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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻134号)』(転載)

二木立

発行日2015年09月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ:拙新著『地域包括ケアと地域医療構想』についての講演のお知らせ


1.病床「20万削減」報道をどうみるか?-「専門調査会第1次報告」と「ガイドライン」の異同の検討-
(「深層を読む・真相を解く」(44)『日本医事新報』2015年6月27日号(4757号):15-16頁)

6月15日、政府の社会保障制度改革推進本部「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」(会長:永井良三自治医科大学学長)は、「第1次報告-医療機能別病床数の推計及び地域医療構想の策定に当たって」(以下、「第1次報告」)をまとめました。翌日の新聞各紙は、「第1次報告」について、(2025年の)「入院ベッド1割削減」、「病床、最大20万削減」等と大きく報じ、病院関係者の不安を増幅させました。 そこで、本稿では、「第1次報告」と本連載(43)(2015年6月13日号)で検討した「地域医療構想策定ガイドライン」(以下、「ガイドライン」)と異同を検討し、改めて、病院病床の大幅削減は生じないと私が考える理由を述べます。

「目指すべき」病床数を明示

「第1次報告」の一番の特色(目玉)は、「2025年の医療機能別必要病床数」を「目指すべき姿」として示したことです。今後「在宅医療等」での対応が必要になる患者数も示しました(21頁)。それに対して、「ガイドライン」は療養病床(慢性期病床)の削減の必要は指摘しましたが、具体的数値は示しませんでした。高度急性期・急性期病床の削減の必要には触れまず、逆に、「[高度急性期・急性期・回復期の]2025年の医療需要の推計方法」(計算式)は現状投影(追認)的でした。

具体的には、「第1次報告」は、2025年の必要病床数を、高度急性期13.0万床、急性期40.1万床、回復期37.5万床、慢性期24.2~28.5万床、合計115~119万床としました(「程度」は略)。これらは、昨年7月時点での「病床機能報告」による高度急性期19.1万床、急性期58.1万床、慢性期35.2万床より約30%も少ない反面、回復期のみは3.41倍も多くなっています。「病床機能報告」には未報告・未集計病床が11.3万床あるため、回復期病床以外の実際の削減幅はさらに大きくなります。

「医療資源の集中投入」なしの病床削減

私が一番驚いたことは、2025年の高度急性期13.0万床、急性期40.1万床との推計が、「社会保障・税一体改革」の「2025年モデル」の「改革シナリオ」(2011年6月2日)のそれぞれ22万床、46万床よりはるかに少ないことです。「改革シナリオ」では、高度急性期・急性期・亜急性期等(現在の回復期)病床に「医療資源の集中投入等」を行い、平均在院日数を大幅に短縮することにより、病床数を減らせるとしていました(高度急性期で2倍、急性期で6割、亜急性期等で3割程度の職員数増加)。

それに対して、「第1次報告」の必要病床数の推計では、医療資源総量の増加も、在院日数の短縮も組み込んでいません。現状追認的色彩が強かった「ガイドライン」と異なり、「第1次報告」では、「現状追認とならない改革の必要性」が強調され、「ガイドライン」では封印されていた「平均在院日数の短縮」の表現が2回用いられていますが、それは推計式には含まれなかったそうです。それにもかかわらず、なぜ、高度急性期・急性期病床が大幅に削減されうるのか、私には理解できません。

なお、「第1次報告」は2025年の必要病床数が減少することは、「近年、減少傾向となっている病床数の動向とも整合的」と書いています(12頁)。これは「ガイドライン」にはなかった重要な指摘ですが、この傾向が今後10年以上も持続すると現時点で断定するのは早計です。なお、経済産業省の「将来の地域医療における保険者と企業のあり方に関する研究会報告書」(2015年3月18日)も、2009~2011年の3年間の入院受療率低下(年平均1.8%)に注目し、それを2025年まで外挿して、入院受療率が2割下がるとの大胆な予測を行っていました(19頁)。

「医療・介護のネットワーク」で慢性期病床を削減

「ガイドライン」は療養病床の削減の必要を強調する一方、「慢性期機能及び在宅医療等の推計」をワンセットで行うことを提起していました。この場合、慢性期機能と在宅医療等の割合は、構想区域ごとに異なることになります。しかし「第1次報告」では、両者を切断し、2025年の慢性期の必要病床を24.2~28.5万床、「介護施設や高齢者住宅を含めた在宅医療等で追加的に対応する患者数」を29.7~33.7万人と別々に推計しています。ちなみにこの数値は、「機能分化等をしないまま高齢化を織り込んだ場合」(現状追認)の2025年の病床数152万床と同年の「目指すべき」病床数115~119万床の差33~37万人にほぼ対応します。

「第1次報告」は慢性期病床の削減の「必要条件」として、「介護施設や高齢者住宅、さらには外来医療を含めた在宅医療等の医療・介護のネットワークによる対応」の必要を強調しています(13頁等)。ちなみに、「ガイドライン」では一度も使われなかった「医療・介護のネットワーク」という用語が本文だけで14回も使われています。ただし、それと「地域包括ケアシステム」(7回使用)との関係・異同については説明していません。

改革の進め方のスタンスの違い

最後に、「第1次報告」と「ガイドライン」との違いで見落とせないことに、今後の改革の進め方のスタンスの違いがあります。「ガイドライン」では、「自主的な取組」、「柔軟(な運用)」、「地域の実情」が繰り返し強調され、「ガイドライン」の議論を主導した中川俊男日本医師副会長は「地域医療構想のキーワードは『地域の実情に応じて』」と指摘しました(第9回地域医療構想策定ガイドライン検討会議事録3頁)。しかし「第1次報告」には、「自主的な運営」と「柔軟」という表現はまったくなく、「地域の実情」もごく限定的にしか認められていません。

「ガイドライン」では、「医療費適正化計画(対策)」には全く触れていませんでしたが、「第1次報告」では専門調査会がそれについても検討していくと明示しています。さらに、都道府県の役割について抑制的だった「ガイドライン」と異なり、「第1次報告」は「都道府県知事が役割を発揮できる仕組みなどを最大限活用」することを求めています。

それでも病床の大幅削減が困難な理由

厚生労働省の「ガイドライン」に比べ、官邸直轄の「第1次報告」が格上であることを考えると、厚生労働省は今後、診療報酬改定や地域医療介護総合確保基金を用いた誘導で、高度急性期・急性期・慢性期病床を大幅に削減しようとすると思います。しかし、私は、それはきわめて困難だと考えます。

高度急性期・急性期病床の大幅削減が困難な理由は以下の3つです。

慢性期病床の大幅削減のためには、「第1次報告」が強調しているように、「医療・介護のネットワークの構築」が不可欠ですが、今後の(低所得)単身者の急増や家族の介護能力の低下、地域社会の「互助」機能の低下を考えると、今後10年間で30万人もの患者を「在宅医療等」に移行させるのはほとんど不可能です。しかも、重度患者の在宅ケアの費用は、施設ケアに比べて相当高額です。

結論:2025年の病床数は、「第1次報告」の「機能分化等をしないまま高齢化を織り込んだ」152万床(上限)と「目指すべき姿」115~119万床(下限)の中間、現状の135万床前後になると思います。ただし今後の人口減少が大きい構想区域では、病床機能の転換を迫られることになると思います。

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2.論文:病院病床大幅削減は困難と考えるもう1つの理由-削減策失敗の歴史に学ぶ
(「深層を読む・真相を解く」(46)『日本医事新報』2015年8月15日号(4767号):17-18頁)

