『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻142号)』(転載)
二木立
発行日2016年05月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
- 1. 論文:改めて、2025年に「必要病床数」は大幅減少するか?
(「二木学長の医療時評」(137)『文化連情報』2016年5月号(458号):18-22頁) - 2. 書評:空閑浩人『ソーシャルワークにおける「生活場モデル」の構築-日本人の生活・文化に根ざした社会福祉援助』ミネルヴァ書房,2014年10日,6000円+税
(『地域福祉研究(日本生命済生会)』公44号:163-164 頁,2016年3月31日) - 3. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算122回.2016年分その2:6論文) - 4. 私の好きな名言・警句の紹介(その137)-最近知った名言・警句
- 参考:巻頭言 2017年の3団体統合・「ソ教連」発足へ大きく前進した1年(「学校連盟通信」(日本社会福祉士教育学校連盟)第69号:1-2頁,2016年3月31日:
http://www.jassw.jp/data_room/index.html)
お知らせ
- 「厚労省PT『福祉の提供ビジョン』をどう読むか」(2015年11月1日第45回全国社会福祉教育セミナー【京都2015】ソ教連主催緊急企画・発題1。本「ニューズレター」137号(2015年12月)に掲載)が『日本福祉大学社会福祉論集』( No.134:1-8頁,2016年3月31日)に掲載されました。(日本福祉大学機関リポジトリに全文公開:https://nfu.repo.nii.ac.jp/)
- 同誌(191-201頁)には丁炯先教授(延世大学保健科学大学院)の論文「韓国医療制度改革の争点と課題」も掲載されました。これは、2015年10月17日に日本福祉大学東海キャンパスで開かれた、第10回韓日定期シンポジウム(日本福祉大学・延世大学共催)での発表に加筆したものです。丁炯先教授は、韓国の医療政策研究の第一人者で、政府の政策決定にも深く関与されています。御一読をお薦めします。
1. 論文:改めて、2025年に「必要病床数」は大幅減少するか?
(「二木学長の医療時評」(137)『文化連情報』2016年5月号(458号):18-22頁)
はじめに
今回は、2025年に「必要病床数」が大幅に減少するとの2つの将来予測の妥当性を検討します。1つは、『日本医事新報』2015年6月27日号で検討した政府の社会保障制度改革推進本部「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会第1次報告」(以下、「専門調査会第1次報告」)の再検討・補足です(1)。もう1つは、千葉大学医学部付属病院グループの「入院受療率のトレンドとアクセス性を考慮した必要病床数の推計」(以下、「千葉大報告」)です(2)。
前者を再検討するのは、文献(1)の私の分析に重大な見落としがあることが分かったからです。後者を検討するのは、専門調査会とは全く別の方法・仮定で今後の入院患者数・必要病床数を推計したにもかかわらず、2025年の精神を除いた必要病床数は107万床と、「専門調査会第1次報告」の推計(115-119万床)とほぼ同じ結果を出しているからです。ただし、本稿でも、今後の病院病床の大幅削減が困難であり、2025年の病床数は「現状の135万床程度になる」、「ただし今後の人口減少が大きい構想区域では、病床機能の転換を迫られることになる」との、文献(1)の「結論」は変わりません。
「専門調査会第1次報告」の必要病床数の推計
「専門調査会第1次報告」は、今後病院の「機能分化・連携」を促進することにより、病床当たりの医療資源総量の増加と平均在院日数の短縮を見込まなくても、「2025年の医療機能別必要病床数」は115~119万床程度(高度急性期13.0万床程度+急性期40.1万床程度+回復期37.5万床程度=小計90.6万床程度。慢性期24.2~28.5万床程度)になると推計しました。これは現状(2013年)の病床総数134.7万床(一般病床100.6万床、療養病床34.1万床)よりも15.7~19.7万床少ない数字です。「機能分化等をしないまま高齢化等を織り込んだ場合」に必要となる152万床程度(「現状投影シナリオ」)と比べると、実質33~37万床もの削減になります。
以上の「必要病床数」の推計は、2015年3月に発表された厚生労働省の「地域医療構想策定ガイドライン」(以下、「ガイドライン」)に含まれた「2025年の医療需要の推計方法」に基づいたとされていました。私も、それに基づけば、現在の療養病床(2025年は慢性期病床)が34.1万床から24.2~28.5万床程度へと5.6~9.9万床減るのは理解できました。しかし、現在の一般病床(2025年の高度急性期・急性期・回復期病床)が100.6万床から90.6万床へと10万床もなぜ減るのかは分かりませんでした。
一般病床の175点未満の全患者を「在宅医療等」へ
しかし、その後「ガイドライン検討委員会」の複数の委員から、「ガイドライン」には「一般病床の入院患者数(中略)のうち医療資源投入量が175点未満の患者数については、在宅医療等で対応する患者数の医療需要として推計する」(20頁)と明記されていることを教えて頂きました。私も、この表現には気付いていましたが、それに続いて「慢性期機能及び在宅医療等の医療需要については、一体的に推計する」とも書かれていたため、175点未満の全患者を在宅医療等(介護施設や高齢者住宅を含む)に移行させる意味だとは理解できませんでした。なお、この前提・仮定はガイドライン検討委員会の検討の最終局面で厚生労働省から提案され挿入されたが、その根拠は示されず、しかも現在175点未満の患者がどのくらいいるかの説明はなかったそうです。
