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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻158号)』(転載)

二木立

発行日2017年09月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

論文「『地域力強化検討会最終とりまとめ』をどう読むか?」を『日本医事新報』9月2日号に掲載します(「深層を読む・真相を解く」(67))。

両論文は「ニューズレター」159号(10月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。


1. 論文:厚生労働省の「生活習慣病」の説明の変遷と問題点-用語見直しを検討する時期
(「二木教授の医療時評」(151)『文化連情報』2017年9月号(474号):16-23頁)

はじめに-日野原重明先生の功績と私の違和感

日野原重明先生が7月18日、105歳で亡くなりました。「生涯現役医師」を貫いた先生の功績は、「全人医療」や「患者参加の医療」の先駆的な提唱、看護教育の向上等、枚挙にいとまがありません。さらに先生は、平和と命の大切さを伝える教育にも熱心に取り組まれました。先生の名言「75歳をすぎてから第3の人生が始まる」(2000年9月「新老人の会」発会式挨拶)は、今年70歳になった私個人への「励まし」ともなっています。

ただし私は、新聞各紙が日野原先生の功績として、「(生活)習慣病」という名称を早くから唱え、厚生省(当時)がそれを1996年に採用したことをあげていることには違和感を持ちました。私も、先生が脳卒中や心疾患等、当時「成人病」と呼ばれていた疾患の発症予防にとって、食生活や運動などが重要なことを強調した功績は大きいと思っています。私自身も、タバコは吸わず、酒も飲まず、毎日きちんと3食摂り、週末・休日を含め早寝早起き(9時就寝、5時起床)を励行し、しかも本年4月に学長を退任してからは自転車に乗るのを止め、代わりに毎日速歩を行っている自称「健康優良爺」です。しかし、「生活習慣病」という用語には、日野原先生のかつての解説を含めて、病気の多様な原因を個人の生活習慣=自己責任に単純化する傾向が強いし、しかも近年その傾向が強まっていると危惧しています【注1】

例えば、小泉進次郎議員等が昨年10月に発表した「人生100年時代の社会保障へ(メッセージ)」は、「医療介護費用の多くは、生活習慣病、がん、認知症への対応」であり、「これらは、普段から健康管理を徹底すれば、予防や進行の抑制が可能なものも多い」にもかかわらず、「現行制度では、健康管理をしっかりやってきた方も、そうではなく生活習慣病になってしまった方も、同じ自己負担で治療が受けられる」ことを問題視し、健康管理での自助を促す「健康ゴールド免許」(健康維持に取り組んできた方が病気になった場合は、自己負担を低くする)の創設を提唱しています。生活習慣病対策に継続的に取り組んでいる辻一郎氏(東北大学医学部教授)も、「喫煙、肥満には不健康税を」導入することを提唱しています(1)

そこで、本稿では、厚生労働省の「生活習慣病」の説明がどのように変わってきて、どのような問題があるのかを振り返ります。この作業のために、平成7~28年版(22年間)の『厚生(労働)白書』の生活習慣病の記述の変遷をチェックするとともに、引用文献・資料を読みました。最後に、「生活習慣病」概念に対する先駆的批判と同概念の限界を明らかにした最新の実証研究を紹介し、「生活習慣病」という用語の見直しを検討すべきと主張します。

1996年公衛審「意見具申」と『平成9年版厚生白書』

「成人病」に代え、「『生活習慣病』という概念の導入」を初めて提唱したのは、公衆衛生審議会(大谷藤郎会長)が1996年12月18日にとりまとめた「生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)」(以下、「意見具申」)でした。「意見具申」は、「生活習慣病(life-style related disease)」を「食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒等の生活習慣が、その発症・進行に関与する疾患群」と定義することが適切であると提唱すると共に、食習慣・運動習慣・喫煙・飲酒との関連が明らかになっている疾患を例示しました。それらは、インスリン非依存性糖尿病、肥満、高脂血症(家族性のものを除く)、高尿酸血症、循環器病(先天性のものを除く)、歯周病、高血圧症、慢性気管支炎、肺気腫、アルコール性肝疾患等です。がんのうち、「大腸がん(家族性のものを除く)と肺扁平上皮がんの2つも含まれました。

厚生省は「意見具申」を受けて、すぐ「成人病」から「生活習慣病」に呼称を変更し、「意見具申」からわずか1か月後の1997年2月1~7日を「生活習慣病(成人病)予防週間」に変更しました。同年6月に発表された『平成9年版厚生白書』の副題は「『健康』と『生活の質』の向上をめざして」で、第1編の第2章がまるまる「生活習慣病」でした(50-79頁)。厚生労働省は、現在も上記定義を用いており、例えば本年3月29日の中医協総会提出資料「外来医療(その2)」の「生活習慣病とは」にこの定義と疾患例が引用されています(18頁)。この「意見具申」は今でも全文がウェブ上に公開されています。

私は「意見具申」の以下の2つの記述に注目しました。1つは、「疾病の要因と対策のあり方」の図(2頁)で、「外部環境要因」(病原体、有害物質、事故、ストレッサーなど)と「遺伝要因」(遺伝子異常、加齢など)と「生活習慣要因」(食生活、運動、喫煙、休養など)の3つを同等に扱っていたことです(図1。図は「外部要因」だが、本文は「外部環境要因」)。もう1つは、「『生活習慣病』に着目した疾病概念の導入の必要性」の最後で、「但し、疾病の発症には、『生活習慣要因』のみならず『遺伝要因』、『外部環境要因』など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、『病気になったのは個人の責任』といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある」と注意喚起したことです(4頁)。

厚生省が当時、この点を正確に広報していれば、「生活習慣病」を個人責任と見なす近年の風潮を予防できたと思います。しかし『平成9年版厚生白書』は、上記図は掲載したものの、この注意喚起は書かず、逆に、「生活習慣は、基本的には個々人が自らの責任で選択する問題であり、まず、国民一人ひとりが、正確な健康情報を踏まえ生活習慣の重要性を認識することが出発点となる」(68頁)と、注意喚起とは逆の「健康の自己責任論」に通じる記述をしていました。

