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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻166号)』(転載)

二木立

発行日2018年05月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ:

1.論文「故植松治雄元日医会長の業績-混合診療全面解禁阻止の歴史的意義」を『日本医事新報』5月5日号に掲載します(「深層を読む・真相を解く」(75))。論文は「ニューズレター」167号(2018年6月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。

2.日本医師会平成28-19年度医療政策会議報告書「社会保障と国民経済~医療・介護の静かなる革命~」が4月17日にとりまとめられ、日本医師会のHPに公開されました。っ委員の合意事項をまとめた序章「医療政策会議の基本認識」(権丈善一氏執筆)は、ぜひお読み下さい(1-6頁)。私は、第2章「今後の超高齢・少子社会と医療・社会保障の財源選択」を執筆しました(17-24頁)。報告書の付録には、私の2017年10月4日の同会議での[報告3:私の「医療者の自己改革論」の軌跡]も収録されています(127-136頁)。

3.以下の2論文が日本福祉大学機関レポジトリ(https://nfu.repo.nii.ac.jp)に公開されました。(1)「私の医療経済・政策学研究の軌跡-日本福祉大学最終講義」『日本福祉大学研究紀要-現代と文化』第137号,2018年3月31日。…『医療経済・政策学の探究』序論に近い論文です。(2)○「日本での最近の医療提供(病院)制度改革と論争」『日本福祉大学-社会福祉論集』第138号,2018年3月31日。…本「ニューズレター」161号(2017年12月)掲載論文です。

4.前号「ニューズレター」165号に添付した「私的推薦図書」リストの「付録:研究についての名言クイズ41問(2018年度版)」の答えは以下の通りです:暗記、模倣、観察、/発見、ただのバカ/確信(または信念)、自己懐疑、正しい、自信、変わる、価値観、批判/仮説、書き直さ/what、事実/continuation・続ける、惰性、退屈/論文、量、あきらめ、小さく、弁解、期日(締め切り)、批判/日曜日、進歩、無理/忙しい、忙しく、忙しい、/勉強、スマート/重要度、社会性、雑用/ひとりで、楽しむ、好き/恋心。

二木 立 日本福祉大学相談役・名誉教授


1. 論文:国民皆保険制度の意義と財源選択を再考する
(「二木教授の医療時評(159)」『文化連情報』2018年5月号(482号):■頁)

私は、昨年3月に出版した『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房)序章の「おわりに-今後の医療・社会保障費の財源についての私の価値判断」の冒頭で、次のように述べました。「私は、現在の医療・社会保障費の厳しい抑制が続けられた場合には、社会的格差がさらに拡大し、国民統合が弱まる危険があると危惧しており、それを予防するためにも、『社会保障の機能強化』が必要だと考えています」(1)。ただし、この時は、医療・社会保障の財源についてはごく簡単にしか述べませんでした。本稿では、この点についてより詳しく検討します。論文名を「再考」としたのは、2009年に一度詳しく論じたからです(後述)。

国民皆保険制度は日本社会の統合を維持するための最後の砦

その前に、私が強調したいことは、国民皆保険制度は現在では、医療(保障)制度の枠を超えて、日本社会の「安定性・統合性」を維持するための最後の砦となっていることです。逆に言えば、過度な医療費抑制政策により、国民皆保険制度の機能低下・機能不全が生じると、日本社会の分断が一気に進む危険があります。この点で、第2期安倍晋三内閣の下で、社会保障給付費水準(対GDP比)が3年連続(2013~2015年度)低下していることは危険信号と言えます(ただし、2016年度は微増となる見込みです)。

なお、私がこの認識を最初に表明したのは、1994年に出版した『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』で、そこでは、「公的医療費の拡大による日本医療の質の引き上げと医療へのアクセスの確保が、わが国の安定性・統合性を維持・発展させる上でも不可欠」であると主張しました(2)。大変嬉しいことに、日本医師会の平成28・29年度医療政策会議報告書の序章「医療政策会議における基本認識」では、「議論する際の共有前提」として、以下のように書かれました。「今後とも、国民皆保険制度、介護保険制度は堅持する必要がある。それは、国民医療を守るためだけでなく、『分断社会』化を防ぎ、日本社会・日本国民の統合を維持するためにも不可欠である」(3)

「必要かつ十分な」「最適の医療」の給付

ここで注意すべきことは、国民皆保険制度を維持するとは国民すべてが公的医療保険制度に加入する(正確に言えば生活保護受給者は別枠)だけでは不十分であり、医療保険の給付する医療サービスは「最低水準」ではなく、医療技術の進歩や国民の生活水準の向上に対応した「必要かつ十分な」「最適水準」であることです。

このことは、単なる「あるべき論」・理想論ではなく、歴代政府も認めています。この点を明示した法律はありませんが、厳しい医療費抑制政策を断行した小泉純一郎内閣の2003年の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針について」は、以下のように明示しました。「診療報酬体系については、少子高齢化の進展や疾病構造の変化、医療技術の進歩等を踏まえ、社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供されるよう、必要な見直しを進める」。

「必要かつ十分な医療」という表現はそれ以前の閣議決定でも用いられていたが、「最適の医療」という表現が用いられたのはこれが初めてです。それに対して、医療分野への全面的市場原理導入を提唱する人々は、医療保障は「最低保障」に限定すべきと主張しています(4)

政府関係者が国会での公式答弁でこの表現を最初に用いたのは、「医療費亡国論」で有名な(悪名高い?)吉村仁厚生省保険局長(当時)で、「健康保険制度抜本改革」を巡る1984年の国会論戦で、野党から新設予定の特定療養費制度(現・保険外併用療養費制度)が保険給付範囲を狭めるのではないかと質問されたときに、以下のように答弁しました。「必要にして適切な医療については、これは保険給付の対象にいたしますということをたびたび答弁しているところでございます」(同年7月12日衆議院社会労働委員会)。そして、この表現は、その後現在に至るまで、厚生労働省の公式文書や高官の答弁で引き継がれています。

国民皆保険の主財源は保険料

そして、国民皆保険制度を今後も維持・堅持することについては、現在国会に議席を有しているすべての政党の間で、自由民主党から日本共産党まで、合意があります。逆に、国民皆保険制度の公費負担方式(国営・公営医療制度)への転換を主張している政党はありません。そして国民皆保険制度が社会保険制度であることを踏まえると、その主財源は論理的に社会保険料以外にあり得ないことになります。私は、さらに日本の社会保障制度の歴史を考えると、医療保障の枠を超えて、社会保障制度全体の中心はこれからも社会保険制度で、それを生活保護制度等の公費負担制度が補完する方式が維持され、それに対応して、医療・社会保障の主財源は保険料、補助的財源が消費税を含む租税になると考えています。

