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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻120号)』(転載)

二木立

発行日2014年07月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1.インタビュー「[高齢社会の医療]財源の着実な確保必要 混合診療原則禁止は妥当」「日本経済新聞」2014年6月29日朝刊(11面「日曜に考える」欄)に掲載されました。

2.インタビュー「7対1病床削減方針が看護の危機を招く」『看護実践の科学』2014年7月号(39巻8号:40-48頁。インタビュアー:川島みどり氏)が掲載されました。

訂正:本「ニューズレター」119号の「目次」では、「私の好きな名言・警句の紹介」の通し番号を(その113)としていましたが、114の誤りです(本文では正しく表記していました)。


1. 論文:医療・介護総合確保法案に対する3つの疑問-医療提供体制改革部分を中心に

(「深層を読む・真相を解く」(33)『日本医事新報』2014年5月17日号:17-18頁)

安倍内閣は2月12日に「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律案」(以下、医療・介護総合確保法案)を閣議決定し、現在国会審議が行われています。この法案は「史上最大」とも言える包括法案で、とても1回の「連載」で検討できません。そこで本稿では、同法案を読んで感じた3つの疑問・懸念を、医療(提供)体制改革部分を中心に述べます。

19本もの法案を一括するのは国会軽視

第1の疑問は、医療・介護提供体制を一体的に改革するとの大義名分の下に、合計19本もの法案を一括するのはあまりに乱暴であり、国会の審議権を軽視しているという点です。

本法案は、昨年12月に成立した「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律」(プログラム法)に規定されていた諸改革の具体化の第一弾とされています。しかし、プログラム法には全くなく、しかも賛否両論がある「医療の安全の確保のための措置に関する事項」(医療法改正)と「外国医師等が行う臨床修練に係る医師法第17条等の特例等に関する法律の一部改正」まで含めるのは「手続き民主主義」に反し、禁じ手です。

なお、医療制度の包括的改革法の先例としては、小泉内閣時代の2006年に成立したいわゆる「医療制度改革関連法」がありますが、これは「健康保険法等の一部を改正する法律」(7法の改正)と「良質な医療を提供する体制の確立を図るための医療法等の一部を改正する法律」(7法の改正)の2法に分けられ、しかも対象は「医療制度改革」に限定されていました。当時の小泉内閣と現在の安倍内閣の共通点は、与党が両院で圧倒的多数を制していることです。政権が強固なうちに、医療・介護費抑制のための法改正を一気に行うという厚生労働省の手法・習性は一貫していると言えます。

包括的で曖昧な国民の責務規定

第2の疑問は、医療法の第6条二に、新たに、以下のようなきわめて包括的な国民の責務規定が加えられたことです。「国民は、良質かつ適切な医療の効率的な提供に資するよう、医療提供施設相互間の機能の分担及び業務の連携の重要性についての理解を深め、医療提供施設の機能に応じ、医療に関する選択を適切に行い、医療を適切に受けるよう努めなければならない」。4月1日の衆議院本会議で、安倍首相はこの規定の趣旨について、以下のように答弁しました。「ご指摘の法案の規定は、こうした[都道府県に報告された医療機能の-二木]情報に基づき、患者の方々にその状態に合った医療機関を適切に利用していただき、医療機能の分化を進め、良質かつ適切な医療の効率的な提供をしていくという趣旨を明らかにするものです」。この答弁は、法の規定以上にあいまいで、法施行後、国民の医療を受ける権利、特にフリーアクセスを制限する方向で、恣意的に拡大解釈される危険があります。

なお、歴史的には、医療法規に国民の責務が初めて明記されたのは、1982年に成立した老人保健法で、第2条に以下のように規定されました。「国民は、自助と連帯の精神に基づき、自ら加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、老人の医療に要する費用を公平に負担するものとする。」その後、この規定を根拠にして、高齢者の自己負担が徐々に拡大されました。

医療提供体制改革には評価できるものもある

医療・介護総合確保法案の医療提供体制改革部分の2つの柱は、(1)「新たな基金の創設と医療・介護の連携強化」と、(2)「地域における効率的かつ効果的な医療提供体制の確保」のための医療機関の都道府県知事への「病床[病棟]の医療機能(高度急性期、急性期、回復期、慢性期)等の報告」制度の創設と都道府県知事による「地域医療構想(ビジョン)」の策定です。

私は、(1)「新たな基金」については、それが社会保障制度改革国民会議報告書に明記されたように、「診療報酬・介護報酬と適切に組み合わせつつ」運用され、しかも公私の医療機関の区別なく公平に配分される限りでは、積極的な意味があると思います。

(2)「病床の医療機能報告」制度についても、厚生労働省が当初示した、急性期病床の要件化・都道府県による「認定制度」案が日本医師会や病院団体の強い反対により撤回され、自主的な報告制度に変わったことは高く評価しています。「地域医療構想(ビジョン)」についても、「診療に関する学識経験者の団体、その他の医療関係者、医療保険等の関係者との協議」が民主的に行われた上で策定されるのであれば、大きな意義があると思います。

都道府県の権限強化-「懐に武器を忍ばせている」

しかし、「地域医療構想」については、都道府県知事(以下、都道府県)の権限が著しく強化され、医療機関に対する規制が強まる危険があります。これが第3の疑問です。

特に私が懸念するのは、都道府県が定める必要病床数が、各都道府県・地域の実情よりも、厚生労働省の「2025年[の医療]モデル」に示されている病床数(高度急性期18万床、一般急性期35万床、亜急性期等26万床、地域に密着した病床24万床等)に引きずられて定められることです。本連載(31)「政府の7対1病床大幅削減方針は成功するか?」(4692号)で示したように、「2025年モデル」オリジナル版では、高度急性期病床と一般急性期病床への職員配置をそれぞれ2倍化、6割増とし、平均在院日数をそれぞれ15~16日、9日に短縮する(病床回転率を高める)ことにより、一般病床数を増加させることなく、人口高齢化に伴う入院ニーズの急増に対処することになっていました。

しかし、2014年度診療報酬改定で明らかになった7対1病床大幅削減方針では、職員数の大幅増加というこの大前提は事実上否定されました。その場合、「2025年モデル」オリジナル版が想定した在院日数の短縮は困難となり、必要病床数は増えることになります。オリジナル版の「現状投影シナリオ」(在院日数が現在と変わらないと想定)は2025年の一般病床は129万床となり、2011年より22万床増えると想定していましたが、都道府県が「2025年モデル」の病床機能別病床数に拘泥して、各都道府県・地域の病床数の抑制を強行した場合、「入院難民」が大量に発生する危険性が強いと思います。

しかも、医療・介護総合確保法案では、都道府県には、病床数を抑制するために、都道府県の要請に従わない場合、「医療機関名の公表」、「各種補助金の交付対象や福祉医療機構の融資対象からの除外」、「地域医療支援病院・特定機能病院の不承認・承認の取り消し」という、従来の医療法では考えられなかったほど強い権限が与えられています。原徳壽医政局長は、4月23日の衆議院厚生労働委員会で、この権限について都道府県が「懐に武器を忍ばせている」と、いささか不穏当な表現さえしました。

私は、大半の都道府県は医療政策のノウハウをもっておらず、しかも医師会や病院団体が、各都道府県の地域医療構想の協議の場で積極的役割を果たすことにより、このような「武器」がすぐ使われることはないと思います。しかし、それにもかかわらず、それが地域の医療ニーズに応えて積極的に病床機能を強化しようとする個々の医療機関に対する強い「抑止力」になる危険は無視できません。

なお、医療・介護総合確保法案の医療提供体制改革部分の基礎になった社会保障審議会医療部会「医療法等改正に関する意見」(2014年12月27日)については、島崎謙治政策研究大学院大学教授が包括的かつ詳細に検討されているので、御一読をお薦めします(「医療提供体制の改革をどう進めるか」『社会保険旬報』2554号)。

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2. 論文:2014年「地域包括ケア研究会報告書」をどう読むか?