「健康日本21(第一次)」と健康増進法

この用語変更を踏まえて、2000年に「健康日本21(第一次)」が制定され、2002年に健康増進法が成立しました。「健康日本21(第一次)」は、「個人による健康の実現」を掲げ、そのために「個人の力と併せて、社会全体としても、個人の主体的な健康づくりを支援していくことが不可欠」としました。そのために、9領域について2010年までに実現すべき80項目(再掲を除くと59項目)の数値目標を示しました。9領域は6つの生活習慣と3つの疾患(糖尿病、循環器病、がん)とされました。

ここで注目すべきことは、「意見具申」では生活習慣との関連が明らかになっている「がん」として、大腸がん(家族性のものを除く)と肺扁平上皮がんの2つのみを例示していたのと異なり、「健康日本21(第一次)」では「がん」全体が生活習慣に関連するとされ、「がんの一次予防の推進を図る観点から、生活習慣の改善、がんの検診の受診者数等について[数値目標を]設定する」とされたことです。

健康増進法第二条には「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」との「国民の義務」が盛り込まれました。この規定は1982年に成立した老人保健法の第二条1項(基本的理念)に初めて導入された、以下の義務規定の健康政策版と言えます。「国民は、自助と連帯の精神に基づき、自ら加齢に伴つて生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、老人の医療に要する費用を公平に負担するものとする」。ただし、同法では「生活習慣病」の法的定義は示されませんでした。この点は現在も同じです。

『平成19年版厚生労働白書』が「生活習慣病進行モデル」

厚生労働省は、『平成19年版厚生労働白書』で、健康の自己責任を前面に出した「生活習慣病進行モデル」を提示しました。

同白書は副題が「医療構造改革の目指すもの」で、前年(2006年)に小泉政権の下で成立した医療構造改革関連法について詳細に解説しました。この法律は生活習慣病予防を強化し、新たに「メタボリック症候群(内臓脂肪症候群)」概念を導入しました。白書は、この概念を組み込んだ「生活習慣病の進行モデル」を提起しました(32頁。図2)。それは、「『不健康な生活習慣』の継続により、『予備群(境界領域期)』→『内臓脂肪症候群としての生活習慣病』→『重症化・合併症』→『生活機能の低下・要介護状態』へと進行していく」という単線モデルで、『平成9年版厚生白書』では触れられていた「外部環境要因」と「遺伝要因」には全く触れませんでした。これにより、「生活習慣病」は「個人の不健康な生活習慣」が原因=自己責任とのイメージが拡大・固定したと思います。

ただし、この「モデル」は「循環器系の生活習慣病」のみを対象としており、「がん」は含まれませんでした。他面、「生活習慣病の医療費と死因別割合」の図(29頁)には、すべての「悪性新生物(がん)」が含まれていました。このような「生活習慣病」の範囲の「二重基準」は現在まで続いています。

「健康日本21(第二次)」での軌道修正

2012年に改正された「健康日本21(第二次)」は、このような極端な「個人(責任)モデル」を軌道修正しました。私は、以下の3つの変化に注目すべきと思います。
①「基本的な方針」で、生活習慣の改善と「社会環境の改善」を同等に位置付け、「基本的な方向」の第4に「健康を支え、守るための社会環境の整備」を加えた。②「基本的な方向」の第1に「健康寿命の延伸と健康格差の縮小」を掲げた。政府の健康政策に「健康格差の縮小」が含まれたことは画期的です。③「基本的な方向」の第2で、「生活習慣病の発症予防」と並んで「NCDの予防」を掲げた。このNCD(非感染性疾患)は近年国際的に重視されている概念で、「生活習慣病」を重要な構成要素とする(つまり「生活習慣病」よりも広い概念)と説明されています。他方、「健康日本21(第一次)」と同じく、「主要な生活習慣病」には「がん」全体が含まれていました(8頁)。

「健康日本21(第二次)」には、新たにNCDという概念を用いる詳しい理由・背景は書かれていませんが、『平成27年版厚生労働白書』は、「国民健康づくり運動の展開」の項で、以下のように述べました。「近年、がん、循環器疾患、糖尿病、慢性閉塞性肺疾患(COPD)など非感染性疾患(Non Communicable Diseases:NCDs)という概念で一括りに捉え、包括的な社会政策として取り組むことが国際的潮流となっている。これは、NCDsの発症や重症化は、個人の意識や行動だけでなく、個人を取り巻く社会環境による影響が大きいため、地域、職場等における環境要因や経済的要因等の幅広い視点から、社会政策として包括的に健康対策に取り組む必要があるという考えに基づくものである」(435頁)。これは、生活習慣病=個人の自己責任とする従来の説明の修正と言えます。

健康格差研究の第一人者の近藤克則氏(千葉大学予防医学センター教授)も「健康日本21(第一次)の最終評価では、2010年の目標を達成したのは10項目にとどまり、逆に9項目で後退したことを踏まえ、「従来の生活習慣に着目する保健・健康政策だけではうまくいかないと判断されたからこそ、『社会環境の質の向上』が『健康日本21(第2次)』では謳われた」と説明しています(2:176頁)。

私はこのような「健康日本21(第二次)」の軌道修正は画期的であると思いますが、まだ一般にはほとんど知られていないため、生活習慣病=自己責任説が社会的に蔓延しています。それだけに厚生労働省にはこの新しい考えの広報を強めて頂きたいと思います。

おわりに-「生活習慣病」用語の見直しを

以上、厚生労働省の生活習慣病についての説明の変遷を紹介してきました。それにより、「健康日本21(第二次)」で軌道修正が行われたものの、生活習慣病の概念・範囲が動揺していることを明らかにできたと思います。最後に、「生活習慣病」概念の先駆的批判と最新の実証研究を紹介します。

藤井博之氏と原昌平氏の先駆的批判

私は今回CiNii(国立情報学研究所の日本語論文データベース)等を用いて、「生活習慣病」概念を批判した論文を探しましたが、見つけられませんでした。しかし、その過程で藤井博之氏(日本福祉大学教授。文献執筆時・みさと健和病院内科医)が2002年と2008年に著書(共著)で、原昌平氏(読売新聞大阪本社編集委員)が2005年に論文で、「生活習慣病」についての鋭い先駆的批判をしていることを知りました。