2014年に成立した医療介護総合確保推進法により地域医療構想の策定が決定されて以来、医療関係者の間で今後2025年に向けて病院病床が大幅に削減されるとの懸念が生まれています。本年6月に発表された「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会第1次報告」は、それを増幅させました。日本医業経営コンサルタント協会の機関誌も、「将来の急性期病床は今の病床数の半分程度に!?」との扇情的な(ただし根拠が曖昧な)「試算」を発表しています(『JAHMC』2015年6月号:26-27頁)。

それに対して私は、本連載(44)(4757号)で、高度急性期・急性期病床、慢性期病床とも大幅削減が困難な理由を述べました。それらはいわば「論理的」理由でしたが、私はもう1つ、「歴史的」理由も考えています。それは、過去4回の病院病床大幅削減策(願望)がすべて失敗していることです。本稿では、この点を包括的に検討します。

(1)老人保健施設制度化時の病床半減策

日本で最初の病院病床大幅削減策(願望)は、1980年代に老人保健施設が構想・制度化されたときに生まれました(詳しくは拙著『医療改革と病院』勁草書房,2004,159-161頁)。

これの最初の提唱者は佐分利輝彦病院管理研究所長(当時。以下同じ)で、1982年に「日本の病床は今の半分でよい。かわりに他の先進国のようにナーシングホームが必要である。(中略)これからナーシングホームを何十万床も増やすのは大変なので、既存の病院病床をナーシングホームに転用すればよい」と提唱しました。当時厚生省のドンと言われていた吉村仁保険局長も1983年に「過剰病床[約40万床]の医療的中間施設への転用論」を展開し、それが1986年の老人保健施設創設に繋がりました。厚生省が当時、一般病床を単価の安い老人保健施設に転換することで、医療費を節減できるとの思惑から、主として老人保健施設を病院病床の転換により整備しようと考えていたことは間違いありません。

しかし、厚生省の思惑はものの見事に外れました。老人保健施設創設直後の1989年ですら、老人保健施設総数のうち病院・有床診療所からの病床施設転用施設の割合は1割強(14.4%)にとどまりました。しかもこの割合は年々低下し、これについての調査が最後に行われた1997年にはわずか5.5%になりました。この時点で、老人保健施設に転用された病床は6570床にすぎませんでした。それと対照的に、病院病床数は1992年まで増加し続け、特に1986~1988年の3年間には、医療法第一次改正が誘発した「駆け込み増床」により13.9万床も急増しました

(2)第4次医療法改正後の一般病床半減説

第2は2000年の第4次医療法改正および厚生労働省が翌年9月に発表した「医療制度改革試案」を契機として生じた一般病床半減説です(詳しくは、拙著『医療改革と病院』第III章第二節「一般病床半減説の崩壊」)。

医療法改正により、旧一般病床は2003年8月までに新一般病床か療養病床かの選択をし、届け出をしなければならなくなりました。さらに「医療制度改革試案」に添付された「21世紀の医療提供体制の姿」は、「急性期に必要な病床数は集約化し、一定の数に収れんしていく」として、将来の急性期病床が42~63万床になるとの「急性期病床の将来数試算」を示しました。実は医療法改正による新一般病床は急性期病床だけでなく亜急性期病床も含んでいたのですが、厚生労働省は一般病床と急性期病床との関係については全く触れませんでした。

そのためもあり、医療関係者や医業経営コンサルタントの多くは、「急性期病床=一般病床」と誤認して、今後一般病床が半減されるとの言説が広く流布されました。「2011年、病院は3000まで減少する?」との扇情的な特集を組む医療経営誌(『Phase3』2012年8月号)も現れ、病院関係者(特に民間中小病院経営者)を浮き足立たせました。

しかし、2003年8月までに旧一般病床の大半(95.1%)が新一般病床としての届け出を行い、一般病床半減説は崩壊しました。

(3)療養病床の再編・削減策

第3は2006年に成立した医療制度改革関連法に含まれていた療養病床の再編・削減方針で、医療療養病床の大幅削減(25万床から15万床へ)と介護療養病床の5年後(2011年度末)の廃止が決定されました(詳しくは、拙著『医療改革』勁草書房,2006,第2章第4節2「療養病床の再編・削減)。

上述した第1・第2の病院病床大幅削減策が非公式のものであったのと異なり、これは法定化されたことに特徴があります(ただし、医療療養病床の削減数は厚生労働省の目標)。厚生労働省は、2000年の介護保険制度創設時に介護療養病床を制度化しただけでなく、上述した医療法第4次改正による病床区分の届け出締め切り前には、一般病床から療養病床への転換を奨励・誘導していました。ところが、2005年12月に発表された「療養病床の将来像」で、突然、介護療養病床の廃止が打ち出されたのです。私は今までたくさんの政策転換を見てきましたが、これほど突然の転換は初めてです。この背景には、当時、絶頂を極めていた小泉純一郎首相からの医療・介護費抑制の強い指示がありました。

もしこの計画通りになったとしたら、2006年に37.2万床あった療養病床総数は5年後には15万床へと6割も削減されたことになります。しかし、現実には、2006年の診療報酬改定で医療療養病床の入院基本料が大幅削減されたにもかかわらず、医療療養病床は逆に増加し続け、2006年の25.2万床から2013年の26.9万床へと1.7万床増加しました(各年10月)。介護療養病床の廃止は、民主党政権の下で6年間延期され、2017年度末とされました。

今後介護療養病床の廃止が実施されるか、再延期されるか、あるいは廃止方針が廃止されるか、現時点では不明ですが、本年の介護報酬改定を踏まえると、少なくとも重度の患者・要介護者の受け皿となっている介護療養病床が今後も何らかの形で存続することは確実です。以上から、2006年の療養病床の再編・削減方針は完全に失敗したと言えます。

(4)7対1病床の大幅削減策

第4は、2014年診療報酬改定時の7対1入院基本料の届出病床(以下、7対1病床)の要件強化による大幅削減策です。厚生労働省自身は削減目標を明示しませんでしたが、財務省はそれを2年間で9万床減少すると公式に示し、一部の医療ジャーナリズムは厚生労働省の「2025年モデル」を根拠にして7対1病床が2025年までに18万床に半減されると予測しました。医療関係者の多くは、これらの言説を既定の事実と見なしましたが、私自身はそれは困難と予測しました(本連載(31)。4692号)。

現実には、7対1病床は2014年3月の38.04万床から2015年4月の36.39万床へと、1年間でわずか1.65万床(4.3%)の減少にとどまりました(6月10日中医協総会資料)。診療報酬後最初の半年間の減少(1.42万床)に比べ次の半年間の減少(0.23万床)がはるかに少ないことを考慮すると、今後1年間の減少はさらに少なくなると思います。

以上から、過去4回の病院病床大幅削減策(願望)がすべて失敗したことは明らかです。「社会保障制度改革国民会議報告書」が指摘したように、日本の病院制度は「私的病院主体の『規制緩和された市場依存型」(民間病院主導)であるため、政府が病院の改廃に絶対的権限を有する国営・公営医療の国と異なり、政府の権限で病院病床を大幅に削減することは不可能なのです。「上に政策あれば、下に対策あり」。これが過去4回の病院病床大幅削減策の教訓であり、今回の第5回目の病院病床大幅削減策にも当てはまると思います。

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3.論文地域包括ケアシステムにおける供給と編成-医療経済・政策学の視点から
(「二木学長の医療時評」(133)、『文化連情報』2015年9月号(450号):8-20頁)

はじめに

地域包括ケアシステムは今や「国策」とも言われるようになっています。ちなみに、これは国の公式表現ではなく、厚生労働省の宇都宮啓保険局医療課長(当時)が、2012年10月4日、日本医師会・社会保険指導者講習会での講演「地域包括ケアシステムと医療・介護の連携」で用いたのが最初と思います(『週刊社会保障』2012年10月15日号:32頁)

