『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻152号)』(転載)
二木立
発行日2017年03月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
- 1. 論文:「地域力強化検討会中間とりまとめ」をどう読むか?-「新福祉ビジョン」との異同を中心に(「深層を読む・真相を解く(60)」『日本医事新報』2017年2月4日号(4841号):20-21頁)
- 2. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算132回.2016年分その12:4論文、2017年分その1:3論文) - 3. 私の好きな名言・警句の紹介(その147)-最近知った名言・警句
お願い:
日本福祉大学の大学院入学式で毎年配布している「大学院『「入院』生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書」リスト2017年度版(ver.19) を作成中です(本「ニューズレター」153号(2017年4月1日)にも転載予定)。2016~2017年に出版された本で皆様が推薦される新刊書(既刊書の新版も含む)がありましたら、3月5日(日)までに、著者名・書名・出版年と簡単な推薦理由をお知らせいただければ幸いです。
お知らせ:
第2回日本福祉大学地域包括ケア研究会公開セミナーを開催します
- ○2017年3月17日(金)午後1~5時、日本福祉大学東海キャンパス
- *参加費無料、定員200名
- ○プログラム:
- *原田正樹(日本福祉大学教授、厚生労働省「地域力強化検討会」座長)「地域共生社会の実現に向けて-政策動向と知多モデル」
- *シンポジウム「0歳から100歳までの地域包括ケアをめざして-知多半島の挑戦」
- *パネルディスカッション「知多半島モデルにむけての研究課題は何か」
- ○問い合わせ先:日本福祉大学東海事務室(電話:0562-39-3811、Fax:0562-39-3281)
- *HPからの申込み:http://www.n-fukushi.ac.jp/research/index.html
- *申し込み締め切り:2017年3月10日
1. 論文:「地域力強化検討会中間とりまとめ」をどう読むか?-「新福祉ビジョン」との異同を中心に
(「深層を読む・真相を解く(60)」『日本医事新報』2017年2月4日号(4841号):20-21頁)
厚生労働省は、昨年12月26日、地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(略称「地域力強化検討会」。座長:原田正樹日本福祉大学教授」)の「中間とりまとめ~従来の福祉の地平を超えた、次のステージへ~」(以下、「中間とりまとめ」)を発表しました。
厚生労働省は、2015年9月の同省プロジェクトチーム「新福祉ビジョン」と昨年6月の閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」を踏まえ、昨年7月に「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部を設置しました。本検討会は地域共生社会の実現について具体的に検討するために、昨年10月に発足しました。厚生労働省は、「最終報告」を待たず、「中間とりまとめ」を踏まえた社会福祉法改正案を次期通常国会に提出する予定です。地域共生社会は今や、厚生労働省が「全省あげて取り組む1丁目1番地」とも言われており、「中間とりまとめ」には今後の地域共生社会を考えるヒントが少なくありません。
ただし、本稿ではそれの網羅的検討は避け、本連載(48)(4773号)で検討した「新福祉ビジョン」との異同に焦点を当てます。「新福祉ビジョン」が厚生労働省各局の代表者のみで策定されたのと対照的に、地域力強化検討会構成員(21人)の過半数は各地でまちづくりや医療・福祉のネットワークづくりを主導している実践家であり、厚生労働省の公式文書とは異なる記述や提言が含まれているからです。
地域のマイナス面にも言及
