総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻195号)』(転載)

二木立

発行日2020年10月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1.インタビュー「厳しい医療費抑制策が病院を疲弊させた」(安倍政権の"功と罪"-長期政権は何をもたらしたのか 第4回医療)が2020年9月16日に東洋経済HPにアップされました:https://premium.toyokeizai.net/artcles/-/24751

2.論文「菅義偉新首相の社会保障・医療改革をどう予測するか?」を『日本医事新報』2020年10月10日号に掲載します(「WEB医事新報」に9月29日に先行アップ)。


1. 論文:私はなぜイギリス式の社会的処方の制度化は困難と考えているか?

(「深層を読む・真相を解く(101)」『日本医事新報』2020年9月5日号(5028)号:54-55頁)

前回の連載(100)(8月1日号:5023号)では、「骨太方針2020(原案)」に「社会的処方の制度化」の検討が盛り込まれたが、最終決定では削除されたことに注目し、以下のように述べました:私は、「患者の社会生活面での課題にも目を向け」ることには大賛成ですが、日本に、イギリスのNHS発祥で、人頭払い主体のGP主導の「社会的処方」を新たに導入するよりは、現在進められている地域包括ケア・地域共生社会づくりの取り組みで「多職種連携」を強める方が合理的・現実的と考えます。

本稿では、私がこう判断する理由・根拠を書きます。私が一番強調したいのは、疾病・健康の社会的要因、「健康の社会的決定要因(SDH)」(以下、疾病の社会的要因)の重視とイギリス発祥の社会的処方は直結できないことです。

社会的要因の重視には大賛成

私は疾病の社会的要因の重視に大賛成です。私は元リハビリテーション専門医ですが、「障害者の全人間的復権」(上田敏氏)を目標とするリハビリテーション医学では、伝統的に、障害の医学的側面だけでなく社会的側面も重視してきました。

2001年のWHO(世界保健機関)総会で採択された「ICF(国際生活機能分類)」の大きな特徴は、生活機能の評価に「環境因子」という観点を加えたことです。環境因子は「人々が生活し、人生を送っている物理的な環境や社会的環境、人々の社会的な態度による環境を構成する因子」と定義され、それの詳細なコーディングも示されました(『ICF 国際生活機能分類』中央法規,2002,169頁)。

そのため、最近、保健医療分野で世界的に疾病の社会的要因が重視されていることに意を強くし、それを主導する研究者に敬意を持っています。

ただし、社会的要因に対する取り組みは国によって異なり、「世界標準」はありません。以下、イギリスとアメリカと日本の実情を簡単に紹介します。

イギリスの社会的処方

イギリスでは、国営医療の下で、GP(一般医)の一部が「患者の健康やウェルビーイングの向上などを目的に、医学的処方に加えて、治療の一環として患者の地域の活動やサービス等につなげる社会的処方と呼ばれる取組みを行う」ようになっています(以下、高森徹「英国で取組みが進む社会的処方」「損保ジャパン日本興亜総研レポート」2019(ウェブ上に公開))。2018年の調査によると、GPの4人に1人が社会的処方を行っており、イギリス政府は2018年に発表した「孤独に取り組むための政府戦略」の中で、社会的処方を普遍化することを目標とし、そのためのサポートを行うと述べています。

社会的処方には様々なスキームが存在しますが、その肝は「リンクワーカー」と呼ばれる人材が介在することで、GPが患者をリンクワーカーに紹介し、リンクワーカーが当該患者に地域の活動やサービスを紹介しています。リンクワーカーは医療専門職とは位置づけられておらず、オレンジクロス財団「英国社会的処方現地調査報告」(2019年。ウェブ上に公開)によると、「元々なんらかのコミュニティ活動や福祉に従事していた人」、「地域のNPOで活躍していた人たち」等多様ですが、ソーシャルワーカーは含まれないようです。

よく知られているように、GPに対する報酬支払いは登録患者数に応じた人頭払いが原則で、GPは登録患者の治療だけでなく、予防・健康増進活動にも責任を持っています。この土壌の上に、イギリスではGP中心(主導)の「社会的処方」が普及しつつあるのだと思います。

アメリカの最新の動き

アメリカでは伝統的に、「生物医学モデル」に依拠する臨床医学と「社会モデル」に依拠する公衆衛生学との長い対立の歴史があります。

しかし、最近は、臨床医学の側でも「健康の社会的決定要因」の重要性が見直されるようになっています。本年、世界最高峰の臨床医学雑誌New England Journal of Medicineに、臨床医学と公衆衛生との「分極化に架橋する」論評が掲載されました(Armstrong K, et al: NEJM 382(10):888-889)。

私が最近の動きで決定的だと思うのは、米国科学工学医学アカデミーが2019年に報告書「社会的ケアを医療提供に統合する」(Integrating Social Care into the Delivery of Health Care. National Academy Press)を発表したことです。本報告書は、「社会的ケア」を「健康関連の社会的リスク要因や社会的ニーズに取り組む活動」と定義し、それの医療提供への統合を促進するための活動を提起すると共に、5つの包括的目標を示し、それを促進するための諸勧告を行っています。その際、医師・医療職の業務を拡大するのではなく、ソーシャルワーカー等の福祉職を活用し、それをメディケア・メディケイドの償還対象に加えることを提唱するとともに、「多専門職チーム」の重要性を繰り返し強調しています。

日本の地域包括ケアと地域共生社会

日本では、疾病の社会的要因にストレートに取り組む動きは、まだ、ごく一部の医師・医療機関に限られています。しかし、私は、2000年前後から全国で草の根的に行われるようになり、厚生労働省も積極的に後押している「地域包括ケア(システム)」の先進事例で、患者・障害者が抱える社会的問題の解決に積極的に取り組んでいることに注目すべきと思います。その鍵が多職種連携であり、ソーシャルワーカーが「医療と社会(福祉)」をつなぐ上で大きな役割を果たしています。

地域包括ケア(システム)の構成要素は法的には、医療、介護、介護予防、住まい、自立した日常生活の支援の5つとされていますが、最近は「地域づくり」も含まれるようになっています。地域包括ケア(システム)の理念・概念整理と政策形成で重要な役割を果たしてきた地域包括ケア研究会は2016年度報告書で、中重度者を地域で支える仕組みや多職種連携の仕組みの構築を提起しました。
疾病の社会的要因に対する取り組みを含むものとして、もう一つ期待できるのが「地域共生社会」づくりです。特に本年6月に成立した改正社会福祉法には、福祉分野の地域共生社会づくりを促進するために、市町村が任意で行う「重層的支援体制整備事業の創設及びその財政支援」が盛り込まれました。地域共生社会と地域包括ケア(システム)の法的関係は曖昧ですが、今後は、両者を一体的に実施する市町村が増えると予想しています。

なお、改正社会福祉法を含む「地域共生社会の実現のための社会福祉法等の一部を改正する法律」の参議院「附帯決議」では、重層的支援体制整備「事業を実施するに当たっては、社会福祉士や精神保健福祉士が活用されるよう努めること」と記載されました。

日本では社会的処方の制度化は非現実的

以上、3カ国の疾病の社会的要因に対する取り組みを紹介しました。それにより、イギリスの社会的処方が「国際標準」でないことは示せたと思います。西岡大輔氏等の「社会的処方の事例と効果に関する文献レビュー」でも、社会的処方の文献の大半はイギリスのものであり、国際的広がりはほとんどみられません(『医療と社会』29(4):527-544,2020)。

そのため、私は、日本には、イギリス流のGP(一般医)中心の社会的処方を制度化する条件はないと思います。また私は、個人的には、社会的「処方」という、医師主導を含意する用語には抵抗があり、現代日本の保健医療福祉改革の鍵概念となっている「多職種連携」とも相容れないと感じています。

それよりは、法的な裏付けを持って全国で進められている地域包括ケアや地域共生社会づくりの一環として、多職種連携により、疾病の社会的要因への取り組みを強める方が合理的・現実的と思います。

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2.論文:安倍内閣の医療改革(方針)をどう総括するか?

(「深層を読む・真相を解く」(102)【緊急掲載】『日本医事新報』2020年9月12日号:54-55頁。「WEB医事新報」に2020年9月3日先行アップ)

安倍晋三首相は、連続在任日数で歴代最長記録を更新した直後の8月28日、突然、持病の再発を理由に、辞任する意向を表明しました。7年8か月間も続いた超・長期政権の政策を総括することは、直ちにはできません。本稿では「予備的報告」「速報」として、安倍内閣の医療改革(方針)を、その前の民主党政権と比較しながら、鳥瞰します。

厳しい医療費抑制政策の復活

安倍内閣の医療政策の、民主党政権との最大の違いは厳しい医療費抑制政策を復活させたことです。民主党政権は2010年度と2012年度の診療報酬改定で、診療報酬「全体」(診療報酬本体と薬価の合計)をそれぞれ0.19%、0.004%引き上げました。安倍内閣も2014年度改定では0.10%(消費税引き上げ分対応を含む)引き上げましたが、その後、2016,2018,2020年度と3回連続引き下げました。医療機関向けの診療報酬「本体」はわずかに引き上げましたが、民主党政権時代に比べるとごく小幅でした。

その結果、第二次安倍内閣時代の2013~2017年度の5年間の国民医療費の年平均伸び率は1.9%に過ぎず、その前の民主党政権時代の2010~2012年度の平均2.9%よりはるかに低く、小泉内閣時代(2002~2006年度)の5年間の平均1.3%に近くなっています。なお、「概算医療費」は2019年度まで発表されていますが、それの2013~2019年度の7年間の平均伸び率も1.8%にとどまります。

民主党政権時代は「リーマンショック」後の不況が続いたためもあり、3年間のGDPの年平均伸び率が0.2%にすぎなかったのに対して、第二次安倍内閣時代(2013~2017年度)の5年間の年平均伸び率は2.1%と遙かに高くなっています。それにもかかわらず、医療費の伸び率が低いことには驚かされます。国民医療費のGDPに対する割合は、民主党政権時代は上昇し続けましたが、安倍内閣時代は7.90%前後に固定されました。

私は、「骨太方針2015」を分析した際、安倍内閣の社会保障関係費(国費)削減目標は、小泉内閣の「『骨太方針2006』を上回る」と書きましたが、今回、これが大げさでなかったことを確認しました(『地域包括ケアと福祉改革』勁草書房,2017,97頁)。

厳しい医療費抑制政策で医療機関が経営的に疲弊したことが、新型コロナ感染症爆発に対する医療機関の対応に負の影響を与えた可能性があります。

医療提供体制改革は前政権から連続

安倍内閣時代の(広義の)医療提供体制改革の二本柱は、地域包括ケア(システム)と地域医療構想の推進です。両改革は共に、2014年の医療介護総合確保推進法で法的に位置づけられました。地域包括ケアシステムの法的定義はこれより1年早く、2013年の社会保障改革プログラム法で初めてなされましたが、これも安倍内閣が成立させました。

ただし、両改革は安倍内閣の「専売特許」ではなく、民主党政権、さらにはそれより前の自民党(正確には自公連立)内閣時代から準備されていました。 まず、地域包括ケア(システム)は、2003年の小泉純一郎内閣時代にとりまとめられた「2015年の高齢者介護」で初めて提起され、それの理念的規定は民主党政権時代の2011年に成立した介護保険法第三次改正に盛り込まれました。地域包括ケア(システム)の理念や政策を方向付けた「地域包括ケア研究会」の2008年度、2009年度の報告書は、それぞれ麻生内閣、民主党内閣時に発表されました。

地域医療構想についても、それの前称「地域医療ビジョン」の検討は民主党政権時代から始まり、安倍内閣に引き継がれました。地域医療構想で重要なことは、それが厚生労働省主導ではなく、日本医師会の意見を大幅に採り入れて、作られたことです。

これらの医療提供体制改革の青写真は、直接には2013年8月に発表された「社会保障制度改革国民会議報告書」で示されましたが、この会議は、民主党野田内閣時代の2012年6月の民主党・自民党・公明党の「社会保障と税の一体改革」合意に基づいて設置され、しかも報告書には、「社会保障の機能強化」という安倍内閣とは明らかに異なる視点が含まれていました。

もう一つ、私は2019年度から本格実施された医薬品等の費用対効果評価(経済評価)制度を高く評価していますが、それを検討する「専門部会」も民主党政権時代の2012年5月に始まっています。

これらの結果は、医療提供体制の改革は、政権交代はもちろん、時の内閣の強い影響を受けず、厚生労働省が日本医師会等の合意を得ながら、粛々と進めていることを示しています。

紙数の制約のため、医療保険制度改革については触れられませんが、国民健康保険制度改革(2018年度)を除けば、ごく小幅な改革にとどまっています。

医療分野への市場原理導入は限定的

安倍内閣の医療政策の、医療費抑制政策の強化以外の特徴は、医療分野への市場原理導入(の試み)です。この7年余、安倍内閣の規制改革に関わる諸会議は様々な施策を提案しましたが、そのほとんどがアドバルーン、かけ声倒れに終わっています。

例えば、規制改革会議は2014年3月に、混合診療の全面解禁につながる「選択療養制度(仮称)の創設」を提案しました。しかし、厚生労働省や日本医師会等が強く反対したため、最終的に、同年6月、実態は現行の保険外併用療養とほとんど変わらない「患者申出療養」の創設に落ち着きました(『地域包括ケアと地域医療連携』勁草書房,2015165頁)。

それに先立つ2014年1月には安倍首相自身が、ダボス会議で、「日本にも、メイヨー・クリニックのような、ホールディング・カンパニー型の大規模医療法人ができてしかるべき」と発言し、それを受けて、一時、アメリカのIHN(Integrated Healthcare Network)のような「メガ医療事業体」がもてはやされましたが、やはり厚生労働省や日本医師会等が抵抗し、最終的には、二次医療圏を基本とする「地域医療連携推進法人」の創設に落ちつきました(2017年4月創設)。

安倍内閣の医療制度改革では、2018年頃から、経済産業省および同省系の官邸官僚の影響が強まり、「予防医療・重症化予防」を推進すれば、医療・介護費の抑制と「ヘルスケア産業」の育成の2つが同時に達成できるとの主張が経済産業省系の諸文書でなされました。しかし、現在では、政権内でも、それはファンタジーに過ぎないことが認識されているようで、「骨太方針2020」でも、「予防・健康づくり」の扱いはごく小さくなっています。