そのためもあり、地域包括ケアシステムについての講演やシンポジウムは花盛りで、本年7月11日に開かれた「第16回損保ジャパン日本興亜福祉財団賞受賞記念シンポジウム」でも、「地域包括ケアシステムの確立に向けてのサービス供給と編成のあり方」がテーマとされました。ここで「編成」とは、斉藤弥生氏が上記賞受賞作『スウェーデンにみる高齢者介護の供給と編成』で森田朗氏に依拠して用いている"organization"の訳語で、(介護)サービスの量的「供給」に対して、「サービスの組み立て」を意味します。

以下は、このシンポジウムでの私の報告を再構成し、加筆したものです。まず地域包括ケアシステムの歴史を2つの視点から述べます。次に、地域包括ケア「システム」の実態は「ネットワーク」であり、主たる対象は都市部であることを強調します。第三に、医療経済・政策学の視点から、今後の地域包括ケアシステムの供給と編成について、医療・医療費と関わる3つの留意点または論点を提起します。最後に、今後、地域包括ケアシステムを確立する上での2つのブレーキについて述べます。

1.地域包括ケアシステムの歴史-2つの源流と法・行政面での「進化」

まず、地域包括ケアシステムの歴史を2つの視点から述べます。

(1)「保健・医療系」と「福祉系」の2つの源流と3つの注意

最初に指摘したいことは、地域包括ケアシステムの源流は1つではなく、大きく分けて「保健・医療系」と「福祉系」の2つがあることです(1)。「保健・医療系」の源流としては、広島県の公立みつぎ総合病院(「みつぎ方式(モデル)」)、同じく広島県の尾道市医師会、民間病院中心の「保健・医療・福祉複合体」等があげられます。「福祉系」の源流としては、社会福祉協議会や社会福祉法人(大半は特別養護老人ホーム開設)による地域福祉活動があげられます。これらのうち、「みつぎ方式」は1970年代から始まりましたが、それ以外のほとんどの源流は1990年代に始まりました。1960~70年代に全国的に注目された岩手県沢内村の病院医療と保健活動を一本化した取り組みも、自治体(病院)主導の「保健・医療系」の草分けと言えます(2)。小林甲一氏等(名古屋学院大学)も、地域包括ケアシステムを「医療重視・医師会主導型」(または「医療重視・医療機関主導型」)と「福祉重視・行政主導型」に二分して、詳細な事例検討を行っています(3,4)

ここで注意していただきたいことが3つあります。第1は、源流の分類は私のものも小林氏らのものも概念的ものであり、各地で行われている地域包括ケアシステムは非常に多様なことです。「自治体主導」と「民間主導」という区分も可能ですが、前者にも「保健・医療系」(自治体病院主導)と「福祉系」(同、首長主導)の両方が存在します。

第2は、地域包括ケアシステムという用語の命名者は間違いなく山口昇医師(広島県公立みつぎ総合病院院長・当時)ですが、同氏が主導して作り上げた「みつぎ方式」は氏自身が認めているように、「公立みつぎ総合病院を核とした」病院基盤のシステムであり、現在の地域包括ケアシステムで想定されている「地域基盤」のものとは異なることです(5)。行政が当初想定していた地域包括ケアシステムのモデルは、尾道市医師会の医療と福祉・介護の連携事業です(6,7)。「みつぎ方式」が採用されなかった最大の理由は、それの費用がきわめて高額なためと思います。1990年代には、御調町(現・尾道市)の高齢者1人当たりの保健医療福祉投資総額は類似町の4倍にも達していました(8)

注意すべき第3は、地域包括ケアを先進的に実践している社会福祉法人の中には、医療機関(病院)母体の社会福祉法人-私流に言えば、「保健・医療・福祉複合体」傘下の社会福祉法人-が少なくないことです(9,10)。例えば、厚生労働省のホームページの「地域包括ケアシステム」には「地域包括ケアシステム構築へ向けた取組事例」が10グループ紹介されていますが、社会福祉法人が主導していると説明されている3グループは、すべて医療法人母体です。

私は、このような実態的には「保健・医療系」の地域包括ケアの方が、純粋の「福祉系」の地域包括ケアより医療と介護・福祉の連携がスムーズに行われているとの印象を持っています。小林甲一氏等も、尾道市に存在する3種類の先進的な「医療主導による地域包括ケアシステムの形成と展開」を詳細に検討し、「地域における医療、あるいは『医業』の力強さとそれが抱えるつながりの深さ」に注目しています(4)

(2)法・行政的には2003年に出現し、2014年まで変化・拡大・「進化」

次に、地域包括ケアシステムという用語の法・行政的出自を簡単に述べます(1)。一言で言うと、法・行政的には、地域包括ケアシステムという用語は2003年に初めて用いられて以降2014年まで、変化・拡大・「進化」または試行錯誤し続けています。

まず、地域包括ケアシステムという用語の法・行政上の初出が2003年の高齢者介護研究会の報告書「2015年の高齢者介護」であることは間違いありません。ただし、当時はそれは介護保険制度改革として提起され、様々なサービスのうち介護サービスが「中核」とされました。次に、意外なことに、2004~2008年の5年間、厚生労働省は地域包括ケアシステムという用語を全く使わず、この時期はこの用語の「法・行政的空白(停滞)期」と言えます。この時期は、小泉政権の厳しい医療・介護費抑制時代と重なります。

その後、地域包括ケアシステムは、2009・2010年の「地域包括ケア研究会報告書」で復活しました。これの背景には、福田・麻生自公政権および民主党政権により、「社会保障の機能強化」への路線転換が行われたことがあります。ただし、この時点では地域包括ケアシステムの構成要素に含まれる医療は診療所医療と訪問診療に限定されていました。2011年の介護保険法改正では、地域包括ケアシステムの理念的規定が盛り込まれましたが、地域包括ケアシステムという用語は用いられず、それに含まれる医療も相変わらず診療所医療が想定されていました。

このような、今から見るとかなり狭い地域包括ケアシステムの概念・範囲を大きく拡大したのが、2013年の「社会保障制度改革国民会議報告書」で、医療と介護の一体化、および地域包括ケアシステムにおける医療(病院)の役割を強調しました。この報告書でもう1つ注目すべきことは、「治す医療」・「病院完結型医療」から「治し・支える医療」・「地域完結型医療」へのパラダイム転換を提唱したことです。

ここで注意していただきたいのは、報告書が「支える医療」(単なるケア)ではなく「治し・支える医療」(キュア&ケア)を、病院抜き・在宅医療偏重の「地域完結型医療」ではなく、病院を重要な構成要素として含む「地域完結型医療」を提唱したことです。これは、医療界・医療機関に地域包括ケアシステム構築への積極的参加を求めたメッセージでもあり、事実、この報告書を契機にして、医師会・病院団体の地域包括ケアシステムへの取り組みが急速に強まっています。

さらに、2013年の社会保障改革プログラム法で地域包括ケアシステムは初めて法的定義を与えられ、2014年診療報酬改定で「地域包括ケア病棟」が新設されました。さらに2014年の「地域包括ケア研究会報告書」は急性期病院と施設の積極的役割を初めて認めました(11)

言うまでもなくすべての制度は歴史的産物です。私は、今後の地域包括ケアシステムの供給と編成を考える上でも、このような地域包括ケアシステムの源流と「進化」を踏まえる必要があると思います。逆に、歴史を無視して、主観的に自己の理想と考える「あるべき(あるいはホンモノの)地域包括ケアシステム」を論じるのは有害無益です。

