総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻202号)』(転載)

二木立

発行日2021年05月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1.論文「医療保険の一部負担は究極的には全年齢で廃止すべきとなぜ考えるか?」を『日本医事新報』2021年5月1日号に掲載します。本「ニューズレター」203号に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読みください。

2.本「ニューズレター」201号に添付した「研究についての名言クイズ46問(2021年度版)」の答えは以下の通りです。
暗記、模倣、観察、/発見、ただのバカ/確信(または信念)、自己懐疑、正しい/独学、現場/自信、変わる、価値観、批判、事実/仮説、書き直さ、仮説、失敗/continuation・続ける、惰性/論文、量、執筆量/あきらめ、小さく、弁解、批判/退屈、道楽的、日曜日/進歩、無理/勉強、スマート/忙しい、忙しく、忙しい/重要度、社会性/ひとりで、楽しむ、好き/雑用/他流試合/恋心



1. 論文:「医療の鉄の三角形」説の文献学的検討 -アメリカのローカルな仮説で実証もされていない

(「二木教授の医療時評(190)」『文化連情報』2021年5月号(518号):18-23頁)

はじめに-「医療のトリレンマ」説の初出文献が分かった

少し古い話で恐縮ですが、私は本誌2019年12月号の「医療時評(174)」で、「医療の質、アクセス、費用の3つを同時に満たすことはできない」との通説(トリレンマ説)を検討し、以下の3点が分かったと述べました(1)。<①トリレンマ説は「詠み人知らず」の通説・俗説で、明確な根拠を示した文献はない。②トリレンマ説に対する「反証」はいくつも存在する。③医療政策の目標には上記3つ以外にも、さまざまなものが提案されている。>

①に関して、昨年11月25日、髙山一夫京都橘大学教授(医療経済学)から、英語版のWikipediaには、トリレンマ説と同意の"Iron Triangle of Health Care"(「医療の鉄の三角形」)があり、それの提唱者はキシック(Kissick)氏であると明記されていると教えていただきました(2)。そこで、キシック氏がこの概念を初めて提起した著書"Medicine's Dilemmas"(1994。以下『医療のジレンマ』)を読みました(3)。併せて、Wikipediaで引用されている他の5文献、及びPubMed(米国国立医学図書館が公開している医学・生物学文献データベース)で検索したこの概念が用いられている32論文を検討しました。さらに、同じくPubMedで"cost" "quality" "access" の3語すべてを含む文献を検索しました。

その結果、「医療の鉄の三角形」説は、「医療のトリレンマ」説と同意であり、それが「詠み人知らず」とは言えないことが分かりました。他面、「医療のトリレンマ」説の根拠を実証的または理論的に説明した文献は、キシック氏の原著を含めて、ないことも確認しました。以下、その探索プロセスを述べます。

『医療のジレンマ』の「鉄の三角形」の説明

『医療のジレンマ』の著者のキシック氏は、1965年にジョンソン政権が導入したメディケアの設計に中心的に関わり、「メディケアの父」とも呼ばれている高名な医師で、本書出版時、ペンシルベニア大学の医学部と経営大学院の両方の教授を務めていました(2013年死去)。氏は、クリントン政権が目指した国民皆保険が1993年に頓挫した翌年に本書を出版しました。「医療の鉄の三角形」は、本書の第1章「誰かが支払わなければならない」の2頁で、以下のように簡単に(英文で10行)書かれていました。

「我々の社会の黄金律は誰もが最高の医療を受けるに値するであるが、それには誰かがその費用を支払うという条件がつく。しかし、私が医療の鉄の三角形と呼ぶものにおいては、アクセス、質と費用抑制は同等のアングル(角度)を持っており、それらは同一の優先順位であり、どの1つのアングルの拡大も残りの1つまたは2つを損なう。すべての社会は医療のアクセス、医療の質、及び費用抑制の間の共通の緊張状態に直面している。トレードオフは、三角形の大きさにかかわらず、不可避である。それらは、資源の配分や配給と呼ぼうが、我々の社会が行わなければならない選択である」。そして、3頁に、鉄の三角形の簡単な絵が示されていました。

第1章は、その後、20世紀のアメリカ医療の展開を回顧し、医療技術の進歩が医療費の高騰を招いたこと、それに対応して出来高払いの民間保険が発展したことを「質的」に記述しました。

私は、3つのアングルを同等に扱うのは、国民皆保険制度がないアメリカでの歴史的経験に基づいていると感じました。しかし、他国の経験に全く触れず、「医療の鉄の三角形」は「すべての社会が行わなければならない選択」と一般化するのは、アメリカ人らしい傲慢さの現れと言えます。

なお、本書の意図や各章の構成について説明した序文では、「医療の鉄の三角形」という用語はまったく使われていませんでした。実は私は、当初、書名の『医療のジレンマ』が「医療の鉄の三角形」を意味すると思ったのですが、それは誤解でした。序文によると、「医療のジレンマ」とは、キシック氏が1968年に医学部と経営大学院の両方の教授になった直後に聞いた、「救命や病気の治療のためには医療費が高すぎることはない」という医学部教員の発想と、「資源は限られていて選択をしなければならない」という経営大学院の教員の発想との「ジレンマ」を指していました。本書の副題も「無限のニーズ対有限な資源」(infinite needs versus finite resources)という通俗的なものです。

以上から、キシック氏は「医療の鉄の三角形」という新語を造ったけれども、その扱いはごく軽く、いわばキャッチフレーズ的に使っているだけで、その根拠は説明していないと言えます。この点では、「医療時評(174)」で紹介した、オレゴン州のメディケイド管理部局の額に入れられていたとされる標語「コストとアクセスと医療の質。このうち、2つまでなら選んでも良い」と同レベルです。この標語はキシック氏の「医療の鉄の三角形」説を踏まえたものかもしれません。

Wikipediaでも「鉄の三角形」の根拠の説明なし

次に、Wikipediaの「医療の鉄の三角形」(以下、「鉄の三角形」)に示されていたキシック氏の原著以外の5文献を読みました。これらはすべて教科書または評論・解説で、研究論文はありませんでした。しかもそのうち3文献は、「鉄の三角形」の簡単な説明をしているだけでした。例えば、『アメリカの医療制度の基礎[第2版]』の第1章の最後の見出しは「鉄の三角形を使ってあなたの医療システムを評価する」で、「鉄の三角形」が21行説明されており、文献としてはキシック氏の著書のみが示されていました(4)。もちろん、それの根拠は書かれていません。

この本の説明には2つの特徴があります。1つは、「医療システム」にはマクロの「巨大な医療提供制度」だけでなく、読者が日常的に利用するミクロの「医療提供システム」(日本流に言えば、個々の医療機関)を同列で含んでいいること。もう1つは、「鉄の三角形」が、主として、三つの概念の「バランス」をとることが重要という形で、説明されていることです。バランスという用語は21行の中で3回も使われています。第1章の最後では、次のように書かれています。「リーダーは、鉄の三角形を用いて、アクセス、費用、及び質の間のバランスが確保されているかを確認しながら、われれわれの医療制度の評価を続ける必要がある」(13頁)。しかし、3つの概念の「バランスをとる」との説明は、キシック氏のオリジナルな説明(3つは同時に達成できない)とは異なります。

残りの2文献は、「鉄の三角形に対する批判」という小見出しのパラグラフで示されていました。1つはデイビス氏の「医療の鉄の三角形は法則ではなく、観察にすぎない」で、旅行やコンピュータの例をあげ、「クリステンセンの[破壊的イノベーション・]モデルに基づけば、医療は鉄の三角形を打ち破り、それが法則ではなく観察であることを示すと予測できる」と主張していました(5)

