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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻183号)』(転載)

二木立

発行日2019年10月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1. (1)論文「医療法人以外の私的病院チェーンの分析」(連載:医療提供体制の変貌④)を『病院』2019年10月号に掲載します。
(2)論文「経産省と厚労省の医療・社会保障改革スタンスはどう違うか?」を『日本医事新報』2019年10月5日号に掲載します。
両論文は、本「ニューズレター」184号(2019年11月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。


1. 論文:患者の「(医療機関)選択の自由」は絶対か?

(「深層を読む・真相を解く」(88)『日本医事新報』2019年8月3日号(4971号):58-59頁)

私は本年1月に『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』(勁草書房)を出版し、7月にある社会科学系学会の関東部会で、「合評会」をしていただきました。そこで、社会学の新進気鋭の研究者の評者は、地域包括ケアシステムの実態は「システム」ではなく、「ネットワーク」との私の主張に賛同しつつ、「地域包括ケアを通じた保健医療福祉等のネットワークの構築が、利用者にとっての選択の自由の余地を狭める可能性」を指摘しました。

これを聞いて、市場メカニズムによる資源配分を絶対化する新古典派経済学者だけでなく、「専門職支配」を批判する社会学者も、消費者・患者の「選択の自由」を非常に強調することに思い至りました。例えば、高名な上野千鶴子氏(社会学・フェミニズム)は、『ケアのカリスマたち』(亜紀書房,2015)で、在宅医療・介護の「プロフェショナル」の活動を高く評価しつつ、「当事者主権」・利用者の「選択の自由」を絶対化し、「医療主導で在宅ケアが進んでいくことへの危惧」・「危機感」を繰り返し表明していました。

本稿では、患者の「(医療機関)選択の自由」は絶対ではなく、限界や制約がある理由を述べます。

「複合体」の患者囲い込みの複眼的評価

この評者は、「ネットワークの構築」による患者の医療機関選択の自由を問題視しましたが、医療分野では、それよりも、保健・医療・福祉複合体(以下、「複合体」)による「患者囲い込み」が問題視されることが多いと思います。

実は、私自身も『保健・医療・福祉複合体』(医学書院,1998)で、「複合体」の4つのマイナス面の第1に「地域独占」(「複合体」が患者・利用者を自己の経営する各施設に「囲い込み」、結果的に利用者の選択の自由を制限すること)をあげました。

と同時に、私は次の注意喚起もしました。「患者・利用者の『囲い込み』は、『複合体』の各施設のサービスの質が一定水準を保っている場合には、必ずしも利用者の不利にはならず、逆に利用者の安心感を高める側面もある」(40-41頁。『医療経済・政策学の探究』勁草書房,2018,328頁)。

つまり、医療では、患者は「(医療機関)選択の自由」を絶対化せず、多くの場合、それよりも「医療(サービス)の質」を重視するのです。私は、「医療の質」には、保健医療福祉サービスが切れ目なく受けられること(継続性)も含まれると判断しています。そして、この点で、単独の医療機関より「複合体」の方が圧倒的に有利です。

ちなみに、上野千鶴子氏の上掲書で、大規模複合体の事業責任者である小山剛氏(2015年死去)は、上野氏の上記主張に対し、「地方に大型量販店ができると、買い物客はそちらに流れてしまい、商店街が寂れてしまうのと同じ構図に見えますよ。でも、それを選択するのは消費者ですよ」と指摘し、上野氏も「おっしゃるとおりですが、選べるほどの選択肢があるかどうか」と弁解しました(179頁)。

「緩やかなゲートキーパー」の提唱

国際的にみると、患者の医療機関「選択の自由」は日本が世界一との評価が定着しています。国営・公営医療のイギリスや北欧諸国では、国民は原則として、特定の「かかりつけ医」(GP)への登録を義務づけられ、その医師の紹介なしに病院を受診することはできません。アメリカは「自由医療」の国と言われていますが、近年はマネジドケアおよびそれに対抗した医療機関の統合組織(Integrated Delivery Systems/Networks)」が急増したため、患者は自己が加入している(民間)保険が契約していない医療機関の受診を大きく制約されています。

それに対して、日本では、従来、国民皆保険制度の下で、「いつでも、どこでも、誰でも」医療を受けられるようになっています。
しかし、「社会保障制度改革国民会議報告書」(2013年8月)は、以下のような、重要な問題提起をしました。「ともすれば『いつでも、好きなところで』と極めて広く解釈されることもあったフリーアクセスを、今や疲弊おびただしい医療現場を守るためにも『必要な時に必要な医療にアクセスできる』という意味に理解していく必要がある」、「この意味でのフリーアクセスを守るためには、緩やかなゲートキーパー機能を備えた『かかりつけ医』の普及は必須」(24頁)。

これが導入されれば、患者の医療機関「選択の自由」はある程度制約されますが、「疲弊おびただしい医療現場を守る」ために不可欠と言えます。

過度の選択の自由は消費者の効用を減らす

さらに、最近の実証研究では、過度の「選択の自由」が逆に、消費者・患者の「効用(主観的満足)」を低下させることも明らかにされています。

このことを最初に指摘したのは、複雑系科学の創設者の1人であるハーバート・サイモン(1978年ノーベル経済学賞受賞)です。氏は、「限定合理性」(bounded rationality)という概念を提唱し、人間の情報収集・計算能力には限界があるため、新古典派経済学の前提とする完全情報に基づく完全合理性と効用の極大化はありえず、人間は現実には「合理性の限界」の枠内での選択を行っていると主張しました(塩沢由典『複雑系経済学入門』生産性出版,1997,207頁)。

私の調べた範囲で、医療でこのことを最初に指摘したのは、制度派医療経済学の旗手であるトム・ライスUCLA公衆衛生大学院教授です。氏が2006年に発表した論文「選択の制限は社会的公正を増すことができるか?高齢者と医療保険」(Rice, T: Milbank Quarterly 84(1):37-73,2006)の要旨は以下の通りです。

