総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻66号)』(転載)

二木立

発行日2010年02月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ

1.「日経メディカルオンライン」(http://medical.nikkeibp.co.jp/)の「私の視点」欄に、1月27日、私の論文「2010年診療報酬改定報道の3つの盲点」が掲載されました。3つの盲点とは、(1)薬価「隠れ引き下げ」を加えると全体改定率は実質0%である、(2)プラス改定は政権交代の成果とは言えない、(3)医科・歯科の引き上げ率格差は露骨な利益誘導であるです。本論文は『文化連情報』3月号にも掲載し、本「ニューズレター」67号(3月1日配信)にも転載予定ですが、早く読みたい方は日経メディカルオンライン掲載分をお読み下さい。日経メディカルオンラインは医師向けの会員制サイトですが、医師以外でもすぐに会員登録できます(入会費無料)。

2.『日経ビジネス』1月18日号(36~43頁)の特集「迷走・医療政策-早くも『公約倒れ』の危機」(飯島梓記者執筆)に、私のコメントが2個所引用されています。この特集には私も取材協力しましたが、民主党の医療政策の問題点をていねいに検証しており、一読をお薦めします。


1.論文:川上武先生の医療政策・医療史研究の軌跡と現代的意義

(「二木立教授の医療時評(その73)」『文化連情報』2010年月2月号(383号):14-23頁)

医師で医事評論家の川上武先生が、昨年7月2日、83歳でお亡くなりになられました。先生は、1961年に『日本の医者-現代医療構造の分析』(勁草書房)を出版して医療界に衝撃を与えて以来、亡くなられる直前まで50年間、医療・医学についての研究と発言を精力的に続けられると共に、医学史研究会関東地方会等、さまざまな少人数の「サークル方式の研究会」を通して若手研究者の育成に努められました。

私自身も、1972年に東京医科歯科大学医学部卒業直後から研究会に参加し、先生から直接、医療問題と社会科学・医療経済学の研究の手ほどきを受けました(その過程で、先生からいただいた研究上の御助言のうち、特に忘れられない「3つの名言」をコラムにまとめました)。

先生の研究領域は多岐にわたりますが、本稿では、医療政策・医療史研究に限定して、先生の研究の軌跡とそれの現代的意義を検討します。まず先生の50年の研究の軌跡を凝縮した『戦後日本医療史の証言-一研究者の歩み』(勁草書房、1998)について紹介します。次に私が選んだ先生の医療政策・医療史研究の最重要著書9冊をスケッチします。三番目に、先生の「メイド・イン・ジャパン」の医療政策・医療史研究の概念・視点を8つあげ、それらの現代的意義について考えます。最後に、先生が私たちに遺された「宿題」について簡単に述べます。

先生が嫌われたもの-懐古趣味・骨董趣味・権威主義

本題に入る前に、先生が嫌われたものをあげたいと思います。私の経験では、先生は懐古趣味、骨董趣味、権威主義の3つを非常に嫌われ、そのことは先生の研究のスタンス・方法とも密接に結びついていました。

まず先生は、後述する『戦後日本医療史の証言』で、研究者としての歩みを振り返られたときにも、「単なる懐古趣味」に陥らないように気を使われ、常に前向きに研究を続けられていました。次に、医学史研究をされながらも、稀覯本の類を集めることを嫌い、「骨董趣味の排除」を宣言されていました(「一冊の本」「しんぶん赤旗」1972年10月9日)。

3番目の権威主義嫌いは特に徹底しており、生涯、社会の権威(行政やアカデミー等)に対峙する姿勢を持ち続けられただけでなく、先生に学んでいる者が先生を尊敬して権威とみなすことも拒否されました。この点で、今でも忘れられないことがあります。それは私が、初めての単著『医療経済学』(医学書院、1985)の「あとがき」の草稿の最後の謝辞で、川上先生と上田敏先生(東大病院リハビリテーション部教授)に「恩師」という尊称を付けたときに、先生から「私と君とは上下関係にはない。君の思想的立場からも、こんな権威的な言葉を使うのはおかしい」と、烈火のごとく怒られて、その表現を削除したことです。

1.50年の研究の軌跡を凝縮した『戦後日本医療史の証言』

まず、先生の50年の研究の軌跡を凝縮した『戦後日本医療史の証言-一研究者の歩み』(勁草書房、1998)について紹介します(以下、本稿全体で、カッコ内の頁数は、断りのない限り本書の該当頁)。本書は現在でも流通しており、先生の研究の全体像を理解するための最良の手引き書です。

本書は二部構成で、第1部には3つのインタビューが収録されています。最初の「戦後日本医療史の証言」は私が聞き手で、先生の主要著作を読み返した上で詳細な質問メモを作成して、お話しをお聞きしました。第2部は著作リストで、各著作の「まえがき」、主要目次と「あとがき」が収録されています。

先生は、以下のように、特に「あとがき」を重視されていました。「私は単行本、論文集をまとめるときに、比較的早くから、“あとがき"をまとめると、私の個人史になるようなものにしようと意識してきた。したがって、執筆の動機やそれを促した社会経済的状況にもふれるようにつとめた。同時にそこで展開した私の要旨をなるべく短くのせるようにした」(xi頁)。それだけに、第1部のインタビューを読んだ後に、主要著作の「あとがき」を読むと、それぞれの著作の時代背景と先生の課題意識がよく理解できます。

「あとがき」が個人史になるように書くのは研究者にとって大変有効と思い、私も、最初の単著『医療経済学』から最新の著作『医療改革と財源選択』(勁草書房、2009)まで、ずっと真似しています。

「まえがき」に込められた研究に対する思い・姿勢

しかし、本書に限って言えば、「あとがき」よりも、長い「まえがき」(全17頁)の方がはるかに重要です。なぜなら、そこに先生の研究に対する思い・姿勢が率直に書かれているからです。それらの中でも、特に注目すべきは以下の3つと思います(ゴチックは二木)。

○「私は臨床に従事しながら、現代日本医療史、医療問題(技術論、経済論、医療文化論)の研究に集中し、その研究成果を発表し続け今日にいたっている。その場合の私の立場はアカデミー、行政、いわゆる有識者の仕事、発言に学ぶと同時に、それと対峙する姿勢を一貫して持ち続けてきた」(iv頁)。「診療と執筆活動という二足のワラジをはく人生」(xvi頁、397頁)。

○「研究者としては日常診療とサークル方式の研究活動の間で“ひらめいた"問題意識を大切にし、それを検証、具体化し、単行本にまとめ上げるのに生き甲斐を感じてきた」(viii頁)。この点と関連しますが、先生は本書の本文で、「特定のイデオロギーのみで教条的に予測したことはあまり当たっていない」と率直に述懐され、「自分が現場で体験したこととペーパーとを結合していけば、比較的ひどいまちがいはないだろうという実感をもっていました」と述べられています(9-10頁)。

○「日本型医療福祉システムの科学的な分析により、その長所と欠陥を究明」する(ii頁)。「現在の社会保障改革を論じるにあたって、研究者・行政官・有識者の多くは、日本の社会保障システムの欠陥の方のみに注目し、その改善策としてまずアメリカ、次に西欧、北欧諸国の先行経験を機械的に導入する傾向が目立つ。その場合、不思議なことに改善・改革の対象となる自分の国、日本の歴史についてはたかだか10年くらいしか知らないのではないかと思われることがある。これに対し、私は日本の医療・福祉・保健・年金の改革を問題にするとき、少なくとも“40年体制"以降を射程に入れ、さらにその根底にある明治の近代化以降の歴史への配慮にも心を配ってきたつもりである」(iii頁)。

2.医療政策・医療史研究の最重要著書9冊

先生の著作の総数は、数え方により変わりますが、最後の著作『私の戦後』(ドメス出版、2005)中の「著作リスト一覧」によると、共著・編著も含めて51冊に達します。この数自体が非常に多いのですが、注目すべきことは、そのうち単著が28冊と過半数を占めること、および先生が「医療史・医療問題の研究者・物書きとしての本命」(vii頁)と見なしていた「書き下ろし」・「先発完投型」の著作が11冊もあることです。これは、余人にはとても真似できない驚異的な「生産性」です。

