『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻154号)』(転載)
二木立
発行日2017年05月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
- 1. 論文:地域包括ケア強化のための医療と福祉の連携をどう進めるか?
(「深層を読む・真相を解く」(62)『日本医事新報』2017年4月1日号(4849号):20-21頁) - 2.追悼文:佐久間昭先生への感謝
(2017年4月22日、東京・ガーデンパレスで開催された「佐久間昭先生を偲ぶ会」でのスピーチ用原稿) - 3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算134回.2017年分その3:8論文) - 4.私の好きな名言・警句の紹介(その149)-最近知った名言・警句
(通算133回.2016年分その13:3論文、2017年分その2:2論文)
おしらせ:
お知らせ:「ニューズレター」153号(2017年4月)の6の「付録:研究についての名言クイズ42問」の答えは以下の通りです。
模倣、観察力、重要度/発見、ただのバカ/確信(または信念)、自己懐疑、自信、変わる/教養、価値観、価値観/仮説、書き直さ/事実、政治スタッフ/continuation・続ける、惰性、退屈/論文、量、あきらめ、小さく、弁解、批判/日曜日、忙しい、忙しく、忙しい、無理、進歩/勉強、スマート/社会性、雑用/証言者、引用、批判/ひとりで、楽しむ、好き/恋心
1. 論文:地域包括ケア強化のための医療と福祉の連携をどう進めるか?
(「深層を読む・真相を解く」(62)『日本医事新報』2017年4月1日号(4849号):20-21頁)
本連載(61)(2017年3月4日号)で検討した介護保険法等改正案は「地域包括ケアシステムの強化」を目的としており、そのためには医療と福祉の連携の強化が不可欠です。今回は、3月17日の日本福祉大学地域包括ケア研究会公開セミナーで行った私の報告を紹介します。
医療と福祉の連携に必要な3つのこと
第1に、医療と福祉の連携強化は、施設、専門職、および教育の3つのレベルで考える必要があります。
まず、施設レベルについて、医療施設や医師会と福祉施設・事業所との連携が不可欠なことは、言うまでもありません。私は最も重要なことは、お互いが「垣根」を作らないことだと思います。
地域包括ケアに関わっている福祉関係者からは、今でも、「医療機関と連携したいのだが、敷居が高い」との訴えを聞きます。事実、地域包括ケアは2003年に最初に公式に提唱されときには「新しい介護サービス体系」とされ、介護サービスが中核とされたために、医療関係者には消極的姿勢がありました。また、地域包括ケアの源流には「保健医療系」と「(地域)福祉系」の2つがあり、一部の地域を除いて、両者の交流はほとんどなかったという歴史的事情もあります(拙著『地域包括ケアと福祉改革』勁草書房,2017,20-21頁)。
しかし、2013年の社会保障制度改革国民会議報告書が、「医療と介護の連携と地域包括ケアシステムというネットワークの構築」を提唱してから、日本医師会や地域の医師会、病院は地域包括ケアシステムに積極的に参加し始めています。それだけに、今後は、医療・福祉の垣根を越えて、「医療・介護・福祉のネットワーク」という意味での地域包括ケアを目ざす必要があります。
次に、専門職レベルの連携の出発点は、医療職が福祉(学・制度)の、福祉職が医学・医療(制度)の基礎的な勉強をキチンと行うことです。私は、医療系と福祉系の両方の地域包括ケアの研究会等に参加する機会が多いのですが、率直に言って、医療職に比べ、福祉職による勉強は立ち後れていると思います。私は、病院と地域・福祉との橋渡し役を務める医療ソーシャルワーカーは医学・医療について一歩進んだ勉強をする必要があると思います。
最後に、教育レベルの連携とは、医療・福祉の学部(専門)教育で医療と福祉との連携の理念と実際をキチンと教えることです。この点に関連して2つ述べます。1つは、安倍内閣が昨年6月に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」に、「医療、介護、福祉の専門資格について、複数資格に共通の基礎課程を設け、一人の人材が複数の資格を取得しやすいようにすることを検討する」ことが書き込まれ、厚生労働省がそれについての検討を「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」で始めていることです。厚生労働省の資料によると、共通課程の検討対象となる「医療・福祉関係資格の例」として、看護師、准看護師等8つの医療職と社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士、保育士の4つの福祉職を示しています。