この点については、医療関係者だけでなく、医療経済・医療政策の研究者、さらには厚生労働省や財務省の間に幅広い合意があります。上述した日本医師会医療政策会議報告書の序章にも、「議論する際の共有前提」として、以下のように書かれました。「日本では、今後も医療費の主財源は社会保険料であり続け、それを消費税をはじめとした様々な公費で補う必要がある」(3)

社会保険方式に対する原理的批判の検討

しかし、財政学者や社会学者等の間には、現在でも社会保険方式に対する原理的な批判が根強くあります。彼らの主張の根拠は2つあります。1つは「社会保険料負担の逆進性」は消費税より強いこと、もう1つは保険料を払えない人々が排除される「排除原理」です。最近の代表的主張は以下の通りです。醍醐聰氏(東京大学名誉教授)は、「社会保険料負担の逆進性」は消費税より強いと指摘し、大沢真理氏(東京大学教授)も同様の認識に基づいて、「社会保険制度の現行体系のもとで社会保険料をこれ以上引き上げることは推奨できない」と述べています(5,6)。井手英策氏(慶應義塾大学教授)は社会保険方式には「保険料を払えない人たちがその中に入れないという問題ができてきてしまう」として、「現物給付[医療を含む-二木]については、税を使って、誰もが受益者になる方が望ましい」と主張しています(7)。里見賢治氏(大阪府立大学名誉教授)は「社会保険方式とは、保険料の納付を条件として年金やサービスを給付する保険原理を基本とするシステムであって、経済的理由から保険料を負担できない低所得階層は社会保険のカバーする対象から脱落せざるを得ないという排除原理を持っている」ことを根拠にして、「もともと皆保険を社会保険(医療保険)によって実現することが、原理的に不可能」と主張し、「長期的には公費負担方式(税方式)に転換する方向」を主張しています(8)

実は私自身も、2001年に「医療・介護の財源私論」を述べたときには、「負担の逆進性は、医療保険料や介護保険料のほうが、消費税よりはるかに強い」ことを根拠にして、社会保険料の引き上げに消極的でした(9)

しかし、その後、多くの医療経済・医療政策の研究者や厚生労働省関係者と率直に意見交換する中で、2006年に、現在の政治的力関係や財政事情を考慮すると、今後の医療費増加を賄う主財源は社会保険料しかなく、消費税を含む公費は補助的財源であると「政治判断」するようになりました(10)。そして、2009年に出版した『医療改革と財源選択』では、医療費増加の財源選択は、①財源調達力と②(相対的な)政治的実現可能性の両方から現実的に判断すべきとの私のスタンスを示した上で、「公的医療費増加の財源選択と私の判断」について包括的に述べました(11)。その概略は以下の通りです。

<…主財源は社会保険料の引き上げ、補助的にたばこ税、所得税・企業課税、消費税の引き上げも用いるべきだと考えている。ただし、社会保険料の引き上げは組合管掌健康保険、政府管掌健康保険[略称「政管健保」。2008年10月より全国健康保険協会管掌健康保険。略称「協会けんぽ」]等の被用者保険に限定し、それが困難な国民健康保険と後期高齢者医療制度には国庫負担を増額すべきである。その際、組合管掌健康保険については、極力、使用者の保険料負担を引き上げることが望ましい。他面、保険料(正確にはそれの基礎となる標準報酬月額または所得の賦課限度額)の上限は、被用者保険だけでなく、国民健康保険でも引き上げるべきである。なぜなら、国民健康保険料の逆進性は被用者保険よりも桁違いに大きいからである。また、組合健保と政管健保の財政力格差と保険料格差(給与水準が高い組合健保の方が保険料率が低い)を考慮すると、両者の間になんらかの形の財政調整を導入する必要がある。(中略)

社会保険料の引き上げに対しては必ず、「国民健康保険は、いまでも保険料を払えない人が多く、限界に近い」との反論が出されるが、この主張は被用者保険の存在を見落としている。田中滋氏が明快に指摘しているように、「低所得者への配慮は当然であり、かつ可能ですが、ゆえに全体の負担増はいけないとの論理はつながっていません」。>

同書では、この結論に到達するまでの「医療費の財源選択についての私の考えの変化」も詳しく述べたので、ぜひお読み下さい。

同書出版時は民主党政権の成立直前でしたが、国民の負担増なしでも、歳出の無駄の削減や「霞ヶ関埋蔵金」の活用により、医療・社会保障拡充の財源は十分に確保できるとの主張がなされ、それに期待する医療関係者も少なくありませんでした。民主党はそれを表看板にして政権交代を実現しましたが、それが不可能なことは1年足らずで明らかになりました。今から振り返ると信じられないことですが、2009年の衆議院議員選挙での「民主党の政権選択 Manifesto」は、国家予算の無駄の削減と埋蔵金の活用及び租税特別措置の見直しにより、16.8兆円もの「新しい財源を生み出す」と述べていました。しかし、民主党政権1年目の「事業仕分け」による既存の予算削減で新たに確保できた財源は1兆円弱にすぎませんでした(12)。この政権交代は結果的には、医療・社会保障の財源確保についての「社会実験」になったとも言えます。

保険か租税の二者択一は不毛

なお、上述した社会保険への2つの批判のうち、①の負担の逆進性については、消費税についても言えることですが、それはあくまで負担額と現金給付とについて言えることであり、医療・介護等の「現物給付」も加えると、社会保険料・消費税とも逆進性は消失します(『平成29年版厚生労働白書』85頁)。さらに、②の「排除の原理」あるいは「選別原理」は、社会保険制度だけでなく、公費負担制度にも存在します。

その典型は全額公費負担の生活保護制度で、厳しい資格審査や同制度に対する強い「スティグマ」(世間から押しつけられた恥や負い目の烙印)のために、生活保護基準未満の低所得世帯のうち実際の生活保護受給世帯の割合(捕捉率)は、厚生労働省の控えめな推計(2010年)でも約3割にとどまっています(13)。唐鎌直義氏(立命館大学特任教授)の最新の推計では、2016年の貧困高齢世帯に対する生活保護の捕捉率は13%にすぎないとされています(14)