もう1つは、司法省の「現在の医療制度の課題」についての公式の包括的な説明で、「鉄の三角形」は、Ⅱ「競争を制限する医療市場の特徴」のD「費用、質、アクセス:トレードオフの鉄の三角形」で出てきます(6)。ここでも引用されている文献はキシック氏の原著のみです。意外なことに、説明の第2パラグラフでは、「そのようなトレードオフは、当然のことながら、いつも求められるわけではない」と明記し、その例を以下のように示していました。「例えば、医療提供者への支払いを提供されるサービスの質に結びつけると、提供者が費用抑制と質改善を行うインセンティブを改善しうる。質の改善はまた、不必要なサービスを減らしたり、慢性疾患の消費者(患者)のマネジメントをもっと費用効果的にすることにより、費用を抑制しうる。競争にはこれらの目的を達成する上で重要な役割がある」。これらは、「鉄の三角形」説の部分否定と言えます。

PubMedの32論文でも同じ結果

最後に、PubMedで"iron triangle of health care"の検索を行い、ヒットした32論文のAbstractまたは全文を読みました(本年2月2日アクセス)。ただし、32論文のうち、11論文は「鉄の三角形」を使っていませんでした(「鉄分の摂取」等)。6論文は「鉄の三角形」を全く別の意味で使っていました(「日本医療の鉄の三角形(日本医師会と与党と官僚)」、「クリントン医療改革に反対する鉄の三角形(医師会と民間保険と産業界)」等)。

その結果、キシック氏的な「鉄の三角形」を用いている論文は15論文に減りましたが、そのうち7論文はPubMedでは論文名のみしか示されないか、Abstractがごく短く、短文のコラムと思われました。残り8論文のうち、「鉄の三角形」を肯定しているのは2論文に過ぎず、いずれもその根拠は示していませんでした。例えば、レーマン氏は「オバマケアは鉄の三角形の破壊を目指したが、それは決して破られない」と主張していました(7)

逆に、残りの6論文は「鉄の三角形」を相対化するか、批判していました。その1つは、Wikipediaでも引用されていたデイビス氏の評論でした(5)。実証研究に近い論文は2つありました。1つはロボット支援脊椎手術の文献レビューで、同手術が鉄の三角形すべてを満足させると主張していました(8)。もう1つは「テレメディスンの報酬支払い」についての総説で、テレメディスンが鉄の三角形の制約を緩める可能性があり、それを示唆する実証研究もあると主張していました(9)

PubMedを用いた別の検索

実は、私は、髙山氏に「鉄の三角形」について教えていただく直前の昨年11月23日、PubMedを用いて、トリレンマ説の根拠文献をいろいろ探していました。具体的には、まず、"cost" "quality" "access""trilemma"の4語すべてを含む文献を検索しましたが、ヒットしませんでした。次に、"cost" "quality" "access" "tradeoff"の4語すべてを含む文献を検索したところ、91件ヒットしました。それらの大半は費用と質のトレードオフを論じており、三者の間に「トレードオフ」の関係があると主張する文献はありませんでした。

最後に、"cost" "quality" "access"の3語すべてを含む文献を検索したところ、2758件もヒットしました。そのうち、最初の60の論文名とAbstractをチェックした結果、以下のことが分かりました。①「費用、質、アクセスの観点から」分析した論文はいくつもありましたが、それら3つが両立しないと書いているものはありませんでした。②逆に、三者のバランスをとることの重要性を強調している論文や、費用を抑制しつつアクセスを改善し、質も維持できると主張している論文は少なくありませんでした。③三者以外に重要な医療の目標もあると指摘している論文もありました。

②のうち私が注目した実証研究論文は以下の3つです。クリステンセン等は、患者中心のメディカルホームは費用を抑制しつつ、アクセスと質を維持・改善することを示しました(10)。クラーク等は、医療リテラシーの向上は医療のアクセス、質及び費用の3目標を改善することを示しました(11)。フィッシャー等は、大腸・直腸がん検診は費用を抑制しつつ、アクセスを改善し、質を維持することを示しました(12)。ただし、これらはすべて個別の医療分野の検討です。

おわりに-「鉄の三角形」はアメリカのローカルな仮説

以上の検討から、キシック氏が提唱した「鉄の三角形」説は、アメリカではそれなりに知られてはいるが、広く使われているとまでは言えず、しかも根拠を実証的または理論的に示した文献はなく、逆にそれに対する批判や反論も少なくないと結論づけられます。明確な根拠が示されない「鉄の三角形」説が現在もそれなりに用いられている理由の一つは、「メディケアの父」と呼ばれたほど高名なキシック氏が提唱したためと、私は想像しています。権威者・カリスマの提唱を無批判に(「忖度」して)使うのは日本の「専売特許」ではないようです。

今回の文献検索で気付いたことがもう1つあります。それは、「鉄の三角形」説に言及した文献のほとんどがアメリカの文献であることです。PubMedにはアメリカ以外の英語圏(イギリス、カナダ等)の文献だけでなく、英語の要旨が付けられている非英語文献も収録されていますが、アメリカ以外の文献で「鉄の三角形」に言及した文献はほとんどありませんでした。日本語文献で、トリレンマ説の根拠を示した文献がないことは「医療時評(174)」で述べました。

私は「医療時評(174)」の「おわりに」で、次のように書きました。<私は、トリレンマ説は、日本医療の歴史と現実から導き出されたものではなく、国民皆保険制度をいまだに持たない唯一の高所得国・アメリカで生まれたいわば「ローカル」な仮説であり、それを日本に直輸入すべきではないし、できないと感じています。/なぜなら、アメリカ以外の高所得国では、全国民またはほとんどの国民を対象にした公的医療保障制度が確立・定着しているため、「医療アクセス」・「公平」問題は基本的に解決されているか、医療政策・医療改革の大前提とされており、政策選択の焦点は医療の質(効果)と医療費水準(敢えて医療費抑制とは表現しません)とのバランスにあると考えるからです。これは現時点では私の「仮説」ですが、少なくとも、3つの目標を同列に論じるのではなく、アクセス・公平を最優先すべきと私は考えます。>

今回の文献探索で、トリレンマ説=「鉄の三角形」説がアメリカのローカルな仮説であるとの私の仮説が、ほぼ実証されたと言えます。

【追記】アメリカのガジック氏が新著で医療の質・費用・アクセスのバランスを改善する道を探究

本文脱稿後に、髙山一夫京都橘大学教授から、昨年10月に出版されたガジック著『アメリカの医療産業入門:医療、費用とアクセスをバランスさせる[第2版]』をご教示いただきました(13)。この本は、アメリカの医療の質・費用・アクセスのバランスを改善する道を、最新の情報とデータを用いて包括的かつ分析的に検討した名著で、日本でこの問題を考える上でも大変示唆に富んでいるので、簡単に紹介します。

ガジック氏は高名な医師かつ経済学者(1952年生まれ)で、フロリダ大学の産婦人科と医療サービス研究・マネジメントの前教授です。書名は「入門」となっていますが、500頁を超える大著です。他の多くの類似書と異なり、書名に「医療提供制度(システム)」ではなく、「医療産業」を用いているのは、氏が、アメリカの医療はまとまった「制度」ではなく、バラバラに自己利益を追求する利害関係者の寄せ集めである「産業」と見なしているからです。

本書は全4部・22章からなり、最初の3部では、医療の経済的土台とアメリカ医療の発展過程、及びアメリカ医療の現状を分析しています。それらを踏まえて、第4部(第21・22章)でアメリカの「医療、費用およびコストのバランスを改善する」ための検討を行っています。第21章ではマクロ的な検討を、第22章では「医療の質を改善し、費用を抑制し、アクセスを改善するための」具体的改革案の検討を行っています。

本書の特徴は、本文で検討してきた「医療の鉄の三角形」説のように、医療の3要素の同時達成が不可能と決めつけるのではなく、さまざまな阻害要因のために、現実には3要素の不均衡がある事実を認めた上で、3要素の「バランスを改善する」道を探究していることです。そのために、第22章で、アメリカで提案されている様々な医療改革案(左右の抜本改革案から漸進的改良案まで)の長所と弱点を分析的に検討しています。それにより、アメリカでは医療制度のどんな抜本改革も政治的に実現不可能と結論づけた上で、第22章(つまり本書全体)の最後を、以下の言葉で締めくくっています。