<サイモンの「限定合理性」概念を支持する知見は膨大にあるが、医療政策の議論ではほとんど無視されている。このことは、高齢者が認知機能の低下を特徴とすることを考えると重大である。メディケア改革による処方薬給付プログラム[パートD。2003年-二木]導入により、患者負担の選択肢がさらに増えるため、高齢者は意思決定における認知能力をさらに求められることになる。このプログラムでは、処方薬の患者負担には40以上の選択肢があり、高齢者はそれから1つを選ばなければならないからである。他面、最近多くの研究により、情報と選択肢がありすぎることが危険であることが明らかにされつつある。本研究では、意思決定科学、経済学および心理学の研究成果を統合することにより、医療保険での選択拡大政策により高齢者が直面している潜在的危険に注意を喚起するとともに、その危険を緩和し、高齢者の選択肢を減らすための政策を提案する。>

この後、ライス氏の指摘を裏付ける行動経済学等の実証研究が多数発表されています。

「自由と責任の組み合わせに最適比率」

最後に、私が尊敬する医療経済学者・フュックス教授が「自由と責任との組み合わせ」にも最適比率があると指摘したことを紹介します。

教授は、ジョージ・スティグラー(ミルトン・フリードマンと並ぶシカゴ学派の重鎮。1982年ノーベル経済学賞受賞。強制加入の医療保険制度を否定)が、常に自由をすべての目標の上に置かなければならないと主張したことを以下のように批判しました。

「経済学者が自由やその他の単一の目標を極大化することを欲して、様々な目標間の最適なバランスを求めないのは、私には奇妙に思われる。限界効用逓減の法則はやはり自由を含めてすべての目標に適用されるべきであるし、スティグラーが自由の付属物であるとした個人責任が拡大するほどそれの限界不効用も拡大すると考えるべきである。/つまり自由と責任との組み合わせに最適比率があると考えるのが合理的であろう。ただし、この最適比率は、自由の享受能力と責任の遂行能力の程度により、各人で変わってくるであろう」(『保健医療の経済学』勁草書房,1995[原著1986],105頁)。

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2. 論文:「地域共生社会」は理念と社会福祉施策との「二重構造」-地域共生社会推進検討会「中間とりまとめ」を読んでの気づき

(「二木教授の医療時評」(172) 『文化連情報』2019年10月号(499号):20-25頁)

はじめに

厚生労働省の「地域共生社会に向けた包括的支援と多様な参加・協働の推進に関する検討会」(地域共生社会推進検討会。座長・宮本太郎中央大学教授。社会・援護局が実施)は7月19日、「中間とりまとめ」を発表しました。私は今まで、「地域共生社会は法的規定がなく、抽象的理念にとどまっている」、「地域共生社会と地域包括ケアとの関係は曖昧」と指摘してきました(1)。「中間とりまとめ」を読んで、地域共生社会は理念と社会福祉・地域福祉の個別施策との「二重構造」になっていることに気づきました。こう理解することにより、地域共生社会と地域包括ケアとの関係も明確になります。本稿では、私がこの「発見」をするまでのプロセスを説明します。

「ニッポン一億総活躍プラン」で初めて規定

先述したように、地域共生社会には法的定義はなく、安倍晋三内閣が2016年6月に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」で、初めて、以下のように規定されました。

「子供・高齢者・障害者など全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り、高め合うことができる『地域共生社会』を実現する。このため、支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成し、福祉などの地域の公的サービスと協働して助け合いながら暮らすことのできる仕組みを構築する。また、寄附文化を醸成し、NPO との連携や民間資金の活用を図る」(16頁)。

この地域共生社会の理念は崇高ですし、対象を「子供・高齢者・障害者など全ての人々」としているのは、法的に対象を高齢者に限定した地域包括ケア(システム)より優れていると思います。塩崎恭久厚生労働大臣(当時)が、2017年の介護保険法等改正案(地域包括ケア強化法案)の国会審議時に、地域共生社会は「地域包括ケアシステムのいわば上位概念」と説明したのは、この意味だと考えられます(2017年4月5日衆議院厚生労働委員会)【注1】

ただし、私は以前から、この規定には、地域共生社会を実現するために「福祉」と共に不可欠である「医療」が全く含まれていないことも指摘していました(1)

「骨太方針2019」で個別施策を列挙

本年6月に閣議決定された「骨太方針2019」では、第5章5「重要課題への取組」の(7)の⑤「共助・共生社会づくり」で、「(地域)共生社会づくり」の方針が38行も書かれました(47-48頁)。

この記述で特徴的なことは、以下の3つだと思います。

第1は、「共生社会」と「地域共生社会」が同じ意味で用いられていることです。具体的には、(共生社会づくり)の項の第1文に「全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り高め合う地域共生社会を実現する」と書かれています。これは、上述した「ニッポン一億総活躍プラン」の地域共生社会の規定の第1文とほぼ同じです。

第2は、地域共生社会の理念・総論的説明はこの短い1文(1行)のみで、2行目以下でさまざまな個別の施策があげられていることです。そのトップは、「地縁・血縁による助け合い機能が低下する中、複合化・複雑化した生活課題への対応のため、断らない相談支援などの包括的支援や多様な地域活動の普及・促進について、新たな制度の創設の検討を含め、取組を強化する」です(この意味は後述)。

以下、障害児支援、高齢者・障害者虐待の早期発見・未然防止、生活困窮者への包括的な支援体制の整備、認知症と共生する社会づくり、成年後見制度の利用促進、性的志向、性自認に関する正しい理解の促進、若者向けの相談・支援や地域レベルの取組への支援強化、自殺総合対策の推進、在留外国人の生活環境の整備等が列挙・羅列されています。(共生社会づくり)の記述は、第1文以外、ほとんど1文1施策で、なんと合計約20もの施策が書かれています。

第3に特徴的なことは、「ニッポン一億総活躍プラン」の場合と同じく、(地域)共生社会における医療の役割についてのまとまった記述がないことです。ただし、以下のように、断片的記述は3つありました。「医療提供体制や難病相談支援センター等の充実など難病対策に取り組む」、「慢性疼痛対策に取り組む」、「医療費の未収金発生の抑制を図り、医療機関が安心して外国人に医療サービスを提供できる環境整備を着実に進める」。

「中間とりまとめ」は社会福祉施策に限定

それに対して、地域共生社会推進検討会「中間とりまとめ」(以下、「中間とりまとめ」)は、地域共生社会の理念にはまったく触れず、最初から最後まで、「福祉政策[内容的には社会福祉・地域福祉政策-二木]の新しいアプローチに基づく制度を検討する」ことに終始しています。驚くべきことに、医療、介護、多職種連携についての記述はほとんどなく、地域包括ケアシステムについても全く触れていません。