(「深層を読む・真相を解く」(34)『日本医事新報』2014年6月14日号(4703号):15-16頁)

地域包括ケア研究会(座長:田中滋慶應義塾大学大学院教授)の「地域包括ケアシステムを構築するための制度論等に関する調査研究事業報告書」(平成25年度老人保健事業推進費等補助金老人保健健康増進等事業。以下、2014年報告書)が5月に発表されました。地域包括ケア研究会は2008年度に発足し、2009年、2010年、2013年、そして本年と合計4回、いずれも5月(名目上は3月)に報告書を発表して、地域包括ケアシステムの概念・理念の拡張・「進化」(田中滋氏)を主導してきました。

これらの報告書は、今や「国策」(宇都宮啓保険局医療課長)とまで言われるようになっている地域包括ケアシステムを理解するための「必読文献」ですが、医療関係者の間では認知度は高くありません。そこで、本稿では、2014年報告書の内容を過去3回の報告書と比較しながら検討し、2014年報告書の新しさ・「変化」と「不変化」を明らかにします。

急性期医療・病院の役割を明示

一番大きな変化は、2014年報告書が、初めて、地域包括ケアシステムの中に、急性期医療や病院の役割を明示したことです。

実は、2009年~2013年の報告書は、地域包括ケアシステムを主として、介護保険制度の枠内で論じていました。最初の2009年報告書から、医療は、地域包括ケアシステムの構成要素に含まれていましたし、「医療と介護等の各種サービスの連携」も強調されていましたが、その医療は診療所医療や「訪問診療」に限定されていました。2010年報告書は、「2025年の地域包括ケアシステムの姿」として、わざわざ「病院等に依存せずに住み慣れた地域での生活を継続すること」(27頁)を強調していました。2013年報告書の「医療・介護の連携に向けたイメージ」図(22頁)にも、病院は含まれていませんでした。

それに対し2014年報告書は、「"支援・サービス"を受ける場所」を「住まい」「医療機関」「住まいと医療機関の中間施設」の3つに分類した上で、「急性期の医療機関」、「急性疾患への対応」の重要性を強調しました。これは非常に重要な「進化」です。

在宅と医療機関での「看取り」を強調

第2の変化は、2014年報告書が「はじめに」で、今後の死亡者数の急増に触れ、本文でそれに対応した在宅と医療機関の両方での「看取り」を強調したことです。上述したように2009~2013年の報告書は介護保険制度の枠内での議論にとどまっていたためもあり、今後の後期高齢者や要介護高齢者の急増を強調する一方、死亡者数の急増にはまったく触れていませんでした。

2013年報告書は、「地域包括ケアシステムの理念」として、新たに「本人と家族の選択と心構え」(「常に『家族に見守られながら自宅で亡くなる』わけではないことを、それぞれの住民が理解した上で在宅生活を選択する必要がある」。3-4頁)を提起しました。本人と家族にいわば「孤独死」の覚悟を求めるこの問題提起は大きな意味がありますが、まだ理念レベルの提起にとどまっていました。

それに対して、2014年報告書は、<看取り>を独立の項目とし、しかも、「『住まい』での看取り」だけでなく、「[死亡]直前まで『住まい』で過ごし、最期の2週間程度を『医療機関』等で過ごして看取る形態が今後も増加する」(20-21頁)と明示しました。この変化も現実的と思います。

入所施設を「重度者向けの住まい」と位置づけ

第3の変化は、かつて否定的に扱っていた特別養護老人ホーム等の介護保険施設(入所施設)を、2014年報告書が「重度者向けの住まい」と積極的に位置づけたことです。

2009年報告書は、「大規模集約型や隔離型の施設から、地域生活に密着した施設に転換する」、「施設において提供される医療・看護サービスを必要に応じて外付けし、体系としては居宅サービスの一部を施設入所者が利用するという考え方を検討すべき」と大胆な問題提起をしました(13,22頁)。2010年報告書は、さらに踏み込んで、「施設を一元化して最終的には在宅を住宅として位置づけ、必要なサービスを外部からも提供する仕組みとすべき」(42頁)としました。全国老人福祉施設協議会(特別養護老人ホーム等の開設者団体)はこれを「特養解体論」と呼んで、激しい反対運動を展開しました。

そのためか2013年報告書からは、サービスの外付け論は消え、逆に介護保険施設を「重度の要介護者を中心に地域の介護サービス提供の重要な役割を担っている」(14頁)と肯定的に評価しました。さらに2014年報告書は、介護保険施設を「重度者向けの住まい」と積極的に位置づけました(14頁)。

私が特に注目したのは、介護保険3施設のうち、法的には2017年度末の廃止が決定している介護療養型医療施設について、2014年報告書が「医療依存度・要介護度がともに高い要介護者を受け入れる施設として機能しているが、さらに、居宅で生活する医療依存度の高い要介護者に対する短期療養も含めた支援拠点としても期待される」(39頁)ときわめて高い評価をしていることです。

さらに、報告書の「参考資料(1)」の「看取り・ターミナルケア」(20頁)には「介護療養型医療施設では他施設と比較して看取り・ターミナルケアの実施が多い」との調査結果(従来型老健の6倍、介護療養型老健と比べても3.2倍)が載っています(おそらく厚労省老健局の提供資料)。私は、以前から、同省(特に老健局)は、本音では、今後の死亡急増時代の「受け皿」を確保するためには、介護療養病床を廃止するのは困難と考えていると推察しています。この資料はその現れかも知れないと感じました。

3つの「不変化」-政権交代の影響を受けない

以上、2014年報告書に現れた3つの「変化」を示してきました。しかし、4回の報告書には「不変化」(一貫していること)も少なくありません。私は次の3つに注目しています。第1は、この間の2回の政権交代の影響がまったくないことです。2009年報告書は麻生自公内閣時に、2010年報告書は鳩山民主党内閣時に、2013年と2014年の報告書は安倍自公内閣時に発表されましたが、地域包括ケアシステムについての基本的考え方の変化はまったくありません。私は、民主党政権発足時から、医療・社会保障政策は、政権交代の影響をほとんど受けないと指摘してきました。地域包括ケアシステムはその典型と言えます。

第2の「不変化」は、2009年報告書が「自助・互助・共助・公助」という4区分を初めて提起して以来、2014年報告書までこの区分を一貫して用いていることです。実は、2006年以降、政府・厚生労働省の公式文書では、「自助・共助・公助」という3区分が用いられ、しかも従来「公助」とみなされていた社会保険を「共助」と呼び換える特異な解釈が導入されたため、伝統的な「共助」(近隣の助け合いやボランティアなど、インフォーマルな相互扶助)の位置づけが曖昧になっていました。研究会はそれを「互助」と呼び換えることにより、この矛盾を回避したと言えます(詳しくは、拙著『安倍政権の医療・社会保障改革』勁草書房,2014,第4章第4節「『自助・共助・公助』という表現の出自と意味の変遷」)。

第3の「不変化」は、2009年報告書以来、「地域包括ケアシステムは、全国一律の画一的なシステムではなく、地域ごとの特性に応じて構築されるべきシステムである」(5頁)ことを、一貫して強調していることです。しかも、各年版の報告書は、さまざまな「ネットワーク」の形成を強調しています。私は、この指摘は非常に重要と思います。しかし、それならば、国により全国一律で定められるという誤解を招きやすい「システム」という用語は避け、最初から「地域包括ケア・ネットワーク」と呼称した方が適切だったと考えています。