この点に関して、山崎史郎氏(元・地方創生総括官)は、「社会保険方式では、保険集団の設定の際に、対象から外れるケースが発生するのは避けられない」と認めつつも、「社会保険方式が持つ長所は依然として大きい」と主張したうえで、以下のように指摘しています。「税方式でも、この種の排除の問題が完全に払拭できるわけではない。税として投入される財源が少なければ、結局は『選別主義』と呼ばれるように、給付対象者を一定の条件に合致するケースに絞り込むことになるか、『薄く広く』給付を行うことになる」(15)。山崎氏は、「一般的な政策論として、[社会保険方式と税方式の-二木]いずれが正しくて、いずれが誤っているというような性格のものではない。それぞれの国が自らの歴史や国情を踏まえながら、妥当と考える途を選んできた」とも述べており、私も同感です。

そもそも私は、社会保険料か、公費(租税)かとの二者択一の議論、あるいはそれの変種と言える高齢者医療を公費負担方式に、非高齢者医療を社会保険方式に純化するとの主張(16)は、無意味・不毛だと考えています。なぜなら、日本の医療保険制度は、歴史的に、保険料と公費との混合方式として成立したし、その度合いが近年強まっているからです。

この点について、玉井金五氏(愛知学院大学教授)が、社会保険制度では1980年代から、医療、年金とも、制度間調整が導入された歴史的事実を指摘し、「保険料、税という財源調達の代表的な手段に加えて、拠出金というもう一つの手法が取り入れられた」、「社会保険か税かの二者択一の世界はすでに過去のもの」と論じているのは、的を射ています(17)。私は、1991年に、医療(政策)の「将来予測のスタンス」として、「原理からではなく事実から出発する」ことを強調しましたが、医療の財源選択についても同じことが言えると思います(18)

租税財源の多様化

私は消費税は「社会保障の機能強化」のための重要財源だと考えてはいます。しかし、日本国民の間では消費税に対する「租税抵抗」が非常に強いことを考えると、租税財源を消費税のみに絞るのは危険であり、租税財源の多様化(所得税の累進制の強化、固定資産税や相続税の強化、法人税率の引き下げの停止や過度の内部留保への課税等)が必要だとも判断しています。そのために、権丈善一氏の「すべての税目を増税するプラスα増税」、「財源は全員野球」との主張に賛同します(19)

文献

[本稿は『日本医事新報』2018年4月7日号掲載の「国民皆保険制度の意義と財源選択をどう考えるか?」(「深層を読む・真相を解く」(74))及び日本医師会医療政策会議平成28・29年度報告書の第1章「今後の超高齢・少子社会と医療・社会保障の財源選択」の後半に加筆したものです。]

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2.論文:地域共生社会・地域包括ケアと医療との関わり
(『地域福祉研究』46号:8-14頁,2018年3月31日)

はじめに

私に与えられたのは、本号の特集テーマである「地域共生社会の実現に向けての医療の可能性を探る」の「総論」を述べることです。私は「地域共生社会」の理念には大いに共感していますが、それは法・行政的には具体性に欠けるため、医療に直接結びつけるのは困難だとも感じています。そこで、本稿では、「地域共生社会」の中核または「下位概念」と位置付けられる地域包括ケアシステムと医療との関わりについて、地域包括ケアについて論じた2つの著書と5つの論文をベースにして述べます(1-7)

まず、地域共生社会と地域包括ケアシステムの法・行政的位置付けと両者の関係について述べます。次に、地域包括ケアの実態は「システム」ではなく、「ネットワーク」であることを説明した上で、それと医療との関わりを考える上で留意すべき点を4つ述べます。最後に、今後、地域包括ケアを実現するために不可欠な医療と福祉の連携強化のために必要な3つのことを簡単に述べます。

1.地域共生社会と地域包括ケアの法・行政的位置付けと両者の関係

まず、地域共生社会と地域包括ケアシステムの法・行政的位置付けと両者の関係を述べます。

(1)地域共生社会の法的定義はなく、行政的扱いも軽い

地域共生社会について、まず強調したいことはそれの法的定義はないことです。「地域共生社会」あるいは「共生社会」という用語は、福祉関係者にはなじみのある言葉だと思います。しかし意外なことに、この用語の法的定義は現在もありません。行政文書でも、初めて用いたのは、安倍内閣が2016年6月に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」においてであり、まだ2年の「歴史」しかありません。

この閣議決定では、「地域共生社会の実現」について、以下のように書かれました。「子供・高齢者・障害者など全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り、高め合うことができる『地域共生社会』を実現する。このため、支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成し、福祉などの地域の公的サービスと協働して助け合いながら暮らすことのできる仕組みを構築する。また、寄附文化を醸成し、NPO との連携や民間資金の活用を図る」(16頁)。

この「地域共生社会」の理念は崇高ですが、それを実現するために「福祉」と共に不可欠である「医療」についてはまったく触れていません。他面、「地域共生社会」の対象は「子供・高齢者・障害者など全ての人々」とされている点が、後述する地域包括ケアシステムとは異なります。
厚生労働省はこの閣議決定を受けて、2016年7月に「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」を立ち上げました。なお、この「我が事・丸ごと」といういわば枕詞は、塩崎恭久厚生労働大臣(当時)の命名またはお気に入りですが、2017年8月に同大臣から加藤勝信現大臣に交代して以降、厚生労働省内でもほとんど使われていません。上記「本部」も現在は開店休業のようで、本稿執筆時点(2018年2月)でもそれのウェブサイトには2016年7月の第1回本部(会議)の資料しかアップされていませんでした。

このような「地域共生社会」の行政的扱いの軽さは、本年2月16日に閣議決定された「高齢社会対策大綱」でも同じで、次の理念的一文が書かれているだけです。「制度・分野ごとの『縦割り』や『支え手』『受け手』という関係、また、社会保障の枠を超えて、地域の住民や多様な主体が支え合い、住民一人一人の暮らしと生きがい、そして、地域を共に創っていく『地域共生社会』の実現を目指し、地域住民や福祉事業者、行政などが協働し、公的な体制による支援とあいまって、個人や世帯が抱える地域生活課題を解決していく包括的な支援体制の構築等を進める」(17頁)。それに対して、「高齢社会対策大綱」は次に述べる「地域包括ケアシステム」には6回も言及しています。

(2)地域包括ケアの対象は法的に規定されているが…

地域共生社会と異なり、地域包括ケアシステムには法的定義があります(1:22-34頁)

実は、地域包括ケアシステムは、2003年の「2015年の高齢者介護」で初めて公式に提唱されて以来、2004~2008年の「法・行政的空白(停滞)期」を挟んで、2009年以降、行政面での具体化が図られてきましたが、2012年までは法的定義はありませんでした。