「ガイドライン」の「2025年の医療需要の推計方法」(13頁)では、2025年の入院受療率は「2013年度の性・年齢階級別の入院受療率」と等しいとされていましたが、この前提・仮定は、入院受療率の低下・削減の密輸入と言えます。しかし、それにより、現在の一般病床が、計算上は2025年に10万床減ると推計されることは理解できました。
ただし、これを実現する対策については、現在に至るまでまったく示されていません。この点は、療養病床・慢性期病床の削減については、「療養病床の在り方等に関する検討会」で詳細な検討が行われ、1月28日に「慢性期の医療・介護ニーズへ対応するためのサービスモデル」(医療内包型2案と医療外付型1案)が示されたのと対照的です。私も現在一般病床に入院している患者のうち資源投入量が175点未満の患者の相当部分は、医学的には退院可能な「社会的入院患者」である可能性が高いと思います。しかし、彼らのうち「自宅退院」できる患者は必ずしも多くなく、これらの患者が「在宅医療等」に移行するためには、高齢者向け施設・住宅の大幅整備が不可欠と思います。
「千葉大報告」の必要病床数の推計
「ガイドライン」・「専門委員会第1次報告」が、今後現在の性・年齢階級別入院受療率が2025年まで変わらないと仮定しているのとは逆に、「千葉大報告」は、1996~2011年の15年間に男女とも、すべての年齢階級で入院受療率が低下し続けている(年率平均マイナス0.6%)事実に注目し、この「トレンド」(1999~2005年の実績値)が2025年まで継続すると仮定して、2025年の1日当たりの精神を除いた入院患者数が114万人になると推計しました(ただし、「専門調査会第1次報告」と異なり、医療機能別の推計はしていません)。これを病床稼働率で割り戻すと、必要病床数は107万床となり、現在よりも25.5万床の「配置変更」が必要となるとしています。
「千葉大報告」の推計の特徴は、「専門調査会第1次報告」と異なり、病院病床の機能分化・連携を前提とはせず、「現在の制度運用、社会状況、医療的な状況が継続」するとした場合も、必要病床数は大幅に減少するとしている点です。この視点から、「千葉大報告」は、「長期にわたって受療率は低下しているので、われわれは無理な制度運用を行わなくても、現状程度の努力で入院患者数と必要病床数は減少すると考えている」、「むしろ無理に病床を削減するという政策が導入されれば自然に減少する以上に病床が削減されるおそれがある」と述べています。これは大変重要な警告と思います。
入院受療率低下の2つの要因ー病院職員数と高齢者施設の増加
「千葉大報告」は、近年の入院受療率低下の要因の「4つの候補」について定性的に検討しています。それらは、①医療法による病床規制で新規の増床は容易ではなかった、②診療の効率化が行われた、③医学・医療の進歩、④国民の健康状態そのものの向上です。さらに、「高齢の貧困層の増加、終末期に対する価値観の変化は新たな受療率の低下要因として影響を与えるかもしれない」とも述べています。千葉大学の研究者には、今後、これらの要因の定量的検討をすることを期待したいと思います。しかし、これらの要因には、従来の医療政策の実証研究で確認されている2つの重要な要因が抜けています。
1つは、病院の病床当たり職員数が増加した結果、平均在院日数が大幅に短縮し、1病床当たりの実入院患者数が増加したことです。具体的には、2000~2014年の14年間に、病院総数の100床当たり常勤換算職員総数は99.7人から130.3人へと30.6人(30.7%)増加し、平均在院日数は39.1日から29.9日へと9.2日(23.5%)も低下しました。「千葉大報告」も上記②の要因で、在院日数の短縮にはふれていますが、それをもたらした病床当たり職員数増加には触れていません。
なお、病床当たり職員数と平均在院日数との間に逆相関があることは、日本では1987年に私が最初に指摘しました。具体的には、厚生省国民医療総合対策本部中間報告の「長期入院の是正」方針を検討したときに、「日本の病院のマンパワーの不足が入院期間の長期化をまねていていること」の例として、病院「開設者別一般病院の平均在院日数と従事者数」との間に強い逆相関(相関係数=-0.875)があることを示しました(3)。国際的に見ても、平均病床数と病床当たり従事者数との間に逆相関があることは、近年は、厚生労働省も公式に認めるようになっています(厚生労働省「医療・介護に係る長期推計」2011年6月2日(11頁)「平均在院日数と1病床当たり職員数~各国の状況」)。ただし、この逆相関については、財政制度等審議会や地域医療構想などの議論では「封印」されています。
もう1つは、2000年の介護保険制度創設以降(正確には、1989年の「ゴールドプラン」以降)、公的高齢者施設が急増し、それが特に病院機能を相当「代替」したことです。具体的には、2000~2014年の14年間に、病院病床総数は164.7万床から156.8万床へと7.9万床減少しましたが、公的高齢者施設の代表である特別養護老人ホームと老人保健施設の合計定員数は53.2万人から86.1万人へと32.8万人も増加しました(表)。これは、病院病床の減少の実に4.2倍です。
ちなみに、私は、1985年に、「病床数・老人ホーム定員数の国際比較」(日本を含めた7か国比較)を行い、「先進資本主義国間では[病院病床数+老人ホーム定員数]=一定、という関係が存在する可能性を示唆」しました(4)。さらに、1990年には、対象を15か国に拡げてこの関係を再検討し、「老人収容ケア施設と病院とは代替関係」にあることを定量的に示しました(5)。
入院受療率は今後も低下し続けるか?