「現在の医療産業の漸進的改良は-強固な利害関係者を脇に置けば-可能であり、それにより医療[の質]を大幅に改善しつつ、費用を抑制し、しかも現在無保険者であるか低レベルの保険に加入しているアメリカ人の、全部ではないにせよ、相当部分の医療アクセスを改善できる。アメリカの医療産業の複雑さを切り裂き、完全な解決を包括的に達成できる魔法の弾丸はない」(498頁)。私はこの文章に、著者の万感の思いが込められていると感じました(英語版Wikipediaによると、ガジック氏はがん治療に専念するため、2018年にすべての公職から退いたそうです)。

大変残念ながら、私が2年前に「医療時評(174)」を発表して以降も、医療サービスのアクセス・質・費用の3つの要素を「同時に改善することはできない(困難である)」と根拠を示さずに主張する著書が複数出版されています(14,15)。しかし、「医療の鉄の三角形」説=「医療のトリレンマ」説が、アメリカのローカルな仮説であり、しかもそれの根拠が示されていないことを踏まえれば、日本で求められているのは、ガジック氏のように、「医療の質・費用・アクセスのバランスを改善する」漸進的改革案を地道に探究することだと思います。その際、ガジック氏が無保険者の医療アクセス改善を強調したように、日本では患者負担増等により低所得者の医療アクセスが制限されないことを特に重視すべきと私は考えます。

謝辞:本稿の核となる貴重な情報と文献をご教示いただいた髙山一夫京都橘大学に感謝します。

文献

[本稿は『日本医事新報』2021年4月3日号に掲載した「『医療の鉄の三角形』説をどう読むか?」に大幅に加筆したものです。]

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2.国会での参考人陳述:全世代対応型の社会保障制度を構築するための健康保険法等の一部を改正する法律案」に対する意見-中所得の後期高齢患者の一部負担の2割引き上げに反対します

(2021年4月20日衆議院厚生労働委員会・配付資料。意見陳述後、当日の発言に沿って訂正。陳述時は( )内の記載は適宜省略)

こんにちは、参考人の二木です。私は、お手元の「配付資料」にそってお話しします。よろしくお願いします。

私は、医師出身の医療経済学・医療政策研究者です。本日は、昨年および本年に発表した2つの論文などに基づいて、「全世代対応型の社会保障制度を構築するための健康保険法等の一部を改正する法律案」のうち、中所得の後期高齢患者の一部負担(窓口負担・自己負担)の2割引き上げに反対する、以下の4つの理由を述べます(1,2)
①「応能負担原則」は保険料や租税負担にのみ適用される
②医療には「受益者負担原則」を適用すべきでない
③後期高齢者の医療費は非高齢者の約5倍
④後期高齢者の負担増のうち現役世代の負担減に回るのは2割弱にすぎない
①と②は理念的反対理由、③と④はデータに基づく反対理由です。以下順番に説明します。

「応能負担原則」は保険料や租税負担にのみ適用される

まず、私は医療・社会保障における「応能負担原則」(支払い能力に応じて負担する原則)に大賛成です。しかし、それは保険料や租税負担に適用されるのであり、サービスを受ける際は所得の多寡によらず平等に給付を受けるのが「社会保険の原則」と考えています。これは、社会保障研究者の常識的な見解、通説です。

例えば、社会保障法研究の重鎮である堀勝洋上智大学名誉教授は、「社会保険においては、『能力に応じて負担し、ニーズ(必要)に応じて給付する』という原則に従うのが望ましい」と明快に述べられています(3)。堀氏によると、「保険料は能力に、給付は必要に応ずる方向に進むべきである」と最初に提案した公式文書は、社会保障制度審議会の1962年の「社会保障制度の総合調整に関する基本方策についての答申および社会保障制度の推進に関する勧告」だそうです。

私が委員を務めた日本医師会の医療政策会議も一昨年4月に公表した『平成30・令和元年度医療政策会議報告書』の序章の「財源」で、以下のように述べました。「社会保障における能力に応じた負担という考えは、財源調達面に限るのであり、生活リスクに直面してニーズが顕在化し給付を受ける段階で、自己負担率に差を設けることは、社会保障の理念にそぐわない」(5頁)。日本医師会も、昨年10月28日に発表した「後期高齢者の患者負担割合のあり方について」で、2割負担導入に反対する理由の2番目に「応能負担(収入や所得に応じた負担)は、本来は保険料(共助)および税(公助)で求めるべきである。財務省が言うように『可能な限り広範囲』ではなく、『限定的』にしか認められない」と、社会保険の原則に基づく主張をしています。

厚生労働省もかつては同じ原則を遵守

実は厚生労働省もこの原則を1990年代までは遵守していました。例えば、介護保険制度創設の際の老人保健福祉審議会の最終報告「高齢者介護保険制度の創設について」(1996年4月)には、以下のように書かれました。「高齢者介護に関する現行の利用者負担は、福祉(措置)制度と医療保険制度との間でも、また、在宅と施設の間でも不合理な格差が生じているので、この格差を是正するため、介護保険制度においては、受益に応じた負担として統一的なルールを設定することが適当である。利用者負担の設定に当たっては、受益に応じた公平な負担という観点から、定率1割負担とすることが考えられる」。

なお、私は今後は、保険料や租税の賦課対象に金融資産も含める必要があると考えています。個人金融資産の約3分の2は高齢者に集中しており、これにより保険料・租税収入が相当増えることが期待できます。

医療には「受益者負担原則」を適用すべきでない

もう一つの理念的反対理由を述べます。それは、医療には「受益者負担原則」を適用すべきでないと考えているからです。一般的には、医療の一部負担は「医療サービスを利用した人(患者さん)と利用していない人(健康な人)との公平を確保する」「受益者負担原則」(応益負担原則)から説明されます。しかし、患者が医療を受けることで得る「受益」とは、病気から回復・改善すること、つまりマイナス状態から正常状態に近づくことであり、消費者が一般のモノやサービスを利用して得るプラスの利益-満足感、経済学的には「効用」-とは全く異なります。

この点について、世界的な経済学者である故宇沢弘文先生も以下のように指摘されています。「医療はもともと、病気、怪我によって健康を喪失した人びとを健康な状態に戻すという、防御的な面をもつ。つまり、自分から進んで積極的に求め、享受しようとするという一般的な財・サービスとは異なって、喪失したものを取り戻して、健康な状態への回復を求めるものであって、豊かな医療サービスを多くの人びとが利用できるような医療制度を維持することは、社会的な観点からきわめて望ましいものとなる」(4)

後期高齢者の医療費は非高齢者の5倍

次に第3の、データに基づく反対理由を述べます。それは、後期高齢者の1人当たり年間医療費は91.9万円で、65歳未満の18.8万円の4.9倍であり、仮に2割負担を導入すると年間自己負担額は18.4万円となり、3割負担の65歳未満の自己負担額5.6万円の実に3.3倍となるからです(「平成30年度国民医療費」。これは高額療養費制度は考慮しない粗い計算ですが、それを考慮しても、後期高齢者の患者負担の方がはるかに多くなることに変わりありません。これはとても「公平な負担」とは言えません。

法案では、2割負担化に関して、「長期にわたり頻繁に受診が必要な[外来]患者」についてある程度配慮がなされていますが、法施行後3年間の時限的なものです。しかも、田村厚生労働大臣が4月14日に答弁されたように、2割負担の対象拡大は法改正ではなく、国会の議決を必要としない政令で行えます。

重要なことは、当面は配慮がなされているにもかかわらず、厚生労働省の長瀬指数を用いた推計によると、受診日数が2.6%程度減少するとの結果が得られていることです。しかし、国民、特に高齢者がコロナ危機で心理的・経済的に疲弊している時に、高齢者を狙い撃ちにした負担増方針を打ち出せば、コロナ危機ですでに生じている高齢者の医療機関の受診控えを加速し、医療機関の経営困難をさらに悪化させる危険があります。