しかし、2013年12月に成立した「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律」(略称:社会保障改革プログラム法)第四条第4項で、地域包括ケアシステムの法的定義が初めて、以下のようになされました。「地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、医療、介護、介護予防(要介護状態若しくは要支援状態となることの予防又は要介護状態若しくは要支援状態の軽減若しくは悪化の防止をいう)、住まい及び自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」。「介護保険制度」について規定した第五条も、地域包括ケアシステムに触れました。

2014年6月に成立した「地域における医療及び介護の総合的な確保の促進に関する法律」(略称:医療介護総合確保推進法)は、第1条(目的)で、「地域において効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに、地域包括ケアシステムを構築する」ことを明記し、第2条で、社会保障改革プログラム法中の地域包括ケアシステムの定義を再掲しました。

対象者の高齢者への限定と批判

ここで注意すべきことは、地域包括ケアシステムの対象は法的には「高齢者」に限定されていることです。2017年6月に成立した「地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律」は、「地域包括ケアシステムの深化・推進」と「介護保険制度の持続可能性の確保」の二本柱でしたが、地域包括ケアシステムの対象を高齢者に限定している点は変えられませんでした(3)。同法案の審議で、塩崎大臣は「地域包括ケアシステムそのものが高齢者向けのことであるということは変わらない」と明言しました(4月5日衆議院厚生労働委員会)。

この点は、「地域共生社会」が対象を「子供・高齢者・障害者など全ての人々」としているのと対照的であり、医療・福祉関係者から強い批判が出されています。異例なことに、厚生労働省関係の2つの有力研究会の報告書は介護保険法等改正案の成立前後に、地域包括ケアシステムの対象を(地域共生社会と同じく)全ての人々に拡大することを提唱しました(4,5)

まず地域包括ケア研究会(座長:田中滋慶應義塾大学名誉教授)の2016年度報告書(2017年3月公表)は、「はじめに」で、地域包括ケアの「対象範囲を介護保険行政に限定せず、地域を支える多様な関係者の参加や連携を推進するものとして位置づけ」、本文ではよりストレートに「地域包括ケアシステムは、本来的に高齢者や介護保険に限定されたものではなく、障害者福祉、子育て、健康増進、生涯教育、公共交通、都市計画、住宅政策など行政が関わる広範囲なテーマを含む『地域づくり』である」と述べました(35頁)。この地域包括ケア研究会は厚生労働省の正規の委員会・検討会ではありませんが、毎回の研究会には老健局の担当者も参加しており、今までに発表された一連の報告書は地域包括ケアシステムの理念・概念整理と政策形成の「進化」に重要な役割を果たしてきました。

厚生労働省の地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(略称「地域力強化検討会」。座長:原田正樹日本福祉大学教授)が2017年9月に公表した「最終とりまとめ」も、「地域包括ケアシステム」の対象を高齢者以外にも拡大するよう、以下のように提唱しました。「高齢期の支援を地域で包括的に確保する『地域包括ケアシステム』の構築が進められてきたが、この『必要な支援を包括的に提供する』という考え方を、障害のある人、子ども等への支援にも普遍化すること、高齢の親と無職独身の50代の子が同居している世帯(いわゆる『8050』)、介護と育児に同時に直面する世帯(いわゆる『ダブルケア』)など、課題が複合化していて、高齢者に対する地域包括ケアシステムだけでは適切な解決策を講じることが難しいケースにも対応できる体制をつくることは、地域共生社会の実現に向けた包括的な支援体制の構築につながっていくものである」(5頁)。

実は、厚生労働省の地域包括ケアシステムの対象についての説明は動揺しています。例えば、上述した厚生労働省の「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部が2017年2月に発表した「『地域共生社会』の実現に向けて(当面の改革工程)」は、以下のように述べていました。「地域包括ケアの理念を普遍化し、高齢者のみならず、障害者や子どもなど生活上の困難を抱える方が地域において自立した生活を送ることができるよう、地域住民による支え合いと公的支援が連動し、地域を『丸ごと』支える包括的な支援体制を構築し、切れ目のない支援を実現する」(6頁)。

(3)地域共生社会と地域包括ケアとの関係は曖昧

以上、地域共生社会と地域包括ケアシステムの法・行政的位置づけを述べてきました。しかし、両者の関係は曖昧です。この点は2017年の介護保険法等改正案の国会審議でも議論されましたが、塩崎大臣は、地域共生社会は「地域包括ケアシステムのいわば上位概念」と抽象的に答えただけでした(2017年4月5日衆議院厚生労働委員会)。この論法では、地域包括ケアシステムは地域共生社会の「下位概念」ということになります。

上述した2016年7月15日の「『我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部」の資料2「地域包括ケアの深化・地域共生社会の実現」は、冒頭に「2035年の保健医療システムの構築に向けて」を掲げ、以下の4つの改革を推進するとしました。①地域包括ケアシステムの構築:医療介護サービス体制の改革、②データヘルス時代の保険者機能強化、③ヘルスケア産業等の推進、④グローバル視点の保健医療政策の推進。しかし、地域共生社会と地域包括ケアシステムの関連は書かれていません。

厚生労働省の「『地域共生社会』の実現に向けて」のウェブサイトには「地域包括ケアシステムなどとの関係」という見出しもありますが、「地域共生社会の実現に向けた包括的支援体制」と「地域包括ケアシステムの構築について」の2つのポンチ絵が示されているだけです。前者には、「高齢者」、「障害者」、「生活困窮者支援」「子ども・子育て家庭」の4つの楕円が示され、高齢者の楕円の中に「地域包括ケアシステム」が含まれていますが、やはり地域共生社会と地域包括ケアの関係についての具体的説明はありません。

以上をまとめると以下の通りです。①地域共生社会は法的規定がなく、抽象的理念にとどまっているため、現実の施策は地域包括ケアシステムの実現を目指して行われています。②地域包括ケアシステムの対象は法的に高齢者に限定されていますが、厚生労働省関係の2つの有力な研究会は対象の拡大・「普遍化」を提唱しています。私は、現在求められているのは、地域共生社会と同じく、「子供・高齢者・障害者など全ての人々」を対象にした地域包括ケアシステムの実現であると考えています。ちなみに、私が勤務する日本福祉大学の「地域包括ケア研究会」は「0歳から100歳の地域包括ケア」をモットーにしています。

2.地域包括ケアと医療との関わりを考える上での留意点

次に地域包括ケアと医療との関わりを考える上での留意点を4つ述べます。

(1)地域包括ケアの実態は「システム」ではなく、「ネットワーク」

その前に、地域包括ケアシステムの実態は「システム」ではなく、「ネットワーク」であることを強調します(1:6-7頁、2:19-20頁)。「地域包括ケアシステムは分かりにくい」との声・意見をよく聞きますが、私はその理由の1つはこれだと思っています。