2.地域包括ケア「システム」の実態はネットワーク

第2に、各地で実践されている地域包括ケアは多様であり、全国共通の「システム」はなく、実態は「ネットワーク」であることを述べます。
「システム」(制度・体制)という用語は、国が法律またはそれに基づく通知等により、全国一律の基準を作成して、都道府県・市町村、医療機関等がそれに従うものを連想させます。社会保障制度における代表例は年金「制度」、医療保険「制度」、介護保険「制度」です。医療提供「体制」は、これらよりも医療機関の自由度が大きいですが、それでも全国一律の診療報酬「制度」等により細部まで国の規制・監督が行われています。

しかし、国・厚生労働省が目指している地域包括ケアシステムはこのような意味での「システム」ではなく、各地域で自主的に取り組むことが求められている「ネットワーク」です【注1】。ただし、前述した「みつぎ方式」は、すべてが公立の施設・事業で構成され、しかも一元的に運営されているので「システム」と言えます。

なお、「システム」という用語は、国または自治体レベルの「制度」・「体制」だけでなく、一元的に運営されている(大規模)事業体・グループを指す用語としても用いられます。上述した「複合体」のなかには、自グループを「○○システム」と標榜しているものが少なくありません。アメリカでも同種グループは、"hospital systems"、"integrated health (delivery) systems"等と呼ばれます【注2】

私自身は、地域包括ケアシステムの実態がネットワークであることを2013年1月に初めて指摘したのですが(12:98頁)、その後の調査で、厚生労働省における地域包括ケアシステムの初期の主導者(中村秀一氏と香取照幸氏)は、地域包括ケアシステムが最初に提唱された2003年からこの点を指摘していたことが分かりました(1)

地域包括ケアシステムの実態がネットワークであることは、2013年8月に発表された社会保障制度改革国民会議報告書が「地域包括ケアシステムというネットワーク」とのストレートな表現を用いて以来、行政内外で広く認識されるようになっています。例えば、本年6月に発表され、2025年までに病院病床を大幅削減する必要があると提言して大きな注目を集めた官邸の社会保障制度改革推進本部「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会第1次報告」は、地域包括ケアシステムと「医療・介護のネットワーク」をほとんど同じ意味で何度も用いています。

地域包括ケアシステムの実態がネットワークである以上、全国一律のモデルはないことになります。このことは、誰が地域包括ケアシステムの中心を担うかは地域によって違うことを意味します。原勝則老健局長(当時)は、2013年に、「医療・介護・生活支援といったそれぞれの要素が必要なことは、どの地域でも変わらないことだと思うが、誰が中心を担うのか、どのような連携体制を図るのか、これは地域によって違ってくる」と明快に述べました(12:104頁)

主たる対象は都市部

地域包括ケアシステムの供給と編成を考える上でもう1つ強調したいことは、地域包括ケアシステムの主たる対象は都市部であることです。このことを最初(2012年)に指摘したのは「地域包括ケア研究会」座長を長年勤めている田中滋氏(現・慶應義塾大学名誉教授)です:「このシステムで日本中をカバーできるとはもともと考えていない。そもそもこの戦略の主なターゲットは"都市"とその近郊である」(12:99頁)

現役の厚生労働省高官でこのことに触れた方はいませんが、宮島俊彦元老健局長は退任直後に同様な発言をしています:「そもそも『地域包括ケア』は、今後高齢者が急激に増える大都市圏を想定したものである。(中略)私のイメージはヨーロッパの城塞都市だ」(12:104頁)。なお、私の経験では、厚生労働省高官は退任直後に、現役時代には封印していた「本音発言」をしばしばします。

主な対象が都市部であるとの発言は一見農村部軽視にみえます。しかし今後の人口高齢化、特に後期高齢人口の急増が首都圏を中心とした都市部で著しいこと、それにもかかわらずこれら地域では他地域に比べて、人口当たりの病床数・老人施設定員がはるかに不足していることを考えると、合理的と言えます。

なお、6月30日に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生基本方針2015」では、「地域包括ケアシステムの構築」は、「都市のコンパクト化と周辺等の交通ネットワーク形成に当たっての政策間連携の推進」の「具体的取組」のなかで、1箇所出てくるだけです(34頁)。このことは、地域包括ケアシステムの主たる対象が対象が都市部であることの傍証になると思います。

3.地域包括ケアシステムの供給と再編を考える上での留意点・論点

3番目に、医療経済・政策学の視点から、今後の地域包括ケアシステムの供給と再編について医療・医療費と関わる留意点または論点を3つ述べます。

(1)厚生労働省は「自宅」での死亡割合の増加は想定していない

第1は、厚生労働省は地域包括ケアシステムを構築し、在宅ケアを大幅に拡充することを目指しているが、「自宅」(マイホーム)での死亡割合の増加は想定・期待していないことです。厚生労働省が目指しているのは、地域包括ケアシステムにより「居宅生活の限界点を高める」ことです。具体的には、「限界点を高める」ことにより、住み慣れた居宅ですごす期間をできるだけ延ばし、その結果、終末期あるいはそれよりももう少し長い期間の病院・施設への入院・入所の率と期間をできるだけ抑制することを目指しているのです。ただし、正確に言えば、目指されているのは人口高齢化による入院・入所の率と期間の増加の抑制であり、今後の急速な人口高齢化を考えると、現在の入院・入所率と期間そのものが絶対的に減る(抑制される)わけではありません。

「限界点を高める」という魅力的なフレーズは、民主党政権時代の2012年2月の閣議決定「社会保障・税一体改革大綱」で用いられました(12:125頁)。2014年の「地域包括ケア研究会報告書」では「限界点を高める(限界点の向上)」が5回も使われており(7,36,37,37,38頁)、今や地域包括ケアシステムの隠れたキーワードの1つになっています。私は、地域包括ケアシステムの究極の目的は、今後の「死亡急増時代」に「死亡難民」が生じて社会問題化するのを予防することであり、「自宅死亡割合」の増加ではないと理解しています。

この点の一番の傍証になるのが、厚生労働省老健局が2008年に発表した「死亡場所別、死亡者数の年次推移と将来推計」です(図:略)。これは、2030年に、自宅でも病院でも施設でも死ねない「死亡難民」が47万人(死亡者の28%)にも達するという誤解・無用な不安を生んだ問題ある推計ですが、1つ評価できることがあります。それは、2030年の自宅死亡割合は2010年と同じ12%と想定したことです。私はこれはリアルな認識だと思います。私は、今後の単身者の急増、家族介護力の低下等を考えると、地域包括ケアシステムが構築されても、死に場所の中心は病院であり続け(ただし、割合は徐々に低下)、老人施設やサービス付き高齢者向け住宅等の「自宅以外の在宅」が補完すると判断しています。2014年の「地域包括ケア研究会報告書」も「住まい」での看取りに加えて、「医療機関等」での看取りを初めて肯定的に位置づけました(11)
先述した「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会第1次報告」は、2025年までに、「医療・介護のネットワーク形成」(ほぼ地域包括ケアシステムと同義)により、約30万人が病院から「介護施設や高齢者住宅を含めた在宅医療」に移行すると推計していますが、これは非現実的と思います。

2000~2013年の死亡場所の変化

ここで、2000~2013年の13年間の全国の死亡場所別割合の変化を簡単に示します(表:略)。医療施設(病院と診療所)での死亡割合は81.0%から77.8%へと3.2ポイント減少しました。ただし、実数は20.8万人も増加しています。自宅での死亡割合も、13.9%から12.9%へと1.0ポイント減少しています。厳密に言えば、自宅死亡割合は2005・2006年の12.2%を「底」として、それ以降微増していますが、明らかに増加基調に転じたとまでは言えません。それらと対照的に老人ホームと老人保健施設での死亡割合は2.4%から7.2%へと4.8ポイントも増加しています。