3.論文:リハビリテーション医に必要な医療経済・政策学の視点と基礎知識ー効果的・効率的で公平なリハビリテーションのために

(「二木学長の医療時評(123)」『文化連情報』2014年7月号(436号):16-24頁)

はじめに

私は1947年生まれの「団塊の世代」で、医学生運動を通して社会科学の面白さに目覚め、1972年に東京医科歯科大学医学部を卒業してから13年間、リハビリテーション医と医療問題(特に医療経済学)の勉強・研究の「二本立」生活を続けました。具体的には、東京都心の地域病院(代々木病院)で脳卒中患者の早期リハビリテーションに携わるとともに、上田敏先生と故川上武先生の指導を受けながら、次の2つの研究に取り組みました。1つは脳卒中リハビリテーション患者の最終自立度の早期予測および脳卒中患者の障害の構造の研究(臨床医学研究)、もう1つは脳卒中医療・リハビリテーションの体系化の研究(社会医学研究)です。これらは一見まったく別種の研究に見えるかもしれませんが、「脳卒中リハビリテーションを科学的、効果的、効率的に進めるための研究」という点で共通していました(1)。これらを行う上では、限られた資源の有効利用という(近代)経済学の基本命題・視点が非常に役立ちました(2)。手前味噌ですが、最近、『総合リハビリテーション』5月号に掲載された小山哲男さんの論文「急性期における機能回復の予後予測」(3)を読んで、第1の研究の一環として私が1982年に発表した論文「脳卒中リハビリテーション患者の早期自立度予測」(4)が「二木の予後予測」と呼ばれ、「論文公表から既に30年以上を経ているが、今でも多くの臨床家が参考にしている実用的な手法である」と評価されているのを知り、大変うれしく思いました。

その後、1985年に、医療の現実と医療技術の特性を踏まえた医療経済学の確立・研究を志して、日本福祉大学教授に転身しました。ただし、2004年まで19年間、大学教授と臨床医(代々木病院での非常勤診療:リハビリテーション診療と往診)の「二本立」生活を続けました。日本福祉大学勤務中は、政策的意味合いが明確な医療経済学的実証研究と医療・介護の政策研究との「二本立」研究を継続しました(5)。2005年には、両者の統合を意味する「医療経済・政策学」(「政策的意味合いが明確な医療経済学的研究と、経済分析に裏打ちされた医療政策研究との統合・融合をめざし」た学問)概念を提唱しました(『講座*医療経済・政策学』勁草書房)。日本福祉大学には28年間勤務し、昨年3月に定年退職(65歳)しましたが、同年4月から学長に就任しました。学長就任後も、学長業務と政策研究との「二本立」生活を継続しており、「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」を毎月配信しています(http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。

本講演では、過去40年間の私の医療経済・政策学研究を振り返りつつ、最新の研究動向も紹介しながら、リハビリテーション医・専門職に必要な、医療経済・政策学の視点と基礎知識について、以下の5つの柱立てで、分かりやすくお話しします。(1)社会の中での医療の経済的位置付けについては2つの「潮流」がある。(2)「効率」について正確に理解する-効率化と医療費抑制は同じではない。(3)医療効率・医療の経済評価を行う諸手法-実用的なのは「費用効果分析」。(4)地域・在宅でのケア・リハビリテーションは入院医療・施設ケアに比べ安くはない。(5)医療・リハビリテーションの経済評価を行う場合、短期的視点と長期的視点を区別する必要がある。

1.社会の中での医療の経済的位置付けについては2つの「潮流」がある

まず、第一の柱について述べます(5)。ここで強調したいことは、自然科学や医学と異なり、経済学を含めた社会科学には、常に複数の潮流・「学説」があることです。自然科学や医学でも、自然現象や疾病の理解について論争があることは珍しくありませんが、長期的に見れば、実験や実証研究が積み重ねられることにより、1つの見解・理論に収斂するのが普通です。それに対して、社会科学では社会・人間についての異なる見解・学説(多くの場合は根本的な価値観の対立も含む)が存在・併存するのが一般的で、長期的にもそれらが1つに収斂することはほとんどありません。

経済学、および医療経済学にもさまざまな潮流・学派が存在しますが、現在では「新古典派」と「非新古典派」・「制度派」の2つが有力です。新古典派が市場メカニズムに基づく資源配分を絶対化するのに対して、制度派は市場の役割を認めつつ、それが各国の制度・歴史によって規定されていることを強調します。両者の違い・対立点については「講座*医療経済・政策学」第1巻の巻頭論文で、権丈善一氏が詳細に論じています(6)

経済学全般では、国際的にも日本でも、新古典派が「主流派経済学」となっていますが、医療経済学では制度派経済学も有力です。特に日本では、純粋な新古典派医療経済学研究者は少数です。私自身は、新古典派と制度派の両方の(医療)経済学を勉強しましたが、制度派経済学の立場に立ちます。

新古典派は、医療も、一般のモノやサービスと同じく、市場メカニズムに基づいて供給・消費されるべき「市場財」とみなします。この場合、消費者である患者は自己の支払い能力と支払い意志に基づいて医療サービスを購入するので、所得水準によって受けられる医療の量と質が異なる「階層医療」が生じることになります。ただし、新古典派も、公衆衛生・予防接種等の「外部性」のある医療については、例外的に、国・自治体による公的供給を認めています。ここで「外部性」とは、ある経済主体の活動が、市場での取り引きを経ずに、他の経済主体に与える影響を言い、公衆衛生や予防接種等の正(プラス)の外部性と環境汚染や公害等の負(マイナス)の外部性の両方があります。

日本で、もっとも有名・高名な「制度派」経済学者は宇沢弘文先生で、先生は、医療を教育や福祉等と共に「社会的共通資本」と位置づけています。先生の『社会的共通資本』(2000)では、以下のように説明されています(7)。「一つの国ないし特定の地域に住む人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力のある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」、「一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすもの」(7)。この立場からは、医療は、国民に公平・平等に提供すべきとされます。よく知られているように、アメリカ以外のほとんどの高所得国は、国民全体(大半)を対象にした公的医療保障制度を有していますが、その背景には、医療をこのような「社会的共通資本」とする考え方があると言えます。

日本では、小泉政権(2001~2006年)以降、現在の第二次安倍政権に至るまで、10数年間、混合診療解禁論争(保険診療と自由診療の自由な組み合わせを全面解禁するか否か)が続いていますが、この論争の「ルーツ」には、以上述べたような医療の経済的位置づけについての根本的対立(「市場財」か「社会的共通資本」か)があると言えます。

2.「効率」について正確に理解する-効率化と医療費抑制は同じではない

次に、経済学的な意味での「効率」について正確に理解する必要を述べます(8,9)。ここで私がまず強調したいことは、「効率(化)」は医療費抑制と同じではないことです。実は、日本で厚生省(当時)が「医療の効率化」を初めて公式に提起したのは、1987年6月の「国民医療総合対策本部中間報告」で、そこでは「良質で効率的な医療」が今後の医療改革のキーワードとされました。そして「中間報告」以降、厚生(労働)省の公式文書では、医療の効率化が医療費抑制とほとんど同じ意味で使われ続けたために、医療関係者や医療団体の一部には、医療の効率化=医療費抑制、あるいは厳しい医療費抑制政策の下で医療経営を維持するための必要悪という「刷り込み」が生じてしまいました。