「中間とりまとめ」は「総論」と「各論」の二部構成です。「中間とりまとめ」の副題「従来の福祉の地平を超えた、次のステージへ」は、「福祉の領域を超えた地域全体が直面する課題」(1頁)を直視し、「地域の持続可能性、(中略)共生文化の創出、(中略)地域包括支援体制の構築」(8頁)を目ざすことと理解できます。「新福祉ビジョン」があくまで福祉を基本にして、それを「福祉以外の分野に拡大」(8頁)することを提起していたのに対して、「中間とりまとめ」では(地域)福祉と地域(まち)づくりが同格と位置づけられています。
私がまず注目したことは、地域を美化せず、「地域共生社会を実現していくためには、社会的孤立や社会的排除といった現実に生じうる課題を直視していくことが必要である」(3頁)等と、地域のマイナス面も繰り返し指摘していることです。ただし、それで悲観論に陥るのではなく、地域共生社会実現に「向けた努力をしていくことが、将来の地域社会、私たち一人ひとりにとって必要であるという高い理想を掲げ」(3頁)、「各論」で「我が事・丸ごと」の地域共生社会実現のための具体的課題を示しているのは大変建設的と思います。
ソーシャルワーク「機能」重視の光と影
次に注目すべきは、今後の地域共生社会を実現する上での、「ソーシャルワークの機能」の重要性を繰り返し強調していることです:「他人事を『我が事』に変えていくような働きかけをする、いわば地域にとっての『触媒』としての『ソーシャルワークの機能』が、それぞれの『住民に身近な圏域』に存在していることが必要である」(9-10頁)等。この点は、「新福祉ビジョン」が、「福祉人材」については、介護職・介護福祉士偏重で、ソーシャルワークを軽視していたのと対照的です。
さらに、「各論」の「国の役割」の項で、「ソーシャルワーカーの養成や配置等については、国家資格として現在の養成カリキュラムの見直しも含めて検討すべきである。人材の確保や定着についても、必要な措置を講ずるべきである」(18頁)と提起しているのは画期的です。この一文の前には、「『我が事・丸ごと』を実現するためには、①制度横断的な知識を有し、②アセスメントの力、③支援計画の策定・評価、④関係者の連携・調整、⑤資源開発までできるような、包括的な相談支援を担える人材育成に取り組むべきである」と書かれています(番号は私が付けました)。この人材の職種は明示していませんが、上記の一文から「ソーシャルワーカー」を含意していると読めます。
なお、上記5つの能力のうち、①~④は「新福祉ビジョン」にも書かれていましたが、⑤(資源開発)は「中間とりまとめ」で初めて書き込まれました。
ただし、「中間とりまとめ」ではソーシャルワーク機能の中核を担う社会福祉士・精神保健福祉士についての言及はまったくありません。逆に、上述した10頁の「ソーシャルワーク機能」重視の一文に続いて、「その際、自治体が主導して単に有資格者を『配置する』という形ではなく、また特定の福祉組織に限定するのではなく(以下略)」という、「ダメだし」の強い一文が加えられています。これは、ソーシャルワーク「機能」と社会福祉士・精神保健福祉士「資格」を峻別する厚生労働省の強い意志を感じさせます。
私もソーシャルワークの機能と資格は同一ではなく、前者は、介護福祉士や保育士、保健師、さらには特に資格を有しない地域開発ワーカー等によっても担われるべきだが、その中核は社会福祉士・精神保健福祉士が担うべきと思います。それだけに、福祉系大学等には、上記5つの能力を持った有能な社会福祉士・精神保健福祉士を大量に養成する責務があると感じました。
社会福祉法改正にも踏み込む
「中間とりまとめ」は、「新福祉ビジョン」では明示されていなかった社会福祉法改正の必要性も提起しています。その中核は、「地域福祉計画」に関わる改正で、①策定が任意であるものを義務化すること、②単に策定するだけではなくPDCAの手続きを踏むことを明確に規定すること、および③多分野の計画を横断的総合的に統合する、いわば「上位計画」として位置づけることです(14-15頁)。もう一つは、社会福祉法第4条で、「福祉サービスを必要とする地域住民」に限定されている支援の対象の拡大で、「従来の福祉サービスの枠組みを超える支援が必要な人も含まれるべき」としています(15頁)。
