文献プロムナード(3)
「医療政策」
野村拓
発行日2003年11月20日
医療政策という言葉
「なにをやっていますか?」
「医療政策を・・・」
「へーえ、そんなものがあるのですか」
というような会話がかわされたのが1960年代である。だから、1965年5月から雑誌『健康会議』に「講座・医療政策史」の連載を始めたとき、「医療政策史」という見出し語の活字を目にして嬉しかった。自分のやっていることが市民権を得たような気がしたからである。もちろん、それ以前に「医療政策」という言葉がまったくなかったわけではない。
☆社会医療研究所:近代医療保護事業発達史・上巻(1943、日本評論社)
の「第2章・第2節」は「明治新政府の医育及び医療政策」と旧漢字で書かれてあるが、これは包括的な見出し語として気分的に使われただけで本文中に「医療政策」は登場しないし、当然のことながらその説明もない。
では、ヨソの国ではどうか。厳密にさかのぼったわけではないが、Health Policy という言葉がしきりに使われるようになったのは比較的最近である。
『医療のトライアングル-医師、政策マン、公共』
☆Eli Ginzberg : The Medical Triangle -
Physicians, Politicians, and the Public.(1990)
Harvard Univ. Press.
『医療の政策学』
☆James A. Morone 他編:The Politics of Health Care. (1994) Duke Univ. Press.
などは早い方である。
政策マンとして国や政府に
これらは政策マンとして国や政府の医療政策にかかわる立場、といえば聞こえはいいが、Eli Ginzbergなどは第2次大戦中の「国防総省御用」で「ペンタゴンが私を医療経済学者に育ててくれた」という意味のことをしばしば著書に書いている。
『医療政策』
☆David Calkin 他:Health Care Policy. (1995)Blackwell.
では「医療政策づくり」(health policy making)という言葉が、そして
『健康を統治する医療政策の政策学』
☆Carol S. Weissert 他:Governing Health-The Politics of Health Policy. (1996) Johns
Hopkins Univ.
では「医療政策解決」(health policy solution)という言葉が使われている。政策マンとして国や政府の医療政策づくりにかかわろうとする人たちは、概して、「医療政策とは」について詰めた考え方を持たず、単に「医療・保健に関する公共政策」ぐらいにしか考えていない場合が多い。
『オーストラリアの医療政策』
☆Heather Gardner 編:Health Policy in Australia.(1997) Oxford Univ. Press.
の索引でhealth policy を引くと、policy とhealth とを、それぞれ参照せよ、と書いてある。
また、書名は医療政策であっても、医療政策についての定義のない本も少なからずある。
『アメリカにおける医療政策学と政策』
☆Kant Ratel 他:Health Care Politics and Policy in America. 2版. (1999) M. E. Sharpe.
『医療政策』
☆Marilynn M. Rosenthal 他編:Health Policy.(1998) Westview Press.
『医療政策入門』
☆Thomas S. Bodenheimer 他編:Understanding Health Policy.2版. (1998) Lange
などである。
政府御用の場合、医療に関する公共政策、すなわち医療政策、という考え方で十分なのだろう。
だから
『ニュージーランドの保健・公共政策』
☆Peter Davis 他:Health and Public Policy in New Zealand. (2001) Oxford Univ. Press.
のように保健と公共政策とを横並びにとらえた本もあれば、health policy の定義はないが、health policy を冠した機関名、部局名は登場する
『アメリカの医療政策・早わかり』
☆Alan C. Monheit 他編:Informing American Health Care Policy. (1999) Jossey-Bass
という本もある。
研究者的に
研究者的に医療政策をとらえたものとしては、社会学サイドからのものとして
『医療政策の分析』
☆Judith Green 他:Analysing Health Policy.(1998) Longman.
があり、ここには「医療政策の分析は(社会学的)研究にとって豊かな分野である」と書かれてある。意地悪く理解すれば、修士論文や博士論文づくりにとって「豊かな分野」であるらしく、論文の数は掃いて捨てるほど多いが、いくら論文が増えてもアメリカ医療が良くならないこともたしかである。
社会学サイドからではなく、経済学サイドからのものとしては
『医療政策と経済学』
☆Manouche Tavakoli 他編:Health Policy and Economics. (2001) Ashgate.
がある。
研究者的というよりも、イギリス労働党的立場で医療政策を分析したものに
『医療政策の分析』
☆Alison Hann 編:Analysing Health Policy.(2000) Ashgate.
があり、ここでは「新労働党」の「新医療政策」と「新」だらけである。また「国の医療政策・批判」というスタンスのものには
『イギリスの精神医療政策』
☆Anne Rogers 他:Mental Health Policy in Britain. (1996) Macmillan.
があるが、これは自分の国だけではなく、「ヒトラーとドイツ医師会」というような形でヨソの国も批判している。
概して、英連邦系の国は「社会政策的下地」を持っている場合が多いのでsocial policy というキーワードにも目配りしなければならない。例えば
『オーストラリアにおける高齢化と社会政策』
☆Allan Borowski 他編:Ageing and Social Policy in Australia. (1997) Cambridge Univ.
