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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻106号)』(転載)

二木立

発行日2013年05月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


訂正

本「ニューズレター」100号(2012年11月)~105号(2013年4月)の目次では、「私の好きな名言・警句の紹介」の通し番号をそれぞれ(その94)~(その99)と記載していましたが、それぞれ(その95)~(その100)の誤記です。なお、本文では正しく記載していました。大変失礼しました。


1.論文:安倍首相のTPP交渉参加表明と医療への影響を読む

-2年半のTPP論争の成果にも触れながら

(「二木学長の医療時評(その112)」『文化連情報』2013年5月号(422号):18-21頁)

安倍晋三首相は3月15日、日本のTPP交渉への参加表明を公式に行いました。本稿ではまず参加表明の2つの背景を述べ、次に過去2年半のTPP論争の3つの成果を指摘します。最後に、日本は今や多国籍製薬企業の「世界最良の市場」になっており、TPPに参加した場合はそれが加速することを述べます。

安倍首相の急な表明の2つの背景

私は、昨年12月の総選挙直後、まだ自民党が公式には「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、交渉参加に反対する」と主張していた時期から、安倍首相が、以下の2つの理由から、いずれTPP参加の表明をすると判断していました(1)。「そもそもTPPは、台頭する中国に対する封じ込め政策でもあります。中国との対決を見据えてアメリカの庇護のもとに入る。そういう、経済協定とは別の政治的判断が働くのが1つ。それから、安倍氏の著書『美しい日本へ』(文春新書,2006)で印象的だったのは、祖父である岸信介元首相への強い思い入れです。安保条約は軍事同盟であると同時に経済協力協定が入っていました。TPPは祖父の成立させた安保条約の経済協力促進条項の精神にも適うものですから、安倍首相は参加しようとすると思います」。

しかし、参加表明は7月の参院選挙で勝利するまで「棚上げ」される可能性が大きい予測していました。そのため、安倍首相のこの時期の参加表明はやや意外でした。

安倍首相は、この時期に表明しないと日本が今後の交渉で不利になると主張しました。しかしこれは「表」の理由であり、それ以外に2つ、「裏」の理由があると思います。1つは、民主党が昨年の総選挙での大敗後極度に低迷する一方、内閣支持率は高水準を保っているため、この時期に交渉参加表明を行い、たとえ農協票等を多少失っても、7月の参院選で大勝する見通しが立ったことです。

もう1つは、アメリカのオバマ政権との同盟関係を強めるためには、TPP交渉参加表明を行うことが不可欠だからです。日本ではほとんど報じられていませんが、オバマ政権は、日本の戦争責任を否定し、「戦後レジーム」からの脱却を掲げる安倍首相の右翼的・復古的思想に強い懸念と警戒感を持っています(2)。安倍首相はアメリカ側のこの懸念を払拭する「切り札」として、TPP交渉への早期の参加表明を行ったと思います。

2年半のTPP論争の3つの成果

安倍首相のTPP交渉参加表明で、医療関係者の中には、「皆保険制度が破壊される」と挫折感にとらわれている方もいるようです。しかし、私は、2010年10月の菅直人首相(当時)の唐突なTPP参加意思表明以来2年半のTPP論争で、日本医師会等の医療界が繰り広げてきた論戦は、次の3つの成果をもたらしたと考えています。

第1に、当初、TPPの焦点は農業問題だと思われていましたが、現在ではそれが医療にも大きな影響を与えること、特にすぐに悪影響が生まれるのは医薬品等の価格規制であることが広く認識されるようになりました。

TPP論争がはじまった当初は、TPP参加がすぐに「国民皆保険解体」「医療崩壊」を招くとの「地獄のシナリオ」を主張する団体・人々と、それを「TPPお化け」と揶揄するTPP参加推進派との「空中戦」が行われていました。

それに対して私は、日本が「TPPに参加するとアメリカは日本医療に何を要求してくるか?」について分析的に検討して「3段階論」を提起し、「今、そこにある危機」(第1段階)は「医薬品・医療機器の価格規制の撤廃・緩和要求」であり、それが実現すると医薬品・医療機器の価格が高騰することを指摘しました(3)

現在では、この認識は広く共有されるようになっています。厚労省は「米側の関心は医薬品や医療機器のシェア拡大」との見方を強めていると報じられています(「毎日」3月16日朝刊)。3月16日のNHK総合テレビ「週刊ニュース深読み」でも、「TPPと深く関係するのが『薬』」とされました。

第2の成果は、自民党が安倍首相のTPP交渉参加表明前に、国民皆保険制度の「中身」を守る「決議」をあげたことです。よく知られているように同党は、衆議院議員選挙まではTPP参加に慎重でしたが、医療との関わりでは「国民皆保険制度を守る」という抽象的表現にとどまっていました(昨年3月「TPPについての考え方」)。それに対して同党外交・経済連携調査会「TPP交渉参加に関する決議」(2月27日)では、「TPPに関して守り抜くべき国益」の3番目に、「国民皆保険制度、公的薬価制度=公的な医療給付範囲を維持すること。医療機関への営利企業参入、混合診療の全面解禁を許さないこと。公的薬価算定の仕組みを改悪しないこと」が掲げられました。

短い文面で「公的薬価」に2回も言及していることは、TPPにおける医療分野の焦点が公的薬価制度の維持であることを改めて示しています。なお、このような踏み込んだ表現は、日本医師会の強力な働きかけの結果、盛り込まれたと思われます。

言うまでもなく、今後のTPP交渉の過程で、これらの「国益」が守り抜かれる保証はまったくありません。安倍首相は2月22日の日米首脳会談で「国民皆保険を守る」と述べましたが、これは日本側からの一方的説明であり、アメリカ側からは何の保証も得られていません。しかし上記「決議」が、今後、交渉に当たる政府に対して多少の圧力・歯止めになることは期待できます。

第3の成果は、TPP参加派のほとんど誰も、それが日本医療に好影響・メリットがあると主張できていないことです。安倍首相は、3月15日のTPP交渉への参加を表明した記者会見で、TPPに参加しても「国民皆保険制度を守る」と繰り返し発言しましたが、TPP参加が医療に好影響があるとは述べませんでした。このような「守り」・「逃げ」のスタンスは、TPP賛成派でほぼ共通しています。例えば、「TPP交渉への早期参加を求める国民会議」(代表世話人:伊藤元重東京大学教授等)のホームページの「TPPと医療制度」も、「『公的医療制度(国民皆保険制度)』『混合診療の解禁』は、TPPで議論されていません」としか書いていません。

私が調べた範囲では、TPP参加が日本医療にプラスの影響を与えうるとする論文は、上昌広医師の「TPPは我が国の医療にマイナスか」1つだけです(4)。彼は、他のTPP参加派が、TPPで混合診療の全面解禁や営利企業による医療機関経営の解禁は起こらないと「逃げ」ているのと異なり、TPPでそれらが促進されることを理由にして「TPPへの参加は悪いことではない」と言い切っていました。ただし、この論文は、彼の以前からの主張を、TPPに事よせて繰り返しているにすぎず、TPPそのものについては浅薄な理解にとどまっています。

「日本は世界で最良の医薬品市場」

小泉政権時代には、国内外で、日本の医薬品市場の閉鎖性や過度の規制が批判されました。しかし、現在では事態は逆転しており、米国研究製薬工業協会(PhRMA)日本代表は「外国製薬企業にとっては、日本は現時点では世界で最良の市場」と高く(?)評価し、現実に、彼らは日本で新興国市場並みの売り上げ増加率を享受しています。その理由は、小泉政権以降の一連の規制改革で、新薬承認プロセスの迅速化(欧米に比べての「ドラッグラグ」は消失)と価格政策の見直し(新薬創出加算等)が行われたためとされています(5)

ただしPhRMAはこれに満足せず、新薬創出加算制度の恒久化と市場拡大算定ルールの廃止の2つを中心とする「2013年の優先的取り組み事項」を掲げています(『国際医薬品情報』2月11日号:68頁)。さらにアメリカは日本に対して、医薬品特許の保護期間の事実上の延長(「出願から20年」から「発売から20年」への変更)を求めているとの報道もあります(「毎日」3月17日朝刊)。これが実現すれば、後発医薬品の発売が大幅に遅れることになります。