私も、今後の少子化と人口減少を考えると、医療・福祉分野でもこのような見直しは不可避と考えます。しかし、それぞれの職種には歴史的蓄積があるため、現実に「共通の基礎課程」の創設の導入が検討されているのは、人材不足が社会問題化している保育士と介護福祉士、および介護福祉士と准看護師だけのようです(上掲書77頁)。
もう1つは、大学レベルでの多職種連携教育としては、藤田保健衛生大学の「アセンブリ教育」(医学、看護、理学療法、作業療法、臨床検査、診療情報管理等の学生が一緒に受ける授業。必須科目)が日本で最初、おそらく世界でも最初であることです。このアセンブリ教育は同大学創立者の故藤田啓介先生の発案・強い意志で1972年に医学部が開設された時から開始され、なんと45年の伝統があります(藤田啓介「チーム医療で期待される医師像-アセンブリ(全員集合)を必須科目とする医学教育」『かく生かされかく語りき 一』1989,184-201頁)。
日本福祉大学社会福祉学部の学生・教員も昨年度からそれに参加させて頂いており、藤田保健衛生大学の担当者からは、医療系と福祉系の学生が交流することにより、お互いの視野が広がったと聞いています。日本福祉大学は、社会福祉学部だけでなく、看護学部や健康科学部リハビリテーション学科等の医療系学部学科も有する「ふくしの総合大学」ですので、本学独自でも学部の垣根を越えた多職種連携教育の導入を目ざす必要があると思っています。
今後のソーシャルワーカー像について
第2に、昨年12月末に発表された厚生労働省の「地域力強化検討会中間とりまとめ」(検討会座長:原田正樹日本福祉大学教授)が提起したこれからのソーシャルワーカー像について述べます。
本連載(60)でも指摘したように、私は、「中間とりまとめ」が「『我が事・丸ごと』を実現するためには、①制度横断的な知識を有し、②アセスメントの力、③支援計画の策定・評価、④関係者の連携・調整、⑤資源開発までできるような、包括的な相談支援を担える人材育成に取り組むべきである」と問題提起したことに注目しています(18頁)。これらは、地域包括ケアを推進するソーシャルワーカーに求めらている能力でもあると言えます。
実は、これらのうち、①~④は2015年9月の厚生労働省プロジェクトチーム「新福祉ビジョン」にも明示されていましたが、⑤資源開発は「中間とりまとめ」で初めて書き込まれました。この資源開発は、2014年に国際ソーシャルワーク学校連盟・国際ソーシャルワーク連盟が決定した「ソーシャルワークのグルーバル定義」(「ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である」)とも合致します。
「新福祉ビジョン」は今後の福祉改革を考える上での必読文献ですが、ソーシャルワーク(ワーカー)という用語は用いていませんでした。それに対して、「中間とりまとめ」は、ソーシャルワーク(ワーカー)の役割が正面から論じられました。ただし、ここで注意しなければならないことはソーシャルワーク機能を担うのは社会福祉士、精神保健福祉士だけではないことです。これは、それを保健師や介護福祉士、さらには最近では弁護士等も担っている現実を反映していると思います。日本福祉大学学長・日本社会福祉教育学校連盟会長としては、ソーシャルワーク機能を中核的に担うのは社会福祉士、精神保健福祉士であると明記して頂きたかったのですが、今後は、福祉系大学で、上記5つの機能・能力を持ったソーシャルワーカー、社会福祉士と精神保健福祉士を多数養成する必要があると考えています。日本福祉大学は2017年度から社会福祉学部の大改革を行うのですが、それの教育理念は、「新福祉ビジョン」の提起を正面から受け止めて作成しました。
地域包括ケアには地域づくりが含まれる
第3に、今後の地域包括ケアには地域づくりが含まれることについて述べます。
「地域包括ケア」では地域づくりが重要であること、両者が一体であることは、政府・厚生労働省の公式文書-「新福祉ビジョン」、「ニッポン一億総活躍社会プラン」、および「地域力強化検討会中間とりまとめ」-で異口同音に強調されています。
ここで私が強調したいことは、先進的「保健・医療・福祉複合体」(病院・医療機関が母体となって保健・医療・福祉サービスを一体的に提供している法人・グループ)は、全国各地で、地域包括ケア推進の一貫として、積極的に地域づくりに参加していることです。地域づくりは伝統的に福祉関係者、社会福祉協議会や地域福祉の研究者・実践者の専売特許と思われてきましたが、その常識は大きく変わりつつあります。それだけに、この面でも医療と福祉の連携が必要であることを強調したいと思います。