一部負担増による受診抑制が健康に与える影響についての実証研究

なお、一部負担増による受診抑制が健康に悪影響を与えるとの厳密な実証研究は、日本ではまだありません。この点は、田村大臣が4月14日に繰り返し答弁された通りです。ただし、その理由は単純で、日本の従来の研究では「平均値」の検討しかなされていないからです。それに対して、アメリカのランド研究所が1970年代に連邦政府の委託を受けて行った大規模な「医療保険実験」では、無料医療によりもっとも貧困な人びとや疾病のハイリスクの人びとの健康状態が向上する、逆に患者負担はこれらの人びとの健康状態を悪化させるとの結果が得られています(5)。しかし、これらの人びとは調査対象の中では「少数派」であるため、アメリカの研究でも「平均値」のみでみると、患者負担増による健康状態の悪化はみられませんでした。

ついでに言うと、同じ研究では、一部負担が多い患者は無料医療の患者に比べ、入院率は低いが、入院患者のカルテを個別に調べて、個々の入院の適否を評価したところ、不適切と判定された入院の割合は、無料医療の患者と同じだったことも明らかにされています。つまり、患者負担の引上げによって、不適切な入院のみを減らすことはできないのです。

後期高齢者の負担増のうち現役世代の負担減に回るのは2割弱

最後、4番目の、やはりデータに基づく反対理由を述べます。これは私が一番強調したいことです。それは、後期高齢者の負担増のうち現役世代の負担減に回るのは2割弱に過ぎないことです。なお、私は本資料を作った4月17日時点では最新資料を持っていなかったので、以下に述べる数値は、昨年12月23日の社会保障審議会医療保険部会に提出された参考資料1「議論の整理(案)に関する参考資料(「医療保険制度改革に向けて」)」に基づいています。ご了承願います。

「参考資料」5頁の数値を見ると、給付費減少(=後期高齢者の負担増)1930億円の中心は「公費」1010億円で、「後期高齢者支援金(現役世代の負担軽減)」740億円より多くなっています。その上、「参考資料」19頁によると、「現役世代の負担軽減」には「本人負担」だけでなく「事業主[企業-二木]負担」減も含まれ、「本人[現役労働者]負担」減は350億円に止まっています。これは給付費減少全体の18.1%に過ぎません。私の知る限り、「現役世代の負担」に「事業主負担」を含んだ政府の公式文書はこれが初めてです。

菅首相は、常々、「若い世代の負担上昇を抑えることは、待ったなし」と強調されていますし、私もそのお気持ちは良く理解できます。しかし、言うまでもなく、「本人」のうち「若い世代」はごく一部です。2019年の20~64歳の「生産年齢人口」のうち、20~29歳は18.2%に過ぎず、「若い世代」を20~39歳に広げても38.9%にとどまります(『国民衛生の動向2020/2021』387頁から計算)。

しかも、「参考資料」7頁によると、今回の改革案による「1人当たり支援金に対する抑制効果」は1年700円(2022年度)です。この約半分は事業主負担なので、「本人」負担減は約350円=1月当たり30円弱に過ぎません。「若い世代」は給与水準が低いので、保険料も少なく、「支援金に対する抑制効果」はさらに小さくなります。これではとても、「若い世代の保険料」を減らすとは言えません。それに対して自己負担が2割となる後期高齢者の外来患者の1月当たり負担額は、経過措置の間でも、30円の最大100倍、3千円も増えるのです。このような後期高齢者の中でも、不幸にして病気になってしまった方に対してのみ負担を押しつけるのは、とても「公正な負担」とは言えません。

私も「全世代型社会保障検討会議最終報告」が書いている、「若い世代は貯蓄も少なく住居費・教育費等の支出の負担も大きいという事情」(5頁)は深刻だと思います。しかし、これを若い世代の「保険料負担の上昇を少しでも減らしていく」ことにより是正することは不可能で、若い世代の給与引き上げと正規雇用化の促進、及び住居費・教育費への公的補助・支出が不可欠と思います。

今回の後期高齢者の負担増提案は、この課題から目を逸らす「レッドヘリング」(本題から目をそらさせるための偽情報、本題からかけ離れた紛らわしい情報)であり、経済学的には公費・企業負担から高齢者負担への「コスト・シフティング」(コストの置き換え・転嫁)と言えます。厳しい言い方をすれば、「若い世代」はもちろん「現役世代」の負担増抑制は、そのためのダシに使われたと言えます。以上です。

文献

[私を含めた4人の参考人の意見陳述及び6人の議員との質疑応答は、「衆議院インターネット審議中継」に公開されています:https://www.shugiintv.go.jp/jp/]

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3.講演録:コロナ危機が日本社会と医療・社会保障に与える影響と選択

添付ファイル: 「神奈川県保険医新聞」2021年4月5日号。(Wordファイル)

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4.インタビュー:「自助・共助・公助」という分け方は適切なのか?〜三助の変遷をたどって考える〜

(『社会運動』(市民政策セクター政策機構)442号:70-80頁、2021年4月15日発行)

「『自助・共助・公助』は、じつは使われる分野や人によって意味づけが違う」と話すのが、日本福祉大学前学長の二木 立さんだ。
とくに社会保障の分野では意味づけの定まらない「自助・共助・公助」を使うことによってさまざまな混乱を生じさせ、社会的分断・対立を深めかねないと警鐘を鳴らす。

これまでの政府の資料を紐解き、日本でこれらの言葉がどのように使われてきたのかを調査してきた二木さんに、「自助・共助・公助」のあいまいな使われ方の歴史と、それを使い続けることの弊害について話してもらった。

―菅義偉首相の所信表明演説で「自助・共助・公助」が注目されるようになりました。そもそもこの言葉はいつから、だれがどのような分野で使うようになったのでしょうか。

「自助・共助・公助」(三助)の言葉自体は、おもに社会保障分野と防災・災害支援分野で使われますが、だれが言い始めたのかは「詠み人知らず」です。防災・災害支援分野では2000年頃から使われ始めました。社会保障分野で本格的に三助が使われたのは、1994年に発表された「21世紀福祉ビジョン〜少子・高齢社会に向け」です。

しかしながら結論として三助、これに互助を加えた四助は、使わないほうがいいというのが、私の持論です。

三助、四助という表現は簡潔でキャッチーですが、意味が曖昧で人によって全く違います。たとえば防災・災害支援分野では、「自助」は自分、「共助」は地域・近隣のお互いの助け合い、「公助」は国と自治体の支援という形で一貫して使われ、ブレがありません。したがって私は災害支援分野で「自助・共助・公助」を使うぶんにはとやかく言いません。

問題は社会保障分野での用いられ方です。厚生労働省も、2000年の『平成12年版厚生白書』では、「共助」を「家庭、地域社会」で支えるという意味での、「自助、共助、公助」を用いていました。ところが2006年に官邸の「社会保障の在り方に関する懇談会報告書」が「共助」を「社会保険」という特異な意味で用い、それを厚生労働省も踏襲したのです。ただし、厚生労働省内でも、社会・援護局等は、現在でも「共助」を「共に助け合う」と旧来どおりの意味でも用いています。

厚生労働省が「共助」を「社会保険」としてしまったので、伝統的な地域(近隣)の助け合いである「共助」の居場所がなくなりました。そこで「地域包括ケア研究会」は2009年度の報告書で、従来の「共助」を互助と言い換え、「自助」「互助」「共助(社会保険)」「公助」という4区分(四助)を提案しました。現在では、この四助が地域包括ケアや地域共生社会づくりに携わる専門職・自治体関係者の間で使われることが多くなったため、用語の使われ方がさらに混乱してしまったのです。

社会運動や協同組合運動ではどうかと調べてみると、「共助」を「協働」と使っているケースも結構ありました。協同組合や共済制度が共助だという記述も見受けられました。ここでも使う人によって意味はまちまちです。

「自助」についても、本人のみなのか、家族を含むのか、用いる人の家族観によって異なるのが現状です。厚生労働省のサイトでも本人のみの場合と、家族を含む場合の両方の説明があり、統一されていません。また同じ自民党の政治家でも、新自由主義派で個人主義の小泉純一郎氏・菅氏は自助を「本人のみ」としていましたが、伝統的共同体を美化する保守派の安倍晋三氏は「本人と家族」と見なしていました。