実は厚生労働省の担当者は、ことあるごとに地域包括ケアシステムのあり方は全国一律ではなく、各地域によって異なると説明しており、この点は2003年にこの用語が初めて提唱されたとき以来、一貫しています。私の調べた限り、この点をもっとも率直に語ったのは原勝則老健局長(当時)の2013年2月「全国厚生労働関係部局長会議」での以下の発言です。「『地域包括ケアはこうすればよい』というものがあるわけではなく、地域のことを最もよく知る市区町村が地域の自主性や主体性、特性に基づき、作り上げていくことが必要である。医療・介護・生活支援といったそれぞれの要素が必要なことは、どの地域でも変わらないことだと思うが、誰が中心を担うのか、どのような連携体制を図るのか、これは地域によって違ってくる」(『週刊社会保障』2717号:22頁,2013)。

しかし、「システム」(制度・体制)という用語は、国が法律またはそれに基づく通知等により、全国一律の基準を作成して、都道府県・市町村、医療機関等がそれに従うものを連想させます。そのために、自治体関係者や医療・福祉関係者に、国がいずれは「地域包括ケアシステム」の青写真を示してくれるとの誤解・幻想・甘えを与えたし、今も与えていると思います。

なお、「地域包括ケアシステム」の命名者は広島県公立みつぎ総合病院院長の山口昇医師(当時)です。厚生労働省はそれを借用したのですが、「みつぎ方式」はすべてが公立の施設・事業で構成され、しかも一元的に運営されている、病院を核とした(病院基盤の)「システム」です。ただし、厚生労働省が2000年代初頭に想定していた地域包括ケアシステムのモデルは、尾道市医師会(片山壽会長・当時)の医療と福祉・介護の連携事業(ネットワーク)でした。

それに対して、2013年8月に発表された「社会保障制度改革国民会議報告書」は、医療と介護の一体的改革を実現するための「地域包括ケアシステムというネットワーク」を提起しました。さらに、『平成28年版厚生労働白書』は、第4章第3・4節で、地域包括ケアシステムがネットワーク(づくり)であることを何度も強調しました(2:79-84頁)。「定義」の項では、「[地域包括ケアシステムの定義を-二木]より簡略化すると、『医療、介護、介護予防、住まい及び生活支援が包括的に提供されるネットワークを作る』ということになる」(149頁)と、第4節冒頭では、そのものズバリ「地域包括ケアシステムとは『地域で暮らすための支援の包括化、地域連携、ネットワークづくり』に他ならない」(201頁)と書いています。厚生労働省の公式文書でこれほどストレートな表現が用いられるのは初めてです。以下、本稿では実態に合わせて、「地域包括ケアシステム」に代えて、「地域包括ケア」という用語を用います(引用箇所は除く)。

(2)地域包括ケアと地域医療構想は法・行政的に一体

私は地域包括ケアと医療との関係で留意すべきことは4点あると思います(2:32-39頁)。第1は、地域包括ケアと「地域医療構想」(全国・都道府県の各医療圏ごとの「2025年の医療機能別必要病床数」を推計し、それを実現するための青写真を描く)が、法・行政的に一体であることです。

まず法的には、上述したように、地域包括ケアシステムの法的定義を初めて規定した社会保障改革プログラム法(2013年12月)は、第四条第4項で「政府は、①医療従事者、医療施設等の確保及び有効活用等を図り、効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに、②今後の高齢化の進展に対応して地域包括ケアシステム(中略)を構築することを通じ、地域で必要な医療を確保するため」(以下略)とし、「効率的かつ質の高い医療提供体制」と「地域包括ケアシステム」の構築は同格・一体としました(①と②は私が便宜的に付けました。①の具体化が現在の「地域医療構想」です)。この扱いは、2014年の医療介護総合確保推進法でも踏襲されました。

その後のすべての医療・福祉に係る政府文書で、地域包括ケアと地域医療連携は一体・同格に書かれています。福祉関係者は、地域包括ケアのみを独立・孤立させて考えがちですが、それは誤りです。

(3)地域包括ケアに含まれる病院は多様

地域包括ケアと医療との関係で2番目に留意すべきことは、地域包括ケアへの参加が想定・期待される「医療(機関)」の範囲が徐々に拡大し、現在は病院も含むようになっていることです。

上述したように、2003年の「2015年の高齢者介護」は公式に「地域包括ケアシステムの確立」を初めて提起しましたが、それは「新しい介護サービス体系」の一環とされ、当然、介護サービスが「中核」とされました。「2015年の高齢者介護」は地域包括ケアの構成要素に「医療」も含んでいましたが、そこで想定されていたのは診療所医療・在宅医療のみでした。この傾向は2011年頃まで続きましたが、厚生労働省は2012年から軌道修正を行い、これ以降は、地域包括ケアの公式の説明でも、病院が含まれることが明確になりました。

法・行政的には、地域包括ケアに含まれる病院の規定はありませんが、一般には、地域密着型の中小病院(概ね200床未満)であり、高度急性期を担う大病院は想定されていません。厚生労働省の地域包括ケアシステムのポンチ絵もそのように読めます。ただし、この点についての明示的な規定はなく、例えば、私の地元の愛知県では、藤田保健衛生大学病院や名古屋第二赤十字病院等の大規模病院が地域包括ケアに積極的に関わっています。

私は、大病院の地域包括ケアへの関わりは、それぞれの病院・地域が決めればよいと思っています。この点でも、地域包括ケアはシステムではなくネットワークと言えます。

病院の地域包括ケアへの参加で私が強調したいことは、先進的「保健・医療・福祉複合体」(病院・医療機関が母体となって保健・医療・福祉サービスを一体的に提供している法人・グループ)が、全国各地で、地域包括ケア推進の一貫として、積極的に地域づくりに参加していることです。地域づくりは伝統的に福祉関係者、社会福祉協議会や地域福祉の研究者・実践者の専売特許と思われてきましたが、その常識は変わりつつあります。

(4)後期高齢者急増でも急性期医療ニーズは減らない

地域包括ケアと医療との関係で3番目に強調したいことは、今後、後期高齢者が急増しても急性期医療ニーズは減らないことです。

在宅医療や地域包括ケアを過大評価する方の中には、地域包括ケアでは「治す医療」(キュア)から「支える医療」(ケア)に転換する、今後急増する後期高齢者には「治す医療」ではなく「支える医療」が必要になるので、急性期医療のニーズは縮小すると主張している方もいます。しかし、多くの高齢者は、他の年齢層と同じく、急性疾患に罹患し、急性期治療を受けた後に死亡しています。