これら多数の著作の中から、歴史に残る名著と現代の医療問題・医療政策を理解する上で今でも多くのヒント・示唆を与えてくれる本9冊を、やや~かなり私の興味と関心にひきつけて選んで、私の体験も交えつつ、簡単に解説します。これらの著作の大半は現在品切れとなっていますが、「アマゾン」や「日本の古本屋」のサイトから簡単に購入できます。以下、書名の後の*は書き下ろしを示し、断りのない限り、先生の単著で、出版社は勁草書房です。

なお、先生の医療史研究の中には、日本の近現代史研究の空白を埋めたと言える「抵抗の医学者」国崎定洞の研究書が4冊ありますが、それらの解説は私の能力を超えるので省略します。それらの最初の著作は『国崎定洞-抵抗の医学者』(1970、上林茂暢氏と共著)、決定版は『人間国崎定洞』(1995、加藤哲郎氏と共著)です。

『日本の医者』と『現代日本医療史』

『日本の医者-現代医療構造の分析』(1961*)は、「医者としての体験を軸として、医者の視角より日本医療の鳥瞰図をつくってみようと試み」(162頁)、「日本の医者にしぼって社会科学的・技術論的に分析」(6頁)した本邦初の著作です。当時医療界に大きな衝撃を与え、勁草書房にとってもロングセラーとなりました(1978年11刷)。この著作には、先生が、それまでに培ってきた経済学(特に農業経済学と日本資本主義発達史)と科学史・科学方法論の勉強と研究が生かされています。なお、『日本の医者』執筆の6年前に発表され、先生が「執筆活動の原型」(185頁)と自己評価されていた論文「医学史の方法論」(1955)は、『日本医療の課題』(1967)に収録されています。

『現代日本医療史-開業医制の変遷』(1965*)は、「日本の医者を知るには日本の医療史を知らなければだめだと書いた」、「『日本資本主義発達史』の医療版を書きたいと書いた」(6-7頁)、全569頁の大著です。

私自身が医学生時代を過ごした1960年代後半から1970年代初頭には、社会科学的方法で体系的に日本医療を分析した本はほとんどこの2冊だけでした。当時は学生運動が盛んでしたが、『日本の医者』は必読文献、『現代日本医療史』はかなり勉強している人が読む本とされていました。1978年に出版された『日本の開業医-開業医はどうなるか』は『日本の医者』の18年ぶりの「続編」と言えます。

なお、野村拓氏(大阪大学医学部講師・当時)も、先生に少し遅れて、『講座 医療政策史』(医療図書出版、1968)や『講座 現代の医療政策』(医療図書出版、1972)等を出版されましたが、少なくとも東京の医学生の間では余り読まれていませんでした。

『現代医療論』と『医療経営と技術』

『現代医療論-医療にとって技術とは』(1972)は、「日本医療を技術論的視点から系統的に整理し」(226頁)、先生の医療技術論を初めて本格的に論じた本です。当時から、医師の間では専門医志向が強かったのですが、本書は「現代の病院医療・専門医を背景とした医療観が、当面の医療問題の解決、医療の将来像確立を困難にしているとの判断から(中略)、医療体系のなかで一般医の技術的位置・役割を明らかにできるかどうかに、複雑怪奇と思われる医療問題をとく鍵がひそんでいる」(226-227頁)と先駆的に主張しました。本書は、今読み返しても、特に「一般医の技術」を考えるためのヒントに満ちています。先生自身もそのことを自覚され、先生の勉強会に参加している若手医師等と共同で、本書の増補改訂版(?)を作成する構想を立てていたと聞いています。

『医療経営と技術-医療費問題へのアプローチ』(1978)は、柳原病院の事務系職員を対象にした連続講義をまとめた「医療経営と技術を一体化」(50頁)した画期的な本です。

先生は、「私の臨床医としての側面をまとめたのが『現代医療論』であり、経営担当者的側面を整理したのが『医療経営と技術』」と位置づけていました(285頁)。

私自身は『現代医療論』を指針にして、当時勤務していた代々木病院で、リハビリテーション医療技術の標準化(技能の技術化)や脳卒中患者の最終自立度の早期予測法(予後学)を研究しました(二木立・上田敏『脳卒中の早期リハビリテーション』医学書院、1987)。さらに、 『医療経営と技術』 を指針にして、代々木病院で「医療内容の向上と結合した病院経営の改善を追究」しました(『医療経済学』医学書院、1985、あとがき)。

『現代日本病人史』と『戦後日本病人史』

『現代日本病人史-病人処遇の変遷』(1982*)は、『現代日本医療史』の「病人史」版であり、技術と人権という視角から明治以降の医療史・病人史を明らかにした大著(全632頁)です。本書は、出版当時、医療関係者よりも、むしろ福祉研究者に大きな衝撃を与えたと思います。なぜなら、病人史研究は「医療福祉の研究者が本来やるものなので、それを[川上]先生に先を越されたという点で大きなショックを与えた」のです(24頁。二木)。ただし、本書の分析対象は戦前・第二次大戦まででした。

『戦後日本病人史』(農文協、2002。川上武編)は、『現代日本病人史』の「戦後版」であり、先生と先生の薫陶を受けた6人が共同執筆した、全817頁の巨大書です。

『技術進歩と医療費』

『技術進歩と医療費-医療経済論』(1986*)は、先生の医療技術論を集大成し、しかも医療技術と医療費との関係を理論と歴史の両面から包括的に検討した大著(全437頁)です。医療経済学研究者のなかには、本書を先生の代表作と見なす方が少なくありません。私も、本書は「メイド・イン・ジャパン」の医療経済学研究を行うための必読文献と思います。

先生自身が、「最後の“書き下ろし"かと思うほど悪戦苦闘した本」(318頁)と述べられ、私も『朝日ジャーナル』(1986年10月10日号)で、本書の書評をしたときに、「重厚長大さ、理論の重さに圧倒され」、「先生の遺書」になるのでは?と心配しました。ただし、この予測はまったく外れ、先生はその後も、次々と新たな著作を出版されました

『農村医学からメディコポリス構想へ』と『医療改革と企業化』

8番目と9番目にあげたい著作は、『農村医学からメディコポリス構想へ-若月俊一の精神史』(1988*。小坂富美子氏と共著)『医療改革と企業化-日本医療の構造分析』(1991*。小坂富美子氏と共著)です。この2冊については、次の3で述べます。

医療問題・医療政策の「論文集」・「評論集」12冊

以上の9冊には含めなかった、先生の医療問題・医療政策の「論文集」・「評論集」には、以下の12冊があります。『医療の倫理』(1965)、『日本医療の課題』(1967)、『医学と社会』(1968)、『医療と人権』(1971)、『現代の医療問題』(1972)、『医療と福祉』(1973)、『医療復権のために』(1975)、『転換期の医療』(1976)、『日本医療の根本問題』(1979)、『80年代の医療問題』(1981)、『岐路に立つ医療問題』(1984)、『戦後医療史序説』(1992)

これらの著作は、『日本の医者』と『現代日本医療史』で確立した「日本医療構造の分析と医学論[の方法論-二木]を、現実の諸問題にとりくむなかで具体化したもの」(191頁)です。いずれも、政府・厚生省による公式の解説や通史には欠落している重要な事実や視点を含んだ「もう1つの医療政策史」となっており、1960年代~1980年代の医療政策・医療史を研究するための必読文献です。

手前味噌ですが、私の『リハビリテーション医療の社会経済学』(勁草書房、1988)から『医療改革と財源選択』(勁草書房、2009)に至る一連の論文集も、先生に学んだ問題意識と方法を用いて執筆・出版しています。

3.「メイド・イン・ジャパン」の医療政策・医療史研究の概念・視点

次に、先生が提唱・確立した「メイド・イン・ジャパン」の医療政策・医療史研究の概念・視点を8つ、ほぼ提唱順に紹介し、それの現代的意義を考えます。

(1)低医療費政策

先生の「低医療費政策」の定義は、「医療という本来公共投資すべきものを自由開業医制を媒介として患者・市民に転嫁してきた政策」(339頁)で、これは先生の医療政策・医療史研究の最大の鍵概念です。