しかしこのような理解は経済学的には誤りです。原理的には、効率とは限られた「資源(コスト)」をもっとも有効に用いて最大の「効果」を引き出すこと、あるいは効果÷費用(費用対効果比)を最大化することであり、医療費抑制と同じではありません。私は、他の医療分野に比べて、普及が遅れているリハビリテーション医療では、このような意味での効率化が不可欠であると考えています。冒頭に紹介したように、私は、代々木病院勤務医時代から、この視点に基づいて、「脳卒中リハビリテーションを科学的、効果的、効率的に進めるための研究」を行いました。

現実には、医療の効率化により医療費が節減されることが多いのですが、逆にそれにより医療費が増える場合が少なくとも2つあります。1つは、費用は増えるがそれ以上に大きな効果を生み出す新しい画期的な新医療技術が開発された場合です。もう1つは、医療ニーズに比べて、医療供給が不足している分野では、医療効率化による在院日数の短縮により総医療費が増加します。その好例が、脳卒中の早期リハビリテーションです。早期リハビリテーションにより、廃用症候群の予防、機能障害やADLの改善等の医学的効果が向上するだけでなく、平均在院日数も短縮されます。その結果、入院患者1人当たりの医療費は減少し、医療効率は向上しますが、平均在院日数の短縮に伴い、入院患者総数が増加することにより、総医療費は逆に増加するのです。

先に述べた「効率」の定義は、医療に限らず一般のモノやサービスの生産にも共通していますが、医療の効率化を考える場合には、以下の3点に留意することが必要である、と私は考えています。(1)医療効率を考える前提として、国民・患者が最適な医療を受ける権利を公平に保障する。(2)資源(コスト)の範囲を広く社会的次元で把握し、公的医療費以外の私的な医療費負担、金銭表示されない資源・費用も含む。(3)効果を総合的、多面的、科学的に評価する。

(2)について付言すると、金銭表示されるコストを「マネーコスト」、金銭表示されるコストとされないコストの両方を含んだ総コストを「リアルコスト」と呼びます。例えば、患者負担の増加や保険給付範囲の縮小による保険給付費の削減は、マネーコストの枠内での公的コストから私的コストへの「コストシフティング」にすぎず、経済学的な意味での効率化ではありません。その上、このような改革により、特に低所得患者の医療受診が抑制される結果、(1)の医療の公平性も損なわれます。これに限らず、政府が長年進めている医療・介護保険制度改革の大半は、医療経済学的には偽りの効率化と言えます。

3.医療効率・医療の経済評価を行う諸手法-実用的なのは「費用効果分」

第3に、医療効率・医療の経済評価を行う手法について簡単に紹介します(9)。なお、この学問領域は以前は「臨床経済学」と呼ばれることが多かったのですが、現在では「医療の経済評価」という用法が定着しているようです。これについては世界標準とも言える英語の教科書が2冊あり、共に日本語訳が出版されています(ゴールド等の『医療の経済評価』とドラモンド等『保健医療の経済的評価』)(10,11)

医療の経済評価の手法にはさまざまなものがありますが、代表的なものは、費用便益分析(cost-benefit analysis: CBA)、費用効果分析(cost-effectiveness analysis: CEA)、および費用効用分析(cost-utility analysis: CUA)の3つです。費用便益分析では、費用(コスト)だけでなく、「便益」も金銭表示します。その結果、原理的には、医療に限らずすべての行為・事業の経済評価と序列付けが可能になります。ただし、医療の「便益」を測定する際には、人命の経済評価をしなければならないという倫理的難問が生じるため、医療分野ではほとんど行われていません。

次に、費用効果分析は、医療の「効果」を、死亡率の低下や延命、ADLやQOLの改善等により、「実物表示」します。そのため、費用便益分析のような倫理的問題は避けられ、医療分野ではもっとも広く用いられています。リハビリテーションに関連する分野でも、脳卒中患者の早期リハビリテーションと非早期リハビリテーション、入院リハビリテーションと在宅リハビリテーションなどとの費用効果分析が行われています。他面、評価尺度に普遍性がないため、医療の枠内でも、異なった分野・領域の比較ができないという弱点があります。

第3の費用効用分析は費用効果分析のこの弱点を克服するために1980年代以降開発された手法で、「効用」を「質を調整した生存年」(quality-adjusted life years: QALY)で表示し、それぞれの医療の効率、経済性をQALYを1年延長するために必要な追加費用という同一の尺度で測定します。QALYの基礎になる「健康(あるいは疾病・障害)の質」は、完全な健康を1、死亡を0とする尺度を用い、各種の疾病や・障害をその中間段階に位置づけることにより、示されます。これにより、原理的にはすべての医療分野・領域の効率の評価と序列付けが可能になります。ヨーロッパ諸国、特にイギリスではCUAが普及しています。イギリスの国営医療(NHS)では、この結果に基づいて、新しい医療技術・医薬品を公的給付に加えるべきか否かの判断がなされます。ただし、QALY評価に対しては、高齢者や障害者が不利な扱いを受けるという批判も根強くあり、私もそう思います。

そのため、私はリハビリテーション医療で実際的・実用的なのは費用効果分析であると考えています。なお、日本でも、厚生労働省は2012年以降、新しい医療技術・医薬品の経済評価の導入の検討を始め、2016年の診療報酬改定で「試行的導入を視野に入れる」としています。私はそれについての論評で、「経済評価で留意すべき点」として、次の3点を指摘しました(12)。(1)経済評価自体に多額の費用がかかる。(2)経済評価の「国際標準」は存在しない。(3)もっとも重要なことは、新しい医療技術や医薬品の現在の極端な高価格を既定の事実として経済評価を行わない。

4.地域・在宅ケア・リハは入院・施設ケアに比べ安くはない-費用効果分析の結論

第4に、費用効果分析による地域・在宅でのケア・リハビリテーションの経済評価(費用効果分析)で得られた知見を紹介します(9)。私は、医療の経済評価でもっとも研究の蓄積があるのはこの分野の研究であると判断しています。

実は、その結果は、時代により異なっています。1970~80年代前半までは、世界的にみても、地域・在宅でのケア・リハビリテーションは入院医療・施設ケアよりも安価だという理解が一般的でした。ただし、これは、費用を医療保険で給付される費用や公的福祉・介護費用、つまり「マネーコスト」に限定した主張でした。当時は、地域・在宅での家族や近隣住民によるインフォーマルなケア・介護の費用(コスト)はタダとみなされていました。

それに対して、1980年代後半以降は、家族介護等を加えた「リアルコスト」でみると、地域・在宅でのケアが施設ケアに比べて安上がりとは言えないこと、特に長時間の介護・ケアを必要とする重度障害者については、地域・在宅でのケアの費用の方が高くなることが、学問的にも、政策的にも確認されるようになりました。さらに、1990年代以降は、公的費用(マネーコスト)に限定しても、地域・在宅でのケア・リハビリテーションの方が高いとの研究が多くなりました。少し古いですが、1994年にワイザート等が発表した「地域基盤の長期ケアの効果についての研究」のメタアナリシス(対象は32研究。うち22はランダム化比較試験)では、地域ケアによるナーシングホームや病院への入院の抑制効果はごく限定的であり、地域ケア群の総公的費用(地域ケア費用と施設・入院費用の合計)は対照群に比べて平均15%高いという決定的結果が得られました(13)。その後も、この結論を覆すような厳密な個別研究も、メタアナリシスも発表されていません。例えば、グラボウスキーは2006年に、1994~2004年の11年間にアメリカで発表された、いくつかの新しい「非施設系長期ケアモデル」の費用効果分析の「最新文献のレビューと統合」を行いましたが、それらにより利用者と介護者の福祉と費用(マネーコスト)の両方が増えていることを再確認しました(14)

