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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻74号)』(転載)

二木立

発行日2010年09月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


1.論文:「新成長戦略」と「医療産業研究会報告書」を読む

(『日本医事新報』No.4504(2010年8月21日):89-92頁)

一見矛盾する2つの文書

菅直人内閣は政権発足直後の6月18日、「新経済成長戦略」を閣議決定しました。それは、従来の「公共事業中心の経済政策」と「行き過ぎた市場原理に基づき、供給サイドに偏った経済政策」を共に否定し、「第三の道」として、「『強い経済』、『強い財政』、『強い社会保障』を一体的に実現する」ことを掲げました。そして、今後成長が期待される7つの戦略分野の1つに「ライフ・イノベーション」を位置づけ、「医療・介護・健康関連産業を成長牽引産業へ」することを打ち出しました。

それに対して、6月30日に発表された経済産業省「医療産業研究会報告書」(以下、「報告書」)は、「強い社会保障」には一言も言及しないだけでなく、逆に「公的保険制度の枠外の自由な市場での資本蓄積や技術革新の基盤整備を実現し、自律的な成長を可能とする」「医療の産業化」を提唱しました。

一見すると、この2つの文書の総論・戦略は正反対であり、「報告書」は閣議決定違反とさえ思えます。しかし、両文書の各論には共通点が非常に多く、「報告書」は「新成長戦略」の医療政策部分の補足文書とも言えます。

本稿では、まず、医療・社会保障の経済成長効果が限定的であることと「報告書」の「産業」の定義が恣意的であることを示します。次に、混合診療の拡大、医療ツーリズム、「健康関連サービス産業」・「医療生活産業」の3つについて個別に検討し、「医療の産業化」による経済成長効果はごく限定的であることを示します。

医療は「経済の下支え」で「成長牽引産業」は過大評価

まず、「新成長戦略」の医療・介護・健康関連産業を「成長牽引産業」とする位置づけには無理があることを指摘します。

私は、「新成長戦略」が、従来、「社会保障は、少子高齢化を背景に負担面ばかりが強調され、経済成長の足を引っ張るものと見なされてきた」ことを否定し、「社会保障には雇用創出を通じて成長をもたらす分野が多く含まれており、社会保障の充実が雇用創出を通じ、同時に成長をもたらすことが可能である」と180度政策転換して、「年金、医療、介護、各制度の立て直しを進める」としたことは、高く評価します。

事実、医療・介護・福祉の産業連関分析では、以前から、社会保障関係事業(医療、保健衛生、社会福祉、介護、社会保険事業)の「生産波及効果」は全産業平均より高く、「雇用誘発効果」はどの産業よりもはるかに高いことが、計数的に示されてきました(医療経済研究機構『医療と福祉の産業連関による分析研究報告書』2004)。2005年の産業連関表を用いた最新の分析でもそのことが再確認されています(『医療と介護・福祉の産業連関に関する分析研究報告書』2010)。

しかし、ここで注意しなければならないことが2つあります。1つは、産業連関分析はあくまで「短期的」推計であり、医療・社会保障の「長期的」経済成長効果は不明であること、もう1つは「短期的」効果を実現するためにも、相当の公的費用(税・保険料)の投入が必要なことです。

私は、財源を確保した上で、医療・社会保障分野に公的費用を大量に投入し続けることに賛成ですし、それにより長期的にみても、ある程度の経済成長を持続できると思います。しかし、医療・社会保障が「成長牽引産業」化するとまでは考えにくく、私の知る限り、その具体的根拠・推計を示した研究もありません。

上述した『医療と介護・福祉の産業連関に関する分析研究報告書』も、「医療サービス活動の拡大は、国民の医療ニーズの増加に応えるのみならず、国内経済の下支えをする効果がある」(18頁)と「控えめ」に述べています。早くから「積極的社会保障政策」を提唱してきた権丈善一氏(慶應義塾大学教授)も、同様に、次のように主張しています。「公的医療費・介護費の増加は消費の底上げに寄与するが、技術革新などのイノベーションに比べれば成長のダイナミックさに欠けるのは事実だ。しかし現下の不完全雇用経済ではその効果は十分にある」(『週刊東洋経済』6月12日号:90頁)。意外なことに、菅首相の経済政策のブレーンと言われている小野善康氏(大阪大学教授)も、「医療・介護が成長分野というのは、菅さんの政治的な見識だろう。(中略)そもそも何が成長産業であるか、確定的に判別できることなどない」と明言しています(「読売新聞」6月11日朝刊)。

「報告書」の「産業」の定義は恣意的

次に、「報告書」の「産業」の定義がきわめて恣意的であることを指摘します。

国際的にみると「産業」の定義はいくつかありますが、日本では、次の「日本標準産業分類の一般原則」の第1項「産業の定義」が用いられるのが一般的です。「産業とは、事業所において社会的な分業として行われる財貨及びサービスの生産又は提供に係るすべての経済活動をいう。これには、営利的・非営利的活動を問わず、農業、建設業、製造業、卸売業、小売業、金融業、医療、福祉、教育、宗教、校務などが含まれる」。

この定義に基づけば、医療は当然産業であり、「医療の産業化」という表現は同義反復です。ところが、「報告書」は、一方でこの「日本標準産業分類」の定義を示しつつ、「産業として経済活動が行われるための特質」として、(1)継続性、(2)自律性、(3)成長またはイノベーションの3つを加えています。これらは一見もっともにみえます。しかし、自律性を「ある分野で経済活動を行う事業体が、他分野の組織の指示や支援に立脚しないこと」ときわめて狭く定義しており、これでは、市場メカニズムで動いている領域のみが産業とされ、公的費用に依存する領域は産業ではないことになります。

その上で、医療の産業化のために、「公的保険制度の枠外の自由な市場での資本蓄積や技術革新の基盤整備を実現し、自律的な成長を可能とする」という「新しい視点」が示されるのです。これは、医療分野への市場原理導入宣言であり、「報告書」の副題「国民皆保険制度の維持・改善に向けて」は、ブラック・ジョーク(悪い冗談)です。しかもこの視点は、「行き過ぎた市場原理」を否定した「新成長戦略」と矛盾します。