Press.
などである。断わるまでもなく、「高齢化」はイギリス語ではAgeing、アメリカ語ではAgingである。
なお、単行本のような、定期刊行物のようなシリーズとして、「医療政策研究のフロンティア会議」が、ほぼ毎年1冊のペースで出しているのが
『医療政策研究のフロンティア・5』
☆Alan M. Garber 編:Frontiers in Health Policy Research. Vol.5. (2002) MIT.
で論文集の形になっている。
公平性の主張
医療はかくあるべし、という主張や政策的提言に類するものとしては、黒人への医療政策をとりあげた
『正義と医療』
☆Andrew Crubb 他:Justice and Health Care.(1995) Jone Wiley & Sons.
や、医療における性的不平等をテーマにした
『医療における性的不平等』
☆Ellen Annandale 他編:Gender Inequalities in Health. (2000) Open Univ. Press.
などがある。ここではpolitics of health という言葉が使われている。
途上国の場合、現に存在する医療政策ではなく、これからつくる医療政策という場合が多い。それで
『発展途上国における医療計画・序説』
☆Andrew Green:An Introduction to Health Planning in Developing Countries. 2版(1999)Oxford Univ. Press.
では、health planning and policy という言葉のように「計画づくり」すなわち「政策」ということになる。
また、health policy ではなく「健康な公共政策」(healthy public policy)という章を持つ本
『医療のために働く』
☆Tom Heller 他編:Working for Health.(2001) Sage.
もある。ここでいう「健康な」は「公平な」という意味と思われる。health policy ではなくhealth
care policy という言葉を使い、それは公共政策に
包含される、と述べているのが
『看護における政策と政策学』
☆Diana J. Mason 他:Policy and Politics for Nurses. (1993) W. B. Saunders.
で、ここでは看護師のための15週間の医療政策学習カリキュラムが紹介されている。
看護の立場で
職能的専門職意識と労働者意識との両方を持つアメリカ看護師の医療政策学習や医療政策研究には注目するべきものが多い。
『21世紀の看護研究に備えて』
☆Faye G. Abdellah 他:Preparing Nursing Research for 21st Century. (1994) Springer.
の第11章は「看護研究と医療政策」という題で、「医療政策決定にインパクトを与えるものとしての看護研究」というとらえ方になっている。以下、私が関心を持つ項目やキーワードを列挙すると、 「公共医療政策」「政策研究」「医療政策形成における連邦政府の役割」「アメリカ看護協会(ANA)の医療改革アジェンダ10カ条(1989)」「医療政策形成における看護師の役割の強化」などがある。そして、看護師は次の3つのレベル
- 患者に対して
- 仕事の環境で
- 国の政策に対して
で政策形成の影響力を行使できる、と書かれてある。少しわかりにくいが「看護価値と医療政策」という項では、4つのフエーズ・モデルが示されており、別に「政策決定に必要なデータ」もまとめられている。
「医療政策とは」という問題を回避しながら御用学者ぶりを発揮している男どもに比べると看護師の医療政策論はそれぞれに元気がいい。
『看護における概念の発展』
☆Beth L. Rogers 他:Concept Development in Nursing. 2版. (2000) W. B. Saunders.
には「医療政策の概念」という堂々たる項目があるし
『現代専門看護』
☆Joseph T. Catalano:Contemporary Professional Nursing. (1996) F. A. Davis.
には「医療政策市民の健康を守り増進する活動をガイドする目標と方向」という記述がある。
そうかと思うと看護におけるアセス・診断・プラン・遂行・評価というプロセスをそのまま持ちこんだのが
『地域における看護』(前回でも紹介)
☆Mary Jo Clark:Nursing in the Community.
(1992) Appleton & Lange.
で、「医療政策のレベル」「他の社会問題対医療政策」「公的医療政策の形成と遂行のための介入」「医療政策の形成と遂行への影響」「医療政策形成におけるアセスメント」というような項目に従って記述されている。
皮肉なことに、医療政策という言葉を書名に含む本には医療政策の定義がなく、医療政策を冠しない看護書には医療政策の定義がある。医療政策を定義できない本が医療政策づくりや医療政策の変革についてふれることができないのは当然の帰結である。この点、看護書では、それなりに「はたらきかけ」や政策づくり、政策的変革にふれたものが多い。看護分野における情報技術革新を取 り上げた本
『看護のための情報技術革新』
☆Sue Moorhead 他編:Information Systems Innovations for Nursing. (1998) Sage.
にも「医療政策」(health care policy)という言葉は登場するし、指導的、管理的看護婦を対象と した本
『指導上、管理上の変化における看護課題』
☆Jeanette Lancaster:Nursing Issues in Leading and Managing Change. (1999) Mosby.