その結果、21世紀に入ってからは、日本の厚生労働省の担当者もこのことを公式に認めるようになりました。例えば、佐藤敏信保険局医療課長(当時)は、2008年11月の全国公私病院連盟「国民の健康会議」での講演で、次のように述べました。「在宅と入院を比較した場合、在宅のほうが安いと言い続けてきたが、経済学的には正しくない。例えば女性が仕事を辞めて親の介護をしたり、在宅をバリアフリーにしたりする場合のコストなども含めて、本当の意味での議論をしていく時代になった」(15)

なお、私は、元リハビリテーション医であることもあり、代々木病院勤務医時代から長年、重度障害者の地域・在宅でのケア費用(リアルコスト)について調査・推計するとともに、文献レビューを行ってきました。表「重度障害者の在宅ケア費用は施設ケア費用よりも高いことに言及した拙著一覧」のポイントは、以下の通りです(15)

『医療経済学』(1985)では、「脳卒中医療・リハビリテーションの施設間連携の経済的効果の試算」(シミュレーション)を行い、自宅退院患者の医療費に「生活費・介護手当の加算」を行った「『社会全体としての資源の利用』という枠組みでみる限り、重度患者[全介助患者]の在宅費用は、施設入所に比べて決して安くはない」ことを示しました。『リハビリテーション医療の社会経済学』(1988)では、「欧米諸国での費用効果分析の結果を紹介して、「障害老人の在宅ケアは費用を節減しない」ことを示すとともに、その理由を説明し、今後求められるのは「在宅ケアと施設ケア両方の充実」であると主張しました。『90年代の医療』(1990)では、私が指導した日本福祉大学大学院生吉浦輪君(当時)の修士論文中の「寝たきり老人の在宅ケアのADL自立度別社会的総費用」データを紹介して、完全寝たきり群の社会的総費用は老人病院費用や特養費用を上回ることを示しました。『複眼でみる90年代の医療』(1991)では、在宅介護の大半を「外部化」した事例の金銭費用(マネーコスト)調査に基づいて、「在宅ケアは施設ケアに比べて安価ではない」ことを示すとともに、ある精神障害者団体が行ったシミュレーション調査に基づいて、精神病院に長期間入院している精神障害者を病院から退院させ、地域ケアに切り換えた場合には、入院時よりもはるかに多額の公的費用がかかることを示しました。『90年代の医療と診療報酬』(1992)では、予防接種ワクチン禍訴訟の原告(重度の脳障害児)の生活時間調査に基づいて、障害児が家族の手厚い介護により「寝かせきり」の生活を脱してより高いQOLを享受するためには、「寝かせきり」の介護より、はるかに「リアルコスト(介護時間と金銭的出費)」がかかることを示しました。『日本の医療費』(1995)では、「欧米諸国の地域ケアの費用効果分析の概要」を詳しく紹介し、「驚くべきことに、費用に家族の介護費用を含めず、公的医療費・福祉費に狭く限定した場合にさえ、地域ケアのほうが費用を増加させるとする報告が多い」ことを示しました。最後に、『21世紀初頭の医療と介護』(2001)では、わが国の実証研究データ(国民健康保険中央会、広島県御調町)を紹介して、「在宅ケアを拡充すれば施設ケアは減らせる、わけではない」ことを示しました。あわせて、「わが国の地域包括ケア最先進地域で、いわば介護保険を先取りした高水準の在宅ケアを提供している…御調町の経験は、今後わが国で介護保険制度により在宅ケアを大幅に拡充しても、施設ケアを減らすことはできないことを暗示している」と指摘しました。手前味噌ですが、この指摘・予測は、介護保険開始後14年間の現実で実証されています。

5.医療・リハの経済評価を行う場合、短期的視点と長期的視点を区別する必要がある

第5、最後に、医療・リハビリテーションの経済評価を行う場合、短期的視点と長期的視点を区別する必要があることを指摘します。

リハビリテーション医・専門職の皆さんには、脳卒中の医療・リハビリテーションを一体的に行えば、両者を分離して行うより、費用が節減されることは自明のことと思います。

実は、そのことを日本で最初に数値をあげて示したのは私です。私は代々木病院でリハビリテーション医として働いていた1980年代前半に、同病院での実績値に基づいて、脳卒中患者の「早期リハビリテーション」と「病院・施設間連携(現代流に言えば、ネットワーク)」の経済効果について2つのモデル計算(シミュレーション)を行いました。

1つは、脳卒中の早期入院患者(代々木病院に発症後30日以内入院)と非早期入院患者(他病院に入院後、リハビリテーション目的で代々木病院に転院)との比較で、早期入院群は非早期入院群に比べて、総在院日数は48%、総医療費は38%節減できることを示しました(16,17)

もう1つは、脳卒中患者がリハビリテーションのない一般病院に6カ月間入院する場合に比べて、早期からリハビリテーションを開始すると共に「病院・施設間連携[ネットワーク]」を徹底した場合は、総医療・福祉費を2~4割節減できることを示しました(2,15,16)

しかし、その後、このような費用削減効果は「短期的」に言えることであり、「長期的」に見ると、総費用はむしろ増加すると考えるようになり、2006年の第43回日本リハビリテーション医学会学術集会のパネルディスカッション「リハビリテーション医療と診療報酬制度」での報告で、以下のように述べ、それまでの自説を一部修正しました(18)。「早期リハビリテーションにより『寝たきり老人』は減らせるので、医療・福祉費は短期的には確実に減少し、余命の延長も期待できます。しかし、寝たきりを脱した患者にはさまざまな基礎疾患があり、しかもたとえ早期リハビリテーションを行っても、なんらかの障害が残ることが普通なので、延長した余命の期間に、脳卒中が再発したり『寝たきり』化する確率が高いため、累積医療費が増加する可能性が高いのです。この点についての実証研究は私の知る限りまだありませんが、オランダの禁煙プログラムの医療費節減効果のシミュレーション研究のロジックと計算結果は非常に示唆的です(19)。それによると、禁煙プログラムの実施により、医療費は短期的には減少するが、喫煙を止めた人々の余命の延長とそれによる医療費増加のために、長期的には(15年後以降は)累積医療費は増加に転じるという結果が得られています」。なお、2006年の報告では、これを「アメリカ」の研究と紹介しましたが、正しくは「オランダ」の研究です。

本日は時間の制約のため詳しくは触れられませんが、私は、厚生労働省が2006年以降進めている「介護予防」(転倒予防等)についても同じことが言えると思います。というより、「介護予防」の費用節減効果は「短期的」(概ね開始後6カ月間)に限定しても、まだ証明されていません。この点について、私は2006年と2011年に詳細な文献レビューを行いましたので、お読み下さい(20,21)。介護予防のうち、もっとも実証研究が進んでいる転倒予防については、厳密なランダム化比較試験で医学的効果を証明した論文はありますが、それによる費用抑制効果を証明した論文は世界的にもまだ存在しません。それの費用抑制効果を「主張」した論文はいくつかありますが、そのほとんどは、費用に「介入費用(事業費)」を加えておらず、費用の極端な過小評価となっています。逆に、費用に「介入費用」を加えた厳密な経済評価のほとんどでは、転倒予防プログラム実施群の費用が対照群に比べて高いという結果が得られています。

ここで誤解のないように、私は早期リハビリテーションや介護予防の否定論者ではありません。それらはあくまでも患者・障害者のQOLの向上のために行うべきであり、それらによる大幅な費用抑制を見込むのは危険であるというのが、私の長年の医療経済・政策学の研究の結論です。