この概念は、『日本の医者』(1961)『現代日本医療史』(1965)で萌芽的に用いられ、『医療と人権』(1971)『現代の医療問題』(1972)で定式化・本質規定がなされました。川上武・二木立「医療経済分析の視角-低医療費政策とは」(川上武・二木立編『日本医療の経済学』大月書店、1978、所収)で、その展開過程を跡づけています。

先生の低医療費政策の理解は、低医療費政策とは低診療報酬政策、公費出し惜しみ政策とする通説的理解とはまったく異なり、医師・医療機関には二面性があり、医療政策の被害者であると同時にそれから利益も得ていることに注目したものでした(13頁)。私は、このような複眼的理解をしないと、1980年代以降の厳しい医療費抑制政策の下でも、一部の病院が急拡大して、「病院チェーン」化や「保健・医療・福祉複合体」化した事実を説明できないと思っています。

他面、先生が通説と同じ「低医療費政策」という用語を用いたことで、無用の誤解が生まれたことも否めません。そのためもあり、先生は、『戦後日本医療史の証言』で、低医療費政策という言葉は、「いまになって考えると、『私的医療機関誘導型の医療システム』と言った方がよかったかなという気がします」(12頁)と述懐されています。

「開業医制」と「開業医」の区別

低医療費政策との関わりで、先生が、「開業医制」と「開業医」を峻別していたことについて、注意を喚起したいと思います。なぜなら、この区別を見落として、先生が主として開業医(診療所医師)を分析対象にして、私的大病院の成長を軽視したと誤解している方が少なくないからです。

先生は、『現代日本医療史』で、「開業医制の基本的特徴が、『自由に開業できること、および商品としての医療を提供するかぎり、営利性をもつこと』の2点にあるという佐口卓氏の主張を確認した上で、「医療のもっている本来的なヒューマニズム、個々の医者の善意にもかかわらず、全体としては資本主義的営利の追求を目的とし、それが医療全体を法則的に貫いているのが開業医制」と定義されました。注目すべきことは、「この特徴は医療機関の設立者の性格によって変わるものではない」ことを強調されたことです(『現代日本医療史』「開業医制の位置」8頁)。上述した低医療費政策の複眼的規定は、開業医制のこのような立体的把握に基づいて生まれたのです。

(2)福祉の医療化

「福祉の医療化」は、「社会政策・社会事業の一環として本来福祉として扱うべきものを医療に転嫁し代替してきた政策」(339頁)です。初出は『日本医療の根本問題』(1979)で、前年のリハビリテーション交流セミナーの講演で初めて用いられました(14頁)。この規定は、「社会的入院」の規定とも言えます。しかも先生が「社会的入院」という事実に気づかれたのは、それより30年前の1950年代の久我山病院勤務医時代だそうです(16,136頁)。

先生は、その後、『医療改革と企業化』(1991。小坂富美子氏と共著)の「はしがき」で、「<福祉の医療化>政策は失敗により政策転換せざるを得ない状況にある」と評価されました(339頁)。この点は、同書で、低医療費政策は「修正をせまられ」つつも、継続していると評価されたのと対照的です。福祉の医療化の「政策転換」は、社会的入院の是正を目的の1つとした2000年の介護保険制度創設により実現しました。ただし、介護保険制度開始後も社会的入院は温存され、福祉の医療化の「現実」は現在も継続していると言えます。

なお、「社会的入院」は老人医療との関わりで用いられることが多いのですが、この用語が政府の公式文書に最初に登場したのははるかに早く、1954年の厚生省社会局通知「生活保護法による医療扶助の適正実施について」の第5項「入院について」においてです。この通知では、結核及び精神疾患の入退院の取扱いについて、医学的治療を終わっているが、退院先のない患者にも入院の継続を認めることとされました(詳しくは、『保健医療福祉くせものキーワード事典』医学書院,2008,30-31頁)。

(3)技術と人権の視点

先生が「技術と人権」の視点を深めたのは、1950年代に、朝日訴訟で原告側の証人になるなどして、運動に参加するようになってからだそうです(18頁)。私の調べた範囲では、この視点を最初に定式化したのは、『現代の医療問題』(東京大学出版会,1972,211頁)だと思います。「医療の進歩は、原則的に2つの力によって与えられている。第1は医学研究の進歩、医療技術の革新であり、第2に社会の人間尊重の姿勢の軽重であり、つきつめればその社会の人権意識の強弱である」。

それ以来、先生は、この複眼的視点から、「人権なき技術学」と「技術なき人権論」の両方の批判を続けられました(20頁。この命名は二木)。「人権なき技術学」批判の代表例は、和田心臓移植批判であり、論文「心臓移植は人間を救うか」(『朝日ジャーナル』1968年1月21日号)は、日本で初めての脳死判定批判論文だそうです(21頁。『医学と社会』(1968)所収)。他方、「技術なき人権論」として、先生は一貫して第二次大戦後の過剰診療を批判されました。

『現代日本病人史』は、この技術と人権の視点から明治以降の医療史を検証したものです(24頁)。私が、今でも忘れられないのは、「医療技術と病人の関係は、当面の医療技術がどの段階にあるかによって、病人の受ける影響が決定的に違ってくる」(『現代日本病人史』17頁)という問題提起で、これは人権の視点のみで書かれていた多くの病人史に欠落している視点でした。

(4)武谷技術論の医療技術への適用と発展

先生は、常に、技術と人権の視点から医療を分析されましたが、その際、武谷三男氏(著名な理論物理学者・科学史家。2000年死去)が提唱した技術論・科学論(これも大半が「メイド・イン・ジャパン」)を積極的に用いられました。

先生は、武谷技術論のうち、特に次の3つの柱を重視されました。(1)技術を客観的法則の意識的適用とする規定、(2)技術と技能の関係(および技能の技術化)、(3)技術発展の3段階論(現象論-実態論-本質論)(32頁)。

第二次大戦後1970年代まで、日本では、技術の本質について「意識的適用」説(武谷説)対「労働手段体系」説の論争が活発に行われていたのですが、先生は、医療分野での意識的適用説の旗手でした。また、『技術進歩と医療費』(1986)では、結核医療を中心にして、全面的に技術発展の3段階論を展開されました。

先生が3段階論の医療への適用について注意されたことは、3段階の技術の価値に上下はなく、3種類の技術はたえずミックスした状態で進むことでした(37頁)。と同時に、先生は『技術進歩と医療費』を執筆する過程で、老人病や心・精神の問題では医療技術の3段階論に適用限界がある(「老人病の本質的技術はない」等)ことに気づかれたそうです(35頁)。そして、この頃から、3段階論の適用限界を認めない武谷三男氏との間の溝が生じたようです。

なお、国際的には、医療技術の発展段階説としては、トーマスの3段階論(無技術-中間型技術-高度技術)が有名で、これは先生の医療技術発展の3段階論と酷似しています。しかし、トーマス説の初出は1974年であり、先生の武谷3段階論の医療技術への本格的適用(1972年以前)の方が、少なくとも2年先です(41頁)。なお、先生は『技術進歩と医療費』(1986)の第3章3「技術進歩のレベルと医療費」で、武谷3段階論とトーマス3段階論との異同を詳細に検討し、武谷説の優位性を主張されています。

(5)第一次・第二次(・第三次)医療技術革新

先生の提唱したさまざまな医療政策研究の概念のうちもっともポピュラーなものが、第一次医療技術革新と第二次医療技術革新(の区別)だと思います。第一次医療技術革新とは、抗生物質等第二次大戦直後に導入された一連の医療技術で、技術の発展段階では「本質的技術」が多く、それにより感染症が克服されるとともに、それぞれの疾患単位の総医療費も節減されました(結核医療費の激減等)。それに対して、第二次技術革新は1960年代後半以降に、医療産業主導で生じた情報科学・オートメーションの医療への全面的導入で、技術の発展段階は「実体論的技術」・「中間型技術」にとどまっているため、医療費を高騰させます。

