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文献プロムナード(10)

「社会的再生産失調」

 野村拓

発行日2005年05月31日


社会的再生産失調とは

血液を売ったり、臓器を売ったり、子どもを売ったりしなければ生活できない状態は「蛸のとも喰い」のようなもので、人間生活の健全な「再生産」とはいえない。前号(第9回)で紹介したインド人の「腎臓売り」(『医療政策』2004)などは「再生産失調」の極端な例というべきである。

また、国も国民も貧しいのに、軍事費が保健医療費の数倍ないし数十倍を占めている国がある。 少し古くなったが

『戦争と公衆衛生』
☆ Barry S. Levy 他: War and Public Health(1997) Oxford Univ. Press

では次のような統計が示されている(1990年)。

1人あたり軍事費(ドル) 1人あたり医療費(ドル)
エチオピア 16 1
チャド 10 1
スーダン 25 1
モザンビーク 9 2
アンゴラ 1114 8

このように軍事費を押しあげているのは外国の軍需産業の企業活動によるものと思われるが、これは「国民生活の健全な再生産」とはほど遠い状 態というべきである。

国民生活の「再生産失調」を顕著に示すものとして、南アフリカ諸国における平均寿命(零歳平均余命)の急激な短縮を示したのが

『南アフリカにおけるエイズのモラル・エコノミー』
☆Nicoli Nattras : The Moral Economy of AIDS in South Aflica. (2004) Cambridge Univ. Press.

である。ここでは南アフリカ諸国で軒並みに短縮する平均寿命が示され、最近10年間における短縮が「ボツワナ」(61歳から38歳)、「南アフリカ」(63
歳から38歳)という形で統計化されている。

アフリカと聞けば「人口爆発」という言葉を連想する人が多いかもしれないが、アフリカも含めて「途上国出生率の低下」をとりあげたのが

『人びとの健康と加齢』
☆Maxine Weinstein 他編:Population Health and Aging ( 2001 ) The New York Academy of Sciences.

である。この本では絶対王政時代の人口学者、ジュースミルヒまでさかのぼって所論が展開されているが、人口現象は支配者にとって一番わかりやすい「社会的再生産の指標」ではなかったか。

人口センサスから人口再生産率へ

絶対王政時代から産業革命を経て資本の自己増殖(拡大再生産)が進行する時期を、人口現象からダイナミックにとらえた古典として

『イギリス産業革命初期における健康・富・人口』
☆M. C. Buer: Health, Wealth, and Population in the Early Days of the Industrial Revolution . (1926) George Routledge & Sons.

がある。これは「人口オンチ」の多い日本の社会科学者に一読をすすめたい本。例えば産業革命期のロンドンにおける5歳までの死亡率は

1730-49(年) 74.3(%)
1750‐ 69 63.0
1790-1809 41.3
1810-29 31.8

であり、産業革命期全体を通じて、5歳になるまでに半数が死亡していたことになる。

人口センサスの実施は、スウェーデンが飛び離れて早い(1707年)が、これは簡単にいえば、「わが国の人口は減っているのではないか」という危
機意識の産物である。

クロスセクション的な人口センサスではなく、動態的な「人口再生産率」の計算が行われるようになったのは1880年代で、このことを指摘したのが

『政治算術』
☆Lancelot Hogben 編: Political Arithmetic-ASymposium of Polulation Studies. (1938) George Allen & Unwin.

である。もちろん、『政治算術』の本家、William Petty は序説的部分で登場する。では、なぜ「人口再生産率」の最初の計算が1880年代であったの
か。それはヨーロッパ諸国での産業革命による大量の労働者が登場した時代から「ひと世代」経ったところで「労働者の世代的再生産」の状況が問
われたからである。

B. S. Rowntry による労働者家族のフォローアップ・スタディ(19世紀末から20世紀はじめ)も、 ほぼ同じ時期に各国で展開された母子保健対策や
乳幼児死亡対策なども「労働者の世代的再生産」 にかかわる問題であった。

『ライフサイクルにおける健康と労働参加』
☆Dera L. Costa : Health and Labor Force Participation over the Life Cycle. (2003) Univ. of Chicago Press.

