、そのうち資格証明書交付世帯は35.1万世帯です。そして、資格証明書交付世帯の受診率は一般被保険者受診率の32分の1(神奈川県)~113分の1(福岡県)にすぎません(「全国保険医新聞」3月5日号。全国保険医団体連合会の独自調査)。
それだけに、医療ソーシャルワーカーの(低所得)患者の経済的問題への援助の役割が、今まで以上に大きくなるのは確実です。私がここで強調したいことは、その援助が、結果的に、未収金の予防を通して、病院経営の改善にも貢献しうることです。本学大学院福祉マネジメント専攻の水野大介君は、「医療ソーシャルワーカーの援助が医療費未収金問題に与える影響の研究」をした修士論文の結論で、「医療費支払い困難者への経済的問題の援助は、医療ソーシャルワーカー業務の原点」(7)と述べており、私もまったく同感です。
ただし、医療ソーシャルワーカーの人権意識が弱ければ、医療ソーシャルワーカーが「借金取り立て屋」に堕する危険があることも見落とせません。
第2は、診療報酬改定による医療保険の急性期・亜急性期「医療」保険への純化、および医療計画制度の見直し等を通じた医療機関の機能分化が進められる一方、利用者への保健・医療・福祉(介護)サービスの切れ目のない提供が求められるようになることです。
保健・医療・福祉(介護)の連携は、1980年代前後から30年間も提唱されていましたが、従来は「理念」倒れに終わっていました。しかし、今後は、サービスの分断を防ぐために、それを「現実」化することが求められるようになります。そのためには、医療ソーシャルワーカーが得意とする連携機能をさらに強める必要があります。
逆にこの機能を強めなければ、医療ソーシャルワーカーが単なる「患者追い出し屋」に堕してしまう危険があります。
第3は、在宅ターミナルケアを含めた、在宅ケアの拡充が進められ、しかもこの分野でも保健・医療・福祉(介護)サービスの連携が求められようになることです。ここで注目すべきことは、在宅ターミナルケア(終末期ケア)の体制を整備するために、医療ソーシャルワーカーの機能を活用したネットワークづくりが新たに強調されるようになっていることです。例えば、社会保障審議会後期高齢者医療の在り方に関する特別部会(2006年12月12日)では、「終末期医療について」、医療ソーシャルワーカーから初めてヒアリングが行われました。これの議事録は厚生労働省のホームページに掲載されています。
第4は、昨年4月の診療報酬改定により、診療報酬点数表に社会福祉士が明確に位置づけられた反面、「医療ソーシャルワーカー」の呼称が消失したことです。
昨年の診療報酬改定で、社会福祉士は以下の5カ所で位置づけられました。(1)新設されたウィルス疾患指導料の施設基準に「社会福祉士又は精神保健福祉士が1名以上勤務していること」が、(2)在宅時医学総合管理料の施設基準に「社会福祉士等…を配置していること」が、記載されました。(3)回復期リハビリテーション病棟の定義には「リハビリテーションプログラムを、…社会福祉士等が共同して作成し、…」と明記されました。ただし、それの施設基準には社会福祉士の配置は明記されていません。(4)退院時リハビリテーション指導料を算定可能な職種に、医療ソーシャルワーカーに代わって社会福祉士が加えられました(その結果、今後は社会福祉士資格を有していない医療ソーシャルワーカーはこの指導料を算定できなくなりました)。(5)リハビリテーション総合計画評価料の算定基準にも、社会福祉士が位置づけられました。
これは、同じ時期(2006年4月)に、社会福祉士養成課程における実習施設に病院等が追加されたことと合わせて、社会福祉士が医療分野でも通用する資格として認知されたことを意味します。しかも、2008年以降の診療報酬改定で、社会福祉士の位置づけがさらに拡大することは確実です。例えば、今回は見送られた回復期リハビリテーション病棟の施設基準に社会福祉士の配置が明記される可能性は大きいと思います。その結果、今後は、医療ソーシャルワーカー(特に新卒者・転職者)には、社会福祉士資格が事実上の必須資格となると言えます。