PhRMAの2つの要求は、日本の製薬団体も求めていますが、医薬品費のさらなる増加をもたらすため、国内的な政治的力関係を考えると、すぐに実現するとは考えにくいと思います。しかし、日本がTPPに参加した場合、または交渉の段階で、アメリカ側の強い圧力により、実現する可能性が大幅に高まります。国民皆保険制度の下で新薬の承認がほとんど自動的に新薬の保険収載に結びついている日本でこれらが実現した場合には、日本はアメリカ等の巨大製薬企業の「天国」になります。上述したThe Economist記事(5)には、「世界の巨大製薬企業は[日本市場に]舌なめずりしている(lick their lips)」という露骨な表現さえありました。

言うまでもなくその場合には、医薬品費は確実に増加します。少し古い資料ですが、アメリカ商務省は2004年に、各国の薬価制度が自由化された場合には、OECD加盟国全体で処方薬(特許薬)の売り上げが25~38%拡大するとの試算を発表しています(6,7)。さらに、厚生労働省が本年2月27日の中医協薬価専門部会に報告した「新薬の薬価における欧州との比較」によれば、日本の新薬(大型品目67)の対米国価格比率は0.56(2010年)、0.43(2012年)でした(2010年1~12月期の為替レートを用いた場合。円高レート、円安レートでの比率は略)。つまり、アメリカの大型新薬の薬価は日本より1.78倍、2.33倍も高いのです。

医薬品費の増加は強い医療費総額の増加圧力となるため、政府・厚生労働省はそれを予防するために、診療報酬の引き下げ、保険料の引き上げ、および保険給付範囲縮小と保険外併用療養費制度の範囲拡大のいずれか、またはすべてを行う可能性があります。さらに次の段階では、「特区」での混合診療解禁や株式会社による医療機関経営解禁が行われる可能性も否定できません。

その結果、「いつでも、どこでも、誰でも」良い医療を受けられるという意味での国民皆保険制度の空洞化が進む危険があります(8)。昨年8月に民自公三党合意に基づいて成立した社会保障制度改革推進法では、小泉政権を含めた歴代内閣の医療制度改革関連の公式文書で定番とされていた「国民皆保険制度の堅持」・「質が高く最適の医療の提供」という表現が削除され、それに代わって「医療保険制度に原則として全ての国民が加入する仕組みを維持する」という限定的表現が用いられました(9)。やや穿った見方ですが、この表現は、TPP参加を見越して、その布石をうっていたのかもしれません。ただし、私は、日本が今後TPPに参加しても、混合診療が全面解禁される可能性は低いと判断しています。この件については、別稿で詳しく論じたのでお読み下さい(10)

文献

[本稿は、『日本医事新報』2013年4月6日号(第4641号)に掲載した「安倍首相のTPP交渉参加表明をどう読むか?」に加筆したものです]。

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2.講演録:地域包括ケアシステムと今後の死亡場所

-慢性期医療機関への期待にも触れながら

(2013年3月15日の日本慢性期医療協会役員を対象とした講演。「日慢協BLOG」(日本慢性期医療協会の公式ブログサイト)に2013年3月28日掲載。http://manseiki.net/?p=2068)

みなさん、こんにちは。私はパワーポイントを使いません。レジュメと、関連した自分の論文を配布するスタイルでお話しします。添付した3つの論文はすでに読まれた方もいるかもしれません。第1は『日本医事新報』3月9日号に掲載した、麻生さんの発言を論じた論文です。それ以外に2つ、「地域包括ケア」と「死亡場所」についての論文を添付しました。「死に場所」についてとんでもない誤解を招いている厚生労働省の2つのグラフもご紹介します。

「死亡前医療費が高額」という神話

先日、麻生さんが社会保障制度改革国民会議でとんでもない発言をしてくれたので、これについてまず一言します。彼の発言の一番大きな問題点は、「死亡前の医療費が高額」というデマを流したことです。死に方の問題については、さまざまな考え方があるでしょう。これは議論していいと思います。

しかし、みなさんがどの新聞を読んでいるか知りませんが、全国紙では産経新聞以外、朝日、毎日、読売、日経は、麻生さんの発言のうち「勝手に死なせてくれ」という部分しか報道しませんでした。そうすると、最近は「平穏死」という言葉もありますから、「それは重要な問題提起じゃないか」なんてご意見もある。しかし、違います。その前段階で彼が何と言ったか。「死亡前に高額医療費が掛かる。1ヵ月に千数百万円、1,500万円掛かるということは厚生労働省も知っている。だから、これから医療費を抑制しようと思ったら、高額医療費を削減するしかない」という、とんでもないことを言っちゃったんです。

しかし私の知る限り、この部分は産経新聞以外では報道されなかったので、「死亡前の医療の在り方についての重要な問題提起だ」といったピント外れなコメントが多く出たように思います。添付論文1には彼の発言の全文も引用してあります。これは共同通信が報道したものです。

麻生発言以外にも、最近、「死亡前医療費が高額で、医療費増加の要因になっている」という趣旨の発言がいろんなところで繰り返されています。しかし、実態はどうでしょうか。個人レベルで死亡前医療費はどうなっているのか。総医療費、マクロのレベルでどうなっているのか。既存の調査データを整理してみました。「死亡前医療費」の定義はいろいろあり、「死亡前1年間の医療費」を指す定義もあります。でも、1年なんてほとんど無意味ですよね。1年後、みなさんのうち何人かが亡くなるかもしれない(会場、笑い)。私も含めて、1年後に死んでいる人もいるかもしれない。

だから「死亡前」とは、せいぜい1ヵ月ぐらいじゃないですか。そういう視点で見ますと、私、驚きました。健保連によると、1000万円以上の高額レセプト179件のうち、当月死亡は8.4%にすぎません。年齢別に見ると、60~74歳はわずか7.3%です。一般には、「高額医療費の人はすぐに亡くなる」、「お年寄りが多い」、「だから無駄だ」って思いがちですが、全然違うのです。

日医総研によると、「入院期間別の死亡前30日以内1人1日当たり入院医療費も高額ではない」のです。この調査でなかなか良いのは入院期間別に出していることです。1日当たりの入院医療費が、入院直後に高いのは常識で分かりますね。しかし、入院後1カ月以内に亡くなる場合は、入院日数は数日にすぎず、医療費総額は大した額ではないんです。他方、入院期間が長くなればなるほど手厚い医療をする必要はなく、逓減制で下がっていきます。半年から1年経っちゃうと、死亡患者とそれ以外の患者の差はなくなります。要するに、個人のレベルで見て、死亡前にべらぼうに医療費が掛かるというケースは、若い人の急性疾患ならあるでしょう。だけど、お年寄りの慢性疾患で、そういうことはあまりない。

それから、総医療費レベルでみた「死亡前医療費」については、推計が2つあります。1つは厚生労働省の外部団体の医療経済研究機構が出したものです。この場合は、歯科は除きます。死なないから。医科の医療費に限定すると、全年齢で死亡前1ヵ月の医療費は医療費総額のわずか3.4%にすぎません。なおかつ、この3.4%には急性死亡の医療費も入っています。心筋梗塞で亡くなった、脳卒中で亡くなったというケースです。だから、一般に死亡前医療費とか終末期医療費でイメージされるような、「慢性疾患があって、がんの末期等で亡くなる」という人の医療費は、恐らく2%とか、そんな程度ではないでしょうか。

医療経済研究機構の報告書をまとめた方は、「死亡直前の医療費抑制が医療費全体に与えるインパクトはさほど大きくない」と認め、終末期ケアが医療費の高騰につながる可能性を否定しました。ですから、学問的・研究的には、この問題は終わっているんです。だけど、不勉強な政治家やジャーナリストが、壊れたレコードみたいに同じことを繰り返すんです。

私は、終末期の在り方そのものはいろいろ議論していいと思います。しかし、「それと金の問題を絡めるんじゃないよ」と言いたい。手前味噌ですが、私は1992年に、『90年代の医療と診療報酬』という本を勁草書房から出版し、それに「90年代の在宅ケアを考える」という論文を収録しました。この本はまだ流通していますから、もし興味があったら買ってください。その論文で、90年代における在宅ケアの理念的問題を2つ挙げ、その1つとして「単なる延命医療の再検討」について問題提起しました。これは一部から批判されましたが、私はこういう見直しは元祖に近いほうです。「費用の問題と理念問題を結びつけちゃいけない」というだけでなく、「両者は全然関係ないよ」ということを強調したい。

