文献プロムナード(12)
「階層化・流動化」
野村拓
発行日2005年11月30日
5階層分類
イギリスの公衆衛生学者、W. Farr が職業別・社会階層別死亡率に関する研究を展開したのは1851年センサス資料によるものであった。1801年 を初回とする10年ごとのセンサスは回を重ねて豊富な資料を提供したものと思われる。
この1851年センサスには、地域別にアイルランドからの流入率を示したのがある、という指摘はすでに
『健康の位置づけ』
☆Stephan Platt 他編:Locating Health-Sociological and Historical Explorations(1993)Avebury.
などでなされているが、これは重要な視点である。つまり、ロンドンの死亡率は出生率を大きく上廻り、その埋め合わせは移民や移住者によってなされたわけである。
「流出民も流入民も英国史の特徴である」というクリアな指摘をしているのが
『健康と病気』
☆Michael Senior 他:Health and Illness(1998)Macmillan
という本だが、人間の消耗、病気、死亡の穴埋めがいかになされてきたかは重要な視点である。
ビクトリア期の繁栄、というよりも「世界の工場」といわれたイギリス資本主義が植民地から運び入れる「富」によって上層労働者が潤うようになり、かつ植民地から流入する労働力が、半失業的、下働き層を形成するようになって、いわゆる「5階層分類」(医師、管理職などを第Ⅰ階層とし、単純労働者、未熟練労働者などを第Ⅴ階層とする分類)が登場する。そのはじまりは国民保険法施行の年、1911年とされており、その後、何回かの改訂を経て今日に至っている。
5階層分類をとりあげた本は、経済的事項、保健的事項から宗教的事項(カトリックか、プロテスタントか)にいたるまで数多く出されているが、新しいところでは
『看護師の社会学』
☆Elaine Denny 他編:Sociology for Nurses.(2005)Polity.
が「肥満」や「精神障害」をとりあげている。
階層差の疫学
疫学の教科書には、5階層別の標準化死亡比(全体の死亡率を100とした場合の階層間のバラツキ)の歴史的推移を示した表がよく使われるが、(イギリスの場合)階層間の格差が歴史とともに縮まるのではなく、拡がる傾向にあることが示されており、これは流入する外国人労働者の貧困と不健康を示すものといえよう。
19世紀中葉、John Snow によって作成さたコレラ死亡の疫学マップ(地図上にコレラ死亡者をプロットし、共同井戸との関係を調べたもの)や、同時期の「水道会社別コレラ死亡率」などは、ある意味で社会階層差を地理的に示したものといえるのではないか。
5階層分類などわずらわしい、イギリスは「ミドル」と「労働者」の国だ、「2階層」で充分だ、という意見もある。たしかにイギリスの「ミドル」は、借金まみれで見栄を張る日本の「中流」とはちがう。
1927年に、デイリー・メール社は「ミドル」対象のマイホーム展示会を開き、その時の展示内容や設計資料が
『理想的住宅読本』
☆The Daily Mail : Ideal House Book(1927)The Daily Mail
として1冊にまとめられている。その内容を一言でいえば「テニスコートも、セントラル・ヒーティングも」という設計・展示集である。そして、これと対照的なのが、ほぼ同時期に出された
『門口での健康問題』
☆E. W. Hope : Health at the Gateway(1931)Cambridge Univ. Press.
で、ここでは労働者街の不衛生住居が紹介されている。そして、不衛生な住居がもたらす不健康や死亡を生命の浪費としてとりあげた本が
『浪費された生命』
☆W. F. Lestrange : Wasted Lifes(1936)George Routledge & Soms.
である。ローン完済までにこわれてしまうマイホームのために営々と働く日本の「中流」も「生命の浪費」というべきかもしれない。
「国内植民地」という視点
イギリスにおける「ミドル」と「労働者」との差は、同一国の異なる社会階層というよりは「国内植民地」としてとらえる方が適切ではないか、という気がするが、このような視点に立った本として
『第三世界の鏡』
☆Sandra Halperin : In the Mirror of the Third World(1997)Cornell Univ. Press.
『黒人の境界』
☆Cathy J. Cohen : The Boundaries of Blackness.(1999)Univ. of Chicago Press.
などがあり、ここではBlack Community という言葉が使われている。またルイジアナの黒人隔離政策をとりあげたのが
『福祉より仕事』
☆Jennifer Mittelstadt : From Welfare to Workfare(2005)Univ. of North Carolina Press.
だが、このような視点を把握するために、国民国家の責務から切り離した形で“Blackwelfare”というカテゴリーを設けたのが
『公正なケア市民の責任と権利・再考』
☆Paul Kershaw : CarefairRethinking the Responsibilities and Rights of Citizenship(. 2005)UBC
Press.
である。そして、社会階層間の境界線は国境のようなものであることを指摘したのが
『難問-不法移民と近代アメリカの成り立ち』
☆Mae M. Ngai : Impossible Subjects Illegal Alliens and the Making of Modern America.(2005)Princeton Univ. Press.