このような在院日数低下や公的高齢者施設の増加が今後も続いた場合には、入院受療率は低下し続ける可能性があります。しかし、「骨太方針2015」により、社会保障関係費(国費)の増加は、今後3~5年間、人口高齢化相当分(5000億円)以外は認められないことになりました。今後も、医療の高度化により1病床当たり職員数は増加すると思いますが、今までのようなペースでの増加は難しく、その結果、平均在院日数の減少スピードも鈍化すると思います。「専門調査会第1次報告」が、2025年の必要病床数の推計時に、医療資源総量の増加も、在院日数の短縮も組み込んでいないのは、この点を見越しているのかも知れません。
さらに同じ理由で、公的高齢者施設の増加も、今後は相当抑制されることは確実です。政府は、それに代えて、公的負担が少ない有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅の整備を奨励すると思いますが、これらは公的高齢者施設に比べて利用料がはるかに高いため、低所得層には「高嶺の花」であり、現在、療養病床や一般病床に入院している患者の大幅移行は困難と思います。
おわりに-医療・介護施設全体の必要数の推計を
最後に、「専門調査会第1次報告」と「千葉大報告」の両方に私が感じる違和感を述べます。それは、両者とも「必要病床数」の推計に終始し、それと密接な関係(代替・補完関係)にある高齢者施設の必要数の推計を行っていないことです。これは「社会保障制度改革国民会議報告書」(2013年8月)が、「医療・介護分野の改革」で、「医療と介護の一体的な改革」を強調していたことと対照的です。
それに対して、厚生労働省は本年2月12日に、2013年度の都道府県別の「被保険者一人当たりの医療費と介護費」を合計した資料を公表しました(経済・財政一体改革推進委員会・第7回社会保障ワーキンググループ。資料3)。厚生労働省・政府や千葉大学の研究グループには、これと同様に、医療施設に(公私)高齢者施設を加えた2025年の必要数の推計を行うことを期待します。
文献
- (1)二木立「病床『20万削減』報道をどうみるか?『専門調査会第1次報告』と『ガイドライン』との異同の検討」『日本医事新報』2015年6月27日号(4757号):15-16頁(二木立『地域包括ケアと地域医療連携』勁草書房,2015,第2章第1節(51-58頁))。
- (2)井出博生・他「入院受療率のトレンドとアクセス性を考慮した必要病床数の推計」『社会保険旬報』2015年8月21日号(2613号):14-21頁。元報告は平成26年度厚生労働科学研究費補助金・地域医療基盤開発推進研究事業「医療需要及び医師供給に関する多変量推計モデル」H26-医療-指定-027。研究代表者:藤田伸輔)。
- (3)二木立「国民医療総合対策本部中間報告が狙う医療再編成の盲点(上)」『社会保険旬報』1987年9月21日号(1591号):10-14頁(二木立『リハビリテーション医療の社会経済学』勁草書房,1988,44-48頁)。
- (4)二木立『医療経済学』医学書院,1985,198-201頁。
- (5)二木立『現代日本医療の実証分析』医学書院,1990,第1章「わが国病院の平均在院日数はなぜ長いのか?」(1-19頁)。
[本稿は『日本医事新報』2016年4月9日号掲載論文「2つの『必要病床数』大幅減少予測をどう読むか?」に加筆したものです。]
表 病院・公的高齢者施設の推移(2000-2014年)
表 病院・公的高齢者施設の推移(2000-2014年) | |||
---|---|---|---|
2000年 | 2014年 | 差(増減率) | |
病院 | |||
100床当たり職員数 | 99.7 | 130.3 | +30.6人(+30.7%) |
平均在院日数 | 39.1 | 29.9 | -9.2日(-23.5%) |
病床数 | 1,647,253 | 1,568,261 | 78,992床(-4.5%) |
公的高齢者施設定員 | |||
特養ホーム定員 | 298,912 | 498,327 | +199,415人(+66.7%) |
老健施設定員 | 233,536 | 362,175 | +128,639人(+55.1%) |
計 | 532,448 | 860,502 | +328,054人(+61.6%) |
資料:
厚労省「医療施設・病院報告」
厚労省「介護サービス施設・事業所調査」
2.書評:空閑浩人『ソーシャルワークにおける「生活場モデル」の構築-日本人の生活・文化に根ざした社会福祉援助』(ミネルヴァ書房,2014年10月,6000円+税)
(『地域福祉研究(日本生命済生会)』公44号:163-164頁,2016年3月31日)
アメリカ直輸入ではない、「日本人の生活・文化に根ざした」ソーシャルワーク理論が初めて誕生した!これが、本書を読んでの率直な感想です。「ここは日本であり、私が働いているのは日本の社会福祉施設であり、日々の仕事でかかわる利用者の多くは日本人であるのに、なぜアメリカのソーシャルワーク理論ばかりが語られるのか」。「あとがき」冒頭に書かれている、著者が約25年前に抱いたこの疑問を、私も共有します。私の専門の医療経済・政策学では、アメリカの医療や医療政策を美化する研究者はほとんどいないのと対照的に、社会福祉分野では「アメリカのソーシャルワーク理論ばかりが語られる」ことに、以前から疑問を持っていたからです。
私が本書に出会うまで
本書の内容を紹介する前に、私が本書に出会った経緯を書きます。私は1972年に医学部を卒業してから13年間、東京の地域病院(代々木病院)の常勤医で、脳卒中患者の早期リハビリテーションの診療と臨床研究に従事しました。1985年に日本福祉大学教授になってからも、2004年まで非常勤医として診療を続けました。同病院のリハビリテーションチームには、ごく初期から医療ソーシャルワーカー(MSW)が参加しました。
そのため、私が指導している大学院生のなかには現役MSWが少なくなく、彼らの研究テーマの多くは入院患者の退院支援・居所選択に関わるものです。退院支援では患者だけでなく家族への支援も不可欠であり、しかも、患者本人と家族は一体ではなく、特に障害が重度の場合、退院先に関して葛藤・緊張が生まれるのが普通です。この現実を反映し、医療ソーシャルワークの教科書は、MSWは「患者と家族の関係」への配慮が必要と書いています(田中千枝子『保健医療ソーシャワーク論』勁草書房,2008,34-35頁)。