私は、支援対象の拡大は「新福祉ビジョン」で提起された「全世代・全対象型地域包括支援」とも合致し、実現の可能性が高いと思います。それに対して、地域福祉計画の策定義務化は、職員不足に悩む町村の反対が強く、しかも法的にも地方分権の理念に抵触する危険があるので実現は困難で、ギリギリ実現可能なのは「努力義務化」だと予測します。
地域包括ケアと公的財源に触れていない
最後に、「中間とりまとめ」で残念なことを2つ指摘します。
1つは、「地域包括ケア」についてまったく触れていないことです。この点は、「新福祉ビジョン」が、「高齢者に対する地域包括ケアシステムや生活困窮者に対する自立支援制度といった包括的な支援システム」を提起していたのと対照的です。福祉と医療との連携についてもほとんど触れていません。
もう1つは、地域共生社会実現に不可欠な公的財源についてほとんど触れていないことです。これは「新福祉ビジョン」でも同じです。「中間とりまとめ」では、それに代えて「寄附文化の醸成」を提唱し、クラウドファンディングや地域通貨等の検討を提唱しています(19頁)。これは、閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」で示された「寄附文化の醸成に向けた取組」の具体化と言えます。
私は「寄附文化の醸成」には大賛成であり、個人的にも長年実行しています。しかし、それにより公的財源の不足を補うのは困難であり、このままでは、せっかく「中間とりまとめ」が提起した取り組みの多くが絵に描いた餅に終わってしまうと危惧しています。それだけに、安倍政権が「社会保障の機能強化」のために不可欠な消費税率の10%への引き上げを2度も延期したことの罪は重いと言えます。
2.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算132回)
(2016年分その12:4論文)
○アメリカの1996-2013年の対人医療・公衆衛生費用
Dieleman JL, et al: US spending on personal health care and public health, 1996-2013. JAMA 316(24):2627-2646,2016.[量的研究]
アメリカの医療費は増加し続け、2014年にはGDPの17%を超えた。この規模と伸び率にもかかわらず、各疾病の年齢別・時系列の費用についてはほとんど知られていない。本研究の目的はアメリカの対人医療・公衆衛生費用を、傷病、年齢・性、および診療種類別に体系的かつ包括的に推計することである。政府予算、保険給付支払い、医療施設調査、家計調査および政府の公式資料等(合計183)を収集・組み合わせて、1996~2013年の155傷病区分別の費用を推計した(悪性新生物は29に細分した)。
1996~2013年の155傷病区分の対人医療費総額は30.1兆ドルであった。2013年には最も多額の傷病区分は糖尿病の1014億ドルで、その57.6%が医薬品、23.5%が外来であった。第2位は虚血性心疾患(881億ドル)、第3位は腰痛・頸部痛(876億ドル)であった。医療費が最も多い傷病区分は、年齢、性、診療種類及び調査年により異なっていた。1996~2013年に155区分中143区分で対人医療費が増加していた。18年間にもっとも医療費が増加したのは腰痛・頸部痛(644億ドル)と糖尿病(572億ドル)であり、年平均増加率が一番高かったのは救急医療(6.4%)と外来薬剤費(5.6%)であった。それに対して、入院医療費とナーシングホーム費の年平均増加率はそれぞれ2.8%、2.5%にとどまっていた。
二木コメント-過去18年間のアメリカの対人医療費を多面的に分析した20頁の長大論文です。傷病区分は日本の「国民医療費」とやや異なりますが、ある程度の日米比較も可能と思います。私自身は年齢別の1人当たり医療費に興味があったのですが、それは2639頁に図示されているだけで、数値は示されていません。
○[アメリカの]病院所有のスキルド・ナーシングホームは[独立型ナーシングホームに比べ]より良い急性期後ケアを提供しているか?