まず藤井氏は2002年出版の『戦後日本病人史』の第7章「産業構造の変動と社会」の(4)(b)「社会病化する一般病」で、生活習慣病概念を以下のように批判しました(3:286頁)。「生活習慣病」という「呼び方は、社会によって強制される様々な過労・ストレスへの視点が欠落している。さらに、食生活ひとつとっても、労働時間の延長や共稼ぎの増加を補う外食産業の増加等、社会的な要素は大きい。その意味で、『生活習慣病』という言葉・考え方は、高度成長期の労働災害で企業側が唱えた『本人不注意論』の、低成長・平成不況期版と言える」。

藤井氏は、2008年発行の『保健医療福祉くせものキーワード事典』の「生活習慣病」の項で、「『生活習慣病』という言葉の攻撃性」(「病気になったのは、自分(の生活習慣)が悪いからだ」という攻撃的なメッセージが込められている)を指摘し、「厚生労働省自身が、『差別や偏見』を引き起こしかねない表現をネット上でしている」と批判しました(4:199-200頁)。藤井氏はさらに、過労死と生活習慣病とを対比させ、「過労死が加害者のいる社会病としての意味をもっており、そのことばが定着した時代[1980~1990年代]に、病気における個人の責任を強調するニュアンスが強い生活習慣病という用語がクローズアップされていった」との鋭い指摘も行っています(202頁)。

原昌平氏は2005年発表の論文で、「言葉には独自の力がある。たとえ最初は条件付きで使った用語でも、いったん広まると、言葉自体が物事のとらえ方を誘導していく」、「その結果、[生活習慣病は]個人の努力で大半が防げるような印象を与え、発病は長年の不適切な生活の積み重ねのせい、という患者に厳しい見方を広げた」と批判するとともに、「[患者の]非難ではなく、援助するのが医療」だと主張しました(5)。なお、同氏の論文がCiNiiでヒットしなかったのは、掲載誌がCiNiiの検索対象に含まれていないためでした。

「生活習慣病」概念の限界を示した近藤克則氏と橋本英樹氏等の実証研究

以上の藤井氏と原氏の批判は理論的批判と言えますが、最近は、生活習慣病概念の有効性に疑問を呈した実証研究のレビューも発表されています。

まず近藤克則氏は、上述した『健康格差社会への処方箋』の第1章「ライフコース・アプローチ[疫学]」で、国内外の膨大な実証研究を踏まえて、「生活習慣病」の「原因(少なくとも背景因子)は、成人期の生活習慣だけでない。30年以上前の小児期や、さらには妊娠期にまで遡れる」と結論づけています(2:23頁)。これは「生活習慣病」概念への根源的かつ実証的批判と言えます。さらに同氏は論文「『健康ゴールド免許』導入の前に知るべきこと」で、「健康の社会的決定要因」についての最新の実証研究を紹介して、本稿の「はじめに」で紹介した「健康ゴールド免許」の事実誤認を指摘しています(6)。

橋本英樹氏(東京大学大学院医学系研究科保健社会行動学分野教授)等は、「生活習慣病」の中核を占めるⅡ型「糖尿病の予防・療養行動を左右する社会的構造要因」についての最新研究をレビューし、「個人の知識や技能、健康に対する態度が生活習慣行動を決定する度合いは実は限定的である」ことが明らかになったと指摘し、この知見に基づいて「ハイリスク群の糖尿病予備群に集約的な行動介入を図るだけでなく、社会的・政策的レベルでの環境づくり・地域づくりと組み合わせることが、効果を上げるために必要と考えられている」と指摘しています(7)。さらに橋本氏は、加藤明日香氏等との共同研究に基づいて、「糖尿病の予防・受療行動を妨げる規範『スティグマ』の影響」について詳述し、「生活習慣の改善が個人の意思・地域・態度だけで決まると限定的に考えることは、むしろ生活習慣の改善の道を閉ざし、患者を孤立に追い込む可能性を秘めている」と警告しています【注2】。

「『生活習慣病』概念は廃棄されるべき」

目を海外に転じると、ヴァルゴーダ氏(デンマーク・コペンハーゲン公衆衛生学部門)は、2011年時点でデンマーク、ノルウェイ、フィンランド、イギリスで進められていた「いわゆる生活習慣病対策」は疾病の原因のひとつのみを取り出し、人々の行動またはライフスタイルにのみ焦点を当てるため、健康を改善する他の可能性を無視していると批判し、「生活習慣病」概念は廃棄すべきと主張しています(8)。

日本でも「健康日本21(第二次)」等に沿って「包括的な社会政策」として健康増進対策を進めていくためには、疾病が自己責任と誤認させる「生活習慣病」という用語の見直しを検討すべきと思います。私はとりあえずは、原昌平氏が提唱しているように、「生活習慣病」から「生活習慣関連病」への変更が現実的と思います(9)。この用語は、1996年の「意見具申」が、英国で用いられていると紹介した"life-style related disease"の適訳とも言えます(「意見具申」は「生活様式関連病」と訳していました)。

【注1】日野原重明先生が「習慣病」を初めて提唱したのは1978年

公衆衛生審議会「意見具申」の最後の「参考文献欄」によると、日野原先生が「成人病に代わる『習慣病』という言葉の提唱と対策」(論文名)を発表したのは1978年の『教育医療』誌です(10)。同誌のこの号は国立国会図書館にもありませんでしたが、先生の著書『医療と教育の刷新を求めて』に全文再録されていました。

日野原先生はこの論文で、「あいまいな成人病のイメージ」を指摘した上で、以下のように主張されました。「『習慣病』-日常の悪い習慣が生み出す病気」。「あなたの日常の悪い習慣からくる病気、何年も何十年も毎日繰り返しているあなたの習慣の中に、何か悪い因子があって、そのために病気がだんだんと作られるそのような病気を総称して、私は『習慣病』と呼びたいのです」。「あなたの生き方、ライフ・スタイル、暮らしのあやまりが将来の病気を発生させるのです。予防するには、あなたのその『生き方』を変えざるをえません」。これは、いわば生活習慣単一因子(要因)説であり、「意見具申」と異なり、他の「因子」(外部環境要因、遺伝要因)には全く触れていませんでした。