しかし、社会福祉・ソーシャルワークの原理論の研究書で、このことを正面から論じたものはほとんどありません。例えば、児島亜紀子氏「誰が『自己決定」するのか」(『援助するということ』2002,有斐閣,第4章)は、自己決定について多面的に検討していますが、それを行うのはクライエント本人のみと前提し、家族は、援助専門職、医療関係者等とまとめて「ケアラー」としています。ソーシャルワーク・対人援助の教科書も、「クライエントを個人としてとらえる」「バイステックの7原則」を(私からみると)無批判に紹介しているだけです。そのために、あるMSWの院生から「自分は患者と家族の両方を支援しているが、これはバイステックの原則に反しているのでしょうか?」と質問されたこともあります。
そんな折りに、教え子のMSW出身の研究者から、空閑氏が本書で、「日本人の生活や文化に根ざしたソーシャルワークのあり方」=「生活場モデル」を構想し、「『生活場』として『家族』へのアプローチ」を正面から論じていると教えてもらい、本書を熟読しました。
本書の構成と概要
本書は、序章・終章を含め、全3部11章の構成です。序章「ソーシャルワークの『日本モデル』とはなにか」は、日本の社会福祉・ソーシャルワーク研究の大家が、異口同音に「アメリカ社会で発展してきたソーシャルワークを、そのまま日本の現場に適用してもはたして役に立つのか」と指摘しながら、問題提起だけに終わっていたことを実名をあげて指摘・批判し、「日本的なもの」に根ざしたソーシャルワーク論を確立する必要性を主張しています。
第I部「『社会福祉援助』としてのソーシャルワークの基盤」は文献研究で、「人間の『生(ライフ)』への視点と『かかわり』の意味」、「ソーシャルワークにおける『ソーシャル』の意味」、「『生活』とその『主体』としての個人への視点」を、丁寧に(ややくどいほど)検討しています。
第II部「日本人の生活・文化と『生活場モデル』の構想」は理論研究で、「『世間』に生きる日本の『個人』へのソーシャルワーク」と「『受け身的』な対人関係と日本人の『主体性』」について、「『人間存在』のあり方にさかのぼって」検討した上で、「『場の文化』に基づく『生活場モデル』の構想」を示しています。具体的には、日本のソーシャルワーク実践が「いたずらに個人としての『強さ』を利用者に求め、自己決定や自律を強いることになってはいないだろうか」と問い、「日本人とその日常生活において大切なのは、『個』としての強さよりもむしろ、人と人との関係性(間柄)のあり方であり、それを支える『場』のあり方」とし、このような「『場』を基盤にして展開されるソーシャルワークの『生活場モデル』」を「日本モデル」として提唱しています。
第III部「『日本モデル』としての『生活場モデル』の展開」は実証研究で、日本のソーシャルワーカーによる実践や思考の言語化を試みています。第7章「『生活場モデル』の基礎となる『生活』へのアプローチ」では、福祉系学生が書いた実習日誌や実習記録へのソーシャルワーカーの「コメント」の詳細な分析と考察を行っています。第8章「日本人の『生活場』としての『家族』へのアプローチ」では、高齢者福祉施設職員へのグループ・インタビューの結果の分析と考察を行い、「利用者と家族の気持ちの『ずれ』」等を指摘し、「『家族』を意識した生活支援のあり方」を論じています。第9章「日本のソーシャルワークとしての『生活場モデル』の展開」で、利用者や家族とのコミュニケーションを図るための「援助関係の構築」、「援助対象理解の視点」、「援助目標・計画の策定と援助方法」を提起しています。
終章「ソーシャルワーカーの『日本モデル』の発展と成熟」では、「『日本国籍』をもつソーシャルワーク研究」を提起しています。ただし、著者はそれが「日本の中だけというような閉鎖的な方向へと向かうものではない」とし、「いわば文化を超えたソーシャルワークのさらなる普遍性を見いだす道が開かれる」と展望しています。
「日本モデル」を超えた普遍的モデル
著者が提唱した「生活場モデル」は「individualとしての『個人』を前提とし、いたずらにそのような『個人』の強さや自律を求める」(138頁)、アメリカ流の個人モデル・「技術主義」モデルに代わる、ソーシャルワークモデルです。
著者は、「生活場モデル」を謙虚に「日本モデル」と呼んでいますが、私は、終章の「『生活場モデル』も、『場と相互作用』を基盤とすることで、いわば近代のソーシャルワークを超えた現代のソーシャルワークを見出していくことにつながる」(220頁)等のさりげない記述から、著者が「生活場モデル」が「日本モデル」という「特殊モデル」の枠を超えた「普遍的モデル」であると密かに考えていると推察しました。私もそれに賛成です。また、「生活場モデル」は近年ヨーロッパで注目されている「社会的包摂」概念とも近く、この点でも普遍性があると感じました。
他面、「生活場モデル」と「日本型モデル」との関係の記述はアイマイです。本書の多くでは両者が等値されていますが、「『生活場モデル』を含めたソーシャルワークの『日本モデル』」(204頁)とも書かれています。私自身は、「生活場モデル」が普遍的モデルであり、その中にクライエントと家族との関係を特に重視する「日本型」または「アジア型」特殊モデルがあると理解する方がスッキリすると感じました。最後に、これは無い物ねだりかもしれませんが、第I部に、クライエントと家族の関係についての文献・理論研究の章も加えていただきたかったと思いました。
3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算122回.2016年分その2:6論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○[アメリカにおいて]軽症疾患での「コンビニクリニック」受診は医療利用と医療費を増加させる
Ashwood JS, et al: Retail clinic visits for low-acuity conditions increase utilization and spending. Health Affairs 35(3):449-455,2016.[量的研究]