この概念は、最初に「朝日新聞」(1972年5月16日夕刊)で発表され(『医療と福祉』(1973)に収録)、その後『技術進歩と医療費』第4章「戦後の医療技術革新と医療費」で包括的に展開されました。これは、日本の医療技術史を論じる際の鍵概念になっています。

先生は、さらに『21世紀への社会保障改革』(1997)で、「第三次医療技術革新」という概念を提唱されました。これは、臓器移植、遺伝子操作、体外受精等を指し、技術の発展段階としては「中間型技術」であり、この点では第二次医療技術革新と同じですが、「従来の技術とちがい医療技術自体のなかに医の倫理が内蔵されているという点でその[医療技術の-二木]パラダイム転換をせまってくる」(同書110頁)とされました。この概念は、その後、『戦後日本病人史』(2002)第Ⅱ部「はじめに」(611頁)で詳しく展開されました。

私自身は第二次医療技術革新と第三次医療技術革新を区分する理由が今ひとつよく理解できず、先生御自身も『戦後日本医療史の証言』で、私の疑問に答えて、「厳密に言えば、…第二次医療技術革新前期・後期としなければならない」(41頁)と述べられています。しかし、「医療技術自体のなかに医の倫理が内蔵される」という視点は新鮮かつ重要だと思います。

(6)技術自体と技術システム

医療技術を「技術自体」と「技術システム」に二分する概念操作は、先生が『技術進歩と医療費』(1986)の「まえがき」で初めて提起されたもので、医療技術と医療費との関係を理論的・実証的に検討する上で不可欠なだけでなく、日本の医療改革を考える上でも、大きな威力を発揮します(34頁)。

技術自体[個々の医療技術-二木]は、上述した技術の発展段階に沿って現象論・実体論・本質論の3段階に分けられ、インターナショナルな性格をもっています。それに対して、「技術システムの方は技術要因(入院と外来の機能分化、治療と予防の相対的自立など)と社会要因(伝統・慣行・文化などからの制約)の2つの要因から構成されて」おり、「前者はインターナショナルなのに対し、後者はナショナルな性格が強いのが特徴」です(『技術進歩と医療費』iii頁)。

このような区分を行った上で、先生は、技術システムの二面性という「特徴を無視した外国からの医療改革の機械的導入は、技術自体の場合とはちがい、いろいろの摩擦(とくに行政と医療関係団体との間)の激化をまねくおそれが大きい」と警告し、「医療技術システムの日本型モデルのメリットとデメリットの再検討が要請されている」と主張されました。私は、医療技術の二分論にもとづいた、先生のこの警告と問題提起は現在もそのまま通用すると思います。

なお、医療技術の国際的に統一された定義はまだ存在しませんが、もっともよく用いられているのは、アメリカ議会技術評価庁(OTA)が1978年に発表した次の定義です。「医療分野で用いられている医薬品・医療用具と内科的・外科的手技、および医療が提供される組織的・支援的システム」。しかし、私はこれは医療技術の構成要素を羅列しただけの平板な定義であり、医療技術を技術自体と技術システムに二分する先生の捉え方の方がはるかに立体的で、しかも医療の経済・政策分析にも有効だと思います(37頁)。

(7)メディコポリス構想

メディコポリス構想は、先生が、農村医療のメッカである長野県・佐久総合病院(若月俊一院長・当時)の発展過程の詳細な研究を通して見いだされ、日本の国土計画(特にテクノポリス構想)と対置して提唱された、病院を中核とする農村再生・地域経済活性化プランです(42頁。初出は『農村医学からメディコポリス構想へ』1988、第1章、小坂富美子氏と共著)。先生は、「再生に向けての基本的条件」として、(1)医療・福祉システムの整備、(2)教育施設の充実、(3)住民の生計を確保できる産業振興の3つの分野をあげられました(上掲書21頁)。さらに先生はこの構想が「佐久病院の特殊性に終わるものではなく、公私の大型病院を中核とした医療ネットワークが確保されている地方なら、検討に値する課題」と、この構想の普遍性にも言及されました(上掲書21頁))。

先生は、その後、宮本憲一氏(大阪市立大学教授・当時)の助言により、メディコポリス構想に、自然(環境)と町並みを加えられました(45頁)。さらに宮本憲一氏らは、佐久地域の3町村の産業構造の推計や地域財政論の分析に基づいて、メディコポリス構想の経済的有効性を実証されました(『地域経営と内発的発展』農文協,1998)。

このメディコポリス構想は、佐久総合病院の行動綱領の2番目に掲げられるなど、現在でも、佐久総合病院の再構築の指導理論になっています(清水茂文「メディコポリス構想と農村医科大学」『社会保険旬報』2388,2389号,2009.佐久総合病院・信州宮本塾合同研究会『地域医療とまちづくり-佐久病院の再構築から』2009)。

メディコポリス構想は、最近強調されている医療の雇用・生産誘発効果論(『平成20年版厚生労働白書』28-32頁等)の先駆とも言えます。ただし、先生自身が「農村再生」と限定的に述べたように、適用限界もあると思います。

(8)医療企業化の二区分

先生の提唱された概念として最後にあげたいのは、医療企業化を企業の医療への参入と企業家的医師の活動範囲の拡大の2つに区分することです。先生は、レールマンの「医療産業複合体」(1980)に触発されて、1980年代以降の医療改革を医療の企業化として把握され、それの実態調査を行う中で、この2区分に到達しました(53頁。初出は『医療改革と企業化』1991、小坂富美子氏と共著)。ただし、上述したように、先生は、『日本の医者』(1961)と『現代日本医療史』(1965)以来、法制度的には非営利とされる日本の医療施設・「開業医制」に営利性が潜むことを一貫して指摘されていました。

この2区分は、当時、医療団体・医療関係者の間で支配的であった、医療の企業化を営利企業の医療分野への参入のみに限定する一面的理解を乗り越えるものでした。

私が1980年代末~1990年代に行った「病院チェーン」と「保健・医療・福祉複合体」の実証研究は、この2区分説に触発されて始めました(『現代日本医療の実証分析』医学書院,1990。『保健・医療・福祉複合体』医学書院,1998)。また、小泉政権時代に経済財政諮問会議等が株式会社の医療機関経営解禁を主張したとき、私は先生のこの二区分説に依拠して、それを複眼的に批判しました(『医療改革と病院』勁草書房,2004,第Ⅲ章第1節「株式会社の病院経営参入論の挫折」)。

おわりに-先生が遺された「宿題」

最後に、川上先生が先生に続く研究者や研究を志す者に遺された「宿題」について述べます。私はそれらは3つあると思います。

第1は、歴史研究と科学技術論の両方を踏まえた「メイド・イン・ジャパン」の研究を、それぞれの専門分野で進めることです。第2は、先生が『戦後日本医療史の証言』で何度もその必要性に言及されながら、ご自分では成し遂げられなかった、包括的な「戦後医療史研究」をまとめることです。

第3は研究テーマではなく、研究方法に関することですが、少人数のサークル方式の研究会の長所と限界の自覚です。本稿の冒頭に述べたように、先生は少人数のサークル方式の研究会を非常に重視されました。と同時に、『戦後日本医療史の証言』の「まえがき」では、「サークル方式の研究会の限界」もはじめて指摘されました(xiv頁)。

私自身は、先生の主催された少人数研究会に参加することで、研究者としての心構えと研究方法を身につけたため、それの意義はよく理解しています。と同時に、私が研究を始めた1970年代に比べて学問研究の専門分化がはるかに進んだ現在では、サークル方式の研究会のみで研究者として独り立ちすることは困難になっているとも考えています。

しかも、当時と異なり、現在では、社会人が働きながら学べる夜間制・通信制の大学院が整備されています。宣伝で恐縮ですが、私の勤務する日本福祉大学も、社会人対象の大学院として、「医療・福祉マネジメント研究科」(夜間制)や「社会福祉学研究科(通信課程)」等を開設しています。それだけに、医療政策や医療史の本格的研究を志す方には大学院に入学することをお薦めしたいと思います。

