総研いのちとくらし
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文献プロムナード(5)

「Care」

 野村拓

発行日2004年02月27日


Caring とCaregiving

ケアという外来語がよく使われるようになったのは介護保険法施行の時期あたりからである。介護の英語はなにか、と聞かれたら、Caring と答える人が多いのではないか。しかし、Caring を日本語に訳せば介護になるだろうか。Caring とは看護的な中身を持った言葉であり、1990年ごろ、アメリカの看護師たちが、Caring という言葉について5項目の定義を行なった。(以下、海外文献には仮訳の和名をつけて紹介する)。その詳細は

『看護研究入門』
☆Nancy Burns 他:Understanding Nursing Research.3版(2003) Saunders

に紹介されており、看護師や患者の立場で、Caringとは、と考えれば、人間相手であること、倫理的であること、フィーリングや人間関係を重視しなければならないこと、治療的介入でもあること等々が挙げられる、とのことであった。しかし、この定義に対して、「Cure はCareなしで可能か」「ケアは非治療的なものか」「ケアが患者にもたらすものを『ケア以外』と区別できるか」などと、かなり機械論的な質問が出され、「現段階ではCaring のクリアな概念規定は存在しない」ということになった。

どんな定義をしてもケチをつけられるせいか

『看護的熟練のキー』
☆Barbara A.Workman 他:Key Nursing Skills(2003) Whurr Pub.

には、Principle of Caring という項があるのに、プラクティカルなことしか書いてなくて、理念的、定義的なことは書かれていない。

『ケアすること』
☆Nel Noddings: Caring.2版(2003) Univ. of California Press.

は心理的、倫理的アプローチになっていて、前掲の定義と噛み合うような内容は含まれていない。

しかし、Caring の定義についての機械論的な議論が展開されたことを受けた形で、1996年ごろから主にアメリカを舞台にしてCaregivingという言葉が登場することになる。ケアをモノとして扱いキブする方がわかりやすい、ということかもしれない。

『ケアの提供』
☆Suzanne Gordon 他編:Caregiving ( 1996 )Univ. of Pennsylvania Press.

『ケアの提供』
☆Victoria E. Bumagin 他: Caregiving ( 2001 )Springer.

などが出され、男も知らん顔をするな、という意味で

『ケア提供者としての男性』
☆Betty J. Kramer 他:Men As Caregivers.(2002) Springer.

という本も出された。

「前つきケア」と「後つきケア」

Care という言葉だけを取り上げると、とりとめのないことになってしまう。いちばん頻度の高い使われ方は「だれも看てくれない!」(Nobody cares!)という不平不満語だからである。やはり学術語(?)としてのCare は他の言葉と結合することによって成り立つ場合が多く、これには「前つきケア」と「後つきケア」とがある。そして、「前つきケア」の代表的なものは「ケアプラン」(Care Plan)であり、「後つきケア」では「マネジドケア」(Managed Care)などが有力である。

アメリカにおけるCare Plan は「入院日数短縮計画」と訳す方が適切な場合が多い。何日目に患者に退院承諾書にサインしてもらって……というような退院予定表を意味し、病気によってはDRGによる入院日数の目安まで示したものが

『看護ケアプラン・ガイドライン』
☆Marilynn E. Doenges 他:Nursing Care Plans.6版(2002) F. A. Davis

であり、そんなことでいいのか、という疑問を示したものが

『ケアプランと人権法』
☆Robin Tolson QC: Care Plans and the Humam Rights Act (2002) Family Law.

である。アメリカにおけるケアプランは早く退院させるための計画だが、日本の場合は病院や老人保健施設を出された人に対する介護保険適用の場合の「ケアプラン」ということになる。

「ケアプラン」の他に、もうひとつの「前つきケア」語に「ケアホーム」があり、こんな本が出されている。

『ケアホームにおける終末』
☆Jeanne Samson Katz 他:End of Life in Care Homes(2003)Oxford Univ. Press.

「後つきケア」語の代表格としての「マネジドケア」については、うんざりするほど本が出されている。

『マネジドケア』
☆Peter R. Kongstvedt: Managed Care. 2版(2002) Aspen.

『マネジドケアの倫理』
☆William B. Bondeson 他編:The Ethics of Managed Care. (2002) Kluwer Academic.

『マネジドケアと独占』
☆Deborah Haas-Wilson: Managed Care and Monopoly Power. (2003) Harvard Univ. Press.

この場合の「独占」は独占資本ではなく医師の業務独占である。また、競争と生き残りの勝者がマネジドケアということになっているが、さらなる競争と生き残りに備えなさい、という本が

『マネジドケア看護師の生き残り戦略』
☆Toni G. Cesta: Survival Strategies for Nurses in Managed Care. (2002) Mosby.