「コンビニクリニック」(retail clinics)は、薬局やスーパーマーケット等に併設され、主として尿路感染症や副鼻腔炎等の軽症疾患の治療や予防接種等を行い、夜間や週末にも予約なしで受診できるので、患者にとって医師診療所や病院の救急外来に比べて便利である。コンビニクリニックは全米に約2000あり、年間約600万人の患者が受診している。政策担当者や保険者は、コンビニクリニックは病院の救急外来や医師診療所の受診を代替し、医療費を抑制する方策と見なしている。逆に、コンビニクリニックが新しい医療利用を掘り起こすことにより、医療費を増加させる可能性もあるが、この点についての実証研究はまだない。そこで、コンビニクリニック受診が、医療利用を掘り起こしているのか、それとも高額な医療の代替になっているのかを評価するために、Aetna(大手保険会社)の2010~2012年の医療費請求データを用いて、2年間に11の軽症疾患で医療機関を受診した被保険者のうち、一度でもコンビニクリニックを受診した者(約52.0万人)と一度も受診しなかった者(約86.2万人)の医療利用と医療費を比較した。その結果、軽症疾患でのコンビニクリニック受診の58%は新しい医療利用、残り42%は医師診療所受診の代替であり、それによりコンビニクリニック受診は少額の医療費増加(1人当たり年間14ドル)をもたらしていることが分かった。この結果は、コンビニクリニックが医療費を抑制するとの考えを支持しない。
二木コメント-「コンビニクリニック」は新しい医療需要を喚起することにより、医療費を増加させるという、ある意味で当たり前の結果で、「供給者誘発需要」と言えます。
○何がアメリカ国民の医療制度への不満足をもたらしているのかを理解する:国際比較
Hero JO, et al: Understanding what makes Americans dissatisfied with their health care system: An international comparison. Health Affairs 35(3):502-509,2016.[国際比較研究]
何十年にもわたって、アメリカ国民の医療制度に対する満足度は他の高所得国に比べて低い。アメリカ国民のこのような特性についての理解を深めるために、ISSP研究グループが2011~2013年に行った国際調査データを用いた回帰要因分解法(regression decomposition methods)により、医療制度にたいする満足度の決定要因をアメリカと他の17の高所得国とで比較した。その結果、アメリカ国民は他の高所得国に比べて、医療満足度のうち「もっとも適切な医療」を受けられることへの心配を、より重要と見なしていた。他面、アメリカ国民は、病院・診療所受診での満足度は、他国よりも高かった。同じアメリカ国民でも社会経済的グループ間で最も適切な医療を受けることへの心配についての回答は異なり、これにはグループ間の医療保険加入率や加入している保険の給付範囲の違いが影響していることを示唆していた。
二木コメント-国際比較で回帰要因分解法を用いたことが新しい反面、その説明は非常に分かりにくいと感じました。ざっくりと言えば、アメリカ国民の医療制度についての満足度は低いが、診療所・病院受診についての満足度は高い、ただし無保険者では両方とも非常に低いという、従来の調査でも明らかにしていることを再確認していると思います。対照国に日本も含まれていますが、日本は医療制度の満足度も、診療所・病院受診の満足度も最下位グループです。ただし、この点についてはISSP Research Groupの元データ(URLは注10に明記)を用いて精査する必要があると思います。
○[イギリスにおける]高齢者の独居が手術の費用と便益に与え影響
Turner AJ, et al: The effect of living alone on the costs and benefits of surgery amongst older people. Social Science & Medicine 150:95-103,2016.[量的研究]
独居高齢者は増加し続けている、医療・社会サービス費用が高額な集団である。独居が健康と医療の費用と便益にどのように影響するかについての先行研究は、健康と医療利用についての粗い尺度しか用いておらず、他の費用決定要因や患者の経験についてほとんど考慮していない。我々は独居が治療経過全体の各段階に与える影響を、2009~2010年にイングランドのNHSで大腿骨・膝関節置換術を受けた50歳以上の全患者105,843人(うち独居が26.7%)についての治療前の経験、手術の便益と費用を含む大規模データを用い、多変量回帰分析により検討した。非独居者と比べ、独居者の治療前の健康状態は良く、手術の便益は同等であった。しかし、独居者では、入院期間は9.2%長く、再入院の確率は高く、施設に移行する割合も高かった。その結果、独居者の1人当たり費用は179.88ポンド(3.12%)高く、総額では年間490万ポンド高かった。独居高齢者に対する退院後サービスの欠如が、このような追加費用をもたらしていると考えられる。
二木コメント-大規模データを用いた緻密な研究ですが、結果はある意味で当たり前といえます。
○将来の費用、固定された医療予算、及び費用効果分析における意思決定ルール
Baal P, et al: Future costs, fixed healthcare budgets, and the decision rules of cost-effectiveness analysis. Health Economics 25(2):237-248,2016.[理論研究]
救命医療技術は余命の延長に伴う追加的医療需要をもたらす。しかし、ほとんどの経済評価は、費用にこのような追加的医療需要から生じる医療費を含めず、対象とする疾患に直接関係した将来費用のみを含んでいる。社会的視点から将来の費用のうちどの範囲を含めるべきかについての論争が続けられているる。理論モデルを用いることにより、医療予算が固定されており、しかも主疾患の関連医療と非関連医療の両方の将来費用を含むという条件の下での、費用効果分析のための最適意思決定ルールを示す。将来の非関連医療費を含むことが実用的であることを、カテーテルを用いた大動脈別置換術の例を用いて示す。それにより得られた知見は、医療のガイドラインは非関連費用を含んで作成されるべきことを示唆している。
二木コメント-難解な理論研究ですが、結論・主張は妥当と思います。
○保健医療科学における質的研究の質:ベテラン評価者による58の評価ガイドラインに示された一般的な基準の分析
Santiago-Delefosse M, et al: Quality of qualitative research in the health sciences: Analysisi of the common criteria present in 58 assesment guidelines by expert users. Social Science & Medicine 148:142-151,2016.[質的研究]