日野原先生は「意見具申」が発表された直後の1997年に『「生活習慣病」がわかる本-あなたがつくり、あなたが治す病気』を出版されました(11)。この本でも、「生活習慣病」について、「長い年月をかけて自分で原因を作っていく成人病」(19頁)、「だれのせいでもなく、自分が長年の悪い習慣のためにつくってしまった病気」(23頁)、「あなたが自分でつくる病気」(44頁)等、もっぱら患者の自己責任を強調していました。「意見具申」の疾病の三要因説もちらりと紹介していましたが(26頁)、それはあくまで一般論にとどまり、「現代日本人の病気の約四分の三はこのタイプ(習慣病)」とも主張されました(55頁)。

【注2】人工透析患者への医療給付さえ否定した長谷川豊氏の極論

橋本氏等が指摘した糖尿病への強いスティグマにとらわれて、人工透析患者の医療給付さえ否定した極論を2016年9月に主張して、すぐに炎上したものに長谷川豊氏のブログがあります。長谷川氏は、知人の透析医師の「私の見立てでは…8~9割ほどの[人工透析]患者さんの場合『自業自得』の食生活と生活習慣が原因」との話しを鵜呑みにして、「医者の言うことを何年も無視し続けて自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」、「『健康保険制度』と『年金』をすべて解体すべき」と主張しました(12)。これは極論ですが、それの背後には病気の原因は自己責任であると誤認し、糖尿病患者等に対して偏見を持つ多くの国民が存在し、しかもこのような考えを単純な「生活習慣病」概念が強化していると考えられます。長谷川氏の主張が「糖尿病[広くは「生活習慣病」]に対する知識不足と偏見」に基づいていることは、原昌平氏が簡潔に指摘しています(9)。なお、長谷川氏はブログの見出しの最後に、当初「無理だと泣くならそのまま殺してしまえ!」との暴言も書いていましたが、さすがにこれはすぐ削除しました。

文献

謝辞:貴重な情報やヒントを頂いた権丈善一氏(慶応義塾大学)、藤井博之氏(日本福祉大学)、原昌平氏(読売新聞大阪本社)、近藤克則氏(千葉大学)、橋本英樹氏(東京大学)に感謝します。

[本稿は、『日本医事新報』2017年8月5日号掲載の「厚生労働省の『生活習慣病』の説明はどのように変わってきたか?」(「深層を読む・真相を解く」(66))に大幅に加筆したものです。]

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2.論文:近年の医療・福祉改革はソーシャルワーカーにとって好機か?危機か?
(『医療と福祉』(日本医療社会福祉協会)102号,51巻2号(2017年8月):10-13頁)

私は本年3月に『地域包括ケアと福祉改革』を出版し、近年の医療・福祉改革(地域医療構想・診療報酬改定、地域包括ケアと福祉改革)を包括的かつ複眼的に分析しました(1)。本稿では、同書を踏まえて、それが医療ソーシャルワーカーを含めたソーシャルワーカーに与える影響を検討します。私の問いはそのものズバリ、近年の医療・福祉改革はソーシャルワーカーにとって好機か?危機か? です。

ただし、これは私の個人的問いではなく、ソーシャルワーカーの養成団体と専門職団体の役員が共通に持っているものです。例えば、昨年9月に開かれたソーシャルケアサービス従事者研究協議会(SCS)の「我が事・丸ごと地域共生社会をめぐる緊急討論集会」の「開催趣旨」にも同じ問いが書かれ、本年3月に開かれた社会福祉専門職団体協議会(本年4月から「日本ソーシャルワーカー連盟」に改称)の「2017年世界ソーシャルワークデー記念シンポジウム」の副題は「危機を好機に」でした。

結論を先に述べれば、私は好機と危機の両面がある、両者は裏表・背中合わせの関係にあり、未来は関係者・団体の対応でも(ある程度)変わる、変えられる、そして変えるべきと考えています。

以下、まず医療ソーシャルワーカーについて、次に医療ソーシャルワーカーを含んだソーシャルワーカー全体について検討します。

近年の医療改革・診療報酬改定が医療ソーシャルワーカーに与える影響

まず、近年の医療改革・診療報酬改定が医療ソーシャルワーカーに与える影響について考えます。好機は言うまでもなく、2006年以降の診療報酬改定で社会福祉士が位置付けられたことです。この点で特に重要なのは2016年の診療報酬改定で新設された「退院支援加算1」の算定要件に社会福祉士または退院支援看護師の配置が含まれたことです。これは、日本医療社会福祉協会が長年求めてきた、医療ソーシャルワーカー・社会福祉士の病棟への配置基準への第一歩とも言えます。これにより、退院支援加算1を算定する病院では社会福祉士資格を有する医療ソーシャルワーカーの雇用が急増し、一部の地域では病院間で奪い合いが生じています。

他面、病院、特に急性期病院の医療ソーシャルワーカーの多くは、病院経営者から在院日数短縮への貢献のみを求められ、心ならずも「患者追い出し係」の役割を果たしている面もあります。そのために、患者・家族との信頼関係は弱まり、ケアマネージャーや地域包括支援センターの職員等から「急性期病院の医療ソーシャルワーカーはなんの援助もしないで退院させている」等の厳しい声が寄せられているとも聞いています。しかも、今後、「地域医療構想」により急性期病床削減の圧力が強まれば、平均在院日数短縮の圧力もさらに強まると思います。

この点に関して私が強調したいことは、在院日数短縮のための「定型的な退院支援・退院調整」は、医学知識が豊富で医師との関係も(医療ソーシャルワーカーよりは相対的に)良好な看護職-病棟看護師長や退院支援(調整)看護師-の方が優位であることです。

私はこの点を打開する道は、「医療ソーシャルワーカー業務指針」(2002年改正版)が「退院援助」と並んで、「社会復帰援助」(「退院・退所後において、社会復帰が円滑に進むように、社会福祉の専門的知識及び技術に基づいて行う」援助)と「地域活動」(「患者のニーズに合致したサービスが地域において提供されるよう、関係機関、関係職種等と連携し、地域の保健医療システムづくりに…参画」)をあげていることに立ち返ること、つまり「原点回帰」だと思います。田中千枝子日本福祉大学教授は『保健医療サービス論 第2版』で、「ソーシャルワーカーは、退院間際にあわてて介入し『追い出し役』となるのではなく、入院の早期の時点からチームの一員として、必要な援助を『退院計画』として計画的に行うこと。そして結果として、次の『生活』への繋ぎ役としてソーシャルワーカーが患者・家族に認められることが重要である」と強調しており、私も同感です(2)。