2. 追悼文:佐久間昭先生への感謝
(2017年4月22日、東京・ガーデンパレスで開催された「佐久間昭先生を偲ぶ会」のスピーチ用原稿。当日はこれを圧縮して3分間発言。佐久間昭先生は東京医科歯科大名誉教授・元難治疾患研究所所長。専門は臨床薬理学・薬効評価学等。2016年2月死去、85歳)
こんにちは、日本福祉大学の二木です。本日は、故佐久間昭先生に一言、感謝の言葉を述べたいと思い、名古屋から参りました。
私は東京医科歯科大学医学部を1972年に卒業しました。在学中は学生運動に没頭していたため、医学の勉強はあまりしませんでしたが、教壇を所狭しと歩き回る佐久間先生のダイナミックで明快な講義だけは比較的まじめに受けました。しかし、私が先生に本当にお世話になったのは大学卒業後10年を経た1981~1983年で、東大病院リハビリテーション部の上田敏先生の指導を受けながら、当時勤めていた代々木病院の脳卒中リハビリテーション患者のデータを解析した博士論文「脳卒中患者の障害の構造の研究」をまとめていたときに、統計学の基礎から多変量解析の使い方まで懇切丁寧に教えていただきました。
最初にお世話になったのは、1981年10-11月に渋谷区千駄ヶ谷の日科技連(日本科学技術連盟)で開かれた「第13回臨床試験における統計入門セミナー」に参加し、先生の連続講義を受けた時です。このセミナーは、主として製薬企業の臨床試験担当者を対象にしていたため、参加費は確か10万円ときわめて高額でしたが、先生のご厚意で無料で聴講させていただきました。私は統計学については博士論文をまとめる過程でそれなりに独習してはいましたが、先生の講義を通して、本を読んだだけでは分からない「統計学的な考え方」を理解することができました。一番重要だと思ったのは「最後は臨床的な判断が優先すること」で、先生がそれと対極にある姿勢を"significantosis"(有意差症)と皮肉ったことが心に焼き付きました。先生に教えて頂いたもう1つの警句は"GIGO"(Garbage in, garbage out.ゴミを入れても、ゴミが出てくるだけ)です。
先生には、翌1982年に、私が多変量解析で行き詰まった時に、何度も個人指導をして頂きました。一番長く指導されたのは1982年8月2日で、午後1時から7時半まで6時間半ぶっ通しで指導していただき、頭と体がふらふらになりました。さらに、1983年7-8月には日科技連の「第14回多変量解析法セミナー」をやはり無料で聴講させて頂きました。そのおかげで博士論文をまとめることができ(『総合リハビリテーション』11(6,7,8),1983)、翌1983年9月に東京大学から医学博士号を授与され、それが「武器」になって1985年4月に日本福祉大学教授に採用されました。
先生に教えて頂いたこと、特に"significantosis"と"GIGO"の2つの警句はその後、代々木病院での研修医や若手医師の研究指導をする際、および日本福祉大学に赴任してからは大学院生の修士・博士論文を指導する際に、いつも使わせて頂きました。2つの警句は、2006年に出版した『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房)の「コラム6」(123頁)でも詳しく紹介させて頂きました。
最後に、私は日本福祉大学に赴任後、専門をリハビリテーション医学から医療経済・政策学に変えましたが、先生から教えて頂いたことは、多変量解析を駆使して一見緻密に見える医療経済学の計量経済学的論文の「穴」を見抜く上で、今でも大変役立っています。
[参考]GIGOとsignificantosis
(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,123頁。【コラム6】)
GIGOとは"garbage in, garbage out"(ゴミを入れても、ゴミが出てくるだけ)の略語で、元になるデータが悪ければ、いくら精緻な統計処理をしてもマトモな結果は得られないという揶揄です。
私は、1981年[著書で1972年と書いたのは誤記]の第13回[同12回は誤記]臨床試験における統計セミナー(日科技連主催)に参加したときに、佐久間昭先生(東京医科歯科大学教授・当時)から初めて教えていただきました。別の方からは、GIGOはgigolo(ジゴロ)のもじりで、[ジーゴ]と発音すると教えられましたが、これは真偽不明です。
この言葉は、私の手持ちの統計学辞典等には掲載されていません(東洋経済新報社版『統計学辞典』1986、新曜社『統計用語事典』1984、朝倉書店版『社会調査ハンドブック』2002等)。谷岡一郎『「社会調査」のウソ』(文春新書,2000,23頁)では、社会調査方法論の世界の言葉として紹介されています。同氏は、この種のゴミを一番出しているのは「学者」と「その予備軍とされる大学院レベルの研究者」と主張されており、私も同感です。