質的研究法の数は、過去30年間に、社会科学分野でも、保健医療科学分野でも大幅に増加した。このような増加に伴って、質的研究を評価するのに必要な研究の質の基準が必要との声が強まり、たくさんのガイドラインが発表された。しかし、これらのガイドラインには、用語法の面でも構造の面でもたくさんの食い違いが含まれている。さらに、多くのベテラン評価者は、関係者間で合意が得られた信頼できるツールがないことも批判している。このギャップを埋めるために、保健医療の主要4分野(医学・疫学、看護・健康行動、社会科学・公衆衛生、心理学・精神医学・研究の方法と組織)で用いられている58の既存ガイドラインについて、国際的評価者56人が共同して行った評価の結果を示す。本研究は2011~2014年に、スイスのLausanne大学が主催して行った。ベテラン評価者はこの期間に行われた3回のワークショップに参加した。最終的に、12の一般的基準についての合意が得られた。基準の名称についての大まかな合意はあるが、我々は保健医療分野を通じた特定の基準の定義の比較については限界があることに焦点を当てる。結論として、おのおのの基準は、幅広い合意に到達し、操作が容易ですべての分野で合意を得られるような定義を同定するために、明確に述べられなければならない。
二木コメント-この30年、雨後の竹の子のように生まれたたくさんの質的研究法(手法)は、量的研究法と異なり、相互排他的であり、分野横断的な評価基準がまったくない混沌状態にあることがよく分かる、緻密な論文です。ただし、英文は非常に難解です。
○日本語版Decison Regret Scale[患者の意思決定後の後悔尺度]の妥当性
Tanno Kiyomi(丹野清美),et al: Validation of a Japanese Version of the Decision Regret Scale. Journal of Nursing Measurement 24(1):E44-54,2016.[測定尺度の開発研究]
日本の医療では、治療過程における意思決定についての患者満足度を測定する尺度は用いられていない。本研究の目的は、カナダのオタワホスピタル研究所で開発されたDecision Regret Scale (DRS)の日本語版が使えるか否か検討することである。そのために、鼠径ヘルニア、胆石症、胆嚢炎、胆嚢ポリープで手術を受けた85歳未満の患者128人を対象にして、日本語版DRSを用いた自記式質問紙調査を行った。その結果、手術後患者(分析対象80人)に対する日本語版DRSの信頼性(α=0.85)と妥当性が示された。日本語版DRSは臨床家が患者との協働の意思決定を改善する上で重要な意味を持つであろう。
二木コメント-DRSは「患者満足度」とは異なり、患者の「納得の意思決定」を測定する「医療の質」評価の新しい尺度です。同じ著者による日本語論文(「日本語版Decision Regret Scaleと健康関連QOL、患者要因の関係」『日本医療・病院管理学会誌』52(4):5-15,2015)はすでに発表されていますが、DRSそのものの詳しい説明がなされているのはこの英語論文(日本語論文より先に執筆された)が最初のようです。書,2015,186-187頁)。
4. 私の好きな名言・警句の紹介(その137)-最近知った名言・警句
<研究と研究者の役割>
- 伊東光晴(京都大学名誉教授。専攻は理論経済学、経済政策。88歳)「アメリカにおいて、[ルーズベルト大統領のニューディールの第一期に]経済学者が現実の政策に関与し、政策効果をあげたのは、それを制度学派第二のジェネレーションであるコモンズと、とりわけタグウェルによってである。/ともに理論を海外に求めるのではなく、現実から問題の所在を引きだし、それを解決するための手段を考え、誤りと気づけば、すぐに改めていくという文字通りのプラグマティズムの適用であった」(『ガルブレイス-アメリカ資本主義との格闘』岩波新書,2016,30頁)。二木コメント-ここで示されているプラグラマティズムの方法は、私自身が長年行っている研究方法でもあり、多いに共感しました。
- J・K・ガルブレイス(カナダ出身のアメリカの制度派経済学者。2006年死去、97歳)「通念の敵は観念ではなくて事実の進行である(The enemy of the conventional wisdom is not ideas but the march of events)」(鈴木哲太郎訳『ゆたかな社会 第三版』(岩波書店,1978(原著1976),16頁)。伊東光晴「『通念の敵は現実』である、とガルブレイスが言うとき、『通念』にはかつての時代を意味させ、『現実』には、変化し進歩した時代を意味させている」(『ガルブレイス』96頁)。二木コメント-ガルブレイスの訳書は1981年=35年前に読み、この文にも赤線を引いていたのですが、すっかり忘れていました。私の医療経済・政策学の実証研究では、「日本医療についてのさまざまな神話・通説をデータ・根拠に基づき批判し、一般には知られていない真実の姿を明らかにすること」をモットーとしてきたので、多いに共感しました(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,112頁)。
- マーティン・ファクラー(前ニューヨークタイムズ東京支局長)「議論は大切だが、自分たちと違った意見を間違った意見とする姿勢は、議論する上でふさわしくない」(「朝日新聞」2016年4月9日朝刊、「自民、海外メディアに反論」。自民党総裁ネット戦略アドバイザーの山本一太・元科学技術担当相が、「間違ったことを言った」(山本氏)海外メディアの記者に、ソーシャルメディアで反論するコーナーを始めたことに対して)。二木コメント-私は、事実認識と価値判断を峻別し、事実認識の誤りは根拠を示して批判する一方、自分と違った意見・価値判断には「反対」を表明しても、「間違っている」と断定することはしません。例えば、新自由主義の立場からの国民皆保険解体論には強く「反対」しますが、その主張が「間違っている」とは批判しません。それに対して、予防や在宅ケアの推進により医療費が抑制できるとの主張は、根拠を示した上で「誤っている」と批判します(詳しくは、『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,104-106頁)。