地域包括ケアと福祉改革がソーシャルワーカーにとって好機となる理由

次に地域包括ケアと福祉改革が、医療ソーシャルワーカーを含むソーシャルワーカー全体に与える影響を述べます。私がここで一番強調したいのは、主戦場は「地域」=メゾレベルでの活動であることです。

この点での好機は、最近の厚生労働省関連の文書に書かれている「福祉人材」への期待で、それはほぼそのまま医療ソーシャルワーカーへの期待にもなっています。

「地域包括ケア研究会2015年度報告書」(2016年3月)は、今後地域包括ケアシステムを推進するためには「地域マネジメント」が必要だと提起し、専門職には「『地域』に対する貢献が今後の役割として期待され」る、「社会福祉の専門性を活かしたソーシャルワークの重要性は、これまで以上に大きくなる」とストレートに強調しています(1:26頁)。

2015年9月に厚生労働省プロジェクトチームが発表した「新福祉ビジョン」(正式名称は「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現-新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン-」)は、今後求める福祉人材として、①支援のマネジメント、アセスメント能力を持ち、②分野横断的な福祉サービスの知識・技術を有し、③ICTを駆使できる人材を提起しました(1:65頁。番号は二木)。私は、「新福祉ビジョン」は今後の福祉改革を考える上での第1の必読文献と考えています。

さらに厚生労働省の「地域力強化検討会中間取りまとめ」(2016年12月)は、今後求められる福祉人材として、以下の5つをあげています。「①制度横断的な知識を有し、②アセスメントの力、③支援計画の策定・評価、④関係者の連携・調整、⑤資源開発までできるような、包括的な相談支援を担える人材」(1:86頁。番号は二木)。

これらは「地域包括ケア」、「新しい地域包括支援体制」、「地域力強化」のために求められる人材像であり、今後はそれらにおいて積極的役割を果たすことが、ソーシャルワーカーを含めた専門職の評価軸の1つになると思います。私は日常的に病院と病院外の地域・福祉施設との橋渡し、連絡調整を行っている医療ソーシャルワーカーのなかには、すでにこれらの能力を有している方が少なくないと思います。

地域包括ケアと福祉改革がソーシャルワーカーにとって危機にもなる理由

ただし、私は、前日本社会福祉教育学校連盟会長・現ソ教連副会長として、「新福祉ビジョン」と「地域力強化検討会中間とりまとめ」の提起に強い危機感も持っています。なぜなら、「新福祉ビジョン」は「福祉人材」の重要性を強調しているにもかかわらず、ソーシャルワーカーには全く触れていないからです。社会福祉士には1個所で触れていますが、「福祉に関する相談に応じ、助言、指導、関係者との連絡・調整その他の援助を行」っている者ではなく、これらの業務を(法的に)「行う者として位置づけられている社会福祉士」と、実際にこれらの業務を行っているとは明示しない、突き放した表現をしています(1:64頁)。

それと異なり「地域力強化検討会中間取りまとめ」はソーシャルワーク「機能」は重視していますが、それとソーシャルワーカー「職名」は峻別し、社会福祉士にはまったく触れていません。逆に、「ソーシャルワークの機能」重視の一文に続いて、「その際、自治体が主導して単に有資格者を『配置する』という形ではなく、また特定の福祉組織に限定するのではなく(以下略)」という、「ダメだし」の強い一文が加えられています(1:86頁)。

これらから、ソーシャルワーク「機能」とソーシャルワーカー「職種」、社会福祉士・精神保健福祉士「資格」を峻別する厚生労働省の強い意志を読みとれます。そのために、私は日本社会福祉士会が長年求めている社会福祉士資格の業務独占化は不可能であると判断しています。

それに対して、ソ教連(ソーシャルワーク教育団体連絡協議会。本年4月から「日本ソーシャルワーク教育学校連盟」に改組。略称は「ソ教連」のまま)の新福祉ビジョンに関わる特別委員会(私が委員長)が昨年11月に取りまとめた「最終報告」は、「ソーシャルワーカーの『資格』(社会福祉士・精神保健福祉士等)とソーシャルワークの『機能』は区別して検討する必要がある」と率直に認めた上で、「『新福祉ビジョン』が提起した『新しい地域包括支援体制」が円滑に機能するためには、ソーシャルワーカーの資質向上だけでなく、福祉分野以外の専門職とのコーディネーションやネットワーキング機能の向上も必要」と提言しています。ソ教連は、このことを前提にした上で、「ソーシャルワーク機能の「『中核』は社会福祉士・精神保健福祉士が担うべき」と考えており、それを実現するためのソーシャルアクションを行っています。このことを上述した退院支援に引き寄せると、医療ソーシャルワーカーはいわゆる「困難事例」を中心に支援すると言えます。

最近は、他職種(保健師・看護師、介護福祉士、理学療法士、作業療法士等)も、地域包括ケアに積極的に参入するようになっており、その際、部分的にソーシャルワーク機能も果たしています。保健師は、社会福祉士や精神保健福祉士と同様に「ソーシャルワークを専門としてきた」との大胆な(?)主張も聞かれます。その結果、一部の地域・領域では、ソーシャルワーカーとの「競合」が生じています。

そのため、ソーシャルワーカーやソーシャルワーカー養成校、ソーシャルワーカー専門職団体が上記文書が提起した期待に応えられない場合、他職種に競り負け、地盤沈下が急速に進む危険があります。それだけに、医療ソーシャルワーカーは病院内の業務に加えて、地域での活動に積極的に参加する必要があると思います。

25年前の医療ソーシャルワーカーへの3つの期待

ここで、私が東京の地域病院(代々木病院)でリハビリテーション専門医として働いていた時の経験に基づいて、1992年=25年前にまとめた医療ソーシャルワーカーへの3つの期待を紹介します【】。それらは「①医療機関(病院)内の医療チームの明確な一員になってほしい、②地域での保健・医療・福祉のネットワーク作りの中核になってほしい、③もっと医学医療の基礎的知識を身につけてほしい」です(3)。この四半世紀の間に、第1の期待はほぼ実現したと思います。しかし、第2と第3の期待はまだ実現したとは言えません。