意外なことにこの言葉は、普通の英和辞典には載っていますが、そこではこれはコンピュータ用語であり、しかも「不完全なデータの結果は信頼できない原則」あるいは「入力が正しくないと、出力の情報もやはり正しくないという経験則」であると、先述した意味より狭く説明されています。発音も[ガイゴウ]とのことです。
significantosis(統計的有意症。有意差症候群)は、統計的に有意であることは、医学(広くは実質科学)的に有意義であることとは別であるし、5%で有意よりも1%で有意の方が医学的に有意義だとは必ずしも言えないにもかかわらず、統計的に有意なことを即医学的にも有意義なことと誤解した「病気」のことで、佐久間昭先生が作られた造語かつ先生の十八番でした(詳しくは、『薬効評価-計画と解析I』東大出版会,1977,51頁[『新版 薬効評価』東京大学出版会,2017,54-55頁])。この言葉も、私は、1981年の第13回臨床試験における統計セミナー(日科技連主催)に参加したときに、先生から教えていただきました。
30年前と異なり、現在では統計学の基礎知識がなくても、パソコンで統計ソフトを用いて手軽に統計処理ができるようになった結果、この「病気」の罹患者が増加していると思います。これは、GIGOについても同じです。
3. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算134回)
(2017年分その3:8論文)
○健康の社会的決定要因:警告とニュアンス
Fuchs VR: Social determinants of health - Caveats and nuances. JAMA 317(1):25-26,2017.[評論]
健康の社会的決定要因の重要性は広く認められるようになっている。このことは疑いもなく医療政策と診療の改善に寄与するであろう。この概念自体は重要だが、いくつかの警告と分析的検討の必要性を述べる必要がある。「社会的決定要因で健康の変動の半分を説明できる」との言説は、正しくないが、間違ってもいない。この言説は不完全である。というのは、異なった諸要因(社会的要因、生物学的要因、医療)の相対的重要性はどの時代やどの場所の健康の変動を説明するかによって、大きく異なるからである。例えば、第2次大戦期(1940-45年)の平均寿命の急増の主因は社会的要因(所得上昇、失業率低下等)であると考えられるが、1970-1980年の心疾患と脳血管疾患の急減の主因は医療(特に積極的な高血圧治療)と考えられる。様々な社会的要因-所得、教育、家屋、栄養、職業等-が平均寿命と相関し、しかもそれらの間の相関も非常に高い。この多重共線性は、稀少な資源をどれに配分すれば健康が最も増進するかの判断を難しくする。どの健康を問題にするかで、答えは変わるであろう。
二木コメント-医療経済学の世界的泰斗フュックス教授のバランス感覚ある最新評論です。健康の社会的決定要因の重要性を認めた上で、それの過大評価に「警告」し、分析的研究の必要性を強調しています。私は同じ警告は、個人の悪い生活習慣=個人責任に偏重しがちな日本の「生活習慣病対策」についても当てはまると思います。
○[アメリカの]メディケア・メディケイド・サービスセンターの質に応じた支払い方式がセーフティネット病院と低所得・医学的脆弱人口に与える意図せざる影響
Fos EB: The unintended consequences of the Centers for Medicare and Medicaid Services pay-for-performance structures on safety-net hospitals and the low-income, medically vulnerable population. Health Services Management Research 30(1):10-15,2017.[文献レビュー・評論]
セイフティネット病院とは無保険者、低水準の保険加入者、低所得者や医学的に脆弱な患者の比率が高い病院であり、貧しい患者の最後の拠り所となっている。本論文ではメディケア・メディケイド・サービスセンターが2014年に導入した質に応じた支払い方式がセイフティネット病院の経営に与えた影響を検討した。諸研究は、この方式は報酬とペナルティの原則に基づいているために、意図的ではないが、他の病院に比べてセイフティネット病院に対して経営的困難をもたらしている可能性があることを示している。別の諸研究は、この方式は貧しい患者の多いセイフティネット病院は豊かな患者の多い病院より、ペナルティを受けやすくなっている可能性があると示唆している。