2014年の私の判断の検証

以上、安倍内閣の医療改革を鳥瞰してきました。第二次安倍内閣の在任期間(7年8か月)は、3代の民主党政権はもちろん、それに第一次安倍内閣・福田内閣・麻生内閣を合わせた期間(6年3か月)より長いにもかかわらず、改革の実績という点では、目立ったものはあまりありません。

私は2014年に出版した『安倍政権の医療・社会保障改革』(勁草書房)で、安倍内閣の医療政策を以下のように位置づけました:「安倍内閣の医療政策の中心は、伝統的な(公的)医療費抑制政策の徹底であり、部分的に医療の(営利)産業化政策を含んでいる」(第1章第1節)。また、安倍首相が2013年7月の参議院議員選挙で大勝し、衆参両院で安定多数を確保した時も、「医療政策については大きな改革はなされない」と判断しました。現時点でも、この位置づけ・判断は妥当だったと思っています。

安倍内閣が任期の大半、衆参両院で圧倒的多数を維持し続けたにもかかわらず医療制度の「抜本改革」が行われなかったことは、高所得国では医療制度の「抜本改革」は不可能で「部分改革」の積み重ねしかあり得ない、「政権交代でも医療制度・政策の根幹は変わらない」(『民主党政権の医療改革』勁草書房,2012,14頁)との私の持論の証明にもなっています。この流れが、次期内閣でも続くことは確実です。

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3.BuzzFeed Japanインタビュー 2020年9月9-10日

(http://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/pm-abe-niki)

第1回:小泉政権を上回る医療費抑制策がコロナ危機にも影を落とした 医療経済学者が検証する安倍政権の医療政策

歴代最長記録を更新した第二次安倍内閣で医療政策はどう評価できるのか。医療経済や医療政策を専門とする二木立さんに、この7年8ヶ月の政策を検証していただきました。

(聞き手:岩永直子) ※2つの図は略

7年8ヶ月という歴代最長記録を更新した安倍首相は、潰瘍性大腸炎という持病の再発を理由に退陣する意向を表明しました。
新型コロナウイルスが未だに終息の気配を見せない中、その対策を初めとした医療政策はどのように評価されるのでしょうか?

医療経済や医療政策を専門とする日本福祉大学名誉教授の二木立さんに、この7年8ヶ月が医療に与えた影響を検証していただきました。

安倍首相の医療政策4つの特徴

――この7年8ヶ月が日本の医療に与えた影響について総括してください。

まとめると4つの特徴が挙げられます。

まず、一つめは、厳しい医療費抑制策を復活させて、医療機関を疲弊させました。それが結果的にコロナ対応でも障害になったことが挙げられます。

二つ目は、消費税の引き上げを2回延期しただけでなく、社会保障の新たな財源について一切検討しないどころか、これから10年間は上げないと明言しました。社会保障の機能強化を裏付ける財源確保を妨害したという点も特徴です。

三つ目は医療分野の一部に市場原理を導入しようとしましたが、掛け声倒れで終わったことです。これは実現しなくて良かったと思います。

四つ目は、医療提供体制改革である「地域包括ケア」や「地域医療構想」は進みましたが、これはどう見ても安倍首相がイニシアティブを取ったとは言い難いです。逆に言えば、医療政策のうち医療提供体制の改革は、政権に左右されない連続性があることが改めて明らかになりました。

国内総生産は増えたのに診療報酬、国民医療費を削減

――四つの特徴について詳しく伺っていきます。まず厳しい医療費抑制策というのは、具体的にどういう政策に表れているのでしょうか?

まず、以下のグラフを見てください。

最初のグラフは、加納繁照・日本医療法人協会会長が提供してくれた診療報酬の改定率と、病院の経常利益率の推移をまとめたグラフです。

民主党政権は2010年と2012年の診療報酬改定で、診療報酬「全体」(診療報酬本体と薬価の合計)をそれぞれ0.19%、0.004%引き上げました。

安部内閣も2014年改定では0.1%引き上げましたが、その後、2016年、2018年、2020年の改定では3回連続で引き下げています。
次に、私が作成した表では、国民医療費の伸び率とGDP(国内総生産)の伸び率を比較しました。

診療報酬を3回連続引き下げた結果、第二次安倍内閣時代の2013~2017年度の5年間の国民医療費の年平均伸び率は1.9%に過ぎず、その前の民主党政権時代の2010~2012年度の平均2.9%よりはるかに低くなりました。

厳しい医療費抑制策をとった小泉内閣時代の5年間の平均1.3%に近くなっています。

民主党政権時代は「リーマンショック」後の不況が続いたためもあり、3年間のGDPの年平均伸び率が0.2%にすぎなかったのに対し、第二次安部内閣時代の5年間の平均伸び率は2.1%とはるかに高くなっています。

それにもかかわらず、医療費の伸び率は低い。国民医療費のGDPに対する割合は民主党政権時代は上昇しましたが、安部内閣時代は7.9%前後に固定されました。

前の民主党政権はもちろん、その前の自民党政権3代(第一次安倍内閣、福田内閣、麻生内閣)と比べても本当に厳しかったことがよくわかります。

医療関係者は、その前の小泉内閣の医療抑制策のつらさが骨身にしみています。当時は、医療荒廃とか医療危機とまで言われました。

小泉政権の時ですら、国民医療費のGDPに対する割合は微増しました。

その次の3代の自民党政権で、社会保障の機能強化を安倍さんは言いませんでしたが、福田、麻生両首相は言いました。ただ第一次安倍内閣の2007年度にも国民医療費は3.9%も上がっています。それを民主党が引き継いだ形です。

そして、その後を再び引き継いだ第二次安倍内閣で、アベノミクスの成果かどうかはわかりませんがGDPは上がりました。しかし、医療費の伸び率は前の6年間よりも低い。

そしてこれは医療経済学の常識と言うよりも、社会常識ですが、医療費の伸び率と経済の伸び率はパラレルになるのが当たり前です。この関係が安倍内閣で完全に崩れました。

第二次安倍内閣の時には、前の6年間に比べたらGDPは増えたのに、医療費の伸び率は相当低下してしまった。これはすごいことです。同じ安倍首相でも、第1次内閣と比べて第2次内閣の医療費抑制策の厳しさは際立っています。

医療費抑制が与えた影響は?

――ただ、この10年で少子高齢化はますます進みました。医療費を抑制しないと少子高齢化の波を超えられないとよく言われています。その観点で言えば、医療費抑制を成果と捉える人もいそうです。

おっしゃる通りです。これは最後は価値判断の問題になってきます。逆に言えば、人口が高齢化するだけで医療費は上がるわけです。それにもかかわらず医療費を抑えた。どちらにアクセントを置くかです。日経新聞なら評価するでしょうね。

――先生はどう評価されていますか。

結果的には小泉さん並みの医療費抑制をしたところにコロナが直撃しました。その結果、病院も経営悪化に苦しんでいます。

病院の経常利益率の推移のグラフにきれいに出ていますが、小泉内閣の医療費抑制策で、急性期の一般病院の利益率は0まで落ちました。

それで民主党政権が2回、診療報酬をプラス改訂して4%弱にまで持ちこんで一息つきました。

この後、第二次安倍内閣でガタガタっと下がって、2018年には2.1%で少し戻しましたが、これぐらいの利益率ではほとんどの病院は内部留保を確保できません。そういうギリギリの状態で経営していたところに、新型コロナの流行が最後の一撃になったと言えます。

――コロナ対応に影響を与えた保健所の人員削減などは、今回示されたデータでは見えませんね。

保健所の人員削減は全額税金ですからね。前回のインタビューで話しましたが、保健所数もギリギリに抑えられたところに、今回のコロナ流行が起き、対応しきれないことが明らかになりました。

――こうした人員削減も、医療費抑制策と連動しているとみてよろしいのでしょうか?

狭い意味での医療費ではなく、保健医療費を抑制する流れの一環だったことは間違いない。それを一番徹底したのは維新が元気な大阪でした。今の大阪府知事も大阪市長も、コロナ禍が起きてから行き過ぎだったと認めましたよね。

――災害のようなコロナ危機が起きた時に、保健医療抑制策のデメリットが如実に現れたということですね。

効率一辺倒の余裕のない政策の悪影響です。

薬価の抑制にはプラスもあったが...

――しかし、医療費抑制策の中身の大半は、薬価の引き下げで捻出したとも指摘されています。薬価が引き下げられると、国民の自己負担は減り、プラス面もあるのではないでしょうか?

日本は他国に比べて新薬の使用量がものすごく多いのです。新薬の薬価についてはアメリカがダントツに高いですが、アメリカ以外の先進国では日本が一番高いことが様々な国際比較調査で確認されています。

製薬企業の宣伝がうまいか、医師が新薬好きかは別として、日本では新薬を使う比率がすごく高い。薬価の引き下げによって患者負担も減りますので、当然行うべきだと思っています。

そのために、私は、2019年度に制度化された医薬品等の費用対効果評価を含め、政府の「薬価制度の抜本改革に向けた基本方針」(2016年12月)を大枠では支持しています。

ただ、1972年から2012年までの診療報酬改定では、薬価を引き下げた分を診療報酬の本体、つまり医療機関への支払いに振り替える慣行があったんです。これは論文にも書きましたが、安倍首相が議員の時にも(1997年)認めていた慣行です。

しかし財務省が2013年に突然、この振り替えを認めなくなり、前のように薬価の引き下げ分全額を診療報酬に振り替えることはなくなりました。そのために医療機関の経営困難が加速したのです。

もう一つ薬価の引き下げで指摘しておきたいのは、たった4年前の2016年には、高額な薬によって日本の医療保険財政が破綻するという議論が盛んに行われていたけれども、そうはならなかったことです。

「オプジーボ亡国論」や、肝炎の薬のハーボニーが出て、薬剤費が一時的にぽんと上がり、「日本は第二のギリシャになる」とまで言われました。それはないことが、この薬価の引き下げでもはっきりしたと思います。

消費税増税を2回先送りした影響 財源論を先送り

――安倍首相が消費税の引き上げを2回延期したことを厳しく批判していらっしゃいます。国民の生活不安を理由に消費税減税、消費税廃止を訴える野党も多いですが、医療経済学者の立場からどのようにお考えになりますか?

安倍さんの退陣報道の多くは、安倍首相が消費税を2回引き上げたことを業績と書いています。しかし、これは事実に反します。
本来、法で定められた消費税引き上げを2回も延期したことの方が問題で、そのために大雑把に言えば4年間で20兆円の財源が失われたことが大きい。

もちろんこの20兆円全てが社会保障の強化に使われるわけではありません。しかし、社会保障・税一体改革で確認されていて、社会保障制度改革国民会議報告書が提起した「社会保障の機能強化」が予定内の期間で達成できなくなった影響は重いと思いますよ。

さらにもっと問題だと思うのは、安倍首相が昨年7月の参議院選挙で、消費税を10%にあげたら今後10年間は上げなくていいと繰り返し言ったことです。しかもそれをあろうことか国会答弁でも確認してしまった。

「安定的な経済再生と財政健全化に一体的に取り組むことにより、例えば、今後10年程度は消費税率を引き上げる必要ないのではないかというのが私の考えであります」(2019年10月8日の衆議院本会議での安倍首相発言)

選挙の時にオーバーに言うのはあり得るとしても、国会での今後10年程度は消費税を引き上げる必要はないという発言はものすごく重いです。菅さんが首相になれば、安倍政権を継承するため、これは呪縛になると思います。

――しかし、先生は社会保障の財源として、社会保険料の他に消費税増税一本ではなく、税財源を多様にすることを考えたほうがいいとずっと主張していらっしゃいますね。

一貫して言っています。国民皆保険制度は自民党から共産党まで全政党が賛成しています。それなら主財源は社会保険料でしかありえません。

例えば、1970年代前半に、旧社会党はイギリス型の公営(租税負担)医療制度への転換を主張していました。今は誰も言っていません。それなら、主財源は社会保険料の引き上げしかありません。ただし、国民健康保険には低所得者が多いので、そこへの配慮は必要です。

その上で、消費税を含む税財源を補助的財源として考えるのが一番いい。これは日本医師会を含めてプロの世界では合意があります。

今から10年ぐらい前には、「税財源=消費税」で全部カバーするという主張がありました。でも今は税財源の多様化が必要で、横倉義武・前日本医師会会長も「『消費税一本足打法』ではなく、新たな税財源を併せて検討することも必要」と主張していました。

社会保障機能強化を裏打ちする財源を示せ

――具体的に税財源の多様性とはどのような形が考えられますか?

私自身は、所得税の累進性の強化、固定資産税や相続税の強化、法人税率の引き下げの停止や過度の内部留保への課税強化を主張しています。

さらに、コロナが起きたので、東日本大震災の特別復興税に倣って、コロナ復興特別税も提案しています。

私は必ず社会保障の機能強化と、それを裏打ちする財源の確保をセットで考えています。だから、消費税も重要な財源と考えています。

消費税の廃止や増税への抵抗は、竹中平蔵さんのように「社会保障の縮小」や「小さな政府」を目指すなら筋が通ります。

でも野党のほとんどの政治家は、消費税に抵抗しながら社会保障の機能強化を唱えています。それならそれに代わる、現実的、空想的でない財源を示すべきです。

「ポピュリズム医療政策」は焦点を逸らす

――消費税増税は直接的に生活に打撃を与えるため、反対する国民は多いです。しかし、財源を確保しなければ社会保障は維持できない。国民負担増という人気が下がる議論を先送りする姿勢は、医療現場にどんな影響を与えたでしょうか?