である。

時間的・空間的ケア

「後つきケア」語については、ケアの前に各診療科名をつけたものがたくさんあるが、ここで、ケアについて、どんな時期にどんな長さでという時間的性格づけ、「どこで」という空間的性格づけをやってみよう。簡単にいえば、時間的には「長期ケア」、空間的には「在宅ケア」がウェートを増しつつあるが、これらをキーワードとする本がよく出されたのは、1990年代までで、最近はあまり出されていない。

「長期ケア」をキーワードとする本としては

『長期ケアとQOL』
☆Linda S. Noelker 他編:Linking of Long-Term Care and Qualiey of Life. (2001) Springer.

『長期ケアの支援』
☆Barbara R. Hegner 他:Assisting in Long-Term Care. 4版(2002) Delmar.

などが出されているが、長期ケアにオーバーラップした形で登場する「緩和ケア」は、時間的には人生末期、空間的には「ホスピス」や「在宅ホスピスケア」ということになる。ホスピスケアと緩和ケアとは類似語だか、一応区別して述べているが

『ホスピスケアと緩和ケア』
☆Walter B. Forman 他:Hospice and Palliative Care.2版(2003) Jones & Bartlett.

であり、ケアを受けるだけではく、患者も参加すべきであるという本が

『緩和ケアへの患者参加』
☆Barbara Monroe 他編:Patients Participation in Palliative Care. (2003) Oxford Univ. Press.

である。

緩和ケアも自助(Self-Care)で、ということになるのかもしれないが

『看護における自助理論』
☆Katherine McLaughlin Renpenning 他編:Self-Care Theory in Nursing. (2003) Springer.

という本も出されている。

この「自助」の対極にあるのが「社会ケア」(Social Care)で、これは社会福祉、社会保障の分野に踏み込んだ概念であるだけに、あまり本は持っていない。

『社会ケアの役割変化』
☆Bob Hudson 編:The Changing Role of Social Care (2000) Jessica Kingsley.

『老人の社会ケア』
☆Majorie H. Cantor 他:Social Care of the Elderly. (2000) Springer

ぐらいである。いうまでもなくケアの対象は人間であり、社会が社会の責任においてケアするのが社会ケアだが、人間ではなく社会体制をケアする、という変った本もある。

『資本主義をケアする』
☆Ronald M. Glassman: Caring Capitalism.(2000) Mamillan.

がそれであり、資本主義のほころびをケアするわけである。

ケアのにない手たち

このような特殊な場合を除いて、人間相手のケアの担い手たちは歴史的にどう変ってきたか、という視点も必要だろう。

『現代的ヒポクラテスの探究』
☆Roger J. Bulger 編:In Search of the Modern Hippocrates. (1987) Univ. of Iowa Press.

には、1840年代のマサチューセッツ州の開業医の診療記録が載っているが、その内容は往診とCareであった。治療上のキメ手が開発される以前の医師の仕事はおおむねCare であり、Private Duty Nurse の仕事内容は今日のヘルパーのようなものであり、修道院のマトロンの仕事も、ヘルパー業務に精神性が加わったようなものであった。

やがて、医療技術の発展に伴ってCareからCureが分離され、Cureの拠点として、(隔離・収容施設ではない)近代病院が整備されることになる。そしてCure システムに対応できるような新しい看護師養成が進められ看護師の大部分は病院で働くことになる。病院をCureの場として位置づけるならば、Care の方は開業医の往診や訪問看護、社会福祉ワーカーによってカバーされる形となる。

1920年代から30年代にかけて、Mayo Clinicの成功に刺激された形で、医師の専門医化とグループ診療化が進行し、ハイテク医療から分離される形でナーシング・ホームが生まれる。アメリカの場合、医師の専門医化と医療代替職種の登場とはほぼ同時期であった。そして、その後の第2次世界大戦中の看護職員の短期・大量養成とその戦後処理によって「看護の三層構造」(正看、准看、助手)というべきものができあがるのである。

歴史的に見れば、医療職種全体がCureに重点をおいたシフトに変わり、Careの担い手はより下位の職種へ移行したわけである。

『ナーシングホーム管理』
☆James E. Allen: Nursing Home Administration.4版(2003) Springer.

によれば、入所者とのコンタクト時間が、1日について0.7正看時間、0.7准看時間、2.1助手時間と書かれてあり、Careの主役は助手であることがわかる。しかも、

の3クラスに分かれているナーシング・ホームの中の上のクラスでこの程度である。それだけではない。

『ケアのにない手の歴史的変遷』
☆W. Michael Byrd 他:An American Health Dilemma.Vol.2. -Race,Medicine, and Health Care in the United States. 1900-2000 (2002) Routledge.

はいかに御都合主義的に黒人看護師が利用されて
きたかについての歴史を示している。また

『女性・健康・国民-1945年以降のカナダとアメリカ』
☆Georgina Feldberg 他編: Women, Health, and Nation Canada and the United States Since 1945.(2003) McGill-Queen’s Univ. Press.