Rahman M, et al: Do hospital-owned skilled nursing facilities provide better post-acute care quality? Journal of Health Economics 50:36-46,2016.[量的研究]
新しい支払い方式の下で、患者の退院後アウトカムに対する病院の責任は増しているため、病院はスキルド・ナーシングホーム(skilled nursing facilities.以下、SNF)を建設または買収して、アウトカム・マネジメントを改善しようとする可能性がある。それにより、病院付属SNFに退院した患者のアウトカムは、独立型SNFに退院した患者より良いかとの問いが生じる。粗い比較では、病院付属のSNFに入院した患者の病院退院後180日間のメディケア利用は、独立型に比べてかなり少ない。病院付属SNFと独立型SNFへの「差別(分別)選択」(differential selection)問題を解決するために、自宅に最も近いSNFのある病院への距離と自宅に最も近いSNFのない病院との距離を比べた「差別距離」(diffrential difference)を、操作変数として用いて回帰分析を行った。その結果、病院付属SNFに転院した患者は、独立型SNFに転院した患者と比べて、病院退院後180日間のうち自宅にとどまる日数が約5日多く、SNFに入院する期間が6日短かく、メディケア費用(病院・SNF・在宅の合計)も有意に低かった。両群では、死亡率と病院再入院率に有意差はなかった。以上の結果は、病院とSNFとの垂直統合をある程度支持している。
二木コメント-2009年に病院からSNFに転院したメディケア加入者の個票データを用いた精緻な分析により、病院とナーシングホームの垂直統合(IDS.「複合体」)が退院後180日間の1人当たりメディケア総費用を節減することを示した貴重な研究です。
○[アメリカにおける]病院・医師統合が[患者の]入院選択に与える影響
Baker LC, et al: The effect of hospital/physician integration on hospital choice. Journal of Health Economics 50:1-8,2016.[量的研究]
本論文では、病院が医師診療所を所有することが、その診療所を受診した患者の入院選択に与える影響を推計する。メディケア患者の主治医、患者が受診した診療所の所有者も分かる、メディケア加入者の病院入院のデータセットを作成し、回帰分析を行った。その結果、病院の医師診療所所有は、患者が主治医の所属する病院への入院を選択する確率を劇的に増加させていた。併せて、患者は、主治医の診療所が病院所有である場合、高額で質の低い病院でも選ぶ傾向があることも明らかになった。
二木コメント-前論文が病院とナーシングホームとの統合の効果を示していたのと逆に、本論文は病院・医師統合のマイナス面(医師・患者のエイジェンシー問題の悪化) を示しています。
○[アメリカの]介護者の介護支援器機に対する支払い意思[についての全国ウェブ調査]
Schulz R, et al: Caregivers' willingness to pay for technologies to support caregiving. Gerontologist 56(5):817-829,2016.[量的研究]
インフォーマルな介護者が、被介護者が家事動作や身の回り動作をする際にモニタリングと支援を行うようにデザインされた器機に対する支払い意志を持っているか否か、持っているとしたらどのくらい支払うおうとしているかについて調査した。高齢者(512人)の介護を無報酬で行っている成人の家族介護者(18-64歳)を対象にした全国標本のウェブ調査を行った。介護者は25分で終わるウェブ調査に回答し、質問事項には介護の状況、最近日常的に用いている介護器機、特別な介護機器の使用、器機に対する一般的な態度、および被験者の家事動作(台所での食事の準備と後片づけ)や身の回り動作のモニタリングと支援をするようにデザインされた仮想的(開発途上の)器機についての態度を含んでいる。結果の解析は多重回帰分析で行った。