最近は軽症の高齢患者や末期状態の高齢患者の救急車利用が増加していると一部で主張されていますが、石井暎禧氏は川崎市消防局の救急搬送患者の詳細な分析により、以下の2点を明らかにしています。①高齢者の軽症者割合は4割強で、幼児(8割強)・少年(8割弱)・成人(7割弱)よりはるかに低い。②高齢者の軽症割合は2008~2012年に4割強で安定している。さらに、石井氏は氏が理事長を務める川崎幸病院(全国トップクラスの高機能救急病院)のデータを分析し、緊急入院した患者の死亡退院率は「年齢であまり違わない」ことも示しています。

ここで私が強調したいことは、日本の高齢者の健康水準が、自立心が旺盛と言われているアメリカの高齢者よりも高いことです。例えば、内閣府「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」(平成22年)によると、60歳以上の男女のうち、「健康である」と答えた者の割合は日本65.4%、アメリカ61.2%、同「まったく不自由なく過ごせる」と回答した者の割合は日本89.8%、アメリカ63.3%でした。このような大多数の健康高齢者が、心筋梗塞や脳卒中等の急性疾患になった場合に、「治す医療」をせずに、最初から「支える医療」のみをすることは、本人・家族の希望に反するし、現在の国民意識と乖離しています。

それに対して、「社会保障制度改革国民会議報告書」は、病院が「治す医療」から「治し・支える医療」の担い手に変化することを提起しました。武田俊彦厚生労働省大臣官房審議官(当時)も、2015年4月の講演で、「救急の受け入れ体制は地域包括ケアと不可分」、高齢者の第二次救急(病院)の問題は「地域包括ケアシステムそのものである」と強調しました。

(5)地域包括ケアにより医療・介護費用が低下することはない

地域包括ケアと医療との関係で4番目(最後)に留意すべきことは、今後、後期高齢者が急増し地域包括ケアにより医療・介護費用が低下することはないこと です。

私は1980年代以来、30年以上、地域・在宅ケアの経済評価、費用効果分析を研究テーマの1つにしています。そして、少なくとも重度の要介護者・患者の場合には、地域・在宅ケアの費用が施設ケアに比べて高いことは、1990年代以降、医療経済学の膨大な実証研究により確立された国際的常識になっています。最近では、OECDが2017年の報告書で、重度障害者では在宅ケアの費用は施設ケアよりも高いことを示しています(Tackling Wasteful Spending on Health, 2017,p.208)。

実は、厚生労働省は1980~1990年代までは地域・在宅ケアを拡充すれば医療・介護費が抑制できるとの期待を持っていたようですが、21世紀に入ってからはそのような主張はしていません。逆に見識のある医系技官は、地域・在宅ケアの費用のほうが高いことを率直に認めています。私が調べた範囲で、このことを最初に認めたのは伊藤雅治老健局医療課長(当時)で、早くも1989年に「在宅ケアは施設ケアに比べて効率が悪くて費用がかかる」と述べました(『週刊社会保障』1553号:45頁,1989)。【訂正】私は『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房,2017,38頁)で、在宅ケアが安上がりではないことを最初に認めた厚生労働省の高官は佐藤敏信保険局医療課長(2008年)と書きましたが、それよりも20年前の伊藤課長のこの発言を失念していました)。

地域包括ケアの批判者の中には、厚生労働省がそれにより医療・介護費の抑制を目指していると主張されている方もいますが、厚生労働省の高官や厚生(労働)大臣経験者で、そのような発言をしている方はいません。ただし、医療・介護の実態を知らない経済官庁や政治家にはまだ、地域包括ケアで費用が抑制できるとの誤解・幻想が残っています。

3.医療と福祉の連携強化に必要な3つのこと

最後に、今後、各地域で地域包括ケアを実現する上で不可欠な、医療と福祉の連携強化について簡単に問題提起します。それは施設、専門職、および教育の3つのレベルで考える必要があります(6)

まず、施設レベルについて、医療施設や医師会と福祉施設・事業所との連携が不可欠なことは、言うまでもありません。私は最も重要なことは、お互いが「垣根」を作らないことだと思います。

地域包括ケアに関わっている福祉関係者からは、今でも、「医療機関と連携したいのだが、敷居が高い」との訴えを聞きます。事実、地域包括ケアは2003年に最初に公式に提唱されときには「新しい介護サービス体系」とされ、介護サービスが中核とされたために、医療関係者には消極的姿勢がありました。本稿では触れませんでしたが、地域包括ケアの源流には「保健医療系」と「(地域)福祉系」の2つがあり、一部の地域を除いて、両者の交流はほとんどなかったという歴史的事情もあります(2:20-21頁)

しかし、2013年の社会保障制度改革国民会議報告書が、「医療と介護の連携と地域包括ケアシステムというネットワークの構築」を提唱してから、日本医師会や地域の医師会、病院は地域包括ケアに積極的に参加し始めています。それだけに、今後は、医療・福祉の垣根を越えて、「医療・介護・福祉のネットワーク」という意味での地域包括ケアを目ざす必要があります。

次に、専門職レベルの連携の出発点は、医療職が福祉(学・制度)の、福祉職が医学・医療(制度)の基礎的な勉強をキチンと行うことです。私は、医療系と福祉系の両方の地域包括ケアの研究会等に参加する機会が多いのですが、率直に言って、医療職に比べ、福祉職による勉強は立ち後れていると思います。私は、病院と地域・福祉との橋渡し役を務める医療ソーシャルワーカーは医学・医療について一歩進んだ勉強をする必要があると思います(7)

最後に、教育レベルの連携とは、医療・福祉の学部(専門)教育で医療と福祉の連携の理念と実際をキチンと教えることです。この点に関連して2つ述べます。1つは、安倍内閣が2017年6月に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」に、「医療、介護、福祉の専門資格について、複数資格に共通の基礎課程を設け、一人の人材が複数の資格を取得しやすいようにすることを検討する」ことが書き込まれ、厚生労働省がそれについての検討を「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」で始めていることです。厚生労働省の資料は、共通課程の検討対象となる「医療・福祉関係資格の例」として、看護師、准看護師等8つの医療職と社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士、保育士の4つの福祉職を示しています。

私も、今後の少子化と人口減少を考えると、医療・福祉分野でもこのような見直しは不可避と考えます。しかし、それぞれの職種には歴史的蓄積があるため、現実に「共通の基礎課程」の創設の導入が検討されているのは、人材不足が社会問題化している保育士と介護福祉士、および介護福祉士と准看護師だけのようです(2:77頁)