混合診療の拡大はごく限定的

次に、「医療の産業化」・「牽引産業」化の柱とされている混合診療の拡大、医療ツーリズム、「健康関連サービス産業」・「医療生活産業」の3つの経済成長効果はごく限られていることを示します。なお、混合診療の拡大や医療ツーリズムという表現は厚生労働省の強い反対により、政府の公式文書では、それぞれ、「保険外併用療養の範囲拡大」、「国際医療交流」に置き換えられていますが、本稿では慣用表現を用います。また、「健康関連サービス産業」と「医療生活産業」はそれぞれ、「新成長戦略」、「報告書」の表現ですが、実態的にはほとんど同じです。

まず、混合診療の拡大について検討します(詳しくは、拙稿「『保険外併用療養の範囲拡大』はごく限定的にとどまる」『文化連情報』8月号参照。それの圧縮版は、「日経メディカルオンライン」「私の視点」7月20日)。

「新成長戦略」では、「ライフ・イノベーションにおける国家戦略プロジェクト」のトップに「医療の実用化促進のための医療機関の選定制度等」が掲げられ、「先進医療に対する規制緩和」、「先進医療の評価・確認手続きを簡素化する」ことが掲げられています。これは「新成長戦略」と同時に閣議決定された「規制・制度改革に係る対処方針」の「規制改革事項」のトップに位置づけられた「保険外併用療養の範囲拡大」、「現在の先進医療制度よりも手続きが柔軟かつ迅速な新たな仕組みを検討し、結論を得る」に対応しています。なお、「報告書」では、混合診療の拡大は「公的保険がカバーすべき範囲、役割との関係整理」と表現されています。

実は、混合診療を検討した内閣府行政刷新会議の規制・制度改革に関する分科会ライフイノベーションWG(ワーキング・グループ)の議論では、さかんに混合診療全面(原則)解禁論が主張されたのですが、厚生労働省や日本医師会の強い反対にあい、先進医療のごく一部に限定した「保険外併用療養の範囲拡大」にとどまりました。

しかし、このように限定的な混合診療の拡大で「公的保険制度の枠外の自由な市場」が大幅に拡大することはあり得ません。この点については、WG委員で混合診療原則解禁論の急先鋒である松井道夫委員も、「[混合診療解禁を-二木]高度医療といったものにもし限定するとなると、多分対象は数十億とか、その程度のマージナルな部分の改革にしかならない」(松井証券社長)と、率直に認めています。

医療ツーリズムもごく限定的

次に、医療ツーリズムについて検討します。「新成長戦略」では、「ライフイノベーションにおける国家戦略プロジェクト」の2番目に「国際医療交流(外国人患者の受け入れ)」をあげており、そのために「医療滞在ビザ」の設置や、「外国人患者の受入れに資する医療機関の認証制度の創設」等が示されています。「報告書」でも「医療の国際化」の項でほぼ同じことが提唱されています。

私は、余力のある病院が、保険診療を適正に行った上で、自由診療の外国人患者を積極的に受け入れることは、高機能病院の今後の1つの経営戦略としてはありえると思いますし、「医療滞在ビザ」の設置にも賛成です。

しかし、自由診療の外国人患者の受け入れ目的の「医療機関の認証制度」を、政府が提唱するのは明らかに行き過ぎ、「禁じ手」です。私は、以前から民主党政権の医療政策の「底の浅さと危うさ」を指摘してきましたが、これもその1つと言えます。それに対して、政府の関与しない民間の「医療機関の認証制度」なら実現可能かもしれませんが、すでに「国際病院評価機構(JCI)という事実上の世界標準の認証機構が存在することを考えると、それとは別の認証が実効性を持つとは考えられません。

しかも、タイやシンガポール等の株式会社立病院が、上記JCIの認証を受けて、自由診療の外国人患者を大々的に受け入れていることを考えると、後発の日本の病院が、保険診療と並行して、大量の外国人患者を吸引できるとはとても考えられません。タイの医療ツーリズムの実態を熟知している田中耕太郎氏(バンコク病院JMSマーケティングマネージャー)は「メディカルツーリズムで日本に勝ち目はない」と断言しています(「日経メディカルオンライン」「私の視点」5月13日)。医療ツーリズムに精通している真野俊樹氏(多摩大学教授)も、医療ツーリズムの「多大な経済効果は幻想」と警告しています(『医薬経済』5月15日号)。

タイ等との競合を避けるために、中国の富裕層にターゲットを絞るとの主張も聞かれます。しかし仮にそれが(一時的に)成功した場合、アメリカ以上に医療格差が大きい中国ですぐに富裕層対象の病院が急増して、中国人患者が国内回帰することは確実です。

「外国人患者の診療進めよ」と早くから主張されてきた開原成允氏(国際医療福祉大学教授)は、「外国人患者が気持ちよく診療を受けられる病院が日本にいくつかあってもいい」と「控えめ」に述べられており、私もこれが妥当と思います(「日本経済新聞」2009年6月22日朝刊「経済教室」)。ちなみに、亀田総合病院は、すでに2002年から国際関係部を設け、昨年9月には日本で初めてJCIの認証を受けており、外国人患者は年間200人(健診含まず)いるそうですが、その9割は在日軍人の家族など、日本に暮らしている外国人だそうです(『週刊朝日』2月19日号:107頁)。

『報告書』は医療ツーリズムが国際的に急増している根拠として、OECD「Health at a Glance 2009」の図を引用していますが、それの本文が、医療ツーリズム費用の各国の総医療費に対する割合はごく小さい(最大「輸入国」のドイツでも0.5%)と指摘していることには、なぜか触れていません(172頁)。