私は、今回の改革は、社会福祉士及び介護福祉士法の事実上の改正を意味し、従来保健医療分野を除外してきた社会福祉士資格が精神保健以外の保健医療分野にも拡大されたと判断しています。しかも、3月13日に閣議決定され、本年の通常国会で成立する見込みの社会福祉士及び介護福祉士法の改正案では、社会福祉士の定義規定の見直しが行われ、その「相談業務」に「福祉サービスを提供する者又は医師その他の保健医療サービスを提供する者その他の関係者との連絡及び調整」が加えられました。
その結果、一部の医療ソーシャルワーカー(組織)が目指していた、医療ソーシャルワーカー単独の国家資格化の可能性は、少なくとも「近未来」には、完全に消滅したと言えます。
有能なMSW養成のための社会福祉教育の新しい課題
ただし、私は、現行の社会福祉士養成教育の枠内だけでは、有能な医療ソーシャルワーカーは養成できず、独自の追加的教育が必要だとも考えています。そこで、最後に、2006年の医療制度改革に伴う医療ソーシャルワーカーの役割と社会福祉士の位置づけの変化に対応した、有能な医療ソーシャルワーカー養成のための社会福祉教育の新しい課題について、日本福祉大学での医療ソーシャルワーカー養成教育も紹介しながら、述べます。これらは私の価値判断・個人的意見で、日本福祉大学の公式見解ではありません。
私は、短期的課題は3つあると思います。第1は、保健医療分野でも社会福祉士が事実上必須資格化した現実に対応し、国家試験合格率を高めるための特段の努力を払うことです。
第2は、医療ソーシャルワーカー志望者のために、社会福祉士国家試験科目の「医学一般」、「社会保障論」等よりも一歩進んだ医学・医療科目を開講するとともに、それの履修を奨励することです。社会福祉士養成課程を有する大学の中には、国家試験に関係ないことを理由にして、医学・医療科目はおろか、「医療福祉論」あるいは「医療ソーシャルワーカー論」さえ開講していない大学があるそうですが、それは論外です。
第3は、同じく医療ソーシャルワーカー志望者に対して、病院等での「医療福祉実習」の履修を義務化するとともに、それの学習目標に「連携機能」を位置づけることです。
御参考までに、日本福祉大学社会福祉学部保健福祉学科では、医療ソーシャルワーカー養成のための実習教育として、3年次に行う通常の4週間の社会福祉実習に加えて、4年次に2週間の「医療福祉実習」を課しています。しかも、昨年の社会福祉士実習施設の拡大以降も、このシステムは意識的に変更していません。
以上の3つは、短期的課題ですが、私は、さらに中期的課題として、医療ソーシャルワーカーの「マネジメント」能力の向上のための教育が不可欠だと考えています。ここで、マネジメント能力には、臨床上のマネジメント能力(ケアマネジメント能力等)だけでなく、施設・組織の管理・運営能力や基礎的な経営能力も含みます。ただし、これを学部教育で行うことは困難であり、主として社会人対象の大学院または、日本医療社会事業協会等の専門職団体が行うのが妥当だと考えています。手前味噌ですが、日本福祉大学が1999年度に開講した大学院社会福祉学研究科福祉マネジメント専攻(社会人対象の夜間大学院。1学年定員30人)の狙いもそこにあります。
[本稿は、3月17日に開催された、日本学術会議社会学委員会社会福祉学分科会主催のシンポジウム「社会福祉教育の近未来」での報告に加筆したものです]
文献
- 1)二木立・上田敏『脳卒中の早期リハビリテーション』医学書院,1987(第2版,1992).
- 2)二木立『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006.
- 3)二木立・田中滋・他編『講座 医療経済・政策学(全6巻)』勁草書房,2005-2007.
- 4)二木立「2006年診療報酬改定の意味するもの」『月刊/保険診療』2006年7月号.
- 5)二木立「療養病床の再編・削減-手続き民主主義と医療効率の視点から」『文化連情報』2006年10月号.
- 6)二木立「医療制度改革関連法による医療制度改革の見通し」『文化連情報』2006年12月号.