もう1つは、大学レベルでの多職種連携教育としては、藤田保健衛生大学の「アセンブリ教育」(医学、看護、理学療法、作業療法、臨床検査、診療情報管理等の学生が一緒に受ける授業。必須科目)が日本で最初、おそらく世界でも最初であることです。このアセンブリ教育は同大学創立者の故藤田啓介先生の発案・強い意志で1972年に医学部が開設された時から開始され、なんと45年の伝統があります(藤田啓介「チーム医療で期待される医師像-アセンブリ(全員集合)を必須科目とする医学教育」『かく生かされかく語りき 一』1989,184-201頁)。

日本福祉大学社会福祉学部の学生・教員も2016年度からそれに参加させて頂いており、藤田保健衛生大学の担当者からは、医療系と福祉系の学生が交流することにより、お互いの視野が広がったと聞いています。日本福祉大学は、社会福祉学部だけでなく、看護学部や健康科学部リハビリテーション学科等の医療系学部学科も有する「ふくしの総合大学」ですので、本学独自でも学部の垣根を越えた多職種連携教育の導入を目ざす必要があると思っています。

引用文献

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算146回)(2018年分その2:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[オランダの]在宅ケアの地域差を需要・供給変数で説明する
van Noort, et al: Explaining regional variation in home care use by demand and supply variables. Health Policy 122(2):140-146,2018.[量的研究]

オランダでは訪問看護や訪問介護(personal assistance)等の在宅サービスは民間組織によって提供され、このサービスの購入を法的に義務づけられている民間医療保険会社によって支払われている。費用対効果を改善するために、その支払い方法は出来高払いから人口を基準にした予算制(定額払い)に移行しつつある。人口当たりの適切な予算設定のためには、居住者の適切なニーズに適合する必要があるが、取得原価(historical costs)は供給側の要因の影響も受けている可能性があるし、そのすべてが適切とは必ずしも言えない。本研究の目的は、在宅ケアの費用の地域差を需要・供給変数で説明することである。それにより、歴史的に認められてきた費用を調整し、人口基準の予算を設定することが可能になる。

60の自治体の費用請求書を用いて、多重回帰モデルにより、8つの需要変数と5つの供給変数が、人口当たりの利用者数と利用者1人当たりの費用と住民1人当たりの費用の変動をどの程度説明できるかを分析した。その結果、我々のモデルでは、需要要因により、人口当たり利用者数の変動の69%、利用者1人当たり費用の変動の28%、住民1人当たり費用の変動の56%を説明できた。それに加えて、供給要因でも17-23%説明できた。利用が増える供給側の予測因子は、ナーシングホームと垂直統合されている在宅ケア組織、在宅ケア組織間の競争の激しさ、補足的サービスの得られやすさであった。

二木コメント-在宅ケア利用の地域差を通常の経済学的分析枠組みで検討し、在宅ケアにおける「供給者誘発需要」の存在を示した貴重な論文と思います。統合組織がサービス利用を促進する(その結果費用も増える)との結果も妥当と思います。

○[アメリカの]ナーシングホームの緩和ケアチームが終末期アウトカムに与える影響-ランダム化比較試験
Temkin-Greener H, et al: Impact of nursing home palliative care teams on end-of-life outcomes - A randomized controlled trial. Medical Care 56(1):11-18,2018.[混合研究法(主として量的研究)]

ナーシングホームにおける終末期ケアの欠陥は報告されているが、緩和ケアチームが入居者のアウトカムに与える影響は十分に検討されていない。差の差法によるランダム化2群比較試験と非ランダム化第2対照群を介入のプラシーボとして用いる多角的(multicomponent)戦略を用いた。対象はニューヨーク州の全ナーシングホームで、25ホーム(介入群14、対照群11。両群の65歳以上の死亡入居者5,830人)がランダム化比較試験に参加し、残りの609ホーム(同119,486人)が非ランダム化群となった。終末期ケアの指標として、次の4つのリスク調整済み指標を用いた:病院での死亡割合、死亡前90日以内の入院回数、自己評価した中等度から重度の痛み、うつ症状。ミニマムデータセット、生命徴候の記録、職員調査、および深層面接を行った(混合研究法)。それぞれのアウトカムについて、差の差モデルを用い、ロジスティック回帰分析とポアソン回帰分析により、試験前後の差を調査した。

全体としては、介入に統計的に有意な効果はなかった。しかし、独立したインタビュー調査の結果、介入群のホーム14のうち、調査期間中継続して緩和ケアチームが機能していホームは6つのみであることが分かった。チームが機能していたホームの死亡者は病院での死亡割合のオッズ比が他の介入群のホーム、非ランダム化対照群のホームより、有意に低下していた(それぞれ0.400、0.581。共にp<0.05)。これらのホームでは、うつ状態の割合も有意に低下していたが、痛みと入院については変わらなかった。以上から、介入はすべてのアウトカムとホームについて同等に有効ではなく、ホームの新しいケア方法(緩和ケアチーム)の採用・持続力が異なることが分かった。

二木コメント-分析枠組みは緻密ですが、介入群のうち実際に緩和ケアチームが継続したホームが4割(6/14)にすぎないのはヒサンであり、アメリカのナーシングホームの質のバラツキを象徴していると思います。

○[アメリカの]退役軍人庁が提供する終末期ケアの質は伝統的なメディケアが支払うケアより高い
Gidwani-Marszowski, et al: Quality of end-of-life care is higher in the VA compared to care paid for by traditional Medicare. Health Affairs 37(1):95-103,2018.[量的研究]

アメリカ議会と退役軍人庁の指導者は退役軍人庁は医療の提供者よりも購入者になるべきだと勧告している。出来高払いのメディケアは購入されたケアが退役軍人庁の直接提供ケアよりどのように違うかの対照となる。過度に濃厚な(overly intensive)終末期ケアについての確立された指標を用いて、2010~2014会計年度にガンで死亡した退役軍人の2つのシステムでのケアの質を比較した。ここで過度に濃厚な終末期ケアの指標とは、ガン患者が死亡前30日間に以下の5種類の治療のいずれかを受けることとされている:化学療法、2回以上の救急部受診、入院、ICU入院、病院での死亡、入院日数。メディケアで治療を受けた退役軍人は、退役軍人庁の医療機関で治療を受けた者に比べて、上記5指標のうち4指標を受ける頻度が有意に高かった。ただし、2回以上の救急医療部受診の頻度だけは少なかった。メディケアの出来高払いの下では、予算制の退役軍人庁の医療施設に比べて、高密度の終末期ケアが経済的誘因で増えるる可能性がある。退役軍人が質の低い終末期ケアを受けるリスクを避けるために、退役軍人ケア購入プログラムはコーディネーション・質モニタリングプログラムを開発する必要がある。