二木コメント-質に応じた支払い(P4P)の従来の文献レビューではほとんど検討されていないP4Pの「意図せざる影響」についての貴重な文献レビューです。ただし、文献収集・選択の基準・プロセスは明示されておらず、「評論」に近いと思います。
○所得、経済的バリアが医療と公的医療費に与える影響:28か国のマルチレベル分析
Kim TJ, et al: Income, financial barriers to health care and public health expenditure: a multilevel analysis of 28 countries. Social Science & Medicine 176:158-165,2017.[国際比較研究・量的研究]
国際的な諸研究は低所得の人々は医療アクセスに困難を抱えていることを繰り返し明らかにしているが、この関係がなぜ国ごとで異なるかについては余り知られていない。本研究は、所得と医療への経済的バリアとの関連が各国の公的医療費(PHE.総医療費に対する割合)によって影響されるか否かを検討する。国際社会調査プログラムのデータを用いた(日本を含む28か国の回答者23,669人)。経済的バリアは、経済的理由による医療の差し控え(forgone care)の個人的経験の有無により評価した。1月当たりの家計の等価所得を主要予測因子に含めた。他の個人レベルの制御変数は年齢、性、教育、主観的健康、保険加入の有無と居住地である。PHEの総医療費に対する割合はマクロレベルの予測因子と見なした。
所得と医療の差し控えとの間の統計的に有意な関係が28か国中21か国で認められた。国ごとのマルチレベル分析により、低所得の人々は医療の差し控えが多いことが明らかにされた(オッズ比:3.94。95%信頼区間:2.96-5.24)。個人レベルの共変数を調整するとこの関連はわずかに低下した(オッズ比2.94。95%信頼区間:2.16-3.99)。PHE割合は所得と医療の差し控えとの関連を弱めなかった。
以上から、医療の財政方式と医療アクセスの不平等との関連は当初想定していたよりも複雑であると思われる。今後、異なった医療制度において、PHEの割合が医療資源の再分布にどのように影響を与えるかの研究が必要である。
二木コメント-膨大なデータを用いた量的国際比較研究ですが、結論はやや「肩すかし」です。ただし、28か国における「医療の差し控え」経験のある回答者割合のデータは貴重と思います(平均9.1%。日本は3.8%)。
○オランダにおける[免責制の]自己負担増加と専門医に紹介されても受診しない患者割合の変化
van Esch TEM, et al: Increased cost sharing and changes in noncompliance with specialty referrals in the Netherlands. Health Policy 121(1):180-188,2017.[量的研究]
オランダでは、2008~2016年の間に自己負担の一形態である強制的免責額が2倍以上に増加した:2008年150ユーロ、2012年220ユーロ、2013年350ユーロ、2016年385ユーロ。その結果、医療の差し控え(refraining from medical care)が生じたとされている。本研究では、患者自己負担と医療の差し控えとの関連を、専門医に紹介されても受診しなかった患者の割合(以下、不遵守率)を評価することで検討した。調査期間は2008-2013年の5年間で、保険者に提出される一般医からの専門医への紹介データと専門医からの請求データを用いた。それらと患者特性との関連は、マルチレベル・ロジスティック回帰分析を用いて推計した。
不遵守率は2008~2010年は安定しており約18%だったが、2013年には27%に上昇した。不遵守率は25-39歳で最も高かった。不遵守率の上昇率は子どもと慢性疾患患者で最も高かった。不遵守率の上昇が都市部の低所得地域の患者で有意に高いことはなかった。以上から、不遵守率は強制的免責額が増加した期間に起こったと結論づけられる。ただし、両者の間に1対1の関係があると示唆しているわけではない。
二木コメント-免責額を含む自己負担増加が医療受診を抑制することは膨大な研究で実証されていますが、それが一般医から紹介されても専門医を受診しない患者の割合を増やすことを実証した初めての研究と思います。
○外来サービスの効果と効率の改善:プライマリケアとセカンダリケアのインターフェイスへの介入のスコーピングレビュー