というようなライフサイクル的なとらえ方のルーツもRowntry の時代までさかのぼることができる。

最近の人口学書

最近の人口学書では「人口の再生産はジリ貧気味」という先進諸国現象を重視したもの、いや途上国の「人口爆発」対策か必要という見方をするもの、実は途上国でも人口はジリ貧気味だと主張するもの等々、いろんな見方が並存している。このことは以下の本の書名を見ただけで、かなり想像できる。

『人口減少の新人口学』
☆Ben J. Watterberg: How the New Demography of Depopulation Will Shape Our Future. (2004) Ivan R. Dee.

『生殖的健康権』
☆Rebecca J. Cook 他: Reproductive Health and Human Rights. (2003) Clarendon Press.

『ジェンダーの再生産』
☆Susan Gal 他編:Reproducing Gender . ( 2000 ) Princeton Univ. Press.

『人口抑制から生殖的健康(リプロダクティブ・ヘルス)へ』
☆Mohan Rao: From Population Control to Reproductive Health. (2004) Sage.

『(インド南部における)新生児期の変化』
☆Maaike Den Draak: Early Life Change. (2003) Population Studies.

『低出生国の出産行動』
☆国連経済社会局人口部:Partnership and Reproductive Behaviour in Low-Fertility Countries(2003) United Nations.

『2000年の妊産婦死亡率』
☆ Unicef : Maternal Mortality in 2000 ( 2004 )

WHO
『WHOの人口報告』
☆WHO: Biennial Report 2002-2003 (2004)WHO.

コンサンプション(消耗病)のその後

社会的再生産の指標として「人口」は重要な意味を持つものではあるが、国家的規模での統計的調査から生まれたものである。もっと日常的で具体的な「再生産失調」はConsumption(消耗病)あり、16世紀イギリスの教区単位の「死亡表」の死因名に見られる。コンサンプションは労働力の消費と再生産とのアンバランスを示すもので、この言葉は意味、内容を少しずつ変えながら長く使われた。

『アメリカの疾病』
☆Stephen H. Gehlbach: American Plagues. (2005)McGraw―hill.

では、コンサンプションは結核の同義語として使われているが、この言葉は産業革命期あたりから、 労働者の結核を意味するようになった。労働者がジリ貧状態で死亡するからである。そして、19世紀末の結核菌の発見以後は、コンサンプションの原因は労働時間や労働条件ではなく、結核菌という病原細菌によるものと、工場経営者たちによって主張された(野村拓:『講座医療政策史』1968、医療図書出版社)。

コンサンプションの今日的表現は「過労死」といえるかもしれないが、一家の働き手を「過労死」させるようなシステムがもたらす「再生産失調」は家族や子どもたちにも顕著に現われつつある。

『聖職者の性的虐待』
☆Paul R. Dokecki: The Clergy Sexual Abuse Crisis.(2004) Georgetown Univ. Press.

『子どもの自殺』
☆Robert A. King: Suicide in Children and Adolescents.(2003) Cambridge Univ.Press.

などは、社会的弱者に対して獣性を発揮しなければならないなどの「精神のコンサンプション」ぶりを示したものといえる。

「消耗」対策・三原則

産業革命時代の「肉体の消耗」から高度情報化社会の「精神の消耗」まで、いろんな消耗がオーバーラップされつつある状況に対して、いま、どんな政策的対応がなされているのだろうか。簡単にいえば、次の三原則である。

第1は、資本の海外進出、多国籍企業化である。いいかえれば、「消耗」対策にコストのかかる国内は避けて海外へ進出というわけである。

第2は、「消耗」していない海外労働力(途上国労働力)の受け入れである。

そして、第3は、行政コストや企業負担を伴わない「国内棄民」である。つまり、長期的、生涯通算的消耗のツケを、消耗した人自身に負担させる方式である。

第1の点に関しては、これまでに多くの文献を 紹介してきたので、補足的に近刊書を数点あげる にとどめる。

『資本の街・ニューヨーク』
☆Thomas Kessner: Capital City. (2003) Simon &Schuster.