その理由は、この検討会が2017年の社会福祉法改正の付則に書かれた、「公布後3年を目途として、包括的な支援体制を全国的に整備するための方策について検討を加え、その結果に基づいて所要の措置を講ずる」ことを検討するために設置されたためだと思います。これは、上述した「骨太方針2019」の「共生社会づくり」の各論の最初に書かれていることにも対応します。しかし、この意味での地域共生社会の範囲はごく限定的であり、とても「地域包括ケアの上位概念」とは言えません。

以上から私は、地域共生社会は崇高な理念と、社会・援護局の所管する社会福祉・地域福祉の個別施策の「二重構造」になっていると判断しました。

私は上述した行政的事情は理解できます。しかし、「中間とりまとめ」が、「ニッポン一億総活躍プラン」で示された地域共生社会の崇高な理念に全く触れず、狭い社会福祉・地域福祉の枠内での改革のみを論じると、「地域共生社会=社会福祉・地域福祉の改革」との誤解・混乱を招く危険があるし、地域共生社会と地域包括ケアも分断されてしまうと危惧します。

なお、私は「中間とりまとめ」で「福祉政策の新たなアプローチを実現するための包括的な支援体制」として「以下の3つの支援の機能を一体的に具えることが必要」と提起しているのは、大変分かりやすいと思いました:「断らない相談支援」、「参加支援(社会とのつながりや参加の支援)」、「地域やコミュニティにおけるケア・支え合う関係性の育成支援」。それぞれについての具体的方策の大半も妥当だと思います。他面、それらのなかには以前から提唱されている方策の焼き直し・言い換えと言えるものが少なくないとも感じました。例えば、「断らない相談支援」は、以前から「ワンストップ・サービス」で強調されていることです。

『平成30年度白書』の記載も「二重構造」

実は、「中間とりまとめ」に先だって7月9日に公表された『平成30年版厚生労働白書』でも、地域共生社会の記述は「二重構造」になっています。具体的には第1部(障害や病気などと向き合い、全ての人が活躍できる社会に)の209頁には、上述した「ニッポン一億総活躍プラン」の「地域共生社会」の理念的規定がそのまま掲載されている一方、第2部(現下の政策課題への対応)の第4章では、地域共生社会は生活保護と同列で記述され、しかも「地域共生社会の中核的な役割を担うことを期待されている生活困窮者自立支援制度」との表現に象徴されるように、狭い社会福祉施策の一部と説明されています(325頁)(2)

ちなみに、私が『平成30年版厚生労働白書』を読んで一番印象的だったことは、テーマが「障害や病気などと向き合い、全ての人が活躍できる社会に」という地域共生社会を連想させるものであるにもかかわらず、白書第1部の目次でも、第1部の各章の本文の小見出しでも、地域共生社会という用語が全く用いられていなかったことです。地域共生社会のこのような軽い扱いは、社会福祉関係者が地域共生社会を非常に高く評価しているのと対照的です【注2】

上田敏氏は36年前に福祉の「二重構造」を指摘

私は、地域共生社会の「二重構造」に気づいた時、上田敏先生(元東京大学医学部教授。私のリハビリテーション医学面での恩師)が、今から36年も前の1983年に、名著『リハビリテーションを考える』の序章の「おわりに」で、「理念としての福祉」と現実の「社会福祉事業」を峻別し、以下のように述べたことを思い出しました(3)
<「理念としての福祉」と、現実に行われている「社会福祉事業」とをはっきり区別しようではないか(中略)。理念としての福祉はたしかに全人間的なものであり、人間にかかわるあらゆる部分を包括し、当然リハビリテーションの理念もその中に(かなり重要な部分として)含まれるであろう。しかし通常ひとが「福祉」という時に思い浮かべる具体的な実体としての福祉、つまり現実に種々の制約の下で機能している「社会福祉事業」は、現実にはその広大な福祉の理念のごく一部を実現しているにすぎないものであり、そのようなものの一部である障害者福祉事業は社会的リハビリテーションとほぼ同義であり、全体としての「リハビリテーション事業」の一部である、ということである>。

上田先生は、国立の言語治療士(現・言語聴覚士)の学院での講義の際に、学生と行った「福祉」の理念とリハビリテーションとの関係についての議論(福祉はリハビリテーションに含まれるのか、それともリハビリテーションは福祉の一部であるのか)について、1週間熟慮した後、この結論に達したそうです。

私が今回気づいた地域共生社会の「二重構造」は、結果的には、36年前に上田先生が先駆的に指摘された福祉の「二重構造」の復活とも言えます。

内閣府は「共生社会政策」を推進

「骨太方針2019」の説明時に、それが「共生社会」と「地域共生社会」を同じ意味で用いていることを指摘しました。実は、内閣府は「政策統括官」を配置して、「共生社会政策」を推進しています。私はこのことを今まで知らず、友人の社会福祉協議会関係者から教えていただきました。

具体的には、内閣府の「共生社会政策」のサイトの冒頭には次のように書かれています。<国民一人一人が豊かな人間性を育み生きる力を身に付けていくとともに、国民皆で子供や若者を育成・支援し、年齢や障害の有無等にかかわりなく安全に安心して暮らせる「共生社会」を実現することが必要です。/このため、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)においては、社会や国民生活に関わる様々な課題について、目指すべきビジョン、目標、施策の方向性を、政府の基本方針(大綱や計画など)として定め、これを政府一体の取組として強力に推進しています。>(http://www8.cao.go.jp/souki/index.html)

このサイトの右側には、その「政策」として、「子供・若者育成支援」、「子供の貧困対策」、「高齢社会対策」、「障害者施策」等、8つの領域が示されており、それぞれについて詳しい解説がされています。「共生社会」でイメージできる領域で、これに含まれないのは、「(狭義の)社会福祉」・「地域福祉」だけとも言えます。上記のいくつかの領域では「白書」も出されています:「子供・若者白書」、「障害者白書」、「高齢社会白書」等。さらに、「共生社会促進に対する指標体系」もできており、ウェブ上に公開されています。