Winpenny EM, et al: Improving the effectiveness and efficiency of outpatient services: a scoping review of interventions at the primary-secondary care interface. Journal of Health Services Research & Policy 22(1):53-64,2017.[文献レビュー]
プライマリケアからの患者紹介パターンのバラツキは専門医サービスの不適切な過剰利用や過少利用を招きうる。本研究の目的は、外来サービスの効果と効率を改善するようデザインされているプライマリケアに関する諸戦略についての文献レビューを行うことである。2006年に発表された文献レビューのスコーピングレビューを行った。体系的文献レビューを行い、以下の5つの介入領域ごとに得られた質的エビデンスを合成した:病院からプライマリケアへのサービスの紹介・代替、病院サービスのプライマリケアへの再配置、プライマリケア医と専門医との協働、プライマリケア医の紹介行動を変えるための介入、患者の行動を変えるための介入。
2005年以降発表された文献から最終的に183文献を選んだ。それらは、セカンダリケアからプライマリケアへの患者紹介とプライマリケア医の紹介行動を変えるための戦略が、(病院・専門医診療所への)外来患者の紹介を減らし、紹介の適切性を増す上で有効であることを示唆している。専門医のプライマリケア医への、電子メールまたは電話またはテレメディスンによる助言が得られることも、外来患者の紹介の減少、ひいては医療費の削減をもたらす可能性がある。専門医のプライマリケアへの再配置や、プライマリケア・セカンダリケアでの患者の外来紹介のための共同ケアマネジメントの効果のエビデンスはほとんどない。すべての介入領域で費用対効果についてのエビデンスはほとんど得られていない。専門医を地域で働くようにする動きは、教育や複雑な問題を抱える患者の共同コンサルテーションによりプライマリケア医のスキルを高めない限り、費用効果的とは言いがたい。
二木コメント- 外来サービスの効果と効率改善ための様々な戦略の貴重な文献レビューです。一番のポイントはこれらにより費用対効果が改善するとのエビデンスは得られていないことだと思います。
○ヨーロッパ5か国における病院とGPの競争促進政策
Siciliani L, et al: Policies towards hospital and GP competition in five European countries. Health Policy 121(1):103-110,2017.[国際比較研究]
本研究はヨーロッパ5か国(フランス、ドイツ、オランダ、ノルウェイ、ポルトガル)の事例調査に基づいて、病院とGPの競争に影響する政策を概観する。各国の政策には類似性と違いの両方が認められる。患者の医療機関の選択制限は緩められているが、公的に提供されている情報の量とタイプは国ごとに違っている。質についての競争を促進するために、病院への1患者当たり定額支払いが増えているが、価格設定の方法は国ごとに異なっている。価格は集団交渉で決められるか、政治的プロセスで決められるか、保険者と医療提供者の個別交渉で決められるか、全国一律の提供者価格が決められる。GP間の競争も国ごとに違っており、一部の国では競争は医師不足や参入制限で制約されている。新しい試みとしては、慢性疾患を持つ患者の医療の断片化を減らすための選択的契約がある。競争政策担当する当局は一般的には私的病院の合併についての権限を有しているが、合併が質に与える影響の評価は今後の課題となっている。本研究により医療における競争促進政策は非常に多様であることが明らかになった。
二木コメント-5か国の医療分野での最新の競争促進政策を概観する上では便利な文献と思います。ヨーロッパ諸国に限定しても、それは「収斂」していないこと、ましてやこの領域での「世界標準」はないことがよく分かります。
○[アメリカの病院のサービス]料金表のミステリー:病院の公式価格と実際に患者が支払う額との関係を検証する
Batty M, et al: Mystery of the chargemaster: Examining the role of hospital list prices in what patients actually pay. Health Affairs 36(4):689-696,2017.[量的研究]