「地域包括ケアシステム」を正確に理解する

ここまでは前置きです。これからが本題です。以下、2つの柱、「地域包括ケアシステム」と「死に場所」についてお話しします。まず、「地域包括ケアシステムを正確に理解することが必要である」ということについて、ポイントだけお話しします。「正確に理解する」と書いたのはつまり、「誤解がすごく多い」ということです。

4点言います。1つ目、「地域包括ケアシステムは単なる介護保険制度改革ではなく、医療制度改革と一体」ということです。このことは、日本慢性期医療協会の幹部のみなさんにとってはもう常識だと思います。前政権の「社会保障・税一体改革大綱」(2012年2月閣議決定)の「医療・介護等」改革は、「医療サービス提供体制の制度改革」と「地域包括ケアシステムの構築」が2本柱ですから。私がここで強調したいのは、「地域包括ケアシステム」と「医療提供制度の改革」は政権交代前後で全く変わらないということです。

しばしば、安倍政権の医療政策について「よく分からない」とか、「まだはっきりしない」とか言っている人がいますが、不勉強極まりないですね。医療提供制度と地域包括ケアシステムに関しては何も変わらないんです。なぜか? 極めて簡単です。民主党政権の医療提供制度改革も地域包括ケアシステムも、民主党独自のものではなくて、その前の政権、福田・麻生政権の時代から始まっているんです。それが民主党政権に変わっても粛々と実施された。だから、元の自民党政権に戻っても変えようがない。だから、それぞれの医療機関が粛々と自己改革するしかないということになるわけです。

2つ目、地域包括ケアシステムの「実態は『システム』ではなく『ネットワーク』、主たる対象は都市部」ということです。これは私が最も強調したいことです。「地域包括ケアシステム」という言葉が良くない。「システム」なんて言葉を使うと、日本語の語感で、「上からつくるもの」とか「ガッチリ固定したもの」っていうイメージがあります。しかし、地域包括ケアシステムの実態はシステムではありません。ネットワークです。なおかつ、主たる対象は大都市部です。だから、地域包括ケアシステムの具体的な在り方は地域によって異なります。

ここで大事なことは、「誰が地域包括ケアの中心を担うのかも、地域により異なる」ということです。「在宅介護支援センターが中心になる」とか、「市町村が中心になる」とか、「医師会が中心になる」とか、「老健が中心になる」とか、いろいろ言われていますが、全部嘘です。それぞれの地域で全然違うんです。早い者勝ちです。それぞれの地域で力がある組織や人がリーダーシップを取ってやるしかないんです。

私だけが言うと説得力がないと思って、添付論文では武田俊彦さん、それから古都賢一さんの発言を引用しましたが、もっと素晴らしい発言を見つけました。それは、原勝則老健局長の全国厚生労働関係部局長会議での説明です。年に1回、厚労省が都道府県の担当者に訓示をします。そこでこう説明しています。「『地域包括ケアはこうすればよい』というものがあるわけではなく、地域のことを最もよく知る市区町村が地域の自主性や主体性、特性に基づき、作り上げていくことが必要である」、「医療・介護・生活支援といったそれぞれの要素が必要なことは、どの地域でも変わらないことだと思うが、誰が中心を担うのか、どのような連携体制を図るのか、これは地域によって違ってくる」(『週刊社会保障』)3月4日号:22ページ)。

私が知っている範囲では、厚生労働省の高官が「中心はない」と認めたのは、これが初めてです。私は以前から、こう言っていました。「それぞれの地域で、医師会でも病院でもイニシアチブを取ればいいんですよ」と。原勝則さんはものすごく優秀で率直な方です。「週刊社会保障」3月4日号に詳しい講演録が載っていますので、ぜひお読みください。

それから、「主たる対象は都市部である」ということです。今後、高齢化が進みます。その場合には65歳以上よりも75歳以上の後期高齢者がカギになるのですが、彼らの増加は、首都圏を中心とした大都市部で集中的に起こるんです。大雑把に言って、2010年から2025年までの15年間で、75歳以上の高齢者は全国平均で5割増えます。東京周辺の千葉、埼玉、神奈川では2倍に増えます。東京は6割しか増えませんが、人口が桁違いです。しかも首都圏は、お年寄りがものすごく増えるだけでなく、人口当たりの病院・病床数や施設数がべらぼうに少ないのです。だから、ものすごい需給ギャップが起こり、このままだったら「死亡難民」が起きちゃいます。しかし、今の財政状況を考えると病院病床を増やすことはできないし、施設もそんなには増やせない。だから、前段階の地域包括ケアで何とか食い止めたいという思いが厚労省にはあるのです。

3つ目です。「厚労省は地域包括システムの医療の位置づけを軌道修正:病院・医療の役割を拡大」ということです。もっとはっきり言うと、病院や医療の役割を大きくしたということです。「地域包括ケアシステム」って言うと、いまだに2010年に出された報告書を読んで、「これがおかしい、あれがおかしい」と批判している人がいます。研究者にもいますが、ピント外れです。厚生労働省は方針をいくらでも変えます。そういう点で、すごく柔軟です。

確かに、2010年の段階では地域包括ケアシステムは診療所レベルの医療を念頭に置いており、病院なんか全然関係ないんです。しかし、その後2年経ち、厚労省幹部も「病院抜きでは無理だ」ということを自覚しました。香取照幸という、事務官の中で一番頭が良く、なおかつ一番率直に発言する、しかしどんなに率直に発言しても絶対に問題にされない稀有な方が、次のようにはっきりと言いました。

「これまでは有床診のような20床くらいの小規模なサービスを考えていたが、もう少し規模の大きいものを考えないといけない」、「入院機能を持った病院を組み込むことが必要」(『日本医事新報』2012年7月7日号:22ページ)。極めてリアルですね。ここで念頭に置いているのは、巨大病院ではもちろんありません。みなさんの大半がそうである地域密着型の中小病院です。

そもそも、地域包括ケアシステムの元祖は、公立みつぎ総合病院です。病院を核とした地域包括ケアシステムが原型であることは間違いありませんが、その後、病院抜きのものも出てきたんです。公立みつぎ総合病院はどんな病院かと言うと、典型的な公立の複合体です。同じ敷地内に病院も老健も特養もあり、さまざまな在宅サービスもいっぱいあるのです。

4つ目、「地域包括ケアシステムは『保健・医療・福祉複合体』への新たな追い風になる」ということです。保険局の前医療課長の鈴木康裕さんは2012年度診療報酬改定後に、こう言っています。「私は、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅のような集住系の施設に入ってもらい、そこに医療や介護サービスを付けて対応するしか方法がないと思っている。(中略)各医療法人が土地や建物、医療・介護サービスなどを提供することで、質や効率性を高めていくことが求められる」。これは、ストレートな複合体化のススメでしょう。

なぜ、こういう発言をしたのか。私はこう考えています。今後、急増する死亡者を病院ですべて看取るのは困難ですが、既存の老人福祉施設も財政制約上、大幅には増やせない。とはいえ、自宅での看取りを大幅に増やすことは困難なので、サ高住や有料老人ホームでの看取りを促進したい。ただし、「粗悪なもの」が急増すると社会問題になるので、良心的な医療機関を母体にするものを増やしたいと。こういう思惑や危機意識があると思います。つまり、現在の「地域包括ケアシステム」は、中小病院や施設も含めた概念に広がっているのです。そこで、みなさんの出番になるわけです。

今後の死亡場所-地域ケアを拡充しても「自宅死亡割合」は増加しない

本日のテーマの2つ目の柱である「今後の死亡場所」について述べます。私は地域包括ケアを含めて地域ケアを推進することに賛成です。しかし、それをやっても今後の死亡急増時代に、「自宅死亡割合」は増加しません。厚生労働省の「在宅死促進策」にもかかわらず、「自宅死亡割合」は横ばいで、増加したのは「施設死」です。まずこの点についてお話しします。

厚労省が本格的に在宅医療を推進し始めたのは2000年以降です。もう10年以上の歴史がありますが、「自宅死亡割合」は横ばいです。配布資料の「在宅死亡率の推移」という図をご覧下さい。これはひどい図です。厚労省はこれをどこで出したのか。最近では、2012年度診療報酬改定の資料として、中央社会保険医療協議会などで出したんです。