- 7)水野大介「医療ソーシャルワーカーの援助が医療費未収金問題に与える影響の研究」(日本福祉大学大学院社会福祉学研究科福祉マネジメント専攻2006年度修士論文・優秀論文)z
2.拙論:安倍政権の半年間の医療政策の複眼的評価
(「二木教授の医療時評(その41)」『文化連情報』2007年5月号(350号):46-48頁)
安倍政権が昨年9月26日に発足して、早くも半年が経ちました。今回は、同政権発足直後に発表した拙論「安倍政権の医療政策の方向を読む」(本誌昨年11月号。以下、前稿)で行った予測の検証も行いつつ、安倍政権の半年間の医療政策を複眼的に評価します。
前稿では、次の3点の予測を行いました。(1)「安倍政権が小泉政権が推し進めてきた厳しい医療費抑制政策を引き継ぐことは確実」、(2)「他面、安倍政権が小泉政権を上回る激しい医療制度改革を行う可能性は、少なくとも当面はない」、(3)「安倍政権の下で、小泉政権末期には一時下火になっていた、医療分野への市場原理導入(新自由主義的改革)の『声』が再び大きくなる可能性が高い」。
これらのうち、(1)と(2)は予測通りでしたが、(3)は杞憂に終わった、さらに私が予想(期待)していなかった、政策の「揺り戻し」も生じた、と私は判断しています。以下、これら3点について、具体的に述べます(ただし、叙述の順番は変えます)。
小泉政権の政策を継承したが「揺り戻し」も生じた
第1に、安倍首相は、大枠では、小泉政権の医療費抑制政策を継承しています。具体的には、1月25日の臨時閣議で決定した「日本経済の進路と戦略」に、「医療保険については…今後5年間の幅の中で、公的給付の内容・範囲及び負担と給付の在り方、診療報酬や薬剤費の在り方について見直す」ことを盛り込みました。さらに3月16日の経済財政諮問会議では、医療・介護分野のコスト削減策について「具体的な改革項目と数値目標を盛り込んだプログラム策定に取り組んでいただきたい」と、柳沢厚生労働大臣に指示しました。これらにより、安倍首相は、小泉政権の置きみやげと言える「基本方針(骨太の方針)2006」に明記された、社会保障給付費を5年間で1.6兆円削減する方針を踏襲する姿勢を鮮明にしました。
しかし、第2に、このような医療・社会保障費の抑制政策の枠内でも、部分的には、小泉政権末期の2006年4月に一気に強行された、行き過ぎた医療・介護・福祉費抑制策、そのためのサービス給付制限と利用者負担の引き上げの揺り戻し・見直しが生じたことも、見落とせません。
主な揺り戻しは4つあります。第1は、昨年4月の診療報酬改定で導入された、リハビリテーションの算定日数制限が見直されたことです。具体的には、本年4月から、算定日数上限の除外対象患者の範囲が拡大されるとともに、医療保険でも維持期リハビリテーションが実施できるようになりました(「リハビリテーション医学管理料」の新設)。これは「リハビリテーション診療報酬改定を考える会(会長=多田富雄東大名誉教授)」とそれを強力に支援したリハビリテーション関係者・保険医協会等の運動の大きな成果と言えます。この見直しを決めた3月14日の中医協総会で、土田武史会長は、「48万人の署名が厚生労働大臣に出されるなど、国民の関心は高い。現場への周知が行き届かず、混乱しているとの報道もあり、私も強い関心を持ってきた」と率直に語りました(『週刊社会保障』3月26日号8頁)。
第2は、昨年4月に創設された介護予防事業の対象になる「特定高齢者」の選定基準が大幅に緩和されたことです。当初の基準はきわめて厳しく、「特定高齢者」の該当者は65歳以上人口の0.44%(昨年11月末現在)にすぎませんでしたが、緩和措置により約4%に引き上げられる見込みです。
第3は、昨年4月の介護報酬改定で軽度者には原則として保険給付しないこととされた福祉用具貸与について、本年4月から、医師の医学的所見などを要件にして、例外的に保険給付を認めることになったことです。
第4は、昨年4月に実施された障害者自立支援法により、福祉サービスの利用者負担がそれまでの応能負担から原則1割の応益負担に変更された結果、障害者の自己負担が激増し、利用抑制が生じたことに対して、3年間で総額1200億円に及ぶ「特別対策」(負担軽減措置の対象者と軽減率の拡大等)が決められ、2006年度の補正予算から実施されたことです。