[本稿は、2009年12月19日に東京・日本赤十字看護大学で開かれた「日本医療の変革の道-川上武に学ぶ」リレー講演会で行った同名の講演をまとめたものです。]

コラム 川上武先生の思い出-3つの名言

私が川上先生に最初にお世話になったのは、1967年9月22日に、東京医科歯科大学教養部で特別講演「日本医療の将来」をしていただいた時です。私は、当時、同大学2年生で教養部学生自治会の役員をしていたのですが、夏休みに先生の名著『日本の医者』(勁草書房,1961)と新著『日本医療の課題』(勁草書房,1967年)を読んで感激し、先生が院長をされていた杉並組合病院にお伺いして講演をお願いし、快くお引き受けいただきました。

その後1972年に臨床医になってからは、医学史研究会関東地方会や先生のご自宅での少人数勉強会等を通して、社会科学と医療問題の勉強・研究の基本を継続的・系統的に御指導いただきました。先生から学んだことは、2006年に出版した『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房)の第4・5章に書かせていただきました。ここでは、私の心に今でも鮮明に残っており、しかも若い研究者にも参考になると思う、先生の3つの名言(私への御助言・叱責)を紹介したいと思います(カッコ内は上掲書の該当頁)。

第1は、「唯物論的に書け」です(80頁)。こう言われたのは、1972年8月26日に、川上先生のご自宅で、私の初めての論文「医療基本法」の草稿を読んでいただいたときでした。この論文は、学生運動の先輩である三浦聡雄医師の推薦で、先生と中川米造先生編集の『医療保障(講座・現代の医療3)』(日本評論社)の1論文として書かせていただくことになりました。当時私には学生運動の経験を通して身につけた「観念的に書く」(運動を盛り上げるために、意識的・無意識的に大げさに書く)癖がしみついていたのですが、先生はそのことを一読して見抜き、こう叱責されました。この名言は、日本福祉大学教員になり、大学院生の論文指導をするようになってからずっと愛用・常用しています。福祉系の院生は、当時の私以上に、理念偏重で「観念的に書く」傾向が強いからです。

第2は、「日常的に考えていると自然に分かる」です(161頁)。これは、1976年5月18日に、川上先生のご自宅で少人数の読書会をしていたときに、先生がさらりと言われた名言です。当時、私は、リハビリテーション医として脂がのっていた時期で、平日は診療や臨床研究に追われていたため、勉強会のテキストを読むのがやっとで、医療に対する問題意識がやや希薄になっていました。しかし、この名言を聞いて以降、「日曜研究者」を脱して、平日も継続的に勉強・研究する習慣をつけようと改めて決意しました。

第3は、「教職に就ける最初のチャンスを絶対に逃すな」です(92頁)。私は、1985年度に日本福祉大学教員(教授)に採用されたのですが、前年夏にその公募情報を得たときには、それに応じることに少し逡巡しました。当時は、日本福祉大学は東京ではほとんど無名の大学で、しかも東京から愛知に行くのは「都落ち」のイメージがあったからです。その時に、川上先生はこう叱責して、私の背中を強く押してくれました(私のリハビリテーション医学の恩師、上田敏先生からも同様の叱責を受けました)。日本福祉大学に赴任後数年してベストセラーになった鷲田小彌太『大学教授になる方法』(青弓社,1991)には、大学教員になるためには「勤務地にこだわるな」と書かれており、遅まきながら先生の判断の正しさを実感しました。以来、院生や若い研究者には必ず同じ助言をしています。(『日本医療の変革の道-川上武に学ぶ』2009年12月19日発行,98頁)

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2.インタビュー:民主党の医療政策は底が浅く危うい

(『月刊/保険診療』2010年1月号(65巻1号):50-54頁)

1 後期高齢者医療制度に代わる新たな制度

―後期高齢者医療制度の廃止について,二木先生は従来から老人保健制度に戻すことを主張されています。

その問題の立て方は狭すぎると思います。今,政策的には,後期高齢者医療制度だけでなく,「高齢者の医療の確保に関する法律」全体の是非を考えるべきです。あの法律には後期高齢者医療制度の問題もあるし,前期高齢者の医療の問題もあり,さらに大きな問題としては,医療費抑制の数値目標を達成できない場合,保険者と自治体にペナルティを加えるという恐ろしい仕組みまである。そこまで含めて議論すべきというのが,私の立場です。

私は,後期高齢者医療制度が始まった直後に,後期高齢者医療制度廃止と老人保健制度の復活に賛成と主張しましたが,老人保健制度が最良の制度だからそれに戻せといっているわけではありません(『医療改革と財源選択』勁草書房,2009,第3章第3節)。今の後期高齢者医療制度,正確にいうと「高齢者の医療の確保に関する法律」には,あまりにも大きな問題があるから,老人保健制度のほうが相対的にまし,だから戻すべきといっているだけです。

―民主党の新たな制度を検討したうえでの廃止という主張についてはいかがですか。

民主党の政策に関していえば,まず手続き論からあまりにも無責任です。総選挙のマニュアルには,後期高齢者医療制度の廃止とのみ書かれ,新しい制度発足については一切触れていなかった。なおかつ,民主党が野党だった2008年には,他の野党と共同で後期高齢者医療制度を廃止して老人保健制度を復活させる法案を共同提案して,参議院で可決され衆議院では継続審議になっていたので,手続き的にはそれを通すのが筋です。

今回,長妻大臣が示した,高齢者医療制度改革会議での新たな制度検討に当たっての6項目の「基本的な考え方」の一つに「『地域保険としての一元的運用』の第一段階として,高齢者のための新たな制度を構築する」があります。「高齢者のための新たな制度」というのはどう読んでも,高齢者のための独自制度ですが、次項では「後期高齢者医療制度の年齢で区分するという問題を解消する制度とする」と書いています。しかし、この2つの「考え方」の両立は極めて困難です。

その点,老人保健制度は矛盾が相対的に少ない制度です。老人は医療給付面では別建てにしているけれど,保険加入者としては一緒になっていますから。

―高齢者医療確保法のその他の問題点はどのようなことでしょうか。

高齢者医療確保法の一番の毒の部分は,保険料を支払えなかった高齢者からの保険証の取り上げ(資格証明書の発行)です。民主党政権になってから,昨年10月に厚生労働省は「現内閣においては原則として資格証明書を交付しない」とする通知を出しましたが,これはあくまで「現内閣」限りの運用レベルの措置で,今後また方針が変わる可能性もあります。しかも,資格証明書の前段階と言える短期保険証はすでに40道府県で発行済みです。

もう一つ大きな問題は,後期高齢者の医療制度を独立させたことによって,後期高齢者の保険料負担が若人向けの医療保険に比べて急増する仕組みになったことです。現状のままでは,後期高齢者の保険料負担は来年度13.8%も増加すると試算されています。後期高齢者医療制度を廃止する前にも,このような極端に高い保険料の引上げを緩和する措置が必要です。

このように考えてくると,老人保健制度復活のほうがよほどすっきりする。もし一気に医療保険制度の一元化まで持っていくのであれば別ですが,医療保険制度の一元化は国民皆保険が1961年に始まってから掛け声だけで絶対実現しない政策です。

2 医療保険制度の一元化と一元的運用

―医療保険制度の一元化について,一元的運用とは別だということですね。

民主党の医療政策はしょっちゅう変わりますし,一元的運用の説明はどこにもない。一元的運用とはどうにでも取れる玉虫色の表現です。

ただし,民主党の医療保険制度改革案には一歩前進があり,それは負担の公平化を主張している点です。具体的には,医療政策の詳細版に「わが国の医療保険制度は国民健康保険,被用者保険など,それぞれの制度間ならびに制度内に負担の不公平があり,これを是正します」と書いてある。これは医療保険間の財政調整を意味します。今までの財政調整は,組合管掌健康保険と協会けんぽの枠内でしたが,この表現はそれを国民健康保険にまで拡げるもので,高く評価できます。

ただ完全な財政調整をするとなると,保険が分離して存在する意味がなくなり,社会保険方式の理念と抵触します。しかし,たとえ部分的にであれ財政調整を全保険間で導入すること自体は評価できます。