にはカリブ諸国の移民看護師の利用のされ方が書かれてある。ケアのにない手を「より安く」確保しようというわけである。

現代的貧困とケア

ケアの担い手を「より安く」という傾向と表裏の関係で、ケアを必要とする人たちは増加しつつある。そして、この傾向は時間的・空間的貧困化の進行によって加速されつつある。時間的貧困化とは秒キザミの多忙さがもたらす個人的、家庭的時間の喪失であり、空間的貧困化とは高い地価などによる生活空間、運動空間の狭少化である。

『子どもの健康と発達のための小児病院ガイド』
☆Alan D. Woolf 他: The Children’s Hospital Guide to Your Child’s Health and Development.(2001) Merloyd Lawrence Book.

には、マンションの平面図に「赤ちゃんの安全のための点検項目(個所)」が30項目マークされている。「ワイヤー・コード」「キャビネット」「ラジエーター」「火をつかうところ」等々である。

『家族保健ソーシャル・ワーク』
☆Francis K. O. Yuen 他: Family Health Social Work Practice. (2003) Harworth Social Work Practice.

では、家族の夫婦は、informal caregiver ということになっているが、赤ちゃん用の30項目の安全点はなかなか大へんである。また他に年寄りでもいれば、老人用安全点検項目が加算されることになる。金があればベビー・シッターを雇ってCaregiverの役割を果してもらうことは可能である。しかし、こ場合も、ベビー・シッターが子どもを虐待しているかどうか心配だから監視カメラモニターをおく、ということになれば、さらに金がかかり30項目の点検項目もさらに増えることになるだろう。

ケアをめぐる問題を考えると、いよいよ「世も末」という感じを受ける。そして「末世」に対するさらなるインパクトがケアのにない手に対する暴力である。

ケアラーへの暴力

『イスラム社会における女性看護師』
☆Nancy H. Bryant 編:Women in Nursing in Islamic Societies. (2003) Oxford Univ. Press.

はイスラム世界の看護師をとりあげた本ではあるが医療関係者に対する暴力を世界的に取り上げている。例えば「医療関係者は一般人よりも暴力を受けやすい。」「刑務所の看守よりも攻撃されやすい。」「イギリスでは警官以上に暴力を受ける。」

「アメリカでは年間100万~200万の職場暴力事件が起こるが、その半分は医療職場である。1995年に27万8千の看護師が暴力を受けた。1997年には、この比率は55%に上昇した。これらcaregiverの大部分は女性看護師と看護助手であった。」というように。以下、アメリカの救急部門看護師の場合、イギリスの看護師の場合、スコットランド、カナダ、スペイン、スウェーデンなどの例が紹介されてい。

看護師だけではない。イギリスのフロントラインの医師、GP(General Practitioner)の被害を取り上げたのが

『健康パートナーと犯罪パートナー』
☆Steffan Timmermans 他編:Partners in Health,Partners in Crime. (2003) Blackwell.

で、約700人のGPについて「最近2年間の被暴力経験」を「暴言」「暴言のみ」「脅迫」「GPへの加害を伴う脅迫」「暴力」(複数回答)に分類し統計化したものが紹介されている。それによれば697例中の1割強の72例が暴力を受けており、その中の8例では「武器」(道具)が使用されたと報告されている。

「武器」の本場、アメリカの「救急医療のマニュアル本」である

『救急医療』
☆Glenn C. Hamilton 他:Emergency Medicine.2版(2003) Saunders.

には、こんなことが書かれている。

「患者が武器を持たぬことを確認した上で、武器となりうるものや危険物のない安全室(secure room)に通すべきである。

スタッフが暴力志向のある患者に近づくときには、患者によって武器に転用されそうなものを持って行ってはならない。

医療関係者は暴力志向のある患者に対して安全距離を保つべきである。患者がスタッフとドアとの間の位置を占めることを許してはならない。」

この本には「ミサイル傷」の手当て法まで載っているが、看護サイドから救急医療を取り上げた本

『救急ケアの本』
☆Richard W. O. Beebe 他編:Fundamentals of Emergency Care. (2001) Delmar.

には「常に救急医療メンバーは自分たちの安全を第一に考えなさい。危ない場合には警官の支援なしに介入してはなりません。救急医療メンバーは法権力を持っていないことを考えるべきです」とかなり腰の引けたことが書かれてある。

考えてみれば、ケアの分野は現代文明の崩壊を象徴する分野ではないだろうか。

ケアを必要とする人たちの中で性暴力の被害者が目立つようになった時期(アメリカの場合)に出されたのが

『図説・性暴力』
☆Barbara W. Girardin 他:Color Atlas, Sexual Assault. (1997) Mosby.

『性暴力-医学的・法的検証』
☆Sharon R. Crowley: Sexual Assault-The Medical-Legal Examination. (1999) Appleton & Lange.

である。そして、家庭内暴力、親の暴力から逃れるために子どもホームレス化する傾向を指摘したのが

『ホームレスの子ども』
☆ Panos Vostanis 他編:Homeless Children .(1999) Jessica Kingsley.

である。そして、これらの被害者たちに手をさしのべるべき「ケアのにない手」たちが暴力を受けることによって、現代文明の退廃は頂点に達したと見ることができる。

ケアをめぐる問題で崩壊しつあるシステム、体制を、ケアを手がかりに生まれ変わらせることを考えなければならない。

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