安部内閣の政治手法については、治安・安全保障政策面では「タカ派的」政策を断行し、それで支持が下がると国民に受けの良い経済政策を前面に出し、支持率を回復させてきました。

その一環として、国民の目に見える負担増は先送りするか、小出しにしてきました。目に見えない診療報酬引き下げは積極的に行なっているにもかかわらずです。

「ポピュリズム医療政策」は慶應義塾大学の権丈善一氏の造語です。私も同感です。

その最大の害悪は、問題の焦点を逸らしてしまったことです。「予防医療の推進」や「終末期医療の見直し」で医療費は抑制でき、国民負担を増やす必要はないとなればみんなハッピーになるという幻想を国民や政治家に与えたことです。

本来は国民負担を増やさなければならないのに、その議論から逃げたということです。

民主党政権の時にもこうしたポピュリズムはありました。「歳出の無駄削減」「コンクリートから人へ」などのスローガンで公共事業の削減などが言われました。

でも、公共事業は小泉政権の頃までずっと減っていて、それのGDPに対する割合は他の高所得国と比べても特別高くはなくなっていた。

きわめつけは「霞ヶ関埋蔵金」で医療費増加の財源は捻出できるとの主張です。これで医療関係者は相当幻惑されました。民主党政権もそれに乗った。「ポピュリズム医療政策」の走りと言えます。その悪影響は今でも残っています。

――最近では国防費をもっと削って社会保障費に回すべきだという主張もなされています。

私も個人としてはその主張に賛成しますが、国防費はGDPの1%に過ぎません。医療費はGDPの8%です。理念としては賛成ですが、それで財源は確保できません。

国防費はマクロな視点で見ればわずかな金額です。医療独自の財源を確保しないで、他を削って持ってくるという考えは甘いと言えます。

財界との距離の近さが社会保障抑制に

――長期安定政権ということは医療改革を推し進められるチャンスでもありました。この期間に本来手をつけるべきだった医療・社会保障政策としては何が考えられますか?

医療・社会保障の機能強化とそのための財源確保をすべきだったと思います。最低限、過度の医療・社会保障費抑制政策を見直し、医師・医療機関が「余裕」を持って診療・経営できる条件を整えるべきでした。

それができなかった理由としてまず、安倍内閣が大枠では財界寄りで、財界が社会保障の拡大に消極的だったことが指摘できます。この点に関しては歴史的に証明できます。骨太方針2015にはこう書かれていました。

社会保障給付費の増加を抑制することは個人や企業の保険料等の負担の増加を抑制することにほかならず、国民負担の増加の抑制は消費や投資の活発化を通じて経済成長にも寄与する。(「骨太方針2015」)

要するに、社会保障給付を抑制すると経済成長が促進されると言っているわけです。これが経団連の文章ならわかりますが、こんな露骨な財界寄りの表現が政府の方針として書かれたこともあるんです。

安倍首相個人も、小泉純一郎内閣時代からの筋金入りの「上げ潮派」です。上げ潮派とは、高い経済成長を実現すれば税収が増えるので、財政再建も自ずと実現でき、消費税引き上げ等の国民負担増は必要ないとの考えです。財政再建派と上げ潮派の論争がずっとありました。

しかも、ほぼ毎年行われた国政選挙で勝利するために、「国民負担」の拡大にきわめて消極的だった。

2012年の「社会保障・税一体改革」についての、当時の民主党、自民党、公明党の三党合意では、2015年10月に消費税が10%に引き上げられることになっていました。

その場合は、その後、さらなる少子高齢化に対応した「社会保障の機能強化」のための新しい改革の青写真が検討・実施されるはずでしたが、それがその後5年間、完全にストップしたのです。厚労省の役人は今でもこれを恨んでいます。

しかも「全世代型社会保障検討会議」も、「現役世代の負担上昇を抑え」ることが大前提になっているため、「社会保障の機能強化」は期待できません。

第2回:医療への市場原理導入は失敗 次期首相は安倍首相よりも「ドライ」か

安倍政権の医療政策の特徴である「医療の市場原理導入」は失敗し、医療提供体制の改革は推進されました。そして次期首相は、さらに社会保障機能を抑制するのではないかという見通しを示します。

安倍首相の肝入りで提案された医療への市場原理導入がなぜうまくいかなかったのか。逆に医療提供体制の改革が進んだ理由などを振り返ります。

さらに、次期首相が安倍首相より「ドライ」に医療費抑制策を打ち出すのではないかと予想するのはなぜなのでしょうか?

「患者申出療養制度」は実績28件

――安倍内閣の医療政策の特徴として、医療分野に部分的に市場原理を導入しようと試みたことも挙げられていますね。

安倍内閣の規制改革に関わる会議は市場原理導入に関する様々な施策を提案しましたが、そのほとんどがかけ声倒れに終わっています。

その最たるものは、「患者申出療養制度」です。

規制改革会議は2014年3月に、保険診療と保険外診療の併用である混合診療の全面解禁につながる「選択療養制度(仮称)の創設」を提案しました。

安倍さん肝入りの政策ですが、厚生労働省や日本医師会などが強く反対したため、最終的に、同年6月、実態は現行の保険外併用療養とほとんど変わらない「患者申出療養」の創設に落ち着いたのです。

その合意を得られた2014年の報道では、リスクの低い未承認薬や適応外薬の使用は「1000を超える医療機関に拡大する」と宣伝されました。

しかし実際の数字は、2020年7月21日現在、全国でわずか8種類28件です。市場原理の導入がすごく進んだと誤解する人もいますが、実態はこうです。

それに先立つ2014年1月には安倍首相自身が、ダボス会議で、「日本にも、メイヨー・クリニックのような、ホールディング・カンパニー型の大規模医療法人ができてしかるべき」と発言しました。

それも、やはり厚生労働省や日本医師会等が抵抗し、最終的には、二次医療圏を基本とする「地域医療連携推進法人」の創設に落ちつきました。

さらに、2018年頃から、経産省と同省系の官邸官僚の影響が強まり、「予防医療・重症化予防」を推進すれば、医療・介護費の抑制と「ヘルスケア産業」の育成の2つが同時に達成できると様々な公文書に書き込まれました。

しかし、現在では、それはファンタジーに過ぎないことがほぼ明らかになっています。「骨太方針2020」でも、「予防・健康づくり」の扱いはごく小さくなっています。

――安倍内閣が市場原理導入を看板に掲げたのはなぜでしょう。

安倍内閣は「経済産業省内閣」とも言われています。そして、経済産業省や経済界はそれで市場が拡大すると誤解しています。一般の物やサービスと同じように、支払い能力によって受けられる医療サービスが変わって何が悪いというのが彼らの本音です。

そこが同じ官庁でも、国民に平等に医療を提供するという発想を持つ厚生労働省と違うところです。

医療になぜ市場原理を導入すべきではないのか?

――医療への市場原理導入は国民にとってどういうデメリットがあると考えられますか?

注意してほしいのは、安倍政権でさえ、部分的な市場原理導入を提案していることです。この姿勢は前の小泉政権と比べる必要があります。

小泉内閣の時代には、経済財政諮問会議の民間議員や経産省、経済団体、それに近い研究者が、医療本体への市場原理導入、混合診療全面解禁、株式会社の医療機関経営の解禁などを主張したのです。

今は本音は別として、そのような主張を正面から主張する個人も団体もいません。

経産省も最近は、医療本体への市場原理導入は主張せず、公的保険外サービスのヘルスケア産業の育成を主張しています。そういう意味でこの10年間の学習効果が少しはありました。ただヘルスケア産業の育成はほぼ絶望的です。

その上で、医療分野への市場原理導入の最大のデメリットは、貧富の差によって受けられる医療が変わることです。つまり「階層医療」が出現し、その不公平感によって国民の連帯意識が低下することです。

私は、国民皆保険制度は、現在では、医療保障制度の枠を超えて、日本社会の「安定性・統合性」を維持するための最後の砦になっていると主張しています。国民皆保険の機能低下が進むと日本社会の分断が一気に進むと考えます。

もう一つのデメリットは、医療費が不必要に増加することです。

私は2004年の段階で「新自由主義的医療改革のジレンマ」と名付けています。「医療の市場化・自由化はそれに関係する企業にとっては新しい市場が拡大する反面、医療費増加をもたらすため、公的医療費抑制という国是と矛盾する」ということです。

厚労省はこのジレンマをよく知っているので、小泉内閣の時代から医療分野への市場原理導入に反対・抵抗しています。もちろん医療格差の拡大を防ぐという崇高な理由もあります。

財務省は90年代には公費抑制を目的に掲げて混合診療への方向転換を主張していました。

しかし、その後、混合診療を導入すると私的費用だけでなく公的費用も増えることに気づきました。そこで方向転換して21世紀になってからは、混合診療原則解禁に反対と財務省主計官もはっきり言いだしています。

一部の高所得者の選択肢が広がるだけ 質は上がらない

――逆に、あえてメリットを考えるとすれば、何が言えるでしょうか?

あえて市場原理導入のメリットをあげれば、一部の高所得患者が受けられる医療の選択の幅が広がるということでしょうか。それに連動して、彼らを主要な顧客とする一部の病院の経営が改善するでしょう。

でもそれは、国民感情と医療機関両方の分断を生むデメリットでもあるわけです。

「医療の選択の幅が拡大する」とは言いましたが、「医療の質が上がる」とは言えません。

日本では医療保険で、必要で適切な医療はほとんど給付されています。国際的に見ても日本ぐらい給付の範囲が広い国はない。薬品も承認されたら間髪を入れず保険給付になります。こんな国は他にないのです。

かつて小泉内閣時代に「混合診療解禁」が叫ばれた時はドラッグラグがありました。海外で使える薬が日本で使えないという問題です。今はそれがなくなっています。

津川友介・勝俣範之・大須賀覚氏の本『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療』では、日本での新薬の承認の遅れはわずか0.4年で保険がきく標準治療こそ最高の治療だと指摘しています。その通りだと思います。

選択の自由は気分の問題です。患者申出療養もほとんど普及していませんし、メリットと言っても大したことはない。

私は厚労省の個々の政策は複眼的に評価するので批判することもあります。でも、全国民に良質で効率的な医療を公平に提供し、国民皆保険制度の根幹を守るために医療分野への市場原理導入に頑固に反対している点では、しっかりしていると思います。

――混合診療を導入することで治験をやろうとしなくなり、医療全体の質が下がることも指摘されていますね。

そうですよ。混合診療の禁止を適法と認めた最高裁の判決も2011年に出ましたし、混合診療の議論は終わったものと思います。

医療提供体制改革は順調 しかし前の政権の方針を踏襲

――ー次に団塊の世代が後期高齢者になる2025年に向けた医療提供体制の改革について伺います。住み慣れた地域で最後まで暮らせるよう医療や介護などの地域のサービスを切れ目なく提供できるようにする「地域包括ケアシステム」と、2025年に必要となる病床数を医療機能ごとに推計し、医療提供体制の再編を図る「地域医療構想」の推進が安倍内閣の2本柱と指摘されています。

両改革は2014年の医療介護総合確保推進法で法的に位置づけられました。地域包括ケアシステムは2013年の社会保障改革プログラム法で初めて定義されましたが、これも安倍内閣が成立させました。

ただ、両改革は安倍内閣の「専売特許」ではなく、民主党政権どころか、それ以前の3代の自民党内閣、その前の小泉政権からずっと同じ方針を続けています。そういう点では、地域包括ケアと地域医療構想の2本柱はものすごく連続性が高い政策です。

各政権は、この推進を厚労省に任せてきた印象です。そして、厚労省は医師会とできるだけ協議して進める。これは伝統的なやり方です。

――なぜ、医療提供体制については厚労省主体で各政権の独自色は出せないのでしょう。コロナ対策では官邸の打ち出す対策に振り回されているように見えますが。

コロナ対策はある意味、医療ではなく社会防衛策ですから。医療政策は医療保障制度の改革と、医療提供体制の改革に分かれますが、医療提供体制の改革には予算がつかないから政治の関心も低いと言えます。財務省も口出しはしてきません。

専門性が強い政策だからということもあるでしょう。官邸や経済産業省も容易には口を挟めない。

また、日本の医療提供体制は民間医療機関が主体であるため、厚労省は、日本医師会や病院団体の理解と合意を得られなければ改革を進められません。この点は、イギリスや北欧のような国営・公営医療の国とは全く違います。

医療提供体制の進化

――具体的にはどのように進められてきましたか?

地域包括ケアについては、私は一貫して、実態はシステムではなく、ネットワークだと言っています。それは『平成28年版厚生労働白書』も認めています。

また、地域包括ケアの概念は固定的なものではなくて、それなりに進化しています。特に2015〜16年から地域包括ケアには「地域づくり」が含まれるようになりました。これは「ニッポン一億総活躍プラン」で、「地域共生社会の実現」が掲げられたことと連動しています。

地域医療構想は当初、厚労省のコントロール色が強いものでしたが、日本医師会の奮闘でそれはほぼ払拭されました。

あくまでも関係者の自主的な取り組みによって、病床だけではなく在宅医療も含めた必要な医療を確保することであって、医療費抑制を目的とするものではないということも確認されました。私はこのことを高く評価しています。

よく誤解されますが、地域医療構想は医療費抑制が目的とはされていません。本音は別にあるとしても、厚労省の高官や公式文書で、地域医療構想の目的が医療費抑制だと述べたものは一つもないです。

既存の高度急性期医療や急性期病床を統合すると、機能がアップする。そのためベッド数を減らしても医療費は増えるのです。山形県酒田市の例が有名です。

――少なくとも病院から在宅医療への移行は医療費抑制につながると私も思っていました。

医療費は下がらないですよ。例えば、医療を除いても、要介護度5の人が在宅で介護保険をフルに使ったら、特別養護老人ホームよりも高くつきます。

在宅ケアを医療費抑制のために進めるのは無理だということは国際的にも白黒ついています。本人や家族の満足度やQOLを高めるために進めたほうがいいけれども安くはない。もちろん質を落とせば別ですが、今時質を落として費用を抑制しましょうなんて誰も言えないでしょう。

看板政策の変化「アベノミクス」「全世代型社会保障」

――安倍内閣は政権を維持するために、看板政策を次々に変えただけでなく、その中身も変えたと指摘されています。どのように変え、その変更についてどう評価しているか教えていただけますか?