おわりに-効果的・効率的で公平なリハには医療経済・政策学の知識が不可欠

以上、リハビリテーション医・専門職に必要と思われる、医療経済・政策学の視点と基礎知識についてお話ししてきました。日本では、今後の超高齢社会化によりリハビリテーションのニーズが急増する反面、厳しい財政事情のためにニーズの増大に対応して、医療・リハビリテーションの財源は拡大しない可能性が大きいと言えます。そのために、リハビリテーションの臨床に携わる方には、患者・障害者に対して効果的・効率的なリハビリテーションを公平に提供することがますます求められるようになると思います。そのためには、医療経済・政策学の知識が不可欠であることを指摘して、私のお話を終わらせていただきます。なお、医療経済・政策学の勉強のためには、引用文献欄に示した私の著作や、『講座*医療経済・政策学』(勁草書房)の各巻をお読み下さい。「はじめに」で紹介した「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」には、毎号、時々の医療・リハビリテーション政策を批判的に分析した私の論文、および医療経済・政策学関連の最新の英語文献の抄訳を掲載しているのでお読み下さい。

[本稿は6月6日に名古屋市で開催された第51回日本リハビリテーション医学会・学術集会での「教育講演」です。]

引用文献


4.日本ソーシャルワーク学会第31回大会・開催校学長挨拶

(2014年6月21日・日本福祉大学。大学HPの「学長メッセージ」欄に掲載)

おはようございます。日本福祉大学学長の二木です。日本ソーシャルワーク学会第31回大会の開催、おめでとうございます。会場校である日本福祉大学を代表して、参加された皆様を心から歓迎します。福祉現場と教育現場からのソーシャルワーク研究への問いかけや要求は、近年の混迷する社会情勢を背景にして、ますます増してきています。本大会で、それらに答える研究が多数発表されることを大いに期待しています。

以下、次の4つの柱で、12分間、お話しさせていただきます。まず日本福祉大学の簡単な紹介をし、次に本学におけるソーシャルワーク関連の主な研究・研修会を紹介します。第3に、私の元リハビリテーション専門医としてのソーシャルワーカーとの出会いの原体験をお話しします。最後に、日本の多くの(?)ソーシャルワーク研究にみられると私が感じている「研究方法」「研究スタイル」への小さな疑問と大きな期待を率直に述べます。

1.開催校である日本福祉大学の簡単な紹介

まず、日本福祉大学の簡単な紹介をします。本学は、61年前の1953年に「中部社会事業短期大学」として創立され、4年後の1957年に4年制大学に改組した時、日本で最初の社会福祉学部を開設するとともに、大学名を「日本福祉大学」に変えました。このように本学は社会福祉の単科大学として出発したのですが、その後順次新たな学部を開設し、現在では、3キャンパス、6学部(社会福祉学部、経済学部、健康科学部、子ども発達学部、国際福祉開発学部、福祉経営学部(通信教育))・4大学院研究科を持つ、中規模大学に成長しています。社会福祉学部単独(定員490人)では日本最大規模です。さらに、来年、名古屋市に隣接する東海市に、7番目の学部・看護学部を開設する予定です。

本学は、昨年、創立60周年を機に、大学コンセプト「地域に根ざし、世界を目ざす『ふくしの総合大学』」を決定しました。ここで、福祉を平仮名で表記していることにご注目下さい。本学創立後60年の間に、「福祉」の概念・対象は拡大し、現在ではそれは「すべての人々の幸せ」、あるいは「ふつうの・くらしの・しあわせ」を意味するようになっています。このことを強調するために、本学では2004年から平仮名の「ふくし」を用い始め、2007年以降は「ふくしの総合大学」と標榜するようになりました(二木立「『福祉』から『ふくし』へ、そして『ふくしの総合大学』へ」『[日本福祉大学]学園報』85号:2-5頁,2013年:http://www.n-fukushi.ac.jp/about/publicity/gakuenhou/file/2013/85.pdf)。そして、「ふくしの総合大学」は本年3月に商標登録の認可を受けました。

ただし、平仮名の「ふくし」の中核は漢字の「福祉」・「社会福祉」であり、しかもその中核の1つがソーシャルワークの教育・研究であることは言うまでもありません。

2.日本福祉大学におけるソーシャルワーク関連の主な研究・研修会の紹介

そこで、次に、本学におけるソーシャルワーク関連の主な4つの研究・研修会を、順不同で紹介します。

第1は、夏季大学院公開ゼミナールです。これは2005年以来毎年開催しており、本年は7月26~27日に第10回ゼミナールを開催します。これはソーシャルワークのみに特化しているわけではありませんが、毎年必ず、ソーシャルワーク関連の分科会を設けています。今年は、「体験に学ぶスーパービジョン」と「ソーシャルワークアセスメントプロセス」の2つの分科会を用意しています。一般市民を対象にした夏季大学や夏季公開講座を開いている大学は多数ありますが、大学院生または研究や大学院進学に関心のある社会人に対象を絞って高水準の公開ゼミナールを毎年開催している大学は、少なくとも福祉系大学では本学だけです。

第2は、「スーパービジョン研究センター」(センター長:田中千枝子教授)です。これは本年4月に開設した新しいセンターですが、本学の教員だけでなく、他大学の教員・研究者も参加する、本学で最大規模のソーシャルワーク関連の研究組織です。毎月研究会(サロン)を開催するとともに、研究プロジェクトチームを内外の教員で構成し、複数の研究を計画的に実施しています。

第3は、「ケアマネジメント技術研究会」です。これは、昨年亡くなられた野中猛教授が2005年に始められた研究会で、現在は白澤政和客員教授が代表をされています。研究会を隔月開催するとともに、「ケアマネジメント研究セミナー」を年1回開催しています。

第4は、「大学院卒後教育:質的研究プロジェクト」(代表:田中千枝子教授)です。田中教授と本学大学院のOB・OG有志中心に構成され、研究会を年6回開催すると共に、上述した夏季大学院公開ゼミナールで「質的研究法分科会」を設けています。さらに、「後続(フォローアップ)研修会」を年2回開催しています。

これら4つの研究会のうち、夏季大学院公開ゼミナールには希望者全員が参加できます。第2~4の研究会に参加ご希望の方は、代表または事務局にご連絡下さい。

3.元リハビリテーション専門医としてのソーシャルワーカーとの出会いの原体験

第3に、私自身のソーシャルワーカーとの出会いの「原体験」について述べます。

私は、現在は医療経済・政策学を専門としていますが、元はリハビリテーション専門医でした。1972年に東京医科歯科大学医学部を卒業し、東大病院リハビリテーション部で上田敏先生の指導を受けてリハビリテーション医学の研修をした後、1975年に東京の代々木病院で脳卒中患者の早期リハビリテーションを開始しました。そして、最初のリハビリテーションチームの構成員は医師・看護婦およびソーシャルワーカーの三者でした。当時、理学療法士、作業療法士は数がごく少なく、民間病院にとっては「高嶺の花」であり、彼らを雇用できたのは、1977年にリハビリテーション専門病棟を開設したときでした。

そして、代々木病院では、1976年から、ソーシャルワーカーによる脳卒中患者・家族全員に対する「入院当日面接制」を導入しました。これは、日本初ではないかと自負しています。そして、医学的アプローチと社会的アプローチを同時に実施することにより、「入院期間の"社会的延長"」(社会的入院)を相当予防することができました。当時、全国の脳卒中患者の平均在院日数は約4カ月でしたが、代々木病院のそれは約40日であり、しかも8割の患者が自宅に退院しました。これについて詳しくは、以下の3つの文献をお読み下さい。