これらの揺り戻し・見直しにより、患者・利用者の受けた大きな被害は、多少は修復されたと言えます。と同時に、このことは、小泉政権末期に実施された一連の医療・介護・福祉費抑制策が、各制度と患者・利用者の実態を無視した、いかに乱暴で残酷なものであったかをも明らかにしています。土田中医協会長は、上述したリハビリテーション料の緊急改定に際して、「介護保険がどういう状況なのか事前に分かっていれば、問題はある程度避けられた」と、厚生労働省に苦言を呈したそうです(『日本醫事新報』3月17日号7頁)。
新自由主義派の影響力はさらに低下
第3に指摘したいことは、医療・社会保障分野へも市場原理の導入を目指す新自由主義派の影響力が、安倍政権では小泉政権末期よりさらに低下したことです。
その象徴は、規制改革・民間開放推進会議が3年間執拗に求めていた「株式会社による医業経営の解禁」が、昨年12月の「第3次答申」(同会議として最後の答申)でも最終的に見送られたことです。さらに、3月16日の経済財政諮問会議に民間議員が提出した文書「社会保障改革について」の「プログラムに盛り込む事項(例)」は、厚生労働省が同日提示したものとほとんど重なっており、新自由主義的改革はまったく含まれていません。「議事要旨」を読んでも、八代尚宏議員を含めて、民間議員の誰もそれに言及していませんでした。
このように、前稿での私の危惧とは逆に、新自由主義的医療改革の「声」が、政府内でほとんど消えてしまった背景としては、安倍首相自身が小泉首相の推し進めた構造改革路線を軌道修正しつつあることが指摘できます。例えば、安倍首相は、3月9日の参議院予算委員会で「小泉さんは劇薬だが、私は漢方薬」と述べ、「小泉路線からの決別を示唆」しました(「毎日新聞」3月14日朝刊)。同首相は規制緩和についても「国民生活の安定には残すべき規制もある」と表明し、小泉首相の市場主義一辺倒の考え方とは距離を置いています(「日本経済新聞」3月29日朝刊)。そのために、経済財政諮問会議と規制改革会議(規制改革・民間開放推進会議の後継組織)の存在感は、安倍政権になって急速に低下しています。
八代尚宏氏の方向転換-アメリカ型からカナダ型へ
この点で注目すべきことは、「ミスター規制改革」と称されていた八代尚宏氏(経済財政諮問会議民間議員)の方向転換です。同氏は、かつては「小さな政府」の急先鋒であり、これからの社会保障改革についても「市場原理の米国方式を原則に、それを改良」していくと主張していました(「朝日新聞」1999年12月11日朝刊)。私が、前稿で、「安倍政権の下で、小泉政権末期には一時下火になっていた、医療分野への市場原理導入(新自由主義的改革)の『声』が再び大きくなる可能性が高い」と危惧した最大の理由は、八代氏が経済財政諮問会議民間議員になったことでした。
ところが、八代氏は本年1月に出版した新著『「健全な市場社会」への戦略』(東洋経済)で、突然方向転換し、以下のように述べました。「アメリカは、さまざまな意味で先進国の基準からやや離れた国であり、日本の目指すべきモデルとしてはふさわしくない。本書で掲げられているような、…『健全な市場社会』のモデルとしては、カナダが最適である」(22頁)。「アメリカは、先進国のなかでは当然とされている銃の規制や国民全体を対象とした医療保障制度を欠く『特殊な国』であり、あえて現在の日本の将来像と結びつける必要はない」(315~316頁)。「一般的に『大きな政府』と『小さな政府』のいずれが望ましいかという議論は不毛である」(7頁)。
私は、八代氏は首相の交代による政策の潮目の変化を察知して、速やかに主張を変えたのだと推察しており、その「変わり身の速さ」には驚かされます。ただし、第6章医療制度改革は八代氏の従来の主張の繰り返しで「看板に偽り」ですし、第15章の、アメリカ型に代わる「カナダ型市場社会のモデル」は、まったくの付け焼き刃であり、しかも先行研究の恣意的引用や誤読が目立ちます。そもそも八代氏は、カナダについての独自の研究は全くしていません。ともあれ、この本は、アメリカ型の改革を目指してきた新自由主義派が政策的に破産したことの告白書と言えます。
なお、同じ新自由主義派でも、小泉首相退陣に合わせて国会議員を辞職した竹中平蔵氏は、現在でも、「日本は小さな政府しかない」と頑なに主張しています(『週刊東洋経済』2月24日号90頁)。日本経団連も、2月20日に、新自由主義的医療改革を包括的に盛り込んだ提言「持続可能で国民の満足度の高い医療の実現に向けて」を発表しています。そのために、私は、新自由主義的派の「負け犬の遠吠え」は今後も続くと判断しています。ただし、今後も、新自由主義的医療改革の全面実施の可能性がまったくないことは前稿に書いた通りです。