以上から、医療ツーリズムの経済成長効果もごく限定的と言えます。

「健康関連サービス産業」・「医療生活産業」はデジャビュ

最後に、「健康関連サービス産業」・「医療生活産業」について検討します。「新成長戦略」では、「健康関連サービス産業」は「国家戦略プロジェクト」には含まれませんが、付表の「成長戦略実行計画(工程表)」の「健康大国戦略」の項の第3に「医療・介護と連携した健康関連サービス産業の成長促進と雇用の創出」が掲げられ、2020年までに実現すべき成果目標は市場規模25兆円、新規雇用80万人とされています。これは介護の市場規模19兆円を上回ります(医療は59兆円)。「報告書」では、「医療の産業化」の最大の柱が、「公的保険制度の枠外の」「健康サービスをはじめとした医療周辺サービスを提供する『医療生活産業』」とされています。

私は、医療機関が、保険診療を適正に行った上で、主として公的制度の枠内の保健・福祉分野に進出し「保健・医療・福祉複合体」化することは重要な経営戦略であると以前から主張してきました。

しかし、「公的保険制度の枠外」の市場拡大を主張する上記記述を読んで、ある種の「既視感(deja vu)」にとらわれました。かつてある官庁は公式文書で次のように述べました。 「高齢者対策の基本原則」の第5原則は「民間活力の導入」。「これまで公的施策を中心に提供されてきた福祉や保健医療の分野においても、民間の適切かつ効率的なサービスを併せて導入することが有効であり、こうしたビジネスの健全育成を図る」。「寝たきり老人等の介護保険についても民間保険の適正な育成を図る」、「保健事業において、…健康産業の育成…を図る」。

読者の多くは、経済産業省や内閣府が小泉政権時代にまとめた文書と思われるでしょう。しかし、実は、これの出所は厚生省が1986年にまとめた「高齢者対策企画推進本部報告」です。厚生省は、1980年代前半~1990年代前半に、「医療費亡国論」を掲げて公的医療費の厳しい抑制政策を進める一方で、保健・医療・福祉サービスへの「民間活力の導入」を図ったのです。しかし、そのほとんどは失敗しました。具体的には、民間介護保険はほとんど育成されず、2000年に(公的)介護保険制度が導入されました。健康産業もほとんど育成されず、2006年の医療制度改革関連法で、公的医療保険の枠内の「生活習慣病対策」が制度化されました。「公的保険制度の枠外」の健康産業が、現在も苦境にあえいでいることは、矢野経済研究所『メディカルフィットネス市場の現状と展望2009年版』等で詳細に紹介されています。

(「新成長戦略」を事実上とりまとめた)内閣府や経済産業省は、このような旧厚生省の「失敗の歴史」にまったく学んでいないと言えます。経済産業省の前身の通産省は、かつて「千三つ官庁」と呼ばれました。これはさまざまな施策を次から次に提案するが、実現するのは千のうち3つしかないという揶揄でした。「新成長戦略」や「報告書」はその再来であり、少なくとも本稿で検討した3つの施策が残りの997になることは確実です。

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2.論文:医療・健康の社会格差と医療政策の役割-日本学術会議市民公開シンポジウムでの報告

(「二木立教授の医療時評(その80)」『文化連情報』2010年月9月号(390号):14-21頁

本稿は、医療経済・政策学の視点から、日本の医療保障政策(以下、医療政策)の歴史に沿って、「医療・健康の社会格差と医療政策の役割」について、以下の4つの柱立てで述べます。

まず、第二次大戦前から1970年代までの医療政策を簡単に振り返り、「病気と貧乏の悪循環」(本シンポジウムの表現を用いると、「健康の社会格差」)を断ち切ることが、日本の医療政策の原点の1つであったことを指摘します。次に、1980年代以降四半世紀も続けられた厳しい医療費抑制政策により、国民皆保険制度の下でも医療受診の抑制と無保険者が生まれたことを指摘します。第3に、小泉政権時代の医療政策の2つの特徴を述べ、同政権下で行われた混合診療解禁論争では、それまでの医療政策ではタブーであった医療格差導入が公然と主張されたことを指摘します。最後に、今後の医療政策の対立軸を示し、医療格差を縮小するための私の5つの改革提案とその実現可能性について述べます。

なお、本シンポジウムの主題は「健康の社会格差」ですが、日本では医療政策の変化(特に医療給付率の変化)が健康の社会格差に与える影響についてのデータ・実証研究はほとんどないため、健康の社会格差の「代理変数」として医療受診の格差(医療格差)を用い、この間の医療政策の変化が医療格差に与えた影響を検討します。

1.「病気と貧乏の悪循環」を断ち切ることは日本の医療政策の原点の1つだった

まず、第一の柱について述べます。医師で医事評論家の故川上武先生は、名著『現代日本病人史』で次のように述べました。「病気を病人の側にたってみようとすると、病気の原因究明(診断)とその除去(治療)の技術進歩とならんで、病気の発生→悪化を社会(病人のおかれた状況)との関連でみる視角が絶対必要になってくる」(1)。

事実、日本で最初に成立した医療保障法と言える旧健康保険法(1922年成立、実施は1927年)と旧国民健康保険法(1938年)は、この視角から、それぞれ労働者、農民が病気の罹患により貧困化することの予防、「防貧」を目的としていました。ただし、旧国民健康保険法には、当時進められていた中国侵略戦争遂行のための「健兵健民政策」の側面もあったことも見落とせません。

第二次大戦後に進められた医療保障制度の拡充政策でも、「病気と貧乏の悪循環」を断ち切ることが目指されました。そして、新国民健康保険法(1958年)では、第1条で「この法律は(中略)社会保障及び国民保健の向上に寄与することを目的とする」と高らかにうたわれました。これは憲法第25条の生存権規定を具体化したものです。