- 吉見俊哉(東京大学教授。専攻はメディア論)「…学生がしばしば弁明するのは、『私の研究対象は特殊なので、先行研究はほとんどありません』という主張です。しかし、こういう主張は、だいたいが不勉強か、あるいは先行研究とは何かを分かっていない証拠です。実際には、どれほど特殊で新しい研究対象であっても、その対象の枠を少し広げ、先行研究とは何かを深く考えるなら、先行研究は必ず存在するのです。/そもそも『先行研究がない』と言ってしまえるのは、自分の研究目的についての理解が浅いことを意味します」(『「文系学部廃止」の衝撃』集英社新書,2016,219-220頁)。二木コメント-これを読んで、故津山直一先生(東大病院リハビリテーションセンター部長・整形外科学教室教授)の名言「無知な者ほどたくさんの発見をする」(「若手研究者が先行研究の検討をキチンと行わずに、わずかな経験に基づいて新しいことを発見したと錯覚しがちなのを戒めた言葉」)を思い出しました(『医療経済/政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,84頁)。
- 上野千鶴子(東京大学名誉教授。専攻は女性学、ジェンダー研究等)「今、大学院生は職がなくて泣いてますけど、彼らに言うのですよ。『あなたにこの研究をやれと誰が命じた?』と。(略)『誰にも命じられずに、自分が解きたいテーマを追究していられる、そんな幸せがあるだろうか。世間にウケてもウケなくても、研究をやっているということ自体があなたのリウォード(報酬)じゃないか』」(『上野千鶴子のサバイバル語録』文藝春秋,2016,39頁。初出は、『女は後半からがおもしろい』集英社文庫,2014)。二木コメント-これは「職のないという大学院生へ」の言葉ですが、無期雇用の大学教員・研究者は、この視点からは「天国の住人」であると改めて感じました。ただし、この「特権」に気づいている教員は必ずしも多くないと思います。
<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>
- 建畠哲(多摩美術大学学長)「新学期が始まった。友人からは大学はいいね、学長なんて卒業式と入学式でスピーチするだけが仕事だろうとやっかみ半分にからかわれるのだが、実は何とも忙しい季節で、両式典以外にも入試やら理事会やらがひしめいている。(中略)/考えてみれば、私は過去何十年もの間、休暇らしい休暇というものをほとんど経験したことがない。文筆業の大学人はみな似たようなものだと思うが、休みとは要するに自分の仕事をする日のことで、原稿を書いたり取材旅行に出たりすることに費やされてします」(「日本経済新聞」2016年4月6日夕刊、「明日への話題 休日は仕事の日」)。二木コメント-これは「名言」とは言えませんが、私の学長としての実感・実態にピッタリだったので紹介します。一般には12月が「師走」と言われますが、学長職にとっては、年度末の3月こそが「師走」です。
- ジリアン・テッド(フィナンシャルタイムズ紙アメリカ版編集長。大学では文化人類学を学んだ)「現代の社会にサイロ[組織が細分化した状態。高度専門化]は不可欠だ。だがサイロの弊害にとらわれるのを避ける方法はある。人類学者に倣って『インサイダー兼アウトサイダー』の視点から自分たちが仕事をどう分類しているかを見直すのはリスクに抗う方法の一つだ。インサイダー兼アウトサイダーとなることで、分類システムをより大きな文脈の中で見られるようになる」、「われわれの世界は効率化を追求しすぎるとかえってうまく機能しなくなると、いうことだ。専門化したサイロで活動するほうが、短期的には効率的に思えるかもしれない。しかし細分化したスペシャリスト的行動パターンが支配する世界では、往々にしてリスクやチャンスが見逃される」(土方奈美訳『サイロ・エフェクト-高度専門化社会の罠』文藝春秋,2016(原著2015),322,235頁)。二木コメント-私は、研究面での「サイロ」(タコツボ化、縦割り)の弊害には以前から気づいていましたが、学長業務をするなかで、事務部門でも同様の「サイロ」の弊害があることに気づきました。「インサイダー兼アウトサイダー」という複眼的視点に多いに共感しました。
- 田中角栄(元首相。1993年死去、75歳)「何もしなければ苦情もない。仕事をするということは文句を言われるということだ」(「毎日新聞」2016年3月29日朝刊、中澤雄大「『角栄ブーム』を考える」で紹介)。二木コメント-これも学長職4年目(任期最終年度)の実感です。残念ながら、日本福祉大学学は5年連続で入学者が定員割れしているため、「何もしない」という選択肢は、学長就任後一度もありません。
- 福沢諭吉(著述家、慶應義塾大学創設者)「元来私が家に居り世に処するの法を一括して手短に申せば、すべて事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように・後悔せぬようにとばかり考えています」(『新訂福翁自伝』岩波文庫、377頁)。二木コメント-私は、医療政策の分析・予測をする場合は、「極端を想像」することは厳に戒めていますが、学長としては、常に今後最悪のことが起こる可能性を想定して、改革案を考えているので、多いに共感しました。
<その他>
- 福沢諭吉(著述家、慶應義塾大学創設者)「人は老しても無病なる限りはただ安閑としては居られず、私も今の通りに健全なる間は身にかなうだけの力を尽くす積もりです」(『新訂福翁自伝』岩波文庫、390頁(結びの言葉)。脱稿時、数えの65歳。その4か月後に脳出血発症)。
- 森村誠一(作家。1933年生まれ、80歳を過ぎても旺盛に新作を発表)「過去から未来に照準を変えれば、常に今の自分が一番若い。/未来は変えられるが、過去は変えられない。どんなに歳をとっても、私たちには未来しかないのである」、「老若、年齢にかかわらず、未来に目を向ければ、今の自分が一番若い。誰も過去にはタイムスリップできない。過去には行けないのだから、今の自分が一番若い。/(中略)過去は参考にしても、その尾を引きずらない。思い出の中にしか過去は存在しない。現実の世界では、今の自分が一番若い。/今の自分が一番若いということをキーワードにして生きていけば、自己嫌悪に陥ることはない。自分が好きになれるのである」(『五十歳でも老人 八十歳でも青年』ベスト新書,2012,6,100-101頁。「日本経済新聞」2016年4月6日夕刊、池上冬樹「青春小説の味わい」で「森村誠一の言葉を借りるなら『未来を見ればいまの自分が一番若い』」と紹介)。
- 石川明人(桃山学院大学教授、専攻は宗教学・戦争論)「私たちは、毎日を、純然たる悪人ではないつもりで生きている。しかし、決して純然たる善人でもない。悪を悪と気付かぬこともあれば、善意からやったことが結果として悪になってしまうこともある。/(中略)自分の善行と他人の悪行は大きく見え、自分の悪行と他人の善行は小さく見えてしまうのが人間だ。(中略)キリスト教徒も、まったく同様である」(『キリスト教と戦争-「愛と平和」を説きつつ戦う論理』中公新書,2016,ii頁)。二木コメント-後半のゴチック部分を読んで、私がリハビリテーション医時代に友人から聞き、現在も時々揶揄的に使っている「怒鳴って怒れ人の誤り、笑ってごまかせ自分の誤り」を思い出しました。