[本稿は、4月7日に開催された第27回日本医学会総会のシンポジウム「世界の医療と日本の医療」の基調講演「よりより医療制度をめざした改革」の一部に加筆したものです」
3.拙インタビュー:日本の医療の「2本柱」は維持される
(『日経メディカル』2007年4月号(第473号):78頁)
医療制度の将来予測を行う上で、まず初めに指摘しておきたいのは、10年先を正確に予測するのは非常に困難であるということ。特に、医療保険制度は、数年先の予測すら難しい。保険制度の改革は「政治」の要素が強くなるが、政治の世界はまさに“一寸先は闇”だからだ。
ただし、次の2点については、10年単位で見てもほぼ断定的に予測が可能である。まず、国民医療費の対GDP比は上昇し、その意味で医療は「安定成長産業」であること。次に、日本の医療の2つの柱である国民皆保険制度と民間非営利医療機関主体の医療提供体制の大枠は維持され、株式会社による医療機関経営や混合診療の全面解禁といった新自由主義的改革の全面実施はあり得ないということだ。
営利病院が非営利病院に比べて医療費を増加させることは、米国での厳密な実証研究で明らかになっている。つまり、新自由主義的改革を行うと医療費が急増し、医療費抑制という「国是」に反することになる。国民皆保険と非営利の維持については、この10年間の論争で結論が出ており、2003年の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針」でも、国民皆保険制度を堅持することが確認されている。
「小泉改革」の揺り戻しも
今後の医療政策を予測する上で重要なのは、小泉政権時代の“猛スピード”の医療費抑制策の延長上で考えるべきではないということだ。小泉政権では、10~20年かけて行うような制度改革を一挙に実施し、矛盾も出てきた。その揺り戻しが来る可能性がある。最近、2006年の診療報酬改定で設けられたリハビリの日数制限が緩和されたが、これも揺り戻しとみることができる。
以上の点を踏まえた上で、幾つかの政策の方向性について検討してみたい。まず、医療保険の患者負担については、断定的な予測はできないが、3割負担という法定患者負担率は維持されるのではないか。ただ、保険給付範囲の縮小により、「実質患者負担率」は引き上げられる可能性がある。
「一般病床半減説」は誤り
医療提供体制のうち、一般病床の病床数については、「平均在院日数が半分になり、病床も半減する」との説が出たことがあるが、これはあり得ない。急性期病床の平均在院日数を短縮すれば、1日当たり医療費が上がり、入院医療費総額も増加する可能性が高いからだ。
療養病床削減の問題について、注意したいのは、法律で決まっているのは介護保険の療養病床を廃止することだけで、「2011年度末までに医療保険療養病床を15万床に減らす」というのは厚生労働省の願望にすぎないということ。いわゆる介護難民、医療難民が発生すれば、社会問題になる。厚労省としては患者を“人質”に取られているわけで、15万床まで減らすという強引な政策は取り得ないと思われる。(談)
4.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その7):7冊
※書名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○『医療経済学[論文選]-世界経済への批判的視点』(Culyer AJ (ed.):Health Economics - Critical Perspective on the World Economy. Routledge, 2006(Volume 1-3)-2007(Volume 4),545+450+386+600 pages)[研究論文集]
イギリスの医療経済学の泰斗カリヤー教授が1人で編集した、全4巻の現代医療経済学重要論文集で、1958~2004年に発表された78の英語論文が以下の8つのテーマ別に収録されています。(1)健康とその価値、(2)個人と集団の健康の決定因子、(3)健康・医療に対する需要、(4)医療サービス需要、(5)医療保険、(6)市場の分析、(7)費用効果分析、費用効用分析および費用便益分析、(8)医療政策の効率と分配的側面(1巻ごとに2つのテーマ)。各巻ごとにカリヤー教授の解題(全論文の解説)がついており、これを読むだけでも、教科書を読むだけでは得られない、医療経済学研究の広がりと深まりを理解できそうです。ただし、大変残念なことに、フュックス教授の論文はなぜか1つも収録されていません!?