約20%の介護者は介護支援機器に金を支払う意思がまったくなかった。何らかの支払い意志がある介護者では、支払っても良いと考えている1月当たり平均額はモニタリング専用器機に対して50ドル、モニタリングと何らかの支援をする器機に対して70ドルであった。若い介護者(18-29歳)、アルツハイマー病の介護をしている介護者、器機使用のについて肯定的な介護者は、もっと多く支払う意思があった。ほとんどの介護者は政府又は民間保険がこれら介護者による器機費用の支払いを補助すべきと感じていた。
介護者は、介護支援器機を受容しており、それへの支払い意思もあったが、その額は月70ドル前後が上限になっていた。個人的な支払いと政府補助の組合せが、介護支援器機の開発と普及を促進する可能性がある。
二木コメント-日本では昨年、福祉用具を介護保険給付から除外することが一時検討されましたが、この調査結果は、仮にそれが実施された場合、福祉用具市場は壊滅的に縮小することを示唆しています。
(2017年分その1:3論文)
○[ドイツの]病院の質公開ではランキング結果が一致しないことを示している
Emmert M, et al: Public reporting of hospital quality shows inconsistent ranking results. Health Policy 121(1):17-26,2017.[量的研究]
アメリカで得られたエビデンスでは、病院成績表(hospital report cards)は病院を探している患者に混乱をもたらす可能性がある。しかし、ドイツの成績表間で病院ランキングは一致しているか、不一致の要因は何かについては、ほとんど知られていない。本研究の目的は、ドイツの病院成績表に基づく病院の推奨の一致の有無を調査し、不一致の原因について検討することである。ドイツでウェブ上に公開されている4つの病院成績表による、3つの手術(大腿骨置換術、膝関節置換術、経皮的冠動脈インターベンション)についての病院の推奨を比較した。2つの成績表の一致はCohen's Kappaで判定した。Fleiss's Kappaを用いて、全4成績表間の重複(overlap)を評価した。
その結果、2つの成績表の3段階のパフォーマンス評価(低水準、中等度、トップ水準)は全病院の43.4%で一致していた。他面、全病院の8.5%は、一方の成績表ではトップ水準、もう一方の成績評価では低水準と評価されていた。成績表間の一致率は2成績表間ではやや高いが(kmax=0.148)、4成績表全体では低かった(kmax=0.111)。以上から、質公開の便益を増すためには、各成績表で用いられている医学的「質」の概念の透明性を増すことが重要であると結論づけられる。
二木コメント-アメリカ以外の国(ドイツ)の病院の成績評価の質も低いことを実証的に示した貴重な研究と思います。
○医療の再商品化?1980-2005年のスウェーデンにおける、利用者負担と医療アクセ面での不平等[の変化]の事例研究
Farrants K, et al: The recommodification of healthcare? A case study of user charges and inequalities in access to healthcare in Sweden 1980-2005. Health Policy 121(1):42-49,2017.[量的研究]
スウェーデン医療では利用者負担が過去数十年間増加している。これは医療の再商品化(医療アクセスの市場での地位への依存)とも理解できる。本研究は1980~2005年に、利用者負担増加が医療アクセスの学歴面での不平等に影響したか否かを調査する。スウェーデン生活状態調査のデータを用いて、低学歴者と高学歴者間の医療アクセス(過去3か月間の医師受診)のオッズ比を1980~2025年で個別に計算し、その結果を健康状態で層別化した(健康、不健康)。スウェーデンではこのオッズ比は医療の平均利用者負担と対応している。健康群では、教育年限の差で医療アクセスの違いはなかった。不健康群では、高学歴者の医療アクセスは低学歴者よりも高かった。医療アクセスの不平等は調査期間で比較的安定していたが、不健康群ではわずかに拡大していた。以上から、スウェーデンでは医療の再商品化と医療アクセスとの関連は弱いと言える。スウェーデンの医療制度は社会的に弱い人々を医療費増から守っている(利用者負担は低額でしかも上限がある)。このことは、利用者負担の導入・引き上げを検討している他の諸国への重要な警告である。