この図だけを見ると、在宅死亡率はずっと下がってきたけれど、平成16、17年(2005年)を底にして、また増えつつあるように見えますね。しかし、これは嘘です。この「在宅」には、特養が入っているのです。ひどいですね。「在宅死」の割合を「自宅」と「老人ホーム」に分解すると、「自宅」での死亡割合は、2005年の12.2%から2011年の12.5%で、ほとんど横ばいです。これに対して「老人ホーム」は2.1%から4.0%と、ほぼ倍になったんです。だから、在宅死亡率が上がったというのは、特養等の老人ホームでの死亡が増えたためなんです。

2000年以降も自宅死亡の割合はあまり変わらないように見えますが、実はものすごい地域差があって、かつての常識が通用しないんです。首都圏や関西圏、それ以外の大都市では、2000年ごろから増加に転じています。特に東京都区部は、2000年の12.9%から2011年に17.5%に上昇しています。今、東京都は自宅死亡率が全国第2位です。それに対し、2000年に介護保険が始まった頃、「在宅ケアや在宅看取りの先進的な県」と評されていた長野、新潟、山形などではガタ減りです。特に長野県は、2000年時点で自宅死亡割合が19.8%でしたが、その後どんどん下がって、今は13.6%で東京より低くなっています。

それから、「親子の同居割合が高い県ほど自宅死亡割合が高い」とのかつての常識はもはや消滅しました。昔の常識では、お子さんと同居しているお年寄りは、家族に看取られるから自宅死亡割合が高い、つまり「3世帯同居の多い地域は自宅看取りが多い」というイメージがありましたね。1990年代までその通りでした。だけど、この10年間でガラッと変わりまして、3世帯同居率と自宅死亡率の相関係数はいまやゼロです。

データを紹介します。これは強烈です。山形県の方、ここにいらっしゃいますか? 山形県は、今でもお年寄りとお子さんの同居率割合が一貫して高い。日本一です。50%を超えています。しかし、自宅死亡率は急激に下がり、今では全国平均を下回っています。逆に、東京都を見てみましょう。当たり前ですが東京は子どもとの同居率が低い。それは昔も現在も変わらないのに、自宅死亡割合がどんどん上がっている。

これは「東京は在宅ケアが普及しているから」って言う人がいる。確かに、その通りです。移動距離が短くて済みますからね。移動にすごく時間が掛かる地方と違って、東京は訪問診療でも訪問看護でもヘルパーでもみんな黒字ですよ…………と思ったら甘かった。実は、安藤高朗さんから貴重なデータを教えて頂きました。この10年間で東京都の自宅死亡割合が急増しましたが、そのうちのなんと4割が孤独死です。ですから、都市部における自宅割合の急増は、相当割り引いて考えたほうがいい。

誰にも看取られずに死んでしまうことについて、私はそれが悪いなどと言うつもりはありません。私が言いたいのは、「自宅での看取りの美化は危険で、非現実的である」ということです。「自宅での看取り」って聞くと、「家族に看取られながら安らかに死んでいく」という美しいイメージがありますが、違うんです。これから間違いなく孤独死が増えます。独居とか夫婦2人暮らしのお年寄りが増えますから。ですから、在宅死がそんなに綺麗な、美しいものではないということを言いたい。

では、自宅死について厚労省はどう考えているか。実は厚労省も、「自宅死亡割合を高めることは困難である」と認識しています。そんなことは厚労省もよく知っている。では、厚労省はどういう表現を使うか? 「居宅生活の限界点を高める」──。うまい表現ですねえ(会場、笑い)。みなさん、この意味は分かりますか? できるだけ在宅ケアを続けるけれど、ギリギリになったら、「本人や家族の希望で病院や施設に入ってください」っていうことです。

「死亡場所別、死亡者数の年次推移と将来推計」のグラフをご覧ください。一般には、2030年には死亡場所の「その他」が47万人もいることが注目されます。しかし、このグラフで最も重要なことは、自宅での死亡割合が今後とも1割程度でほとんど変わらないということです。これはすごくリアルな認識です。正しいです。だから、「サ高住や有料老人ホームを増やす」と、こういう話になるわけです。

今後自宅死亡割合が増えないと言う判断は、私は正しいと思います。(1)「終末期医療に関する調査」、(2)死亡(看取り)場所と介護家族の満足度、(3)濃厚な在宅ケアの採算ベース──の3点から理由を説明します。まず、「終末期医療に関する調査」(2003年)によると、「自宅で最期まで療養したい」という人は1~2割しかいない。具合が悪くなったら在宅で療養したいという人は確かに6割いますが、「痛くて我慢できなくても最期まで自宅」というような人は1割程度です。

2つ目の理由は、日本福祉大の全国調査で明らかになったことで、看取りの場所と介護家族の満足度は全然比例しないということです。みなさん、「自宅で看取ったほうが、遺族の満足度が高い」と、なんとなく思うでしょう。違うんです。介護する家族は、「入院させようか」と悩んだり、自宅で亡くなった時には「入院していたら助かったかもしれない」と後悔したり、いろいろ考えます。ですから、自宅は決して「究極の死亡場所」ではなく、むしろ死に至るプロセスのケアが大事なのです。物理的に、「自宅で看取る」ということを前提にしてはいけないんです。

3つ目の理由です。私が専門にしている医療経済学的な面で言いますと、24時間対応の濃厚な在宅ケアが事業者の採算ベースに乗るのは大都市だけです。いわゆる寝たきりの人に関して言えば、在宅ケアは施設ケアよりも費用が掛かる。これは国際的に確認された、学問的・政策的常識です。厚生労働省もこれを率直に認めています。

本日のお話の最後です。今後、「死亡難民」を発生させないために医療機関と社会福祉法人の頑張りが必要で、慢性期医療施設の役割が大きいということです。先ほどのグラフ、「死亡場所別、死亡者数の年次推移と将来推計」をもう一度ご覧ください。死亡場所の「その他」の47万人に対する反応は、2つに分かれます。

このグラフを見て、不勉強で情緒的なジャーナリストは、「死亡難民が47万人も発生するから心配だ!」と騒ぎます。その一方で企業系の人は、「おっ、これはビジネスチャンス! 47万人もサ高住や有料老人ホームに入る!」と喜びます。確かに、「自宅での死亡割合が12%」という数字はリアルです。しかし、「病院での死亡がさほど増えない」というのは嘘です。この20年間、病院・病床数が減っていますが、病院死は増えているじゃないですか。今後、平均在院日数がますます短縮されますので、病院での死亡数が相当増える可能性があります。特養や老健での死亡も相当増えるでしょう。

いま、一番問題なのは大都市部の貧乏な人です。厚生年金を持っている人は、かなりサ高住で対応できます。あるいは自宅でもいけます。しかし、そうではない貧しい人がたくさんいます。失礼な言い方になりますが、この方々を医療法人がみるのは無理です。先ほど、「社会福祉法人の頑張りが必要だ」と言ったのは、そういう意味です。もしかしたらみなさん、社会福祉法人を持っていますよね? そういうところはぜひ、崇高な理念でやってもらわないと駄目です(会場、笑い)。

最後に、介護療養病床がどうなるかについて述べます。介護療養病床の2017年度末廃止方針は、死亡場所の確保面からも再検討を迫られると思います。なぜか。「介護療養病床」と、それを転換した「介護療養型老健」では、定員当たりの看取り率が大きく違うからです。少なく見積もって2倍、大きく見積もって5倍の差がある。ですから、介護療養病床をすべて介護療養型老健に転換させると、看取りの場所が減っちゃう。厚生労働省にとって絶対に避けなければならないのは、「死亡難民」を出すことです。「介護難民」とか「リハビリ難民」の発生で、大きな社会問題になったでしょ。「死亡難民」が出たら、それとは桁違いに大変なことになっちゃいます。

自民党の総選挙公約を示します。これは池端幸彦さんに教えてもらいました。「介護保険法改正により平成30年まで延長となった介護型療養施設のあり方に関しては、同施設の必要性を重視し、見直しを行います」(「J-ファイル2012 総合政策集」47ページ)。自民党って賢いですね。小泉さんの時に、「介護療養病床を廃止する」って決めたんですよ。それを民主党政権が5年延期したら、今度は「同施設の必要性を重視し、見直しを行います」と言う。下衆の勘ぐりかもしれませんが、私は「武久会長が裏から政治力を発揮した」と思っています(会場、笑い)。

ただし、単純に、現在のまま延長するのは、政治的にも無理だし、国民の理解を得られません。ですから、廃止時期をさらに延期する場合、あるいは廃止方針をやめることを望むなら、「介護療養病床にはこういう役割や機能がある」ということを日本慢性期医療協会がしっかり示す必要があると思います。そういう意味で、みなさんの役割は非常に大きいと思います。以上で私の話を終わります。