○『医療の経済分析』(Morris S, et al: Economic Analysis in Health Care. John Wiley & Sons,2007,400 pages)[中級教科書]
イギリスの3人の経済学者による、経済学部生と大学院生のための医療経済学の最新の「中核的教科書」です。イギリスの教科書らしく、医療市場の分析と医療の経済評価の2部構成になっており、大変バランスが取れています。囲み記事でイギリス以外のたくさんの国の事例が紹介されるなど、国際的視点も特徴の1つです。私が一番驚いたことは、序文で、アメリカの教科書への対抗意識がはっきりと書かれていることです:「アメリカの教科書の焦点はアメリカ以外の国の医療制度を検討する上では適切とは言えない」!しかも、序文では医療経済学の先達として、イギリスのウィリアムスとカリヤーと並んで、アメリカのフュックスの3人があげられています。これも、イギリスの教科書としてはきわめて異例です。
○『医療経済学-医療産業[分析]のための原則と手法』(Getzen TE with Allen B: Health Care Economics - Principles and Tools for the Health Care Industry. John Wiley & Sons,2007,356 pages)[入門的教科書]
アメリカの著名な医療経済学者による最新の教科書です。全14章で、アメリカの伝統的教科書と異なり、「費用便益分析と費用効用分析」に1章(第3章)が割かれています。アメリカの教科書としては小ぶりなため、叙述は簡潔または浅いと思います。
○『医療経済・財政学[第3版]』(Getzen TE: Health Economics and Financing Third Edition. John Wiley & Sons,2007,458 pages)[入門的教科書]
同じ著者による、医学生等、主として非経済学系の学生・院生のための教科書の第3版です。狭義の経済学だけでなく、財政学もカバーしているのが特徴で、第1章は「専門用語-医療制度全体の資金の流れ」です。第3版では、新しく「キャピタル・ファイナンシングと医療施設の所有権」(第12章)が追加されたそうです。上掲書と同じく、「費用便益分析と費用効果分析」に1章(第3章)が割かれているだけでなく、医学概論的な章もあります(第16章)。
○『規範的医療経済学ー費用便益分析への新しい実用的接近、数学的モデルとその応用』(Islam SMN, et al: Normative Health Economics - A New Pragmatic Approach to Cost Benefit Analysis, Mathematical Models and Application. Palgrave, 2006,345 pages )[理論書]
2人のオーストラリアの経済学者による、道徳哲学の諸原則を適用して、社会的費用と社会的便益を推計可能な操作的数学モデルを含んだ「新しい費用便益分析」の構築を目指した野心的な本(のよう)です。
○『臨床試験の経済評価』(Glick HA, et al: Economic Evaluation in Clinical Trials. Oxford University Press,2007,244 pages)[概説書]
オックスフォード大学出版会の「医療の経済評価ハンドブック」シリーズの1冊で、アメリカの4人の臨床医が書いた、臨床試験と平行して経済評価を行うための「実用的なガイドブック」です。
○『肥満の経済学(医療経済学と医療サービス研究の進歩 第17巻)』(Bolin k, Cawley J (Ed.): The Economics of Obesity. Advances in Health Economics and Health Services Rearch Vol 17. Elsevier,2007,364pages)[研究論文集]
アメリカやヨーロッパ諸国で死亡率・罹病率の主要なリスクファクターになっている肥満の経済分析を行った13論文が収録されています。以下の4部構成です。(1)肥満の予測と関連行動(5論文)、(2)肥満の[外科・薬物]治療(2論文)、(3)肥満の労働市場(3論文)、(4)肥満のその他の費用と結果(3論文)。第4部には肥満者の病院利用・費用の高さを実測したデンマークの論文が含まれていますが、この論文を含めてどの論文も、肥満の治療・予防で医療費が抑制できるとは主張していません。また、アメリカでもヨーロッパでも、肥満関連疾病の医療費は総医療費の約6%とのことであり、それほど多額なわけではありません。
5.私の好きな名言・警句の紹介(その29)-最近知った名言・警句等
<研究と研究者のあり方>