3 療養病床削減計画の凍結措置

―療養病床の削減計画については,凍結する旨を民主党は掲げています。

これも民主党の医療政策が変わっているひとつで,ほんの数年前には療養病床削減をいっていました。2006年の時点では厚生労働省よりも激しい,一般病床,療養病床,精神病床の全病床の大幅削減を掲げていました。それを,昨年の総選挙マニフェストでは全部削除し,なおかつ療養病床削減は凍結という表現を使った。

私はとりあえずの措置は,これでよいと思います。療養病床の削減計画は,小泉政権が2005年9月の郵政選挙で大勝して,首相から医療費抑制に対する強い指示があって,厚生労働省がそれに従うために,急遽苦し紛れに出してきたものです。この点は,当時保険局に在籍していた村上正泰さんが詳細に証言しています(『高齢者医療難民』PHP新書,2008)。療養病床の削減には,社会的入院の是正とか,いろいろ大義名分はあるけれど,実際は医療費抑制以外の何物でもなかったことは今や明らかです。

なおかつ,厚生労働省は,当時,中医協「慢性期入院医療実態調査」等の結果を操作しました。具体的には,“医学的指示の変更がない患者",つまり医療ケアは受けているが指示の変更はないと病院側が回答した患者を,“医学的指示がいらない患者"にすり替えて,“5割は医療が必要ない患者"というとんでもないキャンペーンを張り,マスコミもそれを無批判に報道しました。

しかし実際に現場をみると,医療療養病床でも介護療養病床でも,医療的処置が必要ないといわれる患者のなかに,経鼻栄養やバルーンを入れている患者や,喀痰吸引が非常に多い患者など,よほど手厚いケアを受けない限り自宅に帰れない人が多数含まれています。

そのような重症患者に関しては,在宅ケアで費用が安くなることはない。むしろ高くなることは,厚労省の佐藤敏信保険局医療課長も一昨年の講演で率直に認めました(2008年11月14日全国公私病院連盟「国民の健康会議」)。

―医療費はむしろ高くなると。

実際に医療的処置の必要な患者が相当数いることを考えると,たとえ介護療養病床の廃止を強行したとしても,在宅の手厚い受け皿を整えることが不可欠ですから,医療・介護費が減ることは絶対ないことは,はっきりしている。

だから療養病床廃止の凍結は,ぜひ貫いてほしい。と同時に,厚生労働省が当時指摘したような5割の患者が退院できるというのはいいすぎだけれども,逆に受け皿を整備すれば,療養病床以外の老人保健施設や有料老人ホーム、在宅でも受入れ可能な患者が相当数存在するのは事実だと思います。そのような受け皿の整備を先行させる必要があります。

3 中医協の診療報酬改定プロセス

―中医協の委員交代などもあり,改定に向けての議論が混乱しているようですが。

中医協委員の交代での,日本医師会代表の排除は手続き民主主義を破壊したやり方です。これは医師会の方針に賛成とか反対とかいう問題ではありません。

中医協は,もともと診療側と支払側の代表が団体交渉する「当事者自治」の場です。当事者団体の代表が集まって交渉を行い,団体間の合意をそれぞれの団体の組織員に徹底させるやり方だから,一方の団体(日本医師会)の代表が排除されると,そこで合意されたことの実行が担保されないのです。

小泉政権時代に,当時の小泉首相の強い指示で中医協委員の団体推薦制は廃止されたけれど,それだけではまずいということで,「地域医療の担い手の立場を適切に代表し得ると認められる者の意見に,それぞれ配慮する」と社会保険医療協議会法第3条第5項に明記されました。地域医療の担い手で医師を代表する団体というと,医師全体の3分の2を構成員として組織している日本医師会に「配慮」しないわけにはいかないのです。それを否定するのは法律違反です。

―医師会の委員を入れる必要があると。

勤務医のなかに,今の日本医師会は勤務医の意見を反映していないという意見がありますし,それは日本医師会の昨年10月の第121回臨時代議員会でも指摘されています。しかしそれは医師会の内部で議論して変えればよいことです。

私は,『現代思想』2009年10月号に発表した論文「民主党の医療政策とその実現可能性を読む」で,今回の政権交代で,医師会等の医療団体と政党の関係が変わることを高く評価しました。今までは,ほぼ永久政権のもとで,政権与党(自民党)と医師会等が癒着していた。その関係が断ち切られて,医師会等が,それぞれの立場から各政党と是々非々の立場で接する,もちろん政権党との関係が強くなるのは当然ですが,あくまでも各団体の考えるあるべき医療実現のために働きかける関係に移行する,それがよかったと思った。現実に日本医師会政治連盟は自民党一党支持を正式に外しました。

それに対して,民主党が中医協人事に強権的に介入し,そしてそれを梃子にして医師会全体を民主党の支持団体に一挙に変えようという動きがあるのは,民主主義の手続きからいってもおかしい。このような乱暴で強権的な政治主導は到底容認できません。

5 行政刷新会議の事業仕分け

―診療報酬について,事業仕分けが行われたことも大きな変化でした。

百歩譲って,国民に選ばれた民主党の国会議員による「仕分け」ならまだ正統性がありますが,選ばれた経緯のまったくわからない民間人が主導して行うのはおかしい。しかも委員のなかには,小泉政権時代に規制改革会議委員として,株式会社の病院経営解禁や混合診療解禁など,現在の民主党が否定している医療分野への市場原理導入を主張した人が入っている。そのためもあり,民主党の医療政策の表看板だった診療報酬の大幅引上げを否定する結論を出した。それに勢いを得て,財務省は診療報酬全体の3%引き下げとか,とんでもない主張をしています。

仕分け会議では,診療報酬の凍結(配分の見直し)だけではなくて,医師の確保,救急・周産期対象の補助金等事業も半額計上とされた。これは前政権から引き継がれた政策で,医療危機のなかでも特に深刻な救急・周産期医療に関しては,全国一律の診療報酬だけではカバーできない面があり,それを補助金で補足する制度です。このような補助金の役割を事実上否定し「結論」は,あまりに粗雑です。

―事業仕分けが改定に影響を与えるでしょうか。

あの事業仕分けを見ていたら,小泉政権時代に,規制改革会議が混合診療の解禁などを取り上げ,厚生労働大臣や担当者を吊るしあげた公開討論会を思い出しました。これは,小泉政権の劇場型政治の典型でしたが,それと今回の仕分け作業は瓜二つです。百歩譲ってそこで公平な議論がなされるならともかく,いろいろな政府の事業のうち,財務省の選んだ事業だけが恣意的に取り上げられた。例えば防衛省の軍事費本体は外し,駐留軍の日本人従業員の削減だけです。他にも大型開発などは聖域のままで,医療・福祉や科学技術がターゲットにされた。しかも,仕分けのマニュアルは全部,財務省のお膳立てです。
その上,これは来年度予算に向けての仕分けなのに,健康保険法改正が絶対に必要な食事やホテルコストの保険外しや,漢方を中心にした外来医薬品の保険外しなど,小泉政権時代にさえ否定されたことが盛り込まれた。それも議論はほんの短時間。このような手法はルール違反だし,内容的にも大問題です。

―医療費引上げの発言もだんだん後退しています。

長妻厚労大臣自身が2009年10月時点では,3000億円引上げをいっていた。国民医療費の25%が国費だから,これは診療報酬を4%弱引き上げる計算になります。それが事業仕分け前後にトーンダウンし,財務省が前面に出てきています。

―当初,官僚主導を廃するという主張でしたが,なかなかその方向に進みません。

民主党の一枚看板は,“官僚主導から政治主導へ"ですが,それは的外れです。なぜなら,医療政策に関しては,自民党政権時代から一貫して政治主導だったからです。

医療関係者の間では,よく日本の医療費抑制政策は,吉村保険局長(当時)の医療費亡国論(1983年)から始まったといわれますが,それは間違いです。医療費亡国論の前に中曽根政権が,臨調行政調査会が提起した医療・社会保障費の抑制方針を閣議決定(1982年)し,それを執行するために医療費亡国論が出てきたのです。