第2の期待についてはすでに述べたので、第3の期待について補足します。社会福祉士国家試験科目のうち、医学に関わるのは「人体の構造と機能及び疾病」、医療に関わるのは「保健医療サービス」です。私は、一般のソーシャルワーカーならこれで十分と思いますが、医療ソーシャルワーカーが医療チームの一員として働く上では、医学の知識はこれだけではまったく不十分だと思います。私は元医師のため、病院の医師・経営者とも話す機会が多いのですが、彼らが医療ソーシャルワーカーに対する不満・疑問として真っ先にあげるのがこのことです。

ただし、医学の知識を独習だけで身につけるのは困難であり、医療ソーシャルワーカーは病院内の医師・看護師向けの勉強会にも積極的に参加する必要があると思います。ただし、これはすべての病院で可能ではないので、日本医療社会福祉協会が毎年行っている「研修会」(初任者講習会)の「医療ソーシャルワーカーにとって必要な医学知識」の講義(2017年度は6科目)をさらに充実させると共に、都道府県の協会も同種の講座を開催することを期待しています。

「温かい心を持ち、しかし冷静な頭脳をも兼ね備えた」ソーシャルワーカーに期待

最後に、これからの医療ソーシャルワーカー像についての私の期待を述べます。それは、「温かい心を持ち、しかし冷静な頭脳をも兼ね備えた」ソーシャルワーカーになっていただきたいということです。これは、言うまでもなく、「冷静な頭脳<と>温かい心」として知られている、イギリスの経済学者マーシャルの有名な言葉のモジリです。しかし、<と>に当たる原語はandではなくbut、"cool heads but warm hearts" です。権丈善一慶應義塾大学教授は、「普通に経済学の訓練をすれば、冷静な頭脳と温かい心情は平行して育たないため、マーシャルは意図してbutを使った」と解釈し、「冷静な頭脳を持ち、しかし温かい心をも兼ね備えた」と訳しています(4)。

私は、ソーシャルワーカーの多くは、福祉系大学で「価値」をきわめて重視する反面、合理的思考は必ずしも強調しない教育を受けてきたため、「温かい心」は十二分に持っているが、「冷静な頭脳」をあわせ持っている方は多くなく、しかもそれを持つためには特段の努力が必要だと考えています。皆さんがこの2つの能力をシッカリ身につけ、ミクロ、メゾ、マクロの各レベルで、公平で効果的でしかも効率的なソーシャルワークを行うことを期待しています。私自身も、日本ソーシャルワーク教育学校連盟副会長として、それを側面支援することをお約束して、本稿を終わります。

【注】私のリハビリテーション専門医時代の医療ソーシャルワーカーとの関わり

私は、現在は医療経済・政策学を専門としていますが、元はリハビリテーション専門医でした。1972年に東京医科歯科大学医学部を卒業し、東大病院リハビリテーション部で上田敏先生の指導を受けてリハビリテーション医学の研修をした後、1975年に東京の地域病院(代々木病院)の内科病棟で脳卒中患者の早期リハビリテーションを開始しました。そして、最初のリハビリテーションチームの構成員は医師、看護職およびソーシャルワーカーの3職種だけでした。当時、理学療法士、作業療法士は数がごく少なく、民間病院にとっては「高嶺の花」であり、彼らを雇用できたのは、1977年にリハビリテーション専門病棟を開設したときでした。

1976年には脳卒中リハビリテーション患者が増加したため、早期リハビリテーションの一環として、ソーシャルワーカーがリハビリテーション入院患者家族全員に対する入院当日面接(「SWの入院当日面接制」)を始めました(5,6)。これは、日本初ではないかと自負しています。そして、医学的アプローチと社会的アプローチを同時に実施することにより、「入院期間の"社会的延長"」(社会的入院)を相当予防することができました。当時、全国の脳卒中患者の平均在院日数は約4カ月でしたが、代々木病院のそれは約40日であり、しかも8割の患者が自宅に退院しました(7)。

代々木病院でのこの経験を通して、私はソーシャルワーカー、特に医療ソーシャルワーカーに強い親近感を抱くようになりました。この経験は、1985年に日本福祉大学に赴任後、3・4年生対象の専門演習(ゼミ)指導で生き、ゼミ生の多くが卒業後、医療ソーシャルワーカーとして働くようになりました。私が日本福祉大学で行った「福祉教育」については別に詳しく報告したので、お読み下さい(8)。

文献

[本稿は、本年6月4日に第65回日本医療社会福祉協会全国大会で行った教育講演「地域包括ケアと福祉改革-ソーシャルワーカーにとって好機か?危機か?」の「おわりに」 に加筆したものです。]

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算138回)
(2017年分その7:7論文)

論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[カナダでは]「新しい」治療への選好は曖昧さが分かると減少する
Harrison M, et al: Preferences for "new" treatments diminish in the face of ambiguity. Health Economics 26(6):743-752,2017[量的研究]

新しい製品は通常、既存の製品より優れていると売り出されるが、医療ではほとんどの新薬は「ゾロ(me-too)」であり、効果と副作用は既存薬と同等だが、有害作用についてのエビデンスはより曖昧である。それにもかかわらず新しい治療が医療費を押し上げていることは、医療では「新しさ」に対する選好が存在すること

を示唆している。そこで、①「新しい」と分類された治療への選好が存在するか、②それは「新しさ」のエビデンスが曖昧であることが示されても続くかについて探索した。カナダの一般人口標本(n=2837)を用い、通常の市場における新製品購入に対する「革新性」(innovativeness)の程度で、革新者-初期採用者-前期追随者-後期追随者-採用遅滞者の5グループに分類した(アメリカの社会学者ロジャーズが提唱した「イノベーション理論」に基づく)。

その結果、革新者・早期購入者(n=173)は、「新しい」治療法の便益と副作用が既存の治療と同等であるにもかかわらず、「新しい」治療を有意に選好した(B=0.162,p=0.038)。他面、すべての回答者は便益・副作用推計の曖昧さの減少を有意に選好した。注目すべきことに、「新しさ」が曖昧さが結びつけられた場合は、回答者の革新性の程度に拠らず、新しい治療に対する有意の選好はみられなかった。以上から、新製品に対する選好は医療市場では一部の国民に存在するが、新製品の便益・副作用のエビデンスが曖昧であることを知らされるとそのような選好は消失すると結論付けられる。医師は治療を「新しい」と説明することを避けるべきであり、エビデンスが曖昧である場合「新しい」治療と見なすことに注意深くあらねばならない。