添付論文(略)

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3.インタビュー:学生は分野にとらわれず乱読を 対立意見も読んで自説を深めよ

(「朝日新聞」2013年4月23日朝刊「広告月報」「リーダーたちの本棚 Vol.49」)

愛知県に学舎を構えて今年で60周年を迎える日本福祉大学。「万人の福祉のために、真実と自愛と献身を」を教育標語に、福祉社会を担う人材の育成に取り組む。今月、学長に就任した二木立さんは大の読書家。「朝7時半に大学に着き、業務が始まる9時まで読書します。家では硬めの本は書斎で、推理小説や時代小説など軟らかめの本は就寝前に読みます。新聞は毎日6紙、雑誌は月に英語誌約30誌、医療や福祉の専門紙誌を含めて日本語の約150紙誌に目を通します」

【Reading編】

思考のプロセスを重視する姿勢に共感

私は医学部出身ですが、40年前の医学部は詰め込み教育が今ほどでなく、初めの2年は医学系の科目よりも教養科目が中心でしたので、この時期に様々な本に親しみました。トルストイ、ドストエフスキー、ゲーテ、ヘッセ……。中でも「行動する思想家」として名高い実存主義の哲学者、ジャン・ポール・サルトルに心酔して全集を読みふけり、『方法の問題 弁証法的理性批判序説』にある「理解するとは変わることであり、自己の彼方へ行くことである」という言葉は、今日まで座右の銘の一つとなっています。学生運動に没頭したときには、マルクス、エンゲルス、レーニンの著作なども読みあさりました。また、当時から本には書き込みを励行していました。あとで読むと、琴線に触れた言葉や疑問を持ったことなどが一目でわかります。重要と思う本については読書ノートをつけ、その習慣は50年近く経った今も続いています。

学生にも読書を奨励しています。分野にとらわれず乱読してほしいと思いますが、今読んでほしい本を一冊挙げるなら、マイケル・サンデル著『これからの『正義』の話をしよう いまを生き延びるための哲学』です。「正義」に関する考え方を、幸福の最大化(功利主義)、自由の尊重(リバタリアニズム)、美徳の促進(コミュニタリズム)に大別し、それぞれの論拠を、「五人の命を救うために一人の命を犠牲にしていいか」「天災後の物不足の中での便乗値上げは是か非か」といった生々しい例をもとに読者に示し、考えさせます。私は、「どんな思想を持ってもいいが、対立意見も十分知ったうえで自説を深めなさい」と学生たちに指導してきたので、結論を押し付けることなく、思考のプロセスを重視する著者の姿勢に共感しました。最終章では「共通善に基づく新たな政治」について触れていて、示唆に富む内容となっています。

厚生労働白書は社会保障の教科書

若い人ばかりでなく、多くの人に社会保障の基礎知識を身につけるために読んでほしいのが、『平成24年版 厚生労働白書 社会保障を考える』です。私は臨床医だった70年代にバックナンバーを第1号から専門古書店で購入し、全号を通読していますが、24年版は出色だと思います。一般的に白書類は政策の擁護が目立ちますが、本書はマイナス面も記しています。特に驚いたのが、小泉内閣時代の社会保障・医療制度改革について、「セーフティネット機能の低下や医療・介護の現場の疲弊などの問題が顕著にみられるようになった」と断定調で書いていることです(15頁)。これは09年の政権交代の影響でしょう。総じてよくまとめられており、永久保存版になりうる一冊です。

85年から本校の教授を務め、ここ15年近くは管理職の立場にあります。組織運営の本はずいぶん読み、中でも、「心情倫理」と「責任倫理」の峻別と結果責任の重視を説くマックス・ウエーバーの『職業としての政治』は心に残っています。学長就任決定後に読んだのは、『結果を出すリーダーはみな非情である』です。厚労省の友人から推薦されたのですが、大学の意思決定では「非情」に徹すると逆効果ではないかという思いが当初はありました。ところが、週刊誌『AERA』の書評に「著者が強調する非情さとは、組織の空気を少しずつ変えていく根気強さ、情緒に根ざした訴えである」と書かれているのを読んで興味を持ち、購入しました。日本型リーダーには、「合理」(リアリズムの思考)と「情理」(情の理解)の両方が必要であることがよくわかる本です。

リーダー論を大学運営に重ねる

『ヒーローを待っていても世界は変わらない』は、ホームレス問題に携わり、民主党政権時に内閣府参与を務めた湯浅誠氏の著書です。「原則的な立場」に現実を少しでも近づけるために言い方ややり方を工夫する必要がある、工夫が足りないゆえに持論が広く理解されなかったことの結果責任の自覚なく、聞き入れない人が悪いと言うだけではさらに相手にされない、といった問題提起はもっともで大学運営に通じる話だと思いました。

リーダーの大事な資質は、歴史や失敗に学ぶことだと思います。この点で参考になったのは、『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』『日本近代史』です。後者は、太平洋戦争に至る「崩壊」の道程の怜悧な分析と、3.11以降の日本との対比が印象的でした。「東北地方の復旧、復興は日本国民の一致した願いである。しかし、それを導くべき政治指導者たちは、ちょうど昭和一〇年代初頭のように、四分五裂化して小物化している。『国難』に直面すれば、必ず『明治維新』が起こり、『戦後改革』が起こるというのは、具体的な歴史分析を怠った、単なる楽観にすぎない」との筆者の鋭い指摘にうなりました。

---二木立さんがすすめる5冊---

【LEADING編】

"ふくし"の総合大学を目指す

日本福祉大学の大学案内やウェブサイトでは、"ふくし"という表記が各所に見られる。これについて二木さんは語る。「漢字の"福祉"は、生活保護や障害者支援といった狭義の社会福祉、つまり『特定の人のためのもの』というイメージがあります。それも当然含みますが、さらに広い意味での福祉、端的には、『人間らしく幸せに生きるため』のあらゆる活動を包含する言葉として、平仮名を用いています。ビジネス、経済、教育、医療など、様々な領域において活躍できる人材の育成を目指しています」

現在、社会福祉学部、経済学部、健康科学部など6学部と大学院を有する。国家資格や博士号取得に熱心な大学として知られ、卒業生は、社会福祉士、医療ソーシャルワーカー、理学療法士、保育士などとして活躍している。

「2015年には、名鉄名古屋駅から約15分の太田川駅前に新キャンパスを開設する予定です。ここに看護学部を新設すると共に、2学部を移します。看護学部は、医学的アプローチとはひと味違う、"ふくし的"な視野を持った学習環境にしていきたいと考えています」

福祉教育について記した自著を今月出版

医学部時代に故・川上武氏の『日本の医者』を読んで医療問題の研究を始め、これまで20冊以上の医療・福祉関係の本を執筆している二木さん。今月、『福祉教育はいかにあるべきか ゼミの方法と論文指導』(勁草書房)を出版した。「私自身の大学教育の実践記録です。例えば、論理的思考を鍛えるため、ゼミ生には多くのリポート提出を課していました。そのすべてを添削して返し、優秀なものは『公開添削』します。いい論文を読むことで、自分の未熟な点が見えてくるからです」

管理職となってから掲げてきたモットーは、「めげない(ぶれない)、媚びない、辞めない」大学・教授会運営においては「民主的効率化」を信条とする。「効率を重視するあまり、トップダウンに走らないということです。教授陣の自発的な意思を引き出せるように民主的手続きをきちっと踏み、かつ迅速に意思決定する。以前から唱えてきたことですが、全学的に取り組んでいきます」と意気込む。学生の変化への柔軟な対応も教員陣に求めていく。

「私たちが学生の頃は、難しい本でもむさぼるように読みましたが、今の若い人はいい意味でも悪い意味でも感性的で、読みにくいものは無理して読もうとしません。価値観の押しつけも嫌います。作家の井上ひさしさんは、『ふかいことをおもしろく』を心がけたそうですが、教員も大事なことを、よりわかりやすく、よりおもしろく伝える努力が必要だと思っています」

補:「朝日新聞広告局」ホームページ トップインタビュー http://adv.asahi.com/modules/leaders_as_reader/index.php/content0066.html