中身を変えたことと、手続きの問題と両方あります。

「アベノミクス」の中身の問題について言えば、2013年に本格始動した時は、「大胆な金融緩和」「機動的な財政政策」「投資を提起する成長戦略」の3本柱を掲げた経済政策でした。

ところが安倍首相は2015年9月の記者会見で、「アベノミクスは第2ステージに移る」と宣言し、新たな3本の矢として「希望を生み出す強い経済」「夢を紡ぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」と変化しました。この2番目と3番目は経済政策ではなくなりましたね。

そして翌年6月の閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」で、その肉付けをしました。

大事なのはプロセスの問題で、最初の3本の矢は政治主導で作ったのですから、官庁がとやかくいう筋はないでしょう。しかし、新しい3本の矢は関係省庁の意見を聞くことなく、経済産業省系の官邸官僚が取りまとめたと言われています。

例えば3番目の柱に入っている「介護離職ゼロ」はどう見ても厚労省マターですが、厚労省幹部も全然知らされていなかったそうです。首相に強い影響力を持つ経済産業省系の官邸官僚の思いつきなんです。

次に「全世代型社会保障」に関しては、最初に示したのは「社会保障制度改革国民会議報告書」です。世代間で財源の取り合いをするのではなく、それぞれに必要な財源を確保することによって達成を図っていくという内容で、すごく見識があります。

そこで骨太方針における「全世代型社会保障」の出現頻度を調べてみたのです。骨太方針の2014、15、16までは、全世代型社会保障に全く触れていません。せっかく社会保障制度改革国民会議が提案したのに。

2017年に初めてちらりと少子化対策の項目で使用されていますが、見出しにはない。本格的に出てきたのは2018年で5回も出てきました。この場合も子育て少子化対策と、財政健全化との関係で述べられています。

理由は極めて単純で、安倍さんが前年の9月に記者会見で、「子育て世代の投資を拡充するため」と言い出したことに対応したわけです。それはそれでいい。「じゃあ子育て中心にシフトするのか」と思いますよね。

ところが2019年になるとそれが全部消えて、70歳までの就業機会確保、中途採用・経験者採用の促進、疾病・介護の予防となる。

――行き当たりばったりですね。

本当に行き当たりばったりで、なおかつ、これを社会保障と言ったら、社会福祉士の国家試験で落ちますよ。雇用・労働政策でしょう。これを社会保障と言うなんてめちゃくちゃです。

そして、今年の骨太方針2020には、全世代型社会保障という表現はなくなりました。本当に思いつきなんですよ。

民主党政権はマシだった

――医療経済学者として、歴代内閣と比べて、安倍内閣の医療・社会保障政策はどのように総括できますか?

私の反省も含めて、1点だけ述べます。

安倍政権の医療政策を総括する中で気づいたのは、民主党政権の医療政策についての私の過去の評価が厳しすぎたということです。当時、医療関係者は民主党政権にすごく幻惑されていました。

私は最初から是々非々でしたが、2011年2月に出版した『民主党政権の医療政策』(勁草書房)の「はしがき」で、以下のように書いたんです。

私は政権交代そのものの歴史的意義は高く評価しているし、他分野の政策には評価すべき点も少しはありますが、民主党政権が実施した医療政策で評価すべき点はまったく思いつきません。

当時は、「診療報酬が上がったのだからいいじゃないか」と言われていたのですが、私は診療報酬が上がったのは微々たるものだし、特別に評価できないと思っていました。

しかし、民主党政権に代わって登場した第二次安倍内閣が小泉内閣時代と同様な医療費抑制政策を復活させたことを踏まえると、民主党政権の医療費政策は相対的にマシだったのだなと思い直しました。かつての民主党政権の評価は厳しすぎたと反省しています。

安倍政権の舵取りが生命倫理観に与えた影響は?

――この7年8ヶ月の中で、相模原事件が起き、長谷川豊氏の「人工透析自己責任論」があり、麻生財務相の度々の健康自己責任論の暴言、公立福生病院の人工透析中止事件、京都の嘱託殺人事件、高齢者の延命治療中止を唱えた落合・古市対談など、優生思想や健康の自己責任論がますます進んでいるように思います。安倍政権の舵取りは、こうした生命倫理感に影響を与えたと思われますか?

安倍さんは麻生さんとは全然違います。個人的には、上記事件につながるような「暴言」は一度もしていないし、逆に尊厳死については次のように極めてまっとうな国会答弁をしています。

「尊厳死は、きわめて重い問題であると、このように思いますが、大切なことは、これは言わば医療費との関連で考えないことだろうと思います」2013年2月20日参議院予算委員会)。

私は安倍首相の発言でこれを一番高く評価しています。

他にも私が評価している安倍さんの発言をいくつか紹介しましょう。

「みんなは、俺が岸信介の孫だから、強烈な保守主義者だと思っているが、阿部寛の孫でもある。タカとハト、両方の立場で物事を考えているんだ」(「読売新聞」2020年9月2日朝刊。尾山宏「総括 安倍政権 ウィング広げ安定図る」で安倍首相が「かつてこう語った」と紹介し、「首相の『ハト』の側面を、野党が十分に認識していなかったことが、『安倍一強』の背景にある」と指摘)

私は2015年に、閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」を分析した際、「性的指向、性自認に関する正しい理解を促進する」という「リベラル」な表現が盛り込まれたことに注目しました。「安倍首相には『現実主義』の側面」もあり、「安倍首相は『手強い』」と著書で指摘したので、安倍首相の発言と尾山氏の指摘に大いに納得しました。

「当然、これは、田村(智子)委員がおっしゃるように、これ文化的な生活を送るという権利があるわけでございますから、是非ためらわずに(生活保護を)申請していただきたいと思いますし、我々も様々な手段を活用して国民の皆様に働きかけを行っていきたいと、こう思っています」(2020年6月15日参議院決算委員会。田村智子議員が、「生活保護はあなたの権利です」と政府が国民に向けて広報するべきだと質問したことに対する答弁。

この答弁を踏まえ、厚生労働省は「生活を支えるための支援のご案内」リーフレットの生活保護制度の頁に「生活保護の申請は国民の権利です」という一文を加えました。これは厚生労働省のウェブサイトにも掲載されています(「しんぶん赤旗」2020年9月4日))。

安倍首相自身が麻生さんのようにとんでもない発言をしたなら当然批判しますが、そうでないのに、安倍政権の間に起きた様々な生命倫理上の問題と安倍さんを結びつけることを私はしません。

退陣の理由と次の首相の医療政策

――安倍さんが潰瘍性大腸炎という持病の悪化を理由に身を引かれたことについては、どのようにお考えですか?

病気の治療に専念してほしいと思いますが、コロナ危機で全然適切な対応ができなくて、行き詰まった点が背景にあると思わざるを得ません。病気が理由となると日本国民は優しいですし、珍しくプロンプターも見ないで会見で話しましたね。演出としては最高だったと思います。

だけど、このコロナ危機の一連の対応はめちゃくちゃでした。

――具体的にはどの対応がまずかったと見てらっしゃいますか?

やはりオリンピックを今年何がなんでも開催したいということや、習近平国家主席の訪日を実現したいという思いから、対策が控えめに見ても1ヶ月は遅れました。感染症は時間との戦いですから、この時間的ロスは大きかったと思います。

もう一つは科学的知見もないのに、ほとんど死ぬことのない小中高の一斉休校を要請しましたね。本来そんな権限はなく脱法的な対策です。それまでの研究で、コロナでリスクが高いのは70歳以上の高齢者と持病がある人であることがはっきりしています。

教育の影響は、医療の影響と違って10年単位で続きます。首相の打ち出したあの対策の影響は重いと思いますよ。

日本小児科学会も反対しましたね。百歩譲って専門家が提案したならわかりますが、専門家会議にも事前に相談しなかった。例によって安倍さんと経産省系の官邸官僚が人気取りでやったわけです。

こうした対策の行き詰まりが退陣に影響したのだろうと見ています。トップを変えないとどうしようもないぐらいに行き詰まっていた。何をやっても裏目に出ていました。ただ、病気がそのストレスで悪化した面もあるでしょうね。

――次期首相の医療政策は安倍内閣と大きくは変わらなそうですね。

次期首相となることが事実上決まっていると見られる菅官房長官は「安倍路線の継承」を一枚看板としているため、医療政策もほとんど変わらないと見ています。

菅氏の「2020年総裁選パンフレット」をみても、「社会保障改革」は6つの柱の5番目で、位置づけが低く、医療については一言も触れていません。

私はパンフレットの副題が「『自助・共助・公助』で信頼されるづくり」であることに注目しています。「自助・共助・公助」自体は自民党の伝統的な公式方針で、この限りでは新味はありません。

しかし、安倍内閣は、「ニッポン一億総活躍プラン」(2020年6月閣議決定)からは「再分配」にアクセントを置いていました。

菅氏が、今回改めて「自助・共助・公助」を強調するということは、今後「社会保障の機能強化」=「公助」の強化はしないとの宣言とも読めます。

安倍首相には「ウェット」な側面がありますが、菅氏は逆に「ドライ」かつ強権的で「小さな政府」志向が強く、この点では小泉元首相に近いと思います。

(終わり)

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4.インタビュー:コロナ禍が日本の保健・医療に与える影響

(『月刊自治研』2020年9月号:18-26頁)

インタビューアー◎林 鉄兵・自治労中央本部政策局長/『月刊自治研』編集長

【リード】

私たちのくらしに大きな変化をもたらしたコロナ禍。
とりわけそのたたかいの最前線となった保健・医療の分野では、
さまざまな課題と同時に優れた面も浮き彫りになった。
今後の保健・医療分野に与える影響について、
医療経済学者の二木さんに展望を語っていただいた。

●日本の医療のプラス面にも目をむけるべき

──まず最初に、今回のコロナ禍によって、日本の保健・医療の分野のさまざまな問題点が浮き彫りになったと思うのですが、どのようにお考えでしょうか。

二木 まず申しあげておきたいのは、私は常に複眼的に物事を検討するという立場です。政府の施策に対しては批判的ですけれども、かといって全否定もしません。問題点のみを指摘するのは一面的で、この間、明らかになった日本の保健・医療の強みにも目をむけるべきだと思います。

新聞の論調もすっかり変わりました。今までは新聞の社会面が医療問題を扱うと、医療事故の告発や、医者の儲け過ぎなどばかりが取りあげられてきましたが、今回は医療関係者の献身的な努力を各紙が取りあげましたね。コロナ患者を扱っている医療機関だけでなく、コロナ患者を扱っていない医療機関も、患者の受診控えで大変な危機に陥っていることを各紙が伝えていました。こんなことははじめてではないでしょうか。

一部、最大瞬間風速的な事例を別にすれば、日本は医療崩壊を瀬戸際でなんとか食い止めたと言えると思います。その前提には国民皆保険があったと言えますし、ほかにもさまざまな理由はありますが、少なくとも日本の医療が脆弱だったというのは言い過ぎで、ヨーロッパでは医療関係者が職場放棄をした例も結構あったと聞いていますが、献身的な努力をした日本の医療従事者のモラルはすごく高かったと思いますよ。

●何と比較するかで日本の評価は一八〇度変わる

二木 ただ、誤解をしないでいただきたいのは、その事は、政府のコロナ対策が十分であったということは意味していません。安倍首相のいう「日本モデル」だとか、麻生財務大臣の「民度の違い」だとか、笑ってしまうような発言もありますが、日本の対策の評価は、たとえば死亡率を見た場合、何と比較をするかによって一八〇度変わります。

欧米先進国と比べれば日本は確かに死亡率が大変低いですが、アジア諸国と比較すると日本はむしろ悪いと言えます。これは経済評論家の植草一秀さんの「ニューズレター」三五一号からとった六月二五日のデータですけれども、人口一〇万人あたりの死亡率で言いますと、フィリピンが一一・一、インドネシアが九・六、その次が日本の七・六で、ワーストスリーに入るんです。韓国は五・五、シンガポール四・四、マレーシア三・七、今回のコロナの発祥地の中国は三・二、台湾は〇・三、ベトナムやモンゴルはゼロです。

四月の時点ではアジアで死亡率が低いということがあまり知られていませんでしたので、台湾や韓国に比べると対策が遅れた日本の死亡率が低いのは偶然だと言われていましたが、今こうしてアジア全体が低いことを考えると、ノーベル賞を受けた山中伸弥さんが「ファクターX」と言っておられるような、なんらかの法則性がある可能性はあります。その中で日本の死亡率が高いのは、やはり東京オリンピックだとか習近平さんの来日だとかを考慮して、韓国や台湾に比べれば二ヵ月半くらいは対策が遅れてしまったということもあるかもしれませんが、今の時点ではわからないというのが正確だと思います。

●ICUをめぐる誤解と保健所の果たした役割

──三月にイタリアが深刻な状況になったころに、日本のICUの病床数はイタリアよりも少ないと言われて不安に思った方も多かったようですが、これには厚生労働省が反論をしているんですね。

二木 そうです。これは研究者も含めていろんな方が誤解をされているんですけれども、OECDの統計では人口一〇万人あたりのICU病床数はアメリカが三四・七、ドイツが二九・二、イタリアが一二・五、日本は七・三ということで、たしかにイタリアより低いのですが、これは国によって制度が違っているためで、日本の場合には「ハイケアユニット入院管理料の病床」というものがあります。つまり高度なICUと中等度のICUとがあって、ほかの国ではどちらもICUと呼ぶのですが、日本も両方を加えた数値は一三・五で、確かにアメリカやドイツに比べれば低いですけれども、イタリアやフランスの一一・六とほぼ同水準なんです。

──なるほど、そういうことなんですね。それからもう一つ、今回は保健所の存在が大きくクローズアップされたと思います。まずは保健所に連絡する必要があるのに、電話がつながらないことが問題になりましたが、その背景には九〇年代初頭の半分にまで数が減らされてきたということがあるわけです。実はわたしの出身は大阪市役所で、大阪はとくにこの間の保健所の弱体化を間近で見てきたようなところもあるのですけれども、保健所についてはどうお考えでしょうか。

二木 共同通信が五月二五日に配信した関西大学の高鳥敏雄教授が書かれた記事を読ませていただいて、大変勉強になりました。保健所の取り組みの長い歴史の背景には、日本独自の結核対策があって、結核患者の減少に対応するように統廃合が進んできましたが、九九年に患者が増加に転じて以降、機能強化がなされて、「保健所が辛うじて生き残っていたことが幸い」して「日本のコロナ対策は、欧米では聞かないクラスター対策を行い流行拡大を阻止」してきたと評価されています。私も同感で、今回のコロナ禍で保健所の果たした役割はたいへん大きかったと思います。

●第二次補正予算の評価

──こうした事態を受けて、政府は三〇兆円を超える巨額の第二次補正予算を成立させたわけですが、保健・医療の分野に関してどう評価されますか。

二木 その前にまず、第二次補正自体の問題点を指摘しないといけません。一〇兆円もの予備費が計上されているのは憲法八三条の「財政民主主義」を形骸化します。第一次補正の一兆五〇〇〇億円も加えれば、過去最大だったリーマンショック直後の二〇〇九年度当初予算の一兆円の一二倍近いのですから、これは大きな問題だと言えるでしょう。