アメリカの病院はすべての請求可能なサービスについて公式価格(offitial list prices)を含む「料金表」を持っている。その価格は病院ごとに異なり、しかも病院が実際の治療費として受け取る額より平均すると3倍も高い。この点から見ると、公式価格は、アメリカ医療の奇妙で、究極的には筋の通らない慣行と結論づけたくなる。しかし、2002-2014年の全国とカリフォルニア州のデータセットを分析したところ、公式価格は病院の戦略的行動を反映ししており、患者と保険者が支払う額に意味のある影響を与えていることを示唆するかなりのエビデンスが得られた。公式価格は病院間および地域間で大きく異なるが、観察可能な病院の特性(開設者や規模等)で相当予測できること、および実際に患者と保険者が支払う額と正の関連があることが分かった。さらに、カリフォルニア州病院公正価格法(2006年)の施行前後のデータ分析により、高額な公式価格は無保険者の支払額を増加させていることが示唆された。しかし、公式価格と医療の質との関連は限定的であった。
二木コメント-アメリカ医療の「ミステリー」(日本から見れば「闇」)の1つである、病院の公式価格と実際に患者・保険者が支払う額との乖離に迫った貴重な研究と思います。list priceは「公式価格」と訳しましたが、「表向きの請求価格」とでも訳した方が実態に合うと思います。
○秘密の医薬品価格割引についての支払者の経験:北欧、ヨーロッパ及び豪州における公的または法定医療制度の調査
Morgan SG, et al: Payers' experiences with confidential pharmaceutical price discounts: a survey of public and statutory health systems in North America, Europe, and Australasia. Health Policy 121(4):354-362,2017. [質的研究]
世界中の医薬品の公的支払い者の間では、医薬品の公定価格(official list price)についての秘密の割引交渉を行うものが増えている。公的医療保障制度または社会保険制度を有する高所得国における特許医薬品についての秘密の価格割引についての経験と意思についての匿名調査を行った。本調査に参加した10か国(アメリカの退役軍人庁を含む。日本は含まない)では秘密の価格割引は広く行われていたが、一部の国ではそれはごく最近始まっていた。いくつかの国では、過去数年間に様々な割引方式を用いるようになっていた。最も一般的な割引率は公定価格の20-29%であったが、6か国の調査参加者は、一部の医薬品で過去2年以内に最大60%の割引を得ていた。調査参加者は秘密の割引は広く行われているが複雑であり、プライマリケアのための医薬品より特殊医薬品で重要だと報告していた。医薬品の公定価格は支払い者が実際に支払っている額とは乖離している。
二木コメント-従来はベールに包まれていた秘密の医薬品価格割引についての貴重な調査です。
4.私の好きな名言・警句の紹介(その149)-最近知った名言・警句
<研究と研究者の役割>
- カール・バーンスタイン(調査報道ジャーナリスト・元ワシントンポスト記者。『大統領の陰謀(ウォーターゲート事件)』共著者)「報道の真の敵は社会通念である(原語: Conventional wisdom is the enemy of good reporting)」(ドキュメンタリー映画「すべての政府は嘘をつく」)。二木コメント-研究の敵も同じだと思います。
- 香取照幸(アゼルバイジャン共和国大使、元厚生労働省雇用均等・児童家庭局長)「現場行政官の戒めに『できる限り現場に足を運べ。そしてたくさんの人の声を聞け』というのがあります。もちろんこれは当たり前のことですが、これには続きがあります。/『そうすれば、現場の何が真実で何が嘘だかわかる』。これは、多くの行政官の実感です。現場の何が真実で何が真実でないか。個別の事象の奥にある問題の本質は何か。それを読みとる力、表面的な事象の奥にある真の実態を見極める力。それこそが『実態把握能力』なのであり、その能力は/・どれだけ多くの現場と接したかという『経験』から生まれる『人や社会に対する想像力』、/・相矛盾する様々な事象を分析・理解しそこから解を導く『専門知』、/そして/・人間としての『感性』を磨くことでしか獲得することはできません」(2017年3月13日に東京で開催された「香取照幸さんをアゼルバイジャンへ送り出す会」で配られた香取氏の講演資料「『実態把握能力』『コミュニケーション能力』『制度改善能力』」)。二木コメント-私は「医療や福祉の『現場』出身の教員の中には、実践・現場を神聖視している方が少なくありませんが、医療や福祉の現場には矛盾が満ちあふれており、とても美化できません」と考えているので、「現場の何が真実で何が嘘だかをわかる」との指摘に大いに共感しました(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,109頁)。香取氏が強調する「実態把握能力」は研究者こそ不可欠と思います。