「人間らしく幸せに生きるための"ふくし"」に応えうる人材を育成

今年60周年を迎える日本福祉大学。愛知県知多郡美浜町の「美浜キャンパス」、半田市の「半田キャンパス」、名古屋市の「名古屋キャンパス」と、3つのキャンパスを構え、2015年には東海市に第4のキャンパスを新設予定だ。この4月に学長に就任したばかりの二木立さんに、組織のリーダーについての考えや同大学の取り組みについて聞いた。

──リーダー論、大学経営の信条などについて聞かせてください。

1999年に大学院社会福祉学研究科長になって以来、社会福祉学部長、大学院委員長、副学長・常任理事と14年間管理職人生が続きました。管理職のモットーは、「めげない(ぶれない)、媚びない、辞めない」。

業務として重視してきたことは、2003年度に社会福祉学部長に就任したときに発表した「学部長マニフェスト」の内容が象徴しています。具体的には、以下の通りです。

今後は学長として、これをさらに推し進めたいと考えています。

──マニフェスト(1)の「学生の変化」とは、具体的にどんな変化でしょうか。

私たちが学生の頃は、難しい本でもむさぼるように読み、知識を深めることが当たり前でした。今の若い人たちは、いい意味でも悪い意味でも感性的で、読みにくいものは無理して読もうとしません。作家の井上ひさしさんは「ふかいことをおもしろく」を心がけたそうですが、教員も大事なことを、よりわかりやすく、よりおもしろく、伝えていく必要があると思います。

また、今は価値観の押しつけも嫌いますから、自主性を尊重しなければいけません。その一方で、思考に偏りが生まれないように、「事実認識と価値判断は区別しなさい。自分とは違う意見、対立する意見が書かれた文献も読むようにしなさい」と指導することも大事だと思います。

──この4月に『福祉教育はいかにあるべきか ゼミの方法と論文指導』(勁草書房)を出版されました。どのような思いを込めましたか。

私は1985年に本校の教授となって以来、大学院と学部で教えてきました。講義では、「現代医療論」「障害児の病理と保健」といった専門科目を担当しましたが、どの科目においても基礎知識の習得を徹底しました。一方、ゼミでは、論理的思考力の習得を重視し、論文の書き方をとことん指導しました。ゼミ生には、年間7回のリポートを提出させ、そのすべてを添削して返していました。優秀なリポートについては「公開添削」と称してゼミ生全員に目を通してもらっていました。いい論文を読むことで、自分の論文の未熟な点が見えてくるからです。

また、社会福祉士国家資格の取得を積極的に勧めてきました。社会福祉士国家試験の合格率は、全国平均3割程度ですが、私のゼミでは9割でした。学長となっても、実力と資格を兼ね備えた人材育成に力を入れていきたいと思っています。本には、こうした教育手法や、福祉教育にかける思いをつづりました。

──資格取得に加え、マニフェスト(2)にあるように、博士号取得にも力を入れていますね。

博士号は海外ではとても重視されるので、国際的な活動も視野に入れて取得を目指してほしいと考えています。本学では、現職教員の学位取得を目的とした一年間の国内留学制度も有しており、作年度までに7人がこの制度を利用して学位を取得しました。

学生が実社会で通用するスキルを身につけるため、実習や研修、あるいは卒業生との交流の機会なども多く設けています。経済学部は早くからインターシップ制度を導入しています。

──マニフェスト(3)にある「教授会運営の民主的効率化」とは。

効率を重視するあまり、トップダウンに走らないということです。教授陣の自発的な意思を引き出せるように民主的手続きをきちんと踏み、かつ迅速に意思決定する。学部長時代から唱えてきたことですが、全学的に取り組んでいきたいと思っています。

──日本福祉大学の特徴、他校にない魅力とは。

本学はこの10年間、「福祉」を"ふくし"と平仮名で表現し、「ふくしの総合大学」という目標を一貫して掲げています。漢字の"福祉"は、生活保護や障害者支援といった狭義の社会福祉、つまり、「特定の人のためのもの」というイメージが先に立ちます。それも当然含みますが、さらに広い意味での福祉、端的には、「人間らしく幸せに生きるため」のあらゆる活動を包含する言葉として、平仮名を用いています。

学部には、社会福祉学部、経済学部、福祉経営学部(通信教育)、子ども発達学部、国際福祉開発学部、健康科学部があります。「命」「暮らし」「生きがい」などアプローチは様々ですが、共通して"ふくし"を学び、ビジネス、経済、教育、医療など、様々な領域で活躍する人材の育成を目指しています。

──今後のトピックスは。

2015年に、名鉄名古屋駅から約15分の太田川駅前に新キャンパスを開設する予定です。ここに看護学部を新設し、経済学部と国際福祉開発学部を移します。看護学部は、医学的アプローチとはひと味違う、"ふくし的" な視野を持った学習環境にしていきたいと考えています。

──日ごろの読書スタイルについて、聞かせてください。

私は、読書と新聞と雑誌の3本柱で情報を得るとともに、思索を深めています。新聞は朝日新聞を筆頭に6紙。3紙は自宅で定期購読し、残り3紙は大学の教員控室または喫茶店で読んでいます。名古屋エリアの喫茶店は新聞を置いているところが多いのでありがたいです。ゼミ生には新聞をできるだけ朝夕刊セットで購読し、毎日読むことを義務づけていました。雑誌は英語雑誌を約30誌、日本語雑誌は医療・福祉団体の機関誌を含めて約150紙誌をチェックしています。愛読している英語雑誌は『The Economist』。雑誌は主に通勤の車中で読んでいます。

硬めの本は自宅の書斎で、軟らかめの本は、東京出張などの車中、それと就寝前の"眠り薬"として読みます。「相棒」シリーズ、今野敏の警察官シリーズ、池波正太郎の時代小説などです。特に、池波正太郎の『剣客商売』シリーズ、『仕掛人 梅安』シリーズ、『鬼平犯科帳』シリーズは、数年おきに繰り返し読んでいます。池波氏の「人間はよいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをしている」という「複眼的」(弁証法的)人間感に共感します。特に『剣客商売』はすがすがしいので一番好きです。

──心に残っている本は。

医学部時代は、トルストイ、ドストエフスキー、ゲーテ、ヘッセなどの世界の名著や教養書を乱読。特にジャン・ポール・サルトルに心酔しました。学生運動に没頭した時期には、マルクス、エンゲルス、レーニンの著作も読みあさりました。印象に残っているのは、それぞれ『資本論』『自然の弁証法』『哲学ノート』です。

医療問題の研究をする契機になったのは、教養部2年時に読んだ故・川上武先生の『日本の医者―現代医療構造の分析』です。医学部卒業後、すぐに川上先生主催の研究会や読書会に参加しました。

組織をまとめていくうえで参考になったのは、マックス・ウエーバー『職業としての政治』。他大学の学長の著作では、東海学園大学前学長・杉山幸丸氏の『崖っぷち弱小大学物語』と、岐阜大学前学長・黒木登志夫氏の『落下傘学長奮闘記』。さらに、湯浅誠氏の『ヒーローを待っていても世界は変わらない』。昨年秋に学長選挙で当選したあとに読んで一番参考になったのは、冨山和彦氏の『結果を出すリーダーはみな非情である』です。

リーダーの大事な資質は、歴史や失敗に学ぶことだと思います。この点で最も参考になったのは、坂野潤治氏の『日本近代史』林健太郎氏の『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』城山三郎氏の『少しだけ、無理をして生きる』にも、誇りを持って生きるためのヒントがたくさん書かれていました。

若い人に読んでほしいのは、少し「歯ごたえ」がありますが、マイケル・サンデル氏の『これからの『正義』の話をしよう いまを生き延びるための哲学』。学生に不可欠な、作文能力を身につけるための「古典」は、木下是雄氏の『理科系の作文技術』。柔軟な発想を身につけるうえで参考になるのが、山中伸哉氏、益川敏英氏共著の『「大発見」の思考法 iPS細胞 vs. 素粒子』。社会保障についての基礎知識を身につけるためにぜひ読んでほしいのは、『平成24年版 厚生労働白書 社会保障を考える』です。

手前みそですが、自著で読んでほしいのは、『医療経済・政策学の視点と研究方法』と、先に触れた『福祉教育はいかにあるべきか』です。

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4.日本福祉大学2013年度入学式・学長式辞

(2013年4月1日。同日日本福祉大学のホームページに公開)

新入生の皆さん、入学おめでごうございます。心より皆さんを歓迎します。ご両親、保護者の皆さま、そしてお忙しい中をご臨席くださいました来賓の皆さま、本日はありがとうございます