であり、ここでは章名にNational Boundaries of Class(階層の国境)という言葉が使われている。この国境線が弱者のための防衛ラインとはならず、
差別や隔離のために機能しやすいものである点については、いまさら述べるまでもない。重要なことは公権力による保護・救済からは疎外されながら、「資本」に対しては「国境」をまたいで安い労働力を提供し、「買い叩かれた労働力」の相場づくり(the bottom-line orientation)に貢献していることである。ヨーロッパの場合も、原理的には同様であって、「労働市場における性、階層、人種差別は限界低賃金、限界的悪生活条件のところにアジア系女性を集める」という指摘をしてい
るのが
『健康と労働』
☆Norma Daykin 他編:Health and Work.(1995)Macmillan.
である。
国民国家としての救済の責務からは切り離され、しかも、無権利、低賃金の「相場づくり」として 政治経済的接続性を持たされている人たちをとら えるには「国内植民地」とかあるいは「異層化」 というような新しい概念を必要とするのではなかろうか。単に
『階層化』
☆Wendy Bottero : StratificationSocial Division and Inequality.(2005)Routledge.
というようなソフトなとらえ方では追いつかないような気がするのだが。
流動化する下働き職種
医療・社会福祉関係など対人サービス労働の分野で経営収支や利潤追求が重視された場合、労働力をより低位、低賃金のものによって代替させる傾向が生まれる。看護職種の三層構造(正看、准看、助手)は日米共通といえるが、アメリカの場合、層化された下働き職種には移住者、移民労働者が多く、この傾向は日本にも及ぼうとしている。
カラー印刷の准看・看護助手用のマニュアル本の表紙の職種モデルや本文中の人体解剖図などもヒスパニックや黒人である場合が多い。
第4回と第5回で紹介した『ケアのにない手の歴史的変遷』(2002)や『女性・健康・国民-1945年以降のカナダとアメリカ』(2003)などではnurse black がウェートを増す歴史的経過が示されており、「カリブの移民看護婦」もとりあげられている。また、看護職員養成機関一覧では正看(RN)についてはアメリカ国内の養成施設を州別に示しているのに対して准看(LPN)についてはプエルト・リコまで掲げられている。
英語のできない下働き職種のための医療英語の教科書が出される一方で、スペイン語の繁用文を付録につけた
『医療職種の専門的発達』
☆Lee Haroun : Career Development for Health Professionals.2版.(2006)Sanders Elsevier.
も出されている。
国境をまたいで流動化しながら下働きをする人たちを、国境をまたいでとらえなければ、という本が
『移民とソーシャルワーク-国境を越えて考える』
☆Diane Drachman 他:Immigrants and Social Work-Thinking beyond the Borders of United
States.(2004)The Haworth Press.
で、ここでは移民が一方交通的なものだけではないことを「プエルト・リコの循環移民」と「帰ってきた移民」などの項が示している。
また、保健医療労働力のグローバルな流動については
『21世紀の保健医療労働力』
☆WHO:Preparing A Health Care Workforce for the 21st Century.(2005)WHO
が出されている。なぜ、グローバル化か、という問に対する書生っぽい答は、低賃金、無権利の相場づくりのための「流動」ということになるだろう。
人間まるごとの流動ではなく、貧者から富者への臓器の流動を示したものが
『臓器、移植、そして市場』
☆Mark J. Cherry : Human Organs, Transplantation,and the Market.(2005)Georgetown Univ.
Press.
である。
流動は形の上では自発的意志にもとづくものとされるが、現実には追い込まれた貧しさが生む選択である。そして、内戦がらみの強制移住がもた
らすものについては
『強制された移住と精神保健』
☆David Ingleby : Forced Migration and Mental Health(2005)Springer.
が出されている。貧困家庭にとっては「強制」も「選択」も、対概念を成さず、同じようなものであることは
『選択と強制』
☆Johanna Schoen : Choice and Coercion.(2005) Univ. of North Carolina Press.
が示している。
残る差別
いわゆるグローバリゼーションによって、形の上では「ご自由に流動して下さい」ということだが、流動先に差別はついてまわっているようである。
『保険なき国』
☆Jill Quadagno : One Nation, Uninsured.(2005)Oxford Univ. Press.
では黒人やヒスパニックの無保険者が多いだけではなく、依然として黒人病院、黒人病棟という区 分が生きていることが指摘されている。
また人種別独居老人の比率を示しているのが
『独居老人』
☆Robert L. Rubinstein 他:Elders Living Alone.(2005)Aldine Transaction.