- 村口史子(プロゴルファー)「プロの世界は結果がすべてだ。だからといって、人間性まで否定されるわけではない。ゴルフ人生も山あり谷あり。たとえ成績不振でも落ち込まず、前向きな気持ちを忘れないで」(「日本経済新聞」2007年4月17日朝刊「スポートピア 競技人生、浮沈越えて」)。二木コメント-この「救い」のある名言を読んで、次の正反対の「厳しい」名言を思い出しました。私はこれを読んだ時、研究の「過程に意義がある」(正確には、過程にも意義がある)学生・院生と、「結果がすべて」の教員との違いを改めて強く自覚しました。
- 岡田忠(朝日新聞運動部編集委員)「過程に意義があるアマチュアと違ってプロは結果がすべて。成績が伴わなくてはただの骨折り損なのである」(『週刊朝日』1994年1月28日号157頁「プロ野球 ドッキリ!コメント」。巨人・桑田真澄投手の言動を批判して)。
- 宗本智之(数学博士号を取得したデュシェンヌ型筋ジストロフィー者。人工呼吸器をつけ、動かせるのは口と目と右手の指だけ)「行き詰まった時こそ考えることが面白い」(「毎日新聞」2007年4月1日朝刊「ひと」)。
- 金子和雄(定年退職後に数学を学び、大阪大学で博士号を取得。71歳)「野球の千本ノックのように計算を続けていると、年に1、2回すうっと出口が見えることがある」、「気力が残るうちに、もう一歩迫りたい」(「朝日新聞」2007年3月30日朝刊「ひと」。指導教官の助教授(44歳)は「粘り強さは人生経験が培った」とたたえる)。二木コメント-私の恩師の川上武先生も「日常的に考えていると自然に分かる」とおっしゃっていました。私はこれを聞いて、「日曜研究者」を脱して日常的に勉強・研究する習慣を身につけるよう試行錯誤しました(拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,161頁)。
- 浅野史郎(前宮城県知事。4月の東京都知事選で石原慎太郎知事に挑み、大差で敗れた)「[何が敗因かと尋ねられ]一番は図式の問題。『石原都政、我慢できますか』と訴えたが、考えてみると、これを実感しているのは、教育や福祉の現場などで実害を受けている人たち。数は限られていた。(中略)妻は選挙前から『悲鳴を上げているのはごく一部の人たちでしょ』と言っていた。勝算有りと信じた私や参謀は、反対した妻や娘に負けた」(「朝日新聞」2007年4月14日夕刊「都知事選で敗れた浅野史郎さん(インタビュー)」。
二木コメント-残念ながら、これが「厳しい現実」と思います。私はこのことに1980年代末に気づき、『90年代の医療』(勁草書房,1990)所収の「医療政策を分析する視点・方法論のパラダイム転換」で、以下のような問題提起をしました。「貧困層と中所得層との医療要求の質が大きく異なってきている」ため、「貧困者医療の切り捨て政策を批判する」だけの「社会保障権的視角のみからの医療政策批判では、貧困層の支持は得られても、今や国民の多数を占める中所得層の支持や共感は得られず、その結果、政府の思惑通りに貧困層と中所得層との分断が促進される」。これを防ぐためには、「生存権・社会保障権的視角に、医療技術・サービスの質を向上させるという視角を加え、[医療政策を]『複眼的』に検討する必要がある」(78-81頁)。 - ラリー・キング(米CNNの「トークの帝王」)「毎朝、新聞5紙に目を通す。データではなく、時代の『におい』を感じるためだ」(「朝日新聞」2007年4月13日朝刊。文・萩一晶)。二木コメント-私も毎朝6紙に目を通しており、それにより時代・報道の潮目の変化を早く感じることができます。これを、英語では"scent a change in the wind"と言うようです(The Economist March 31st, p.61.保守党のキャメロン党首を評して)。
- 尾関章(朝日新聞論説委員)「歴史に『イフ(もし)』は禁物という。だが、未来が一直線ですべて決まっている、という素朴な決定論は、科学の目でみても古くなっている。私たちの前には、いくつもの選択肢が用意されているのだ。過去の選択肢を顧みることは、今最適の選択をするヒントになるだろう」(「朝日新聞」2007年4月9日夕刊「窓 論説委員室から-1968年のイフ)。二木コメント-医療分野の「素朴な決定論」は、厚生労働省が以前から改革の明確な青写真を持っており、それを粛々と実行しているとするものです。最近では、2005年12月に突如療養病床の再編・削減方針が出されたときに、一部の医療関係者はまことしやかにそう主張しました。