実は私は、本日4月1日付で学長に就任したばかりで、皆さんと同じ「新人」です。本日から日本福祉大学をよりよい大学にするためにシッカリ働き、4年後には皆さんと一緒に学長職を「卒業」したいと思っています。よろしくお願いします。

本日、私が皆さんにお話し、お願いしたいことは5つあります。

第1は、日本福祉大学が本年創立60周年を迎えることです。日本福祉大学の前身である中部社会事業短期大学は60年前の1953年に創立されたのですが、当時の日本はまだ非常に貧しい国でした。皆さんは、昨年の紅白歌合戦で美輪明宏さんが歌った「ヨイトマケの唄」を聞かれましたか?この歌は、当時ヨイトマケとさげすまれていた日雇い労働者の誇りと尊厳、母と子の絆の大事さを高らかに歌い上げた、心にしみる唄です。そして、この歌の舞台は、日本福祉大学が創立された1950年代前半だったのです。本学の創立者で初代学長の鈴木修学先生は、「ハンセン氏病救済」など、弱い立場にある人々の真の幸福を願ってさまざまな福祉活動を行われる中で、大学教育で福祉の専門職を養成することを決意され、本学を設立されました。鈴木修学先生の人となりとご業績は、日本福祉大学後援会から本日皆さんにプレゼントされた本『日本の福祉を築いたお坊さん』(星野貞一郎著。中央法規)に詳しく書かれているので、ぜひ読んで下さい。

第2は、日本福祉大学が「ふくしの総合大学」をめざしていることです。このふくしは漢字の「福祉」ではなく、あえて平仮名としており、「いのち」(健康や医療)、「くらし」(漢字の福祉や経済)、「いきがい」(教育や発達)の3つを柱としています。皆さんには、どの学部に所属するかにかかわりなく、この総合的「ふくし」の精神を身につけていただきたいと思っています。この点については、皆さんにもみていただいたハズの「日本福祉大学入門」講義で詳しく説明しました。

日本福祉大学は「ふくしの総合大学」としてさらに発展するために、2015年に東海キャンパスを開設し、新たに看護学部を設置すると共に、経済学部と国際福祉開発学部の全面移転を計画しています。この点については、入学後、詳しく説明します。

第3にお話ししたいことは、1985年1月28日、今から28年前に、長野県犀川のダム湖で起きたスキーバス事故のことです。本日、皆さんは校門の坂を登り、ここに来られた時に、たくさん(正確には23本)の桜の木が植えられていることに気づかれたと思います。この桜は、このバス事故で亡くなられた22名の1年生と引率の教員1人を慰霊するために植えられたもので、私たちは「友愛の桜」と呼んでいます。皆さんと同じ年代で、この世を去らなければならなかった無念は、いかばかりかであったと思います。残されたご遺族の哀しみは、28年経った今も癒えることはありません。私たちはこの事故を決して忘れないために、毎年事故のあった1月28日に慰霊祭を開くと共に、10月に「安全の日」を設けて、さまざまな啓発活動を行っています。新入生の皆さんが、それらに積極的に参加することを期待します。

第4に、入学後は、講義・ゼミでしっかり学ぶと共に、サークル活動やさまざまなフィールド活動、ボランティア活動にも積極的に参加し、豊かな学生生活を送っていただきたいと思います。この点で、特にお薦めしたいのが、東日本大震災の被災者支援のボランティア活動への参加です。日本福祉大学は、2年前の大震災直後に「災害ボランティアセンター」を立ち上げ、教職員・学生が一体となって、支援活動を続けてきました。皆さんもご承知の通り、現地での復興はまだ緒に着いたばかりで、私たちは今後も長期間支援活動を続けます。新入生の皆さんが積極的に参加されることを期待しています。

第5、最後にお話ししたいことは、日本福祉大学は本年1月から「キャンパス内全面禁煙」に踏み切ったことです。本日、入学式会場の周囲に灰皿がないのは、そのためです。ご両親、保護者の皆さまにはご不便をおかけしますが、よろしくご了解願います。喫煙は本人の健康を害するだけでなく、「受動喫煙」により回りの人々にも重大な健康被害をもたらすことが学問的に実証されています。新入生の皆さんは、入学後、絶対に喫煙しないように、高校時代に喫煙習慣を身につけた皆さんは、入学を機会に禁煙するよう、強くお願いします。

日本福祉大学のある知多半島は、自然も、人情もゆたかな土地柄です。この知多半島を舞台にして、皆さんが今後4年間、「ふくし」(「いのち」、「くらし」、「いきがい」)について総合的に学び、立派な社会人になることを期待して、式辞といたします。

最後にもう一度、入学おめでとうございます。


5.日本福祉大学第30回開学記念式典・学長あいさつ

(2013年4月25日。4月30日、日本福祉大学のホームページに公開)

本日は、お忙しい中、日本福祉大学の第30回開学記念式典にご参加いただき、ありがとうございます。私は、丸山理事長と同じく、本年4月に学長に就任した二木です。任期は丸山理事長と同じく4年間です。理事長と私は、今後4年間の改革の成否が、日本福祉大学が「ふくしの総合大学」としてさらに発展するか、それとも長期低落に陥るかを決めると考え、改革の先頭に立つ決意です。よろしくお願いします。

本学が創立60周年、美浜総合移転30年を迎えた経緯や教訓については、理事長や来賓の皆さまが詳しくお話しされたので、私は日本福祉大学を今後30年間、どのように発展させるかについて、3点お話しします。

第1に、私は、理事長と学長の強い信頼と固い団結を基礎にした教学と経営の共同により全教職員参加の大学づくりを進めることが、次の30年の日本福祉大学の発展の鍵になると思っています。そのために、4月4日に、全教職員に向けて、理事長と学長の「共同声明」を発表しました(「創立60周年を機に、経営と教学、教職員が一丸となり、本学の『生き残り』と新たな発展のために全力をあげましょう」)。日本福祉大学の60年の歴史で、このような「共同声明」を出したことは初めてで、これにより多くの教職員が本学の置かれている厳しい状況とそれを克服するための道筋を理解してくれたと思っています。

第2は、今後30年を見通した「日本福祉大学長期ビジョン」を2年以内に作成することです。日本福祉大学は今までもさまざまな「長期計画」を作成してきましたが、それらのほとんどは実行可能性を重視するために、5年単位の「中期計画」でした。今後は、それに加え、日本の少子高齢化がピークに達する2025~2030年、さらにはそれを超えた今後30年を見通した「長期ビジョン」を作成します。これについては、本日までに学内のすべての組織の承認を得ましたので、今月中に「ビジョン検討委員会」を立ち上げる予定です。この委員会の委員は全員がU50(50歳以下)、できるだけ40歳以下とし、しかも委員以外にも希望する教職員が自由に参加・発言できる「開かれた組織」にします。理事長・学長とも、できるだけ毎回参加する予定ですが、聞き役に徹し、司会から指示されない限り発言しないことにしています。

第3は、私自身が、日本福祉大学の現在と今後30年の展望について、世の中にどんどん発信することです。実は、私は個人的には、論文や本を書くことが研究者の使命と考えており、今までは、インタビューや講演を依頼されても、できるだけお断りしていました。しかし、学長に就任してからは、それらをすべてお引き受けするように方針転換しました。その第一弾が「朝日新聞」4月23日朝刊の「リーダーたちの本棚」に掲載されたインタビューです。このインタビューでは、私が推薦する5冊の本について詳しく解説すると共に、日本福祉大学が「"ふくし"の総合大学を目指」していることもしっかり宣伝させていただきました。日本福祉大学が「全国型の大学」であることに対応して、私も本学の「動く広告塔」として、全国レベルでの発信を続けていきたいと考えています。

皆さまの御支援とご鞭撻をよろしくお願いいたします。


7. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算88回.2013年分その1:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカの]メディケア加入者の終末期医療の変化-2000,2005,2009年の死亡場所、[死亡前90日間に]ケアを受けていた場所、[死亡直前の]医療移送
Teno JM, et al: Change in end-of-life care for Medicare beneficiaries - Site of death, place of care, and health care transitions in 2000, 2005, and 2009. JAMA 309(5):470-477,2013.[量的研究]

最近、疾病管理・予防センター(CDC)は自宅での死亡割合が増加していると報告し、このことはアメリカでは支持的ケアを受けた死亡者が増加している証拠とみなされている。この点を検証するために、66歳以上の出来高払いのメディケア加入者の20%標本・コホートデータ(合計約85万人)を用いて、2000年、2005年、2009年の死亡者の死亡場所、死亡前90日間にケアを受けていた場所、死亡直前(3日間)の医療移送について調査した。