このように全国レベルで見ると自宅死亡割合は21世紀に入ってからも大きくは変化していませんが、都道府県別自宅死亡割合とその順位は劇的に変化しており、大都市部での上昇が顕著です(12:113頁)。その結果、2013年は東京が16.7%(23区内17.9%)でトップになりました。以下、(2)兵庫16.4%、(3)千葉15.8%、(4)神奈川15.5%、(5)大阪15.2%の順であり、トップ5が首都圏と関西圏で占められています。

大都市部における自宅死亡割合の上昇の要因として一般的には在宅医療・ケアの普及が指摘されますが、それ以外に「孤独死」の増加も見逃せません。東京都監察医務院の調査によると、2000~2011年の東京都区部における自宅死亡増加の4割は「孤独死」の増加によるものです(12:122頁)

「本人と家族の選択と心構え」・「一人で死ぬ覚悟」

従来、自宅での死亡は家族に看取られた麗しい死亡であるかの言説が振りまかれていますが、それは幻想です。それに対して、2013年の「地域包括ケア研究会報告書」は、今後、要介護高齢者が地域包括ケアの下で自宅生活を続ける際には、常に「家族に見守られながら自宅で亡くなる」わけではないという「本人と家族の選択と心構え」が求められると問題提起しました(12:105頁)。さらにこの研究会の座長の田中滋氏は、講演などでは、これが「1人で死ぬ覚悟」を意味するとストレートに述べています(13)。私は個人的にはこれに賛成です。ただし、日本人、特に高齢者と家族の医療依存の強さを考えると、そのような「覚悟」ができる強く自立した高齢者と家族は必ずしも多くはないし、そのような方が今後急増することも考えにくいと思っています。

なお、6月30日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2015」(「骨太方針2015」)では、「在宅や介護施設等における看取りも含めて対応できる地域包括ケアシステムを構築する」とされました。安倍内閣の「骨太方針2013」と「骨太方針2014」も地域包括ケア(システム)に言及していましたが、地域包括ケアシステムに看取りを含むと明示したのは「骨太方針2015」が初めてです。それに対して、2013年の社会保障改革プログラム法と2014年の医療介護総合確保推進法では、地域包括ケアシステムは「自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」とされ、看取りには言及していません。

以上をまとめると、私は、地域包括ケアシステムを推進し、「居宅生活の限界点を高める」ことには賛成ですが、それにより病院病床の削減や自宅での死亡割合を高めることは困難だと考えています。ただし、今後の死亡急増時代には、自宅での死亡実数が相当増加するのは確実です。

(2)地域包括ケアシステムと「地域医療構想」は相補的

第2の留意点または論点は、地域包括ケアシステムと「地域医療構想」(病院病床の機能分化と連携)との関係です。

地域包括ケアシステムの研究者や実践家の中には、地域包括ケアシステムの重要性を強調する余り、それが「上位概念」であり、地域医療構想はそれに含まれる「下位概念」であると理解している方が少なくありません。例えば、筒井孝子氏は「医療・介護サービスの適切な利用を支えるための提供システムのデザインが地域包括ケアシステムであり、地域医療構想は、この地域包括ケアシステムのうちの医療サービス提供に着目し、その改革の方向性を示すとともに、PDCAサイクルの工程による計画を記したもの」と説明しています。しかし、これは地域包括ケアシステムの過大評価・地域医療構想の過小評価で、誤りです(14)

なぜなら、地域包括ケアシステムと地域医療構想は、法・行政的にも、実態的にも、同列・同格であり、相補的(車の両輪)だからです。法的には、「地域包括ケアシステム」という用語を初めて用いた2013年の「社会保障制度改革プログラム法」の第4条4で、「政府は、(1)医療従事者、医療施設等の確保及び有効活用等を図り、効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに、(2)今後の高齢化の進展に対応して地域包括ケアシステム(中略)を構築することを通じ、地域で必要な医療を確保するため」(以下略)とされ、「効率的かつ質の高い医療提供体制」の構築と「地域包括ケアシステム」は同格・同列とされています。(1)と(2)は私が便宜的に付け、(1)の具体化が現在の「地域医療構想」です。この扱いは、2014年の医療介護総合確保推進法でも踏襲されています:「効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに地域包括ケアシステムを構築することを通じ、地域における医療及び介護の総合的な確保」。ただし、法的には、地域包括ケアシステムと地域医療構想との具体的な関係・線引きは示されていません。

実態的にも、地域包括ケアシステムはまだ発展途上であり、各地域でのあり方はきわめて多様で、病院を含まないものも少なくありません。先述したように、この数年地域包括ケアシステムの概念・範囲は拡大し、病院医療を含むようになっていますが、それは主として地域密着型の中小病院(概ね200床未満)であり、高度急性期を担う大病院は含まれていません。厚生労働省の担当者もそのように説明しています。

ただし、この点についての明示的な規定はなく、例えば、私の地元の愛知県では、藤田保健衛生大学病院や名古屋第二赤十字病院等の大規模病院が地域包括ケアに積極的に関わっています。また、大規模急性期病院が多い「地域医療機能推進機構(旧・全社連・厚生団・船保会が合同)も、「全国57病院が一丸『地域包括ケア』の牽引役を担う」とアピールしています(『Doctor's Magazine』2014年4月号:13頁)。私は、大病院の地域包括ケアへの関わりは、それぞれの病院・地域が決めればよいと思っています。この点でも、地域包括ケアはシステムではなくネットワークなのです。

後期高齢者が急増しても急性期医療のニーズは減らない

前述したように、地域包括ケアシステムのなかで病院は「治す医療」から「治し・支える医療」の担い手に変化することが求められていますが、それにより、「治す医療」の役割がなくなるわけではなく、ましてや「病院の世紀の終焉」が生じるわけでもありません(15)

今後急増する後期高齢者の医療では「治す医療」(キュア)ではなく「支える医療」(ケア)が必要になるので、急性期医療のニーズは縮小するとの言説もあります。しかし、日本の後期高齢者は、他国と比べてもきわめて健康であり、約7割が健康意識が「よい」か「ふつう」と回答しています(厚生労働省『平成25年国民生活基礎調査』、内閣府『高齢者の生活と意識に関する国際比較調査』平成22年)。このような人びとが心筋梗塞や脳卒中等の急性疾患になった場合に、「治す医療」をせずに、最初から「支える医療」のみをすることは、社会的に許されません。

また、政府が発表するどんな推計によっても、今後、病院の費用が国民医療費または医療・介護費の中心を占めています。武田俊彦厚生労働省大臣官房審議官も、2015年4月の講演で、「救急の受け入れ体制は地域包括ケアと不可分」、高齢者の第二次救急(病院)の問題は「地域包括ケアシステムそのものである」と強調しています(16)。以上から、私は21世紀にも「病院の世紀」は続くと判断しています。

(3)地域包括ケアシステムにより医療・介護費用が低下することはない

第3の留意点または論点は、地域包括ケアシステムにより医療・介護費用が低下することはない、です。

私は1980年代以来、30年以上、地域・在宅ケアの経済分析、費用効果分析を研究テーマの1つにしています。そして、少なくとも重度の要介護者・患者の場合には、地域・在宅ケアの費用が施設ケアに比べて高いことは、1990年代以降、医療経済学の膨大な実証研究により確立された国際的常識になっています(17)

第16回損保ジャパン日本興亜福祉財団賞を受賞した斉藤弥生さんの『スウェーデンにみる高齢者介護の供給と編成』にも、スウェーデンでも、エデバルグが「ホームヘルプは安く、老人ホームは高いとの神話」を批判し、「後期高齢者に対してはホームヘルプによる在宅介護は[全室個室の]老人ホーム介護より30%もコストが高いことを[1987年に]示した」と書かれています(18)。「地域包括ケアシステムについての国際的な研究動向」を詳細に検討した筒井孝子氏も、「コスト面での効率化に関するエビデンスは不明」、「コストパフォーマンスに関しては、未だ十分な研究がなされていない」と紹介しています(19)