などは、肉体的・精神的消耗の対極で、資本の拡 大再生産の方は順調であることを示している。製薬産業の多国籍企業化をとりあげたものとしては

『製薬産業における研究開発の外部化』
☆Bianca Piachaud: Outsourcing R & D in the Pharmaceutical Industry. (2004)

があるが、少し変った視点から、製薬会社、エーライ・リリーの農業部門への進出をとりあげたのが

『女性と永続農業』
☆Anna Anderson: Women and Sustainable Agriculture.(2004) McFarland.

である。
第2の点は、アメリカの「移民看護職員」(特に准看と看護助手)の問題に典型的に現われている。

『医療労働力の未来』
☆Celia Davles 編: The Future Health Workforce.(2003) Palgrave.

『看護婦不足』
☆Harriet R. Feldman 編: The Nursing Shortage.(2003) Springer.

『看護における異文化コミュニケーション』
☆Cora Muños 他: Transcultural Communication in Nursing. 2版。(2005) Thomson.

などは言葉の通じない看護職員の流入を物語るものであるが、別の視点で黒人看護助手の悲惨さが描かれているのが

『アメリカン・ドリーム』
☆Jason DeParle: American Dream. (2004) Viking

である。

棲み分け・「棄民」

第3の「行政コストや企業負担を伴わない『国内棄民』に関する文献は多い。まず医療や福祉が持つべき公的性格(弱者救済など)をそぎ落とす 方向性を示したものが浮かんでくる。

『医療における私的参入』
☆ April Harding 他編: Private Participation in Health Services. (2003) The World Bank.

『営利病院と看護』
☆Dana Beth Weinberg : Code Green -Money-Driven Hospitals and Dismantling of Nursing . (2003) Cornell Univ. Press.
(これは翻訳が出されている)

『代替的福祉政策』
☆Torben M. Anderson 他編: Alternatives for Welfare Policy. (2003) Cambridge Univ. Press.

また「第9回」で紹介した『福祉市場』(2003)では、福祉でも金もうけをしようとする会社として「ロッキード・マーチン社」が登場している。 戦争世代が戦闘機や爆撃機の名称としてなじんだ 会社が福祉産業にまで手をのばすわけだから、金のない人は福祉からも見放されることになる。医療や福祉だけではない。

『都市スプロール化と公衆衛生』
☆Howard Frumkin 他: Urban Sprawl and Public Health. (2004) Island Press.

には、郊外の風景の中に

「本当にリッチな人のため優雅な家は直進」

「アッパー・ミドル用のハンサムな家は左折」

「労働者階級にピッタリの家は右折」

という標示板が埋めこまれている。「棲み分け」 の奨励ともいえる標示板の文言は、後から加工したものであるが、実際の標示板には「129,000ドルより」などと書かれてある。この水準に届かない人の多くは「トレーラー住民」ということで

『先進諸国における都市化、健康、人間生物学』
☆Lawrence M. Schell 他編: Urbanism, Health and Human Biology in Industrialized Countries . (1999) Cambridge Univ. Press.

によれば、トレーラーハウスは平均27,800ドル、安いのは12,000ドルで、740万台のトレーラーハウスに1,500万人が住んでいるといわれる。その住民は「白人貧困層」として特徴づけられ、イラク戦争でイラク人に対する虐待行為に登場した女性上等兵の実家はウエストヴァージニアの薄れたトレーラーハウスと報じられた。

そして、トレーラーハウスにも入れない黒人や有色人種の悲惨さについては、すでにく多くのことが語られているが、医療にかかわる近刊を挙げれば次のようになる。

『黒人・ヒスパニック、少数民族の老人医療』(意訳)
☆アメリカ老年医学会:Doorway Thoughts-Cross-Cultural Health Care for Older Adults.(2004)Jones & Bartlect.