この新国民健康保険法を基礎にして、1961年には国民皆保険制度が達成されました。しかし、各医療保険制度は職業・社会階層別に分断された「モザイク」であったため、医療給付面でも、保険料負担面でも、大きな格差が存在しました。特に大きな格差は、健康保険本人(10割)と国民健康保険(5割)間の2倍もの給付率格差でした。そのため、国民皆保険制度成立直後の1960年代前半には、健康保険本人と国民健康保険、健康保険家族間だけでなく、年齢階級間にも大きな医療受診格差がありました。

65歳以上の高齢者の「有病率」が現役世代より高いのは時代を超えた自然現象と言えますが、1960年には、65歳以上の高齢者(大半が国民健康保険加入)の医療機関「受療率」は現役世代(健康保険本人が多い)のそれを大幅に下回っていました。同年の65~74歳の受療率(人口10万対)は4317であり、現役世代のうちもっとも受療率が高かった45~54歳の6121より、30%も低かったのです(厚生省「患者調査」)。

しかし、1960年代~70年代前半には医療給付が順次拡充されました。1968年にすべての国民健康保険の医療給付率が7割となり、さらに1973年の「福祉元年」には、国レベルでの老人医療費無料化、高額療養費制度の新設、健康保険家族の医療給付率7割化が実現しました。それにより、医療保険間の受療率格差はほとんどなくなり、高齢者の受療率も急増しました。

同じ期間に、日本人の平均寿命も急上昇しました。1960年の日本人の平均寿命は男女とも主要先進国より数歳短かったのですが、1960~70年代に急上昇して、1980年代前半には世界最高水準に達しました。これの要因は多様ですが、医療保険の拡充も大きく寄与したことは確実です。

2.1980年代以降の「世界一」の医療費抑制政策で受診抑制と無保険者が発生した

しかし、1980年代前半に自民党の中曽根政権は財政再建を錦の御旗にして厳しい医療費抑制政策を開始し、この流れを逆転させました。この政策は、その後四半世紀も続けられ、私は「世界一」厳しい医療費抑制政策と呼んでいます(2)。医療費抑制政策は、医療機関に支払われる診療報酬の事実上の凍結と患者負担の拡大(医療給付率の引き下げ)による医療受診の抑制を2つを柱にしていました。

患者負担の拡大と低所得労働者の受診抑制

患者負担の拡大については、まず1983年に実施され老人保健法により、老人医療費の無料化が廃止されて定額負担が導入されました。老人保健法はその後数次の改正を経て、2002年には原則1割負担(「現役並み所得者」は2割負担)となり、さらに2006年には現役並み所得者は3割負担となりました。次に1984年の健康保険法等「抜本改正」により、それまで10割給付だった健康保険本人に1割の自己負担が導入され、それが1997年には2割、2003年には3割に引き上げられました。

1984年には国民健康保険法も改正され、国民健康保険国庫補助率が従来の医療費ベースで45%から給付率ベースで50%(医療費ベースでは約35%)へと大幅に引き下げられました。そのため、これ以降、国民健康保険保険料の急騰が始まり、それに伴い医療保険料滞納世帯数が増加し始めました。

健康保険本人の1割負担導入は、一見わずかな負担増に見えますが、低所得労働者には大きな打撃となりました。具体的には、旧日雇い労働者健康保険加入者の受診率は、1割負担導入直後に急減しただけでなく、制度改正1年後にもマイナス18.5%に達していました(3)。この受診率低下は健康保険全体の本人の制度改正1年後の受診率低下(マイナス4.7%)のなんと3.9倍でした。

なお、馬場園明氏(現・九州大学大学院教授)は、健康保険本人を対象として、「患者自己負担増と所得効果」の関係や「慢性疾患の受診に関する患者自己負担増の影響」について重回帰分析を用いた精緻な研究を系統的に行っており、注目に値します(4)。それにより、1997年の2割負担導入後、標準報酬月額が低い被保険者ほど受診率低下が大きかったこと、同じく2割負担導入後、高血圧症や糖尿病患者の永続的な受診率低下が生じたこと等が実証されています。

資格証明書交付による事実上の無保険者の発生

しかし医療給付率の引き下げよりももっと重大な受診抑制をもたらした政策は、国民健康保険保険料の1年以上の長期滞納者への「国民健康保険被保険者資格証明書」(以下、「資格証明書」)交付です。これは、1986年の国民健康保険法改正で、保険料滞納世帯対策として導入されました。当初は「できる規定」でしたが、2000年には「義務規定」化されました。資格証明書を交付された世帯は形式上は引き続き国民健康保険に加入していますが、医療機関受診時に医療費の全額を負担しなければならないため、事実上の無保険者と言えます。

資格証明書交付世帯数は、資格証明書の交付が義務化された2000年の9万6849世帯から、2006年には35万1270世帯へと、わずか7年間で3.6倍化しました。2007年にはやや減少しましたが、それでも34万285世帯です。厚生労働省も国保中央会も資格証明書交付世帯の実態調査を行っていないのに対して、全国保険医団体連合会(保団連)は2000年以降、毎年、独自に資格証明書交付世帯の受診率調査を行っています。最新の2007年調査によると、資格証明書交付世帯の平均受診率(データの得られた45都道府県の単純平均)は国民健康保険の一般被保険者の平均受診率のなんと53分の1でした(5)。

文字通りの無保険者も存在

資格証明書交付世帯は形式上は国民健康保険に加入していますが、それ以外に、文字通りの無保険者(どの医療保険にも未加入である者)も相当数存在すると言われています。これの実態はまったく不明ですが、その一端を推察することは可能です。

例えば、厚生労働省「社会福祉行政業務報告」によると、生活保護の新規受給者中、受給開始時の医療保険「未加入」・「その他」の割合は2008年で31.8%です。意外なことに、この割合は1998年からほとんど変わっておらず、後藤道夫氏は、国民皆保険の「底抜け」状態は、小泉政権の「構想改革」より前から存在していたと指摘しています(6)。