二木コメント-スウェーデンにおける四半世紀の利用者負担増加の医療アクセスへの影響が丁寧に分析されており、スウェーデン医療・社会保障の研究者必読と思います。日本でも同様な研究が行われることが期待されます。
○医療政策のエビデンスの国際的一般化可能性:[薬剤自己負担]政策変化後の服薬遵守の2国間比較
Sinnott S-J, et al: The international generalisability of evidence for health policy: A cross country comparison of medication adherence following policy change. Health Policy 121(1):27-34,2017.[国際比較・量的研究]
処方薬の自己負担は服薬遵守の低下を通して、有病率と死亡率を高める可能性がある。適切なデータがあれば、そのような政策がもたらす意図せざる影響を最小化できる。自己負担導入のエビデンスを2か国-アメリカ・マサチューセッツ州のメディケイドとアイルランドの低所得者対象の「一般医療サービス」(GMS)-のデータを用いて比較する。アイルランドでは2013年からGMS受給者の1処方当たり自己負担が1ユーロから1.5ユーロに引き上げられた。マサチューセッツ州では、2003年からメディケイド受給者の1処方当たり自己負担が50セントから1.5ドルに引き上げられた。対象は、降圧剤、高脂血症剤、および経口糖尿病薬を新規に処方された患者(アメリカ14,259人、アイルランド43,843人)である。両国で、一般化推定方程式による分割線形回帰分析により自己負担導入後の服薬遵守の変化を、対照群(アメリカはペンシルバニア州のメディケイド受給者、アイルランドは公的長期疾病制度加入者)と比較した。
マサチューセッツ州では、自己負担引き上げ後、降圧剤の服薬遵守率は、毎月1%ずつ漸減した。アイルランドでは服薬遵守率は自己負担引き上げ後2.9%低下したが、それ以降8か月は低下しなかった。マサチューセッツ州における糖尿病薬の服薬遵守率の低下は、アイルランドよりも大きかった。高脂血症剤では遵守率変化の差はなかった。以上から、処方薬に対する自己負担の影響のエビデンスは多様である(not "one size fits all")と言える。政策導入後の期間と医療制度の構造的差により両国における自己負担の影響が異なっている可能性がある。
二木コメント-「国際的な一般化可能性」という大きなタイトルに惹かれて読んだのですが、中身はアメリカの2州の比較とアイルランドの2制度との比較の接ぎ木にすぎず、「羊頭狗肉」でした。3. 私の好きな名言・警句の紹介(その147)-最近知った名言・警句
<研究と研究者の役割>
- 山埼敏廣(元立行司・36代木村庄之介)「1に勘、2に敏速、3に気力」(「朝日新聞」2017年2月6日夕刊、「人生の贈りもの 私の半生」。この3つを行司として重んじた)。二木コメント-この3つは時々の医療政策の迅速な分析(「時評」)を継続して行うためにも必要であると思います。この点は、ジックリと時間をかけて行う必要がある実証研究とは違います。これを読んで、次の言葉を思い出しました。
- 川上あずさ(私の恩師・故川上武先生の長女)「『集中して自分の頭で考え、時期を逃さず書きあげる』という姿勢が先生[=私]と父[川上武先生]に共通するように思われます。だからこそ、先生が東京を離れ実際に対面する時間が限られるようになってからも交流が希薄化することなく続いたのではないでしょうか…」(拙論「川上武先生の医療政策・医療史研究の軌跡と現代的意義」(『文化連情報』2010年2月号。『民主党政権の医療政策』勁草書房,2011年に収録)をお送りしたお礼のメール(2010年2月2日)の冒頭に書かれていた言葉。次著『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房)212頁に、川上氏の許可を得て掲載)。