内閣府の友人に調べていただいたところ、内閣府の共生社会政策担当の政策統括官ポストは、2001年に内閣府が誕生したときにはなかったが、遅くとも2004年時点では存在していたそうです。つまり、内閣府の「共生社会政策」は、2016年の「ニッポン一億総活躍プラン」で「地域共生社会」が提起されるより10年以上前から始まっていたのです。

ただし、私がウェブ上でいろいろ調べたり、内閣府の友人と厚生労働省の友人に問い合わせた限りでは、「共生社会」と「地域共生社会」との関係・異同についての両省の公式な説明はないようです。 なお、文部科学省も「インクルーシブ教育システム」との関連で「共生社会の形成」を目指しているそうです(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm)。

おわりに

今回は「探索的」記述になりましたが、地域共生社会という用語が崇高な理念と、社会・援護局所管の社会福祉・地域福祉の個別施策の「二重構造」であることは示せたと思います。しかし、この点についてきちんとした公式説明がなされないと、地域共生社会についての誤解・混乱が今後ますます強まる、と私は危惧しています。

そのため、地域共生社会推進検討会には、「最終とりまとめ」(最終報告)で、この「二重構造」および、検討会が検討したのは後者の枠内での改革に限定されていることを明記していただきたいと思います。また、医療・福祉の団体・個人が今後「地域共生社会」について論じる時には、それが理念としての地域共生社会を意味するのか、社会福祉・地域福祉施策としての地域共生社会なのかを明示する必要があると思います。私自身は、地域共生社会は「上位概念」=理念としてのみ位置づけ、地域包括ケアを含め、それの「下位概念」としての個別の施策・改革にはそれぞれの固有の名称を用い、地域共生社会という多義的な用語は使わない方が安全だと感じています。

最後に、地域包括ケアの実践者の大半が求めているように、地域共生社会の崇高な理念に基づいて、地域包括ケアの対象者を高齢者だけでなく、「全ての人々」に拡大すること-法改正がなされる前は、個々の地域の実践現場で-が急務であることを強調し、本稿を終わります。

【注1】「『我が事』『丸ごと』地域共生社会」は死語

「ニッポン一億総活躍プラン」で「地域共生社会」が打ち出された翌月(2016年7月)、厚生労働省は「『我が事』『丸ごと』地域共生社会実現本部」を立ち上げました。これは、厚生労働大臣を本部長、11局長等を本部員とする「オール厚労省」組織で、「地域力強化」、「公的サービス改革」、「専門人材」の3つのワーキンググループを含み、以下の4つの改革を推進するとしていました。①地域包括ケアシステムの構築:医療介護サービス体制の改革、②データヘルス時代の保険者機能強化、③ヘルスケア産業等の推進、④グローバル視点の保健医療政策の推進(4)

これは壮大な計画でしたが、その後、具体化されることはありませんでした。「『我が事』『丸ごと』地域共生社会実現本部」のサイトにも、第1回会議(2019年7月15日)の資料が掲載されているだけです(2019年9月1日確認)。

塩崎恭久大臣の発案と思われる「『我が事』『丸ごと』地域共生社会」という用語も、2017年8月に大臣が塩崎恭久氏から加藤勝信氏に交代して以降は、全く使われなくなり、「厚労省内死語」となっています。その後、地域共生社会の検討は同省社会・援護局のみで行われており、本文で述べたように、その対象は狭義の社会福祉・地域福祉改革(の一部)に限定されています。

【注2】地域共生社会の位置づけには医療系と福祉系とで大きな温度差

地域共生社会の扱い・位置づけには、医療系組織・研究者と福祉系組織・研究者との間で大きな「温度差」があります。医療系では、それが正面から論じられることはほとんどなく、「地域包括ケアシステムと地域医療構想」が今後の改革の二本柱とされています。これは2013年に発表され、政府・厚生労働省も公認している「社会保障制度改革国民会議報告書」中の「医療・介護分野の改革」における位置づけと同じです。ちなみに、日本医師会総合政策研究機構『日本の医療のグランドデザイン2030』は、医療と医療政策についての「百科事典」とも言えますが、地域共生社会には言及していません。
それに対して、福祉系では最近は、地域包括ケア(システム)に代って、地域共生社会が今後の改革のキーワードとされるようになっています。例えば、社会福祉学界の大御所である大橋謙策氏(東北福祉大学大学院教授)は「厚生労働省は(中略)『戦後第3の節目』と位置づける『地域共生社会政策』を2015年から推進している」と主張しています(5)。日本社会福祉士会も2018年度臨時総会(2019年3月16日)の「基本指針」で、「地域共生社会の実現に資する体制構築の推進」を掲げましたが、地域包括ケア(システム)の推進・構築にはまったく言及していません。ウェブ上では「地域包括ケアの次は地域共生社会」、「地域共生社会は地域包括ケアシステムを進化させた概念」との説明も見られます(例:『月刊事業構想』編集部)。

文献

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3. 論文:1991~2011年の医療法人病院チェーンの推移と構造

(『病院』2019年9月号(78巻9号):669-675頁。表は別ファイル)

はじめに

本連載第3回と第4回では、各種の病院名簿を用いて、民間病院チェーンの推移と構造を検討します。第3回では医療法人病院チェーンについて検討し、第4回ではそれ以外の病院チェーンについて検討します。

本稿のポイントは以下の通りです。①1990~2015年の25年間に全病院の病院数・病床数は減少し続けているが、医療法人の病院数・病床数は逆に増加し続けている。②医療法人病院チェーンは1984~2002年に漸増した後、2002~2011年に急増し、2011年には医療法人病院病床の3割弱(28.7%)を占めるに至っている。③2011年でも医療法人病院チェーンの8割弱(76.4%)は2病院のみの開設であり、7割弱(69.5%)が病床数500床未満の病床であり、8割強(84.0%)が1都道府県でのみ病院を開設している。④医療法人病院チェーンの病床は4割強(42.5%)が一般病床であり、「一般病床主体」の法人が半数弱(45.1%)、「ケアミックス」が7割強(72.3%)を占める。⑤1000床以上の巨大医療法人病院チェーンは漸増し、2011年には31となっており、そのすべてが「ケアミックス」である。これらの巨大病院チェーンのうち20の本部は首都圏または関西圏にある。