後藤氏はさらに厚生労働省「国民生活基礎調査」等を用いて、「保険診療を受けるのに困難を抱えた」14歳以下の子どもが2007年に21万人もいると推計し、これは厚生労働省が公式に発表した資格証明書交付世帯の子ども3.3万人(2008年)よりはるかに多いと主張しています(6)。

もう1つ文字通りの無保険者が相当数存在することを示唆する資料は、全日本民医連「2009年国民健康保険などの死亡事例調査報告<第4回>」です。それによると、2005~2009年の5年間に確認された「無保険もしくは短期・資格証明書交付により病状が悪化し死亡したと考えられる」119事例のうち、文字通りの無保険者は55.4%で、過半数を超えていました(7)。

3.小泉政権時代の混合診療解禁論争では医療格差導入が公然と主張された

第三に、小泉政権時代の医療政策の特徴を簡単に述べ、同政権下で行われた混合診療解禁論争では、それまでの医療政策ではタブーであった医療格差導入が公然と主張されたことを示します。

医療受診抑制の広がり

2001年4月から2006年9月まで5年半も続いた小泉政権の医療政策には2つの特徴があります。1つは伝統的な医療費抑制・患者負担増加政策がさらに強化されたことです。その結果、日本は2004年には主要先進国(G7)のうち医療費水準(対GDP比)は最低だが、患者負担割合(対総医療費)は最高という、大変歪んだ医療保障制度を持つ国になりました(8)。

1990年代まではごく一部の低所得層に限定されていた医療受診の抑制も広がったと言えるようです。例えば、国立社会保障・人口問題研究所「2007年社会保障実態調査」によると、過去1年間健康ではなかったが医療機関を受診できなかった世帯は2.0%存在し、そのうち14.2%が健康保険に加入していないため、38.4%が自己負担の割合が高いなど経済的な理由をあげていました(9)。日本医療政策機構「日本の医療に関する2007年世論調査報告」では、「過去1年間具合が悪いところがあるのに費用がかかるという理由で医療機関に行かなかったことがある」との回答が26%にも達しており、しかもこの割合には経済力による大きな格差がありました(低所得・低資産層で40%、高所得・高資産層では16%)(10)。両調査の結果はかなり違いますが、その理由は不明です。

混合診療解禁論争と医療格差導入の主張

小泉政権の医療政策のもう1つの特徴は、医療分野への市場原理導入が図られたことであり、特に2004年には、小泉首相の直接の指示を受けて、混合診療解禁論争が活発に繰り広げられました(以下、(8):46-50頁)。その最大の論点は、一部のマスコミが主張するような混合診療解禁そのものの是非ではなく、混合診療の全面(原則)解禁か現行の部分解禁の維持・運用改善かでした。そして、この対立は、公的医療保険の給付水準についての理念の根本的対立(「最低水準」対「最適水準」)に根ざしていました。

具体的には、混合診療全面解禁論者は医療保険給付の「最低水準」説に立ち、患者の支払い能力による医療格差導入を正面から主張しました。主な論者の主張は以下の通りです。まず「ミスター規制改革」と言われた八代尚宏氏は、保険診療で「生命にかかわる基礎的な医療は平等に保障されたうえで、特定の人々だけが自費負担を加えることで良い医療サービスを受けられる」ようにすることを主張しました。八代氏の共同研究者である鈴木玲子氏も「基礎的な医療サービスは公的保険で確保するとともに」「高所得者がアメリカ並みに自由に医療サービスを購入するようになる」と主張しました。さらに、宮内義彦氏(規制改革・民間開放推進会議議長)は、「[混合診療は]国民がもっとさまざまな医療を受けたければ、『健康保険はここまでですよ』、後は『自分でお支払いください』という形です。金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」とまで、言い切りました(3人の発言のゴチックは二木)。

それに対して、混合診療全面解禁の反対者(部分解禁の維持・運用改善論者)は医療保険給付の「最適水準」説に立ちました。これは、世界と学会の通説であるだけでなく、意外なことに小泉政権も閣議決定でこれを公式に認めました。具体的には、2003年3月閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針」では、「社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供される」とされました。

なお、上述した1984年の健康保険法等「抜本改革」を主導した吉村仁保険局長(当時)は、医療関係者には「医療費亡国論」で有名(悪名高い?)ですが、同氏は、この法改正の国会審議では、今後も「必要にして適正な医療というものを保険の中に取り入れていく」とも答弁 していました(1984年6月28日衆議院社会労働委員会)。

そして、このような混合診療解禁論争の背景には、医療の「公平」観の対立があります。具体的には、全面解禁論者にとっての「公平」な医療とは、市場メカニズムに従って需要・供給が決められる医療であり、支払い能力に基づく医療格差は当然とされ、逆に混合診療禁止は高所得層の医療需要を抑制するため「不公平」と見なされるのです。これは、小泉政権時代に小泉首相が先頭になって主張した格差是認論の医療版と言えます。

しかし小泉政権時代にさえ混合診療の全面解禁は否定され、その後の自公政権もそれを踏襲しました。やや意外なことに、昨年9月の政権交代による民主党政権成立後、混合診療原則解禁論者が「復活」し、その主張が政府文書にも部分的に反映されるようになっています。具体的には、行政刷新会議「規制・制度改革に関する分科会第一次報告書」(6月15日)、経済産業省「医療産業研究会報告書」(6月30日)等です(11)。ただし、現時点では、混合診療の拡大(公式表現は「保険外併用療養の範囲拡大」)は先進医療等ごく限定的にとどまっています(12)。

4.医療格差を縮小するための私の改革提案とその実現可能性

最後に今後の医療政策の対立軸と医療格差を縮小するための私の提案、およびそれらの実現可能性について述べます。

私は、小泉政権~民主党政権の医療政策を踏まえると、今後の医療政策の究極的・理念的対立軸は、公的医療費の総枠を拡大しつつ医療の「平等消費」を促進して、健康の社会的不平等を縮小するのか、それとも公的医療費抑制と混合診療原則解禁により、医療の「階層消費」を促進して、健康の不平等が拡大するのを容認するかにあると思います。後者は、新自由主義的医療改革と言えます。ただし、現実の政治的・経済的条件を考えると、新自由主義的医療改革が全面的に実現する可能性はほとんどなく、両者の中間的政策が導入される可能性が大きいと思います。