私は、代々木病院でのこの経験を通して、ソーシャルワーカー、特に医療ソーシャルワーカーに強い親近感を抱くようになりました。そして、1985年に日本福祉大学に赴任後、この経験は専門演習(ゼミ)指導でいき、ゼミ生の多くが卒業後ソーシャルワーカーとして働くようになりました。私の本学で行った教育については、拙著『福祉教育はいかにあるべきか?-演習方法と論文指導』(勁草書房,2013)に詳しく書きました。

4.日本のソーシャルワーク研究の「研究方法・スタイル」への小さな疑問と大きな期待

このように私は、ソーシャルワーカーやソーシャルワーク研究に強い親近感を抱いています。他面、現在の多くのソーシャルワーク研究の「研究方法」「研究スタイル」には、小さな疑問とそれを裏返しにした大きな期待を、それぞれ3つ持っています。最後に、それらについて率直に述べます。

第1の疑問は、ミクロレベルのソーシャルワーク実践のみに偏っていないか?で、今後は、マクロレベルの政策と切り結んだ(ミクロとマクロを統合した)「大きな」研究もなされることを期待しています。この点で「ロールモデル」になるのは、白澤政和客員教授で、先生は、長年ミクロとマクロを統合したソーシャルワーク、ケースマネジメント研究をされており、今後、第2、第3の白澤先生が登場することを切望します。保健医療分野のソーシャルワークを研究されている方は医療政策についての私の著作をぜひ読んでいただきたいと思っています。最新刊は、『安倍政権の医療・社会保障改革』(勁草書房,2014)です。

第2の疑問は、研究の視点が研究者本位に偏っていないか?で、今後は、研究者とソーシャルワークの実践者や当事者との共同研究もされることを期待しています。この点で私が模範的だと思うのは、山崎喜比古教授が、東京大学勤務時代に、井上洋士氏と編集した『薬害HIV感染被害者遺族の人生-当事者参加型リサーチから』(東京大学出版会,2008)です。この本は、調査の企画、実施、結果の解釈のすべての段階で、研究者と当事者が対等平等に協働したすばらしい研究です。もう1つ、田中千枝子教授等の『介護福祉・社会福祉の質的研究法-実践者のための現場研究』(中央法規,2013)は、田中教授と彼女の大学院での教え子等の実践者が協働してまとめた「現場研究のプロセスと方法に関する実践研究報告書」です。

第3の疑問は、質的研究の特定の技法(例:MGTA)のみに偏っていないか?で、今後は、質的研究の枠内でも多様な手法を用いた研究、および質的研究と量的研究を統合した研究(ミックスト・メソッド、トライアンギュレーション)が増えることを期待しています。ソーシャルワーク領域のミックスト・メソッド研究の好例としては、大谷京子准教授の『ソーシャルワーク関係-ソーシャルワーカーと精神障害当事者』(相川書房,2012)があげられます。この本は、私のあげた第1・第2の疑問と期待にも応えています。この本は日本ソーシャルワーク学会の学術奨励賞受賞作で、しかも本書の中核部分の論文(量的研究)は日本社会福祉学会奨励賞も受賞しています。先に紹介した山崎喜比古教授等の『薬害HIV感染被害者遺族の人生』は、面接調査=質的調査と質問紙調査=量的調査をリンクした、優れたミックスト・メソッド研究でもあります。

これらの疑問と期待も参考にして、研究を進めていただければ幸いです。終わります。


5.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算102回.2014年分その4:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○終末期のがん患者に対する積極的治療対緩和ケアと[死亡前3カ月間の]医療費との関連:日本の医療費請求データを用いた横断調査
Morishima T(森島敏隆), et al: Association of healthcare expenditures with aggressive versus palliative care for cancer patients at the end of life: a cross-sectional study using claims data in Japan. International Journal for Quality in Health Care 26(1):79-86,2014.[量的研究]

終末期医療は患者と保険者の両方に重い経済滝負担を強いているが、がん患者の終末期医療のタイプと医療費との関連はほとんど知られていない。そこで、医療費と終末期患者の積極的治療対緩和ケアを示すベンチマーク指標との関連を保険者の視点から検討した。京都府の国民健康保険と高齢者医療制度の医療費請求(レセプト)データを用いて、2009年4月から2010年5月の間に死亡したがん患者の、横断的後方視的調査を行った。この期間に54病院で3143人が死亡していた。患者の89%は急性期病院で死亡し、7%は死亡前1カ月に化学療法を受け、6%はホスピス病棟に入院していた。マルチレベル一般化線形モデルを用いて、積極的治療(指標:急性期病院での死亡、化学療法、ICU入院または救命治療)と緩和ケア(指標:ホスピス病棟入院、緩和ケアチームのコンサルティング、医師による在宅医療)が死亡前3カ月間の医療費(患者特性、病院特性、交絡因子となりうる処置は調整済み)と関連しているか否かを検討した。死亡前3カ月間の医療費の中央値は13,030米ドルであった。高額な医療費は、積極的治療指標のうち急性期病院での死亡と化学療法、および緩和ケアの指標のうちホスピス病棟入院とオピオイド使用と関連していた。逆に、死亡前3カ月間の医師の在宅医療の増加は低い医療費と関連していた。それに対して、ICU入院または救命医療、および緩和ケアチームのコンサルティングと医療費との間に関連はなかった。以上より、積極的治療と緩和ケアの両方が高額な医療費と関連していると言える。この結果は、積極的治療を最適化し、終末期医療の財政負担を減じるための一貫した手法の開発の必要性を支持していると言えるかもしれない。

二木コメント-京都大学大学院の今中雄一教授グループの研究です。欧米諸国での報告と異なり、日本では緩和ケア病棟が医療費を抑制しないことが実証されています。この理由として、執筆者は、「日本では、緩和ケア病棟の診療報酬が急性期医療に比べて高く設定されているためかもしれない」と述べており(85頁)、私も同じ意見です。ただし、要旨の最後の一文(価値判断)は、やや飛躍していると思います。

○日本における1971~2008年の病院の平均在院日数:病院の開設者と医療費抑制政策
Kato N(加藤尚子), et al: Length of hospital stay in Japan 1971-2008: Hospital ownership and cost-containment policies. Health Policy 115(2-3):180-188,2014[量的・質的研究]

平均在院日数は病院マネジメントのもっとも重要な指標と見なされている。1980年代以降日本の病院の平均在院日数は急速に低下しており、これは平均在院日数短縮を目指した医療費抑制政策によるものだと見なされている。日本の病院セクターには開設者がきわめて多様であるという特徴がある。この特徴を生かして、病院の開設者間で病院の在院日数短縮に関する行動に違いがあるか否かを検討した。1970~2008年の政府の病院統計(「病院報告」)を用いて、クラスター分析とjoinpoint regression analysis(折れ線回帰分析)を行うと共に、この間の医療政策の質的分析を行い、平均在院日数短縮を目指した一連の医療費抑制政策の効果を検討したところ、この間の在院日数短縮の道筋には、私的病院(医療法人・個人)と公的病院(公立・公的病院だけでなく、国立と医療法人・個人以外のすべての病院を含む)とで明らかな違いがあることが分かった。調査期間の前期には、私的病院は高齢者のための長期医療を提供することに注力したが、後期には長期医療の提供と、在院日数短縮を誘導する診療報酬改定に対応した急性期医療提供との間の選択を行っていた。それと対照的に、大部分の公的病院は政府の目標に対応して、在院日数を短縮し急性期医療の提供を選択していた。