全病院と医療法人の病院数・病床数の推移

病院チェーンの分析の前に、厚生労働省「医療施設調査」を用いて、全病院と医療法人の病院数・病床数の1990~2015年の25年間の推移を検討します(表1)。

よく知られているように、全病院数は1990年の10,096をピークに以後減少に転じ、2015年には8,480になり、25年間で1,616(16.0%)も減少しました。全病床数も同じ期間に1,676,803床から1,565,968床へと、110,835床(6.6%)減少しました。なお、全病床数のピークは1992年の16,86,896床でした。

それに対して、医療法人病院の病床数は1990年の4,245から2015年の5,737へと25年間に1,492(35.1%)も増加しました。病床数も、同じ期間に656,348床から860,184床へと203,836床(31.1%)も増加しました。医療法人の病床数の増加は全病院の病院数の減少を大幅に上回っています。

その結果、医療法人病院の全病院に対する割合は1990年の42.0%から2015年の67.7%へと25.6%ポイントも増加しました。病床数についてみると、それぞれ、39.1%、54.9%、15.8%ポイントです。その結果、医療法人病院は21世紀に入って、病院数だけでなく、病床数でも全病院の過半を占めるようになりました。この趨勢はその後も変わらず、2017年には医療法人病院の病院数割合は68.5%、病床数割合は55.6%に達しています。

表には示しませんでしたが、1990~2015年に、個人病院病床数は237,229床も減少しています。1985年の医療法第一次改正により、病院の新設は厳しく抑制されているため、この間の医療法人病院の病床数増(203,836床)の主因は医療法人病院の新設ではなく、個人病院の医療法人化(M&Aによる既存医療法人への統合を含む)と思われます。

医療法人病院チェーンの法人数・病院数・病床数の推移

次に、2種類の病院名簿を用いて、医療法人病院チェーンの法人数・病院数・病床数の1991~2011年の20年間の推移を検討します(表2)。

病院チェーンは、病院を開設している法人のうち、2病院以上を開設または経営している法人としました。この定義は、アメリカ病院協会や『Modern Healthcare』誌の定義と同じで、私は1985年にアメリカの病院チェーンの紹介を初めて行った時から用いています(文献1)。1991年と2002年の病院チェーンは日本医療法人協会『平成3年全医療法人名簿』と『全国医療法人名簿 平成15年』から、2011年の病院チェーンは矢野経済研究所『全国病院開設法人・団体名鑑 2012年版』から抽出し、法人ごとに病院数・病床数・種類別病床数等を計算しました。非病院チェーンの病院開設医療法人数と病院開設医療法人総数(病院チェーン+非病院チェーン)は、表2の注2)で示した計算式に基づいて、計算しました。

たいへん残念ながら、両団体とも2013年以降は同種の病院名簿を公開していません。本来なら、私が都道府県と厚生労働省各地方局が開示している最新の医療機関情報を収集すべきですが、今回は、その時間的余裕がありませんでした。なお、日本医療法人協会の名簿は各医療法人が「開設(所有)」している病院のみを掲載していますが、矢野経済研究所の名簿は、各法人が指定管理者になり「経営」している公立病院も含んでいます。そのため、厳密に言えば、表2の2002年と2011年の数値には「不整合」があります。ただし、2011年に医療法人病院チェーンが指定管理者になっている病院は9病院、1531床にすぎないため、両者の比較をしても特に問題はありません。

医療法人の病院チェーンは1991年の340法人、795病院、160,157床から、2002年の401法人、964病院、191,281床へと増加しました。しかし、同じ期間に医療法人の病院数・病床数も増加したため、病院チェーンの全医療法人に対する割合(シェア)は、法人数では8.7%から8.1%へ、病院数では18.2%から17.4%へ、病床数では23.8%から23.6%へと微減しました。

表には示しませんでしたが、1984年の病院チェーンのシェアは病院数で17.3%、病床数で22.2%でした(文献2)。このことは、1984~2002年の18年間には病院チェーンの「シェア」は伸び悩んでいたことを示しています。これの主因は、上述したように、1985年の医療法第一次改正で病院の新設が厳しく制限されたこと、および1990年代までは、病院のM&Aはごく少なく、それによる病院チェーン化も多くはなかったためと思います。

それに対して、2002~2011年の9年間に、医療法人病院チェーンは実数・割合とも急増しました。法人数は401から499へと98(24.4%)増、病院数は964から1262へと298(30.9%)増、病床数は191,281床から244,139床へと52,858床(27.6%)増です。これは、同じ期間に全医療法人病院が、法人数で21減少し、病院数、病床数でもそれぞれ179、39,957床の増加にとどまったのと対照的です。その結果、病院チェーンの割合(シェア)は2011年には法人数で10.1%、病院数で22.1%、病床数で28.7%と大幅に上昇しました。特に病床数のシェアは9年間で5.1%ポイントも増加しました。

この期間には、それ以前と同じく病院の新設が厳しく抑制されていたことを考えると、この期間の医療法人病院チェーンの急拡大の相当部分は、病院(医療法人だけでなく、個人病院と公益法人病院も含む)のM&Aにより生じたことを示唆しています。この点は、本連載でも後に詳しく検討する予定です。

他面、表2は2002~2011年に病院チェーンの規模は平均値ではほとんど変わっていないことも示しています。具体的には、1法人当たり平均病院数は2.4から2.5へと、1法人当たり平均病床数は477.0床から489.3床へと微増しましたが、1病院当たりの平均病床数は198.4床から193.5床へと微減しました。このことは、医療法人病院チェーンが全体としてはまだそれほど大規模ではないことを示しています。

病院チェーンの1法人当たり病院数・病床数の分布

そこで、医療法人病院チェーンの1法人当たり病院数と病床数別法人数の分布の1991~2011年の推移を検討しました(表3・4)。

表3に示したように、2病院を開設している病院チェーンは1991年、2002年、2011年とも病院チェーンの大半を占めています。法人数は283→321→381へと増加しています。これらの病院チェーン全体に対する割合(シェア)は83.2%→80.0%→76.4%と漸減していますが、依然8割近くを占めています。それに対して5病院以上を開設する病院チェーンは12→15~23と微増にとどまっています。そのうち、10病院以上を開設する病院チェーンは2→3→4です(法人名は表3の注に示しました)。このことは、病院開設数という点でみると、医療法人病院チェーンの大半は小規模であることを示しています。