このように使う人や組織によって意味が異なる三助、四助は、用語や概念が厳密ではないため学問的には正しくないことはもちろん、一般社会、社会運動などでも混乱をもたらすため、適切ではないと私は考えます。

―社会保障の分野では、1994年の「21世紀福祉ビジョン」で初めて「自助・共助・公助」が登場したとのことですが、なぜこの時に出てきたのでしょうか。

1970年代前半までは日本は高度成長期で、政府も欧米並みの福祉国家を目指していました。ところが1970年代後半〜80年代に成長が鈍化し、社会保障や福祉の抑制、見直しが叫ばれ始めました。1978年の「昭和53年版厚生白書」には、「(三世代)同居という、わが国のいわば『福祉における含み資産』とも言うべき制度を生かす」との悪名高い言葉が登場しました。老親の面倒を子や孫が見るなど家族間での支え合いが提唱されたのです。今後目指すべきは、欧米並みの「福祉国家」ではなく日本に合った「福祉社会」である。つまり国家の役割は限定的であるとの文脈で「日本型福祉社会論」が唱えられました。

高齢化社会が進むと、それでも追いつかなくなるので1994年、厚生省の高齢社会福祉ビジョン懇談会は報告「21世紀福祉ビジョン」で「自助・共助・公助の適切な組み合わせ」を打ち出し、それまでの政策を180度まではいかないが90度ほど軌道修正します。北欧や欧州並みの高福祉・高負担でも低福祉・低負担でもない、中福祉・中負担の「適正給付・適正負担」という独自の福祉社会の実現を提唱しました。「21世紀福祉ビジョン」では、とくに「21世紀に向けた介護システムの構築」が提唱されているのが従来にはない新しさです。このときはその財源としては「間接税」(消費税)が示唆されていました。同年末、初めて公的介護保険が提起されましたが、これは家族で高齢者の面倒を見る、民間活力や私的介護保険の導入など、80年代の日本型福祉社会論が破綻した表れだと私は見ています。

自助が強調されてきた、日本の社会保障

-「自助・共助・公助の適切な組み合わせ」は、変わってきたのでしょうか。自助が強調されだしたのは、いつごろからですか。

「自助」という言葉自体は、明治初期から使われていました。イギリスのサミュエル・スマイルズ著『Self-help』、今流に言うと自助論ですが、1871年に翻訳された『西国立志論』が当時ベストセラーになったのです。

社会保障分野で「自助」が強調され始めたのは、先に述べた1970年代後半〜80年代の福祉見直しの時代です。1979年に閣議決定された「新社会経済7カ年計画」には個人の「自助」が何度も出てきます。一番分かりやすいのが「個人の自助努力と家庭や近隣、地域社会などの連帯を基盤としつつ、効率のよい政府が適正な公的福祉を重点的に保障する」で、「自助」が前面に出てきました。なお、この「公的福祉」は「社会保障」の意味です。「新しい日本型福祉社会」という言葉もここでストレートに使われています。

1983年の『昭和58年版厚生白書』でも「我が国独自の福祉社会の実現に努めなければならない。」「すなわち、自立自助・社会連帯の精神、家族基盤に根ざす福祉、民間活力、効率的で公平な制度を基本とする将来にわたるゆるぎない活力ある福祉社会の建設をめざす必要がある」と書かれています。

非自民の細川内閣で生まれた1994年の「21世紀福祉ビジョン」では、少し方向転換し「自助、共助、公助のシステムが適切に組み合わされた重層的な福祉構造」と述べられました。その後も、本音は別としても表現だけは三助の序列のない「適切な(最適な)組み合わせ」が定番になっていました。

それに対して菅首相はコロナ下にもかかわらず「まず自分でやってみる」と自助を強調したため話題になりましたが、これは2010年に発表された自民党の新綱領「『自助』、自立、自助する個人を尊重し、その条件を整えると共に『共助・公助』する仕組みを充実する」を踏まえたものであり、自民党としての基本的な考え方だと言えるでしょう。

小泉政権、民主党政権、安倍政権、そして菅政権

―小泉政権や第一次安倍政権、民主党政権も含めて、現政権までここ20年ほどの政権は社会保障にどう向き合ってきたのでしょうか。

2001年に発足した小泉政権は、80年代の「福祉見直し」の流れを強化・加速しました。私が批判しているのは2006年の首相官邸が設置した、社会保障の在り方に関する懇談会報告「今後の社会保障の在り方について」です。「我が国の福祉社会は、自助、共助、公助の適切な組み合わせによって形づくられるべき」と「21世紀福祉ビジョン」の表現を踏襲しつつも、従来の解釈を大きく変えて「共助」を社会保険、「公助」を「公的扶助や社会福祉」に限定したことです。これこそ小泉政権の象徴であり、置き土産なんですね。

ただ注意したいのは、この報告書には医療・社会保障分野への市場原理導入をストレートに求める新自由主義的主張はなく、国民皆保険も公的年金も維持すると書いています。小泉政権は新自由主義的な傾向が強いとよく言われ、確かにその傾向はあるのですが、中心は伝統的な医療・社会保障費抑制政策です。これは安倍内閣も同じです。

2009年に発足した民主党政権は、当初国民負担増なしでの「社会保障の機能強化」を目指しましたが尻すぼみに終わりました。そこで2012年、社会保障の機能強化をはかるために、消費税引上げで安定的な財源を確保する「社会保障制度改革推進法」で自民党、公明党と「三党合意」に至りました。三党合意当時に自民党総裁だった谷垣禎一氏は「財政再建派」で、借金を増やさないために増税に賛成しました。

それに対して安倍晋三氏は筋金入りの「上げ潮派」(高い経済成長を実現すれば税収が増えるので、財政再建も自ずと実現でき、消費税引き上げなどの国民負担増は必要ないとの考え)で、三党合意にも極めて批判的でした。首相に返り咲いてしばらくは三党合意を尊重していましたが、政権基盤が安定した後は、三党合意を反故にします。消費税の2段階引き上げを前提にした「社会保障の機能強化」を事実上否定し、消費税の10%への引上げを2回も延期しました。

安倍政権は受けの良い経済政策を前面に出し、消費税増税のような目に見える負担増は先送りしました。一方で国民には見えにくい診療報酬を引き下げ、私は「ステルス(秘密)作戦」と呼んでいますが、小泉政権時代並みの厳しい医療費抑制政策を復活します。第二次安倍政権で国内総生産(GDP)の成長率は上昇しました。一般的には経済が伸びると医療費はそれを少し上回って伸びるのですが、安倍政権時代には国民医療費(当該年度内の医療機関等における傷病の治療に要する費用を推計したもの)の伸び率はその前の民主党政権、さらにその前の小泉政権に続く三代の自民党政権より低かったのです。そのため、安倍長期政権の間に医療機関は疲弊し、内部留保も蓄えられなくなりました。そこを新型コロナウイルスが襲い、多くの病院が経営危機に直面しているのです。

あとを引き継いだ菅首相は、所信表明演説で自助優先の三助論「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』そして『絆』です。自分でできることは、まず自分でやってみる。そして家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする」を述べました。共助を社会保険ではなく、伝統的な地域の助け合いという意味で用いていますが、菅さんは意図的にではなく、社会保障関連の知識や関心がないまま一般的な解釈で使っているのでしょう。

社会保険を共助にしてしまった理由

―なるほど、三助、四助があいまいで、どれだけ混乱を生むのかがよくわかりました。そもそもなぜ2006年の官邸の「社会保障の在り方に関する懇談会報告書」で、社会保険を「共助」にしてしまったのでしょう。