- 横尾忠則(美術家)「アイディアは、時間をかけてこねくり回すとロクなことになりません。いろいろな価値観に当てはめようとすると、平均的なものにはなるけれど、突出したものは作れない。だからこねくり回すとつまらなくなるんです」(『死なないつもり』ポプラ新書,2016,77-78頁)。二木コメント-この警告は、迅速性が求められる「時評」を書く際にも当てはまると思います。「時間をかけてこねくり回」している間に、ドンドン鮮度が落ちてしまうからです。
- 尾本恵市(東京大学・国際日本文化研究センター名誉教授、83歳。人類学・人類遺伝学専攻)「科学に心情を持ち込まないのは原則だが、考えてみれば、人類学という学問は直接ヒト(人間)を対象とする点で医学に似ている。医者の原点が患者を病気から救いたいという一種の心情であるのと同様に、人類学者も被験者を単に検査・研究の対象としてではなく、共感や相互理解といった心情をもつことは許されるのではないか。人類学者は『頭』と『手』と『足』の三つを使うべしと教えてきた私だが、最近になって、実は四番目に『心』も大事だと思うようになっている」(『ヒトと文明-狩猟採集民から現代を見る』(ちくま新書,2016年,276頁)。二木コメント-私は、医療経済・政策学研究をする際、事実認識と「客観的」将来予測と自己の価値判断の3つを示すようにしています。この「価値判断」には尾本氏の強調する「心」(「共感や相互理解といった心情」)も明示的に入れるべきだと感じました。
- 外山滋比古(英文学者・エッセイスト、92歳。頭の働きを良くしたいと工夫を重ねるうちに体も丈夫になり、老いも恐るるに足らずの心境に至り、今も現役で旺盛な執筆活動を続けている)「基本的には忙しくしなきゃだめです。暇なのがいちばんいけない。とにかく、することをたくさんこしらえる。一日には、とても収まりきらないので、優先順位を決める。いわば編集作業です。その日の目玉、大事なことを3つ書きだして、まず難しい課題から取り組む。それができると、楽になるので次に進む。できなかったことは先送りしますが、充実した一日になると思います。(中略)忙しくしていれば、新しい関心事が次々に出てくる。ストレスもたまらない。若い人にはあまりいいことではないが、年を取ったら、忙しいのは、すばらしいことなんです。努力しなくても、我を忘れて、年も忘れますからね。そうなれば、年は取れども、年は取らない」(「日本経済新聞」2015年11月28日夕刊、「独創老人をめざす 忙しく生き年を忘れる」)。二木コメント-私も、この視点から、学長退任後も、前向きに研究・言論活動を続けようと思いました。ただし、私自身は、代々木病院勤務医時代から、「『忙しい』とは絶対に言わない」ことをモットー・美学にしています(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,165頁)。学長の4年間の任期中も、「忙しい」とは一度も言いませんでした。
- 横尾忠則(美術家、80歳)「創造するためには肉体が必要です。僕は、創造年齢が肉体年齢をどのくらい延ばしていくかに挑戦中。創造年齢とは、ものを創り出していく時の年齢のこと。肉体が先にあるんじゃなくて、創造が先なんです。だから創造力によって寿命を延ばしていく。創造が肉体を作っていくことができるんじゃないかと期待しています。創造は時間を止めるのです。創造には寿命がありません」((『死なないつもり』ポプラ新書,2016,114頁)。二木コメント-私も、「想像力によって寿命を延ばしていく」ことに挑戦したいと思います。
- 山岸俊男(一橋大学国際経営戦略研究科特任教授。社会心理学者)・長谷川眞理子(総合研究大学院大学教授。行動生態学、進化生物学者)「相手の心は分からない。でも、自分自身が『分かりやすい人』になるのは可能だと思うんです」(山岸)。「それがプレディクタブルになるということですね」(長谷川)。「自分の価値観や考えていることを旗幟鮮明にし、首尾一貫した行動規範に基づいて行動する人間になる。そうすることによって信頼される存在になる--それが『味方-友』を増やす最良の方法だと私は思います。(中略)プレディクタブルな存在であるというのは、言い換えれば個性的であれということだし、多様性を歓迎せよということになると思うんですが、これくらい今の日本に欠けているものはない」(山岸)(長谷川眞理子・山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする』集英社インターナショナル,2016,256-257頁)。二木コメント-私は、ここに書かれている意味で「分かりやすい人」、「プレディクタブルな存在」であると思っているので、意を強くしました。ただし、私の経験では、このような生き方は「味方」だけでなく、「敵」も増やします。