ただし、1法人当たり病床数別の法人数をみると、様相は少し変わってきます。表4に示したように、20~299床の小規模病院チェーンの病院チェーン全体に対する割合(シェア)は1991年の38.3%から2011年の16.8%へと大幅に減少した反面、300~499床の中規模病院チェーンのシェアは30.0%から52.3%へと急増しました。やや意外なことに、500床以上の大規模病院チェーンのシェアは31.8%から30.8%へと微減しました。それの2011年の病床シェアは59.0%で、1991年の58.8%とほぼ同じです(後者は表には示していません)。ただし、1,000床以上の大規模チェーン数は20→23→31へと着実に増加しています(これら大規模法人の一覧は後に表8で示します)。

次に、医療法人病院チェーンの2002年と2011年の病院開設都道府県数を検討します(表5)。法人本部のある都道府県のみで病院を開設している法人は2002年に359(89.5%)、2011年に419(84.0%)を占めています。それに対して5都道府県以上で病院を開設している病院チェーンはそれぞれ2,4法人にすぎません(これらの法人名は表5の注に示しました)。このことは医療法人病院チェーンは数の上では2011年でもまだ「地域的存在」であることを示しています。

表には示しませんでしたが、2011年に2都道府県以上に病院を開設している80法人の、病院を開設している都道府県名も個別に調べてみました。その結果、本部のある都道府県の隣接都道府県または準隣接県(例:首都圏の4都県)に開設している法人は、2都道府県開設法人52法人のうち42法人(80.8%)を占めていましたが、3都道府県開設法人20法人では10法人(50%)、4都道府県以上開設法人6法人中1法人のみでした。ただし、最近注目を集めている地方の有力医療法人(病院チェーン)の首都圏への進出は、この時点ではまだほとんど生じていませんでした。逆に、2011年の時点では、複数都道府県での病院開設の「主流」は、同一グループである徳洲会・沖縄徳洲会を除けば、首都圏に本部のある大規模病院チェーンの首都圏の他の都道府県や準隣接県への病院開設でした。

病院チェーンと全医療法人病院との病床種類別病床数

次に視点を変えて、2011年の医療法人病院チェーンと全医療法人病院の病床種類別病床数を比較します(表6)。病床種類は、一般病床、療養病床、精神病床、その他(結核病床と感染症病床)の4区分としました。

病院チェーンの病床数割合をみると、一般病床が最も多く42.5%で、以下、療養病床36.6%、精神病床20.8%、その他0.1%の順です。これを全医療法人の病院病床数割合と比較すると、一般病床と療養病床の割合は病院チェーンの方がそれぞれ6.2%ポイント、4.5%ポイント高い反面、精神病床は10.8%ポイントも低くなっています。かつては精神(科)病院が病院チェーンの「一大勢力」であったことを考えると、これは大きな変化と言えます。

医療法人病院チェーンの病床タイプの分布

表7は2011年の医療法人病院チェーンの「病床タイプ」を示したものです。

病床タイプは、病床数が最も多い病床を基準にして、「一般病床主体」、「療養病床主体」、「精神病床主体」、「その他」に4区分し、それぞれの内数として「一般病床のみ」、「療養病床のみ」、「精神病床のみ」の割合も示しました。

「一般病床主体」の病院チェーンの割合が最も多く45.1%を占めますが、一般病床のみの病院チェーンの割合は(病院チェーン全体の)12.2%にとどまっています。それに対して療病床主体、精神病床主体の割合はそれぞれ35.1%、19.6%です。両者とも、療養病床のみ、精神病床のみの病院チェーンの割合は、一般病床のみの場合と同じく、「少数派」です。

視点を変えると、複数の病床機能を持つ「ケアミックス」の病院チェーンの割合は72.3%と4分の3を占めます。表7の右端に示したように、1000床以上の巨大病院チェーンは全てケアミックスで、そのうち19が「一般病床主体」です。私は、1990年に初めて病院チェーンの全国調査を行った時に、「病院チェーンが巨大化すると、『混合型』『垂直統合』[筆者注:今風にいえば「ケアミックス]へと収斂する」と述べました(文献3)

この傾向は現在では確固たる事実になっていると言えます。

1000床以上を有する医療法人病院チェーン

最後に、2011年の病床数1000床以上の巨大医療法人病院チェーン31の一覧を示します(表8)。

本部所在都道府県を地域別にみると、首都圏(東京・神奈川・埼玉・千葉)が最も多く12、次いで関西圏(大阪・京都・兵庫)が8で、両者で全体の3分の2を占めています。都道府県別にみると東京、大阪、福岡が共に5法人で並んでおり、人口数を考慮すると福岡の「健闘」が目立ちます。このことは巨大病院チェーン(の本部)の多くが大都市部にあることを示しています。

病院開設都道府県数をみると、3都道府県以上が13法人ある反面、1都道府県のみも13法人あります(2都道府県は5法人)。このことは巨大病院チェーンでも、その4割は「地域的存在」であることを示しています。

病床タイプをみると、先述したように31法人すべてが「ケアミックス」で、そのうち「一般病床主体」が19を占めています。

おわりに

以上、2種類の病院名簿を用いて、1991~2011年の20年間の医療法人の病院チェーンの推移と構造を検討しました。それにより、「はじめに」に列挙した5つの新たな知見を得ることができました。

私自身が今回の分析で意外に感じたことは、以下の3つです。①医療法人の病床シェアは1991(1984)~2002年の停滞期を脱して2002~2011年に増加したが、それでも3割未満にとどまっている。②医療法人病院チェーンの大半が2011年でも2病院のみ(8割)、病床数500床未満(7割)の中小規模である。③9割が1都道府県のみに開設している「地域的存在」である。よく知られているように、アメリカでは1990年代以降、全国的に巨大病院グループ(hospital systems,integrated healthcare systems)による病院市場の寡占化が急速に進行していますが、日本の医療法人病院チェーンではそのような動きはほとんど生じていないことが確認できました。一般の医療・病院経営雑誌の報道では、活発に事業拡大している大規模病院チェーン・病院グループが「主役」になっていますが、少なくとも数の上では現在でも中小規模の病院チェーンが大半であり、それが単独病院と共に、病院医療の「縁の下の力持ち」になっていると言えます。

しかし、今回の検討には、データがやや古いだけでなく、以下の重大な欠陥・限界があります。それは資料の制約のため、病院チェーンを法人単位で抽出しているため、病院チェーンの相当数が他の法人・病院と共に、より大きな「病院グループ」を形成していることを示せていないことです。