二木コメント-「イノベーション理論」の医療への適用ですが、エビデンスの曖昧さに注目したのは秀逸であり、得られた結果と結論も妥当と思います。

○オーストラリアの[1人当たり]医療費の増加要因としての所得と技術
You X, et al: Income and technology as drivers of Australian healthcare expenditures. Health Economics 26(7):853-862,2017.[量的研究]

総医療費増加の主要な決定要因としての所得と技術の役割は経済学者と医療政策研究者の関心を呼び続けている。医療技術の概念と測定尺度は複雑であるが、所得(需要サイド)と技術(供給サイド)は総医療費の重要な増加要因である。本論文は、時系列計量経済学モデルを用いて、オーストラリアの1971~2011年の医療費を分析する。本研究は先行研究の2つの重要なギャップを埋める。第1に、最新および最長(39年間)のデータを用いて、オーストラリアの1人当たり総医療費の決定要因をモデル化する。第2に、本研究はいくつかの技術の代替的近似尺度(インプットとアウトプットの測定)について調査する。それらには、経済全体での研究・開発費用、病院の研究費用、乳児死亡率、および医療機器に基づく2つの技術指数を含む。次に、残余的要素法と技術近似法を用いて、技術効果の総医療費に与える影響を定量化する。

実証的結果は、総医療費は正常財[所得の増加に正比例して需要が増加していく財]であり、かつ技術的必要性があり、総医療費の所得弾力性は0.51~0.97(モデルにより異なる)であることを示唆している。技術の総医療費に与える影響の推計値[技術の総医療費増加寄与率]は0.30-0.35の範囲に収まっている。これはアメリカの文献で得られたデータとほとんど同じであり、医療技術がグローバルに普及していることを示している。

二木コメント-オーストラリアの総医療費の増加要因の、超・長期間の計量経済学的研究で、日本の医療費増加要因研究でも参考になるかもしれません。

○異なる意思決定システムにおける医療技術導入の決定要因:体系的文献レビュー
Varabyova Y, et al: The determinants of medical technology adoption in different decisional systems: A systematic literature review. Health Policy 121(3):230-242,2017[文献レビュー]

新医療技術導入の決定要因の研究は一貫した知見をまとめることに失敗している。明確なパターンを見えにくくしているのは幅広い医療イノベーションを一般的技術として扱っている慣行のためかもしれない。特異的経験・利害・権威を有する3つの異なった意思決定システムを想定し、それを異なる医療技術に適用する。それらは、医療的・個別的、財政・マネジメント的、および戦略的・制度的な意思決定システムである。本レビューは、これらの意思決定システムに基づいて、医療技術導入の決定要因を検討する。対象には、医療技術導入の促進・抑制要因を分析した量的研究と質的研究の両方を含んだ。最終的に1974~2014年に発表された65研究を選んだ。これらの研究は導入の意思決定について検討するための688変数を含んでいたが、それらを以下の4領域の62変数に集約した:組織的、個別的、環境、およびイノベーション関連。決定要因とそれらの導入との実証的関連を3つの意思決定システムによりグループ化し分析した。決定要因の導入に対する方向に関する意思決定システム間の大きな違いは同定できなかったが、異なる意思決定システムをターゲットにした決定要因のカテゴリーの観点から見た明確なパターンが現れた。

二木コメント-論文タイトルは魅力的だのですが、要旨・本文は観念的で晦渋であり、私には新医療技術導入の一般的決定要因は存在しないことを再確認しただけに思えます。

○高齢化社会と[イングランドにおける]救急入院
Wittenberg R, et al: The aging society and emergency hospital admissions. Health Policy 121(8):923-928,2017.[量的研究]

イギリスでは他国と同じく、救急入院の増加抑制に強い政策的関心がある。高齢者の救急入院の2011/2~2012/3年度の年平均増加率は3.3%である。資源制約のため、救急入院の理由を理解することは重要になっているが、従来の政策的議論では、それはしばしば人口高齢化により説明されている。本研究では65歳以上人口の救急入院増加のうち、どれほどが人口高齢化によるもので、どれほどが各年齢階層の救急入院によるもので、どれほどが政策手段で抑制できる要素によるものかを調査する。

結果は以下の通りである。救急入院率は40歳以上で上昇していたが、年齢や他の要因を標準化すると、各生年別コホートの救急入院率は低下していた。この低下コホート効果は、全体としては65歳以上人口の増加の影響を相殺していた。救急入院の増加を説明しうる他の要素(新しい医療技術や患者の期待の高まり)の方が、総人口と人口構成の変化よりも、高齢者の救急入院増加要因として重要であった。これらの結果は、人口高齢化にもかかわらず、高齢者の救急入院率の上昇を食い止めることは、困難ではあるとしても、実現可能であることを示唆している。

二木コメント-高齢者の救急入院増加の主因は高齢者の増加ではなく、十分の対処可能であることをイングランド全体のビッグデータで示した貴重な研究です。なお、石井暎禧氏も川崎市消防局の救急搬送患者の詳細な分析により、同様の結果を得ています(「救急医療の現状と対策」『社会保険旬報』 2567号:12-20頁,2014(『地域包括ケアと福祉改革』勁草書房,2017,36頁でポイントを紹介))。

○[デンマークにおける初回入院とは]別の病院への急性期再入院の費用-病院のタイプで影響は変わるか?
Dahl CD, et al: The costs of acute readmissions to a different hospital - Does the effect vary across provider type? Social Science & Medicine 183:116-125,2017.[量的研究]

治療費用は同一のDRGでも大きく異なることが知られており、いくつかの要因がこのバラツキに寄与することが示されている。我々は再入院もこのようなバラツキを説明できる可能性があると主張する。再入院総数のうち相当数が、初回入院時とは別の病院への再入院である。病院の変更は疾病の進行が初回入院後生じたことを示している。その結果、別の病院への再入院は同一の病院への入院よりも費用がかかる可能性がある。本論文の目的は2つある。1つは、同一のDRGの患者が別の病院と同一の病院に再入院した場合の費用の差を分析することである。もう1つは、別の病院への再入院の費用が病院のタイプ(一般病院対教育病院)に依存しているか否かを調査することである。