まずそこを指摘した上で、第二次補正予算の中の厚生労働省分の「ウイルスとの長期戦を戦い抜くための医療・福祉の提供体制の確保」の二兆七一七九億円の中身を見てみますと、「新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金の抜本的拡充」というのが二兆二三七〇億円を占めます。これにはコロナ患者を受け入れる重点医療機関の病床確保ですとか、コロナ患者を受け入れた医療機関などの医療従事者・職員への慰労金、医療機関や薬局の感染防止策の支援などが含まれています。この中のコロナ対応の空き病床に最大三〇万円超を補助するとか、医療従事者などへの慰労金を最大二〇万円、約三一〇万人に支給するというのは史上はじめての画期的な施策だと思います。それと、第一次では「緊急包括支援交付金」は医療機関だけが対象だったのですが、第二次では介護・障害・子どもの三分野も対象になったことも画期的だと思います。

一方で、コロナ患者を受け入れていないけれども、受診控えなどで経営困難に陥っている医療機関への支援がほとんど含まれていません。「医療・福祉事業者への資金繰り支援の拡充」として三六五億円が含まれるだけで、ほとんど焼け石に水です。日本では長年の医療費抑制政策によって医療機関の利益率は非常に低い水準となっていて、コロナのようなリスクに対応できるような内部留保を持っている医療機関は限られています。経営難に陥っている医療機関全体への公的財政支援を緊急に行わないと、第二波が起こった時に、医療機関の経営破綻という意味での「医療崩壊」と、患者が医療機関を受診できないという意味での「医療崩壊」が同時に起こる可能性があります。

●コロナ危機が日本の医療にもたらすもの

──補正予算はとりあえず短期の対策となりますが、コロナ危機が中長期的には日本の医療にどんな影響を及ぼすとお考えでしょうか。

二木 私はこの危機は、中期的には日本医療への「弱い」追い風になると考えています。もちろん、コロナが日本経済に重大な影響を与えることは確実で、それによるGDPの落ち込みはリーマンショックや東日本大震災のショックを上回ることが予想されていますので、医療や社会保障への財源確保に大きな障害になることは間違いありません。

しかし、国民意識の変化という面では、非常時における医療の役割とか重要性が広く理解されたという大きな変化がありました。「医療崩壊」の危機が連日のように報じられたことから、国民はコロナ罹患の危険と保健・医療の重要性、国民皆保険の大切さを「肌感覚」で実感するようになったと思います。三・一一ショック後に高まった社会連帯意識は残念ながら長続きしませんでしたが、やはり被災地とそうでないところではどうしても差があったこともその背景にあるでしょう。しかし今回のコロナ危機は全国的なものですから、このような「肌感覚」は相当長く続くのではないかと思います。

現実に、さきほど申しあげたような巨額の第二次補正予算が組まれたわけですし、こうした「短期」の「緊急対策」だけでなく、コロナ収束後に政府が「中期的」に緊縮財政に転換した場合でも、従来のような厳しい医療費抑制政策を復活・強化すること、少なくとも医療費の伸び率に厳しい抑制目標を設定することは大変難しくなるのではないかと予想します。

またさきほどお話が出た保健所についても、厚労省の鈴木康裕医務技監は「保健所の人員はずっと減らしてきているので、大変な状況になってしまいました。今後は、こうした状況をしっかりと受け止められる行政システムを作っておくべきだと思います」と雑誌『集中』(二〇二〇年六月号)のインタビューに答えていて、保健所の機能強化がはかられていく可能性も大いにあると思います。

もちろん論理的には全く違う可能性、シナリオも考えられますよ。国際医療福祉大学教授の中村秀一さんは「今回の新型コロナウイルスは一つのリトマス試験紙だ」と言っていて、「この試験を経た後、自己責任を重視し、市場の力に委ねる社会が強いのか、連帯を大切にする社会が強いのかが問われる」ということを『週刊社会保障』(二〇二〇年五月四ー一一日号)のインタビューで答えておられました。小泉内閣時代に医療分野への市場原理導入政策を先導した東洋大学教授の竹中平蔵さんはさっそく「教育や医療、規制緩和の議論を」と『週刊エコノミスト』(二〇二〇年六月二日号)のインタビューで述べています。

しかし、私は今回のコロナ危機を通して、国民が医療を平等に受けることの重要性を「肌感覚」で理解したこと、そして今後もコロナや別の新しい感染症の大流行が起こりうることを考えると、医療アクセスの制限につながる厳しい医療費抑制政策、ましてや医療分野への本格的な市場原理導入政策が復活する可能性は低いと思います。

そういう意味では「追い風」なのですが、「弱い」としたのはなぜかと言えば、今後の国の財政はさらに逼迫するでしょうし、国民のコロナ罹患への不安は強まったものの、それを通して社会連帯意識が強まったとは必ずしも言えないことを踏まえると、今後も医療分野に継続的に大幅な税財源が投入される可能性は大きいとは言えないからです。

●地域医療構想のゆくえ

──このコロナ危機の前までは、自治体病院の関係者は、二〇一九年九月の厚労省による四二四の公的・公立病院の再編・統合のリスト公表に大きな関心を持っていました。しかしこのコロナ危機を受けて「地域医療構想」の見直しも進んでいくとお考えでしょうか。

二木 六月九日の衆議院厚生労働委員会で厚労省の吉田学医政局長は、二〇一九年九月に再編統合の検討を迫った全国四二四の公立・公的病院のうち、把握できているだけで七二病院が新型コロナウイルス患者の入院を受け入れたこと、新型コロナ対策として設置した医療機関の状況把握システムに登録している六九二二病院のうち、コロナ患者を受け入れた病院は九二二あって、そのうちの六三七、六九・一%が公立・公的病院だったと答弁しています。高市総務大臣も六月二五日の「全世代型社会保障検討会議」で、公立病院は新型コロナの感染症患者の受け入れで非常に大きな役割を果たしていると強調して、こうした役割を踏まえて地域医療構想の実現にむけた議論を進める必要があると主張しています。こうした発言を見ても地域医療構想が見直されるであろうことは間違いないでしょう。

ただ地域医療構想が始まって病床は徐々に減っていますが、厚労省の思惑通りには進んでいません。だからこそ四二四病院の名前を公表したわけですが、逆にうまくいっていなかったことで、今回は幸いにも医療崩壊を食い止められたという事でもあるわけです。実はドイツでも同じことが言われていて、ドイツはヨーロッパの中では対策が成功したと言われていますが、実はコロナ以前は病床数がヨーロッパの中では多すぎだと批判されていて、結果的にそれが功を奏したのです。

今回のコロナ危機は一〇〇年に一度の危機だなどと言われますが、ここ十数年を見ると、一〇〇年に一度と言われるような危機が三回も起こっています。二〇〇八年にリーマンショックがあり、二〇一一年に東日本大震災、これは津波については一〇〇〇年に一度とも言われましたね。ですから今の時代は、それぞれの分野で一〇〇年に一度と言われる危機が次々に起きて、全部合わせれば一〇年に一度以上の頻度で起きるという危機の時代なんだということを前提に、医療や社会保障を考えていく必要があると思っています。南海トラフ地震や富士山の噴火など、さまざまな災害の可能性も指摘されているわけですし、私は医療は安全保障の鍵だと考えていますけれども、これまでのことを言ってもしかたありませんから、今回の反省に立って、「効率」一辺倒でこの「危機の時代」に対応するのは無理で、今までは無駄だと思われていた「余裕」というものが必要なのだということを理解していただきたいと思います。

そこでいうと、実は地域医療構想には優れた面があって、「二〇二五年の医療機能別必要病床数」の計算は、高度急性期病床利用率が七五%、急性期病床利用率が七八%で推計されていて、実はこれは結構余裕がある数値なんです。ただ現実には診療報酬で厳しく抑えられていますから、公立病院も含めて高度急性期や急性期は病床利用率を九〇%、九五%と維持していないと採算が取れないという問題があるわけです。しかし、感染症に限らず、これからの危機に対応するのであれば、本来の地域医療構想が想定している七〇%台の病床利用率でも経営が成り立つように診療報酬を変えていく必要があるだろうと思います。

そういう面からも、公立病院の削減だけでなく、病床の大幅削減が見直されることは間違いないだろうと思いますよ。二〇二五年医療機能別必要病床数には感染症病床が含まれていませんので、それが加えられるのは確実でしょう。将来の新たな感染症の発生に備えて、病床数の大幅な増加がはかられるんじゃないかと私は予測しています。それから二〇二五年必要病床数で想定されている高度急性期・急性期病床の大幅削減も見直されるでしょう。先ほどもお話したICUですが、イタリアやフランスと同水準としても、ドイツなどに比較すれば少ないわけですから、大幅な拡大は必須だろうと思います。それに関連して、高度急性期・急性期の機能を担うことが多い公立病院の統廃合計画も大幅な見直しがされると思います。私は公立病院の統合による機能強化は今後も進められるとは思いますが、それとワンセットで計画されている病院の廃止・病床削減は相当見直されると予測しています。

●財源をどこに求めるのか

──これまでの流れが大きく変わるだろうと予想されるわけですね。ただ先ほどもおっしゃっていましたが、今後も継続して税財源が投入される可能性は少ないとすると、財源はどのように手当していくことになるのでしょうか。

二木 医療の場合は財源は税と社会保険とがあるわけですが、まず税については先ほども申しあげた第二次補正予算の巨額の予備費一〇兆円のうち、二兆円については麻生大臣が「医療体制強化」に充てると六月八日の財政演説で言及しました。コロナ未対応の病院の経営悪化への対応がほとんどない現状を考えると、これでも不足する場合、私は使途が未確定の予備費五兆円の一部についても医療にむけるべきだと思います。

しかし今後、コロナによる患者減が長期化した場合の医療機関の支援では、租税に加えて診療報酬も活用すべきだと考えています。自民党の新型コロナウイルス対策医療系議員団本部は五月八日に「新型コロナウイルスに伴う医療提供体制などへの補正予算額について」という文書をとりまとめていますが、その中で、コロナ非対応病院における減収補償について、前提条件として減収の割合を三割減と仮定して、減収額のうち約八割を補償、その期間は三月〜八月の六ヵ月として、医療法人立病院のデータを使った計算式で減収補償を総額一兆二九六四億円と算出しています。私はこの前提条件と計算式は説得力があると思うのですが、その財源として診療報酬をあげていることには賛成できません。補償を診療報酬の引き上げで賄うと患者負担も上がり、医療機関離れが加速する危険があります。

一方、神奈川県保険医協会は「日本の医療提供体制を守るための診療報酬の『単価補正』支払いを求める」(六月三日、同協会ウェブサイトで公開)という文書を公開していて、私はその中のアイデアに注目をしています。

それは、今後も患者減少が続き、二〇二〇年度の保険診療費が、二〇二〇年度予算の想定額を下回った場合、「時限的特例的」措置として、対前年比の減額分の逆数値補正を行って、現在一〇円の一点単価を引き上げるというものです。たとえば前年の二割減となった場合は、一点の単価を一〇円×一〇/八=一二・五円とするということです。診療報酬の請求金額の速報値・暫定値は診療の翌月には判明しますので迅速な対応が可能です。この単価補正ですと患者負担は一点一〇円のままなので「点数引き上げ」の時のような患者負担の増加がありませんし、新規財源も新たな補正予算も不要、財政中立的であるために診療側・保険者側の合意は可能と神奈川県保険医協会は主張しています。

ただ両案ともまだアイデアレベルにとどまっています。「医療・福祉の提供体制の確保」は安倍内閣のコロナ対策の重要な柱になっていますし、最近は、医療機関全体の窮状が広く報道されて国民の理解も得られつつあります。今後医師会を中心とする医療団体が「エビデンスに基づく」要求をまとめれば経営困難に陥っている医療機関全体への財政支援が実現する可能性は少なくないと私は期待しています。

●介護・福祉は医療以上に厳しい

二木 実は私が一番心配しているのは介護と福祉の方なんです。こちらは医療以上に大変な状況ですよね。

──はい、おっしゃる通りです。施設内で感染が広がる場合の影響の大きさもそうですし、職員が差別的に扱われるといったことも起きています。

二木 でも医療に比べるとまだまだ注目されていませんよね。第二次補正予算で介護・福祉関係者にも慰労金が出ることになったのは画期的だと思いますが、それ以外は医療に比べて見劣りする内容です。これはやはりひとつには国民の間で、介護や福祉が医療に比べてちょっと格が低いものだというような偏見があるのかなと思います。

それともう一つ、医師会を中心とした医療団体に比べると、介護や福祉系の団体は政治力と発信力が弱いように思えます。さきほどお話した神奈川県保険医協会のようなアイデアや提案が、介護や福祉団体からはあまり出てきません。苦しい苦しいという言葉は出てくるのですが。

──神奈川県保険医協会のアイデアは確かに優れていますね。本来だったら使えたはずの予算を回そうというものですからね。ロビー活動をするにしても、単に苦しいからなんとかしてほしいというよりは、こういうアプローチの方が説得力がありますね。

二木 ただこのアイデアも短期のものですね。中期的に考えるとやはり国民負担をせざるを得ないのかなと思います。ただ従来のような「消費税一本足打法」ではなく、所得税の累進性の強化や、固定資産税や相続税の強化、法人税率の引き下げ停止など租税財源の多様化と社会保険料の引き上げが不可欠です。私はそれに加えて東日本大震災後の「復興特別税」と同様の「コロナ復興特別税」が導入されて、保健・医療の充実に加えて、コロナによって医療同様に大きな被害を受けた介護・福祉事業や従業員の救済、それに失業者、経営困難に陥った企業の救済が総合的に進められることを期待しています。

(二〇二〇年六月二九日 於:TKP赤坂駅カンファレンスセンターミーティングルーム)

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5.改正社会福祉法への参議院附帯決議の意義とソーシャルワーカー(専門職・団体)に求められる役割

(「二木教授の医療時評(184)」『文化連情報』2020年10月号(511号):10-19頁)