- 竹下登(元首相・故人)「お前は常に自分が正しいと思っているだろう。しかし正しいことを言うときは人を傷つけるということを知っておけ」(「朝日新聞」2017年1月1日、鷲田清一「折々のことば632」。石破衆議院議員はかつて元首相にこう諭された)。
- 落合恵子(作家、1945年生まれ)「言葉の持っている力とその限界を見極めたいと思っていました。長田弘さんの詩に『けっして言葉にできない思いが、ここにあると指さすのが、ことばだ』とうものがありますが、人間が感動したり、ショックを受けたりしたときにそれを言葉に変えうるものなのか」。「もっと自分で考えることを若者には勧めたい。忙しすぎて、自分で考える暇もないのかもしれません。米国の思想家、デイヴィッド・ソローは『1日で1回でいいから上質な孤独の時間を持ちなさい』と言っています。孤独をもっと楽しむべきではないでしょうか」(「日本経済新聞」2017年1月28日夕刊、「周囲の空気を読むな 落合恵子さんに聞く」)。
- 横尾忠則(美術家)「一日のうちで何もしない無為な時間をどれだけ持てるか。ムダを悪徳と思うような現代において、これは大変に贅沢な過ごし方だと思います」(『死なないつもり』ポプラ新書,2016,128頁)。
- 生島ひろし(フリーアナウンサー)「[トランプ米大統領の就任演説は]演説の技術という点で見ると、非常に上手だった。(中略)第一の特徴は、語る速度が極めてゆっくりだったことだ。速度を落とせば、①自信にあふれ落ち着いているという印象を与える②丁寧に語りかけている印象を与える③聞き取りやすく内容を理解させやすい、などの効果がある。/特徴の2点目はジェスチャーを多用したことだ。訴えたい部分では必ず、人さし指を立てたり、人さし指と親指で丸をつくったりして強調していた。(中略)/三つ目は間の取り方だ。聴衆を盛り上げた後に、しばらく歓声や拍手が収まるまで話し始めるのを待っていた」(「毎日新聞」2017年1月27日朝刊、「トーンの変化巧み」)。二木コメント-私はトランプ大統領の言説自体には強い疑問を持っていますが、この3つの「演説の技術」は身につけたいと思いました。
<その他>
- 坂村健(東京大学教授)「3月にはテレビや新聞でも[東日本大震災の]いろいろな特集が組まれるだろう。(中略)しかし、もしそこに『忘れないために』というような枕ことばがつくなら、私は違和感を抱く。(中略)/6年の間に『その地』では、多くの変化があった。生きて変化している何かを『忘れない』ということは、変化や成長を丹念に追い続けることだろう。同情すべき対象として固定することを『忘れない』というなら、それは間違っている」(「毎日新聞」2017年1月19日朝刊、「坂村健の目 忘れないということ」)。
- 草薙剛(タレント・2016年に解散したSMAPのメンバー。テレビドラマ「嘘の戦争」で復讐に燃える詐欺師を演じているが、自分自身は嘘をつくのが不得手で、すぐに相手にばれてしまう。自分に対しても、嘘はつけない)「自分の気持ちに正直に生きている。嘘をつくことで、僕を信じてくれる人たちを傷つけたくない。自分一人で生きているんじゃない。そこを大事にしています」(『AERA』2017年1月23日号:9頁、「表紙の人」)。
- 伊東光晴(日本経済の抱える問題を長年論じてきた経済学者、89歳)「民主主義に完成はない。その精神は、現実のゆがみを改めようと行動する中にしか宿らない」(「朝日新聞」2016年12月4日朝刊、「国民の政治参加 民主主義に血肉)。)
- 明仁(今上)天皇「[公務は]公平の原則を大切にし続けたい」(「毎日新聞」2017年2月12日朝刊、天野篤「ひたむきに生きて」。2012年の天皇誕生日に、冠動脈バイパス手術を受けられた陛下からこのお話を聞いてからは、どんな時でも緊急手術はすべからく公平に行うことを実践している)。