デンマークの患者レベルの豊富な入院データセット(2008-2010年)を用いた。一部の患者は同じDRGで再入院し、一部の患者は初回入院とは別の病院に入院する事実を利用して、プロペンシティスコア・差の差分析に基づく回帰分析を行った。最終的な標本数(マッチング後の患者数)は328である。その結果、別の病院に再入院した場合の費用は、同一の病院に再入院した場合より有意に高かった(約777ユーロ)。さらに費用の差は、教育病院に入院した場合、別の一般病院に入院した場合より約2倍高かった(それぞれ1016ユーロ、511ユーロ、共にp<0.10)。この結果は、別の病院への再入院により費用が増加すること、費用増加は教育病院への再入院でもっとも大きいことを示唆している。もし教育病院が初回は別の病院に入院した患者の再入院に伴う追加的費用に見合う償還を受けられないとしたら、それら病院はDRG支払い方式の下で不公正な支払いを受けていると言いうる。

二木コメント-欧米では再入院についての調査研究は多数行われていますが、同一病院に再入院したか、別の病院に再入院したかで費用に差が生じることを示した研究は初めてと思います。ただし、結果は「常識的」です。

○不健康な高カロリー食品と砂糖入り飲料への課税:13のケーススタディの政策内容と政策的文脈の観察から得られたパターンの概観
Hagenaar LL, et al: The taxation of unhealty energy-dense foods (EDFs) and sugar-sweatened beverages (SSBs): An overview of patterns observed in the policy content and policy context of 13 case studies. Health Policy 121(8):887-894,2017.[政策比較研究]

不健康な高カロリー食品と砂糖入り飲料(EDF/SSB)に対する課税は、斬新な公衆衛生的・財政的政策手段として関心が高まっている。しかし政策的決定要因についての学術的関心は低調である。この空白を埋めるために、EDF/SSBに課税した13のケーススタディ(税率が十分高く行動変容を誘発すると見なしたものに限定)の政策内容と政策的文脈を比較する。

これらのケーススタディはすべて観察調査と非ランダム化試験であり、全体としてはEDF/SSB課税は対象とした製品の価格と消費に当初期待された影響を与えたと見なせる。EDF/SSB課税による税収増はわずかだが、有意であった。課税時の管理運営面での実用性は重要であり、このことは砂糖入り飲料のみへの課税の傾向が強まっていることを説明していると思われる。EDF/SSB課税は健康を改善する可能性があるとのエビデンスが増えているにもかかわらず、政策導入においては、財政的必要が公衆衛生的視点よりも重視されているように思われる。この課税を導入した政権には保守的政権とリベラルな政権の両方が含まれる。13のケースのうち8ケースでは税収の用途は限定されていないが、5ケースでは税収の全部または一部を公衆衛生または健康増進のためにのみ用いている。政府によるこの課税の根拠の説明は、公衆衛生改善の手段とするものから、単に税収増とするものまで多様である。

二木コメント-不健康な食品・飲料に対する課税政策についての初めての国際比較研究で、貴重と思います。ただし、一般の文献レビューと異なり、13のケーススタディの一覧表は付けられておらず、叙述もかなり思弁的です。

○医療マネジメント領域での[英文学術]雑誌ランキングと今後の研究方法:国際的視角
Meese KA, et al: Journal rankings and directions for future research in health care management: A global perspective. Health Services Management Research 30(2):129-137,2017.[分類不能]

医療の国際的性格が増しているにもかかわらず、医療マネジメント領域での雑誌ランキングと今後の研究方向についての多くの研究はアメリカを基準にしており、国際的視点から情報は欠落している。本研究は探索的研究であり、世界17か国の医療マネジメント研究者から、もっとも影響力のある学術雑誌5誌(英文。あらかじめリストは作らず、回答者が自由に記載)、人気のある研究テーマ、及びもっと注意を向ける必要があるテーマについての意見を集めた。本論文執筆者(4人。全員アラバマ大学医療専門職大学院医療サービス管理学科所属)の同僚 、学術団体のウェブサイト、国際雑誌の編集委員、及び各国の学術・実務家団体から情報を得られたOECD加盟国の研究者に対してオンライン調査を行った。回答は、17か国の39人から得られた。アジア(日本と韓国)、ラテンアメリカの研究者にも調査を依頼したが、回答は得られなかった。

雑誌のランキングは(アメリカ中心の)先行研究の結果や国際的なランキング(SNIPによるインパクトファクター)とは相当異なり、しかも影響力のある雑誌のリストはもっとずっと多様であった。回答者があげた雑誌は合計52誌だったが、そのうち30誌は1人の回答者のみがあげていた。上位16誌は以下の通りである。①Health Care Management Review、②Health Affairs、③Social Science and Medicine、④Health Services Research、⑤Health Policy、⑥Journal of Healthcare Management、⑦Academy of Management JournalとMilbank Quarterly、⑨BMJ Quality and SafetyとHealth Services Management ResearchとNew England Journal of Medicine、⑫JAMAとJournal of Health Services Research and PolicyとMedical Care Research and ReviewとThe LancetとJournal of Health Organization and Managementであった。回答者があげた現在人気のあるテーマと今後の研究テーマも多様であった。現在人気のあるテーマの上位5つは以下の通りである。①質と患者安全、②患者の参加・エンパワーメント・関与、③医療財政、経済と価値、④医療の統合と協調、⑤組織のリーダーシップと文化。以上の結果は研究者が投稿する雑誌を判断する際や、医療マネジメント研究の国際的共同研究のテーマを決める際に役立つ。

二木コメント-日本からの回答がないのは残念ですが、従来のアメリカ偏重の調査よりはバランスがとれており、特に大学所属の医療経済・政策学、医療サービス研究の研究者は必読と思います。ちなみに私は、上記上位5誌のすべて、上位11誌中9誌、上位16誌中12誌を毎号チェックしています。上位17位以下の雑誌で、私がよく「ニューズレター」に論文抄訳を載せる雑誌は、International Journal for Quality in Health care、Journal of Health Economics、Economics、Medical Care、Health Economics, Policy and Lawです。回答者が誰もあげなかった雑誌で、私が時々論文抄訳を載せる雑誌は、Health Economics、Health Care Analysis、International Journal of Health Services, Gerontologistです。


4.私の好きな名言・警句の紹介(その153)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<その他>

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