この傾向は、特に巨大病院チェーンで強いと言えます。例えば、表8の病床数第1位の徳洲会、第2位の沖縄徳洲会、第11位の愛友会は、他の複数の法人・病院と共に日本最大の「徳洲会グループ」を形成しています。第3位の明理会、第4位の明芳会は、他の法人と共に「IMS(イムス。旧板橋中央医科グループ)」を形成しています。それ以外にも、他の法人と「病院グループ」を形成している法人がいくつかあります。グループ単位の検討は本連載第6回で行う予定です。

次回の連載第4回では、医療法人以外の民間法人(公益法人、私立学校法人、社会福祉法人、医療生協法人、会社、その他の法人)の民間病院チェーンの分析を行う予定です。

文献


4. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算
163回)(2019年分その7:5論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○高齢者へのエイジズム[高齢者差別]を減らすための働きかけ:体系的文献レビューとメタアナリシス
Burnew D, et al: Interventions to reduce ageism against older adults: A systematic review and meta-analysis. American Journal of Public Health 2019;109(8):1130,e1-e9.doi:10.2105/AJPH.2019.305123[文献レビュー]

研究によりエイジズム-高齢者へのステレオタイプ、偏見及び差別-と高齢者の身体的・精神的健康の間には強い関連があることが明らかになっている。しかし、エイジズムを減らす諸戦略の有効性についてはほとんど知られていない。本研究の目的は、青壮年におけるエイジズムを減らすよう計画された3種類の働きかけ(intervention)-教育、世代間の交流(contact)、および両者の結合-の効果を、体系的文献レビューとメタアナリシスにより、評価することである。そのために、PubMed等11種類のデータベースにより文献検索を行うと共に、関連する文献レビューやメタアナリシスの引用文献を調査した。2人のレビュアーが別々に文献の検索とスクリーニングを行った。
文献の選択基準は以下の4つである。(1)エイジズムを減らすための働きかけ計画を評価、(2)エイジズムに関連した1つ以上のアウトカムを評価、(3)対照群(ランダム化または非ランダム化)を有する、(4)エイジズム概念が開発された1970年以降発表。2人のレビュアーが別々に個別文献からデータを抽出し、スプレッドシートに入力した。彼らは、Cochrane Risk of Biasツールを用いて各研究の質を評価するとともに、GRADE(Grading of Recommendations, Assessment, Development, and Evaluations)ツールを用いて、アウトカムに関わるエビデンスの質を評価した。一次(主要)アウトカムは高齢者に対する態度と加齢・高齢者についての知識の正確さである。二次(副次的)アウトカムには、高齢者に対する満足、自分自身の加齢についての不安、老年医学や老年学分野で働くことに対する興味を含んでいた。メタアナリシスは統計的混合モデルにより行った。

主な結果は以下の通りである。1976-2018年に発表された63研究を選択し、含まれる標本数は6124人であった。エイジズムに対する働きかけは、態度(標準化平均差の差[dD=0.33;p<0.001)、知識(dD=0.42;p<0.001)と満足(dD=0.50;p<0.001)に強い有意の効果があったが、不安(dD=0.13;p<0.33)と高齢者との仕事(dD=-0.09;p=0.40)には有意の差はなかった。教育と高齢者の交流の結合は態度の変化に一番効果があった。働きかけ効果は、女性と青年(adolescent and young adult groups)で特に大きかった。以上から、低コストで導入が容易であるこれらの戦略はエイジズムの相当の削減と関連しており、高齢者と加齢プロセスに対する認識を改善するための国際的戦略の一部であるべきと著者は結論づける。

二木コメント-エイジズムを減らすための働きかけ(intervention)の効果についての初めてのメタアナリシスで、その限りでは貴重と思います。なお、医学・福祉領域の文献で用いられるinterventionは「介入」と訳されるのが定番ですし、私も今までほとんどそうしてきました。しかし、interventionの動詞interveneの本来の意味は「間に入る」「介在する」(inter=間・中+vene=来る)という中立的な意味であるのに対して、日常用語としての「介入」には、干渉、押しつけ等のマイナスイメージがあることがずっと気になっていました。特に、本論文のinterventionを「介入」と訳すことには抵抗・違和感があったため、試みに「働きかけ」と訳してみました。渡部律子氏(日本女子大学教授)も、新著で、同じ趣旨から、ソーシャルワーカーによるinterventionを「介入」ではなく、「援助」と表記しています(『福祉専門職のための統合的・多面的アセスメント』ミネルヴァ書房,2019,20頁)。

○WHOがプライマリ・ヘルスケアの概念と実践で医師の役割を無視したことについて
Litsios S : On the World Health Organization's neglect of the role of medical doctors in its conception and practice of primary health care. International Journal of Health Services 49(3):642-657,2019. [評論](ウェブ上に全文公開)

プライマリ・ヘルスケア(PHC)は、WHO(世界保健機構)の基礎的ヘルスサービス・アプローチの失敗を受けて、1970年代前半に登場した。ソ連がWHOの運営組織を引き受け、PHCについての国際会議を開くことに合意し、それはソビエト・カザフスタン共和国の首都アルマ・アタで1978年9月に開催された。1975年に、WHOのカリスマ的事務局長ハーフダン・マーラー(Halfdan Mahler)博士は「2000年までにすべての人々健康を(HFA)」の目標を導入し、アルマアタではPHCがHFA達成の鍵と宣言された。WHOコミュニティ・ヘルスへの医学校の参加を促進したが、マーラー博士が反医学界的言辞を繰り返したため、WHOはPHCとHFAにおいて医師が果たしうる潜在的役割を無視してしまった。

二木コメント-日本では賛美されることの多い「アルマ・アタ」宣言が目標を達成できなかった理由(の一つ)は、これを主導したハーフダン・マーラー博士の反医学会的言辞にあると克明に批判した貴重な評論です。執筆者のLitsios氏はWHOに1967~1997年の31年間も務めていたそうです。しかも、International Journal of Health Servicesは、世界でほとんど唯一の左派系国際医療雑誌なので、本論文のマーラー博士批判が医学界主流・保守派からの批判でないことは確かです。