実は、厚生労働省は1990年代までは地域・在宅ケアを拡充すれば医療・介護費が抑制できるとの期待を持っていたようですが、21世紀に入ってからはそのような主張はしていません。私の知る限り、このことを最初に認めた厚生労働省の高官は佐藤敏信保険局医療課長(当時)で、2008年に、「在宅と入院を比較した場合、在宅のほうが安いと言い続けてきたが、経済学的には正しくない。例えば女性が仕事を辞めて親の介護をしたり、在宅をバリアフリーにしたりする場合のコストなども含めて、本当の意味での議論をしていく時代になった」と率直に発言しました(2008年11月14日全国公私病院連盟「国民の健康会議」)。

地域包括ケアシステムの批判者の中には、厚生労働省がそれにより医療・介護費の抑制を目指していると主張されている方もいますが、厚生労働省の高官で、そのような発言をしている方はいません。ただし、医療・介護の実態を知らない経済官庁や政治家にはまだ、地域包括ケアシステムで費用が抑制できるとの誤解・幻想が残っています。

おわりに-地域包括ケアシステム確立の2つのブレーキ

最後に、今後、地域包括ケアシステムを確立する上での2つのブレーキについて述べます。私が本稿で一番強調したいのはこのことです。

私は、佐藤医療課長が「女性が仕事を辞めて親の介護をしたり」する場合のコストに言及していることに注目しています。地域包括ケアシステムでは、厚生労働省の定義する「共助」(社会保険)と「公助」の大幅拡大は想定されておらず、「自助」と「互助」の拡大が目指されており、「自助」の1つとして家族介護を拡大することが暗黙の了解とされています。しかし、それを無理に促進すると、現在年間10万人に上っている「介護離職」が増加し、それによりすでに生じている現役労働者の減少に拍車がかかる危険があります(総務省「平成24年就業構造基本調査」)。これは、安倍政権が表看板にしている「アベノミクス」の第3の柱である「成長戦略」の重大な障害になります。私はこの面から、今後、地域包括ケアシステムによる在宅ケアの拡大にはブレーキがかかると予想しています。

実は、「自助、互助、共助、公助」の4区分とそれぞれの定義を初めて提唱した2009年の「地域包括ケア研究会報告書」では、「自助」は「自ら働いて、又は自らの年金収入等により、自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持すること」(3頁)、「自らの選択に基づいて、自らが自分らしく生きる」(7頁)と、個人単位で定義されていました。それに対して、「互助は、家族・親族等、地域の人々、友人たち等との間の助け合い」と定義され、家族の助け合いは「互助」に含まれていました(7頁)。2010~2014年の「研究会報告書」には、「自助」・「互助」等のまとまった定義・説明はありません。

しかし、安倍政権が2013年8月に閣議決定した「社会保障制度改革プログラム法案」の「骨子」前文には、「自ら又は家族相互の助け合いによって支える自助・自立」と明記されていました(12:54頁)。最終的な法文ではこの表現は削除されましたが、家族の支援・介護を自助に含める考えは安倍首相・内閣の持論であり、最近の厚生労働省の地域包括ケアシステムの解説の中には、「自助:(中略)自身や家族による対応」と明記しているものもあります(ただし、「自助 自らのことを自分でする」と、家族を含めていない説明もあり、一定しません)【注3】

もう1つブレーキになるのは、「骨太方針2015」で、今後5年間、小泉政権時代を上回る医療・介護費の抑制が目指されていることです(20)。具体的には、「骨太方針2015」の今後5年間の社会保障関係費(国庫負担分)の自然増削減の「目安」は1.9兆円であり、医療危機・医療荒廃をもたらしたとして悪名高い「骨太の方針2006」の5年間の削減目標1.1兆円より、7割も多いのです。しかも、「社会保障給付費」総額(社会保険料と国・自治体負担の合計)のうち、国庫負担が3割(2015年度予算では29.1%)であることを踏まえると、国庫負担1.9兆円の削減は、社会保障給付費ベースではその約3倍の約6.3兆円もの削減をもたらすのです。

「骨太方針2015」も言葉としては、「地域包括ケアシステムを構築する」ことを謳っています。地域包括ケアシステムでは共助と公助(社会保険料と公費)の大幅な拡大は想定されていませんが、そうは言っても、それを全国レベルで普及するためには、相当の公的費用(社会保障給付費)の投入が不可欠です。しかし、「骨太方針2015」により、それに不可欠な公的費用が相当圧迫・圧縮される危険が強いと言えます。

【注1】私は1987年に、都市部では「システムからネットワークへ」と主張

私は、東大病院リハビリテーション部の上田敏先生(後に教授)の指導を受けながら、1975年~1985年に東京・代々木病院で、脳卒中患者を主な対象としたリハビリテーションの診療と臨床研究に従事しました。当時は、脳卒中リハビリテーションは温泉地のリハビリテーション専門病院で行うことが常識でしたが、専門設備・スタッフの不足する一般病院でも、当初は医師と看護師およびソーシャルワーカーが、その後理学療法士と作業療法士が加わり、チームを組んで「早期リハビリテーション」を行うことにより、8割の患者を直接自宅に帰すことが出きました。ただし、私は最初から「[一般]病院完結型」のリハビリテーションは目指さず、リハビリテーション専門病院や長期療養施設(大半は老人病院)との連携、つまり「地域完結型」リハビリテーションを目指しました。

この経験を踏まえて、1987年に出版した上田敏先生との共著『脳卒中患者の早期リハビリテーション』の「III.一般病院のリハの運営」の「4.地域ケアシステムの中で病院は中心的な役割をもつ」では、冒頭の見出しを「システムからネットワークへ」と付け、以下のように述べました(21:初版210頁。第2版224頁)。

「東京では地域社会全体の施設間連携はなくて、各病院の連携しかいえないんです。都会においては農村部におけるような医療機関の"地域割"がなく、各病院の診療圏が錯綜していますから。

ですから、いまはやりの言葉を使いますと、システムからネットワークへという問題だと思います。これはNaisbittが『メガトレンド』[三笠書店,1983]で強調している点ですけれども、要するにいままでシステムというと、上意下達の堅いシステムだけが考えられていた。各医療機関、あるいは福祉機関の、配置や機関としての連携をどうとるかということを考えていたのですが、大事なのは、患者を通した専門職同士の連携、ネットワークですね。こういうものがそれこそ網の目のようにできていないと、形式的に上からシステムを作ってもそれが生きないと思うのです。よく連携というと公式な制度が論じられることが多いのですが、少なくとも都市部ではそういうものはほとんど無力です。

とくに私たちは民間病院で国公立病院のような"権限・権威"は全くありませんから、個々の患者のケアをどうするかということを通して他組織の人々と結びつくしかない。逆にいうと、こういう人の結びつきが制度化されますと、非常に強いものになるということをとくに強調したい」。

手前味噌ですが、30年近く前に提起したこの視点は、現在の「地域包括ケア」、特に社会保障制度改革国民会議報告書の「地域包括ケアシステムというネットワーク」に通じると思います。

【注2】「システム」と「ネットワーク」は対立物ではなく連続

私は1996~1998年に「保健・医療・福祉複合体」の全国調査を行ってその実態を明らかにすると同時に、それの経済的・医療的効果と4つのマイナス面を指摘しました(9:36-43頁)。「複合体」は事業所レベルの「システム」とも言えますが、当時、地域・在宅ケアを熱心に推進されていた方は、それの意義を否定し、各種保健・医療・福祉サービスの連携(ネットワーク)を対置しました。それに対して私は、「連携と『複合体』とは『スペクトラム(連続体)』を形成している」と指摘し、以下のように述べました(22)