はじめに-講演にあたって

本年6月5日に「地域共生社会の実現のための社会福祉法等の一部を改正する法律」が成立し、来年4月から施行されることになりました。本法の参議院附帯決議では、改正社会福祉法で制度される重層的支援体制「事業を実施するに当たっては、社会福祉士や精神保健福祉士が活用されるよう努めること」と記載されました。実は、地域共生社会の公式文書に、社会福祉士や精神保健福祉士の両国家資格が明記されたことは初めてです。

逆に言えば、2015年以降発表された厚生労働省または政府の地域共生社会関連の以下の4つの文書では、いずれも社会福祉資格や精神保健福祉士に関する記載はまったくないか、きわめて断片的でした。①厚生労働省プロジェクトチーム報告「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現-新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン-」(2015年9月。以下、「新福祉ビジョン」)、②閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」(2016年6月)、③地域力強化検討会「最終とりまとめ」(2017年9月)、④地域共生社会推進検討会「最終とりまとめ」(2019年12月)

そこで本稿では、私が2015~2020年に発表したこれら4文書を分析した論文に基づいて、今まで社会福祉士・精神保健福祉士がいかに位置づけられてこなかったのか跡付けます(1-4)。それによって、改正社会福祉法の参議院附帯決議の意義が浮き彫りになるからです。最後に、厚生労働省、社会・援護局はなぜ社会福祉士資格について<冷たい>のか?について、私見を述べます。なお、地域力強化検討会と地域共生社会推進検討会はそれぞれ「中間とりまとめ」も発表し、私はそれらの分析も行っていますが、本稿では省略します(それぞれ、文献(1):84-88頁、(4):118-127頁)。

1 「新福祉ビジョン」の「新しい地域包括支援体制を担う人材の育成・確保」の複眼的評価 (1)

第1の文書は厚生労働省プロジェクトチームの「新福祉ビジョン」(2015年9月)です。この文書は大変よくできており、今でも十分に読むに値します。この文書は3つの柱立てで、第1の柱「様々なニーズに対応する新しい地域包括支援体制」は、今回の改正社会福祉法で制度化された「重層的支援体制」に結実しました。私は「新しい地域包括支援体制」を、地域包括ケアシステムの対象の全年齢への拡大、または高齢者を対象にした地域包括ケアシステムと生活困窮者に対する自立支援制度の統合と理解しました。第2の柱「サービスを効果的・効率的に提供するための生産性向上」は、厚生労働省文書で初めて「生産性向上」・効率化を包括的、しかも学問的に正確に記述しました。

そして、改革の第3の柱「新しい地域包括支援体制を担う人材の育成・確保」は、事実上、今後のソーシャルワーク、ソーシャルワーカーとその教育のあり方について率直に提起しているので、ソーシャルワーカーと社会福祉系大学教員「必読」と言えます。「事実上」と限定的表現を使った理由は後述します。以下、引用文中のゴチック、①、②等は私が付けました。

(1)「基本的な考え方」

まず、(1)「基本的な考え方」の「新しい地域包括支援体制において求められる人材像」では次のように述べています。「新しい地域包括支援体制においては、限られた人的資源によって、複合化・困難化したニーズに対して効果的・効率的に支援を提供するため、①要援護者やその世帯が抱える複合的な課題に対して、切れ目ない包括的な支援が一貫して行われるよう、支援内容のマネジメントを行うこと、②複合化・困難化した課題に対し、個別分野ごとに異なる者がサービスを提供することが困難な場合もあるため、地域の実情に応じて、分野横断的に福祉サービスを提供できること、が求められる」。

さらに、「このような新しい地域包括支援体制を担う者としては、①複合的な課題に対する適切なアセスメントと、様々な支援のコーディネートや助言を行い、様々な社会資源を活用して総合的な支援プランを策定することができる人材、②福祉サービスの提供の担い手として、特定の分野に関する専門性のみならず福祉サービス全般についての一定の基本的な知見・技能を有する人材が求められる」とされています。

次の「求められる人材の育成・確保の方向性」は略して、その次の「中長期的な検討課題」では以下のように述べています。「新たな地域包括支援体制の基盤となる人材には、分野横断的な知識、専門性を有することが求められるのであり、こうした人材を育成・確保するためには、分野横断的な資格のあり方も含めた検討が必要となる」。この点については、2で述べる「ニッポン一億総活躍プラン」でより具体的に提起されます。

(2)「新しい地域包括支援体制を担う人材の育成・確保のための具体的方策」

「新しい地域包括支援体制を担う人材の育成・確保のための具体的方策」の冒頭の「人材の育成・確保に向けた具体的方策」では6つの方策を示しています。ソーシャルワーカー(団体)が一番注目すべきは、次の記述です。

「包括的な相談支援システム構築のモデル的な実施等」では、「専門的な知識及び技術をもって、福祉に関する相談に応じ、助言、指導、関係者との連絡・調整その他の援助を行う者として位置づけられている社会福祉士については、複合的な課題を抱える者の支援においてその知識・技能を発揮することが期待されることから、新しい地域包括支援体制におけるコーディネート人材としての活用を含め、そのあり方や機能を明確化する」(21頁)。

(3)私の危機意識と福祉系大学の対応

私は「新福祉ビジョン」が発表された2015年には、日本福祉大学学長・日本社会福祉教育学校連盟会長だったのですが、この社会福祉士の記述に強い危機感を持ちました。というのは、社会福祉士についての記述は上記1か所しかなく、しかも、「福祉に関する相談に応じ、助言、指導、関係者との連絡・調整その他の援助を行」っている者ではなく、これらの業務を(法的に)「行う者として位置づけられている社会福祉士」=実際にこれらの業務を行っているとは明示しない、突き放した表現がされていたからです。日本社会福祉士会等が長年求めている「社会福祉士の任用拡大」についてはまったく触れていません。第3の柱では「精神疾患」を持つ人々への支援について書かれているにもかかわらず、精神保健福祉士についての記述はありません!?そもそも「ソーシャルワーカー(ソーシャルワーク)」という用語もまったく使われていません。

ただし、日本福祉大学学長・日本社会福祉教育学校連盟会長としては、この記述を批判するだけでなく、「新福祉ビジョン」に対して、少しでも前向きな対応をすることが求められます。そこで、第3の柱から、(事実上のソーシャルワーカーに)「求められる人材像」は、(i)支援のマネジメント、アセスメント能力を持ち、(ii)分野横断的な福祉サービスの知識・技術を有し、しかも(iii)第2の柱で強調されているICTを駆使できる人材と読み解きました。ちなみに、第3の改革の項では、「分野横断的」という表現が5回も使われています。
私は、福祉系大学の学生が(i)と(ii)の能力を身につけるためには、社会福祉職と他職種との連携を体感できる「多職種連携教育」の導入・拡充が不可欠だと考えています。さらに、福祉系大学の教員自身が、自己の狭い専門の殻を破って、大学の内外で「多職種連携」の教育・研究・実践に積極的に参加する必要があると考えました。

幸いなことに日本福祉大学は、日本で(おそら世界でも)最初に1970年代から多職種連携教育を必須化(科目名「アセンブリ」)している藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)と2015年2月に包括連携協定を締結していたので、「新福祉ビジョン」発表後、日本福祉大学の教員と社会福祉学部学生が同大学の多職種連携教育に参加させていただいています。

2 「ニッポン一億総活躍プラン」の施策で医療福祉関係者が注目すべきことー複数資格に共通の基礎過程の創設と「地域共生社会の実現」(2)

次に、2016年6月に閣議決定された「ニッポン一億総活躍プラン」(以下、「プラン」)の施策で医療・福祉関係者が注目すべきことを述べます。

「プラン」に初めて盛り込まれた施策で、当時、医療・福祉関係者にもっとも注目されたのは、「介護離職ゼロの実現」に向けた対応策⑨「地域共生社会の実現」(60頁)に、「医療、介護、福祉の専門資格について、複数資格に共通の基礎課程を設け、一人の人材が複数の資格を取得しやすいようにすることを検討する」、「医療、福祉の業務独占資格の業務範囲について、現場で効率的、効果的なサービス提供が進むよう、見直しを行う」と書き込まれたことでした。「新福祉ビジョン」では、「分野横断的な資格のあり方について、中長期的に検討を進めていくことが必要と考えられる」(20頁)と抽象的に書かれていたことと比べると、ずいぶん踏み込んだ記述です。この決定に基づき、特に介護福祉士と准看護師との「共通の基礎課程」を設ける検討が行われましたが、4年後の現在も具体案はまったく示されておらず、事実上立ち消えになったと言えます。

次に、「プラン」中の福祉専門職についての記載をみると、「社会福祉士」とソーシャルワーカー一般の記載はない反面、スクールソーシャルワーカーの記載は4か所もありました。特に「プラン」の本文12頁の(課題を抱えた子供たちへの学びの機会の提供)の冒頭では、「特別な配慮を必要とする児童生徒のための学校指導体制の確保、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーの配置など教育相談機能の強化に取り組む」と書かれました。

政府文書の最上位にある「閣議決定」のしかも本文にスクールソーシャルワーカーの役割が明記されたのはこれが初めてであり、画期的と言えます。さらに43頁の「付表」には、スクールソーシャルワーカー(SSW)を2015年度の2,247人から2019年度の10,000人へと5年で4倍化する数値目標も示されました。ただし、その後、これの具体化はほとんど進んでいないようです。

さらに精神保健福祉士については、57頁の付表、「介護離職ゼロの実現」のための「対応策」の「⑧障害者、難病患者、がん患者等の活躍支援(その1)」の「具体的施策」の最後(4番目)に「精神障害者等の職業訓練を支援するため、職業訓練校に精神保健福祉士を配置してそのサポートを受けながら職業訓練を受講できるようにするなど受入体制を強化する」と書かれました。これは精神障害者等の職業訓練校に限定した記述ですが、「新福祉ビジョン」が精神保健福祉士にまったく言及していなかったことと比べると、「閣議決定」に書き込まれたこと、しかも精神保健福祉士の職域拡大が示されたことは大きな前進と言えます。ただし、その後、これの具体化もほとんど進んでいないようです。

「地域共生社会の実現」

福祉関係者が「プラン」でもう1つ注目すべきことは、本文16頁(4.「介護離職ゼロ」に向けた取組の方向)の最後に「(4)地域共生社会の実現」が掲げられ、次のように書かれたことです。

<子供・高齢者・障害者など全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り、高め合うことができる「地域共生社会」を実現する。このため、支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成し、福祉などの地域の公的サービスと協働して助け合いながら暮らすことのできる仕組みを構築する。また、寄附文化を醸成し、NPO との連携や民間資金の活用を図る>。

「共生社会」は福祉関係者にはなじみ深い用語ですが、閣議決定が「地域共生社会」という用語を用いたのはこれが初めてで、しかも現在に至るまで、これが地域共生社会の唯一の公式の定義・説明とされています。「地域共生社会の実現のための社会福祉法等の一部を改正する法律」にも、地域共生社会の法的定義は書かれていません。この点は、地域包括ケアシステムについては、2013年の社会保障改革プログラム法と2014年の医療介護総合確保推進法で法的定義が与えられたのと大きく異なります。

「プラン」を受けて、厚生労働省は2016年7月に「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」を立ち上げました。当時、福祉研究者・福祉業界では、この「『我が事・丸ごと』地域共生社会」が大人気でしたが、現在は(正確に言えば塩崎恭久厚生労働大臣が2017年8月に退任してからは)、この用語は厚生労働省内ではまったく使われておらず、「厚生労働省内死語」になっています。実は、閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」で用いられたのは「地域共生社会」だけで、「我が事・丸ごと」という枕詞は塩崎大臣が独自に個人プレー的につけたものです。厚生労働省の「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」サイトにも、第1回会議(2016年7月15日)以降の資料は掲載されていません。

3 地域力強化検討会「最終とりまとめ」はソーシャルワーカーの役割を高く評価したが…(3)

第3に、地域力強化検討会(座長・原田正樹氏)が2017年10月に発表した「最終とりまとめ」のソーシャルワーカーについての記述を検討します。この検討会は「プラン」で示された「地域共生社会の実現」について具体的に検討するために設置されました。この文書は、厚生労働省関係の公式文書で、唯一、ソーシャルワーカーの役割を包括的に示した記念碑的文書であり、ソーシャルワーカーの「必読文献」と言えます。

私はこの文書が発表された時、次の3点に注目しました。①リアルな地域観と新しい自立観を提起した、②ソーシャルワーカーの役割を高く評価した、③高齢者に限定しない地域包括ケアシステムを提起した。以下、②について詳しく述べます。

実は地域力強化検討会の「中間とりまとめ」(2016年12月)は「ソーシャルワークの機能」は重視していましたが、ソーシャルワーカーにはほとんど言及していませんでした(2回のみ)。それに対して「最終とりまとめ」では、ソーシャルワーカーについての記述が11か所もあり、そのうち9か所が各論の1で集中的に書かれています。その記述はきわめて具体的で、社会福祉関係者以外の読者が読んでもソーシャルワーカーの役割・働きがイメージされるような工夫がなされていました。

検討会の性格上、記述のほとんどは、地域(力強化)との関わりで書かれていますが、福祉領域の検討会の文書としては珍しく、医療分野でのソーシャルワーカーの役割についても、以下の記述があります。「在宅医療を行っている診療所や地域医療を担っている病院に配置されているソーシャルワーカーなどが、患者の療養中の悩み事の相談支援や退院調整のみならず、地域の様々な相談を受け止めていくという方法」(17頁)。私はこれからの地域包括ケアと福祉改革の主戦場は「地域」であると考え、医療ソーシャルワーカーを含めたソーシャルワーカーが「地域に積極的に出る」よう提唱していたので、この記述に大いに共感しました(5)

さらに「最終とりまとめ」では、「中間とりまとめ」で「包括的な相談支援を担える人材」の機能とぼかして表現されていたものが、「ソーシャルワークの5つの機能」と踏み込んで再掲されました(16頁):「制度横断的な知識、アセスメント力、支援計画の策定・評価、関係者の連携・調整、資源開発」。厚生労働省の委員会や検討会の報告で、ソーシャルワーカーの役割がこれほど包括的に論じられたのは初めてであり、今後はこの定式化が「事実上の標準」(de facto standard)になると思います。

私がもう一つ強調したいことは、「最終とりまとめ」がソーシャルワーカーの重視に対応して、「専門職」の役割と「多職種連携」も強調していることです。後者は「最終とりまとめ」で初めて取り上げられました。私は、次の提起が一番重要と思います:「多職種連携に当たっては、保健・医療・福祉に限らず、雇用・就労、住まい、司法、教育、産業などの分野にも広がりが見られていることに留意する必要がある」(13頁)。

