文献プロムナード(1)
「もう一度、社会医学」
野村拓
発行日2003年03月25日
精神のオアシス
かつて医学史、社会医学のメッカといわれたジョンズ・ホプキンス大学の21世紀医学教育カリキュラムから「医学史」が消えたことについて、拙著『20世紀の医療史』(2002、本の泉社)の中で、「南サハラの砂漠化は、貧困、売春、エイズの蔓延をもたらしたが、アメリカにおける精神の砂漠化は歴史をかき消し、医学史カリキュラムを消してしまった」と指摘した。医学史が消えてしまったカリキュラムを示した本は
☆Cathaerine D. DeAngelis 編:The Johns Hopkins University School of Medicine Curriculum for the Twenty-First Century, The Johns Hopkins Univ. Press, 1999.
かつて社会医学は若き医学徒にとって、「精神のオアシス」であった。そして、晩年、権力者となって堕落する以前の、若き日のルドルフ・ウィルヒョウ(1840年代)は「精神のオアシス」の建設者であった。『公衆衛生研究者』と訳すべき本
☆The Public Health Researcher, Oxford Univ. Press, 1998.
では、若き日のルドルフ・ウィルヒョウの仕事、「シレジヤ報告」(1847)や医学革命運動などは、F.エンゲルスの仕事からインスピレーションを得たものであることが指摘され、「ウィルヒョウもエンゲルスも、疫学的証拠にもとづいた観察を生き生きと描いた」と述べられている。
故中川米造氏が「シレジヤ報告」を訳された原稿を見せてもらったことがある。左側に綴じ穴のあいた阪大・衛生学教室のB5版、400字の原稿用紙を使い、綴じ紐を通してあったが、その原稿がどうなったかは知らない。
ウィルヒョウとエンゲルスの関係についてはジョージ・ローゼンの名著『公衆衛生史』
☆George Rosen: A History of Public(1958の初版本については故小栗史朗氏の力訳がある)
の中に、「イングランドではフリードリヒ・エンゲルスが、ドイツではルドルフ・ウィルヒョウが公衆衛生を、搾取を明らかにし不健康な社会条件を劇的に示し民主的解決を求める焦点的存在として位置づけた」という記述がある。
英・独を対置的、比較的にとらえる研究は多いが、英・独の都市死亡率を歴史的に比較したものとして
☆Jorg Vogele, Urban Mortality Change in Englandand Germany 1870-1913, Liverpool Univ.Press, 1998.
があり、ここでは冒頭にエンゲルスの1840年代の仕事が紹介されている。
ドイツ医療史
「精神のオアシス」は1848年のドイツ革命の失敗やビスマルクの登場によって怪しくなるが、その経過については
☆Manfred Berg & Geoffrey Cocks 編: Medicine and Modernity Public Health and Medical Carein Nineteenth- and Twentieth-Century Germany Cambridg Univ. Press, 2002.(初版は1997)
が詳しい。なによりも英語で書かれている点が有難く、ここには次のような10篇の論文が収められている。
- 1.貧困者の便益と進歩する医学__1820~1870年のドイツの病院と病院医療
- 2.伝統的個人主義から集団的専門家主義へ_1883~1931年のドイツにおける国家、患者、強制加入健康保険と保険医問題
- 3.ドイツ・社会ダーウィニズムの探求__概念の歴史と歴史編纂
- 4.近代のドイツ医師__専門家主義の失敗?
- 5.精神病患者の把握、国家の要求と精神医学者の関心との間
- 6.治療的軍需工場の合理化__第1次世界大戦中のドイツ精神神経医学
- 7.国家社会主義ドイツにおける優生手術と「医学的」大虐殺__倫理、政策そして法律
- 8.新しさとしての古さ__ニュールンベルグ医師裁判と近代ドイツにおける医学
- 9.意志の継続に関する論争__ドイツにおけるワイマール共和制から国家社会主義と戦後にかけての中絶の政策学
- 10.1993年スキャンダルの清算とドイツの医療機関
ある意味で、ドイツ社会ダーウィニズム→ドイツ民族衛生学会→国家社会主義というのが、「社会医学否定」の系譜であるから、掘り下げて勉強する必要がありそうである。
なお、これに関連する英語で書かれた本としては『ナチ医師とニュールンベルグ綱領』と訳すべき本
☆George J. Annas 他: The Nazi Doctors and the Nuremburg Code, Oxford Univ. Press, 1995.