私自身はもちろん前者の立場であり、そのために以下のような5つの改革が必要だと考えています。これは、公平で「良質で効率的な医療」を目指した改革の一環です。本稿の今までの記述はほとんど私の事実認識でしたが、この改革提案のみは私の価値判断です。ただし、それらの実現可能性についての私の「客観的」将来予測もあわせて行います。

社会保険料を主財源とする公的医療費拡大

第1の、そしてもっとも重要な改革は、公的医療費の総枠拡大のための財源を確保することです(13)。一般には、医療・社会保障費の財源としては消費税が真っ先に上げられますが、私は日本の現行の医療保障制度が社会保険を主体としており、しかも与野党を問わずすべての政党が「国民皆保険制度の維持(堅持)」を主張している以上、主財源は社会保険料であり、公費(消費税、所得税・企業課税等)は補助的に用いるべきと考えます。

社会保険料引き上げの中心は、他の医療保険に比べて低すぎる組合管掌健康保険の保険料(特に国際的にみて非常に低い事業主負担分)の引き上げです。この改革に対しては、大企業経営者だけでなく大企業の労働組合等も強く反対しており、「壁」が厚いのは事実です。しかし、それを突破しない限り、公的医療費抑制政策を根本的に転換することはできません。

国民健康保険制度の改革-資格証明書には「風穴」

第2は国民健康保険制度の改革であり、その柱は(1)国庫補助率の引き上げ(最低限、1984年の健康保険法等「抜本改革」前の水準への復元)、(2)保険料の「応能負担」化と低所得者の保険料の大幅減免、および(3)資格証明書交付の廃止の3つです。現在の財政危機を考えると(1)の実現はすぐには困難と思いますが、(3)の実現可能性はかなりあると思います。

なぜなら、以下の改革・対応により、資格証明書交付にはすでに「風穴」が開いているからです。まず、2008年12月の国民健康保険法改正により、2009年4月から資格証明書交付世帯のうち中学生以下の子ども(約3.6万人)に対して無条件で短期保険証が交付されることになりました。さらに本年5月の同法再改正により、7月からは、短期保険証の対象は高校生世代(18歳以下。約1万人)にまで拡大されました。

2008年4月に施行された後期高齢者医療制度では、条文上は、それまで資格証明書の交付が禁止されていた保険料を滞納した後期高齢者にも資格証明書が新たに交付されることになりましたが、2008年6月の政府(福田政権)・与党の後期高齢者医療制度見直し策により、「資格証明書の運用に当たっては、相当な収入があるにもかかわらず保険料を納めない悪質な者に限って適用する」とされました。

さらに麻生政権は、2009年1月20日、国民健康保険料が払えず資格証明書を交付された世帯についても、医療の必要性が生じ、世帯主が市町村の窓口で医療機関への医療費の一時払いが困難だと申し出た場合は、「保険料を納付することができない特別な事情に準ずる状況にある」として、短期保険証を発行する方針を閣議決定しました(小池晃参議院議員の同年1月8日の「質問主意書」に対する政府答弁書)。

保険者間の財政調整-民主党の公約にも含まれる

第3は、現在は高齢者医療制度に限定されている、財政基盤の異なる保険者間の財政調整の拡大です。実はこれは、民主党の昨年の総選挙公約(「医療政策(詳細版)」)に、「医療保険制度の一元的運用」の一環として、以下のように掲げられていました。「わが国の医療保険制度は国民健康保険、被用者保険(組合健保、協会けんぽ)など、それぞれの制度間ならびに制度内に負担の不公平があり、これを是正します」。私は、民主党政権成立直後に、これを「現行制度の枠内での部分改革として大きな意味をもってい」ると評価しました(14)。

残念ながら、民主党政権成立後、これの検討はまったく行われていませんが、今後民主党政権が「医療保険の一元的運用」に本格的に取り組んだ場合には、実現する可能性があります。

患者の自己負担割合の引き下げ

第4は、現行の原則3割の自己負担率の引き下げであり、私は究極的には全保険での患者負担の無料化を目指すべきと思います。これは医療受診格差を改善するために決定的に重要な改革ですが、1980年代以降の患者負担拡大政策を180度逆転するものであり、実現のハードルは高いと言わざるを得ません。ただし、日本医師会は「医療崩壊から脱出するための緊急提言」(2009年5月)の中で、「経済的理由による受診抑制」を防ぐために、外来患者一部負担割合の2割への引き下げを主張するとともに、そのために追加的に必要な給付費は約8500億円と試算しており、注目されます。

自己負担の引き下げに対しては、それが患者の「モラルハザード」を誘発して、「無駄な受診」を拡大するとの反対論が必ず出されます。自己負担の引き下げによって受診率が上昇することは確かですが、私の知る限り、その受診率上昇が「無駄な受診」であることを実証した研究は国際的にもありません。逆に、有名なアメリカのランド医療保険実験では、自己負担の引き上げにより「不適切な入院」(いわば「無駄な入院」)のみを選択的に抑制できないことが実証されています(15)。この実験では、自己負担の引き上げにより入院率は下がりましたが、入院患者のうち医学的に見て「不適切な入院」と判定された患者の割合は変わらなかったのです。

患者の自己負担の引き下げに対しては、「負担能力に応じた適切な負担」の視点から、自己負担率は患者の所得水準別にすべきとか、支払い能力のある高所得者の自己負担は逆にもっと引き上げるべきとの別の反対論も聞かれます。しかし、私は、「負担能力に応じた適切な負担」は保険料・租税負担に適用される原則であり、患者負担について適用すべきではないと考えています(16)。