だが、やはり、黒人、ヒスパニック、白人の順で高率である。「勝手気ままなご隠居さん」が多いとは到底考えられず、貧しさ故に家族のバインデ
ィングが切れてしまった老人が多いと考えるべき
だろう。
2005年9月、ハリケーン・カトリーナによってニューオーリンズ市の黒人貧困者街は大きな被害を受けた。補強されるべき堤防が放置されていた
からである。
ニューオーリンズ市は、かつては奴隷売買セン
ターであり、医師、J. C. Simonds が「奴隷の保健経済」に関する2つの論文(1850、1851)を地
元医師会雑誌に発表したところである。その趣旨は、上水道の整備のために必要な投資額と、それによって死亡を免れるであろう奴隷のトータル価
格との比較である。1人400ドルというように買値がはっきりしているので計算がしやすかったからである。
本稿の冒頭で紹介したW. Farr は同じころ、保健統計と経済統計とを駆使して、「人間の生涯通算の稼得可能性」を示した。後藤新平は『国家衛
生原理』(1889)の中で、これを「命価」として紹介し、「命価」の高いことが公衆衛生の推進力になると解釈した。
W. Farr の「人間の可能性」評価に対して、J.
C. Simonds の方は奴隷所有者の立場での計算といえる。ニューオリンズの黒人貧困層は償却済み
の物品と見倣されているのだろうか。そして、産軍複合体や戦争ビジネス屋をふとらせるイラク戦争のために、堤防の強化を怠り、黒人貧困層を見
殺しにしたのではないか。
グローバル化とは
イラク戦争の仕掛け人たちは、世界をリードしていくという思い上がりをこめて「グローバル」という言葉をしばしば使う。これについての文献は第8回で挙げたが、新しいところでは
『グローバル保健リーダーシップと管理』
☆William H. Foege : Global Health Leadership and Management.(2005)Jossey-Bass.
があるが、ここでは「グローバル保健への参加者」「グローバル保健の手段」「グローバル保健の資源」「グローバル保健のスキル」など「グローバルだらけ」で、「グローバル保健の利益」までとりあげられている。このような「思い上がり」と「お目出たさ」を示した本の他に、貧困と格差のグローバル化をとりあげた本として
『グローバル保健統治-分割された世界における国際法と公衆衛生』
☆Obijiofor Aginam : Global Health Governance-International Law and Public Health in a Divided
World.(2005)Univ. of Toronto Press.
がある。貧困のグローバル化を示す結核の復活や、 途上国との格差を示す「空港マラリア」などがここではとりあげられている。
また、グローバル化にもいろいろあるよ、ということを示したのが
『アジア医学のグローバル化』
☆Joseph S. Alter : Asian Medicine and Globalization.(2005)Univ. of Pennsylvania Press.
であり、インドのアーユルヴェーダ医学や漢方医学やサンスクリット産科学などの「グローバルな普及」を論じている。中国とインドの人口数から考えれば「マジョリティーの医学」といえなくもない。
また、グローバル化という視点で歴史をさかのぼるならば、漢方医学の母国、中国から大量の「軍夫」を雇い、アーユルヴェーダ医学の母国、イン
ドから「植民地兵」を大動員した第1次大戦時のイギリスなどは「軍事的グローバル化」の本家といえるのではないか。
そしていま、多国籍企業や国際独占体が進めるグローバル化によって、アーユルヴェーダ医学の母国は、欧米型医学の実験場として臨床例集めのフィールドにされたり、移植用臓器の提供国にされたりしているわけである。
階級と階層
第1次大戦のとき、ニューヨーク市の貧民街でセツルメント活動や訪問看護に従事していた看護婦、リリアン・ワルド、ラビリア・ドックやマーガレット・サンガーなどが「反ミリタリズム運動」を組織した。そのとき、サンガーは“戦争は階級闘争であり、戦争で死ぬのは労働者や貧民たち”と主張したが、
『戦争の経済学』
☆Paul Poast : The Economics of War.(2006)McGraw-Hill
には、所得10分位別戦死率(ベトナム戦争)が掲げられている。
また、公権力による暴力行為としての戦争に対する補償要求運動をとりあげたものとして
『砲弾ショックから戦争トラウマ症まで』
☆Edger Jones 他:Shell Shock to PSTD-Millitary Psychiatric from 1990 to the Gulf War.
(2005)Psychology Press.
が出されている。
公権力が公的保障(補償)を求められるとき、しばしば補償を値切るためのランクづけが行われる。これは戦争被害の補償に限らず、労働災害、
職業病や公害被害などの場合もふくめてひろく行われている。拡大解釈すればランクづけ、「階層化」は公権力による保障を値切るために有効とい
うことになるのではないか。つまり、労働力をグローバルに流動化させながら低賃金の相場づくりを試みるのが「資本の論理」であるならば、その
ことによって生まれる社会的弱者に対する公的救済や保障を安上がりに済まそうとする階層化、ランクづけは「公権力の論理」といえるだろう。
以上、「階層化・流動化」というテーマで述べてきたが、Class という英語を「階級」と訳すか「階層」と訳すかは悩ましい問題である。それど
ころか、「階級社会」の英語、Class Society は「同級会」と間違えるおそれがある。
また(マクミランの社会科学辞典でもそうだが)、ドイツ生まれの「上部構造」「下部構造」という言葉がそれぞれSuperstructure, Base という英語で
置き換えられると、なにか、カラ足を踏むんだような気分になる。
カラ足ではなく、ふんばりのきく理論構築が必要だが、そのためには、翻訳できなくてローマ字で示されている言葉、Zaikai(財界)、Keiretsu(系
列)、Kanban(カンバン-トヨタ・カンバン方式)などを集めてみるのもひとつの方法だろう。