○医師のリーダーシップ[病院のCEOであること]は[アメリカの]病院[入院医療]の質、作業効率と財務実績に影響するか?
Tasi MC, et al: Does physician leadership affect hospital quality, operational efficiency, and financial performance? Health Care Management Review 44(3):256-262,2019[量的研究]

保険者と政策担当者は医療提供システムの価値(医療費当たりの健康アウトカム)の改善に注力しているため、医師が医療組織の上級リーダーシップ/マネジメントをますます担うようになっている。しかし、医師のリーダーシップが医療提供にどう影響しているかについての研究はほとんどない。本研究の目的は医師がリーダーである病院の『U.S. News and World Report (USNWR)』誌の病院の質ランキング、財務実績及び作業効率が、そうではない病院と比べて良いか否かを検証することである。そのために、各病院グループまたは単独病院のCEOを同定し、CEOが医師の病院(グループ)を医師がリーダーの病院(グループ)とみなした(以下、「グループ」は略)。

「メディケア費用報告」及びUSNWR誌ランキングから得られる稼働病床数が全米115位以内の大規模病院を対象にして、横断面分析を行った。まず、医師がリーダーである31病院と非医師がリーダーである81病院との二変量解析を、USNWRランキング、病院の規模、および財務実績について行った。次に、多変量解析により、営業利益率、1病床当たり在院患者数、平均的質ランキングを比較した。

その結果、2015年に医師がリーダーである病院はそうでない病院に比べて、USNWRのランキングが、全専門科で高く、しかも1病床当たり在院患者数も多かった。しかし、総収入と利益率については両群に差はなかった。医師のリーダーシップは、平均的質の高さと病床当たり在院患者数とに、独立して影響していた。この結果は、医師リーダーは医療の質と医療の価値にプラスの影響を与えるスキル、質、またはマネジメント能力を有することを示唆している。

二木コメント-「医師のリーダーシップは病院の質、作業効率、財務実績に影響するか?」というタイトルは実に魅力的ですが、病院CEOが医師であるか否かだけを指標にして、その医師の特性をまったく検討しない「おおらかな」比較研究です。私にとっての驚きは、アメリカの病院は歴史的に「オープンシステム」(医師は病院に雇用されない)と言われていたのが、2015年には全米の大規模病院の27%で医師がCEOであることです。なお、筆頭執筆者はアメリカの医学部とビジネススクールの両方の学生、残りの2人は医学生と医学部外科学教授です。

○身体運動vs余命の短縮?[オランダでの]表明選好法を用いた身体運動に対する選好調査
Kjaer T, et al: Physical exercise versus shorter life expectancy? An investigation into preferences for physical activities using a stated preference approach. Health Policy 123(8):790-796,2019[量的研究]

身体運動の寿命延長効果は、しばしば人々に自己の行動を変える動機付けの論拠として用いられる。しかし運動に投資するとの意思決定は、運動の潜在的な健康効果だけでなく、身体運動のコスト(時間費用等)や身体運動についての個人の効用にも依存する。本研究の目的は身体運動を行うことの費用と便益のトレードオフを調査することである。ウェブを用いた表明選好実験を行い、身体運動に対する個人の選好を引き出した。オランダの18-60歳の代表標本で、中等度に身体運動をしているまたは運動をしていない(physically inactive)と分類された人々を対象にして、回帰分析を行った。

その結果、身体運動がQOLにマイナスの影響を与えていると感じていることは、身体運動を行わない選択を行う重要な予測因子であることが明らかになった。このことは、身体運動を行うことへのバリアーと認識すべきである。さらに、時間費用が表明選好に有意な影響を与えることも分かった。中等度に身体運動をしていると分類された個人では、身体運動の限界的(追加的)健康効果はわずかだが有意であった。運動をしていない個人ではこの効果は有意ではなかった。このことは、このグループでは長期的な健康効果についての情報は運動を行う動機付けにはならないことを示唆している。それに代えて、彼らが身体運動の非効用と感じているものを減らすことに焦点を当てるべきである。

二木コメント-個人が健康増進のために身体運動を行うことに対するバリアーについての貴重なかつ説得力のある実証研究と思います。なお、専門的には、「身体活動(physical acitivity)は「運動+生活活動」を意味し、「運動(exercise:余暇身体活動)」とは区別されるそうで、「健康日本21(第二次)」や「国民健康栄養調査」でも両者は区別されていますが、本論文と次の論文ではそのような厳密な使い分けはされていないようです。

○「もっと運動を」を超えて:中・高年で身体運動のリズムを感じること
Phoenix C, et al: Beyond "Move more": Feeling the rhythms of physical activity in mid and later-life. Social Science & Medicine 231:47-54,2019[質的研究]

過去20年、身体不活動(physical inactivity)のレベルが上がると健康にマイナスの影響があることについての心配が、イギリスでも他国でも強まっている。身体運動のレベルを引き上げることを目指した公衆衛生のイニシアティブ・介入がどこでも広がっている。現在の高齢人口増加という人口学的変化、及び身体不活動は高齢になるほど増えることを踏まえると、これらのイニシアティブは中高年に特に関連している。しかし、そのような政策から得られた成果はせいぜい多少(modest)であり、このことは人々に「座る時間を減らして」、「もっと速い運動を」と奨励する、文脈から切り離された(decontextualized)健康メッセージの限界を示している。

本論文では、リズムの概念を利用することにより、中高年の身体運動についての既存のアプローチの再考を求める最近の呼びかけに貢献したい。健康と安寧(wellbeing)と加齢について探究した3つの質的研究から3つのデータセットを作成する。ファセット法(何らかの項目の集合があるときに,各項目のそれぞれを複数の切り口で分類し,それらの組み合わせで1つの項目を表現する方法)により、かすかなパターンに対する「直感のひらめき」と、中高年の身体運動を組み立てるテンポを検討することにより、知識を発展させる。それにより、人々がいかに自己のライフステージにおいて動作や静止を利用するかについての代替的洞察を提出する。これは「経験を通しての熟練」を認識する動きに関する、適切で、親しみやすい健康メッセージを開発する上でも重要な役割を果たす。

二木コメント-要旨は極めて難解・思弁的ですが、前掲論文と同じく、既存の健康増進を目指す身体運動アプローチの限界を乗り越えようとする意気込みは感じられます。


5. 私の好きな名言・警句の紹介(その178)-最近知った名言・警句

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<その他>

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