理由をはっきり言うと、そこに差別意識があるからです。この報告書には「『共助』のシステムとしては、国民の参加意識や権利意識を確保する観点からは、負担の見返りとしての受給権を保障する仕組みとして、国民に分かりやすく負担についての合意が得やすい社会保険方式を基本とすべきである」と書かれています。つまり、ちゃんと経済的に自立して保険料を払える人が中核市民で、そうでない人が福祉を受けるという上下関係がある。社会保険だと選択の自由があり、生活保護はお上からあてがわれるものだという意識がベースにある。これは恐ろしいです。

従来の「自助・共助・公助の適切な組み合わせ」という表現を踏襲しているからそれぞれが同列のように見えるのですが、懇談会の議事要旨を読むと、座長で高名な財政学者の宮島洋氏がこう言っています。「『公助・共助・自助』、これは社会保障の中でのランク付けの話と社会保障に限らない全ての中でのランク付けの話」。はっきり上下があると。「基本的にはきちんと働いて所得を得て倹約をすることがまずベースにあって、その上に社会保障というのが乗ると考えるべきであるが、違いが出てくるのは社会保障のラストリゾートとして公助を考えるかベースとして考えるかという点にあると考える。私はラストリゾートとして公助を位置付けるという考え方である。つまりベースは共助の社会保険でやり、なおかつ、そこから外れたり、上手くいかない人を最終的に公助で救うという考えである」。懇談会の最終報告書の原案はもっと露骨です。「受給要件を限定した上で最低限の救済をする公助を最後の拠り所として位置付けることが適切である」。

まるで百年前の文章を読むような表現がちゃんと懇談会の議事要旨に載っています。さすがにこれは露骨すぎだと思ったのか、報告書は上下関係のない「適切な組み合わせ」という穏当な表現になっているのですが、その背景には公助つまり生活保護や社会福祉を受けるのは社会の落ちこぼれという意識があるのです。

―二木さんは、混乱を招く三助・四助の代わりに、具体的にどんな言葉をどう用いるのがよいと思われますか。また、最後にこれからの社会保障の正しいあり方についても、考えをお聞かせください。

まとめると、私が三助・四助を使うべきでないと思うのは、次の4つの理由からです。第一に分野や人によって使われる意味が異なり、あいまいである。第二に「公助」の社会福祉や生活保護は法的にも行政的にも国民の権利として確立しており、「共助」とされる社会保険との間に優劣はない。第三に地域包括ケア・地域共生社会づくりの現場では「自助」「互助」と、介護保険・医療保険の給付、および生活保護・社会福祉・自治体による公費サービスが全住民を対象として一体的に必要に応じて使われている。第四に日本では共助の社会保険のほうに権利性があると言われるが、各国の医療保障制度の国際比較では、ドイツなどヨーロッパ大陸諸国の医療保険制度と、イギリスや北欧諸国などの公費負担制度にはそれぞれ一長一短があり、どちらが優れているとは言えないことが常識になっている。

私は三助、四助ではなく、元々使われていた「社会保障」を用いるべきだと主張しています。「公助」とされる生活保護・社会福祉は、法的にも行政的にも「国民の権利」として確立しています。新型コロナ感染症に関しては、昨年2月13日の政府の「緊急対応策」で「感染した入院患者の医療費は、公費により負担する」とされています。つまり、コロナに感染したら誰でも平等に「公助」で医療を受けられる。コロナの問題は、「公助」=生活保護や社会福祉、という議論がいかにいい加減かを示したのです。

このことを踏まえて、「公費による生活保護・福祉と社会保険を切り離す」三助・四助という表現はやめ、「『共助』も『公助』も社会保障とし、その費用負担には『社会保険方式』と『公費負担方式』の2つがある」と説明すべきです。社会保険と公費負担の両者に優劣はありません。にもかかわらず生活保護・社会福祉と社会保険を峻別・対立させる四助・三助説は、低所得層と中間層間の社会的分断・対立を深め、国民(広くは日本に居住する人々)全体の「社会的連帯」を弱める危険があります。

模範的なのは2012年「平成24年版 厚生労働白書」ですね。「社会変化に対応した生活保障のあり方」の項で、あえて「自助・共助・公助」という言葉を使わず、「家族」「地域社会」「企業・市場」「政府」の役割を具体的・分析的に書いています。とくに私が注目したのが「家族、地域、企業・市場」のつながりを公的な仕組みで代替・補完するのが社会保障だと明言している点です。これが一番正確だと思います。三助、四助を使わなくても誰もが分かるような言葉で説明できるわけです。民主党政権の末期、まだ自民党支配が復活していない時期で自由に書けたからでしょう。社会保障論の優れた教科書とも言える白書です。

最後に、財源に触れないわけにはいきません。私の財源提案は、国民皆保険制度の維持・堅持を前提にすると主財源は保険料で、補助的財源は消費税を含む租税ということになります。コロナ禍後には、実現可能かどうかは別としてコロナ復興特別税を提唱しています。そこで読者の皆さんにもお願いしたいのは、一般論として社会運動や協同組合運動に携わる方は社会保障の機能強化は強調するけれど、財源についてはほとんど言わないですね。増税に関しても多くの人は反対しますが、現実的に考えれば社会保障の機能強化には財源を確保することが必要だとわかるはずです。社会保障と財源の関係について、現実的に考えて欲しいと私は思います。

(構成・室田元美)

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5.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算182回)(2021年分その2:7論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカ・]メリーランド州の総[医療]費管理制度下の病院の2020年3-7月のCOVID-19パンデミック時の収益
Levy JF, et al: Hospital revenue under Maryland's total cost of care model during the COVID-19 pandemic , March-July 2020. JAMA 325(4):398-400,2021[調査報告]

2020年3月中旬に生じたCOVID-19の感染爆発は、非緊急患者の前例のない大幅減少をもたらした。患者減少は病院の経営危機を招き、それは特に農村部や医療資源の乏しい病院で大きかったはずである。メリーランド州は独自の医療費支払制度を有している。同州はメディケア・メディケイド・サービスセンターの医療費支払い規則の適用除外を受け、州の「医療サービス費用審査委員会」(HSCRC)が、すべての医療保険の医療サービス価格と各病院の年間収益の上限を設定しており、後者は各病院の予想年間収益と合致するようになっている。HSCRCは病院の患者減による収益減少を相殺するために、2020年3月下旬、同州の病院に入院・外来サービスの価格を、一時的に最大10-15%引き上げることを許可した。その後、入院医療に関しては、5~7月に限って20%までの引き上げを認めた。本研究では、3~7月の一時的な価格引き上げが同州の全病院(47病院)の入院・外来収益に与えた影響を推計した。

入院収益は2月の842百万ドルから4月の698.6百万ドルへと17.0%減少した。同じ期間に外来収益は601.9百万ドルから328.0百万ドルへと45.5%も減少した。4月の入院収益は、2018年4月、2019年4月に比べて、それぞれ17.9%、18.8%低かった。外来収益はそれぞれ47.1%、48.0%も低かった。それに対して、7月の入院収益、外来収益はそれぞれ903.8百万ドル(対2018年7月比+5.8%、対2019年7月比+7.5%)、596百万ドル(同-1.5%、-4.1%)にまで回復した。仮にHSCRCの介入がなかった場合、3~7月の入院収益は300.2百万ドル、外来収益は151.3百万ドル低かったと推計される。以上から、HSCRCの介入は病院の5-7月の入院収益をほぼ全額、外来収益についても相当回復させたと評価できる。もし介入がなかったなら、病院の収益回復にはもっと時間がかかったと思われる。

二木コメント-メリーランド州(アメリカ東部に位置する人口577万人の州)は全米で唯一、全病院の医療サービスが同一価格で、しかも病院の収益上限が設定されているため、このような州当局(HSCRC)による迅速な介入(医療サービス価格の引上げ許可)が可能だったのだと思います。この方策は、神奈川県保険医協会がコロナ禍の「時限的特例的」措置として提案している診療報酬の「単価補正」支払いに類似しているとも言えます(『コロナ危機後の医療・社会保障改革』勁草書房,2021,17頁)。

○[アメリカの]各州の政策は、新型コロナ・パンデミック中、家計の所得ショック経験と精神衛生にどう影響したか?
Donnelly R, et al: How do states policies shape experiences of household shocks and mental health during the COVID-19 pandemic? Social Science & Medicine 269(2021)113557 (10 pages)[量的研究]