参考:2017年の3団体統合・「ソ教連」発足へ大きく前進した1年
(「学校連盟通信」(日本社会福祉士教育学校連盟)第69号:1-2頁,2016年3月31日:
http://www.jassw.jp/data_room/index.html)
一般社団法人日本社会福祉教育学校連盟会長・日本福祉大学学長 二木 立
昨年5月の一般社団法人日本社会福祉教育学校連盟(以下、学校連盟)の定時社員総会で会長にご選任頂いた二木立(日本福祉大学学長)です。
総会での「会長就任のご挨拶」で、私は次のように述べました。
<私の学校連盟会長としての最大の責務は、本年[2015年]3月および今回の社員総会での決定を遵守して、学校連盟、社養協、精養協3団体の組織統合を2017年4月までに必ず実現することだと決意・覚悟しています。
3団体の組織統合の課題は、大橋謙策先生が学校連盟の会長時代に初めて取り上げられ、その後やや停滞したものの、大島巌前会長のご努力でこの2年間に大きく進展し、本日の総会では、①存続法人は社養協とする、②統合団体の名称は「日本ソーシャルワーク教育学校連盟」を第1候補とするという、組織統合の骨格となる合意が得られました。今後2年間、この合意をベースにして、学校連盟の各種事業の「選択と集中」、学校連盟と社養協・精養協が行っている諸事業の「すりあわせと統合」を行い、それをベースにして、会費の可能な限りの引き下げも追究したいと思います。
これら以外にも、組織統合に向けての実務的課題は少なくありませんが、3団体は元々「同根」であり、しかも、加盟校、役員・委員にも重複が非常に多いので、各組織・役員・事務局の間での相互信頼を基礎にした率直な討論を行えば、組織統合は必ず実現できると確信しています。>
それ以来、10か月間、大島巌・黒木保博副会長・常任理事、船水浩行事務局長等と一体となって、他団体と誠実に交渉を行ってきました。その結果、3団体の統合検討組織「ソーシャルワーク教育団体連絡協議会」(略称:ソ教連)の会長会議で、統合法人の名称は、上記「第1候補」通り、「日本ソーシャルワーク教育学校連盟」(略称:ソ教連)とすることを確認しました。大変幸いなことに、現在の統合検討組織と統合法人の略称は共に「ソ教連」であり、今後は、3団体が合同して行う社会的諸活動は、2017年度の統合法人の発足を待たずに「ソ教連」名で行うことも確認しました。
統合法人が行う事業については、業務の効率化・合理化を最大限追求しつつ、3団体が行ってきた事業のうち、必要な事業を継続することを確認しました。学校連盟としては、大学院教育、国際活動、高大連携の3つは、統合法人でも継続することを目ざしています。統合法人の役員(理事)については、統合法人をスムーズに立ち上げるために、存続法人となる社養協の本年5月の決算総会で選ばれる役員をそのまま統合法人に移行することとされ、3団体から、現在の理事を2名ずつ(合計6名)推薦することになりました。
統合に際しての最難問は統合法人の会費の設定であり、これについては、さまざまなパターンを検討しましたが、最終的に、「学校種別」(①4年生大学+大学院(13万円)~⑤専門学校・養成施設(5万円)の5種類)と「課程種別会費」(①社会福祉士養成課程設置、②精神保健福祉士養成課程設置。各5万円)を組み合わせて年会費(最高23万円~最低10万円)を設定することになりました。なお、統合後は、加盟各校は、学校種別・設置課程数にかかわらず、1票の議決権を持つことになります。
これらの方針の「説明資料」は、3団体の加盟校に事前にお送りした上で、本年3月12日午後の学校連盟・社養協・精養協の総会に先だって、同日午前中に「説明会」を開催し、詳細な説明を行わいました。午後に開かれた学校連盟総会では、大変うれしいことに、この「説明資料」に対する異論は全く出されませんでした。「説明資料」は、3団体の総会等での議論を踏まえて、さらに緻密化し、5~6月に予定されている3団体の総会で承認を受ける予定です。
実は、私は、上述した「会長就任のご挨拶」で、「組織統合の最終局面では、各組織がお互いに大胆な『妥協』をすることも必要になるかもしれません」と予告(?)していました。しかし、2か月に1度開催されたソ教連の会長会議では、毎回、組織統合の検討はきわめてスムーズに行われ、当初覚悟していた「大胆な妥協」はしなくてすみました。これは、大島前会長時代に、ソ教連の会長・役職者間で強い信頼関係が形成されていたためと思います。
私が会長に就任してから新たに重視して取り組んだことは、3団体の統合以外に、もう1つあります。それは、厚生労働省のプロジェクトチームが昨年9月に発表した「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現-新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン-」(以下、「ビジョン」)の分析と対応です。私は、「ビジョン」を読んで、それが今後の福祉改革だけでなく、福祉系大学の教育改革を考える上でも「必読文献」であり、ソ教連でもシッカリ議論する必要があると感じました。そこで昨年11月1日の第45回全国社会福祉教育セミナー【京都2015】で、ソ教連主催で「ビジョン」についての「緊急企画」を急遽開催し、厚生労働省の担当者をお呼びしてお話をお聞きすると共に、私と上野谷加代子社養協副会長(同志社大学教授)がそれぞれ「ビジョン」の分析と今後必要とされる対応について報告しました。さらに、「緊急企画」での議論を踏まえて、「ビジョン」に対応した社会福祉士・精神保健福祉士の育成のあり方等を短期間で集中的に検討するために、ソ教連特別委員会(委員長は私)を設置し、12月から毎月1回委員会を開催しています。この委員会では、「ビジョン」の枠にとらわれずに、広い視野からソーシャルワーク教育のあり方を考えると共に、本年6月にも検討が始まると予想される社会福祉士養成の教育カリキュラムの改変についても積極的な意見・提言を出すことを確認しています。本委員会の「中間報告(案)」は4月にまとめ、会員校にお送りしてご意見をお聞きした上で、5~6月の各団体の総会で報告する予定です。ご期待下さい。
注:上記「中間報告(案)」(「ソーシャルワーカー養成教育の改革・改善の課題と論点-ソ教連・新福祉ビジョン特別検討委員会中間報告(案)」は、ソ教連(ソーシャルワーク教育団体連絡協議会)のHPにアップされ、どなたでもご覧いただけます。