「全国的に見れば、独立した単機能の施設間の麗しい連携(ネットワーク)が有効に機能している地域は、保健・医療・福祉サービスのすべてが特別に充実しているごく一部の大都市部に限られる。逆に、大規模『複合体』がすべての保健・医療・福祉サービスの『囲い込み』を行っている地域も、ごく一部の農村部に限られる。これらを両端として、大半の地域では、入所施設開設『複合体』、『ミニ複合体』、単機能の医療・福祉施設とが競争的に共存しているのが現実である。正に、『真理は中間にある』と言えよう」。

私は地域包括ケアについても同様のことが言えると思います。特に保健・医療・福祉の人的・物的資源が限られている地方では、地域包括ケア「ネットワーク」の中心をその地方の代表的「複合体」が担うことになると思います。この意味では、地域包括ケアは「複合体」にとっての新たな「追い風」になると私は判断しています(10:174-175頁)

【注3】厚生労働省の「自助」の定義は2つある!?

本稿を執筆するために、厚生労働省の「地域包括ケアシステム」のウェブ上の説明を再チェックしたところ、「自立」の定義が2つあることが分かりました。

一番ポピュラーな「地域包括ケアシステム」のサイトの<地域包括ケアシステムの5つの構成要素と「自助・互助・共助・公助」>では、<自助 ■自分のことを自分でする ■自らの健康管理(セルフケア)■市場サービスの購入>、<「自助」には「自分のことを自分でする」ことに加え、市場サービスの購入も含まれる>と書かれ、家族には触れていません

(http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/index.html)。これは2009年の「地域包括ケア研究会報告書」の定義に近いと思います

それに対して、「介護予防・日常生活支援総合事業の推進に向けて 平成27年5月 厚生労働省老健局振興課」というサイトでは、<自助:・介護保険・医療保険の自己負担部分 ・市場サービスの購入 ・自身や家族による対応>と書かれ、家族が自助に含まれています(www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000087534.pdf)。これは2009年の「地域包括ケア研究会報告書」の定義とは明らかに異なります。

しかし不思議なことに、両サイトとも、相異なる「自助」の定義の出所として「平成25年[2013年]地域包括ケア研究会報告書」をあげています。ただし、その報告書にはこのような説明はありません。2013年の報告書では「本人・家族の選択と心構え」という新しい提起がされました。これは突き詰めれば、アメリカ流の個人を絶対化する自己決定論への「異議申し立て」と言えると思いますが、これはあくまで「意思決定」についてのことであり、ここから「自助」=「自身や家族による対応」とすることはできません。

いずれにせよ、このような異なる「自助」の説明の併存は不適切であり、地域包括ケアの実践者・研究者の間に混乱をもたらしています。厚生労働省は早急に「統一見解」を示すべきと思います。

なお、伝統的な「自助・互助(または共助)・公助」の3分類では、「家族」は「互助(共助)」に入れる理解が一般的でした。それに対して、2012年の「社会保障制度改革推進法」の下敷きとされた自民党「社会保障制度改革基本法案」(2012年6月)は、「自らの生活を自ら又は家族相互の助け合いによって支える自助」、「家族相互の助け合いを通じた自助」と、個人と家族を一体化して「自助」と見なしました(12:161-162頁)。この見解が、本文で紹介した2013年の「社会保障制度改革プログラム法案」の「骨子」前文で復活し、その後の安倍政権の医療・社会保障政策にも踏襲されていると考えられます。

文献

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5. 拙近著『地域包括ケアと地域医療構想-安倍政権の医療・社会保障改革Ⅱ』(勁草書房、2015年10月10日出版予定,2700円+税)目次

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6. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算114回.2015年分その5:5論文)
「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○医療と社会サービスの財源統合:エビデンスのレビュー
Mason A, et al: Integrating funds for health and social care: An evidence review. Journal of Health Services Research & Policy 20(3):177-188,2015.[文献レビュー]

医療と社会的ケア(以下、社会サービス)の財源を統合すること(1つの基金にすること)は、多様なサービスを必要とする人々のケアを改善するための1つの方法である。もし統合され基金がサービスのコーディネーションを促進するなら、患者の満足度は向上し、医療・社会サービスのアウトカムは改善し、不要な入院や退院の遅れを減らし、費用も減らすことができるかもしれない。本研究では、このような可能性が現実に生じているかを検証する。

統合化された基金がサービスのコーディネーションを促進するために果たす役割を理解するためのエージェンシー理論に基づく分析枠組みを示し、期待された効果が現実に生じているかについてのエビデンスをレビューする。8つの電子化されたデータベースと関連するウェブサイト等から研究を探索し、それらの文献から財源統合のタイプ、それらの便益と費用(予期せざる費用を含む)、および統合実現のバリアーを抽出した。最後に得られた知見を上述した分析枠組みにより解釈した。

最終的に、8か国の38の研究をレビューした。ランダム化比較試験(6研究)により得られたエビデンスの大半はオーストラリアから得られ、非ランダム化比較試験のエビデンスはオーストラリア、カナダ、イングランド、スウェーデン、アメリカから得られた。どの比較試験も、財源統合の効果を単独では検討していなかった。それに代わり、多くの研究は「財源とケアの両方の統合」の通常ケアに対する効果を評価していた。大半の研究(24/38)は保健医療アウトカムを比較しており、そのうち半数以上では保健医療面での有意な効果を得られていなかった。34研究で、統合がセカンダリケア(入院)の費用と利用に与える影響が評価されていた。そのうち11研究では、有意の効果がなかった。3研究のみ、セカンダリケアの費用と利用が有意に減少したと報告していた。残りの19研究では、明確なエビデンスは得られなかった。一部の研究では退院の遅れの減少が短期間みられたが、早すぎる退院や再入院リスクの増加という予期せぬ結果を伴ったとの報告もあった。持続的な入院利用の減少はどの研究でも認められなかった。統合の主要なバリアは、たとえ法・行政的支援があっても、財政統合を実施するのが困難なことであった。財源がきちんとプールされているばあいでも、予算執行者のサービスアクセスに対するコントロールは限定されていた。パフォーマンスの分析枠組み、優先順位、ガバナンスのスタイルの違いによるバリアがイギリスでは顕著であった。別々の情報システムをリンクすることの困難さは多くの国でみられた。このようなバリアにもかかわらず、多くの研究-健康改善や費用削減に失敗したものも含めて-は、ケアへのアクセスは改善したと報告していた。一部の研究では、統合により従来満たされていなかったニーズが相当発見され、それにより総費用が増加していた。

政策レベルでは、多くの場合、財源を統合すればケアの統合が促進され、健康アウトカムは改善し、費用は削減されると想定されている。しかし、エージェンシー理論に基づく分析枠組みも、実証研究で得られたエビデンスも両者のリンクは弱いことを示している。ケアの統合は満たされていなかったニーズを掘り起こす可能性がある。これを満たすことは個人にとっても、社会にとっても利益になるが、総費用は増加する可能性が高い。統合がQOLの改善をもたらすことを踏まえると、たとえ追加的費用が必要でも、統合は費用に見合った価値を提供する可能性がある。

二木コメント-ヨーク大学の医療経済学センター所属の4人の研究者による、スゴイ文献レビューで、「地域包括ケアシステム」研究者必読と思います。タイトルは「財源統合」ですが、レビューされたほとんどの論文は、医療と社会サービス(介護・福祉)の財源と実際のサービス提供の統合の両方の効果を検討しています。統合により、当初期待されていた費用節減は生じないが、サービスの質(アクセスも含む)は向上するので、「費用に見合う価値がある」との結論も説得力があると思います。