死亡者の平均年齢は、2000年の81.9歳から2009年には83.0歳へと1.1歳高くなっていた(以下、数字はすべて2000年と2009年)。急性期病院での死亡割合は32.6%から24.6%へと減少し、逆に自宅での死亡割合は30.7%から33.5%へと増加していた。ナーシングホームでの死亡割合は27.2%、27.6%で変わらなかった。死亡時に(病院、ナーシングホーム、または自宅で)ホスピスケアを受けていた者の割合は21.6%から42.2%に倍増していた。他面、死亡月にICUに入院した者の割合は24.3%から29.2%に増加し、死亡前3日以内に医療移送された者の割合も10.3%から14.2%に増加していた。死亡前90日間に3回以上入院した者の割合も10.3%から11.5%に微増していた。以上から、アメリカの高齢者の自宅死亡割合が増えたのは事実だが、それは濃厚でない医療(less aggresive care)が普及したことを意味しないと結論づけられる。

二木コメント-死亡時の場所だけでなく、死亡前90日間のケアの種類とそれを受けた場所も調査した、きわめて貴重な「プロセス重視」の研究です。

○アメリカ医療は他のOECD加盟国に比べ、どのように、なぜ違うのか?
Fuchs VR: How and why US health care differs from that in other OECD countries. JAMA 309(1):33-34,2013.[評論]

アメリカの医療費は平均的OECD加盟国と比べて、次の3点で異なっている。(1)医療費の対GDP費は2倍。(2)医療費中の政府負担割合が低い(46%。OECD平均は75%)。(3)サービスミックスも異なっている(アメリカは高度医療技術の比重が高い)。これらの違いの理由は以下の3つと考えられる。(1)アメリカ国民は政府不信の気持ちが強く、これには深い歴史的ルーツがある。(2)政府不信と関連して、国民の平等な健康アウトカムを再分配の公共政策で達成しようとする意識が弱い。「すべての人は平等に造られている」との[アメリカ独立]宣言は、所得や健康等のアウトカムの平等を意味しない。(3)恐らく最も重要なことは、政治制度の違いである。「圧力団体(special interests)」はすべての国に存在するが、それが包括的医療改革を阻止したのはアメリカだけであり、その理由はアメリカの政治制度が他国の議会制度と異なることである。オバマ大統領の医療改革法が完全に実施されれば、医療保険面での再分配は大きく改善されるであろう。この改革を促進する戦略として以下の3つを示す。(1)政府の役割は、望ましいものではなく、必要最小限なものに限定されるべきである。(2)基本的サービスはすべての国民に提供されるべきだが、個人はそれを超える追加的なサービスを自由に購入できるべきである。(3)改革は一部の圧力団体の共感を呼ぶ側面を持つべきである。包括的医療改革は財政難を予防するために必要であるが、その際、アメリカの歴史、価値観および政治に注意を払うべきである。

二木コメント-アメリカの高名な医療経済学者で、1970年代からHMO方式の「国民皆保険」を提唱してきたフュックス教授の最新の評論です。教授は、今後の改革の戦略の1つとして、混合診療の容認をあげていますが、これは「アメリカの歴史、価値観および政治」を踏まえた判断と思います。

○質に応じた支払いについて真剣に考えるとき
Jha AK: Time to get serious about pay for performance. JAMA 309(4):347-348,2013.[評論]

2005年にCommonwealth Fundが医療のオピニオンリーダーを対象に行った調査では質に応じた支払い(P4P)がアメリカの医療制度のパフォーマンスを改善するもっとも有望な方策とみなされた。当時は、人々も、組織もインセンティブに反応すると信じられていた。しかし、その後の実証研究ではP4Pは当初の期待通りには機能しておらず、プロセス指標はわずかに改善したにすぎず、アウトカム指標は全く改善していない。

今までの失敗から3つの教訓が得られる。第1は、経済モデルではインセンティブが効果的であるためにはそれの規模が大きくなければならないとされているにもかかわらず、大半のP4Pのインセンティブは小さすぎた。例えば、最大規模のP4Pモデル事業であるPremierHQIDでも、ボーナスはメディケア支払いの1~2%にすぎなかった。第2は、インセンティブが機能するためには単純でなければならないが、大半のP4Pでは複雑な計算式(formulas)が採用され、支払い方式が不透明になった。第3は、P4Pが成功するためには、評価尺度が医療の重要な側面を代表していなければならないが、大半のP4Pで用いられた評価尺度はそうではなかった。

以上の教訓を踏まえると、今後導入されるべきP4P第2版は、支払い面で次の3点を改善しなければならない。第1は、インセンティブの規模を大きくすること。第2は、行動経済学の原則を用いること。第3は、支払い者が各病院のパフォーマンスに関する最新の情報をオンラインで公表することである。さらにパフォーマンス面でも、改善がなされなければならない。最低限、臨床的価値が不確実な尺度は廃棄されるべきである。

二木コメント-ほんの数年前に、アメリカで医療改善の切り札として熱狂的に迎えられたP4Pが、大きな曲がり角に来ていることを示した好評論です。

○[オランダにおける]医療費増加:[1人・1月当たり]医療費分布を分解し平均値[の分析]を超える
de Meijer C, et al: Health expenditure growth: Looking beyond the average through decomposition of the full distribution. Journal of Health Economics 32(1):88-105,2013.[量的研究]

医療費増加の研究の関心は平均値に限定されてきた。本研究では、オランダの医療費データと病院退院記録、死亡記録を接合したデータセットを用いて、1人・1月当たり医療費の分布(10%値、25%値、中央値、75%値、90%値、95%値)の変化とその理由を検討した。入院医療費の伸び率は中央値でもっとも高かった。薬剤費の増加は医療費分布のトップでもっとも高く、技術進歩等の構造的変化が主因であり、その結果高額事例の医療費はさらに高くなっていた。病院での診療スタイルの変化はどの医療費分布でも医療費増加の主因であり、それは入院医療費だけでなく、薬剤費にも及んでいた。

二木コメント-医療費の平均値ではなく、医療費分布に注目したユニークな計量経済学的研究と思います。しかし、きわめて難解です。

○スイスとオランダの「消費者主導医療」:理想的モデルか現実か?
Okma KGH, et al: Swiss and Dutch "consumer-driven health care": Ideal model or reality? Health Policy 109(2):105-112,2013.[政策研究]

本研究では以下の3点を検討する。まず、1990年代と2000年代初頭に「管理競争」または「消費者主導医療」の呼称で進められたスイスとオランダの医療改革に国際的関心が高まったことを指摘する。次に、「管理競争」モデルで想定された当事者行動について振り返る。第3に、両国の改革の実績を分析し、事前の想定がどの程度妥当であったかを検証する。結論として、以下の三重のギャップが存在することを指摘し、その含意について検討する。(1)管理競争の理論モデルと両国で実施された改革とのギャップ、(2)政策責任者の期待と改革の結果とのギャップ、(3)改革のアウトカムと両国の改革が「消費者主導医療」の究極の成功例と絶賛する(embrace)外部解説者(commentators)の観察とのギャップ。

二木コメント-日本でも、オランダの「管理競争モデル」を絶賛する「外部解説者」が少なくないので、貴重と思います。執筆者2人はアメリカとスイスの大学の研究者です。

○OECD加盟国の1970~2010年の成人死亡率低下率のパフォーマンス
Verguet S, et al: Performance in rate of decline of adult mortality in th OECD, 1970-2010. Health Policy 109(2):137-142,2013.[量的研究・国際比較]

OECD加盟22か国の成人(15~60歳)の1970~2010年の40年間の死亡率とそれの国別順位の変化を調査し、10年ごとの死亡率変化(低下)の国別ランク付けを行い、それと死亡率そのものとの関係を検討した。例えば、女性死亡率低下は、1970年代には日本がトップ、デンマークが最下位だったが、2000年代にはトップはポルトガルで、アメリカが最下位だった。女性死亡率については、死亡率低下と死亡率そのものとの間にほとんど相関がなかった。

二木コメント-死亡率そのものの国際比較ではなく、死亡率低下の国際比較をしたこと、及び両者の間にはほとんど相関がないことを示した点に新しさがあると思います。


8. 私の好きな名言・警句の紹介(その101)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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