高額療養費制度の改善

第5は高額療養費制度の改善であり、その柱は(1)現物給付の対象を現行の入院医療だけでなく外来医療にも拡大すること、および(2)3つの治療法と疾患(人工腎臓を実施する慢性腎不全等)に限定されている「特定疾病」(患者の自己負担額が月額1万円に軽減)の対象を拡大することです。

この点については、(がん)患者団体の強い要望に基づいて、社会保障審議会医療保険部会でも7月14日から検討が開始されています。この改善に対してはマスコミも好意的であり、しかも健康保険法改正によらず同法施行令改正や新たな保険局長通知により実施できるので、5つの改革の中では一番実現可能性が高いと言えます。

なお、阿部彩氏の、医療格差を縮小するための「医療費軽減制度の設計」提案は非常に緻密で参考になりますので、御一読をお薦めします(17)。

[本稿は、7月30日に開催された日本学術会議市民公開シンポジウム「健康の社会格差-今、多様な知を結集し、すべての人々に生きやすい社会を」(主催:日本学術会議基礎医学委員会・健康・生活科学委員会合同パブリックヘルス科学分科会)での同名の報告に加筆補正したものです。]

【補注】アメリカでは医療保険の健康改善効果が実証されている

日本では、国民健康保険資格証明書交付世帯(事実上の無保険者)や文字通りの無保険者の健康状態の悪化については、本文で紹介した民医連の「事例調査」等があるだけで、大規模な実態調査(量的調査)は行われていません。それに対して、4700万人もの無保険者が存在するアメリカでは、医療保険(自己負担)の有無による健康状態の違いについての実証研究が少なくありません。

もっとも初期の調査(しかもランダム化比較試験)は、本文でも紹介したランド医療保険実験で、自己負担がない医療保険では、低所得者や調査開始時にすでに慢性疾患を有していた人々(ハイリスク群)の死亡確率が有意に低下することが実証されました(18)。

ただし、この実験では、死亡確率の低下は調査対象(成人)全体では認められませんでした。しかし、2008年に発表された「医療保険[の有無]が成人の[医療]利用と[健康]アウトカムに与える因果効果:アメリカの研究の体系的文献レビュー」(19)では、医療保険は低所得者だけでなく、成人全体の健康を改善することが確認されました。しかも、医療保険の効果は特に、医師サービスの利用、予防サービスの利用、健康の自己評価、事故や疾病による死亡率で大きいことも明らかにされました。なお、この文献レビューは、PubMed等3つの文献データベースを用いて、1991年以降発表された研究で、非老人を対象とし、無保険者群と医療保険加入群の差を、縦断的コホート研究・操作変数分析・擬似実験計画法のいずれかで検討している実証研究論文14(ただしランダム化比較試験はなし)を抽出して詳細な分析を行っており、現時点での「決定版」と言えます。

文献

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算57回.2010年分その5:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○日本の高齢者の医療・長期ケア利用[と費用]についてのミクロデータ分析
(Hashimoto H(橋本英樹), et al: Micro data analysis of medical and long-term care utilization among the elderly in Japan. International Journal of Environmental Research and Public Health 7:3022-3037,2010 (www.mdpi.com/journal/ijerph)[量的研究]

日本はOECD加盟国のなかでもっとも人口高齢化のスピードが速く、それが医療費増加の重要な要因と言われている。それに対して、アメリカやヨーロッパの最近の研究では、人口高齢化そのものよりも、死亡までの期間と高齢者の非医療的ケア費用が費用増加の要因とされている。本研究では、日本の九州地方の1国民健康保険加入の65歳以上高齢者の2000~2004年の月ごとの医療費(入院・外来の両方。歯科分は除く)と長期ケア費用(在宅・施設ケアの両方)の個票データ(パネルデータ)を用いて、人口高齢化、死亡までの期間、調査期間中の生存・死亡、長期ケア利用が、65歳以上の医療・長期ケアのサービス利用と費用に与える影響を検討した。データセットは調査期間中の死亡者(50,857人)と同生存者(364,484人)別に作成した。その結果、年齢は長期ケア費用増加の要因であること、年齢の医療費増加に対する影響は、調査期間中の生存・死亡により異なることが明らかになった。その上で、著者は(終末期ケアにおいて)長期ケアは医療の安上がりな代替にはならないと示唆してい。

二木コメント-欧米での先行研究の知見と方法を十分に踏まえたうえで、大量のパネルデータを用いて高齢者の医療費と長期ケア費用を統合して詳細に分析した、「非西欧諸国初の、しかもきわめて高水準の研究です。利用者の属性データは年齢と性別だけであることを理由にして、敢えて回帰分析等を行わなかったのは見識と思います。

○費用を理由にした自己申告による薬剤の過少服用の決定因子:7か国の比較
(Kemp A, et al: Determinants of self-reported medicine underuse due to cost: a comparison of seven countries. Journal of Health Services Research and Policy 15(2):106-114,2010)[量的調査(国際比較)]

薬剤費の給付・自己負担制度が異なる7か国を対象にして、「費用(患者負担の多さ)を理由にした自己申告による薬剤の過少服用」(以下、過少服用)の決定・予測因子を比較した。2007年に、オーストラリア、カナダ、ドイツ、オランダ、ニュージーランド、イギリスおよびアメリカの7か国の成人対象の調査を行い、各国ごとに多変量ポアソン回帰分析により、過少服用の予測因子を計算した。過少服用率は、自己負担の少ない国ほど低い傾向があり、一番低いのはオランダで3%、次いでイギリスの5%であった。アメリカの過少服用率は20%で、飛び抜けて高かった。低所得者の自己負担を引き下げている国では、所得階層間の過少服用率も小さかった。オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アメリカの4か国では、過少服用率の最大の予測因子は自己負担の多さ、所得の低さと若年であった。オーストラリアとイギリス以外の7か国では、うつ病のある患者で過少服用率が低かった。オーストラリア、カナダ、ドイツ、イギリス、アメリカの5か国では、治療法決定時の患者参加の欠如が過少服用と関連していた。オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの3か国では、先住民族では過少服用率が高かった。