他面、「最終とりまとめ」は、社会福祉士、精神保健福祉士等の具体的職種名は書いていません。このことは「最終とりまとめ」、ひいては厚生労働省(社会・援護局)が、ソーシャルワーカーの「機能」とソーシャルワーカーの「国家資格」(社会福祉士・精神保健福祉士)を峻別していることを意味しています。後述するように、私は、この区別自体は妥当だと思っています。また、この峻別は、日本社会福祉士会が長年求めている社会福祉士資格の業務独占化が不可能であることも意味しています。

4 地域共生社会推進検討会「最終とりまとめ」にはソーシャルワーカーの記述がない!?(4)

4番目に、改正社会福祉法の出発点になった地域共生社会推進検討会「最終とりまとめ」(2019年12月)について検討します。私は、「最終とりまとめ」が、それまで曖昧だった地域共生社会の「理念とその射程」を明確にし、「福祉政策の新たなアプローチ」・「市町村における包括的な支援体制の整備」を提起した点は高く評価しています。しかし、包括的な支援体制を中心的に担うソーシャルワーカーにまったく言及していないことに強い疑問も持ちました。

「最終とりまとめ」のⅣ「市町村における包括的な支援体制の整備促進のための基盤」の1は「人材の育成や確保」で、その(1)が「専門職に求められる資質」です。そこで書かれている資質は内容的には、ほとんどソーシャルワーカーの資質と理解できます。例えば、「断らない相談支援においては、本人や家族を包括的に受け止めるためのインテークの方法や、課題を解きほぐすアセスメントの視点、さらに市町村全体でチームによる支援を行うための総合調整等に関する手法・知識が求められる」と書かれていますが、このような手法・知識を持っているのはソーシャルワーカーです(24頁)。

しかし、驚いたことに、Ⅳでは、社会福祉士や精神保健福祉士という個別資格名だけでなく、「ソーシャルワーカー」という総称もまったく使っていません。「最終とりまとめ」全体も、「専門職」という用語は19回も使っている反面、「ソーシャルワーカー」という表現は一度も使っていません。実は、2019年11月18日に公開された「最終とりまとめ(素案)」は「福祉専門職」という表現を1回使っていたのですが、それも削除されました。

この点は、上述したように、地域力強化検討会「最終とりまとめ」が「ソーシャルワークの5つの機能」を明記するなど、ソーシャルワーク、ソーシャルワーカーの役割を強調していたのと対照的です。地域共生社会推進検討会の構成員19人のうち6人は地域力強化検討会の構成員でもあっただけに、この「断絶」・「後退」は私には理解できません。

公平のために言えば、上述したように、5頁には「保健医療福祉等の専門職による対人支援」という表現が1回使われているし、私も「最終とりまとめ」で書かれている様々な「支援」をソーシャルワーカーだけでなく、ケアマネージャー、保健師・看護師等、地域医療・地域福祉の様々な専門職が担っていることはよく知っています。しかし、「福祉の政策領域における地域共生社会」づくり(3頁)、「福祉政策の新たなアプローチ」(30頁)で「福祉の対人支援」(30頁)を中心的に担う人材はソーシャルワーカーであると考えます。

なお、日本ソーシャルワーク教育学校連盟(ソ教連。会長・白澤政和国際医療福祉大学教授)は、「最終とりまとめ」公表直後の2019年12月27日に、「専門職による対人支援」・3つの機能をソーシャルワーカーが担うと解釈し、それに沿った社会福祉士や精神保健福祉士のソーシャルワーカー養成を進めるとの「声明」を発表しました。私は、このような機敏で前向きな対応は大変好ましいと思いました。それに対して、日本社会福祉士会が見解を発表したのは「最終とりまとめ」公表後1か月以上経った本年1月30日であり、しかもソーシャルワーカー専門職の記載がないことには触れませんでした。他のソーシャルワーカー団体は「最終とりまとめ」に対する見解を発表しませんでした。

5 改正社会福祉法の参議院附帯決議に「社会福祉士や精神保健福祉士の活用」が明記(4)

5番目に、本年6月に成立した改正社会福祉法の参議院附帯決議に、重層的支援体制整備事業に「社会福祉士や精神保健福祉士の活用」が含まれた意義について述べます。

その前に、「地域共生社会の実現のための社会福祉法等の一部を改正する法律」(2021年4月施行)の簡単なおさらいをします。本法は、社会福祉法改正を中心に11本の法改正を一括しており、その中心は市町村における包括的な支援体制の整備を行う「重層的支援体制整備事業の創設及びその財政支援」ですが、それ以外に、社会福祉連携推進法人制度の創設や、介護福祉士養成施設卒業者への国家試験義務づけの経過措置の5年間の延長等が含まれています。

私は、本法に対する参議院の「附帯決議」(全6項)の第1項の最後に、重層的支援体制整備「事業を実施するに当たっては、社会福祉士や精神保健福祉士が活用されるよう努めること」と記載されたことに注目しました。「はじめに」で述べたように、地域共生社会関係の公式文書に両国家資格が明記されたのはこれが初めてです。本法の衆議院の附帯決議にはこの内容は含まれておらず、谷内繁社会・援護局長は衆議院厚生労働委員会で、重層的支援を行う職種について「社会福祉士、保健師等の専門職種による対応がベースになる」と答弁していました。つまり、この時点では、精神保健福祉士は想定されていませんでした。「等」には社会福祉主事が想定されていたようです。

それだけに、参議院附帯決議に、「社会福祉士や精神保健福祉士が活用されるよう努める」と「等」抜きで記載されたことは画期的で、これはソーシャルケアサービス研究協議会(代表・白澤政和氏)が与野党の国会議員に対してねばり強い陳情を行った成果と言われています。

今後は、ソーシャルワーカー団体が、この附帯決議を武器にして、重層的支援体制整備事業で社会福祉士や精神保健福祉士の活用が進むよう、市町村に積極的に働きかけることが期待されます。

おわりに-厚生労働省、社会・援護局はなぜ社会福祉士資格について<冷たい>のか?

以上、2015年の「新福祉ビジョン」から本年の改正社会福祉法に至るまで、社会福祉士・精神保健福祉士がいかに位置づけられてこなかったかを跡付けるとともに、改正社会福祉法の参議院附帯決議の意義について述べてきました。

最後に、私が、この間ずっと抱いている率直な疑問-厚生労働省、社会・援護局はなぜ社会福祉士資格について<冷たい>のか?-について、私見を述べます。

私の<冷たさ>への気づき

まず、私の<冷たさ>への気づきについて述べます。私がこのことを最初に感じたのは、「新福祉ビジョン」で、社会福祉士について、「専門的知識及び技術をもって、福祉に関する相談に応じ、助言、指導、関係者との連絡・調整その他の援助を行う者として位置づけられている社会福祉士については、複合的な課題を抱える者」=実際にこれらの業務を行っているとは明示しない、突き放した表現が用いられていたことです。私はこれを読んだ時「カルチャーショック」を受けました。というのは、医療職では、このような記述は考えられないからです。例えば、看護師について「『療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者』として位置づけられている看護師」と書くことです。社会福祉士が制度化された直後ならともかく、制度化されて30年近く経ってもこう書かれることは、厚生労働省(社会・援護局)の社会福祉士に対する認知度・位置づけの低さを象徴していると感じました。

地域共生社会推進検討会「最終とりまとめ」を読んだ時は、それに社会福祉士や精神保健福祉士、ソーシャルワーカーの記載がないのは、ソーシャルワーカーの採用で負担増になる市町村が反対したため、またはソーシャルワーカーの役割を軽視している研究者の構成員が難色を示したためと思いました。しかし、その後、社会・援護局(の担当者)自体が、ソーシャルワーカー等の記載にきわめて消極的であることを知りました。改正社会福祉法の参議院附帯決議についても、社会・援護局(の担当者)は「社会福祉士や精神保健福祉士の活用」と職種を限定した表現にすることに消極的だったとも聞いています。

厚生労働省、社会・援護局が社会福祉士資格について<冷たい>理由

そこで、厚生労働省関係者または同省社会・援護局の内情を熟知している関係者の友人に、<冷たい>理由について非公式に問い合わせました。以下は、その回答を踏まえた私なりのまとめです。

そもそも1987年に成立した社会福祉士・介護福祉士法の主目的は介護福祉士の制度化で、社会福祉士の制度化は副次的でした。2007年の同法改正も主眼は介護福祉士でした。

残念ながら社会・援護局としてのソーシャルワーカーの位置づけについての明確な方針はなく、時々に設置される検討会の構成員と事務担当者のスタンスによって、報告書のソーシャルワーカーの位置づけが変わるようです。その一端は、地域力強化検討会「最終とりまとめ」がソーシャルワーカーの役割を強調していたのに対して、地域共生社会推進検討会「最終とりまとめ」がソーシャルワーカーという用語自体を抹消していたことからもうかがえます。

社会・援護局の各課の内情も複雑です。例えば、福祉専門職を担当する福祉基盤課福祉人材確保対策室は、介護人材の確保にしか関心がなく、しかも福祉基盤課は、社会福祉法人経営団体の意向に沿いやすく、同団体は有資格者採用に伴う負担増に消極的なようです。地域共生社会を担当するのは「地域福祉課」ですが、担当者は住民参加でそれを進める意向が強く(誰でもよいので、地域福祉・地域共生社会の担い手を増やしたい)、ソーシャルワーカーの役割強化には消極的なようです。

社会・援護局および各課・室の以上の認識の大前提として、社会福祉士の役割について肯定的に理解している官僚は、残念ながらごく少ないようです。

<冷たさ>にはソーシャルワーカー団体とソーシャルワーク研究者側にも責任がある

ただし、私は厚生労働省、社会・援護局の「冷たさ」にはソーシャルワーカー団体とソーシャルワーク研究者の側にも責任があると思っています。それは以下の2つです。

①ソーシャルワーカーの専門職団体が、ソーシャルワーカーに関わる厚生労働省の時々の福祉施策や各種審議会・検討会の文書について機敏な態度表明を怠るだけでなく、専門職の役割についての「説明責任」を十分に果たしてこなかった。

②専門職団体または研究者による、ソーシャルワーカーの「役割」やソーシャルワークの「効果」についての実証研究(特に量的研究・「見える化」)が決定的に不足している。この点について、ある厚生労働省OBは以下のように述べています。「役人は目に見えるものしか評価できません。専門職として効果を見える形で示さない限り、役人は理解できません」。

これら①・②については、日本医師会等を中心とした医療専門職団体、および医療政策研究者と雲泥の差があると言わざるを得ません。

②について、少し補足します。私の長年の医療政策についての経験に基づけば、政策に影響を与えられるのは量的研究で、この点に限れば「質的研究」は無力と言えます。もっと具体的に言えば、量的研究のうち政策に役立つのはクロス表等を用いた、誰でも容易に理解できる研究であり、多変量解析を用いた高度な量的研究は現実の政策形成にはほとんど役立ちません。理由は簡単で、高度な手法を用いた難解な研究は政策担当者が理解できないからです。量的研究以外にも、先駆的活動をしている団体・個人の実践報告=「見える化」は有効です。なお、私は学術研究としての質的研究の意義は否定しませんが、私の指導している大学院生や若手研究者には「混合研究法」(量的研究と質的研究の併用・統合)を推奨しています。

最後の最後に、私が注目・期待している最近の新しい動き-日本ソーシャルワーカー連盟とソ教連との2つの「共同声明」-について述べます(2つともウェブ上に公開)。

1つは、上述した参議院附帯決議に対する両団体の共同声明「地域共生社会の実現に向けた社会福祉士及び精神保健福祉士の活用に関する附帯決議に対する声明」(6月12日)です。これは附帯決議がなされた6月4日のわずか8日後に公表され、内容も大変良くまとまっていると感じました。もう1つは、生活保護基準引き下げを巡る訴訟の名古屋地裁判決についての両団体の共同声明「生活保護基準引き下げを巡る訴訟判決についての声明」(7月17日)です。私はこの内容に異論はありませんが、6月25日の判決後、3週間も経ってからの発表では「スピード感」に欠けると思います。

今後も、日本ソーシャルワーカー連盟がソ教連と共同して、政府・厚生労働省等の政策文書に対する見解を機敏に発信すると共に、ソーシャルワークの効果やソーシャルワーカーの役割についての、量的研究を中心とした調査・研究を積極的に行うことを期待しています。

文献

[本稿は8月9日に日本ソーシャルワーカー連盟主催の講演会で行った同名の講演の講演録(8月11日同連盟のHPに公開:http://jfsw.org/2020/08/11/1889/)を、「はじめに」を中心に一部圧縮したものです。]

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6.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算175回)(2020年分その7:7論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○社会正義、トリアージ、及びCOVID-19-延命年数を無視せよ
Stone JR, et al: Social justice, triage, and COVID-19 Ignore life-years saved. Medical Care 58(7):579-581,2020[評論]

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックは一部の医療制度に対して、治療資源の制約を理由にした、誰が生き、誰が死ぬかの選択を強いている。治療資源の不足のために、救命処置(人工呼吸器装着等)が必要な患者のうち、誰がそれを受け、誰が支持的ケアだけを受けるかのトリアージが必要になっている。その後、予後が良いと思われる患者が到着した場合、予後の悪い患者の延命治療を中断するという恐ろしい選択も起こりうる。

私は、トリアージの意思決定では、退院後短期間の延命を超えた、救命される年数を考慮すべきではないと主張する。その理由は以下の通りである。①歴史的かつ現存する不平等が日常的に不利な扱いを受けている人々(人種/エスニック・マイノリティー等)の予想延命年数を減らしている。②正義は不平等をさらに拡大する政策を避けることを求めている。③予想される延命年数に基づいて優先順位をつけることは、現存する不平等を悪化させる。関連する正義の議論は、意思決定者に多様な人々が加わることを支持する。これらの議論の倫理的枠組みは社会的正義であり、それは個人と人々の平等で実質的倫理的価値を尊重することを基礎にしている。