『貧困層の医療財政』
☆Alexander S. Preker 他編: Health Financing for Poor People. (2004) The World Bank.

また、ひどい労働条件の下で働かされている移民労働者の闘いを描いた

『郊外の苦役所移民の権利の闘い』
☆Jennifer Gordon: Suburban Sweatshops-The Fight for Immigrant Rights (2005) Harvard Univ. Press.

という本もある。

まともな再生産とは

差別され、棄てられ、親は死に子どもは売られ、という状態を「人間生活のまともな再生産」とはいえないだろう。では「まとも」とはなにか、これは歴史貫通的な価値判断として成り立ちうる言葉である。

16世紀ごろのイギリスの農民(独立自営農民ヨーマン)の生活の仕方に「10分法」というのがあった。これは収穫物を10等分し、それぞれを「地代」「翌年の播種用」「教会への10分の1税」「農具購入代」「農具修理費(鍛冶屋への支払い)」「家族の生活費」などに配分するやり方で、農民生活の再生産は十分に可能であった。

ところが(フランス)ブルボン王朝期の財務総監コルベールは、収穫物を王侯・貴族たちにどう配分するかだけを考え、農民生活の再生産を考えないコルベール・システムをつくり出した。そして、このような「やらずぶったくりシステム」に対する批判原理としてF・ケネーが『経済表』 (1758)を著わし「あるべき社会的再生産」の姿を示した。

外科医であったケネーはW.ハーヴェイの「血液循環の原理」(1628)にヒントを得て、人体内の循環から社会における循環、すなわち、生産 流通消費再生産というサイクルをとらえ、当時のフランスが循環不良という「病的状態」にあることを指摘した。フランス大革命前夜の時期に、このような考え方が登場したことは、前回述べたように「全人的ケア」が市民革命の産物であることと合わせて考えるべきことである。

イギリス市民革命は労働価値説のルーツともいうべきものを生んだ。すなわち、解剖学者、William Petty は『アイルランドの政治的解剖』(1691)や『政治算術』(1690)(両者とも実際の執筆時期は1670年代といわれる)などによって、富の生産者は働く人であることを明らかにした。また、人間は20年間労働可能(稼得可能)として、生涯通算での稼得の可能性を示した。

Petty と同様にイギリス市民革命を闘ったJohn Graunt は教区「死亡表」の研究から死因分類を行ない、ほぼ同時代のEdmund Halley(ハレ彗星のハレ)は星の寿命の研究から人間の寿命へシフトして、最初の「生命表」(Life Table)を作成した(1693)。

人間の可能性、全人的ケア、そして「まともな社会的再生産」についての考え方などが相ついで登場した時代をとらえなおし、なぜ今日的状況にいたったかをあらためて把握しなければならない。 その場合の有力な手がかりは資本の自己増殖(拡大再生産)を解明した『資本論』であることはいうまでもないが、そのことと集積された生命現象としての人口現象、さらに「人口」を構成する人びとの行動様式とのかかわりなどについては、なお歴史的に解明されるべき多くのことが残っている。このような歴史的検討に加えて、追いつめられて「獣性」を発揮する人たちの「獣性」までも マーケットとしてとらえながら肥大化する勢力、 例えば、保険資本、軍需産業、産軍複合体(戦争屋)が世界を動かしている現実も把握しなければならない。

一方に、人類の「不幸」を栄養分として肥大化する勢力があれば、他方には、展望を見失い、生きながら死んだような状態におかれている人たちも多い。たしかにイギリス産業革命時代の5歳生存率が50%ぐらいだったのに対して、現在はおそらく99%以上に上昇していることだろう。しかし、生存率の向上した分が「生きながら死んだ人」であってはならない。

「生きながら死んだ人」が意欲をもって生きるようになることと、人類の「不幸」を栄養分として巨大化した勢力が滅びることとは表裏の関係にあるべきだ、というのが「社会的再生産失調」論 からひき出される希望的テーゼである。

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