- 春成秀爾(考古学者、国立歴史民族館・総合研究大学院大学名誉教授。1942年生まれ)「いろいろな研究者の過去の論文を読むと、『あのころが一番良かった』とピークが分かってしまう。50歳を過ぎた頃から、調査に出かけなくなり、アイデアも枯れて新鮮味に乏しいことを繰り返し書く人がいます。僕はそうなりたくない。新しいテーマに取り組み、確かなことを書くことに専念したいんです。オリジナリティの高い研究をつづけることが研究者のあるべき姿だと思っていますから』(『公研』2017年3月号、「私の生き方第565回「僕は十兎を得たい」37頁)。二木コメント-私は今までヘーゲルの教えを守って、「自己を限定」し、せいぜい「二本立」の生活をしてきましたが、学長退任後だいぶ時間的・精神的余裕ができたので、「十兎」はともかく、「三兎」くらいは目指そうと思いました。
- 春成秀爾「僕は部分しか[研究を]やっていないんですよ。ある特定の部分に強い関心をもってやってきたけれども、全体像を描こうとしてこなかった。(中略)でもそれ[通史]を書くためには個別にあれもこれもやらないといけない。この部分は誰それの考えで埋めようということが僕はできないのです。いつかは通史を書きたいという思いはあります。だけど、それは実現しないでしょうね」(上掲インタビュー,33-34頁)。二木コメント-私も同じスタンスで、それが今まで書き下ろしの単著を書かなかった(書けなかった)理由の一つです。「通史」や概説書ではない、書き下ろしの単著をどう書くかが私の新しい課題の一つです。
- 瀬川至朗(早稲田大学政治経済学術院教授。元毎日新聞編集局次長)「客観性は重要なジャーナリズムの要素である。ただし、長いあいだ、『客観的に伝えること』が客観性の意味だと誤解され、ニュース表現のスタイルとして使用されてきた。客観性にもう一度、本来の意味をあたえる必要がある。真の客観性とは取材における科学的方法のことであり、さまざまな形で対象の出来事を検証することである。つまり、ジャーナリズムにおける客観性とは検証の規律を意味している」(『科学報道の真相-ジャーナリズムとマスメディア共同体』ちくま新書,2018,243頁。客観性に関して、コヴィッチ「ジャーナリズムの原則」が言わんとするところをまとめた)。二木コメント-この「真の客観性」は、アメリカの医療政策研究の泰斗ローマー教授の次のスタンスと共通していると思います。ただし、私は「真の(あるいは、本物の)○○」的表現は、上から目線であると感じ、使いません。
- MI・ローマー(UCLA公衆衛生学大学院教授・当時)「医療制度のような社会現象の分析は常に研究者の視点に影響される。私は、得られる諸事実がすべてしかも誠実に示されている限り、その解釈が特定の社会的又は倫理的価値判断に基づいている場合にも、これを『偏っている』とみなすべきだとは考えない」(Roemer MI: National Health System of the World Volume 1. Oxford University Press, 1990,p.ix.『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,74頁)。
<その他>
- 田中小枝「私流AKBは (中略)A…あきらめない、K…こびない、B…ぶれない」(「しんぶん赤旗日曜版」2017年4月9日号、「読者のページ」)。二木コメント-私は日本福祉大学の副学長・学長時代、「めげない(ぶれない)、媚びない、辞めない」を役職者としての信条としていました。この「辞めない」とは「何があっても自分から役職を辞めない」という意味で、「あきらめない」に通じると思い、大いに共感しました。
- 坂上忍(俳優等)「お医者さんに頂いた薬も、薬局で売られている薬もなるべく飲まず、とにかく『ヤベぇな』とおもったらお付き合いがあったとしてもきっぱりお断りして、とっとと家に帰ってサッサとお風呂に入ってチャッチャと布団の中に潜り込んで寝る!(中略)肝心なのは、身体に違和感を覚えたらすぐに対処すること。(中略)己の肉体が発する愚痴や悲鳴に耳を傾けること、とでも言うんですかね」(『週刊新潮』2017年3月16日号:103頁、「坂上流・引いた風邪をこじらせない方法」)。二木コメント-これは岸信介元首相の有名な長寿の秘訣「転ぶな、風邪を引くな、義理を欠け」に通じると思います。
- 藤村俊二(俳優。2017年1月25日死去、82歳)「この世でいちばん愉快なことは、何かを持っていることではなく、何かを経験できる瞬間です」(「朝日新聞」2017年3月27日夕刊、「惜別」。手書きメモに書かれていた言葉)。