- 耳塚寛明(お茶の水女子大学教授)「かつては楽しみだった春休みという概念が消えて久しい。とはいえ[大学教授が-二木]他の職業人と比べて、事実として多忙なのかどうかは怪しい。もともと暇の世界に花開く職業なので、多忙感が募っているだけかもしれない」(「日本経済新聞」2007年3月26日朝刊「まなび再考 年度末の教授 論文審査や入試…春休みなく」)。二木コメント-私も、気がついたら「春休み」という感覚がなくなっていました。日本福祉大学に赴任して1年目(1985年度)の3月には、公務で大学に行かなければならない日はわずか3日(教授会2日と卒業式)にすぎず、先輩教員に「こんなにたくさん休んで、本当によいのですか?」と真顔で質問して、笑われました。それに対して、本年の3月には、公務・教育が入った日は16日間でした(教授会2日と卒業式に加え、大学院業務2日、管理職業務6日、COE業務1日、学部ゼミ合宿・大学院生指導4日)。ただし、私のように管理職に就いていても、学会・講演等の社会的活動が入った7日を除いて、丸1日自由になる日は8日あり、「他の職業人[寅さん流に言えば、労働者諸君]と比べて、事実として多忙」なわけではありません。
<教育と教育者のあり方>
- 利根川進(米・マサチューセッツ工科大学教授)「[大学院で教えを受けた渡辺格先生は]自分の研究に利用するのではなく、若い研究者の将来を考えて助けた。保守本流にならない名伯楽だからこそ、人が集まって慕った」(「朝日新聞」2007年4月20日夕刊「惜別」。渡辺格氏(慶應義塾大学名誉教授、分子生物学者。3月23日死去)の「お別れの会」に寄せたメッセージ)。二木コメント-拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房,2006)では、「『良い指導者』の資質にはいろいろありますが、私は広い意味での研究方法を身につけており、しかもそれを論文指導を通して教えられることが一番大事だと思っています」と書きました(90頁)。その後、それ以外の重要な資質として、弟子が研究テーマや進路等に迷ったとき、適切に助言できることも書くべきだったと思い、この本を用いた講義等では補足していました。私自身、上田敏先生や川上武先生から、なんども、「御自身の利害を超えた、率直でクールな助言(81頁)」をいただいていたからです。それだけに、このメッセージを読んで、我が意を得たり!と感じました。
- 広岡達朗(野球評論家。『野球再生』著者)「おだてるのとほめるのとは違いますよ。おだては甘い言葉で選手を動かしているだけで人は育たない。厳しいことを言う人に、きちんと結果を出した時にほめられれば、うれしいからまた頑張ろうと思うわけです」(『エコノミスト』2007年4月3日号3頁、「著者インタビュー」)。二木コメント-私はこの名言を読んで、伊藤進『ほめるな』(講談社現代新書,2006)を連想しました。この本は、現在日本で流行している「ほめる[だけの-二木]教育がなぜダメかを指摘し、コミュニケーション重視のインタラクティブ型支援を提唱」した本で、大学教員の必読書と思います。
<追悼・植木等さん(俳優で歌手。2007年3月27日、80歳で死去)>
- 植木等「やりたいことと、やらねばならないことは別と教えてくれたのがスーダラ節だった」(「毎日新聞」2007年3月29日朝刊「余録」で、後年の回想と紹介)。
- 井上ひさし(作家、劇作家)「植木さんの訃報に接して、改めてタテマエを立てて生きて行くべきことを、そしてそのタテマエとホンネを統一する生き方を問われているような気がしています」(「読売新聞」2007年3月29日朝刊「植木等さん さようなら」)。
- 井上鑑(作曲・編曲家、キーボード奏者)「楽しんではいたものの決して自己中心的に行き過ぎない、その姿勢は甘いものではなかった、その記憶が今鮮やかによみがえります」(「しんぶん赤旗」2007年4月3日「追悼・Modern Boy植木等」)。
<オマケ・スケールの大きな詭弁>
- ダボス会議のインド代表「では申し上げよう。古代インドはゼロを発見し、中国は羅針盤や火薬を発明した。西洋は1セントも払わずに無断使用してきたではないか」(「朝日新聞」2007年3月30日朝刊「新戦略を求めて」。英国人が、知的所有権をめぐり、中国やインドのDVDの海賊版をヤリ玉にあげたのに対して、こう反論)。二木コメント-このような、時空を超えた(?)壮大なスケールの詭弁は、私を含め、生真面目な日本人にはできません。私はこれを読んで、約30年前に耳にした次の堂々たる詭弁(開き直り)を思い出しました。
- ハーマン(アメリカの脳神経外科医)「I have too much to tell you.(私は皆さんにお話しすることがたくさんありすぎるんです)」(拙論「西欧のリハビリテーションと障害者福祉」『代々木病院医報』No.18:4-24,1978)。二木コメント-私は、1978年(31歳時)にスイスのバーゼル市で開かれた第3回国際リハビリテーション医学会議に参加しました。これは、初めての海外旅行&国際学会参加でした。ある一般演題の分科会で、ハーマン医師が持ち時間を大幅にオーバーして報告し続け、司会に注意されると、平気でこう言い放って、さらに延々としゃべり続けたことを見て、カルチャーショックを受けました。
私はこれを借用して、学内の研究会や勉強会で報告者が熱を入れて話す余り時間をオーバーした時に、「I have too much to tell youですね」と(嫌みを)言うことにしています。