二木コメント-アメリカでは、「過度に濃厚な終末期ケア」指標ができているとは驚きです。ただし、これらの数値が高いと「過度に濃厚」&「質が低い」と判定するのは乱暴と思います。なお、本論文は退役軍人庁の宣伝臭または組織防衛臭が強い気がします。

○[アメリカの]ケア・コーディネーションを受けている認知症高齢者の医療サービス利用:「在宅での自立最大化[プログラム]」
Amjad H, et al: Health services utilization in older adults with dementia receiving care coordination: The MIND at Home Trial. Health Services Research 53(1):556-579,2018.[量的研究]

本研究の目的は、新しい認知症ケア・コーディネーション・プログラム(「在宅での自立最大化(Maximizing Independence at Home)プログラム」)が保健医療サービス利用に与える効果を調査することである。メリーランド州バルティモア市に居住する75歳以上の認知症者303人(介入群110人、対照群193人)を対象とした一重盲検ランダム化比較試験(2008-2011年)により、18か月間のケア・コーディネーション介入(地域居住の非専門職ケアコーディネーターを学際的専門職チームが支援する)の効果を評価した。コーディネーターは概ね月2回認知症者や介護者(家族)と連絡をとった。介護者から、試験開始時、開始後9か月時、18か月時の急性期医療・入院、外来、在宅・地域サービス利用の情報を得た。
主な結果は以下の通りである。試験開始時と比べて急性期医療・入院及び総外来サービス利用に統計的に有意な差はなかったが、介入群の9か月時、18か月時の認知症・精神衛生外来受診は有意に多かった。介入群では18か月時、在宅・地域ケアの支援サービス利用が有意に増加した。本プログラムは急性期・入院医療には影響しなかったが、認知症関連の外来医療および在宅・地域支持サービスの利用を増やし、その結果、認知症者が地域生活をより長く続けるのを助けた可能性がある。

二木コメント-本プログラムによる費用の変化は示されていませんが、サービスの総費用が増えたことは確実です。これにプログラム費用(介入費用)を加えた本プログラムの総費用は対照群より相当高くなると思います。論文では介入群の地域生活期間が延びたことを示すデータは示されていませんが、「考察」によると、それは別の論文で報告済みとのことです。

○複数の疾患[を持つ患者]に対する統合ケアの適切なモデルと要素:スコーピングレビューの結果
Struckmann V, et al: Relevant models and elements of integrated care for multi-morbidity: Results of a scoping review. Health Policy 122(1):23-35,2018.[文献レビュー]

増加しつつある複数疾患を持つ患者群に適切なケアを提供するために、革新的な統合ケア・プログラムが現れている。本スコーピングレビューの目的は、①複数疾患を持つ患者のための統合ケアの適切なモデルと要素を同定すること、および②これらのモデルと要素のどれが複数疾患を持つ統合ケアプログラムに応用されているかを同定することである。Cochrane、Embase,PubMed等8つの科学文献データベースを用いて、スコーピングレビューを行った。多段階の文献絞り込みにより、最終的にモデルと要素については92論文を、プログラムについては50論文を選んだ。「Wagnerらの慢性疾患ケアモデル」(CCM)とGuided Care Model(GCM)がもっとも多く引用されていた(それぞれ31,6)。両モデルとも統合ケア全般に焦点を当てており、複数疾患のみに焦点を当てているものはなかった。大半の要素は「サービス提供」に関連していた。すべての要素のうち、もっともよく引用されていたのは以下の5つであった:個人中心のケア、ホリステックあるいはニードアセスメント、ケアサービス・専門職の統合とコーディネーション、コラボレーション及び自己管理(以上、①関連)。複数疾患を対象にした16プログラムのうち10プログラムはCCMを用いていた。同定されたすべてのプログラムのうち、最も多く含まれていた要素は、自己管理、包括的評価、学際的ケアまたはコラボレーション、個人中心のケアおよび電子的情報システムであった(以上、②関連)。

以上から、今回同定されたモデルと要素の大半は統合ケア全般に焦点を当て、複数疾患のみには焦点を当ててはいない、大半のプログラムは「Wagnerの慢性疾患ケアモデル」(CCM)を基盤にしていると、結論付けられる。

二木コメントーmulti-morbidityはとりあえず「複数疾患」と訳しましたが、厳密には複数疾患を持つが「キーとなる疾患が設定しづらいもの」を指すそうです(藤沼康樹「プライマリケアにおける『マルチモビディティ(multimorbidity)の意味」『総合診療』25(12):1088-1092,2015.ウェブ上に公開)。Health Policy 2018年1月号は"integrated care for people with multimorbidity"を特集し、6論文(プラスEditorial)を掲載しています。統合ケアまたはmulti-morbidityの研究者必読と思いますが、私にはどの論文も「思弁的」に思えます。

○患者の一般医との経験[の良し悪し]は救急部門の利用に影響するか?オーストラリアの経験
Wong CY, et al: Does patients' experience of general practice affect the use of emergency department? Evidence from Australia. Health Policy 122(2):125-133,2018.[量的研究]

オーストラリアでは救急部門の受診者が急増しているため、救急部門受診を減らすため、一般医(GP)へのアクセス、特に所定の診療時間外のアクセスを改善するための様々な戦略がとられている。しかし、GP医療の質及びそれの救急部門への影響についてはほとんど注意が払われてこなかった。本研究では、救急部門受診は患者のGP医療についての経験に影響されるか否かを検討するために、ロジット・モデルを用いて、オーストラリアxの16歳以上の成人を対照としたオンライン調査(回答1958人)のデータを分析する。回答者が最後に受診したGPの評価について5つの質問をした(0、1で回答)。

驚くべきことではないが、健康状態の悪い人々や慢性疾患を多数有する人々では救急部門の受診が多かった。それに加え、健康状態と社会経済的要因を調整をした後でも、GPとの良い経験を有する患者は救急部門受診が少ないことも分かった。このことは、プライマリケアの質改善を目ざす政策が非計画的な入院を削減する上でも重要なことを示唆している。

二木コメント-患者のGP医療についての経験が救急部門受診に与える影響についての初めての報告だそうです。ただし、私にはやや「予定調和」的に見えます。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その161)-最近知った名言・警句

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<その他>

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