があり、ここで歴史学者ロバート・プロクターは「ナチの(人体)実験は1933年以前の民族衛生運動に根ざしている」と論断している。
ドイツ・社会ダーウィニズムのくだりではマルクスはもちろん、レーニン、カウツキー、プレハーノフまで登場する(ただし、マルクス以外は名前だけ。)
アメリカの優生政策
むかし、エルンスト・ヘッケルの『自然創造史』という訳書を古本屋で買った覚えがあるが、ヘッケルは生物進化論と社会ダーウィニズムとの橋渡し役として、その功罪が論じられている。
ドイツ・社会ダーウィニズムに対して、「アメリカ・社会ダーウィニズム」という言葉はあまり聞いたことがない。しかし、アメリカではドイツ民族衛生学会の前身、民族衛生委員会の結成(1920)より早くから社会的劣者と見なされるものに対する生殖能力除去手術(優生手術)が行われ、その最初のものは1897年、インディアナ州立感化院(少年院)における輸精管切除手術だったといわれている。『性、人種、そして科学』と訳すべき本
☆Edward J. Larson: Sex, Race, and Science,Johns Hopkins Univ. Press, 1995.
には「アメリカ南部における優生学」という副題が付いており、人種差別の風土に播かれた「優生学」という種の生育史が書かれている。精神障害者が精神障害者を再生産することを防ぐためには「隔離」が必要というわけで、前掲書のカバーには精神障害者として隔離され、綿畑で働く人たちの写真が使われている。20世紀の初めから南部諸州では、婦人団体が音頭を取って精神障害者の隔離が進められ、この隔離施設を「精神薄弱者コロニー」(Colony for the Feebleminded)と呼んだ。
おどろくべきことに、この「精神薄弱者コロニー」で、IQテストによって優生手術が行われていたことを指摘したのが、
☆Bryan S.Turner: Medical Power and SocialKnowledge, 2版. Sage, 1995.
である。
現在、福祉国家といわれる北欧4カ国での優生手術件数がやたら多いことについては拙著『20世紀の医療史』(2002)で指摘したとおりであるが、なぜそうなのか、についてはドイツ民族衛生学会が「軍事優生学派」と「ノルディック福祉派」とに分裂した後の「ノルディック福祉派」の方をフォローしなければならないが、語学の壁で手が届きそうにない。1920年代の国際的潮流として「優生」思想については、あらためてとらえなおす必要があるが、この潮流が思いあがった進歩思想や「指導したがり屋」と結びつく危険性の強いアメリカが一番厄介である。そのひとつの現われは社会制度や経済学や、さらには医療制度にまで「進化」という概念を持ちこむことである。
アメリカ流・進化論
最近、『アメリカ医療の経済的進化』と訳すべき本
☆David Dranove: The Economic Evolution of American Health Care, Princeton Univ. Press,2000.
が出されたが、ここでの「医療進化像」はマネジド・ケアである。マネジド・ケアを書名とする本を、仮訳の和名をつけて紹介すれば
☆『マネジド・ケアと医療市場』Michael A Morrisey 編: Managed Care and Health Care Markets, AEI Press, 1998.
☆『医師とマネジド・ケア』Scott Becker: Physician’s Managed Care, Success Manual, Mosby, 1999.
☆『マネジド・ケアの倫理』Mary R. Anderlik: The Ethics of Managed Care,Indiana Univ. Press, 2001.
などがある。マネジド・ケアに関する本を何冊か読めば、マネジド・ケアとは要するに「医師の買い叩き」を意味していることがわかる。数年前、カイザー・パーマネンテが麻酔医を相場の半値で雇用し_カリフォルニアには麻酔医の新しいポストは稀だから_とうそぶいた例もある。概してHMOサイドから出される医師統計は「過剰」を誇大に強調する傾向があり、買い叩かれるよりは買い叩くほうにまわりなさい、という趣旨の本が、前掲の『医師のマネジド・ケア』であり、冒頭に「みずからの才能を基本的な仕事に適用しようとする医師は、最大のHMOの事業責任者、またはその地区の医療管理会社の指導者、理事者となる」というテーゼが示されている。そして、買い叩くためには「医師市場」の把握が必要、ということらしく『医師マーケットの医療経済学』と訳すべき本
☆Fraz Beustetter: Health Care Economics__The Market for Physician Services, Peter Lang,2002.
まで出されている。
アメリカ流進化論には、「競争による進歩」だけではなく、「勝ち馬にのる」ことまで含まれているようだが、競争をテーマとしたものとしては『競争の探求・アメリカ医療』と訳すべき本
☆Mary-Jo Delvechio Good: American Medicine__The Quest for Competerce, Univ. of California Press, 1998.