では「医療政策の目的」が述べられている。この本の第13章は「医療政策:分析と影響力行使の戦略」となっているが、「看護師の政治行動」(Political
Actions by Nurses)を取り上げたのが
『看護における課題と傾向』
☆Grace Deloughery:Issues and Trends in Nursing. 3版(1998) Mosby.
である。また、「医療政策の変化・変革」(health policy change)を取り上げた
『地域看護の現代的課題』
☆Jenny Littlewood 編:Current Issues in Community Nursing. 2版. (1999) Churchill Livingstone.
も注目すべきである。
看護書の購入は難しい。書名からは到底想像できない高級な課題について述べられたりしているからである。例えば
『イメージ看護』
☆Julia Hallam:Nursing the Image. (2000) Routledge.
には「1950年代初期における医療政策」などという項目が登場したりするからである。1950年代といえば、病院看護領域でDRG の先駆的なものといえる「入院患者タイプ別分類」が進められていた時期でもある。医療政策は「箱庭」的にとらえるのではなく、グローバルに、かつ歴史的にとられる必要がある。ヨソの国から見れば、日本の医療政策は「低コスト医療政策」としてとらえられており、このことを取り上げたのが
『医療政策におけるバランス術』
☆John Creighton Campell 他:The Art of Balance in Health Policy. (1998) Cambridge Univ.
Press.
である。
グローバル医療政策
グローバルをキーワードとする医療政策の本としては
『グローバル医療政策』
☆Linda M. Whitefood 他編:Global Health Policy, Local Realities. (2000) Lynne Rienner.
がある。この種の本でGlobal という言葉に対して使われるLocal という言葉の意味は「国レベル」を意味することに注意しなければならない。そして、この本での「国レベル」はキューバ、インドネシア、ベトナム、ウガンダ、ソマリ、インド、そして「都市部の中国」である。
拙著『20世紀の医療史』(2002)では、アメリカの「白人貧困層(低所得層)」を特徴づける「トレーラー住民」が1,500万人いることを紹介したが、いわゆる「貧困論」も、もっとグローバルなとらえ方が必要ではないだろうか。
日本の社会福祉研究は鎖国時代(戦時中)の社会事業研究(これも「厚生事業」に変わる)の骨組みを持ち、戦後も、語学力の弱い研究者たちによって「箱庭」の社会福祉として研究展開されているが、それでいいのだろうか。
なぜ、グローバルなとらえ方が必要か、といえば、私たちは「グローバル・コントロール」を受けているからであり、そのことをテーマとしたのが
『グローバル・コントロール』
☆Peter McMahon:Global Control (2002) Edward Elgar.
である。このほか
『グローバル化時代の医療政策』
☆Kelley Lee 他編:Health Policy in a Globalising World. (2002)
『グローバル公衆衛生』
☆Rober Beglehole 編:Global Public Health.(2003) Oxford Univ. Press.
などがある。
最近の「新型肺炎(SARS)」問題など、まさに「グローバル公衆衛生」の課題といえる。そして、発生源、感染源の国が情報に関して「鎖国」的スタンスをとれば被害が増大することもグローバル時代、つまり人口の国際流動の増大した時代を象徴する。そして私たちはグローバルなスタンスとともに、歴史的な視点を持たなければならない。
例えばSARS 問題で、感染症に対するルーチン・ワークをきっちりやって被害の拡大を食い止めたベトナムの場合、それなりの歴史を背負っていたことに着目すべきである。端的にいえば、フランス植民地時代の「仏領印度支那」(「仏印」と略称され、現在のベトナム、ラオス、カンボジアにあたる)には「パスツール研究所」が4カ所あったということである。
1941年7月、日本軍は太平洋戦争の開戦準備のために、それまでの北部仏印進駐を南部にまで拡大するのだが、その時の模様について、当時の「日本医学及健康保険」(1941.9.13)は「仏領印度支那に於ける4ツのパステール研究所」として次のように報じている。
「仏印における4つのパステール研究所をここに紹介する。現在迄に於ける仏国の仏印に対する医事衛生を通じての植民政策は比較的成功して居る。此の医学方面に就いて反仏派の安南人ですら、フランスに感謝すべきは衛生整備だけだらうと云ってゐる程である。」
この4つのパスツール研究所についてベトナムからの留学生に聞いてみたが、名称を変えて、現在もおおむね機能しているようである。このような歴史的積み重ねを重視するとともに、この記事に出てくる「土人の医師、薬剤師、看護婦、産婆等有資格者3,000を超え」とか「パステール研究所が土民のために用意した種痘」という表現に見られるような「土人」「土民」感覚で「グローバル」に行動してはならない。その前に、その気になれば1年間の3回米がとれた豊かな穀倉地帯で多くの餓死者を出すほど食糧調達を行なった日本軍の悪業も明確にしておかなければならない。なお「河内」を「ハノイ」と読み、「西貢」を「サイゴン」と読むような読み方はデイサービス通所の高齢者から教えてもらったらいいだろう。