新型コロナ・パンデミック中の大規模な雇用喪失と賃金引き下げが、人々の精神衛生に影響を与えたことが懸念される。所得ショック(雇用喪失と賃金引き下げの総称)が精神衛生に与える影響は、パンデミック期間中、アメリカの各州で異なる可能性がある。というのは、各州の政策は異なり、それが精神衛生に影響しうるからである。本研究は連邦統計局の「家計パルス調査」(簡易な調査を短期間に繰り返し実施するオンライン調査)の2020年4~7月のデータを用い、精神衛生面でのアウトカムが州ごとに異なるか、もしそうだとしたら州レベルの政策は家計の所得ショックと抑うつ・不安との関連をどの程度和らげるかを検証する。調査対象は65歳未満の成人で、抑うつと不安の有無は、妥当性が確認されている2つの尺度(それぞれPHQ-2、GAD-2)で判定した。調査対象はうつの判定では582,440人、不安の判定では582,796人であった。マルチレベル・ロジスティック回帰分析を行った。

その結果、抑うつと不安の有病率は州ごとに、家計の所得ショックの状態により異なることを見いだした。メディケア、失業保険、パンデミック期間中の電気・ガス・水道料金滞納に対する供給停止の猶予等について、支持的(supportive)社会政策を実施している州に住んでいる個人では、家計の所得ショックと精神衛生との関連は弱かった。この結果は、パンデミックに対する連邦政府の強力な対策がなく、しかも過去40年間に連邦から州への権限移譲が行われたことが、州間の精神衛生の不平等の一因となったことを示唆している。特定の既存の政策及び緊急政策が、家計の所得ショックのもたらす精神衛生への悪影響を和らげると推察できる。

二木コメント-このような大規模緊急調査を実施できるアメリカの統計面での底力と、アメリカの社会政策の州間格差の大きさの両方に驚かされます。ただし、要旨はやや「予定調和的」と感じました。

○韓国のCOVID-19制御能力の体系的評価
Yoo KJ, et al: Systematic assessment of South Korea's capabilities to control COVID-19. Health Policy https://doi.org/10.1016/j.healthpol.2021.02.011(9 pages. 2021年3月3日、ウェブ上に全文公開)[政策研究]

韓国のCOVID-19制御戦略は世界で見習われている。韓国が中国に隣接しており、しかも人口密度が高いにもかかわらず、2021年初頭に厳しいロックダウンなしに疾患制御に短期間で成功したことは、大きな注目を集めている。本論文は、韓国がCOVID-19出現前から、それの急速な制御をできる能力を有していたことを説明する。多面的領域の体系的評価により、韓国の流行制御面での強みは、2015年のMERS(中東呼吸器症候群)の感染爆発後に制度化された法的・組織的改革のおかげであることを示す。韓国の戦略の成功は一連の行動・測定・政治以上のものを必要とした。成功は、法的枠組み、財政的措置、ガバナンス、及び感染爆発マネジメントの経験を積んだ人材のおかげである。

二木コメント-韓国がCOVID-19の早期制御に成功した自信に満ちあふれた論文です。成功の最大の要因は、2015年のMERS流行後、次の感染爆発に備えた準備がなされていたことであることがよく分かります。

○営利病院が成長しているのは気前の良い公的償還制度のためで、効率が良いからではない:複数の国[アメリカ、イギリス、ドイツ、及びオランダの]の事例研究
Jeurissen PPT, et ak: For-profit hospitals have thrived because of generous public reimbursement schemes, not greater efficiency: A multi-country case study. International Journal of Health Services 51(1):67-89,2021[国際比較研究]

営利病院の市場シェアは多くの国で、最近数十年間に上昇した。先行研究は、営利病院が成長したのは、それのアクセス、医療の質、あるいは効率面でのパフォーマンスが公立・非営利病院に比べて優れているわけではないことを示唆している。本論文では、営利病院の役割が増加した可能性があると我々が仮定している他の要因について分析する。アメリカ、イギリス、ドイツ、オランダにおける営利病院部門の歴史的発展を研究し、各国での営利病院の市場シェアの趨勢を比較する。営利病院の役割が一部の国では増加したが、他の国ではそうではなかったことを説明できると我々が考えている、以下の3要素に焦点を当てる:(1)公的医療費償還方式の営利病院の扱い、(2)医師への経済的インセンティブ、及び(3)政治的環境の影響。

4か国の営利病院の病院総数、病床総数に対する最近のシェアは以下の通りである(2014~2018年。カッコ内が病床シェア):アメリカ 26.6%(18.5%)、イギリス 11.1%(5.0%)、ドイツ 37.1%(18.7%)、オランダ 1.4%(0.7%)。営利病院の病床シェアの趨勢を見ると、アメリカでは1970年代後半以降一直線に増加しており、ドイツでは1990年代後半以降急増している。イギリスでも1980年代以降漸増しているが、オランダでは2000年以降、微増したに止まっている。いずれの国でも、この趨勢は政権交代とは関係ない。分析の結果、以下のように結論づける。補助金へのアクセス及び公的医療支払者が設定した営利病院に有利な規定に基づく支払いが、営利病院の増加の重要な要因である。医師に営利病院を利用するように仕向けた経済的インセンティブは、初期には重要であったが、現在ではほとんど役割を果たしていない。注目すべきことに、営利病院に関する環境は、政治的シフト(政権交代)の影響をほとんど受けていないように見える。

二木コメント-オランダ(Jeurissen)、ドイツ(Busse)、アメリカ(Himmelstein、Woolhandler)、イギリス(Mossialos)の著名な研究者による共同研究で、23頁・引用文献201の大論文です。4か国の営利病院の趨勢が丁寧に紹介・分析されており、医療営利化の研究者必読と思います。残念なのは、ヨーロッパで歴史的には営利病院の割合が一番高かったフランスが対象に含まれていないことです。なお、オランダでは、病院と異なり、ナーシングホームの営利化は進み、2019年には営利の割合が12.2%となっています:「オランダにおける営利ナーシングホーム:どんな要因がその増加を説明するか?」Bos A, et al: For-profit nursing homes in the Netherlands: What factors explain their rise? International Journal of Health Services 50(4):431-443,2020[政策研究](本「ニューズレター」200号(2021年3月)で紹介)。

日本でも小泉純一郎内閣の2021年6の閣議決定「骨太の方針」(正式名称:「今後の経済運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」)は、企業による医療機関経営の解禁を目指しましたが、日本医師会の強い反対や厚生労働省の抵抗により、頓挫しました(その事実経過と頓挫した理由は、『21世紀初頭の医療と介護』(勁草書房,2021)の序章と第Ⅰ章一で詳述)。

○EUにおける[医療保障の]カバーとアクセスの乖離
Palm W, et al: Gaps in coverage and access in the European Union. Health Policy 125(3):341-350,2020[国際比較研究]

本研究はEU加盟29か国のユニバーサル・ヘルス・カバリッジにおける乖離を明らかにすることを目的とし、the European Observatory on Health Systems and Policies(WHO欧州地域事務所によって運営されている協同体)の医療制度・政策モニターネットワークに出した質問票を用いる。質問票は、アクセスの以下の4側面についての概念的枠組みに基づいて作成した:人口のカバー、サービスのカバー、費用のカバー、サービスのアクセス。人口のカバーについては、各国はしばしば法的なカバーから難民申請者や無届け居住者(irregular residents)を除外していた。一部の国は特定の社会・専門職集団(公務員など)を法的カバーから除き、他の代替的制度でカバーしていた。サービスのカバーについては、除外されるか制限されたサービスには、光学的(optical)治療、歯科医療、理学療法、不妊治療、心理療法が含まれた。新薬または高額医薬品に対する早期のアクセスは懸念事項で、この点は稀少疾患や癌で顕著だった。費用のカバーについては、一部の国は社会的に弱い(vulnerable)患者に対して、一部負担を免除したりその上限を設けるなどの、保護的な制度を導入しており、特に低所得の(deprived)人々や患者の一部負担総額についてそれが実施されていた。サービスのアクセスについては、一般的問題は質の低さや長い待ち期間であり、これらは農村部の居住者で特に大きく、彼らは医療機関が遠いという障壁にも直面していた。一部の集団は、身体的または精神的理由から、適切に自己の医療への要望を表明できていない可能性がある。現時点では、カバーとアクセスにおける乖離の原因を捉える指標は得られていない。結論として、EUはユニバーサル・ヘルス・カバリッジに接近しているにもかかわらず、4側面のアクセスで重要な乖離があると言える。