がある。競争に勝ったものは負けたものを買い取り、という、訳せば『医業・売り買い時代』となるのが
☆Yvonne Mart Fox 他: How to Join, Buy or Merge__A Physician’s Practice, Mosby, 1998.
で経営コンサルタントたちが書いたものである。また、「したたかな金集め」という立場で書かれた本が『医療資金集め術』
☆Joyce J. Fitzpatrick 他: Fundraising Skills for Health Care Exectives, Springer, 2000.
で、ここでは250万ドル(約3億円)集める方法が書かれている。
アメリカ流・進化論での「適者生存」はしたたかな悪人の勝ち残りを意味するようだが、最新刊(発行年は2003年になっている)の
☆『医療改悪のプライバタイゼーション』M.Gregg Bloche 編: The Privatization of Health Care Reform, Oxford Univ. Press, 2003.
の第2章は「市場圧力とマネジド・ケアの進化」となっている。前述のように医療の進化したものがマネジド・ケアであったのに、そのマネジド・ケアがさらに進化するのだからおそろしい。
グローバル化
アメリカ流・進化論のゆきつくところは、善は滅び、悪は栄えてグローバル化し、世界を支配する、ということのようだが、グローバルに医療政策をとらえたものが
☆『グローバル化する世界における医療政策』Kelly Jee 他編: Health Policy in a Globalising World, Cambridge, 2002.
であり、ここでは、世界各国の医療政策は「管理された競争」(Managed Competition)に集約されていくであろうことが述べられている。また、情報技術の進歩によって『グローバル管理』が可能になったことを示す本
☆Peter McMahon: Global Control, Edward Elgar, 2002.
が出されているが、6章立てのこの本の第3章は「情報技術とアメリカ産軍複合体の発展」となっている。むかし、アメリカ大統領がアイゼンハワーからケネディに変わったとき、アイクは若きケネディに_わしは陸軍元帥だったが産軍複合体をコントロールできなかった。君は海軍中尉だから大変だよ_という意味のことを言ったそうである。大統領でもコントロールできなかった産軍複合体がさらに強大化し、グローバル・コントロールをやり、兵器の売上増や在庫減らしの戦争を仕掛けたりしているのが今日的状況である。産軍複合体の強大化と、アメリカ流・進化論で、もっとも愚かなものが権力の頂点に立っていることが、今日の危機的状況の原因となっているのはなかろうか。
他方、専門外なので、滅多に本を買ったりしないつもりなのに、気になって買ってしまったのが、テロリズムにかかわる本である。
☆『生物学的脅威とテロリズム』Stacey L. Knober 他編: Biological Threats and Terrorism, National Academy Press, 2002.
☆『反米テロと中近東』 Barry Rubin 他: Anti-American Terroism and the Middle East, Oxford Univ. Press, 2002.
などである。また、最近、ショックを受けたことは医薬品に関するPDR(Physicians’ Desk Reference)、つまり「医師の早わかりマニュアル」シリーズの中に
☆『生物・化学兵器対策マニュアル』PDR Guide to Biological and Chemical Warfare Response, Thomsom, 2002.
が登場したことである。ここではO‐157もリスト・アップされ、「生物兵器としての潜在力を持つ」とコメントされている。
もう一度、原点から冒頭に述べた若き日のウィルヒョウはシレジヤ地方で大流行した発疹チフスの原因として「貧困」をとらえ、「疾病と貧困の悪循環」を断ち切る社会医学を提言した。
いまはどうだろうか。疾病をみれば、まず生物兵器としての利用可能性を見なければならないのだろうか。どこから、いつからおかしくなったのか、それはなぜなのかについての歴史的検証が必要である。
かつて故中川米造氏から「医学は雑沓のなかで、貧民窟で学ぶべきもの、というのがジョンズ・ホプキンス大学の建学の精神だ」と聞いたことがある。「だから大阪・中之島の雑沓の中にある阪大は社会医学に向いている」とも聞いた。まだ、無名だった同氏が1960年ごろ、ガルドストーンの『社会医学の意味』を翻訳、出版したときには、印税が入るどころか、せっせと本を売って代金を出版社に送金していた。
相撲取りが一人前になることを「チャンコの味がしみた」という。社会医学の方は「冷飯の味がしみた」ところで一人前ではないだろうか。初心に帰ってもう一度、社会医学を!