二木コメント-新型コロナの感染爆発を契機にして、各国で「命の選別」、トリアージが話題となり、そのための原則が提起されていることに対する、原理的批判です。本文の最初では、Emanuel EJ, et al: Fair allocation of scarce medical resources in the time of COVID-19[コロナの時代における稀少な医療資源の公正な配分](NEJM March 23, 2020, at NEJM.org.ウェブ上に全文公開)が提起した6つの勧告が俎上にあげられています。ただし、Stoneはトリアージを全否定しているわけではなく、退院後短期間の生命予後の予想に基づいてトリアージを行うことは許容しておらず、高齢者より若年者を優先することも条件付きで容認しています。本論文とEmanuel論文は、COVID-19感染爆発におけるトリアージを考えるための必読文献と思います(StoneもEmanuel論文を読むことを推奨しています)。

私自身は、既存の医療資源の制約を前提にして「命の選別]、トリアージの議論をするのは一面的であり、提供できる医療資源を大幅に増やす選択肢も含むべきと考えています。特に、大量生産やイノベーションでコストダウンが可能な物的医療技術(医薬品や医療機器)では、これが第一選択になると思います。

この点についての好例は血液透析です。1960年代初頭の血液透析の黎明期には、アメリカでも血液透析機器が極度に不足していたため、一部の病院では、様々な職種の非医師で構成される覆面委員会(「神の委員会」)が組織され、透析を希望する個々の腎不全患者の医学的条件だけでなく、社会経済的条件や意欲なども考慮して、透析導入する患者を決めました。しかし、血液透析が普及し、腎不全患者全員がそれを受けられるようになった後は、そのような委員会は不要になりました(文献例:李啓充『市場原理が医療を亡ぼす-アメリカの失敗』医学書院,2004,第1部Ⅳ「神の委員会」。初出の『週刊医学界新聞』の記事はウェブ上に公開)。

○[カナダ・オンタリオ州での]終末期の在宅ケアに投資し地域での死亡を可能にする事業の費用対効果
Isenberg SR, et al: Cost-effectiveness of investment in end-of-life home care to enable death in community settings. Medical Care 58(8):665-673,2020[量的研究]

終末期疾患を持つ多くの人々が、急性期病院よりも、自宅かそれに類似した場所(home-like settings)-ケアホーム、ホスピス、緩和ケアユニットを含む-で死ぬことを希望している。居宅基盤の緩和ケアサービスは地域での死亡確率を増やせるが、これらのサービスは通常ケアにくらべて費用を増加させる可能性がある。本研究の目的は、カナダ・オンタリオ州の終末期在宅ケアに登録され、2011-2015年に死亡した患者の地域での死亡1人当たりの増分費用(incremental cost)を推計することである。

ポピュレーションベースの50,068人の高齢者のコホートを用いて、死亡前90日間の総費用を計算し、終末期在宅ケアに登録した25,034人の地域での死亡を実現するための増分費用を、プロペンシティ・スコアでマッチングした死亡前90日間に在宅ケアサービスを受けず通常ケアを受けて死亡した25,034人の費用と比較した。オンタリオ州の公的制度では在宅ケア・ケースケアマネージャーが患者の在宅サービスのニーズを判定し、看護師、緩和ナース・プラクティショナー、対人支援従事者、その他の専門サービスを手配している。

終末期在宅ケアの受給者は対照群に比べて、地域での死亡割合が3倍高く(66.8%対25.2%)、追加的な地域死亡を実現するための終末期在宅ケアの増分費用は995カナダドルであった(90%信頼区間:-547ドル~2392ドル)。この結果は終末期在宅ケアへのわずかの(modest)投資により、地域居住の高齢者が望んでいない急性期病院での死亡を減らせる可能性を示唆している。

二木コメント-リアルデータを用いて、地域での死亡を促進するための追加的在宅ケアサービスの費用対効果を計算した世界初の研究です。地域での死亡を増やすためには費用がかかることを当然の前提にして、両群の平均費用ではなく、地域での死亡を増やすための「追加的費用」「増分費用」を計算しているのは優れていると思います。ただし、死亡場所の区分は「急性期病院」と「地域」の2つだけで、後者の内訳は示されていません。

○[アメリカの]医療[大量利用者]のホットスポッティング-ランダム化比較試験
Finkelstein A, et al: Health care hotspotting - A randomized controlled trial.
NEJM 382(2):152-162,2020[量的研究]

医療大量利用者(superutilizers.医療サービスを大量に利用する患者)の医療費を抑制しつつ医療の質を改善することを目指したプログラムへの関心が広がっている。キャムデン医療提供者連合(以下、連合)が創設した「ホットスポッティング」プログラムは、有望な医療大量利用患者支援(intervention)として全国的に関心を集め、アメリカの他市でも実施されている。病院退院後の数か月間、看護師、准看護師、ソーシャルワーカー、地域保健従事者(community health workers)、ヘルス・コーチのチームが登録患者を訪問し、外来医療を調整したり、患者を社会サービスに結びつけたりする。医学的・社会的に複雑な課題を抱えており、しかも今回の入院前半年間にも最低限1回入院したことのある退院患者800人をランダムに、連合のケア移行プログラム参加群と通常ケア群に割り振った(最終的にはそれぞれ393人、389人)。主要アウトカムは退院後180日以内の再入院とした。

退院後180日以内の再入院率は参加群62.3%、対照群61.7%であり、両群間の調整済みの差は有意ではなかった(0.82%ポイント;95%信頼区間 -5.97-7.61)。この結果と対照的に、参加群のみを対象にして、登録前後6か月間入院率を比較したところ、38%ポイントも低下しているように見えたが、これは対照群でも同じ期間に再入院率が低下していることを考慮しなかったための誤りであった。以上から、医療大量利用者に対するランダム化比較試験で、連合のプログラム参加群の再入院率は対照群に比べて低くはなかったと結論づけられる。

二木コメント-退院後支援プログラムの職種にソーシャルワーカーも入っている珍しい研究です。これは、アメリカの臨床医学でも、近年「健康の社会的決定要因」が重視されるようになっていることの現れと思います。再入院を指標にした退院後支援プログラムの効果がなかったという残念な結果ですが、患者満足度等他の指標も用いたら、違う結果が出たかもしれないと思います。それにしても、アメリカにおける急性期病院退院後半年以内の再入院率が両群とも6割を超える高さであることには驚かされ、これはアメリカにおける早すぎる退院の弊害かもしれないと感じました。

○ヨーロッパの虚弱高齢者は[医療・長期ケア]ニーズが多いか?SPRINTデータから得られた最初のエビデンス
Sicsic J, et al: Are frail elderly people in Europe high-need subjects? First evidence from the SPRINT data. Health Policy 124(8):865-872,2020[量的研究・国際比較研究]

身体的フレイルとサルコペニア(筋肉減少症)(以下、PF&S)に対する関心が、医療利用の実証モデルで強まっている。しかし、PF&Sの客観的尺度に焦点を当てて、要介護状態になるリスクのある虚弱高齢者のケア消費の程度を評価した論文はほとんどない。高齢者のPF&Sに注目したSPRINT研究プロジェクトから得られたベースライン・データを用い、ヨーロッパ11か国から集められた地域居住の70歳以上の高齢者1518人を標本として、5つのPF&S指標と医療・長期ケア利用との関連を分析した。個々人の様々な特性と国の違いを固定効果として調整した線形確率モデルを用いて、多数の医療・長期ケアアウトカムをモデル化した。

その結果、PF&Sは救急外来受診及び入院の増加と有意に関連しており、この関連は特に低所得高齢者で強かった。すべてのPF&S指標はフォーマル及びインフォーマルな長期ケア利用の増加と有意に関連していた。所得が長期ケア利用に与える影響を和らげる要因があった:低所得の虚弱高齢者は高所得の虚弱高齢者より、どんな種類のフォーマルケアもたくさん利用していた。以上の結果は、統計モデルを変えても頑健であった。この結果は、PF&Sの要素を公的長期ケア給付の受給資格基準に加えることが、地域に居住しているヨーロッパの高齢者のケア利用における経済的勾配の減少に寄与しうることを示唆している。

二木コメント-地域居住高齢者のPF&Sに注目した、緻密な分析です。執筆者によると、本論文は、PF&Sの客観的指標に筋肉量(muscle mass)も加え、それとケア利用との相関を検討した最初の報告だそうです。

○診療時間外のプライマリケアへのアクセス改善が救急外来とプライマリケアの利用に与える影響:体系的文献レビュー
Hong M, et al: The impact of improved access to after-hours primary care on emergency department and primary care utilization: A systematic review. Health Policy 124(8):812-818,2020[文献レビュー]

診療時間外のプライマリケアのアクセスには多くの先進国で問題があるため、患者は非救急疾患でも病院の救急外来を受診するようになっている。しかし、プライマリケアの場で治療可能な疾患での救急外来利用は、救急外来の混雑と医療費増加を招いている可能性がある。本体系的文献レビューは、先進国で診療時間外のプライマリケアへのアクセスを改善するために行われている様々な事業が、救急外来とプライマリケアの利用に与える影響を検証する。診療時間外のプライマリケアへのアクセス改善についての文献を、CINAHL、EMBASE、MEDLINE、Scopusを用いて検索した。アクセス改善が救急外来利用に与える影響を検証した20論文と、アクセス改善がプライマリケア利用に与えた影響を検証した6論文を同定した。

診療時間外のプライマリケアへのアクセス改善はプライマリケア利用の増加と関連していたが、救急外来利用との関連はいろいろであり、非救急または準救急(semi-urgent)救急外来受診減少については限定的エビデンスしか得られなかった。本レビューは診療時間外のプライマリケアへのアクセス改善が、特定の制度的条件下では、患者の診療を救急外来からプライマリケアにシフトすることにより、救急外来利用を減らす可能性を示唆しているが、時間外プライマリケアへのアクセスを改善する事業を導入する前に、特定の制度的状況の下での厳格な研究が求められる。

二木コメント-本論文は、執筆者によると、診療時間外のプライマリケアへのアクセス改善と救急外来・プライマリケア利用とのリンクを明示的に検証した初めての体系的文献レビューだそうです。プライマリケア利用が増大するのは当たり前ですが、救急外来利用が必ずしも抑制されないことは、この事業によりプライマリケアと救急外来の両方を合わせた医療費は増加することが多いことを示唆しています。

○イングランドにおける病床利用率の高さが再入院率に与える含意:時系列研究
Friebel R, et al: The implications of high bed occupancy rates on readmission rates in England: A longitudinal study. Health Policy 123(8):765-772,2019[量的研究]

※本論文のみ2019年発表。

イングランドNHSの急性期病院の病床利用率は漸増し、2006/07年度の84.5%から2017年第1四半期の91.4%となり、臨床的に安全ではないと見なされるレベルに達している。本研究は病床利用率の上昇と一晩の仮入院で退院した患者の割合、およびそのような患者の退院後30日以内の再入院との関連を評価する。時系列パネルデータ法により、イングランド全体の専門病院を除く全急性期病院Trust136の2014年4月~2016年月の二次データ(n=4,193,590)を分析した。調査期間中の平均病床利用率は90.4%であった

1%の病床利用率上昇は仮入院後退院率の0.49%増加、退院後30日以内の再入院の0.011%増加と関連していた。このような関連は病床利用率が95%を超えるとより顕著になった。病床利用率が高い時、病院はより多くの患者を退院させていた。それらの患者の多くは比較的若年か、合併症の数が少ない患者であり、このことは病院が軽症患者を優先的に退院させていることを示唆している。対象全体では、病床利用率の上昇は退院後30日以内の再入院とわずかしか関連していなかったが、65歳以上の高齢者と合併症が4つ以上ある患者のサブグループで再分析を行ったところ、両グループでは病床利用率率の高さは再入院率の高さと関連していた。このことは退院プロセスに欠陥があることを示唆している。

二木コメント-400万人以上のビッグデータを用いた、イングランドNHSならではの実証研究です。対象全体の分析に加えて、サブグループ(高齢者、合併症の多い患者)の分析も必要なことがよく分かります。

○誰との連帯か?台湾の医療制度の連帯の境界問題と倫理的起源
Yeh M-J, et al: Solidarity with whom? The boundary problem and the ethical origins of solidarity of the health system in Taiwan. Health Care Analysis 28(2):176-192,2020[理論研究]

公的資金で賄われている医療制度-それには、国民保健サービスと社会保険、台湾の「国民健康保険」を含む-には、健康面での連帯が制度化されている。ヨーロッパでは、連帯の起源は労働運動の遺産、ユダヤ教・キリスト教の伝統、及び第二次世界大戦後の再建期のナショナリズム感情である。日本、台湾、韓国のような東アジアの中・高所得国では、医療制度はそれとは別の基盤の上に作られ、ヨーロッパ的な倫理的起源を持っていない。ヨーロッパと東アジアの医療制度は共に、人口高齢化、経済の停滞、(医療保障の対象人口の)境界の変化、及び医療技術の進歩により、持続可能性の危機に直面している。そのため、ヨーロッパの医療制度で連帯に基づく倫理的伝統をどのように再活性化するか、ヨーロッパ的伝統のない国の医療制度をどのように持続させるかは、理論的に興味深い問題になると同時に、緊急に対処すべき政策的課題にもなっている。

最近の連帯の諸理論を援用しながら、本論文は境界問題とそれが台湾の医療制度の持続可能性に与える影響を分析する。次に、台湾の連帯の起源の2つの候補を検討する。1つは再興した市民的ナショナリズムであり、もう1つは日常的生活のエートス(an ethos of common life)である。台湾の国民健康保険は、導入されてから年を経ることによって、社会的価値規範と市民の生活習慣を形作り、日常生活のエートスを形成した可能性がある。そのようなエートスは、非西欧社会における連帯の倫理的起源でありうるし、持続性危機の中にあって医療制度が存続するのを助けることができる。

二木コメント-国民健康保険(皆保険制度)が定着するなかで、市民の「日常生活のエートス」となり、それが西欧的連帯の起源のない台湾で、連帯の倫理的基礎になっているという立論・仮説はやや同語反復的ですが、興味深いと感じました。手前味噌ですが、この立論は、「国民皆保険制度が医療(保障)制度の枠を超えて、日本社会の統合を維持するための最後の砦になっている」との私の主張と重なると感じました(『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』勁草書房,2019,序章)。

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7.私の好きな名言・警句の紹介(その190)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<安倍晋三首相(当時)と菅義偉新首相の衆議院議員・内閣官房長官時代の名言・他>

<その他>

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