新しくは,小泉政権時代の異常な医療費抑制策の強行,それから医療分野に市場原理を導入する閣議決定,これらはすべて小泉首相主導,つまり政治主導です。厚生労働省がそれを執行する過程で,療養病床の削減や,リハビリテーションの上限日数の制限など,行き過ぎた政策を行ったのは事実で,私もそれらを厳しく批判しましたが,その大元は政治主導で決まっているのです。

私は政治主導自体には賛成ですが,今求められているのは,医療・社会保障費を拡充し,なおかつ手続き民主主義を順守する政治主導だと思います。しかし,現在は,その両方が怪しくなっています。

6 民主党の医療政策の危うさ

―民主党の医療政策は,いずれも尻すぼみ傾向にあるようですが。

それには根本的理由が2つあります。

民主党は2009年の総選挙のマニフェストでは医療を中心に社会保障の充実を掲げましたけれど,福祉国家の推進を掲げるヨーロッパの社会民主主義政党とは異なり,保守的性格が強い政党です。このことは,今の首相も幹事長も自民党出身であることに象徴されています。しかも民主党にはもともと市場原理主義的な側面があって,特に小泉政権の時代には,小泉首相とその市場原理の導入を競っていた時期もありました。医療政策についても,2006年までは,マニフェストに医療費抑制を掲げていました。

それが2007年の参議院選挙で,当時の小沢党首の剛腕で,党内論議なしで突然「国民の生活第一」の政策に変わり,それに伴って,医療費についても従来の抑制政策から転換した。その時点ではまだ医療費の大幅増は書いていませんでしたが, 2009年のマニフェストで突然,医療費,医師数大幅増に変わった。私はそのこと自体は評価しますが,そこに至る過程で党内論議がない,選挙目当ての政策だから,すごく底が浅いのです。これが一つ。

もう一つ,民主党の医療政策に限らず,政策全体の最大の弱点と言えるのが財源問題です。民主党は,予算の無駄の排除と埋蔵金の活用だけで,国民負担増をしなくても医療費増加の財源を確保できるとしていた。それが今度の仕分け作業ではっきり失敗したのです。具体的には,仕分けの目標3兆円に対し,実際に確保できたのが1兆6000億円。しかし科学技術予算等の削減に対しては批判がものすごく強く,たぶん相当額復活するでしょうから,実際の削減額は1兆円前後になると思います。

しかしそれにもかかわらず,予算の無駄の排除で財源を確保するという大方針を変えないと,それと同じロジックで医療費にも大きな無駄があるはずだということで,診療報酬の配分見直しになるわけです。

―政策の底の浅さが露呈しつつある。

私は,先に述べた『現代思想』の論文で,民主党がマニフェストで医療費と医師数の大幅増加の数値目標を示した点を高く評価しつつ,将来,民主党が医療費抑制政策に再転換する可能性も指摘していました。

医療費増加の財源が捻出できないことが明らかになったときに,民主党が保険料にせよ,租税負担にせよ,国民負担引上げの方針に政策転換して,なおかつそれを国民が支持すれば,医療費抑制政策の完全な見直しが起こる。しかし,民主党が政策転換しないか,政策転換しても国民がそれを支持しない場合には,小泉政権時代とは違った医療費抑制政策が復活する可能性があるのです。それには混合診療の原則解禁も含みます。

ただ公平のために言えば,民主党政権全体が財務省路線で固まったわけではなく,厚生労働省はホームページで,財務省の主張への反論を掲げています。“我が国の医療費は諸外国に比べて低水準にあります,配分の見直しで満たされる財源は大きくありません"と,主張しており,自民党政権時代以上に省間対立が激化しています。しかもここで見落としてならないことは,民主党はマニフェストで医療費増加を正式に掲げており,財務省の主張のほうが公約違反になることです。

結局,仕分け作業に良かったことがあるとすれば,予算の無駄の排除や埋蔵金の活用だけでは,医療・社会保障費の財源が確保できないことがはっきりしたことだと思います。

―本日はありがとうございました。

(インタビュー:2009年11月30日)

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算51回.2009年分その8: 8論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカの医療]費用曲線は、改革がない場合にさえ、屈曲するか?[医療費増加率は低下するか?]
(Cutler DM: Will the cost curve bend, even without reform? New England Journal of Medicine 361(15):1424-1425,2009)[評論]

アメリカでは、医療費が今後もGDPの伸びを上回って増加し続けることが通念となっている。しかし、いくつかの証拠は医療費増加率は今後数十年間相当鈍化する(ただし医あ療費の対GDP比が低下するほどではない)ことを示唆しており、医療財政危機も一般に信じられているほど深刻にはならない可能性がある。医療費増加率を鈍化させる第1の要因は、医療技術の性格の変化である。従来、医薬品と医療機器の技術革新は医療費高騰の主因となっていたが、それのパイプラインが枯渇しつつあるし、新しい医療技術の相当部分は高額の旧技術を代替する可能性がある。その好例は、冠動脈疾患治療における冠動脈バイパス術(CABG)からステントへの代替である。第2の要因は、医療分野の情報技術(HIT)が医療管理費用を減らす可能性があることである。第3の要因は、現在未発達の慢性疾患ケアのマネジメント技術が改善することことである。これらはいずれも抜本的医療改革の重要性を否定するするものではないが、改革の有無にかかわらず、将来医療費は現在の多くの予測よりも低くなる可能性がある。

二木コメント-アメリカだけでなく、日本の一部でも主張されている将来医療費高騰説に対する、新しい視点からの批判です。著者のCutlerは医療技術進歩の経済分析の権威で、しかも従来、技術進歩による医療費増加を積極的に擁護してきただけに、貴重と思います。なお、日本では、池上直己氏が、早くも2000年に、先端医療技術が医療費を高騰させるとの俗説の誤りを、以下のように明快に指摘しています:臓器移植は「ドナーの数が非常に限られているので非常に症例数が少ない」ため「医療費全体へのインパクトも低い」し、人工臓器は「量産できる体制ができればコストダウンは可能となるので、今の価格で…考える必要はない」、「遺伝子治療は、今までほとんど成功例がない」し、「今後どれほどメジャーになっていくか」不明である(池上直己・滝口進「(対談)混合診療は実現可能か」『ばんぶう』2000年11月号:36-41頁。拙著『21世紀初頭の医療と介護』勁草書房,2001,36頁で紹介)。

○説明責任と透明性を求める声が増大する時代における医師の共同規制:アメリカ、カナダおよびイギリスにおける医師免許更新の比較
(Shaw K, et al: Shared medical regulation in a time of increasing calls for accountability and transparency: Comparison of recertification in the United States, Canada and the United Kingdom. Journal of the American Medical Association 302(18):2008-2014,2009)[国際比較研究]

アメリカ合衆国、カナダおよびイギリス(連合王国)では、医療専門職(医師)は国民に対し、医療の提供とその質についての説明責任を負っている。伝統的には、この説明責任は医師自身が確立した専門的基準の開発と維持、つまり自己規制によって遂行されてきた。しかし、医師の自己規制は規制者、政府、および医師自身によって、以下の動きに対応するために、再検討されるようになっている。そのような動きとは、医療費支払い者が医師が費用対効果にすぐれた医療を提供することに対して説明責任を果たすよう求めるようになっていること、患者が医師の資格についてのより多くの情報を求めるようになっていること、および到底受け入れられない多くの著名な医療過誤が生じていることである。本論文では、上記3か国における医師規制の最新の動きを紹介し、自己規制の枠組みに対する外部からの圧力が増大した結果、それは医師と他の利害関係者による共同規制に移行していることを示す。

二木コメント-本論文では、医師免許更新はイギリスではすでに義務化されているが、アメリカとカナダでは任意とされています。ただし、本論文の「結論」の冒頭では、3か国では医師免許更新の義務化はもはや、「もし」行われるかではなく、「いつ」行われるかが問題になっていると断言しています。この問題を日本でも考える上での必読文献と思います。