二木コメント-分析枠組みは非常にシッカリしていますが、結果は常識的と思いました。

○負の投資[資源の配分変更]に対する医療スタッフの反応-体系的[文献]探索と質的主題統合
Mitchell D, et al: Health care staff response to disinvestment - A systematic search and qualitative thematic synthesis. Health Care Management Review 46(1):44-54,2021[質的研究]

医療サービスは良質でエビデンスに基づいた、健全な価値を体現する医療を提供しなければならない。負の投資(disinvestment)は、費用に見合った収益をあげられない既存の医療事業から資源を引上げ、それらをもっと効果的、効率的、費用対効果の良い事業に再配分し、患者と地域に便益を与えることである。本研究は、負の投資に対する医療スタッフの反応を検証した初めての文献レビューであり、これらスタッフが負の投資または医療資源の再配分を受け入れる可能性を増す要因を探究する。PRISMA(システマティックレビュー及びメタアナリシスにおける国際的規範)の枠組みに依り、5つの電子的データベースを用いて体系的文献探索を行った。選んだ文献の質の批判的吟味は2人の執筆者が行った。質的データの主題統合(thematic synthesis)を行い、包括的な語り(narrative)を導出した。

統合のために12論文が同定された。それらのうち10論文はイギリス、3論文はカナダ、1論文は南アフリカの報告であり、すべて国立・公立病院の負の投資の実例を分析していた(アメリカの論文はなかった。すべての論文が負の投資のプロセスは、それにかかわる医療スタッフにとって課題が多く、論議を呼ぶことを見いだしていた。負の投資に対するスタッフの否定的反応として、不安、無力化、不信、及び解雇されたり無視されたとの感情が見いだされた。スタッフが負の投資のプロセスに招かれ、それが透明であり地域の最良の利益にも叶うと見なした場合には、負の投資への参信頼関係(engagement)が観察された。医療スタッフは強い専門職としてのアイデンティティを持っており、それは医療提供の意思決定における自律と関連している。医療スタッフが通常は選択できるサービスにおける負の投資はこのアイデンティティを脅かす。医療スタッフに、患者の厳密なアウトカム・データを示して、この過程をリードさせること、および意思決定プロセスを透明にすることは医療スタッフがイノベーターとしての新しいアイデンティティを獲得し、価値の低い医療についての負の投資を受け入れることを助ける可能性がある。

二木コメント-医療分野における負の投資に対する医療スタッフの反応についての初めての文献レビューです。5人の執筆者は全員オーストラリアの大学・研究所所属です。日本でも、今後の医療ニーズ減少により、負の投資は特に公立病院を中心に重大な研究テーマになるかもしれません。ただし、本論文における「負の投資」の定義は、対象が国立・公立病院であるためか、きれい事に過ぎると思います。アメリカでは、特に営利病院(株式会社の病院チェーン)が、利益増大を目的として、地域ニーズを考慮しない負の投資を日常的に行っています。本論文にはアメリカの論文が含まれていないので、この点が見逃されたか、アメリカにはそもそも「負の投資」という概念がないのだと思います。

○[オーストラリアにおける]一般診療(GP)のアクセス、質と費用は救急外来利用に影響するか?
Pak A, et al: Do access, quality and cost of general practice affect emergency department use? Health Policy 125(4):504-511,2021[量的研究]

プライマリケア・サービスのアクセス制限、患者からみた質の低さ、および高額の自己負担は、本来は避けられる救急外来(ED)受診を増やす可能性がある。しかしこの点についてのエビデンスは、大半の先行研究が救急外来で行われた調査を利用しているので、限られている。オーストラリアの女性の、4種類の行政データセットにリンクされた詳細な健康・医療調査データを用いることにより、先行研究の枠を超えて、一般医療(GP)サービスのアクセス、費用および患者経験(GPサービスの満足度)が救急外来受診確率に与える影響を推計した。その際、健康及び社会経済的共変数は調整した。

その結果、GPサービスのアクセスの改善が必要性の低いED受診を有意に減らせることが示唆された。さらに、GPサービスのアクセス改善の影響は、社会経済的に弱い立場のある人々及びアクセスが一番制約されている患者でもっとも大きいことも分かった。他面、患者が判断するGPサービスの質の改善が非緊急のED受診に影響するとのエビデンスは得られなかった。以上のエビデンスは医師受診のアクセスを改善するための対象を明確にした政策をデザインする上で有用である。

二木コメント-論文名が「GPのアクセス、質、および費用…」だったので、それら3つを同時に満たすことはできないとの通説に触れていると思って読んだのですが、全く触れていませんでした。内容的にはその通説を否定しています。

○両方の世界で最良?[日本の診療報酬制度における]出来高払いと包括払いのハイブリッドの経済的効果
Fu B, Shen Y, Noguchi H(野口晴子):The best ob both worlds? The economic effects of a hybrid fee-for-service and prospective payment reimbursement system. Health Economics 30(3):505-204,2020[量的研究]

純粋の出来高払い方式からの離脱を考えている国々は、一部のサービスのみが出来高払いで他のサービスは包括払いというハイブリッド方式を考慮する可能性がある。しかし、そのようなハイブリッド方式が健康アウトカムに悪影響を与えないで、総費用を抑制するか否かについてのエビデンスはほとんどない。日本は2003年に、82の急性期病院(大学病院本院等の「特定機能病院」)に限定して、出来高払い方式からハイブリッド方式への改革を行った。この改革によるハイブリッド方式が総費用と健康アウトカムに与えた影響を検証した。

この改革前後の1997・1996年~2010年のデータを用い、固定効果・差の差分法で分析した。その結果、医療供給側はこの改革に対して機会主義的に対応し、包括払いに含まれるサービスの一部を、入院前の外来での出来高払いサービスに移したために、費用の減少は生じなかった。さらに、一部の健康アウトカムは悪化した(治癒して退院する確率が低下した)とのエビデンスも得られた。以上の結果は、一部のケースでは、ハイブリッド方式は出来高払いや包括払いより優れてはいないことを示唆している。

二木コメント-野口晴子早稲田大学教授グループの研究です。日本ではDPC分類に基づく支払いは「定額払い」・「包括払い」と呼ばれるのが普通ですが、正確には本論文のように「ハイブリッド方式」(包括払いが中心だが一部出来高払いを含む)と呼ぶのが正確と思います。DPC方式が医療費を削減しないことは医療政策研究者の常識でしたが、そのことを膨大な計量分析により実証したことは貴重と思います。なお、本文では、「医療費抑制のために、政府はハイブリッド方式を提案した」と書かれていますが、当時、厚生労働省はこの方式の目的は「医療の質を高めていくこと」及び「在院日数などを病院間で比較すること」と説明し、医療費抑制には触れませんでした(矢野哲也保険局医療課企画官インタビュー『社会保険旬報』2003年5月11日号(2171号):7頁)。総合規制改革会議等には、これにより医療費抑制が可能と主張している委員もいましたが、政府の「規制改革推進3か年計画(再改定)」(2003年3月閣議決定)」は、厚生労働省と同じく、「医療機関の機能分化を促進しつつ、医療内容の標準化と平均在院日数の短縮化・質の向上などを目指しつつ、(中略)診断群別定額報酬払い制度の計画を策定し、導入に向けた検討を進める」とし、医療費抑制には触れませんでした。

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6.私の好きな名言・警句の紹介(その197)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<その他>

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