二木コメント-医療の社会的格差についてのユニークな国際比較研究です。著者4人はすべてオーストラリアの大学所属の研究者です。

○[アメリカにおける]急性心筋梗塞[患者]の医療保険[加入の有無]、医療機関受診時の金銭的心配[自己負担額についての心配]と病院受診の遅れ
(Smolderen KG, et al: Health care insurance, financial concerns in accessing care, and delays to hospital presentation in acute myocardial infarction. Journal of the American Medical Association 303(14):1392-1400,2010)[量的研究]

急性心筋梗塞のような重大な急性疾患が発症したときに、患者の医療保険に関する状況が医療機関受診にどのように影響するかについてはほとんど知られていない。そこで、2005年4月11日~2008年12月31日に全米の24急性期病院に入院・登録された急性心筋梗塞患者3721人を対象にした前向き調査により、医療保険無加入または医療保険に加入していても医療機関受診時の自己負担額について心配していることと、自覚症状の出現から病院受診に至るまでの時間(「受診遅延」:2時間以内、2~6時間、6時間超)との関連を検討した。回帰分析により、人口学的、臨床的、社会的、心理的要因は調整した。3721人のうち、無保険者は19.8%、医療保険に加入しているが自己負担額について心配している患者が18.5%であった。これらの患者では、受診遅延が6時間以上の患者がそれぞれ48.6%、44.6%であり、医療保険に加入しておりしかも金銭的心配のない患者の39.3%より高かった。交絡因子を調整しても、この受診遅延格差は残った。

二木コメント-従来の大半の医療受診格差の研究が医療保険加入の有無の影響のみを検討していたのに対して、本研究では、医療保険に加入しているが自己負担額について心配している患者では、急性心筋梗塞という重大疾患を発表した場合にさえ、医療受診の遅延が生じていることを示した点に新しさがあると思います。

○患者が[診療費を]支払わないとき[医師はどうするか?]:アメリカのプライマリケア医を対象にした調査
(Farber NJ, et al: When the patients does not pay: A survey of primary care physicians. Medical Care 48(6):498-502,2010)[量的研究]

倫理的問題があるとはいえ、診療費を請求しても支払わない患者に対して診療を差し控える医師が存在するとの逸話的(anecdotal)報告がある。これの実態を明らかにするために、アメリカ医師会名簿からランダムに抽出したプライマリケア医1000人に対して、2007年1月に、質問紙を郵送し、診療費を支払わない仮想的患者に対する13種類の医療行為の実施について4段階のリッカート指標での回答、および各医師が現実に診療を差し控えたことがあるか否かについての回答を求めた。379人から有効回答が得られた(平均年齢47歳)。回答者の84%が仮想的患者に対して最低限1つ以上の医療行為を差し控えると回答し、41%が現実にもそれを行ったことがあると回答した。分散分析と多重ロジスティック回帰分析の結果、診療を差し控える割合は、若い医師、患者は常に医療を受ける権利を持っているわけけではない考えている医師、および都市部の医師で有意に高かった。

二木コメント-このテーマについての、初めての査読付き論文だそうです。

○問題・無能同僚医師についての[アメリカの]医師の認識、報告姿勢、および経験
(DesRcohes CM, et al: Physicians' perceptions, preparedness for reporting, and experiences related to impaired and incompetent colleagues. Journal of the American Medical Association 304(2):187-193,2010)[量的研究]

診療を行うには問題があるか能力が低い医師(以下、問題・無能医師)を発見する基本的方法は、同僚医師のモニタリングと報告であるが、実際の報告率は低いことが示唆されている。そこで、2009年5月に、に全米で開業している7診療科の医師からランダムに抽出した2938人に、この点についての郵送調査を行った。1891人(64.4%)から有効回答が得られた。回答者の64%が、問題・無能医師を報告するのは専門職の責務であることに全面的に同意し、69%が実際に報告の用意があるとした。17%が問題・無能医師を直接知っていたが、そのうち彼らを関連機関に実際に報告したのは67%にとどまっていた。報告率はマイノリティ医師や外国医学校出身医師で低く、病院または大学病院で診療している医師で高かった。報告しない理由でもっとも多かったのは、誰か他の人間が報告してくれるだろう(19%)であり、以下、報告しても何も変わらない(15%)、その医師からの報復が怖い(12%)であった。

二木コメント-著者は、実際の報告率(67%)が低いことを問題にしていますが、日本ではこの割合はこれよりはるかに低いと思います。

○在宅ケアを受けている患者に生じた有害事象:文献レビュー
(Masotti P, et al: Adverse events experienced by homecare patients: a scoping review of literature. International Journal of Quality in Health Care 22(2):115-125,2010)[文献レビュー]

従来の大半の有害事象研究は病院や施設を対象にしている。在宅ケアを受けている患者に生じた有害事象についての個別研究はあるが、それらの体系的文献レビューはまだない。そこで、Medline等3つのデータベースとCochrane Library等4つのEBM文献レビューを用いて、1998~2007年の10年間に発表された英語の研究論文と「灰色文献」(一般の出版市場には流通しない、政府や学術機関、企業などにより発行される出版物)を用いて、在宅ケアを受けている患者に生じた有害事象について論じている文献1007を検索し、その中から、最終的に168文献を選択・分析した。有害事象研究は以下の6つに分類できた:薬の副作用、管関連、技術関連、感染と尿管カテーテル、負傷、転倒。有害事象全体の出現率は3.5~15.1%であった。介入研究はほとんどなかった。有害事象は多くの場合コミュニケーション問題と関連していた。この結果を踏まえて、著者は、在宅ケアを受けている患者の有害事象の標準化された定義と前向きコホート研究が必要だと指摘している。

二木コメント-カナダの研究者による、在宅ケア研究者必読の文献レビューと思います。


4. 私の好きな名言・警句の紹介(その69)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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