○何のための計画か?保健医療の人的資源計画の前提条件への挑戦
(Murphy GT, et al: Planning for what? Challenging the assumptions of health human resources planning. Health Policy 92(2-3):225-233,2009)[量的研究]

保健医療の人的資源計画では伝統的に、人口学的変化と現在のサービス利用・供給の水準を組み合わせる単純なモデルが用いられ、人口内のニード・レベルが時と共に変化することは考慮されてこなかった。しかし最近では、医療ケアニーズの変化を組み込んだ資源計画モデルが提唱されている。本研究では、カナダの1994~2005年の同時出生集団を対象にした多変量回帰分析により、死亡率、有病率、健康の自己評価の変化が高齢者の医療ニーズに影響を与えるか否かを検討した。その結果、死亡率、有病率と疼痛率は加齢と共に上昇するが、上昇率は早く生まれた集団の方が大きかった。自己評価による不健康の割合も加齢と共に上昇するが、その割合は出生時期によらず一定であった。この結果は、カナダにおいては、わずか10年間という短い期間でも、年齢別の医療ニーズが変化していることを示している。

二木コメント-日本でも常用されている医師師・看護師等の医療専門職の単純な需給予測モデルの限界を示しており、日本でも追試が必要と思います。

○[イングランドにおける]高齢者による長期ケアと入院の利用:代替率の分析
(Forder J: Long-term care and hospital utilisation by older people: An analysis of substituion rates. Health Economics 18(11):1322-1338,2009)[量的研究]

高齢者の入院サービスと長期ケアサービスの利用率は高い。本研究では、両サービスがどの程度代替的であるかを検討した。理論モデルに基づいて作成した保健医療と社会的ケアの構造方程式を用いて推計したところ、ケアホーム(老人ホーム)費用1ポンド増加により、入院費用は0.35ポンド減少した。逆に、入院費用1ポンドの増加により、ケアホーム費用は0.35ポンド減少した。このような2種類の代替は相殺的であるため、病院からケアホームへの資源の移転は、それによる利用者のアウトカムの上昇が、病院から移されることに伴うアウトカムの減少よりも大きい場合に限り、効率的であると言える。

二木コメント-病院からケアホームへの移転は必ずしも費用抑制的ではないことを実証した貴重な研究と思います。日本では混同されることの多い、「費用抑制」と「効率化」も峻別されています。ただし、非常に難解な論文です。私は、社会的入院の是正には賛成だが、それにより医療・福祉費総額は必ずしも減少しないと指摘してきましが、それを裏付けた論文とも言えます。なお、著者のForderは、イギリスの老年学・社会福祉学研究のメッカである、ケント大学対人社会サービス研究部門(PSSRU)所属です。

○[フィンランドにおける]在宅患者に対する在宅ケアと退院援助の統合の費用対効果
(Hammar T, et al: The cost-effectiveness of integrated home care and discharge practice for home care patients. Health Policy 92(1):10-20,2009)[量的研究(費用効用分析)]

在宅患者に対する在宅ケアと退院援助の統合がサービスの利用と費用に与える影響を評価するために、フィンランドの22の自治体に居住し在宅ケアを受けている65歳以上の高齢者668人を対象にして、村単位のクラスター(群)・ランダム化比較試験を行った。評価は退院時、退院後3週間時、同6か月時に行った。介入群には通常ケアに加えて、ケアマネジメントを行った。費用対効果はノッティンガム健康指標(NHP)とEQ-5Dで測定したQALYを用いて計算した。退院後6か月時には、介入群は対照群に比べて、在宅ケア、医師サービス、検査サービス利用が少なかった。費用についても同様の結果が得られた。NHPで測定したQALYを用いると、介入群の費用対効果が優れていたが、EQ-5Dで測定したQALYでは差がなかった。以上の結果は、今回の統合モデルが費用対効果的であるかもしれないことを示唆している。

二木コメント-最後の「結論」は、suggest & mayで表現される、ごく弱いものです。QALYの測定尺度により、費用効果分析の結果が変わることが大事だと思います。

○スウェーデンにおける地域を基盤にした糖尿病予防プログラムの費用効果分析
(Johansson P, et al: A cost-effectiveness analysis of a community-based diabetes prevention program in Sweden. International Journal of Technology Assessment in Health Care 25(3):350-358,2009)[量的研究(費用効用分析)]

2型糖尿病のハイリスクグループに対象を限定した、糖尿病発症予防のためのライフスタイル改善プログラムが費用対効果的であることはすでに示されている。本研究では、全人口を対象にした地域基盤の糖尿病予防プログラムも費用対効果的であるか否かを検討した。スウェーデンの3つの自治体の36-56歳の成人5241人(男2149人、女3092人)を対象にして、糖尿病予防プログラムを8~10年間実施し、結果はリスクファクターレベル別に検討した。費用対効果は漸増費用効用分析で検討し、費用には糖尿病と心循環器系疾患の治療費用および社会的費用(プログラム費用)を含んだ(時間割引率は年3%、マルコフモデルで推計)。3つの市町村とも、追跡調査中に、リスクファクターレベルは上昇し、その結果、プログラム費用もQALY喪失も増加した。対象自治体と比べると、女の費用上昇とQALY喪失はプログラムが実施された2つの自治体では少なかったが、1自治体では大きかった。男では費用上昇とQALY喪失とも、プログラム実施自治体の方が大きかった。このように調査結果は矛盾しており、期待していた効果は必ずしも得られなかった。

二木コメント-地域の全人口を対象とする「ポピュレーションアプローチ」によるライフスタイル改善プログラムの難しさを示していると思います。

○慢性疾患マネジメントの在宅テレヘルス:体系的文献レビューと経済的評価の分析
(Polisena J, et al: Home telehealth for chronic disease management: A systematic review and an analysis of economic evaluations. Iternational Journal of Technology Assessment in Health Care 25(3):339-349,2009)[文献レビュー]

Mediline等のデータベースを用いて、1998~2008年に発表された、慢性疾患マネジメントの在宅テレヘルス(情報通信技術を利用した遠隔保健医療支援)の費用効果分析を行った実証研究を系統的に探索し、最終的に22論文を同定した。国別にみるとアメリカが17でもっとも多く、疾患別にみると12が慢性心不全であった。20論文で、在宅テレヘルス群は対照群と比べて、社会または保険者の視点からみた費用を削減するという結果が得られていたが、研究の質は全般的に低かった。以上の結果は、在宅テレヘルスが費用を削減する可能性があることを示唆しているが、もっと良質の研究が行われるまでは、この結論は不確実である。

二木コメント-在宅テレヘルスの費用効果分析についての、おそらく世界初の文献レビューと思います。

○様々な疾患の治療での身体運動を用いた介入の費用対効果:体系的文献レビュー
(Roine E, et al: Cost-effectiveness of interventions based on physical exercise in the treatment of various diseases: A systematic literature review. International Journal of Technology Assessment in Health Care 25(4):427-454,2009)[文献レビュー]

様々な疾患の治療での運動介入の費用対効果について報告した研究をレビューした。科学的に妥当な比較研究により、特定の疾患に対する運動介入の費用対効果を検討していた65文献を選択した。大半(82%)はランダム化試験であった。対象疾患は筋骨格系疾患28、心疾患15、リウマチ4、呼吸器疾患4等であった。運動介入が費用効果的であると判定された論文の割合は、筋骨格系疾患54%、心疾患60%、リウマチ75%等であった。運動介入の費用対効果を評価した論文はまだ数が限られており、結果には大きな幅があったが、一部の身体介入は費用効果的であると示唆された。特に心疾患と腰痛のリハビリテーションでは効果が大きかったが、これらの疾患でさえ結果は一致していなかった。

二木コメント-身体運動介入(運動療法)の費用対効果についての、最新・最大の文献レビューです。ただし、費用の範囲・計算方法は文献によりバラバラであり、費用効果的であることが必ずしも医療費削減を意味するわけではありません。また、ナーシングホーム入居の虚弱高齢者(失禁を伴う)を対象にした研究は1つだけで、運動能力は向上し、失禁は減少したが、費用節減は生じていませんでした(Schneller et al, 2003)。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その62)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<教育と教師のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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