○イングランドにおける医療と社会サービスの統合-進歩と展望
Humphries R: Integrated health and social care in England - Progress and prospects. Health Policy 119(7):856-859,2015.[政策研究]

本研究では、イングランドにおける医療と社会的ケア(社会サービス)との統合を促進するための近年の政策をレビューする。これは連合王国政府が過去40年以上も追求してきた政策目標だが、全体的な進歩は断片的・限定的である。保守党と自由民主党の連立政権は、サービス統合のための新しい国家的枠組みと様々な新しい政策を導入した。後者には、「パイオニア」プログラム、新しい財源プール(「より良いサービス基金」)の導入や「パーソナル・コミッショニング」の新プログラム[包括的医療・社会サービス提供のための個人別基金。個人がその使途を選択できる]を含んでいる。NHSも医療提供の新モデルの開発を始めたため、更なる変化が生じる可能性がある。このような従来とは異なる政策手段とそれらの実施方式の間には大きな緊張がある。これら全体の影響を評価するのは早すぎる。しかし、サービスの統合が相当の費用節減をもたらすとの期待は、いままで得られているエビデンスからは支持されない。地方レベルでの努力だけでは、NHSと社会サービス・システム間にある、サービス利用資格、財政およびサービス提供面での根本的差を乗り越えることはできない。2015年5月の下院議員選挙[保守党が議席の過半数を獲得し、連立政権から単独政権に移行-二木]に向けて、すべての政党が医療と社会サービスの統合を主張しているが、しかしそれを達成するための最良の方法についての明確なエビデンスは相変わらずアイマイである。

二木コメント-イギリス政府の医療と社会サービス(介護・福祉)の統合を目指す最新の政策が簡潔に分析されています。「統合」は日本だけでなく、イギリスでも「言うは易く、行うは難し」のようです。この論文でも、統合による費用節減は政治レベルでは期待されているが、研究者は否定的であることことが分かります。

○再入院[減少]政策比較のためのロードマップをデンマーク、イングランド、ドイツ、アメリカに適用する
Kristensen SR, et al: A roadmap for comparing readmission policies with application to Denmark, England, Germany and the United States. Health Policy 119(3):264-273,2015.[国際比較]

病院への再入院が政策担当者の関心をますますひくようになっている。というのは、不必要な再入院の減少は、医療の質の改善と医療費節減の両方を同時に実現する可能性があるからである。本論文では、デンマーク、イングランド、ドイツ及びアメリカ(メディケア)の再入院[減少]政策をレビューする。あらかじめロードマップを示唆することにより、研究者と政策担当者が体系的に再入院政策を比較・分析できるようにする。再入院政策について、4か国の間には相当の差があった。ドイツでは、再入院政策はDRGに基づく支払い導入の意図せざる結果を除去することを目的にしており、DRGに基づく支払い対象の患者と病院に焦点を当てていた。デンマークとイングランドとアメリカでは、再入院政策は医療の質の向上を目的としており、再入院率に焦点を当てていた。デンマークでは各病院の再入院率は公開されていたが、病院への支払いはそれにより調整されていなかった。イギリスとアメリカでは、再入院率が特定のベンチマークを超える病院に対して財政的ペナルティが課されていた。イングランドではこのベンチマークは、地方レベルでのクリニカル・レビューに基づいて定められているが、アメリカではリスク調整済みの全国平均再入院率に基づいている。現時点では、再入院政策の最適デザインについて勧告できるほどのエビデンスは存在しない。

二木コメント-再入院政策についての貴重な国際比較です。日本でも、今後地域医療構想により在院日数の更なる短縮が進めば、再入院率が医療(政策)の質の重要な指標になると思います。

○[アメリカの]医療費が高額な障害認定メディケイド受給者に対する集中的ケアマネジメントのランダム化比較試験
Bell JF, et al: A randomized controlled trial of intensive care management for disabled Medicaid beneficiaries with high health care costs. Health Services Research 50(3):663-689,2015.[量的研究]

障害認定を受けたメディケイド受給者は、受給者総数の5%にすぎないが、その医療費はメディケイド総費用の5割超である。本研究の目的は、このような医療費が高額な障害認定メディケイド受給者に対する、地域を基盤とする看護師主導の多職種参加ケアマネジメントのアウトカムを評価することである。2008~2011年のワシントン州社会・保健医療サービス・クライエント・データベースを用いた。ランダム化比較試験の「治療意図解析」(intent-to-treat analysis:2群へのランダム割り付け後の変化は無視して、最初の割り付けのまま結果を比較する)により、介入群(557人)と対照群(563人)のアウトカムを比較した。両群とも、約半数が重度の精神疾患を有していた。擬似実験法による部分解析により、実際に実験に参加した群(251人。当初介入群に割り付けられた者の45%。以下、実験参加群)とプロペンシティ・スコアをマッチングした対照群(251人)のアウトカムも比較した。種々の行政データをリンクさせ、対象の保健医療サービスの費用と利用、犯罪による検挙、ホームレス状態、死亡のデータを得た。

治療意図解析では、介入群は対照群に比べて、実験開始後の外来精神保健医療サービスの利用と処方薬の費用のオッズ比が高かった。部分解析では、実験参加者は対照群に比べ、予定外の入院と間接経費が少なく、処方薬の費用は高く、長期ケア利用のオッズ比が高く、薬物・アルコール嗜癖の治療費用が高く、ホームレス状態になるオッズ比が低かった。結論として、障害認定メディケイド受給者に対する集中的ケアマネジメントによる保健医療費の節減は認められなかった。実験参加群では、ケアマネジメントは必要なケアへのアクセスを増し、予定外の入院とその費用の増加を抑制し、ホームレス状態を予防する潜在的可能性がある。このような知見は、費用とリスクの両方が高いメディケイド受給者を対象としたケアマネジメントを開始する際に応用できる。

二木コメント-重度の障害を持つ人々に対するケアマネジメントは、必要なニーズの掘り起こしをするため、ケアの質が上がる反面、費用も高くなるという、ある意味で当然の、しかし日本のケアマネジメントの効果についての議論では見落とされがちな結果です。

○[アメリカの]メディケイドの50年:予期せぬ政治[的要因]に助けられ急成長
Sparer MS: Medicaid at 50: Remarkable growth fueled by unexpected politics. Health Affairs 34(7):1084-1091,2015.[歴史研究]

メディケイド費用は1980年代中葉から、保守的共和党政権の時代もリベラルな民主党政権の時代も、急増し続けている。なぜこのようなことが生じたのか?答えは次の3つの政治的要因に根ざしている:利益団体、政治文化、そしてアメリカ特有の連邦主義である。第1に、利益団体(病院、ナーシングホーム、民間保険)の支持が分断された集団(報酬が低く抑えられている診療所医師)の反対を上回った。第2は、メディケイドは連邦と州の共同事業であるため、連邦政府による医療統制という保守派の批判を部分的に中和したからである。第3に、メディケイドの連邦・州政府間財政連携が州・連邦両方の担当者に、給付対象拡大の財政的インセンティブを与えたからである。メディケアの拡大により、それのアメリカの医療制度における役割はますます強まっている。このような制度的ダイナミズムは「触媒作用のある(catalytic)連邦主義」と呼べる。

二木コメント-1965年にメディケアと共に創設されたメディケイドの50年を、5期に分けて簡潔に解説しています。保守的共和党政権の時代にもメディケイド費用が急増した政治的要因がよく理解できます。

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7. 私の好きな名言・警句の紹介(その127)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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