二木コメント-公私病院(+国立病院)別に、40年間の在院日数の変化と転換点を分析した貴重な研究です。個々の私的病院が調査機関の後期に慢性期医療と急性期医療の選択を行ったことは事実と思いますが、「病院報告」には開設者別の平均在院日数データしか掲載されていないので、今回の2つの量的調査により、それをストレートに証明することはできないと思います。なお、joinpoint regression analysis(折れ線回帰分析)とは、2000年にアメリカ・国立衛生研究所(NIH)のKim等が発表した、時系列データに折れ線をあてはめる手法だそうです(片野田耕太「米国のがん統計に用いらている数理モデルの概観」『統計数理』59(2):173-180,2011。ウェブ上に全文公開)。

○緊縮策と医療の政治経済学:ヨーロッパ27か国の1995~2011年の[政府]医療費の変化の国別分析
Reeves A, et al: The political economy of austerity and healthcare: Cross-national analysis of expenditure changes in 27 European nations 1995-2011. Health Policy 115(1):1-8,2014.[量的研究]

2007年の世界大不況はすべてのEU加盟国を襲ったが、その後の医療費パターンは国により異なっている。そこで、EU加盟27か国の1995~2011年の同一基準の各種国際比較データを用いて、近年の医療費変化に対する政治的、経済的、医療制度的決定要因を評価した。EuroStat(欧州委員会の統計担当部局)、IMF、および世界銀行のデータ(2013年版)を用い、経済不況前の経時動向(time-trends)を調整した上で、多変量ランダム・固定効果モデルによる分析を行った。政府医療費の削減は経済不況の程度(GDPの年間変化率、累積変化率とも)とも債務危機(公的債務のGDP対比、1人当たり債務額)とも有意な関連がなかった。政府のイデオロギーとの関連もなかった。それと対照的に、税収の100米ドル減少は、医療費の2.72ドル減少と有意に関連していた。IMFから借款を受けている国は、受けていない国より有意に医療費を削減していた。EU加盟国では、国際的財政組織からの借款、税収の落ち込み、財政赤字削減の意思決定の方が、各国の経済的状態や政権政党のイデオロギーよりも、医療費変化と密接に関連していた。

二木コメント-EUでは、このような政治経済学的定量研究ができるほどデータが完備しているのは驚きです。

○近年の経済不況における[アメリカの]病院の財政パフォーマンスと財政的に脆弱な状態にとどまっている施設にたいする含意
Bazzoli GJ, et al: Hospital financial performance in the recent recession and implications for institutions that remain financially weak. Health Affairs 33(5):739-745,2014.[量的研究]

近年の経済不況(公式には2007年12月~2009年6月)は、医療を含むアメリカ経済のすべての部門に重大な影響を与えた。病院全体の平均総利益率は2007年の6%から2008年の1.8%へと急減した。ただし、平均値は病院間の財政的パフォーマンスのバラツキを隠している可能性がある。そこで、私的病院が経済不況をどのように凌いだのかを調査し、財政的健全性の変化が将来の産業再編への対処能力にどのような影響を与えうるかを検討した。全米の全私的短期入院病院(外科系と内科系、非営利と営利の両方を含む)2791病院を次の2つの基準で分類した:(1)経済不況前の財政的健全性(健全・中間・脆弱)、(2)非営利・セイフティネット病院(メディケイド入院患者の割合が高い病院)、非営利・非セイフティネット病院、営利病院。その上で、これらのカテゴリー別に、2006~2011年の財政的健全性や営業利益率・総利益率の変化を調査した。その結果、経済不況前から財政が脆弱だった病院は、経済不況中も経済不況後も同じ状態が続いていた。非営利病院(セイフティネット病院とそれ以外の両方)の総利益率は2008年に低下したが、2011年には回復していた。不況は、不況以前から財政的に脆弱な病院やセイフティネット病院に対して追加的な財政的圧力を生んだわけではなかった。しかし、両群の病院は現在でも重大な財政欠損を抱えており、増大する需要に対応できないでいる。

二木コメント-ヨーロッパだけでなく、アメリカでも、近年の世界的不況は、総医療費と病院経営に深刻な影響を与えました。それに対して、日本では、不況が「国民医療費」や病院経営に与えた影響が少なかったのは、2009年9月に成立した民主党政権が2010年4月に診療報酬「本体」の大幅引き上げ(1.55%:5700億円。ただし、薬価・材料価格の引き下げ分を除いた医療費「全体」改定率は0.19%)を行ったためと言えます。

○医療とイデオロギー:OECD加盟国における公的医療費の政治的決定要因の再検討
HerwartzH,et al: Health care and ideology: A reconsideration of political determinants of publichealth funding in the OECD. Health Economics 23 (2):225-240,2014.[量的研究]

本研究では、政権政党のイデオロギーと選挙への思惑がOECD加盟国の公的医療費に影響するか否かを検討する。政党のイデオロギーについては、政府が十分に長期間政権を担当していた場合には、右派政権は左派政権よりも公的医療費の支出が少なかった。さらに、右派政権が連合政権ではなく単独政権であった場合には、左派政権より、長期間の医療費均衡からより強く逸脱していた。選挙への思惑については、公的医療費は選挙年に増加していた。政権政党のイデオロギーとは無関係に、単一政党の政権では公的医療費の伸び率が高く、少数派政権では低かった。これらの政治的要因単独で、公的医療費を1%ポイント変化させるようであった。公的医療費の年間伸び率は約 4.1 %であることを考慮すると、政治的要因は公的医療費の趨勢の重要な決定要因であった。

二木コメント-これも、緻密な「計量政治学的研究」ですが、結果に新味はなく、So what?(Et alors?)です。

○成果の宣伝と避難の回避の間[での揺れ動き]:韓国国民健康保険制度における優先順位設定の政治の変化
Kang M, et al: Between credit claiming and blame avoidance: The changing politics of priority-setting for Korea's National Health Insurance System. Health Policy 115(1):9-17,2014. [政策研究]

政策の優先順位の設定は、様々な関係者を巻き込み、強いしばしば相対立する利害・価値観が露わになる。しかし、医療政策についての文献では、優先順位設定の政治的側面は十分に検討されてこなかった。本論文では、韓国の政策作成者(policy makers)が、従来の給付拡大のみの政策から、給付拡大と費用抑制の両立を目指す政策に転換するという優先順位の転換を行ったときに、どのような戦略の変更を行ったかを検討する。本論文は優先順位の設定が本質的に政治的過程であることを示す。政策の文脈が政策作成者がいかにして政治的戦略を選択するかを形づける。我々は、特に、政策作成者が「成果の宣伝」戦略と「避難の回避」戦略の間を揺れ動くことを認めた。韓国の政策作成者は、給付拡大と費用抑制を両立させなければならないときに、次の3つの種類の政治的戦略を採った:①責任を他の組織に転嫁する(エージェンシー戦略)、②政策判断を自動的規則に置き換える(政策戦略)、③意思決定がいかに行われるかのプリゼンテーションに焦点を当てる(プリゼンテーション戦略)。本研究は韓国および、同様の選択に直面している他の国々における政策選択の研究に示唆を与える。結論として、韓国の政策作成者は、給付拡大と費用抑制の両立をしなければならないときには、透明でより体系的な優先順位設定プロセスを開発することに注力すべきである。

二木コメント-かなり思弁的で結論はやや陳腐ですが、視点そのものは重要と思います。なお、大西裕『先進国・韓国の憂鬱一少子高齢化、経済格差、グローバル化』(中公新書,2014)は、金大中政権以降の、韓国の歴代政権の、韓国の社会保障制度改革の苦闘を活写しており一読に値します。また、「制度的には社会民主主義的だが、量的充実を伴わない韓国福祉国家」(35 頁)、「萎縮した社会民主主義」(67 頁)という規定は、韓国の社会保障の二面性を的確に示していると思います。


6.私の好きな名言・警句の紹介(その115)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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